「はい、次の方」
マリアは今日も今日とて市内の病院に足を運んでいた。最近はメイフェア校に行けていなくて申し訳ないと思いながら診察をしていると、看護師が鼻を摘んで明らかに嫌そうな顔をしていた頃から誰が来たのか一瞬で分かってしまった。
「またあの患者か……」
バカにやる薬はないと言ってやりたいところではあるが、一応患者ではあるのでしっかり説明しなければならない。
部屋に入って来た患者はボロボロの布切れみたいな衣服を着て。顔面には打撲痕や傷跡があり、歯も抜け落ち、嫌に酒臭い。そして右腕に装着された安物の義手を装備していた。
「はい、今日は何の御用で?ダニー・マクビーンさん?」
マリアは内心『やりたくねぇ……』と思い、順番を変わって欲しいと思いながらその患者と対面していた。すると、ダニーは大声を出しながらマリアに聞く。
「なあ先生!身体中が痛えんだ。薬をくれよ」
「はい、何処が痛いか詳しく教えてくれますか?」
「だから、身体中が痛えから薬をくれって!」
正直、この患者には薬を出したくない。理由は簡単で、ダニーは処方した薬を売り捌いて金にしているからだ。処方した薬を売っぱらう行為にブチギレたのは言うまでもなく、診療所のルールを破った為に二度と処方箋を出さないブラックリスト入りしていた。
幾ら国民のための無償の医療とは言え、幾つものルールを守った上でのものであり、ルールを破ったものには罰が与えられる。中でも処方した薬の売買は最も重い部類に入り、一度バレれば一生処方箋を出してもらえなくなる。
理由は簡単。漢方薬は薬ではあるが、分量を間違えると毒にもなりうるためだ。市民にも分かりやすいようわざわざイラスト付きの看板を診療所に貼り付けており、ルールを破った者への罰も同時に書かれていた。
あまりにも酷い場合は診療所の出禁。つまり、病気になっても医者の診察を受けられなくなると言う事だった。それの恐ろしさを、市民は知っているからこそルールを大半は守っているわけだが……
「顔に打撲痕が有りますね。誰かと喧嘩なされたのですか?」
手術の時のアルコール臭とは違う、安酒のメチルアルコールの混じった匂いに卒倒しかけるのを我慢しながらマリアは聞くが、文字通り話にならなかった。
「だから!薬を寄越せっつてんだよ!!」
そう言い、ダニーは切れて拳を握って殴りかかろうとしたその瞬間。
「ごふっ!?」
現れたクラウスに横からストレートパンチでぶっ飛ばられて、一発で沈められた。また打撲痕の理由が増えたと思うと、クラウスは言う。
「ダニー・マクビーンさん、次にマリア医師に殴り掛かろうとした場合。診療所を出禁にすると言いましたよね?」
「あ、あぁ……っ!?まさか!!」
するとクラウスはダニーの首根っこを掴むとそのまま診察室を出て行く。
「今までの数々のルール違反、及び暴力未遂などで貴方をこの診療所から出禁とさせて頂きます。良いですね?」
「そ、そんな!!俺はただ……」
「そもそも、入り口に書いてありますし、常日頃から言っていますよね?『あまりにも酷い場合は出禁にする』と……」
「ま、待ってくれ!そしたら俺はどうなるんだ?!」
そんなダニーの呼びかけに、クラウスは冷淡に答える。
「さあ?私には知りかねます。我々の仕事はあくまでもルールを守る善良な市民の健康を守る事です。貴方のような存在のことまでは把握し切れません」
そう言って切り捨てる発言をすると、今度は彼が激昂し始める。
「くそっ!お前達までもが俺を見捨てるのかよ!!ふざけんな!!」
「ふざけているのは何方ですか?全く……」
これだから馬鹿の相手はしたくないと、内心クラウスはダニーをゴミを見るような目で見てしまう。周りでもクラウスに摘み出される様子を見て、待合室では『あーあ、ついにあいつ出禁になったのか』『これで少しは静かになる。ありがたい事よ』『これなら安心して息子を此処に呼べる』と言って他の患者達が心底安心した様子を見せていた。
他人からの反応を見ても、ダニーという碌でなしは嫌われているようだ。
だからこそ、ノルマンディー公は彼に目をつけた。
膨大な借金に酒に溺れ、何かあればすぐに暴言と暴力に走る。まるでデッカい子供だ。いつの時代もこんな輩はいるのだと内心呆れながらクラウスは引っ張る。こんな金の亡者だから、ノルマンディー公は金で彼を釣って死体の中から暗号表を探すよう言われたのだろう。つくづく扱いやすい男だ。どうせ帰ってくるのは鉛玉だと言うのに……。
精神年齢だけ退行した、アルコール腹の小太り爺はクラウスに急所を掴まれて痛いと叫びながら引きずられていた。そして、入り口に立つとそのままダニーを遠くに投げ飛ばした
「痛ぇっ!?」
投げ飛ばされ、軽く頭を擦るダニーにクラウスは言う。
「今後一切、診療所には近づかないで下さい。この事は他の診療所にも報告させていただきます。もし近づいた場合は警察にお引き取りさせて頂きますので」
「なっ!おい!待ってくれよ!」
「では、このまま……」
そう言うと、クラウスはダニーがまた入ってこないように扉をそそくさと閉めると鍵をかけた。
『おい!開けろ!開けやがれクソッタレが!!』
扉の向こうで、ドアを叩く音に待合室の患者はやや怖がっていた。その事に、クラウスはハッとなって頭を下げた。
「申し訳ありません。お見苦しい所を……」
すると、近くにいた老人の患者が答える。
「お気になさんな。私たちは先生のお陰でこうして長生きできておる。……この恩は感謝し切れんよ」
「そうよ、先生のおかげでこの子も無事に生まれて来てくれたのだし……」
「そうだ、あんな奴。とっとと忘れちまえ」
そう言い、患者達はクラウスに優しい声をかけていた。よくマリアの助手として働くが、こう言われるのが嬉しいと感じる。感謝される事で人の縁が繋がる事がこんなにも嬉しいと感じる。こんなのは初めての感覚だった。
これを持っと感じていたいと思いからこそ、自分は御主人について行っているわけだが……。
クラウスがそう考えていると、一人が呟く。
「あんな奴、とっととおっ死んじまえば良いんだ」
そう言うと、他の面々も思わず口に出てしまう。
「ああ、そうだ。ルールを破った上に先生に殴りかかったんだ。許せねえよ」
「死んで仕舞えばいっそ先生も安心できるだろう」
そう言い、徐々にダニーに対する悪口が漏れてしまうが、そこでクラウスは言う。
「皆さん、どれだけ相手が悪かろうと軽々と『死んでしまえ』などと言っては行けませんよ?」
「な、何ででぃ?」
疑問に思う患者に、クラウスは答える。
「東洋にはこのような言い伝えがあります。人が発する言葉には全て力が宿っており、良い事を言えば善行が。悪い事を言えば悪行が降り注ぐと言うものです。私たちは医者、人を救う事を仕事とする者達です。
なので人を殺してしまうかもしれない事には人一倍気を遣っているんです。なので、そう言った事にも気をつけているので、よろしくお願いしますね」
そう言い、待合室の患者がクラウスの忠告に申し訳なく思ってしまう。
「す、すまねえ」
「分かっていただければ、それだけで十分です」
そう言い残すとクラウスは診察室に戻って行った。
診察室に戻ったクラウスはそのままベットに座ると変声術を解いて愚痴った。
「あの屑男め…これから面倒を起こさなきゃ良いけど……」
「まぁ、大丈夫でしょう……はい、そろそろ当番変わるから。声戻してね」
「わかりました」
そう言うと、クラウスは声を再び青年に戻すと交代できた医者と変わった。
今日の予定はこれで終わりだ。後はシャーロット殿下の元に行って世話をしなければ。ドロシーやベアトリスは任務の為に、ちせは特使である堀川公への報告の為に。それぞれ向かっており、学校にはアンジェとシャーロットのみが残っていた。
クラウスを残し、マリアは一人車を動かす。目的地はメイフェア校。現在はシャーロット殿下とアンジェのみが残っていた。
「ともかく、元気だったようで何よりだよ……」
そう言いながら、マリアは懐からロケットを取り出すと中身を見た。そこには白黒の小さな写真に映る、マリアとその足元に立つ二人の少女達が同じ格好で写っていた。少女達は双子なのか見た目が全くそっくりであった。
「…久しぶりに焼いてあげますか……」
そう呟くとマリアはメイフェア校の駐車場に車を停めた。
メイフェア校に来たマリアは早速学内の厨房を借りた。
「さて、久しぶりに腕がなりますねぇ……」
此処で保健室の先生も勤めていて、尚且つ宮廷医務局副局長兼シャーロット殿下の従者という肩書き多すぎ問題となっているマリアは、ここの先生寮を借りてもいた。有名な人物故に怪我とは全く関係のない生徒がやって来る事もあるので、実を言うと此処最近はあまり顔を出せていなかった。
オーブンを借り、材料も貰った彼女は生地を作って焼いている間に仕入れたチョコレートをふんだんに使い、クリームと混ぜ合わせる。今の時間、人の姿はあまり無い。そのお陰で誰にも話しかけられる事なく黙々と作業に集中する事ができた。
「……できたぁ〜」
作り終え、マリアは片手に塩水に砂糖を適当に入れた経口飲料水もどきを口にすると目の前に置かれたそれを見てハッとなる。
「しまった…作りすぎた……」
そこには山のように積まれたエクレアがあった。この量を一人で食べてもと思いながらマリアはふと思いつく。
数十分後、厨房の書き置きと共に余ったエクレアが積まれていた。書き置きには『作りすぎたのでお裾分けです。厨房を貸してくれたお礼にどうぞ』と書かれており、厨房のおばちゃん達が一口いただき、それが学内で話題になる軽い騒動を引き起こしていた。
ドロシーや他の面々がおらず、アンジェと二人きりとなった学校の大広間の中。アンジェはシャーロットに話しかける。
「こうやって二人きりになったのも久しぶりね……」
「ええ、そうね……」
二人は話しているうちに思い出に思わず更けていると、アンジェが呟く。
「懐かしいわ。こうして二人で話していると、マリアがお茶とお菓子を持ってきてくれて行ったっけ?」
「エクレア…マリアがパリのお菓子って言ってたの。……また食べたいな…」
二人にとっては思い出の菓子。あれ以降マリアは多忙で
「シャーロット様、アンジェ様」
ふと声を掛けられ振り向くと、そこには紅茶セットを置いた台を押してきたマリアが立っていた。すると、アンジェがマリアに聞く。
「今日は、こちらに来たのね……」
「はい、仕事も今日はこれで終わりですので……」
そう言うと、二人の前に淹れた紅茶を温めたカップの中に注ぎ入れ、二人の前に茶菓子と共に差し出す。その茶菓子を見てアンジェは嬉しそうにする。
「まぁ…これは……」
「時間がありましたので、久々に作らせていただきました」
そう言い、さらに置かれた二本のエクレアを見て二人とも嬉しそうにしていた。
「懐かしい……」
ふとシャーロットが呟くと、彼女の前に紅茶が置かれる。
「どうぞ、
そう言い、次にマリアはアンジェの前に紅茶を置く。
「今日はレディグレイを淹れさせて頂きました」
「ありがとう、マリア……」
そう言うと、アンジェはエクレアを懐かしそうにしながらシャーロットと食べる。その景色をマリアが眺める。……懐かしい光景だ。今でも昨日の事のように蘇る。
ずっとこんな時間が続けば良いのにと、マリアやシャーロットは考えてしまっていた。