「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
「……って言いたいとこだけど、確かに去年まで行ってなかったのは事実だな」
きまり悪げにココンが目をそらす。
彼女だけではない。チーム〈ファースト〉の面々は誰も参加していなかったはずだ。
「だって樫本代理、二か月も学園を離れられないでしょ?」
ウマ娘が大きくその実力を伸ばす場として知られる夏合宿。
実力も資格も十分にも拘わらず彼女たちが不参加だったのには〈ファースト〉というチームの性質が大きく影響している。
聞こえは悪いが単刀直入に言ってしまえば、あそこは樫本代理のワンマンチームなのだ。
樫本代理を頂点に据えた構造をしている。樫本代理が頂点にいるからチームとして成立している。
結成当初と比べればココンやグラッセの精神的成長が著しいから、さすがにもうチーム内にリーダー不在の不安定なチームとまでは言えないけれど。
チームの根幹を支えるのは今でも徹底管理主義に基づいた教育管理プログラムであり、それは樫本代理の手腕によって織り成されるものだ。
自分にできない分は他者に任せる。一般論で、仕事を遂行するのなら当然のことかもしれない。中央は人材豊富なのだから、探せば適任だって見つけられるかもしれない。
だが同時に人間は感情の生き物で、特に過去の取り返しのつかない失敗、トラウマというものは根深い。現在の一般的模範解答をたやすく個人的不正解に変えてしまうほどに。
普段より大きく実力が向上するというのはすなわち、より負荷の大きいトレーニングをこなすという意味とほぼ同義。かつて担当を故障で失った樫本代理がそのような環境に今の教え子たちを送り出すのに、肝心の管理育成を他人任せにできるとは思えないのだが。
春の初めに過労で行き倒れていた樫本代理を拾ったの、まだ忘れてないぞ?
「あれからまた人が増えたんだよ。それなりに使えるやつらが。おかげで学園の運営の方も多少は手を放しても大丈夫になったみたい」
「へー、そりゃよかったけど。このタイミングで?」
春の人事に合わせてというのならともかく、春から夏に移り変わるさなかに有能な人材が、組織運営に影響が出る人数も手に入るというのはいささか奇妙なことに思える。
「アンタがよこしたアイツのおかげだよ。なんていうか……ほら、『隗より始めよ』ってやつ?」
「あー……死バの骨かぁ」
何があったのか理解できてしまって、少しばかり世知辛い気持ちになった。
中国の故事だ。古文の教科書にも載っているのでちゃんと授業を聞いていた学生ならだいたい知っているだろう。
戦国時代、燕の昭王が配下の郭隗に賢人の求め方を問う。すると郭隗は一つのたとえ話をするのだ。
あるところに日に千里を走るような優秀なウマ娘を求める王がいた。その王は配下に千金を渡し、優秀な相手を見繕ってこいと使いに出す。するとその配下はなんと“死バの骨”と揶揄されるほどガリガリにやせ細ったウマ娘を五百金も使って雇ってきた。
当然のごとく怒る王に、配下はいけしゃあしゃあと理由を話す。
自分は大衆の前でこれ見よがしに恭しく、大枚はたいて彼女を雇ってみせた。それを見た人々は『あの瘦せ細った貧相な娘ですらあの待遇なら、より優秀な自分はさらなる好待遇を約束されるはずだ』と思うだろう。すぐにでも向こうから売り込んでくる、と。
そしてその配下の言った通り王のもとには優秀なウマ娘たちが次々と足を運び、一年も経たないうちに千里を走るウマ娘が三人も手に入った。
つまり凡庸な自分を重く用いよ、そうすればその噂を聞きつけて、自分より優れた人材が千里を越えて王のもとに集うでしょうと郭隗は説き、昭王はそれに従った。
かくして郭隗の言った通り、昭王のもとには多くのすぐれた人材が集まった、というお話。
《個人的にはあんまりしっくりこないんだよなー。ぼくだったら死馬の骨に大金積むような見る目の無いやつに一番いい馬は売らん。数が用意できる見栄えのいい中堅どころを大量に掴ませて稼げるだけ稼ぐ》
そうだね。まあこれって要するに『死バの骨』を郭隗に、『千里を走るウマ娘』をまだ見ぬ賢人になぞらえた譬え話だから。
一見すると謙遜で包んではいるが、よくよく考えてみれば千金のうち五百金を死バの骨に使わせている。『優秀な人材を求めるのはいいが、まずは今いる俺を優遇しろよおーん?』というけっこう強めのアピールだ。
この故事に基づいて『隗より始めよ』とは『大事業をするときには、まず身近なことから始めよ』という意味を持つのが一般的だが。
時と場合によっては『この程度なら自分の方が上だと思わせる人材』、すなわち話の中で出てきた“死バの骨”の暗喩としても用いられることがある。
一方で『死バの骨を買う』とまで繋げるとこれまで評価されていなかった人物の価値を見抜く、先見の明があるといった意味合いになって誉め言葉に反転するのでややこしい。テストで出てきたら要注意。
千里を走る三人のウマ娘のうちの一人が高く評価されたことで奮起し、めきめきと実力をつけた“死バの骨”当の本人であるという解釈が現代では広まっているのだ。原文でそう明記されている部分はないはずなのだが。
《やっぱりこのあたりあっちと微妙に意味合いが違うんだよな。あちらの方じゃ『死馬の骨』はかつてはずばぬけていたが、今は価値のなくなってしまったものをたとえて使うものだったし、『死馬の骨を買う』は凡人を優遇しておけばやがて賢者は自然と集まってくるって意味だったし……》
完全に別物ってわけじゃなくて微妙にかすっているのが逆にややこしいー、とテンちゃんがぶつぶつ脳内で言っている。
ま、前後の文脈で似たような言葉の意味が大きく変動するのって日本語にはままあることだ。テンちゃんの知っている文脈と私の知っている文脈が微妙に違うということをちゃんと認識できていれば、古文のテストで壊滅的な点数を取るようなことはそうないだろう。
さておき、テンちゃんがチーム〈ファースト〉に派遣した例のお孫さんの話に戻そう。
テンちゃんがどんなコネをどういうルートで使ったのかさっぱり知らないが、春先に新人トレーナーにも関わらず〈ファースト〉のサブトレーナーへと就任した彼女。
本人は毎日死にそうな顔色で四苦八苦しているが、第三者からするとどう見えるだろうか。
まだ中央に来て一年目の新人もいいところなのに、非公式チームとはいえ理事長代理配下のウマ娘たちの管理育成に携わっているのだ。箇条書きにした上で度の強い色眼鏡で見れば大抜擢に見えなくもない。
『あの程度の人材であれほどの評価なら、自分なら』と考える人間が出てきてもまあ、おかしくはなかった。
《あの子は見た目が貧相だからなあ》
才能だけでいえば
彼女のまわりではことさらに運命がねじれている。この私たちを定期的に引き寄せるなんてあのゴルシTにも葵トレーナーにもできていない偉業だ。
樫本代理がこの学園においてどのような立ち位置にあったのか、私は学生としての視点でしか知らない。だが人間とは変化を嫌うものであり、それは子供だろうと大人だろうと変わらない。
生徒たちが突如として打ち出された徹底管理主義に反発を抱いたのと同じように、教職員やトレーナー陣も急な方針転換に思うところがあったのではなかろうか。
上が打ち出した方針に下は従う。それが組織であり、仕事の常であるとはいえだ。ウマ娘の育成はある種の職人芸。ごく自然な流れとしてトレーナーもまた職人気質な者が少なくないと聞く。
学生の間では徐々に敵意は消えていったが、それはお互いに努めた結果だ。それも仲立ちする人材がいなければもっと時間がかかっていたことだろう。
子供たちは子供たちなりにぶつかり合って、苦労して、傷ついて、それでもどうにかこうにか相互理解が進んでいった。私たちは自分のことで手一杯でよそまで気を使う余裕がなかった。
大人たちはちゃんとわかりあえていたのだろうか? なまじ表面を取り繕うことができて、それで仕事を回せてしまうほど有能で、だからこそこれといった契機もなく奥底に隔意を抱えたままずるずるとここまで来てしまった――なんてことはないだろうか。
仮に、お孫さんの存在がその契機になったのだとすれば。
「この時期に自ら売り込んできたってことは中堅の上層ってところか。それより下だと今のタイミングで自分を売り込む余裕なんてないし、それより上なら既に立ち位置が固まっている」
この言葉はテンちゃんのものだ。やっぱり人間関係や社会の分野においては常に私の一歩先を行く。
「……たまに、アンタらのいちばんズルいところはその脚じゃなくて。得意分野の違う二つの視点を持つところなんじゃないかって思うよ」
ため息交じりに吐き捨てて、婉曲にココンが肯定した。
今ではもうどちらが表にいるのか間違えることもほとんどない。見分けがつかないまま曖昧に話していることはそれなりにありそうだけど。
「でも人材としては最適解だ。大きな組織を運営するのに必要なのは才能よりもノウハウ、経験と言い換えてもいい。カリスマで率いることができるのは少数精鋭か、あるいは狂信者と教祖の関係になるしかないからね。どちらも理子ちゃんにとっては不本意だろ?」
「理子ちゃん言うな。敬意を払え」
このやり取りももはやお約束と化している。
「いやはや、これでも彼女を送り込んだなりの責任は感じていたんだ。夏合宿に出られるまで人手が増えたってことは、下半期はその分が安全マージンになる。これでカローシラインからは遠ざかったかな」
「はんっ、どうだかな? 学園の運営の方じゃそれなりに役立っているようだがトレーニングに関しちゃトレーナーはもちろん、アイツにも見劣りするようなやつらだよ。この時期までふらふらしていた人間の範疇を出ないさ」
これもツンデレと言っていいのだろうか。
ココンにとっての『トレーナー』が樫本代理ただ一人でしかないというのはこれまでの付き合いで重々承知しているけども。
《デレを理子ちゃん極振りで他はツンの強弱でしかないなんて、ギャルゲーの攻略キャラだったらイマドキの需要は合致しなくて人気出なさそうだねえ》
聞かれたら即座に耳を絞られそうな、でもけっこう他者からも共感を得られそうな論評に私も内心で頷く。
新しく入ってきた中堅トレーナーたちよりも、死にそうな顔色で四苦八苦しながら今日まで寄り添ってくれた新人トレーナーの方を評価していると、もっと素直に言えばいいのに。
いや、ココンはこれが素直か。別に恥ずかしいからつんけんとした物言いをしているわけじゃない。これがココンなのだ。だからこいつはココンなんだな。
わざわざ口には出さないけど。私とて無為に空気を険悪にしたいわけじゃない。
「それで、参入したばかりの人材までフル活用して夏合宿参加に漕ぎつけたのはさ。タイミング的に考えて〈ファースト〉が首位陥落したせいだろー?
尻に火が付いたわけだ。せっかく夏合宿に参加するんだからその効果は最大限であることが望ましい。ぼくが〈パンスペルミア〉と〈キャロッツ〉に顔つなぎしてあげようか?」
「…………」
険しい角度のエメラルドから放たれる光線がテンちゃんの分厚い面の皮を貫けずむなしく霧散する。
テンちゃんの物言いには腹が立つ。だが感情のまま切り捨てることはできない。そんなところだろう。
冷静に考えてこの時期になってまだ〈ファースト〉の夏合宿のトレーニングメニューが白紙なんてことはないはず。だが、それでもより良いものがあれば丹精込めて準備したものであってもすぐさま投げ捨てることができるのが一流というものだ。というより、そこで自身の努力に拘泥して二の足を踏んでしまうから一流とそれ以外で差がつくというべきか。
テンちゃんがわけのわからないコネクションの持ち主であることは既に実績が証明している。できもしないことをその場のノリで言っているわけではあるまい。
感情的に切り捨てるには利が大きく、かといって即答で受け入れるにはココンの権限が足りない。〈ファースト〉が樫本代理のワンマンチームであることは今もなお変わらないゆえに。
つまり、沈黙がこの場におけるココンの最も前向きな返答ということである。
こと己の実力を高めることに関してはどこまでも真摯でまじめ。気性難の傾向があるものの激情家ではなく、理知的であろうとすることができる。だから〈ファースト〉のツートップの片割れをやれているのだ。
「……そういうアンタはそもそも夏合宿に参加できるの? 上半期じゃだいぶ無理したんじゃない?」
長い沈黙の後にココンの口から出たのは嫌味交じりの質問に見せかけた、その場しのぎ。
まあ彼女のことだから。自分が気に食わないからといって握りつぶすようなマネはせず、この提案をちゃんと持ち帰って上と検討してくれることだろう。
「そうだね、少なくとも七月いっぱいは無理」
「はあ!?」
「安心しなよ、トレーニングに参加できないってだけ。ちゃんと合宿初日の顔合わせには出るから」
この受け答えは私の言葉だ。
テンちゃんの負担が大きくなっている昨今、少しでも相方が活動停止する時間は減らしたい。こういう業務連絡に近い内容は引き受けても構わないだろう。
孤独とは耐え難いものだ。それが世間一般にとっての普通なのだといわれても、私にとっては異常事態。それは誰にも否定させない。
「……じゃあその一か月はどうするのさ。おとなしく勉強でもすんの?」
「そんなの一週間もあれば余裕で終わるよ。せっかくだからバイトにいこうかって」
「ハァ?」
すごく不満そう。眉間にしわが寄っている。
気持ちはわかる。レースとアルバイトは相いれない。もしかしたら進学校とアルバイト以上に似つかわしくない関係性かもしれない。
トゥインクル・シリーズの歴史は広くて深い。苦学生ゆえにバイトをしながらトレーニングを怠らず、ついにはGⅠ勝利を手にしたようなウマ娘も、中には存在している。でもそんなのは本当に例外中の例外で。
当たり前の話だがバイト中はトレーニングができない。トレーニングに応用できるようなバイトもあるにはあるが、純粋に実力を伸ばすことを念頭に置いたトレーニングに比べればどうしてもその密度は薄くなる。だからバイトに時間を費やせば費やすだけ、その分をトレーニングに回したウマ娘より弱くなっていく。
厄介なのが、アルバイトはやればやった分だけ目に見える成果が出るという点だ。トレーニングや勉強とはそこが違う。
そもそもバイトに限らず仕事というのは金を出してまで他人にやってもらいたい何かしらのことだ。ちゃんとこなせば金銭的な報酬だけではなく、誰かしらから感謝の言葉だって受け取れる。
結果として小遣い稼ぎのはずが、そのままずるずるとバイトに専念してしまうウマ娘が毎年それなりに存在しているわけですね。何ならドロップアウト組のありふれパターンの一つとさえ言える。
赤の他人ならせっかく中央に合格できたのにもったいないと、正論を気負いなく吐けるだろう。でも報われない努力の痛みを、彼女たちに報わせなかった私は何度も目にしてきているから。
責めることはできない。ただ諦めるだけだ。
ただそれはそれとして、ココンは理解するべきだろう。
もしかして春シニア三冠を達成したせいで調子に乗ってバイトを始めたとでも思ったのか? いま話している相手はこの私だぞ。
偉業を達成したことで調子に乗るというのなら本当にいまさらだ。そういう一般的なウマ娘的価値観を私が共有できているとでも?
春シニア三冠は前人未到らしいから、テンちゃんの糧になるって意味じゃあとても美味しいものではあったが。
単純に口座残高でいえば現状で既にかなりのものがあるのだ。数億とか。私たちだけではなく親と、ついでにまだ見ぬ伴侶と子供の老後まで考慮しても十分な額があるのだ。
春シニア三冠を達成したことで新バージョンのぱかプチも出たし、グッズの売り上げ含めこれからもどんどん増えていく予定なのだ。
たしかにそれはURAが管理する口座で、私たちが自由に扱えるものではないかもしれない。一方でURA所属のウマ娘としてではなく、ウマ娘個人で引き受けるタイプのバイトはそのまま自由に使える金になるので、遊ぶ金欲しさなら現状の私でもバイトに意欲的ということもあり得るかもしれない。
まあ相変わらず私の物欲は薄いんだけどね。以前に比べたら強くなってはいるけども。やっぱり私はテンちゃんがいればそれで満足で、それだけで満足という唯一絶対の条件を喪わんとしている現状よそ見している余裕がない。
いくら金が手元にあっても使う時間も、仮に使って何か買ったとしてもそれを楽しむ時間も無いというね。なんだか労働に人生を侵食されたサラリーマンみたいなことになっている気がしなくもない。
いいけどね。優先順位はゆるぎない。今はこれが最優先。
下半期がまるまる残っているのだ。無為に使っていい時間などありはしない。
来るべき戦いに有益な一手になりうると判断したからこそ、あえて脇道に逸れるような選択肢を取るのだ。
「サトノグループから話が来ていてね。今の段階からガッツリ守秘義務に縛られているわけじゃないけど、仕事を引き受ける身として情報をむやみに流出させる気もない。ただ、上手くいけばトレーニング環境の向上に繋がるかもしれない」
……って、テンちゃんが言っていた。つまるところ判断の根拠はテンちゃんだ。
《初登場のウマネストを見るとやよいちゃんが私財を投じて開発した学園設備の一環みたいにも思えるんだけど、のちのグラマスやラークでの描写を見るにサトノ家がけっこう絡んでいそうな雰囲気でもあった。もっとも、サトノが作成したと明言されていたのはハードではなくソフト側だったはずだがね。
この世界線ではハード含めサトノグループが開発したもので、やよいちゃんはその大口のスポンサーらしい。ま、あんなものを作れる技術者が秋川家お抱えってよりはちゃんと企業に所属しているって方が妥当だしな。いまごろ将来に向けてせっせと海外のあちこちに設置準備しているのかねえ》
VRウマレーター。
私は半信半疑というか、得体のしれない新技術をそこまで信じてはいないけど。
テンちゃんには確信めいた何かがあるみたいなので。まあいつものふんわり予言なのだろう。
《ぼくらが現役のうちにどこまで実用化できるかっていうとしょーじきワンチャンもいいとこなんだけどね。そのワンチャンが当たれば配当は莫大だから。賭けてみる価値ありまっせ!》
テンちゃんがやる気になっているし、私も頑張ろう。
トゥインクル・シリーズで荒稼ぎしているので感覚がマヒしていたが、何気にアルバイトは初めてだ。少しの期待と大きな不安が胸中で渦巻く。
でも、きっとこの経験を後悔することはないんじゃないかと。
なんだかそう思えるのだ。