「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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今回はメジロマックイーン視点です
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サポートカードイベント:名門の矜持と、繋がり

 

 

U U U

 

 

 メジロのウマ娘として、世間の方々よりも重圧というものに慣れ親しんでいる自覚も自負もあります、が。

 好きにはなれませんわね、何度味わっても。この臓腑にじわじわと沁み込むような心地は。

 

 大丈夫。脳内で用意してきた言葉の羅列をもう一度なぞる。

 感情が先にあり、そこに理屈を並べて組み上げたもの。ですが、筋は通っているはずです。

 権力に溺れ、支配することが目的となってしまった愚者ならば己が力を示すためだけに下々の意見を棄却することもありましょうが。おばあさまはそのようなお方ではありません。メジロの総帥はそのような愚物に務まるものではない。

 道理があると納得していただければ、聞き入れていただけるはず。

 ならば、あとはわたくしが道理を示せるかどうか。

 

「あっ、マックイーン!」

「あら、ライアン」

 

 廊下の曲がり角でライアンとばったり出くわしました。

 紫を基調にしたシックな私服。メジロ家の色である緑と白を用いた、どこか野球のユニフォームを彷彿とさせるスポーティーな彼女の勝負服とは大きく雰囲気が異なります。

 普段の装いとは大きく異なるその姿は学友から『すごい、お嬢様みたい!』『そういえばライアンってメジロのお嬢様だった!』と評判なのだと、いつか照れ笑いと共に語ってくれた記憶がついと脳裏をよぎりました。

 ……聞いた時にも思いましたし、そのときもツッコめませんでしたが、それは果たして本当に好評と言ってよいのでしょうか?

 ですが、おばあさまと一緒に選んだ服を褒められたライアンからすれば、純粋に嬉しかった思い出なのでしょう。わたくしたちの世代でおばあさまと最も忌憚のない関係性を築けているのは彼女でしょうね。

 ……おばあさまのセンスなので少し……わたくしたちの世代の感性からすると、その……首回りの金のネックレスなどは特に……コホン、そういう評価も無くもないですが。それはこの胸に秘めておくといたしましょう。

 

「おばあさまとお話するんでしょ? 頑張って! マックイーンなら大丈夫だよ」

「ええ、全力を尽くしますわ」

 

 ぐっと力こぶを作って純粋な笑顔と共に応援してくれる彼女に見送られながら先へ。

 おばあさまとお話するときにそのような純粋な笑顔を浮かべられるのは貴女だから――などという無粋な想いは飲み下して。

 

「あたし、マックイーンがどんな道を選んでも応援してるから!」

 

 声援を背中で受け止めながら歩みを進めます。

 まっすぐなお人柄。豊かな土壌の上にしっかりと太い根を張り、すっくと天に向け起立する白い花のような。逞しさと麗しさを兼ね備えたウマ娘。

 何故だか、小さい頃はライアンと同じ時代を走るのだと信じて疑っておりませんでした。実際は彼女の方がずっと早く本格化が始まり、現在は既にドリームトロフィーリーグへと移籍済み。

 GⅠの勝利経験があり、あのオグリキャップさんとも有記念でゴール板を競ったこともある。惜しくも二着でしたが、それが恥となることなどありえない。堂々たる戦績を残してトゥインクル・シリーズを去ったのが彼女です。

 幼少のみぎり、無邪気にそう信じていたようにライアンと同じ時を走れていたらどうなっていたのでしょう? そんな雑念に流れかけた己に気づき、ふたたび意識をこれからのことに集中させます。

 ただ、きっと――。仮にそうなっていたとしても、悔いの残る結果にはならなかったでしょう。それだけは確信できますわ。

 だから、今からもそうありたいと願うのです。

 

 幼き頃はこのお屋敷がとても大きく見えました。広く長い廊下はまるで迷路のようで、実際に迷ってしまい、泣きながらじいやを呼んだり。それを見かねたおばあさまが目印として各所にぬいぐるみを置いてくださったり……。

 あれから月日も経ち、さすがにそのような醜態を晒すようなことはありませんが。今日はあの頃と同じように、やけにこの廊下が長く感じますわね。

 プレッシャーが絡み付く、この重い足取りがそうさせているのでしょうか。それでも足を動かしていればいずれ目的地にたどり着くのが道理というもの。扉の前で最後息を整え、覚悟を決めてノックを四回。

 

「入りなさい」

「失礼いたします」

 

 入室した途端、ずしんと空気が重さを増した気がしました。重圧の発生源は窓を背に座り、ただ一人わたくしを待ち受けていた人影。

 おばあさま。現メジロ家の当主。室内でも外さぬ大きなつばの黒い帽子は彼女が常にその役割を己に課している証拠とも言われております。

 

「本日は貴重なお時間をいただき――」

「格式張った挨拶は結構。それこそ時間の無駄です。本題を聞きましょう」

「……かしこまりました。では申し上げます」

 

 ごくり、と知らず喉が上下する。言ってしまえば最後、口に出した言葉は二度と戻らない。それがどれほど恐ろしいことなのか改めて意識する。

 それでもこの場に覚悟を決めて立っている以上、言わないという選択肢はありません。

 

「わたくしは、次走を天皇賞(秋)に定めたく思っております」

 

 嗚呼、言ってしまった。

 我々メジロのウマ娘は幼少期からその素質を測られ、英才教育が施されます。

 それゆえに学園でまま見られるような、希望するレースと己の適性が噛み合わないということはまず起こりません。

 憧れを抱く前から己の成すべきを知り、いずれ己の成すべきを成すことが己の夢であり、己が目標となる。名門に生まれるとはそういうものなのです。

 わたくしの素質はステイヤー。そのように生まれ、そのように育てられてまいりました。ならば今目指すべきは菊花賞であると、ずっと前から決まっていたようなものです。

 

 おばあさまの顔色に変化はなし。表情も読み取れません。いえ、この方が血相を変えたところを見たことがありません。

 泰然自若。レース業界の重鎮。この重さがメジロ家のみならず、名門の伝統と格式さえも支えている。

 メジロのウマ娘として。高貴に、優雅に、完璧に。常に自らに言い聞かせ、実践してきました。それでもまだ、この高みには程遠い。

 しかし追い求めるべき理想形が常に目の前にあるというのは、きっと幸運なことなのでしょう。

 

「そうですか。マックイーン、あなたの口から一生に一度しか走れないクラシックレースの菊花賞ではなく、天皇賞(秋)を選んだ理由を話してごらんなさい」

 

 よかった。声に怒気がない。叱咤するときの凍てつくような厳しさが感じられない。こちらの話を聞いてくださる姿勢ですわ。

 それだけで少し救われるような気になる。言葉を途切れさせたり詰まらせたりせぬよう意識しながら慎重に口を動かす。

 

「この時代の中心、テンプレオリシュさんに挑戦するためですわ」

 

 先日に行われた聖蹄祭、その中でもひときわ集客力のあったイベントを思い出す。

 都合三度目となり、もはや恒例となったリシュさんたちの征服ライブ。今回は『世界征服ライブ・序』と銘打ちついに世界征服宣言までやり始めたそれは、テンプレオリシュというウマ娘の人気や知名度を鑑みて昨年より大きな特設ライブ会場が用意されたものの、それでもなお満席となっておりました。

 前回の春のファン大感謝祭では十四の楽曲をメドレーに編曲したものでしたが、今回はそれにさらに四曲が追加され、のべ十八からなるウイニングライブ・メドレーの演奏。

 前回から追加されたのはたったの四曲。メドレーに編曲された結果としてライブ時間でいえば数分のものであり、曲目も従来の楽曲と重複していないものが皆無――そのような理由で軽んじる者はレース関係者には存在いたしません。

 その一曲一曲が勝利の証、敗れたウマ娘の屍を礎として成り立つ栄光の結晶なのですから。何よりデビューから無敗の十八連勝。うち重賞は十六、GⅠだけ数えても十四。このライブがその歴史の具現化だと知りながら、どうして軽んじることなどできましょう。

 天皇賞(春)、安田記念、宝塚記念、そしてスプリンターズS連覇。そのいずれもが並々ならぬ戦いであり、その全てでリシュさんは一着を譲らなかった。

 

 ステージの上でくるくると入れ替わる実力者の顔ぶれと、その中でセンターから不動のリシュさんを見ていると何やら皮肉めいたものも感じてしまいます。

 この綺羅星のごとく歴史に名を刻む優駿が輩出されている時代の中心が、名門どころかレースにこれといって係わりのない一般家庭出身のウマ娘。我々の紡いだ歴史とは、重ねた血とはいったい何だったのでしょう。それは三女神の気まぐれでたやすく揺らいでしまう程度のものだったのでしょうか。

 否。そのようなことはありえません。

 優れた家に生まれたから優れたウマ娘になるのではありません。名だたる家に生まれたウマ娘には万全の環境が与えられます。高い確率で秀でた才能が与えられます。しかし、それを掴み取って己のものにできるかは結局本人次第なのです。

 本物たろうと研鑽を積み重ねるその姿勢こそが本物たりうる何よりの証左である。わたくしはそう考えます。

 そして積み重ねた研鑽は代が変わろうと消え失せるものではありません。次の世代へと受け継がれるのです。それは、個々人に依存する才能とは明確に異なる点。

 高みが見えた、と捉えるべきでしょう。一代で到達できる上限が、既知のものから大きく更新された。天の与える才気は思っていた以上に底知れぬものだった。

 ならば、まずはそこに追いつくだけです。得てして道なき道を往くよりも、明確な目的地を持って走る方が労力は少なく足取りは軽く、そして速くなるものなのですから。

 そうやっていつの日か比肩し、いずれは追い越せばいい。それが可能だからこそ、名門。

 

 世界の名を出したことで、気の早い方々は『この秋シーズンに彼女が海外遠征を計画しているのでは』と期待していたようですが。リシュさんにそのおつもりはないようです。少なくとも秋シニア三冠の結果が出るまでは国内路線を突き進むことでしょう。

 そのあとのことはどうなるか、現段階ではさだかでありませんが……。仮に当初の予定通りアオハル杯がのちの海外進出の叩き台になるのでしたら、ぜひともリシュさんには中核メンバーになっていただきたいものです。メジロのウマ娘としてはそう考えてしまいます。

 下世話な話に聞こえるかもしれませんが、見込める予算が二回りほど違うのです。

 たとえばいまだ日本のウマ娘が到達したことのない世界最高峰の栄誉、凱旋門賞。そこに至ることを目的とした大規模海外挑戦プラン『プロジェクトL’Arc』の草案が現在組まれておりますが……それはメジロやシンボリといった名門が最大限の協力をしてなお、たった一年で予算が尽きるという試算が出ております。

 代表的な実力者数人を送り出す従来の海外遠征に対し、アオハル杯チーム規模の多人数に手厚い支援を行うことを前提としたスケールの違い。それもありますが、未踏の地に足を踏み入れようという試みは純粋にそれだけの難業なのです。とても名門やレース業界の重鎮といった、狭い範疇では支えきれないほどに。

 “銀の魔王”のカリスマならレースに興味のない層をサポーターに引き込むことも叶いましょう。そうやって日本中、世界中からの支援を取り付けることができれば。現段階では夢物語の一篇でしかないプロジェクトも、目標へと変わる。ひとつひとつ、着実にこなしていけばやがてたどり着ける!

 その役割を、彼女ひとりだけに背負わせないためにも。とにもかくにもメジロのウマ娘がまずは同じ舞台に立つことが必須なのです。

 

「ただテンプレオリシュと競うのであれば、菊花賞を制したのち有記念で相まみえることも叶いましょう。むしろそちらの方が順当な流れではないかしら?」

「いいえ、それでは遅いのです」

 

 想定の範疇ではあります。それでもおばあさまの言を否定してしまったというこの事実。生理的嫌悪にも似た、メジロを冠するウマ娘としてあって然るべき恐怖がこみ上げます。

 しかし相も変わらずおばあさまは表情にも雰囲気にも怒気は見られず、続く言葉もありません。

 これはわたくしの言葉の続きを待っていらっしゃる。そう判断し、覚悟を熱に変え凍りそうな口を溶かし再度動かしました。重ねて言いますが、この流れは想定の範疇。ここまでも、これからも、即興のその場しのぎで言葉を紡いでいるわけではありません。

 

「テンプレオリシュさんはレースにも、ファンにも、本質的な部分で執着をお持ちでないように見受けられますの」

 

 大抵はそのどちらか、普通ならそのどちらにもウマ娘は強い執着を抱きます。

 目標となるレースがあるからこの業界に足を踏み入れる。ファンの応援があるから走り続けることができる。

 見栄や義理と言い換えてもいいかもしれません。たとえ怪我などのリスクがあったとしても、人間はそれらを簡単に投げ捨てることなどできはしない。あの日の憧れを勝ち取るまでは、あのときの声援に応えるまではと、己を鼓舞して走り続ける。走り続けてしまう。

 

 逆に言えば、そのいずれもが欠けた状態で走り続けることは非常に困難です。己を縛る鎖は、覚悟を決めてしっかり巻き付けてしまえば己を守る鎧にもなりうる。

 自分自身の弱さに溺れそうになったとき、繋ぎとめてくれるのが憧れと期待なのです。

 ですがごく稀に、そのどちらも持たぬまま走るウマ娘が存在している。わたくしはそれをよく存じております。なにせメジロの歴史にも既に一人ばかり刻まれておりますので。

 

「ある意味で、ラモーヌさんに近しい価値観の持ち主なのではないでしょうか」

 

 メジロラモーヌ。魔性の華。

 史上初のトリプルティアラを成し遂げたメジロのウマ娘。

 そんな歴史的偉業を成し遂げた彼女ですが、あの方は実のところ特定のレースに執着など抱いておられません。桜花賞も、オークスも、それそのものがあの方のお心を捉えているわけではない。

 ラモーヌさんが真に愛されていたのは『レース』、ターフの上で走ることそのもの。その逢瀬を最も熱く、最も甘く味わうための手段として、あの方はそれまで誰も成し遂げたことのなかったトリプルティアラという偉業を成し遂げたのです。ただそれだけのために。

 レースの名前も格式も、ファンの声援も、ライバルの熱意も。彼女を繋ぎとめておくことなどできはしない。

 『嫉妬すら追いつかない。憧れすら届かない』。そう讃えたのはいったい誰であったか。

 まさに魔性。昔から彼女には多くのファンが詰めかけました。そんな彼らは一瞥と共に袖にされ、しかし一瞥されたという事実だけで人々は恍惚に浸り、一方的にさらなる奉仕を重ねるのです。

 メジロであろうとするわたくしとはまるで真逆。実力が伴わなければ稚拙な我儘と切って捨てられるそれを、あの方は圧倒的な実績とカリスマでメジロの品格に押し上げてしまった。彼女のあり方そのものがメジロの頂点の一つとなった。

 

「テンプレオリシュさんは現状、その目標を秋シニア三冠に設定し、それを公言なさっています。しかし我々が秋シニア三冠に向ける想いと、彼女たちが秋シニア三冠に抱いている感情はおそらく根本的に異なるもの。ならば、いつ立ち去られてもおかしくないのです。そして我々はそれを咎める権利など有してはおりません」

 

 彼女たちのような存在は、言ってしまえば『自分』と『それ以外』の境界線が明確に分かれ過ぎているのでしょう。

 『自分』が満たされていれば『それ以外』がどうなろうと些細なこと。だから取り合わない。顧みない。失ったところで惜しくもない。そもそも失ったとすら認識していない。

 普通なら、しがらみがあります。ピークアウトを迎え実力が落ちつつある自覚を抱いてもなお、捨てきれない。手放せない。まだ期待に応えたくて、せめて周囲に挨拶を終えた上で引退を。そうやって自分も、周囲も、段階を経ながら舞台から降りて次の夢を見るのです。

 あの方々にはそれがない。自分の中で区切りがついてしまえばそこまで。周囲がどれだけ嘆き悲しんでも、手を伸ばし縋り付いても、一顧だにせず歩み去ってしまいかねない酷薄さがある。あるいはそれを酷薄と捉えてしまうこと自体、彼女たちにとっては無粋な価値観の押し付けなのかもしれません。

 

「『いつか』挑戦するのではありません。『今』いかなければ二度と機会はないかもしれない。この時代をともに生きながら、メジロが“銀の魔王”と競うことなく歴史が次に移り変わるなど、あってはならぬことだとわたくしは考えております」

 

 テンプレオリシュというウマ娘はこの時代のレースを短距離から長距離まで、距離もバ場もあらゆる適性を無視し蹂躙した絶対なる支配者。しかし、それはメジロやシンボリのように統治する者であることとイコールではありません。政治基盤のない彼女はいつでも投げ出してしまえる。我々のように背負う義務も殉じる義理も、あの方には無いのです。

 ならば何故『有記念に出走してくれるはずだ』などと無邪気に信じることができましょうか。それは期待ではなく妄信の押し付けに他なりません。

 

 ただでさえこの天皇賞(秋)には一方ならぬ実力者が集います。

 言わずと知れた“怪物”。歴史に名を刻むクラシック三冠ウマ娘の一人であり、この天皇賞(秋)から復帰するナリタブライアンさん。

 そのブライアンさんに末脚の鋭さでは比肩、あるいは凌駕するのではないかと思わせる新世代のマイル女王ウオッカさん。

 “銀の魔王”とある意味でもっとも近くにあり続けながらその猛威に潰されることなく、逆に己の糧とすることで高次元の成長を続けるアグネスデジタルさん。

 徹底管理主義に鞍替えしてから着実にその実力を伸ばし続け、今ではGⅠレースにもその顔ぶれが見られるチーム〈ファースト〉。その中でも頭角を示し、勝負根性の叩き合いでいくつもの激戦を制してきたビターグラッセさん。

 

 現時点で出走を表明している方々を指折り数えただけでこのありさま。

 誰が勝ってもおかしくない。仮にリシュさんが負けた日には、彼女が負けたことに対しては『まさか』と多くの人が驚くでしょう。しかし、勝利したウマ娘が勝利したことに対し『ありえない』と驚くことはしない。彼女ならば、と納得させる。

 そう断言できるほどの優駿揃いです。

 

 リシュさんはこれまで負けたことがありません。

 つまり彼女が負けたらどうなるのか、当の本人を含めまだ誰も知らないのです。

 粛々と体勢を立て直して次に備えるのか。大きく調子を崩してしまうのか。はたまた、そこを引き際と見定めるのか。

 さすがに一度の敗北で嫌気が差し、幼い子供のように何もかも放り投げてどこかにいってしまうとは思っておりませんけれど。

 

 勝利が多くのものを与えてくれるように、敗北は多くのものを奪っていきます。

 無論、勝つことによって失われるものもございますし、その逆もしかり。得難い敗北というのは値千金の価値があるものですが。

 この世で勝利が尊ばれ、敗北が厭われるのは。どれだけ例外をこれ見よがしにあげつらってみたところで、例外は例外でしかないことの傍証でしょう。

 あの方がその痛みを得たとき、どのような変貌を遂げるかは完全に未知数。

 

「魔王の穢れなき戦績、そこに最初に土をつけるのはメジロでありたい。そしてメジロにとって特別なものである天皇賞は舞台として不足なし。ゆえにこのタイミングで天皇賞(秋)に挑戦するべきだと判断いたしました。いかがでしょうか?」

 

 どうにか無事に言い終えることができた。そのことに内心、ほっと息をつく。

 プレゼンテーションとしてはなかなかの出来ではないでしょうか? 問題は、メジロ家の総帥相手に行うのであれば『なかなかの出来』程度のクオリティではおおいに不安が残るという点ですが。

 一度吐いた言葉は消えず、過去は変えられません。投げたボールが返ってくるまでこちらは待ち続けるしかないのです。

 そんな沙汰を待つわたくしに、やがておばあさまはぽつりと口を開きました。

 

「マックイーン。あなたは一つ、勘違いをしているようです」

 

 どくり、と心臓が嫌な跳ね方をしました。

 述べた内容に嘘偽りはございません。それは誓って。

 レースに生きることを選んだメジロのウマ娘が、レースに関与することでおばあさまに嘘を吐くなど。絶対にあってはならぬことです。

 しかし……本当の理由は。わたくしが天皇賞(秋)に今このタイミングで出たいと思った最初の動機は。

 脳裏をよぎるのは今年の春シーズン、宝塚記念の映像。ゴールの後に人目もはばからず泣きじゃくるテイオーの顔と、そんな彼女を視界に入れることなくターフの上に大の字になって笑うリシュさんのお姿。

 ええ、わかっております。リシュさんは別にテイオーを蔑ろにしていたわけではない。ただ立ち続けることさえ億劫なほどに消耗し、それほどまでに楽しいレースができたことを誰にはばかることもなく全身で表現していたのだと。理解はしております。

 

 よくもテイオーを泣かせてくださいましたわね?

 

 わたくしの大切な友人を泣かせたことが許せない。そんなあさましい情動に突き動かされるままに本来あるべき道から外れた、などと。

 見抜かれてしまったのでしょうか。咎められるのでしょうか。

 言い訳のしようもありませんわ。

 ああ、それでも思ってしまうのです。このままでは終わらせない。落とし前を付けてやりたいと。

 端から道理がまるで通っていないからこそ、後付けで理屈をいくら捏ねたところでどうしようもない。整理整頓できるはずがない。感情とは本当に如何ともしがたいものです。

 

「『メジロ』に合わせて自分を歪める必要はないのですよ?」

「………………え?」

 

 しかし、投げかけられた言葉は予想外のものでした。

 おばあさまが頭に手をやり帽子を脱ぎます。さらりと揺れる髪とその隙間から覗く瞳は、わたくしよりもやや薄い色。

 

「だめねえ。この立場から一言の重みを思い知るたびに、気づけば口を開くことさえ億劫になってしまって……。昔はあんなにおしゃべりが好きだったのにね」

 

 やせ衰えた老婆。ふとそんな言葉が脳裏をかすめる。

 なんという不敬。しかし、でも、だって……。

 この人はこんなにも、疲れた顔でやさしく笑う女性だったのでしょうか。

 わたくしより白の色合いが強い髪と瞳は、長い歳月にさらわれてこの人の中から抜けていった様々なものを象徴しているような気がして。

 

「わからないことがあれば聞きなさい。困ったことがあれば相談なさい。そのための先達です。ですが、それは正解を教えるというわけではありません。

 正解とは、あなたの歩みそのもの。あなたがメジロに合わせるのではありません。あなたの次なる一歩が、これからのメジロの正しき在り方となるのです。そのために必要なものは既に教えました」

 

 おばあさまからそんなことを言っていただけるなんて。

 感動がゆるゆると胸の内を流れていきます。ええ、あくまで薄く。

 理解が追いつかないまま、ただ聞き流さぬよう頭を回すのが精いっぱい。今にも真っ白になった頭の中で迷子になってしまいそう。

 

「胸を張って信じる道をお行きなさい。あなたはメジロマックイーンなのですから」

「はい……!」

 

 反射的な返答、ではなかったと信じています。

 おばあさまにここまで信頼していただいたウマ娘が、そんな無様を晒すはずがないと思いたいのです。

 

「ただ一つ、老人として忠告をするのであれば……。テンプレオリシュのことを見るのはおやめなさい」

「それは、いったい……?」

 

 彼を知り己を知れば百戦殆からずと言うように、相手のことを調べるのは戦いの基礎の基礎です。特に昨今の戦において情報の価値は増すばかり。それと相反するようなおばあさまの言葉に思わず疑問を投げかけました。

 ああ、少しずつ頭が普段の調子を取り戻してきたように感じます。よかった。理解できぬまま勢いに流され頷いているわけではない。

 

「寓話にもあるでしょう。ウサギはカメを見ていた。カメはゴールを見ていた。マックイーン、今のあなたの目はゴールではなく相手に囚われている」

「……っ!」

 

 相手を見ることは重要。しかし、あまりの強大さに呑まれてしまえば勝てる道理がありません。

 わたくしの成すべきことはテンプレオリシュに先着することではない。誰よりも先にゴール板を駆け抜ける、ただそれだけ。

 結果的にその二つが同じことを意味するとしても、本質的に両者はイコールではないのです。寓話になぞらえた柔らかな譬えに蒙を啓かれた気がしました。

 

「……ありがとうございます。そのご忠告、しかと心に刻みましたわ」

 

 ああ、帰ったらトレーナーさんと一緒に作戦を一から練り直さなければ。

 胸中に溢れる熱意とおばあさまへの感謝。それから、少しばかりの好奇心。

 

「おばあさまはリシュさんをウサギだと思われますか? カメだと思われますか?」

 

 往々にして天才とはウサギのように優れた資質を生まれ持ちながら、カメのように不断の努力を欠かさぬものです。否、そうでなければ天才と呼ばれる前に埋没してしまうと言うべきでしょう。

 メジロの総帥として多くの天才たちを見てきたおばあさまの目に、リシュさんはどう映っているのか。その見解を伺いたくなりました。

 

「あれは竜です」

「りゅう」

 

 ついそのまま復唱してしまいました。

 それはとても間抜けな姿でしたが、あまりに想定外だったので。獅子や虎あたりまでは想定しておりましたが、竜と来ましたか。

 

「微睡み、身じろぎするだけで周囲を揺らす。ひとたび目覚めれば雲を呼び、風を起こし、天を舞って地形すら変えてしまう。歴史の節目にはああいう存在が稀に出現します」

「……竜の髭を蟻が狙う、と。そうお考えですか?」

 

「いいえ。そんな竜さえも打ち倒すのが人というものです。マックイーン。クラシックのこの時期に彼女と道が交わったことはあなたにも、ひいてはメジロにも多くの実りを与えてくれることでしょう。あなたならやれると信じています」

「…………はいっ」

 

 信じている。

 おばあさまの口からその言葉をいただいた時の心情をどう表せばいいのでしょう。

 ずっと探していた無くし物をようやく見つけたような。同時に、ずっと昔に自分がどこかに落としていたことにようやく気づいたような。

 

――無理をせず今年度は休養にあてなさい。

 

 骨膜炎を発症し、デビューを一年遅らせたあのときの決断が間違いだったとは思っていません。無理にリシュさんと同世代になったところで得られたものは少なく、きっと失っていたものは多かった。今こうして振り返ってもそう思えます。

 ただ、きっと……わたくし、ずっとそう言って欲しかったのですね。おばあさまに。

 あなたならできる。信じていると。背中を押してほしかった。それが正解とか、間違いとかの話ではなくて。ただ意識できないまま感情のままに求めていて、そして妥当かつ賢明な判断により与えられなかったもの。

 あの日、欠けてどこかに落としたままだった心のかけらが。今ようやく戻ってきました。満たされてようやく気づけるなどと己の未熟さに汗顔の至りです。どれだけ自分のことが見えていないのでしょう。

 

「竜殺し、成し遂げてみせますわ。メジロの……いえ、このメジロマックイーンの名に懸けて」

 

 それも少しずつ、一歩ずつ着実に成長していきましょう。いずれ至るべき高みへとたどり着くために。だってわたくしはメジロマックイーンなのですから。

 

「ええ。応援にいきますよ。あと、それとは別に……」

「?」

 

「またお話ししましょう。今度はゆっくりと。必要だからではなく。あなたにとっての大事なことを。マックイーンの大好きな球団の話でも聞かせてくださいな」

 

 いたずらっぽく笑うおばあさまの顔は、たしかにわたくしたちと同じもので。これまでになく強く血のつながりを感じました。

 ……それにしても、おばあさまにまでバレバレでしたのね。声も無く頷くわたくしの顔は、きっと隠しようもなく紅潮していたことでしょう。

 

 

 




すごく今更な話ですが、本来マックイーンの一人称は『私』と漢字で書いて「わたくし」と読むものなのですが。
漢字のみだと「わたし」と区別がつかず、逐一ルビを振ると今度は文章の歯触りが悪くなるので、ひらがな表記に統一しています。

次回も引き続きマックイーン視点
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