「ーー寒い」
それは共和国の、あの離宮の近くのあった街の中。スリとして生き延びていたとある少女の呟きであった。新聞で知った革命が起こって早一年。少女は立ち尽くしていた。あの革命の後、マリアが色々とアンジェに配慮していたのを理解した。よく夕食の余りを渡していたり、体調を確認していたり。
だけど、此処でへこたれるわけには行かない。だって、アンジェは生きていたのだから……新聞で堂々と報じられていたのを見ていたからこ、私は約束を果たす為に此処でへこたれるわけには行かない。だから……
「あっ……」
目の前を歩いた人なんか良さそうだ。ちょっと痩せていて、ボロめの服を着ているけれど歩き方が城にいた人に似ていた。
スリは今まで何度か失敗し、酷い仕打ちも受けてきたがそれでも何度かは成功した。
「……」
その男を追いかけ、少し先回りして前からすれ違う瞬間に目の前でこけた。
「あっ!」
「おっと……」
転けたのをみて、その男の人は私を反射的に抱えた。
「大丈夫かい?お嬢さん」
「あ、ありがとうございます」
そう言い、転けた瞬間。鞄から視線が外れたその時に蓋の空いていた鞄に手を入れて起きた時に鞄の中に入れていた。
そして少女はそのまま駆け足でさっていく。
暫くして、今日スッた物の確認をする。
「おぉっ!!」
それは小銭入れと小さな封筒でした。中にはペンス硬貨が入っており、大きな収穫だと思った。これで今日は食事が取れると。
「こっちは……」
封筒の中身は一枚の薄い銅板が入っていた。それは何やら高そうな物だと見た目でわかったので近くの店に売りにいけばお金になると感じた。
善は急げという事で早速少女は近くの金具店に行ってこの銅板を売りに行った。
そして向かった先、とある金具店に入った少女はそこで店の人に先ほどの薄い銅板を渡した。
「あの、これを買い取ってください!!」
やや震えた声でそう言うと、その店の店主は少女の目よりもその銅板を見て頷くとペンス硬貨と交換してくれた。これで何日凌げるかと数えていると、その店主から声をかけられた。
「なぁ、嬢ちゃん。これ何だ?」
そう言って、店の店主は封筒の中に入っていた一枚の紙を見せた。そこには『後ろに注意しろ』と書かれており、思わず反射的に後ろを見るとそこにちょうど店の扉を開けて入ってきた人がいた。
さっきの人だ。
転んだ隙にスリをしたあの男性がやって来ており、少女は思わず目を見開いた。スリに失敗しからこれから酷い仕打ちが待っていると思わず固まって震えてしまうと、その男の人を見て店の店主が言っていた。
「おや、ポールストンさんでしたか。と言う事は……」
「ああ、その通りだ」
そう言うと、店主が呆れた様子でその男の人に話しており、二人が知り合いであると理解した。挟まれているので逃げられないと思っていると、その男の人は私の顔を見ながら提案して来た。その目は誰かに似ている様な気もしていた。
「君、名前は?」
「…え?」
「名前はと聞いている」
てっきり仕打ちを受ける物だと思っていたが、予想外の話に少女は困惑するとその男の人は名前を聞いて来ていた。すると、その男の人は続けて話す。
「君のスリの手腕は見事だ。手際の良さ、頭の回転。……そして他の子供とは違う明日を生きる為とは違う強い意志を感じた」
「え、えっと……」
「だから名前を聞いている」
そう言われ、少女は意を決して息を呑んで答えた。
「アンジェ…ただのスリです」
「アンジェか……宜しい、では私と共に来てもらおうか。暖かい飯と寝床があれば、それで充分だろう?」
その男の人はそう言うと、店主がややゲッとなった様子でその男の人に言った。
「物好きですね〜、いくら人材不足とは言えスカウトの方法が物騒じゃありません?」
「だか、この子はスパイとしての素質がある。市井で死なせるのは勿体無い」
スパイはマリアが書かせてくれた小説とかに書いてあった。敵国の情報などを調べたりする人。そんなものになれというのかと答えられずにいると、その男の人は続けた。
「今、我々は人手不足だ。そして王国に入る事になるだろう。それでも良いかね?」
王国に入る。それはアンジェやマリアに再会できるかもしれないという事だ。私は小さく頷くとその男の手を取っていた。
その日、マリアはとある人物に面会をしていた。
「今日はお会いできて光栄ですわ」
「いやはや、先生とお会いできて。私も光栄です」
目の前に座るやや小太りの一人の紳士とマリアは紅茶を飲みながら話す。
レオ
そして彼はそんなロスチルド家の三男で、マリアの社会福祉に大いに賛同し、資金を渡してくれた人物であった。それ以来、マリアとレオパルドは友好的な関係を築き上げていた。現在、ロスチルド・カンパニーはロスチルド家の三兄弟が経営を行っており、マリアの経営する医薬品会社も彼の協力がなければ此処まで成長することもなかっただろう。
「ところで如何ですか?つい先日、珍しいものが手に入りましてな……」
そう言い、レオパルドは従者に指示してとある箱を持って来させた。持って来させた箱の中には大理石に似た灰色の石があったが、マリアの鼻がその匂いを嗅いで興味深そうに呟く。
「ほう、これはこれは……龍涎香ですか?」
「おぉ、さすがはマリア女医。流石ですなぁ……」
龍涎香、それはマッコウクジラから取れる結石の事を指す。独特な香りは人によって好き嫌いが分かれるものだ。これだけの大きさの龍涎香とは珍しいと思っていると、レオパルドはこれを入手した経緯を話した。
「大西洋の捕鯨船が捕らえたものでしてな。大きかったですので先生にも少しお裾分けしようかとお思いましてな……」
「まぁ、嬉しい事ですわ」
マリアは嬉しそうに答える。龍涎香は非常に貴重な物で、まず滅多に手に入らない。それをタダで貰えるのは実に嬉しい話しだ。これだから金持ち万歳だ。と言うか、見つけたら何千万円にもなる龍涎香の話を聞いてよく海岸線を見に行ったかと思い返しながらマリアはレオパルドから龍涎香を受け取る。
龍涎香にはアンブレインと呼ばれる媚薬効果と鎮痛効果のある成分が含まれている。そのアンブレインを使って新たな媚薬か痛み止めでも開発してみようかと内心考えながら龍涎香を受け取る。さすがは天然物。良い香りをしていますなぁ……
そうして龍涎香を受け取った後、レオパルドはマリアにとある噂を持ちかける。
「そう言えば先生はご存知ででしょうか?幽霊車の噂を……」
「幽霊車?」
初めて聞く噂にマリアは首を傾げるとレオパルドは面白げに口を開く。
「ええ、最近街を騒がせていると噂の車です。夜な夜な街を白い車らしき影が、聞き慣れぬ牛の暴れたような声や金切り声のような悲鳴を上げて走り回っているそうです」
「ほうほう、それは実に興味深いですな」
「ははっ、やはりマリア女医はそう言った噂はお好きですな……」
「いえいえ、噂話をシャーロット殿下にもお伝えしようと思いましてな……」
そう言うと、レオパルドは納得した様子でポンと手を叩いた。
「おぉ、そうでしたな。……実を言いますと私は内心、シャーロット殿下を推しておりましてな」
「おや、そうなのですか?」
「ええ、くれぐれもご内密にお願い致しますがね」
そう言い、レオパルドは小さく口角を上げる。たまたまロスチルド家は本家の三兄弟全員は王国側に残っていたが、分家の中で共和国側に残ってしまっている家族もいるそうで、そんな彼らは共和国側への亡命を望んでいるものもいると言う。
「シャーロット殿下が進めていらっしゃる社会福祉政策は経営者にとってもありがたい事です」
「あら、そうなので?」
「ええ、労働者が汗水を垂らして作業を行ってくれておりますから、こうして我々は生活ができておるのです。労働者が居なければ我々は明日の夕食すらも危うくなってしまいますからな……」
事実、あまりにも酷い労働環境では、従業員によるストライキやサボタージュを行なった例も今の王国には数多くある。
しかし、目の前にいるレオパルドの様な考えを持つ人物は王国でも数える程度だろう。その理由は中世以来の貴族支配が革命前よりも根強くなってしまったからだ。そしてその貴族支配は下流階層の市民の怒りを仰ぐ事となりロンドンの治安悪化を招く原因となっていた。
「ついこの前も、私の友人の紡績会社がサボタージュで工場の機械が破壊されたと泣きながら金を借りていきまして。いやぁ、それは酷いものだったそうで……」
「あらあら、大変だったですわね」
こう言う時、銀行はさぞウハウハだろうなと内心思う。機械が壊され、融資を借りたと言うことはつまり、お金を利子をつけて返さねばならず銀行側が儲かるわけで。
「しかし、労働者が声を掲げることは良い事です。あまり労働者の意見も無視し過ぎてしまうと、また革命が起こってしまいますからな……」
「…そうですね……」
そう呟くと、マリアも思わず目を伏せるとレオパルドはその頃の景色を思い返す様に呟く。
「今でも時折夢に出てきます。私はその時、ケイバーライト採掘場にいたのですが。片手に農耕具を持った市民が王政打倒を掲げて街中で暴れていました。私の家族は無事で良かったのですが……」
「私も、その時は離宮の方でシャーロット殿下のお世話役をしておりました」
「なんと……あの離宮から脱出されたのですか?」
「ええ、大怪我を負い。とても大変でしたが……」
「それはまた…ご苦労をされましたな……」
そう話し、レオパルドはマリアの苦労を察していた。そして、レオパルドは外を見ながらふと呟く。
「私はまた、エディンバラに行きたいものです。余生はスコットランドで過ごしたいと思っていましてな……」
「あら、良いではありませんか。ロンドンよりも空気が澄んでいて……」
「いやはや、お恥ずかしい限りです。こんな状況がいつまで続くかも分かりませんのに、こんな高望みをしてしまって……」
レオポルドの話を聞き、マリアも同じ事を思っていた。