「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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祝100話
ここまで書き続けてこれたのは間違いなく皆様のおかげです

お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

引き続きテイオー視点、最後に一部三人称視点が入ります


サポートカードイベント:錯綜する道

 

 

U U U

 

 

 第四コーナーから続くゆるやかな下り坂を誰よりも早く駆け下りて直線に入る。

 クラシック級のレースでは未経験の速度。もう既に脚が痛い。肺が苦しい。

 

 だけど関係ない。

 このままぎゅーんとゴールまでボクが先頭をキープして勝っちゃうもんね!

 

「へえ、やるじゃん」

 

 すらっと視界に入ってきて横顔から上から目線のリシュが腹立たしい。

 

「よお、ひさしぶり」

 

 ついに肌で感じる距離まで追い上げてきたゴールドシップのプレッシャーが凄まじい。

 後ろからもぞくぞく来ている。比較的前にいて目立つのがその二人ってだけだ。

 

「やらせない……言わせない……!」

 

 白くかすみながら広がる阪神レース場内回り356.5mのホームストレッチ。

 誰のものか判別のつかない遠さから聞こえる声は、そんな後方のウマ娘のだれか。

 

「順当な勝利なんて言わせるものか。当然の偉業だなんて言わせてなるものかっ!」

 

「踏み台になる我が身の惰弱さは受け入れられても、踏まれるのが当然と世間に評価されるのは許しがたいッ!!」

 

 ひとりの声なのか、複数のものなのか、それすらはっきりしない。

 格の違いを思い知らされながら、それがどうしたと、それが勝負を放棄する理由になるものかと食らいついていく。あきらめられない、あきらめたくない、そんな妄執が燃え盛っている。

 あるいはその熱量だけでいえば。世界を押しのけて“領域”を布くだけのものがあったかもしれない。

 

 でもリシュの“領域”は、溶かす宇宙はゴールドシップにあれだけバリバリ割られて削られながらいまだに健在。まったくどんなエネルギー量を保有しているのやら。

 雲の中で生じた雪が雪のまま地に降りることなく、気温にさらされて雨に変わるように。

 リシュの“領域”にさらされてウマ娘たちの魂は世界を押しのけるだけのかたちを保つことが出来ず、想いの破片としてパラパラとボクたちに降り注ぐ。

 

「あれもしゅきぃ! これもしゅきしゅきぃ!!」

 

 ぱらぱらと激情の小雨が降りしきる中、場違いに蕩けた声が聞こえた。

 つやつやとした色合いが過酷に過ぎた宇宙を侵蝕していく。ぽん、ぽん、ぽんと無為な雨だったウマ娘の想いが綺麗な額縁で飾られていく。まるでコレクターが大事にしているカードみたいに丁重に並べられていく。

 

「でも、いまのあたしは――」

 

 几帳面にずらりと並べられたウマ娘の想いの情景たち。気づけばそこには今の光景だけじゃなくて、明らかにここ以外のものと思しき絵も混ざっていた。このレースに出走している顔じゃないんだもん。そもそも走っていない情景もあるし。

 きっとこれは、このコレクターが今日まで集めてきた宝物。脳内フォルダに焼き付いた尊い記憶たち。

 虹色にきらめく宇宙の一角。そんな中、美術品を飾るときのセオリーになぞらえて考えるのであれば『一番いいもの』を飾るべき場所が不自然にぽっかりと空いている。

 

「ここから差し切られた貴女の顔が見たい」

 

 領域具現――尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!

 

 怪鳥のように天与の資質を活かし。

 不死鳥のように刹那の機を逃さず。

 

『さらに外から五番アグネスデジタル、すごい脚だ!!』

『五番アグネスデジタル、凄まじい切れ味。芝の上ではさらに上をいきますね』

 

 爆発した。

 一刀両断。鳥肌が立つような切れ味で宇宙がすっぱりと切り裂かれる。

 

 ああ、マヤノが言っていたのってこのことだったんだな。

 終わってから気づく。ボクのこれまでの人生の中でも何度かあったけど、今回の見逃しはとびきりだ。

 この時代、『魔王』がアレなのにその上でなお『勇者』と呼ばれるウマ娘が存在しているという意味をもっと深く考えるべきだったね。

 

 ルームメイトであるボク、トゥインクル・シリーズで同期のデジタル。アオハル杯では同じチームメイト。関係性でいえばフィフティフィフティってとこかな。どっちかを特別ひいきする理由は無いし、理由もなく行えばそれはのちにしこりとなりうる。

 だからあれはリシュばかりに注目せずにちゃんと周囲にも、特に四天王と呼ばれるほど突出した実績と相応の実力を持つ彼女たちに気を配れと、その前提の上でマヤノの立場からできる最大限の助言だったわけだ。

 それをむざむざ見逃したままここまで来てしまったわけだけど。

 

「きゃは! 待っていたよデジタル、待ちわびた!!」

 

 迎撃の黒剣が雨あられと降り注ぎ全身をくまなく切り刻まれているのに、デジタルの勢いはまったく衰えない。

 痛みも恐怖も凌駕する……なんだろうアレ? 妄執? とでも呼ぶべきものが彼女の奥底から滾々と湧き出ているのが見える。もうめっちゃオーラになってる。赤とか青とかじゃなくてピンク系統のやつ。

 

「いきます!」

 

 リシュがボクたち低学年組を指して『デジタルのこと舐めてない?』とつねづね不満そうだったことにようやく納得がいった。

 認めよう。ものすっごく舐めていたって。なんならレース後に正式に謝罪してもいいくらい身に染みて理解した。

 だって仕方ないじゃないか。自分より年下で実力もずっと劣る、ぶっちゃけて言ってしまえば弱っちいウマ娘にあんなキラキラした視線を向けて心の底から敬愛を捧げるだなんて、ボクらの価値観からはあまりにも程遠いものだったんだから。ふつー憧憬のまなざしを向けるのって自分より強いウマ娘限定だよね。

 ほんとうの本気でアグネスデジタルというウマ娘は、(自分以外の)あらゆるウマ娘のことを心の底から愛しているんだなーって。共感はいまだに難しいけど理解はできたよ(なぜあれだけの実力を有しながら自己評価がゴミなのか不思議だけどね。自分がいちばんってもんじゃない?)。

 

「きみにはその資格がある! さあ私を殺してみろ!!」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!】×【全身全霊】×【プランチャ☆ガナドール】×【尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!】

=【最推し!天上天下唯我独尊!!】

 

 理解した上で、向き合わないと。目の前の現実と。競り合うように抜け出したリシュとデジタル、この二人に追い抜かされ差し切られつつあるという現在と。

 

「よっ、ほっ」

「はっ、やっぱオメーはこのタイミングで来るよなあァ!」

 

 さらにはミークがにょっきり生えてきた。

 わけがわからない。でもそうとしか言いようがない。ゴールドシップが牙を剥きだしにして嬉しそうに笑う。

 すさまじい切れ脚でばっさり芝を両断するかのように終盤戦にエントリーしたデジタルに気を取られていたら、気づけばそこにいたって感じ。

 たぶん位置取りやレース展開の予想・コントロールが巧みなんだろう。今はちょっとそれ以上考察してる余裕がない。そういやゴールドシップとミークは同期でライバルと目されてた時期もあったっけと少しだけ思い出す。

 こういうところでも経験、経験。

 でも別に経験というのはあちらだけにあるものではない。生まれてからずっと、憧れてから今日に至るまで、きっとが絶対に変わるまで、ここまで走ってきたボクの経験だって十分すぎるほどの高峰、そうだろう?

 ほら、『最終直線で二位か三位、前のウマ娘と一バ身差以内』だ。

 

 領域具現――究極テイオーステップ

 

 宇宙(ソラ)を引きずり降ろし、蒼穹(ソラ)に変える。

 レース場全体を覆う大規模なあれに比べたら最終直線のほんの一部。だけどそこはもう間違いなくボクの“領域”。

 トランポリンよろしく分厚い白い雲を踏んで、虹のアーチを描きながらくるくると宙を舞う。飛んで、跳んで、空の果ての向こう側まで。

 ボクは究極、ボクは無敵、無敗の三冠を成し遂げて、いつかあの皇帝(シンボリルドルフ)だって超えた帝王になってみせる。

 そんな今日までのボクが結実したのがこの世界。

 

 ぎゅうぎゅうと抑え込んでくるなまあたたかい宇宙の吐息。雨のように降り注ぎ灼熱の寒さで身を削ってくる漆黒の剣。

 ははっ、魔王とはよく言ったものだ。この帝王の世界から躊躇も容赦もなく取り立てる。手の届く範疇にいるという理由で、相手が誰であろうと呵責なく徴税を行うそのさまは、まさにその異名にふさわしい傲慢さと……それを裏打ちするに足る威厳に満ちていた。

 

『残り二百! 二番ハッピーミークかわすか!? 十番トウカイテイオーくるしいけど粘っている! 六番ゴールドシップ脚色は衰えない』

『五人がもつれ合う大混戦!! 三番テンプレオリシュ五番アグネスデジタルこの二人がやや優勢か? 誰が抜け出しても不思議じゃないぞっ!』

 

 多少削られたところでそのまま素直に溶けてやるほどかわいげのあるボクじゃない。

 肌に感じる風じゃなくて、蹄鉄越しに感じる芝のクッションでもなくて。筋肉でも血でも骨でもない、物理的要因とは異なるものからなる速度上昇。それは魂から汲み上げられる“速さ”の色。

 “領域”を引っ張り出したときの何とも言えない高揚感を味わいながらボクの身体は加速していく。

 

「きゃは! あははははきゃは! きゃは! きゃは!」

「はあああああああああ!」

 

 それでも届かない。こんなにも並べない。じりじりと追いすがるかたちに追いやられていく。

 わかっていたさ。ボクはまだトップスピードで彼女たちに及ばない。純粋な末脚勝負に持ち込まれたら一歩劣る存在でしかないと。そんなことはレースがはじまる前から知っていたとも。

 

「どおりゃああああああああ!」

「……ふっ!」

 

 経験、経験か。

 現代の勇者と魔王を見ても、初代URAファイナルズ時代の双璧を見ても、才能で負けているなんてこの期に及んでまったく思わない。努力で劣るともちっとも感じない。

 いつかボクがすべてを走り終えてテイオー伝説が編纂されたとき、そこに紡がれる帝王の物語は皇帝にも魔王にも見劣りしない、なんなら超えていくものになっているって自信がある。

 将来語られるべきテイオー伝説の一節で、このレースはどう語られるのだろう。惜敗? 健闘? そんなのはごめんだね。

 いびつな直線がとりかえしのつかない歪曲を強めていく。このまま置いていかれてなるものか。

 負けない。いつかたどり着く頂なら、いまたどり着いたって何も問題ないじゃないか。

 絶対に勝つ。ううん、ちょっと違うな。

 

 領域具現――

 

絶対は、ボクだ

 

 目の前に落ちてきたひとひらの羽。

 握りしめると炎が吹き上がる。

 それはボクの背中を突き破って紅蓮の両翼となり、周囲のなにもかもを焼き尽くした。

 羽ばたくたびに炎が渦巻き景色は一新されていく。青い空から暗がりの焦土へ。でもそれはこれまでを否定しているんじゃない。

 これまでに積み上げ蓄えたぜんぶ、青空を満たしていた光の一滴すらも燃料にして、これからを切り開いていくんだ。

 

「勝負だ……!」

 

 テイオー伝説のあらたな一(ページ)はここから始まる!

 

 ……えぇ。

 うっそだろ。これでもまだ届かないって。

 差は開かなくなった。でも縮まらない。

 こんなにも燃え盛っているのに。羽ばたいて空を飛んでいるっていうのに。

 あまりにも分厚い。この透明な空気で隔たれた0.1秒の差もない距離が遠い。

 ちょっとずつ近づいている気はしなくもない。でも、ほんとうに微々たるもの。このペースなら追いつき追い抜くよりもゴール板を駆け抜ける方がずっと早い。

 

『残り百メートル! 十三番ボウアンドシールドよい立ち回りだが先頭との距離が厳しいか』

『前の二人がしのぎを削る! テンプレオリシュか、アグネスデジタルか!?』

 

 これが最強。たった二文字に込められた現実。

 行く手にどこかのバカどもがアイスクリームのように段々重ねにした断崖絶壁が見える。もうゴール手前の上り坂があんなところにまで。

 勇者も魔王も戦場を選ばないのは有名な話。このままじゃ登坂技術の差で決定的に突き放される。

 いや、まだだ!

 ぜんぶ出し切るんだ。手持ちのありったけで足りないのなら捨てた分もぜんぶぜんぶっ! レースを交えた約束を破ることにウマ娘として思うところがないわけじゃないけど――

 

「ねえ」

 

 ぞぶり、と。

 胸郭を分け開いて漆黒の刃が心臓に触れる。どくどくと脈打つたびに切っ先の冷たさをひたひたと感じる。

 

「その境界線を越えるのなら、脚を折るよ」

 

 ………………

 …………

 ……

 

『ゴールッ!! 一着は三番テンプレオリシュ、シニア春三冠と春秋グランプリを同時に成し遂げました! 二着は五番アグネスデジタル、三着は六番ゴールドシップ』

『数々の偉業をまた新たな一つの勝利に重ねて“銀の魔王”、堂々の君臨! 先達にも後続にも一歩も退かず、今は己の時代だと先頭を駆け抜けてみせました!!』

 

 い、いまの……。

 脅しじゃなかった。忠告ですらなかった。

 

「はぁー……はぁー……!」

 

 『確認』だった。骨に指を添えて、最後にもう一度だけの再確認。肉の奥にほっそりとした指が置かれる甘い鈍痛すら錯覚した。

 全身が痛い。ズキズキする。目がチカチカして頭がくらくらする。汗が視界に入ってぼやける。

 息をひとつ吸って吐くたびに、心臓がひとつ鼓動を刻むたびに、あたりまえのことをこなすだけで苦しくて吐きそうだ。

 

「あはっ、あはは、あはははは……」

 

 遠くでリシュが芝の上に大の字になっているのがぼんやり見える。息絶え絶えに胸を上下させて満足そうに笑っている。

 ちゃっかり後続に踏まれない位置を選んでいるあたり故障で転倒したとか、ゴール直後に力尽きたってわけじゃないんだろうけど。

 見事な葦毛や勝負服がどろどろに汚れるのを気にも留めず起き上がろうとしないのだから、体面を取り繕う余裕がないのも本当なんだろう。

 

「ぜひゅ、ごほっ……」

 

 脳裏を過ってしまった。菊花賞(さき)のこと。

 ここで何もかもなげうって、取り返しのつかないことになったら。マックイーンに、カイチョーに、トレーナーになんて言えばいいんだろうって。

 ためらってしまった。今のフォームを投げ捨てて勝利を求めようとして、できなかった。

 

 くやしい。

 

「うう……うぅ~~!」

 

 ボクじゃなかったんだ。

 もしもスカーレットなら。ううん、デジタルやマヤノだって。

 きっと『折るよ』なんて、リシュはいわなかった。

 だってレース中なんだよ? 自分が勝つことしか考えない。勝負が終わった後で相手のことを思い遣ることはあっても、レースの最中に相手の体調を気遣うことなんかしない。

 走っている最中に相手の脚のことを気遣ってやって、相手が勝手に越えてはいけないラインを越えようとしているのに『自分が折るのだ』と責任を背負ってやって。

 この期に及んでボクは敵じゃなくて、庇護してやらなきゃいけない後輩のままだったんだ。ボクはリシュのライバルじゃなかった。

 それが悲しくて、悔しい。

 

 そして、ボクのライバルもリシュじゃなかったんだと思う。

 これがマックイーンと走っているときなら。ボクはいくらでも限界を超えられる気がする。それで勝っても負けても結果がどうなっても後悔しない。

 ううん、怪我して走れなくなったらめちゃくちゃ後悔すると思うけど。それでもやるときはやっちゃうと思うし、タイムマシンで何度そのときをやり直す権利を得てもやっぱり同じ選択をするとも思うんだ。

 

「ふぐっ、ぐすっ……ふえぇ~ん」

 

 ボクと彼女たちの運命は交差しただけで、交わらないんだ。

 小さいころからずっと掲げてきた無敗三冠がもう絶対に達成できないって確定してしまったことにはまだ現実味がなくて。ふわふわしていて。

 だから今はただその実感だけがつらくて、悲しくて、切なくて。

 子供みたいに声を上げて泣く自分をまるで抑えられなかった。

 

 

U U U

 

 

「あらま、泣いちゃった」

「涙の数だけ女の子は強くなれるのよ。つまりテイオーちゃんはまだまだ強くなるってわけ。んー、楽しみ!」

 

 夏のグランプリレース開催中の阪神レース場のスタンドは満員御礼。

 しかしこの一室は自分専用の席へ腰かけ、飲み物を片手にターフの上で繰り広げられる筋書きのないドラマを優雅に鑑賞できる環境が整えられていた。

 いわゆる関係者専用のVIP席。それもただ名門に生まれたというだけでチケットは手に入らない、絶対にこのレースを見逃させるわけにはいかない人材に向けて提供される至高の席だった。

 

 惜しむらくはこの場にいる誰も彼もがこの特等席にさしたる価値を見出していないことだろうか。仮に彼女たちが見下ろす形となっている一般客の誰かにどうか席替えしてほしいと頼まれたら了承する者ばかりだろう。心情的にはともかく立場的にそれが許されるかは、さておき。

 さらに言えば一般客の誰が選出されても、この場にいる誰かと座席を交換しようなどと考えることができるかどうか。

 ネット中継で気軽にレースもライブも閲覧できるこの時代。人の波に揉まれることがわかりきっていながらレース場にわざわざ足を運ぶ気合いの入ったファンだからこそその価値を認める。この特等席にふさわしいだけの実績を積み上げた生ける伝説だと知っている。そんな彼女たちから席を奪うだなんてとてもとてもと、ファンは辞退するに違いない。

 

 “スーパーカー”マルゼンスキー。

 “天衣無縫”ミスターシービー。

 “皇帝”シンボリルドルフ。

 “怪物”ナリタブライアン。

 

 この場にいる四人のウマ娘はそういう存在だった。

 

「私とて今の世に語られているほど順風満帆な三冠だったわけではない。無論、経緯はどうあれ戴冠した以上その勝利を卑下するようなマネをする気は毛頭ないがね。テイオーならこの経験も飛躍の糧としてくれるだろうさ」

「そう思うのならもう少し手の力を緩めてもいいんじゃなーいー?」

 

 爪のあとがついちゃうわよー? と笑うマルゼンスキーの声にそっとシンボリルドルフは握りしめていた拳をほどいた。

 ウマ娘は素直で善良な気質の持ち主が多く、加えて耳と尻尾に感情が表れる分、一般的にヒトよりも内心がわかりやすいとされている。ただ表情筋と同じく訓練でいかようにも制御下におけるものではあるし、現場でただ走り続けるのではなく統治者の道に自ら進んで足を踏み入れたシンボリルドルフは、普段は完全にその術を修めている。

 ただ、今回に限って言えば耳や尻尾といった基本的な部分に意識を集中させ過ぎた結果、あまりにもお粗末なかたちで表層に出てしまったようだ。それだけテイオーの存在がシンボリルドルフというウマ娘にとって重要な存在であったという傍証か。

 あるいはこの場にいる面々が彼女にとってそれほどまでに気を許せる相手であるという証左か。シンボリルドルフが気負いなく後輩としての己を出せる相手というのはこれで非常に貴重なのだ。

 

「ようやく終わったか」

 

 レースを『飢えを満たす手段』としてとらえているナリタブライアンは我関せずと嘆息する。彼女にとってただ観客席で観戦に徹するしかない時点でこの状況はさして価値の無いものだ。檻の装飾がどれだけ豪華になろうと居住性が増そうと、押し込められる以上それは檻でしかない。

 記録の樹立というものに対してナリタブライアンの執着は乏しい。ただ大記録が懸かるようなレースは相応の食べ応えが生じることが多いので、そういう意味では好んでいる。無敗の春シニア三冠という記録の樹立は極上のフルコースが湯気を立ててテーブルの上に並べ立てられているに近しく、そして同時にそれ以上の価値を有さないものでもあった。

 目で見ても楽しめるのが至上の一品というものであるが、それはそれとして(かぶ)りつけないのならストレスがたまる。

 それでも大人しくこうやっておすわりと待てができていたのは、芸をこなしたあとのご褒美が約束されていたから。

 

「それで、アンタらは勝てそうか? この時代の最強に」

 

 ナリタブライアンのあまりに無遠慮なその問いはその場にゆったりと流れていた空気の流れを確実に変えた。

 どれだけ表面を取り繕っていてもこの場にいるのはレースに生きることを選んだウマ娘の中でも頂点に君臨する者たちであり、勝負の世界で頂点に上り詰めた者が負けず嫌いでないはずがないのだから。

 それはそれとして競い合うことがそこまで好きでもなかったり、負けた子が打ちのめされる様に心を痛めたりする者がいないわけではないが。

 そんな楽しく走れていればそれで満足勢筆頭のマルゼンスキーが口火を切る。

 

「モチのロンよ! ……って言いたいところだけど、正直ギリギリねえ。URAファイナルズの年は(SDT)が無くなっちゃうのが残念だったけど、あの子から逃げ切れるだけ仕上げるにはぶっちゃけ一年がかりでもケツカッチンになっちゃうわ」

 

 より厳密にいえば夏だけではなくURAファイナルズ開催時にはドリームトロフィーリーグそのものが開催されず、その分ドリームトロフィーリーグに移籍したものはURA最強を決めるこの夢の祭典に専念できるのだが。

 この場にわざわざそんな詳細を改めて説明しなければならない者もいなければ、揚げ足をとって悦に入るような者もいない。

 まさに全盛期を体現しているあの銀の魔王を相手に、残り半年で逃げ切れるレベルまで仕上げられるウマ娘がこの世に何人いるかという点を含め、全員が前提の共有を当然のものとして話を続ける。

 

「アンタらの態勢が万全に整うというのであればそれでいい。飢えながら待つ甲斐があるというものだ」

「いやはや、ブライアンが短距離にまで出走すると言い始めたときはどうしようかと思ったよ」

 

「フン、真に強いウマ娘ならばどのような戦場であろうと関係なく成果を出せる。現状を鑑みればさほどおかしな思想でもないと思うが?」

「うーん、時代にちょっち逆行しているのはたしかねー」

 

 シンボリルドルフが天を仰ぎ、マルゼンスキーが苦笑する。

 距離にせよ、バ場にせよ、適性というのは生まれついての素質が大きいとされている。少なくとも、それを覆す実績を残したウマ娘は数えるほどしかない。

 問題はその『実績』が現代に、さらにいえば特定のトレーナーの担当に固まって存在していることだ。おかげで近年では努力次第で適性の壁は打破できるのではないかと、一昔前の根性論が水面下で息を吹き返しつつあるのは良識ある指導者にとって頭の痛い問題である。

 

「真の勇者は戦場を選ばない。ただし、戦場を選ばないのが勇者の条件ってわけでもない……ってことだね。少なくともアタシは短距離でバクシンオーに勝てる気はしないかな」

 

 あっけらかんとミスターシービーは距離による己の不利を認めた。

 

 たしかに、努力で先天的素質を覆すことができた者が存在したのはれっきとした事実だ。

 だがそれは先天的素質を覆すことのできなかった者たちが努力不足の怠け者であることとイコールではないし、ましてや適性に縛られず現代を縦横無尽に奔走する優駿たちが皆適性を破壊するための努力を積み上げたことを意味するものでもない。

 現代の『実績』たちはおおよそ先天的にそういう素質の持ち主だったのだろうというのがこの場にいる者たちの共通見解である。

 

「古今東西多くのウマ娘がクラシックロードを代表する中長距離路線に憧れ、しかし己が適性に道を阻まれてきたのも事実。来年のことを考えるのなら今のうちから何らかの手は打っておくべきかもしれないな」

「もー、ルドルフったら真面目なんだから」

 

 この年末でテンプレオリシュ、アグネスデジタルの『最初の三年間』が終了し、来年になれば桐生院トレーナーはさらに追加で二名以上のウマ娘を新規にスカウトしてチームを結成することが求められる。現在アオハル杯でやっている非公式のものとは異なる、トゥインクル・シリーズと連動した公式チームだ。

 そこに適性の前に夢を奪われ、それでも諦めきれず、一縷の望みを託したウマ娘たちが殺到するのは容易に想像のつくことだった。

 ただ、せっかく何かと忙しい四人が一堂に会している貴重な時間を割いてまで解決策を用意せねばならぬような、差し迫った議題でないことも事実。

 さりげないマルゼンスキーのたしなめる声にシンボリルドルフは「ああ、すまない」と軽く謝罪して逸れかけた話を戻す。

 

「有為転変は人の世の常と言う。先達のひとりとしても無為な期待を背負わせるようなマネはしたくないが……。この調子で年末を迎えることができれば、テンプレオリシュはURAファイナルズの出走枠を勝ち取る可能性が高いスターウマ娘だ」

「そだねー。例の件はどう? うまくいきそう?」

 

「ああ、本人からは色よい返事を貰っているよ。URAとの折衝も問題ない。おおむね順調と言えるだろう」

「ふふっ、青春ねー。ライバルとの決着のために、なんて。おねえさんそういうの大好き!」

 

 マルゼンスキーの声にかすかな哀愁が混ざって聞こえたのは錯覚だろうか。

 この場にいる者の共通項の一つとして、明確なライバルに恵まれなかったというものがある。ごく短い期間に限って言えば好敵手と目された相手はいる。なんならこの場にいる者同士でもトゥインクル・シリーズでその道が交差したことさえある。

 ただし、歯をむき出しにして、お前にだけは負けるものか、絶対に先を譲るものかと魂を燃え上がらせるような相手には恵まれなかった。

 今になってその道程を後悔などしないが、それはそれとしてあれほどの絶対的な強さを誇りながらお互いに絶対的な執着を抱く関係性を目の当たりにすると、ほんのわずかに郷愁じみたものがにじみ出てしまうのかもしれない。

 

「どうでもいい。この場にいる全員、アイツを含めてURAファイナルズの中距離部門に出てくるということでいいんだな?」

 

 その確証が欲しくてわざわざ大人しくこんなところまで同伴したのだ。必要とあれば挑発、もとい説得することも考えて。なお弁舌に自信は無いので成功率はもとから考慮しないものとする。

 また、よくよく思い返してみればナリタブライアンは副生徒会長でシンボリルドルフは会長であり、これも生徒会業務の一環と考えれば上の者に同行するのは何もおかしなことではない気もするが。それはそれ、これはこれである。

 

「ああ。無論、あくまで我々がその資格を得られたら、の話ではあるがね」

「うん」

「OK牧場!」

 

 三者三様の答え。共通しているのは気負いのない肯定の反面、確固たる強者としてのプライドが滲んでいる点だろうか。

 

「予選、準決勝、決勝。どこで当たるのかは籤運(くじうん)次第ではあるが、どこで当たっても至高の一戦となることをお約束しよう」

「でもなんとなーく当たるのなら決勝って気がするのよね。あの子、そういうの持ってそうじゃない?」

 

 『あと何回、万全の状態でレースに臨むことができるのか』。

 ドリームトロフィーリーグに移籍した者はもちろん、トゥインクル・シリーズを走る者であっても遅かれ早かれこの命題には真正面から挑むこととなる。

 ウマ娘のピークは短い。ドリームトロフィーリーグでそう証明されているようにトレーナーと二人三脚で時間をかけて調整すれば全盛期に等しい実力を発揮することは可能だ。とはいえ、年々衰えていくのは避けられない。誰よりもウマ娘自身がその自覚に苛まれるのだ。

 

 そしてそれが、ナリタブライアンが上半期を休養に充てた遠因でもある。

 まだまだ現役(トゥインクル・シリーズ)を走り続けることはできるが頂点(ピーク)は過ぎたとトレーナーに言われたのだ。

 その上で諭された。あと何回自身が満足できるレースを走れるか、数えなければならない立場になった。その貴重な残り枠を疲労の抜けないローテーションや適性の無い短距離で埋めて本当にいいのかと。そんな戦いできみの飢えは満たすことができるのかと。

 指導者という肩書を笠に着て上から抑えつけられるのならともかく、ここまで自分のことを理解した上で懇々と説かれてしまってはナリタブライアンとしても頷かざるを得ない。

 

「たしかに。アタシたちがまだ走れるうちに集めて繋げるあの子が来たのは運命的ななにかを感じるね」

「ほう、君がそう評するとは意外だった」

 

 ミスターシービーの言葉にシンボリルドルフがそう返す。

 実際、ミスターシービーが『運命』という言葉を持ち出すのは珍しい。

 彼女は自由奔放だ。具体的にはラーメンが食べたいと友人とトレーナーを引き連れ、理想のラーメンを平日の朝から提供している店を求めて街のあちこちを歩き回り、ついに見つけた店でメニューにあったのを見て気分が変わったからカレーを食べる。そのくらい自由奔放だ。

 一秒前の自分自身ですら彼女を縛ることはできない。自由を愛し、今そこにある己の心に嘘をつかない。

 

 しかしそれと同時に、そんな己の性分が周囲との摩擦を生むことも実はちゃんと理解している。ゆえに彼女は己が自由であることの責を他に押し付けることはない。

 運命、世間、環境、その他もろもろの自分以外の誰が何を言ったところでミスターシービーはミスターシービーであることをやめないだろう。そもそもやめようと思ってやめられるものでもないのだから。

 信念や哲学ではなく、自由というものの味をよく知りそれを好む彼女の嗜好とでも呼ぶべきもの。そして嗜好だからこそ他者との答弁で妥協できるものでもない。

 

「んー? アタシだって運命っぽいものを感じることはあるよ? それに従うかはそのときの気分次第だけど」

 

 ウマ娘はこことは異なる世界から名前と想いを受け継いで走るのだと言われている。その名前がここではない歴史上で織り成した縦と横の糸がこちらの世界でも交差した時、ウマ娘はなんとも言えない既視感(デジャビュ)を抱くのだ。

 

「今はあの子の流れに乗るのがいちばん楽しそうかなって」

 

 ああ、実にらしいな……と他三人の無言の納得が一致する。

 

「それに、アタシだって所属とか組織とか、何も感じていないわけじゃないんだよ? 自分から何かしようって気分にはなかなかならないけど」

 

 みんなのために! と強要されたところで従わないミスターシービーではあるが。別にそれはみんなのために何かするのが嫌いというわけではない。

 URAといった組織や日本という所属に対しても同様だ。他者から強要されるのが非常に苦手であるだけで、今日まで走り続ける日々を支え続けてくれた母体への感謝はきちんと存在している。

 納得できないことはしない。できない。

 だから、納得したらやるのだ。

 

「それにしてもさ。こうなってくると図ったみたいな異名だよね」

「ああー、たしかに。“銀の魔王”だもんねー」

 

「うん? どういうことかな?」

 

 通じ合っている二人についていけず、そう問いかけるシンボリルドルフ。

 向けられたのは微笑まし気な目。口に出したことこそないが、己を後ろに続く者として見る二人のこの笑顔のことが好きだった。

 

「あー、ルドルフってあんまりゲームとかしないのかな?」

「もー、魔王様が掲げる大義なんて一つだけでしょ? 最近の流行じゃない」

 

「アタシたちがあの子に願うもの」

「あたしたちがあの子に託すもの」

 

「つまり――」

 

『世界征服』

 

 マルゼンスキーとミスターシービーの声が重なる。

 

「……」

 

 いまどき魔王の肩書を持つキャラクターが世界征服を最終目標に据えるのは正統派(オーソドックス)を通り越して古典的(クラシカル)ではないかと思ったが、賢明なナリタブライアンはわざわざ口に出すことはなかった。

 ドリームトロフィーリーグに移籍した三人と、いまだにトゥインクル・シリーズを走る一人。両者の間を隔てるのは時代。

 競技者である前に女性だ。うかつな年齢の話は厳禁なのである。

 

 

 

 

 

 これから数日後、アオハル杯最後の予選であるプレシーズン第四戦が開催され、アオハル杯開催からランキング一位に君臨し続けていたチーム〈ファースト〉はついに王座から陥落する。

 人々はテンプレオリシュ率いるアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉がチーム戦でも頂点に上り詰めたかと噂した。当の本人はトゥインクル・シリーズを優先し、ほぼ一年間プレシーズンを走っていないのにも関わらず。

 時代は間違いなく“銀の魔王”を中心に渦巻きつつあった。

 




これにて今回の連続投稿は一区切り!
例によって一週間以内におまけを投降後、書き溜めに移行します
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