「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

11 / 88
お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

感想欄で触れられたのでテンちゃんの活動時間について補足説明。あまり重要な情報でもないのでざっくりと。読み飛ばしても大丈夫です
あくまでどのくらいウマソウルをフル活用したかという目安。

・通常
 1日最大6時間まで表に出られる。6時間ぶっつづけで動いた場合その後18時間の休眠が必要だが、合計5時間程度の何回かに分けた活動に留めれば、裏で俯瞰する状態に差支えは生じない。

・レースで走る
 表の活動限界が6時間から減少。より短い時間で眠気を覚えるようになる。テンちゃんの時間は自由に使ってほしいので、リシュはあまり積極的にこれを行わない。

・固有を使う
 ただレースを走るよりも活動限界が早まる。さらに裏で俯瞰することにも弊害が生じ、限界まで活動しなくともリシュに意識があるタイミングで休眠状態に入る時間が発生。どのタイミングで、どれだけ長く寝落ちする羽目になるかはレース展開に左右される



サポートカードイベント:大海に挑むlittle frog

U U U

 

 

 寮でルームメイトになったアイツの第一印象は、お堅い優等生。

 

 でもアイツが被っていた猫は初日であっさりと剥げて、次に抱いた印象はおもしれーヤツ。走っている姿を見てその思いは深まった。俺とタメを張れる同級生なんて、地元じゃついぞお目にかかれなかったからな。

 アイツの趣味はまるで理解できねえし、アイツはアイツでこっちのセンスや浪漫ってもんをまるで理解しやがらねえ。でも頭カチコチに見えてアイツは一歩引くことを知っていて、そのおかげか険悪な関係になることは無かった。

 

 もしかしたら漫画で憧れたライバルってやつになれるんじゃないかって、ほんの少しだけ期待して。

 でも俺が横を見ている間、アイツはずっと上を見ていたんだ。

 

 目標。

 アイツ――ダイワスカーレットが抱いていたその熱は同じ言葉で表現されているものなのに、俺がダービーに向けるそれとはまるで違っていた。

 興味本位で()()に近づいた俺は、ぺしゃんこに潰されてダセェことになっちまった。

 

 圧倒的格上。

 降って湧いたそれとの距離感を、実のところ俺はいまだに測りかねていんだよな。

 

 

 

 

 

「ねえウオッカ。アンタ今度の種目別競技大会、ちゃんと出走表見たんでしょうね?」

「よースカーレット。へへっ、わりぃな。リシュへのリベンジ、俺が一足お先に果たしちまうことになりそうだぜ」

「……アンタばかぁ?」

 

 おっとお、その目は漫画で見たことあんぞ? 荷車に乗せられる子牛を見る目ってやつだよな。『可哀想だけど来週末には夕食に並ぶ運命なのね』って感じの。

 

「たしかに俺が登録した芝2000m第十レースはリシュに加え、G1クラスの先輩方ばっかが集うやべぇレースになっちまった。中でもその原因となったブライアン先輩は“G1クラス”なんて評価じゃ足りない実力者だろうさ……別に舐めてるわけじゃねーよ」

「だったら何でよ? 一部じゃあのリシュでさえ無謀な挑戦って笑われてんのよ。アンタなんて誰の視野にも入ってないじゃない」

 

 模擬レースや選抜レースで暴れまわったリシュの評価は意外とばらついている。

 なにせ中央は生徒数が生徒数だ。アイツの走りを直接見たこと無いってやつはそれなりにいる。ウマ娘にも、トレーナーたちにもだ。

 直接見たやつらでさえ低い評価を下すこともある。しょせんはデビュー前のウマ娘たちの中で多少優れた能力を示しただけ、だとさ。血統の裏付けがない。それは俺たちが思っているよりもずっとデカい要素だったらしい。

 同じレースに出走したウマ娘の間ではだいたい見解が一致してんだけどな。

 

「ビビって辞退するなんてダセーことこの上ないだろ。それに、誰も注目していない俺がここでお前の大好きな一着を取るなんてめちゃくちゃカッケェじゃねえか!」

「『お前の大好きな』は余計よ。まったく……バ鹿ね。でも気持ちはわかるわ」

「あん?」

 

 案外スカーレットはあっさり引いた。腕を組んでこちらを認めるような態度に逆に調子が狂いそうになる。優等生なコイツならもっと強く辞退を勧めてくるもんだと思ったが。

 額に手を当てやれやれと首を振りため息をつく、という少しいらっと来る仕草をした後スカーレットはくいとあごで促す。

 

「じゃあいくわよ」

「どこにだよ?」

 

「部室。もちろんやるわよね、対策会議? こてんぱんに負けておいて何の作戦もないままに次に挑むなんて勇気や豪胆じゃないわ。無謀を通り越してただの怠惰よ、怠惰。まさかそんな『ダッセェ』真似する気だったの?」

「ぐっ……お勉強で足が速くなれば苦労はしねーんだよ」

「考えなしに走っているだけで足が速くなるならトレーナーも教官もいらないわね」

 

 くっそ。走りはともかく口では勝てそうにないな。誰だよコイツの口喧嘩スキル鍛えたの。

 ずるずると引きずられるように連行された先。俺たちの部室では既にホワイトボードが設置され、長身の葦毛の美女が待ち構えていた。

 

 ゴールドシップ先輩。

 皐月賞と菊花賞を取った二冠ウマ娘にして、宝塚記念連覇という偉業を歴史に刻んだグランプリウマ娘。URAファイナルズ長距離部門では初代優勝者の座に輝きその実力を証明した。

 この広い中央で、間違いなく頂点に君臨する優駿のひとりだ。三人という人数で、アオハル杯でもまだチーム結成に至っていない俺たちが部室を確保できているのはひとえにこの人の功績。

 

「ふぉっふぉっふぉ、待っていたぞ道に迷える若人たちよ」

 

 口を開けばこの通り変人だけどな。

 

「うっす、ゴールドシップ先輩ちわっす! なんだよオイ、出走回避しろみたいなこと言っておいてしっかり準備万端じゃねーか」

「まさか! アンタが来るかどうかもわからないのに先輩をお待たせするわけがないでしょ。そりゃ引きずってでも連れてくるつもりだったけど……ゴールドシップ先輩が用意してくださったのよ。ありがとうございます、先輩」

「ふぉっふぉっふぉ。後輩を導くのは先輩の務めじゃからのゴルシ」

 

 引きずってでも、って物騒なやつ。だがまあ、それだけ真剣に考えてくれてるって思えば悪くない。気恥ずかしいから面と向かって言う気はねーけど。

 

「それじゃあアタシ、トレーナー探してきますね」

「それには及ばんよ。おっしゃいくぜえ!! ゴルシちゃんは手札から麻袋を召喚! そしてぇ! フィールド上に麻袋がいるとき、トレーナーを三枚まで特殊召喚することができるっ!」

 

 一瞬マジで二人も無関係のトレーナーを誘拐してきたのかと焦ったが、さいわい麻袋から出てきたのはうちのトレーナーだけだった。

 いや麻袋がどこからともなく取り出されたり、中からトレーナーが出てきたりに驚かないあたり、俺もだいぶ毒されてないかこれ?

 

「えっと、それじゃあ状況を説明してもらっていいかなゴールドシップ?」

 

 案の定、何の説明も無しに拉致られてきたらしい。驚きもせず、怒りもせず、ただ現状の把握に努めるその態度は謎の風格さえ感じる。

 

 ゴールドシップ担当トレーナー。

 通称ゴルシTで通じるこの学園の有名人。G1勝利のたびにドロップキックくらっている人といえば外部でも『ああ、あの』となる、今年からは俺とスカーレットの担当でもある男だ。

 ドロップキックくらいまくってピンピンしているわりに筋骨隆々の偉丈夫ってわけじゃない。単純にゴールドシップ先輩の蹴りが熟練のプロレスラー並みに上手いのだろう。背は高いがどっちかといえば冴えない印象が強い方だ。

 いつだったかスカーレットが「先輩と一緒にいても先輩の破天荒ぶりもあって気づけないことが多いけど、いないと『あれ? 今日は一緒じゃないんだ』ってすぐにわかる、不思議な存在感を持った人ね」と表現していて、上手いこと言うもんだと感心した覚えがある。

 

「トレピッピよう、銀のツインドライブ対策会議だぜー」

 

 なんだよそのカッケェ表現。いやどこから来たんだターボ先輩関係ねーだろ。

 

 

 

 

 

「ふむ、なるほど……」

 

 トレーナーがあごに手を当てて考えるのを、俺はなんだかそわそわと見ていた。

 ここまでの経緯はスカーレットとゴールドシップ先輩がすべて説明してくれた(ゴールドシップ先輩は言葉のチョイスが独特過ぎてあんま理解できなかったけどたぶん)んだが、それがどうにも俺がガキ扱いされてるみたいで据わりが悪い。

 走るのは俺だろ? お膳立てを先輩とルームメイト任せってのはダセェって。その思いが説明の邪魔になっちゃいけねえと控えていた俺の口を動かす。

 

「俺は出るぜトレーナー。たしかに、学内行事とはいえ先生や他のトレーナーたちはしっかり見てる。これだけ評判が広がってりゃ学外からの注目だって下手な公式レースを越えるかもしんねえ。負けて評価落とすくらいなら辞退するって他の連中の言い分もわかるさ」

 

 評価が落ちるってのは何も出走するウマ娘に限った話じゃない。その担当トレーナーにも通じる話だ。

 特に俺とスカーレットをまとめてスカウトしたことで、うちのトレーナーは周囲との関係が面倒なことになっているらしい。ここで俺が突っ込んでみっともねえ姿を見せたら『それ見たことか』と付け上がらせることにもなりかねない。

 

「だがな、俺は勝つぜ! やってやるさ。カッコいいウマ娘になるためには、こんなところで退いちゃいられないんだよ……ダメ、かな?」

「いいや。いいと思うよ」

 

 トレーナーは気負いなく、だがしっかりと肯定してくれた。さすが俺の見込んだトレーナーだとそれだけで嬉しくなる。

 

「ウオッカが進むと決めたのなら、その道を舗装するのが俺たちトレーナーの役割だ。さてと」

「ドロー、モンスターカード! ドロー、モンスターカード! ドロー、モンスターカード!」

「うん、ありがとうゴールドシップ」

 

 ゴールドシップ先輩が麻袋の中から資料を次々に取り出してホワイトボードに貼っていく。俺にははっきりと判別できるわけじゃないが、たぶん今度の芝2000m第十レースに出走するウマ娘たちのものなんだろう。

 いや、当然のような顔をしてトレーナーは礼言ってるけどおかしいよな? 具体的にどこがって言われると言葉に詰まるんだが。

 しげしげと資料に目を渡らせると、トレーナーは一度頷いた。

 

「次のレース、ナリタブライアンとテンプレオリシュの二人が鍵になりそうだね」

「おおっ、すげぇなトレーナー! 見ただけでわかるのか!?」

 

「いいや。わからないよ」

「おいぃ」

 

 感心した分ズッコケかけた俺を尻目に、トレーナーは穏やかな眼差しでスカーレットを見る。

 

「これだけじゃあね。だから、スカーレット。教えてほしいんだ。テンプレオリシュというウマ娘のことを」

「……アタシが知ってるのは中央に来る前のリシュです。こっちに来てからはあんまり一緒にいることもないですし」

 

「ほーん」

「なによ?」

「いやぁ、べつにー」

 

 スカーレットに睨まれたので肩をすくめる。

 確かに同じ栗東寮で同級生とはいえ、チームが違う。リシュと俺たちが一緒に自主トレするような機会にゃそこまで恵まれなかったかもしれねえが。

 それでも俺はあいつのことをリシュと愛称で呼ぶ程度には近しくなったんだがな。向こうは何故か『ウオッカ氏』と呼び捨てにしねえけど。いまだスカーレットを間に挟んだともだちのともだち程度の距離感なのかもしれねえ。

 それでもスカーレットからすれば『あまり一緒の時間が過ごせていない』範疇なんだなーと。仲いいじゃねえか。言ったら喧嘩に発展しそうだから言わねえけど。俺のための対策会議なのに、自分から本筋から逸らすのは失礼ってもんだろ。

 

「知りたいのは彼女の今の実力ではなくひととなりだ。脚質は逃げから追い込みまで変幻自在、距離適性も短距離から長距離まで自由自在。『何ができるのか』は入学からこれまでの行動で推察は可能だけど、『何をしてくるのか』はわからない。

 だから知る必要があるんだ。テンプレオリシュがどのようなときに、どのような走りを好むのかをね」

 

 改めて聞けばアホみてーなスペックだな、リシュのやつ。

 圧倒的な手札の数。それだけで戦いを始める前の段階でひとつ有利ってことか。こうしていま実際に対策が立てづらくて困ってるもんな。

 しかしそれは俺だって同じことだ。G1クラスのウマ娘ばかり集まっているという評判。それは裏を返せば出走するウマ娘のデータはある程度表面化してるってことでもある。デビュー前なのにそこに突っ込んだ俺とリシュ以外はな。

 へへっ、少し面白くなってきたじゃねーか。

 

「……わかりました。お話します、アタシが知っているアイツのこと」

 

 スカーレットは少し考え込んだ後、静かに頷いた。

 

「まずアイツのスタイルは大きく二つに分けられます。逃げと追い込み、それと先行と差しです。この二つはいっそ別人と考えてもいいくらい異なります」

 

 曰く、逃げと追い込みで走るときはスペック任せのごり押しを好むらしい。たしかに逃げや追い込みといった作戦は小細工や駆け引きを使いにくく、またその影響を受けにくいスタイルではあるが、その上でそれ以上に極まっている。

 自分より格下には圧倒的な強さを誇るが、格上には通用しない単純明快な力押し。その図式をその場の誰より格上になることで必勝の策に変える。それが逃げや追い込みで走るときのリシュなのだそうだ。

 

「今度のレースでは彼女より格上と言えるウマ娘が幾人もいるね。つまり」

「はい。アイツは自分のことを天才だなんて言っていますけど、他者を過小評価することはしません……アイツが天才だっていうのは純粋に事実ですから。今度のレースでは先行か差しで来ると思います」

 

 この情報だけで他の陣営は喉から手が出るほど貴重なものだろう。いや、どうか? リシュの評価はかなりバラついているからな。俺たちの同期ならめちゃくちゃ欲しがるだろうが。

 トレーナーの相槌を挟みながらスカーレットの話は進んでいく。

 

「先行と差しのときのリシュは……ウオッカ、アンタも憶えてんでしょ? 選抜レースのときのあれよ、アレ」

「アレかぁ……」

 

 ふわふわとして掴みどころがない、霧のような走り。気づけばするりと抜け出して、そのまま夢幻のようにゴール板を先に駆け抜けていた。

 たしかに言葉ではちょっと表現しにくいな。つーか、実のとこハッキリと憶えているわけじゃねえ。あんときは俺も精一杯であんまりじっくり観察なんてしている余裕なんてなかったし。

 言い訳じみていると思いながらそう口にすると、スカーレットは内心の読めない流し目で腕組みをした。

 

「運がいいのか、勘が鋭いのか。もしもじっくり見ていたら今頃アンタ、壊れてたかもしれないわね」

「はぁ!?」

「へえ、聞かせてくれるかい」

 

 なんだよその物騒な発言!

 戦慄する俺をよそにスカーレットは淡々とトレーナーに説明を続ける。

 

「アイツ、レースで走っているときは近くの相手に少し“寄る”んです。練習中にはあまり見られない特徴なのですけど、どこまで自覚しているのやら……地元ではそれで自分のフォームを壊された子が何人もいました」

 

 観察力と適応力が異常に秀でているのか、リシュは近くで誰かが走っているとき漠然とその相手と似通ったフォームになるのだとスカーレットは語った。第三者が見ていても気づきにくい、ほんの些細な変化らしいが。

 リシュのスペックが同年代を圧倒的に凌駕しているのは逃げ・追い込みスタイルのときに述べた通り。つまりどんな走り方でも基本的にぶち抜いてしまう。リシュ自身には何の問題も発生しない。

 しかし、ぶち抜かれた側は? もしも自分を追い抜いていった相手の背中に、自身のフォームの片鱗を見てしまったとすれば? あの走り方こそがあるべき模範解答なのではないかと自身の走法を信じきれなくなってしまう。その果てに、自分がどんな走り方をしていたのかすらわからなくなる。

 お手軽にスランプの発生だ。いや物騒ってもんじゃねーぞ。

 

「いまこのタイミングでスランプに陥ったら、メイクデビューに響いてくる可能性は高いわ。それでもやるつもり、ウオッカ?」

「いまさらイモ引くなんてダサすぎるっての! 俺はやるぜ、なあトレーナー!?」

 

「うん、問題ないよ。ウオッカなら大丈夫だ。それで、スカーレットはどう対策してるんだい?」

「ふん。許可くれたトレーナーに感謝しなさいよ……視界に入れないこと。注視しないこと。アタシが逃げ先行で前目につけるのは一番を譲りたくないっていうアタシのこだわりもありますけど、アイツへの対策も含まれています」

 

 あとは、とスカーレットは一度言葉を切り、俺の方をじっと見た。

 

「自分を信じること。疑いようもないほど強固に。アンタにできる?」

「上等だ、やってやらあ!」

 

「まあトゥインクル・シリーズを走っている最中に壊されるくらいなら、今ここで一度経験して耐性つけておいた方が将来のためになるかもしれないわね?」

「やれるっつってんだろうが!!」

 

 たしかに差しを得意とする俺じゃあ視界に入れないってのは無理がある。仮にリシュに的を絞って不慣れな逃げや先行でいったとして、それでナリタブライアン先輩に勝つなんてのも現実味がない。気合いで何とかするしかないだろう。

 根拠のない自信はとーちゃん譲り。そして根拠を作ってくれるのが今の俺のトレーナーだ。

 

「なるほど、だいたいわかってきたよ。最後にもうひとつ質問だ。テンプレオリシュは先行と差し、どっちで来ると思う?」

「さすがにそこまでは……」

 

 スカーレットは言いよどんだが、トレーナーは急かすこともなくじっと待っていた。スカーレットが一度目を閉じ、しばらくの沈黙。そして口と共に開く。

 

「リシュは興味深い相手を後ろからじっくり見ようとする。だから、差しでくると思います」

「ありがとう。作戦がきまっ」

「どっせい!!」

 

 ゴールドシップ先輩のラリアットが見事に決まり、トレーナーの身体が半回転してどしゃりと部室の床に落ちた。

 

「うわー。あいたたた」

 

 背中から落ちたように見えたが、トレーナーの情けない悲鳴を聞く限り特に大事無いようだ。きっちり受け身を取ったらしい。さすが担当のG1勝利のたびにドロップキックくらっている男は練度が違うぜ。

 

「マグロはよぉ、サメと同じで泳ぎ続けないと窒息死しちまうんだよトレーナー!」

「えっと、退屈になってきたから構って欲しい……ってことですか?」

「おほー。いい耳してんなスカーレット。オメーも肺魚の鳴き声を聞き分けられる者の貫禄が出てきたぜ!」

 

 正解らしい。よくわかったなスカーレット。まあ気まぐれなゴールドシップ先輩がこれまでずっと会議に付き合ってくれただけでも上出来か?

 

「それに作戦もいいけどよトレピッピ。()()についてはどうするんだ? このメンツだと確実にひとりは使ってくんぜ」

 

 ゴールドシップ先輩の発言に文脈は存在しねえ、感性と沸点を合わせる世界だ。だからこの発言も思わせぶりなだけないつものやつだろうと、このときの俺は聞き流した。

 

「そうだね。取り決め通り全貌を教えるのは自身で兆しを得てからになるけど……そっちの安全対策もしておこうか」

 

 平然と起き上がったトレーナーは服の埃を掃う。

 

「いいかいウオッカ。これから作戦を伝えるけど、その代わりにひとつ。これから言うことを守ってほしい」

「おう、なんだ?」

 

 

 

 

 

 そして迎えた当日。

 

『お聞きくださいこの歓声! 芝2000m第十レース、注目はやはりこの人! “怪物”ナリタブライアンです!』

 

 学内行事とは思えない大歓声と、それにまるで怯んだ様子の無い参加者たちの顔ぶれに身体の底から熱が湧いてくる。

 へへっ、G1レースってこんな感じなのかな。緊張していないわけじゃねえけど、それ以上にワクワクしてくらあ。いやあ、今の内からこんなとびきりの経験しちまって自分のメイクデビューでガッカリしちまわねえか心配になっちまうぜ。

 これだけの人数を集めたのは実質的にたったひとりのウマ娘だってんだからスゲーよな。解説が言う通り、自然と目が引き寄せられ離せなくなる。

 

「……騒がしい」

 

 周囲の興奮をむしろ煩わしいものと感じていることを隠そうともしない憮然とした表情。

 ナリタブライアン先輩。三冠ウマ娘なんて御大層な肩書以上に、本人から放たれる猛禽じみた威圧感がすべてを物語っている。あるいはこのひとだけなら呑まれて萎縮していたかもしれねーな。

 もうひとりいるんだ、やべーのが。どいつもこいつも格上ばかりなのを肌で感じるのに、その中でも二人はモノが違う。俺の笑み、引きつってないよな? だが二人いるからこそ妙な拮抗が働いて意識を持っていかれないで済んでいる。

 

『そして群雄割拠の中へと猛勇果敢に躍り出た期待のホープたち、今回二人のジュニア級の一角テンプレオリシュ。五枠五番での出走です』

『私イチオシのウマ娘、気合入れてほしいですね。一部では新世代の怪物とも言われ始めている彼女が三冠の怪物にどこまで食らいつけるかも注目ですよ』

 

 前に見たときのリシュはふわふわとした霧のような印象だった。

 今も霧という点は変わっていない。ただ、深みがまるで違う。

 

 白い霧が立ち込める昏い森。それが今のリシュから受けるイメージ。

 

 森林浴だとかマイナスイオンだとか、そういう意識の高いお偉いさんのナントカ団体が保護してやろうって上から目線で接するような管理された都会の緑じゃねえ。

 断末魔すら呑み込んで悠然と存在する静寂。生々しい自然。電灯が闇を駆逐する前、人類と対等だった脅威が潜む場所。

 今のコイツからはそういうヤバさがひしひしと感じられた。

 しかし不思議なことに、どうにもそれを感じているのは俺だけっぽいんだよな。少なくとも周りの先輩方がリシュに注目している様子はねえ。

 選抜レースの経験が生きているのか、それともそのときの経験が軽いトラウマになって実態以上の影にビビっているだけなのか。

 前者だと思いたいとこだ。

 

『もう一人のジュニア級、恐れ知らずの挑戦者ウオッカ。六枠六番での出走です』

『少し厳しいメンバーの中での出走となりますが、健闘を期待したいところです。ぜひここで得た経験を糧に実力を伸ばしてほしいですね』

 

 次いで俺の名前が呼ばれる。

 俺の評価はこんなもんか。まあ、そうだよな。しょせんは地元じゃ負け知らずってレベルのデビュー前ウマ娘。G1クラスがひしめくこの場では経験の浅さと実力不足くらいしか語る要素がないだろう。

 だからこそ見せつけてやりてえ。今ここにウオッカがいるんだってことをな。

 今にも溢れ出しそうな熱を浪費しないよう飲み下しているうちに、全員のゲートインが完了した。

 この距離からでもブライアン先輩の圧がびしばし飛んできやがる。まるで檻に押し込められた猛獣だ。しかしその猛獣、檻から解放されて俺たちと争うんだよなあ。

 

『いま、一斉にスタートを切りました!』

 

 

 




【テンプレオリシュ(リシュ)のヒミツ②】
 実は、脳内ではウオッカ嬢と呼んでいるが、面と向かってそれは怒られそうなので表面的にはウオッカ氏と呼んでいる。まだ呼び捨ては無理




Q:なんでスカーレット、トレーナーに敬語なの?
A:教師等と同じく『指導者』に区分されているから。
 この世界線の彼女は昔からリシュにボコられていたので敗北でくじけることもなく、故にアプリ版の醜態を晒してからの復活という相棒イベントが発生しなかった。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。