「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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引き続きウオッカ視点です


サポートカードイベント:my name is……

U U U

 

 

『皆、綺麗にスタートを決めましたね。G1クラスのレースという前評判は伊達ではありません。デビュー前の二人もしっかり食らいついていきます』

 

 俺たちの選抜レースのときほどじゃあないが、今回のレースも辞退したやつが多いもんで芝2000m第十レースの出走者は九人。見通しがよくて助かるねえこりゃ。

 

――リシュは興味深い相手を後ろからじっくり見ようとする

 

 サンキュー、スカーレット。お前の読みはバッチリ的中だぜ。

 するりとバ群後方に位置取った、リシュのすぐ後ろにつく。といっても、かのライスシャワー先輩の徹底マークのような上等なものじゃねえ。

 足音で相手を威圧しペースをコントロールしたり、スリップストリームを活用したりと、マークも技術と反復練習の結晶だ。将来的にはともかく、今の俺のその手の技術は中央で通用するレベルに至ってない。

 なんなら今日にいたるまで、俺は地力を高めるトレーニングしかしてこなかった。そうじゃないとこのレースでは話にならないと判断したからだ。

 細かい読みや駆け引きは、目の前の相手に代わりにやってもらう。

 

――桐生院トレーナーは完璧に仕上げてくるはずだ。それを利用させてもらおう

 

 トレーナーの語った作戦を思い出す。台風の目になるだろうリシュを、ペースメーカーとして活用させてもらおうという逆転の発想。これだからトレーナーとつるむのは面白い。

 だがそれはもちろん諸刃の剣だ。極力視界に入れるなと忠告されたリシュをじっと注視し続けることになるんだからな。

 

 実際、いまこうしている瞬間にもふっとリシュの姿が()()()

 足音が無いことも相まってどこか幻覚じみたコイツが、そのまま過去の残影に繋がる。

 オフロードでもオンロードでも、バイクにまたがった父ちゃんと同じかそれ以上に速かった俺の母ちゃん。カッコつけでお調子者の父ちゃんの尻を叩いて家の中を切り回す、俺の中の強さの象徴。

 それがコイツの背中に重なる。なるほど、事前に聞いてなきゃショックを受けたかもしれねえな。

 

――きみが自分の中の『カッコよさ』を見失わない限り大丈夫だ

 

 トレーナーの言葉が俺の中で熱になる。カッと燃え上がるようなものじゃない。熱した石のように重く、それが俺を繋ぎとめてくれる。

 リシュを通して母ちゃんが見えるってことはつまり、それが俺の中にあるってことだろ? だったらそれが揺らぐ理由になんてなりゃしないのさ。

 『いつだってギリギリで生きろ』『涙は疾風に流しちまいな』……数々のカッケェ至言をくれた俺の父ちゃんは、俺の中の“カッコいい”の原形をつくったひとだ。俺は今まさにギリギリで生きている。

 俺はカッコいいウマ娘になりてえ。俺にとって“強さ”ってのは“カッコいい”の一環だ。だから、俺の強さだけを模倣したところで片手落ちなんだよ。お前の走りにはハートがねえ。

 

 たしかにリシュはすげえ。

 例えるのなら霧が立ち込める森の中、ろくな灯りも持たずに走っているような心細さを感じさせる。そんな強大さと底知れなさがコイツにはある。

 だがな、いくらリシュでも俺の中の覚悟という、熱く燃え盛る炎は消せねえのさ。この炎がある限り、俺が霧に迷うことはねえ!

 ……ふっ、決まった。

 

 んなアホなことを考えている余裕は、第三コーナーを曲がる頃には消えていた。

 

 息が苦しい。視界が白く濁る。

 俺が経験したことのないハイペースでレースが進んでいる。いや、これがG1クラスの通常なのか。2000mという距離もデビュー前のウマ娘には長めだ。

 知っていたさ、そんなことは。それを念頭に置いてトレーニングを積んできた。それでもレース本番とは全然消耗が違う。

 あれだけ努力したのに、なんて甘ったれた口を叩く気はねえ。たしかに俺はこのレースに目標を定めてからというもの、すげえ充実したトレーニングができていたと思うし、めきめきと実力もついたとも思う。

 だがそんなの、先輩たちは二年も三年も同じことをしてきたんだよ。俺の数か月の“すげえ充実したトレーニング”が先輩たちの数年の経験値に匹敵すると考えるのは努力ってもんに対しても、先輩たちに対しても失礼だ。何よりトゥインクル・シリーズをバ鹿にしている。

 それでも、それでも勝ってやると思ってたんだ。

 

「よし――いくよ」

「……!」

 

 もう見るべきものは見た。

 そう言わんばかりにリシュが動き始める。前にあった背中がみるみるうちに遠くなる。

 作戦ではここでリシュについて動くはずだった。実際、リシュが追い抜かした先輩たちは誰も彼も動きがおかしくなる。接触するわけでも、進路を妨害するような走りをしているわけでもないのに、ヨレていく。

 決して大きいとは言えないアイツが、周囲をひき潰しながら猛進していく。アイツのための道が切り開かれていく。

 

『動いた! 五番テンプレオリシュ行きました。すいすいと間を縫って徐々に前へと詰めていきます』

『六番ウオッカそれを追走、できない! じりじりと距離が離されていく』

 

 俺がそれに追従できなかったのは単純な話。俺とリシュではスペックが違い過ぎただけのことだ。

 じわじわと霧のように、音もなく侵蝕するリシュのプレッシャー。それがブライアン先輩に襲い掛かるところを、離された俺は見ていることしかできなかった。

 

「ほう……面白い……!」

 

 ブライアン先輩の金色の瞳がリシュを見た。

 

 領域具現――Shadow Break

 

 俺は見た。世界が塗り替えられる様を。

 荒野。草が消え木が枯れた灰色の荒野が広がる。

 その景色を覆い隠していく影。周囲から押し寄せ、中心にいるブライアン先輩までも覆い隠すかに思われたそのとき。

 ブライアン先輩はそれを地面ごと砕き割った。砕かれた大地から光が迸る。絶大なエネルギーが先輩に、怪物と呼ばれたその人に宿らんとする。

 

「いただきます」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード)

 

 その世界が、喰いちぎられた。

 見えたんだ、本当に。

 劈く光に退散した、ブライアン先輩の世界にもとからあった影じゃない。別の『黒』がブライアン先輩の展開した世界に割り込んで、バッサリ刈り取っていった。

 ひとまわり縮小される世界。同時に、彼方で新たな光が生まれる。

 その光の座標は、リシュがいるところだった。

 

――もしかするとレース中、きみは不思議な光景を目にすることがあるかもしれない

 

 ちくしょうトレーナー。あのとき言っていたことってこれかよ。

 めちゃくちゃじゃねーか。こんなの予想できるかよ。

 

――そうなったら絶対に無理はしないでほしい。後でちゃんと説明するから、怪我をしないことを第一に優先してくれ。それさえ約束してくれるのなら、俺はいくらでもきみを応援する

 

「うそ、あれって……」

 

 バ群の中から戸惑った声が聞こえる。意識して口を開いたわけじゃない。許容量を超過した困惑が、言葉として漏れ出してしまったような。

 俺は口を開く余裕すらなかった。

 

『ナリタブライアンもここで動いた! やすやすと強豪集団を追い抜き先頭に躍り出る。しかしテンプレオリシュもそれに続く、並んでいる!』

『これは、まるで“怪物”が二人というべきでしょうか』

 

 地面に食らいつくような独特の低い姿勢。弓から放たれた矢のような極端な加速。

 似通うどころじゃない。いまのリシュは“怪物”ナリタブライアンにあまりにも近すぎた。

 あの奇妙な光景がこの現象と無関係とは思えない。だがそんなこと、どんどん遠ざかっていく先頭に比べたらいまの俺にはどうだっていい問題だ。

 ちくしょう。追いつけねえ、そう思いそうになっちまう。あの選抜レースのときと同じように。

 バ群に遮られ、暗く遠くなっていく銀の髪。スカーレット、お前はずっとこんな光景を見てきたのか?

 

『二バ身、三バ身、みるみる距離が開いていくぞ。群れの中に答えなど無いと言わんばかりの熾烈な先頭争い!』

『第四コーナーカーブを抜けて直線に入りました。勝負はこの二人に決まったか?』

 

 ……出会った時、ライバルってやつになれるんじゃないかと思っていた。だがスカーレットは、いつも俺よりほんの少しだけ先んじていた。

 俺が坂路トレーニングを二本やって吐きそうになっている隣で、アイツは三本やって吐いている。言ってしまえばそんなわずかな差。だがハナ差もあればそれだけでレースじゃ一着と二着に分かれちまう。

 明確に目指すべきものの有無。憧れを抱いていた俺と、背中を追っていたスカーレット。俺とアイツを隔てる差はそれだった。

 あの一番大好き女が、常に二番手に甘んじることになった原因。それにアイツは逃げることなくいつだって、何度だって挑み続けた。

 思い返してみればアイツが俺にくれた情報の数々だって、ひとつひとつアイツが打ちのめされながら拾い集めた貴重な武器だったのだろう。

 目標に向かってどこまでも走り続ける灼熱の瞳。

 それが俺の記憶にも焼き付いている。アイツなら絶対にこの状況になっても諦めない。無責任に確信できる。ここで諦めちまえば、きっとこの距離は縮まらない。置いていかれる一方だ。

 ライバルってやつになれるんじゃないかと、勝手に見込んでおいて。いま勝手に置いていかれようとしている。

 

 そんなのダサすぎるよな?

 

 首を下げんな! 諦めんじゃねえ! わりぃトレーナー。無茶しないって約束したけど無理だわそれ。

 父ちゃんに連れられて初めて見たダービーでは誰一人として最後まで諦めなかった。『勝ちは譲らねえ』『道を開けろ』『一着は自分のもんだ!』ってオーラが出まくってて、あのカッコよさに俺は憧れてトゥインクル・シリーズを志したんだろうが。

 魂に火を入れろ。フルスロットルで駆け抜けろ。これが俺の限界だっていうのなら、いまここで超えてやる! メーター振り切っていくぜえ!

 

 俺はウオッカだ!!

 

 領域具現――カッティング×DRIVE!

 

 世界が開けた。

 ポスターカラーに塗り分けられた鮮やかな視界の中、乱立する色とりどりのウマ娘の影の間を駆け抜けていく。

 障害物を避けながら走るというのに減速どころか、どんどん自分が加速してくのがわかる。身体の奥から湧き上がる万能感。

 見えた。目と鼻の先とはいかないが、ぱっくり開いた空間の向こうで競り合うブライアン先輩とリシュの姿。

 

 目が合った。

 

『ウオッカ!? すごい足で上がってきた。見事なごぼう抜きを見せます!』

『残り200mでウオッカも抜け出した! 驚異的な末脚、このまま差し切れるか!?』

 

 どん、という衝撃が胸に伝わる。

 いや、もっと奥の方か? スパートに入ってんだ。本来見えるもんじゃない。リシュが振り返る余裕も、俺がゆっくり自分の身体を見下ろす余裕もないはずだからな。マンガとかでよく見る心象風景ってやつなのか。

 自分で食らってみてわかった。この『黒』は剣だ。

 光を反射せず、吸い込んで離さない漆黒の長剣。回遊魚のように無数にリシュの周囲に展開されたそれらの、そのうち一本が俺の胸に生えてやがる。ここから柄が見えるってことは、刃先は貫通して背中からこんにちはしてるんだろう。

 痛みはない。ただあるべき熱量を持っていかれた寒さが俺を通り過ぎる。漆黒の長剣がそのまま滑らかに俺のことを両断してくれやがった後、俺の周囲に展開されていた世界は一回り小さくなっていた。

 縮まりかけた距離が、また突き放される。

 

『ウオッカ届かない!? ナリタブライアンとテンプレオリシュ、もつれるようにゴールイン!! 体勢的にテンプレオリシュが有利か!?』

『テンプレオリシュは最後にもう一伸びしたように見えましたね。それにしても三着までにデビュー前の子が二人とは、すさまじい世代が到来しそうです』

 

 外からはわからなかったのかもしれねえ。でも、この距離で一緒に走った俺にはどっちが勝ったのかはっきりわかった。

 は、はは……。やりやがったリシュのやつ。

 

『結果が出ました。一着はテンプレオリシュ! 新世代の怪物が勝利の産声を上げました!』

 

 怒号と悲鳴のような喝采がレース場を揺るがす。

 全部出しきった。なんなら限界だって超えた。確実に俺は走る前より強くなった。あの万能感の残響は今でも脚に残っている。

 それでも届かなかった。

 これが、スカーレットが追い求め続けた相手。テンプレオリシュか。

 

「ウオッカ氏」

「うおっ……なんだよ、リシュ」

 

 相変わらず足音しねーなコイツ。膝に手をついて肩で息をしている俺と似たり寄ったりの消耗具合。ぽたぽたと流れ落ちる汗はこれまでの模擬レースや選抜レースには見られなかったものだ。

 それでも既にスタスタと歩き始めていたり、呼吸が急速に整ったりしているあたり格上感がハンパねえけど。

 

「びっくりした。体はへーき?」

「ああ、なんとかな……おう、そうだリシュ。あれはいったい」

 

 リシュはゆっくり首を横に振った。動きに流石に疲れが見える。

 

「ごめん。それはウオッカ氏のトレーナーから聞いて。決まりだから」

「お、おう」

「……うん。ほんとうに大丈夫そうだね。よかった。それじゃ」

 

 くるりと踵を返してその場を後にしようとしている。その姿を見て、ようやく俺の中に悔しさが湧いてきた。

 あのブライアン先輩に勝ちやがった。それは確かに偉業だろう。だが、素直に感心するだけだったら観客席にいけって話だ。俺はターフの上にいるんだよ。今も、これからもだ。

 

「リシュ!」

「ん、なあに?」

 

 赤と青の瞳が俺を見る。そこにまっすぐ指を突き付けてやった。

 

「三冠目指すんだってな? リベンジだ。俺はダービーを取りに行く。そのときまで首を洗って待ってろ!」

 

 目が見開かれる。意外なことを聞いたかのように

 そして、にへっと笑った。変な話だが初めて目が合った気がした。

 

「次も私が勝つよ、ウオッカ」

「上等だ! 吠え面かかせてやんよ」

 

 認める。いまはこれが精いっぱい。視界に入るのがやっとだ。

 だが一年後は背中を拝ませてやる。そう決めた。

 ガキのころから憧れだった俺の中のダービー。それが『目標』に変わった瞬間だった。

 

 

 

 

 

「あれは“領域”と呼ばれているよ」

 

 レースの後。

 無茶をしたことで何か怪我でもしていないかと詳しく調べられて、そんでもってトレーナーとの約束を破ったことを叱られて、しかしあの状況で無理をするなというのがそもそもどだい無理な話であったと逆に謝られて、そんなトレーナーに泡を食って頭を上げてくれと促して。

 ひととおりやるべきことを終わらせてから、トレーナーは約束通り説明してくれた。事前に対策会議をしてくれた義理とでもいうべきか、この場にはスカーレットの姿もゴールドシップ先輩の姿もある。

 

「りょーいきぃ?」

「そう。ウマ娘が別世界から受け継いだ魂が持つ不思議な力、それを極めたもののひとつと考えられている」

 

 別世界から俺たちが受け継いだ魂。一般的にはウマソウルと称されるそれ。俺たちはそこからときに数奇で、ときに輝かしい歴史と名前を別世界から受け継いで走る。

 “領域”もその受け継いだもののひとつ。魂に刻まれた必勝パターンをトレースすることでウマソウルを活性化させ、一時的に圧倒的な力を出す必殺技のようなものなのだとか。

 

「なんで教えてくれなかったんだよ、トレーナー?」

「危険、いやなんと表現するべきか。取り扱い注意なんだこれは」

 

 詳しく聞いてみると、“領域”ってのはけっこうややこしいものらしい。

 誰もができることではない。

 心技体が充実したウマ娘ほど到達する傾向が高いと見られているが、G1クラスと評されるウマ娘にだって使えない者は数多くいる。その一方で俺みたいにデビュー前のウマ娘が発現することもある。

 今回は三着だったが、あのメンツのなかで俺が上から三番目の実力者だったなんて流石に自惚れちゃいねえ。だが、たしかにあのレース中“領域”を使ってきたのは俺以外じゃブライアン先輩とリシュの二人だけだった。

 

「きみたちウマ娘は強さに貪欲で、そして真面目で誠実だ。だから“領域”の存在を知れば何としてでもそこに至ろうとする」

 

 その結果、お決まりのように発生するオーバーワーク。それでも到達することが叶わず、身体や心を壊したウマ娘がこれまでに何人もいたらしい。

 また、生徒の前ということを配慮したのか直接的な表現ではなかったが……。どうも成果を出せない担当に業を煮やしたトレーナーが“領域”に打開策を見出し、無謀なトレーニングを課すなんてこともあったらしい。そちらの結果もご察しの通りだ。

 

 それに“領域”はたしかに勝負の決定打になりうる強力なものだが、それだけで勝てるほどレースは浅くも甘くもない。

 “領域”は使えないものの総合的に実力が高いウマ娘が未熟な“領域”使いを降す展開もそう珍しいことではないらしい。

 

「だから、トレーナー養成所の段階から“領域”の扱いには徹底的に指導されるんだ。“領域”のことを教えるのはそのウマ娘が“領域”に触れてからってね」

「あー、だいたいわかってきたぜ。でもゴールドシップ先輩はともかく、スカーレットもここにいるけどそれはいいのか?」

 

「アタシはリシュにぶっ刺されたことがあるもの」

「ああ、アレかぁ……」

 

 またスカーレットに一歩先を行かれていたという事実に思うところがないわけじゃねえけど。同じくぶっ刺された仲間、同情心みたいなもんの方が先にくる。

 

 俺が見た摩訶不思議な光景は自身も“領域”に至れるだけのポテンシャルが存在しなければ知覚できないんだとさ……資格ある者のみに許された光景とかカッケェなあオイ。

 ごほん、ともかく! スカーレットのように幼少期に自力で目覚めたウマ娘経由とか、どうしても情報は洩れるので明文化された罰則こそ無いが。ウマ娘の未来を摘みかねない行為として、トレーナー側から“領域”の存在を告げるのはタブー視されているのだと。

 そもそもトレーナーはまずあの光景を知覚できないので、その存在を疑問視している者も一定数いるんだと。オカルトっていえばウマ娘そのものがわりかしオカルトなんだが、変なところで頭がカテーもんだ。

 なるほどな。トレーナーが事前に教えてくれなかった事情には納得できたぜ。

 

「ピスピース! ちなみにアタシの領域展開のルーティーンは『残り距離五割を切った時点で現在順位が全体の半分未満であること』だぜー」

「うへえ、“領域”ってすげぇ細かい条件があったりするんすね……」

「アタシの条件はまだ緩い方だぜ? 小難しく聞こえるかもしんねーけど、要は追い込みで走ってりゃたいていのレースで条件は満たせるからな」

 

 ゴールドシップ先輩曰く、ウマソウルに刻まれた必勝パターンだけあって一度その形を知覚してしまえば、後はあるがままに走っていれば自然とその条件を満たしやすい走法に収まるそうだ。

 とはいえ俺も自分の“領域”の発動条件、しっかり洗い出しておかないとな。

 

「一度踏み込んでしまえば状況から逆算して条件を探れるんだけど、いまのところ“領域”に踏み込む手がかりは感覚まかせの偶然くらいしか無いからね。それに頼るくらいならトレーニングで各種能力を上げた方が確実で安全なのさ。ウマソウルがもっとお喋りだったら助かるんだけど」

「っ! あのっ、ウマソウルって喋るんですか?」

 

 苦笑交じりに肩を竦めたトレーナーの言葉に、妙にスカーレットが反応する。

 

「えっ? いや、性格とか境遇とか『これがウマソウルの影響なんじゃないか』って言われているものは多々あるけど、情報の伝達が確実視されているのは現段階ではウマ娘の名前だけだね」

「そう、ですか……」

 

 なんなんだ? 今のは俺でも愚痴交じりの冗談だってわかったぞ。成績優秀な優等生サマが文脈を読み違えるような言い回しではなかったと思うんだが。

 物憂げに沈んだ様子のスカーレットに向け尋ねようとした言葉は、乱暴なノックと返答も待たずに開けられた部室のドアに遮られた。

 

「失礼する」

「おいおいせっかちだなあオメーはよぉ。ノックしたんなら返事くらい待てよ。そんなんじゃ一人前のアユ釣り師にはなれねーぜ。あ、いがぐり食うか?」

「いらん」

 

「うえっ、ブライアン先輩!?」

 

 入室するや否やゴールドシップ先輩がどこからともなく出した(本当にどっから出したんだ?)いがぐりを木で鼻を括るような態度で一瞥もせず断ったのは、なんと先ほどデッドヒートを繰り広げたブライアン先輩だった。

 俺はまだ疲れが抜けてねーってのにピンピンしてやがる。そういえばレース直後もあんま消耗した印象は受けなかったな。全力を出し尽くす前にゴール板が先に来たって感じがした。

 そこを含めてリシュの作戦勝ちといえばそれまでだが、地力でアイツがこの人を上回ったとはいまだに思えねえ。いや、負けた俺が言っても負け犬の遠吠えか……。

 

「いらっしゃいブライアン。もしかして生徒会の用事かい?」

「いいや。これを出しに来た」

 

 トレーナーの言葉にブライアン先輩が取り出したのはアオハル杯チーム参加要望、ってマジかよ。集団行動。チーム戦。お祭り騒ぎ。この人のイメージと完全にそぐわないんだが。

 別にチーム〈ファースト〉がランキング一位になって学園が徹底管理主義体制になってもいいってわけじゃなくて。管理主義だろうが自由主義だろうが従うときには従うし、受け入れがたいのなら構わず檻を食い破って外に出る。ブライアン先輩はそんな印象を受ける人だ。

 

「へえ、意外だな。きみはそういうのに興味がないのだと思っていたよ」

 

 トレーナーも同じ意見だったらしく、驚きながら届けを受け取っていた。

 

「でもきみが来てくれるのなら大歓迎だ。なにせ、まだチームが定員に満たなくてね。チーム名は〈キャロッツ〉にしようかと思うんだが、それを相談できるメンバーも満足にいないのが現状なんだ」

「興味はない、アオハル杯とやらにはな」

 

 ばっさりだ。硬直したトレーナーをゴールドシップ先輩が指を差して笑っている。

 

「だが、ここが一番味わえそうだと判断した」

「えっと、何をっすか?」

 

 トレーナーは硬直しているし、スカーレットはまだ物思いに沈んでいて反応が鈍いし、ゴールドシップ先輩はゴールドシップ先輩だ。自然と俺が聞く流れになった。

 猛禽類のような金の瞳がこちらを向く。

 

「『追われる感覚』というものをだ……これまで私は狩ることしか考えていなかった。歯牙にかける価値も無い弱者もいれば、力及ばず返り討ちになることもあった。だが、それはあくまで前や隣にいる相手の話だ。

 後ろからこちらを追ってくる、自分より格下だった相手。私に追いつき凌駕せんと迫る影。そういったものは視野の外だった」

 

 ぐ、と拳を握りそこに視線を落とす。いったい何が見えているんだろうか。俺にはなんか仕草がカッケェってことくらいしかわかんねえ。

 

「今になって姉貴があのとき抱いていた感情が少しわかった気がする。そして、私があの背中に追いつくためには知っておかねばならないことだ。そう思った。

 どうだ、ゴールドシップのトレーナー? 今のを聞いて、なお私を受け入れるか?」

「うん、歓迎するよ。ようこそ、ナリタブライアン。ところで念のため聞いておくんだけど、きみの担当はちゃんとこのことを知っているんだよね?」

 

「アイツなら否とは言わんさ」

「わかった。こっちで確認とっておくね」

 

 こうして俺たちのチームに新たなメンバーが加わった。

 定員に満たないという致命的な欠点に目を瞑れば豪華すぎるメンバーだ。なにせレジェンドが二人に、全員が“領域”に至っている。俺とスカーレットはまだまだ不安定極まりないものだが。

 ま、“領域”もしっかりモノにしたいけど、やっぱりまずは実力をつける方が先決だろう。派手な必殺技に気を取られて基礎がおろそかになるのはダセーからな。

 

 

 

 

 

 まあ余談つーか、蛇足つーか。

 

「なあスカーレット」

「なによウオッカ」

 

 気恥ずかしいから正面からは言えねえけど、今回の一件スカーレットにはすげー感謝してる。コイツがいろんな情報を提供してくれなけりゃあ、俺の善戦はありえなかっただろう。

 

「領域展開中にさ、リシュと目が合ったんだよ。そんときにさ、リシュの両目が紫に光っているように見えたんだが。アイツの目って右が赤で左が青だったよな?」

「へえ、それは未知の情報ね。詳しく聞かせてくれる?」

「いいぜ……その前にひとつ、俺の方からも聞きたいんだが」

 

 それはそれとして、気づいちまったからにはハッキリさせておきたいことがある。

 

「ぶっちゃけよお、俺がどのくらいリシュに勝てると思ってた?」

 

 スカーレットが持っていたリシュの情報。

 あれはひとつひとつ、敗北の中からスカーレットが勝ち取ったものだ。たとえチームメイトだろうが『仲間なんだから共有して当たり前』だなんて言えるシロモノじゃねえ。

 武器で、財産。自分の中に貯め込んだままにしたって誰も責めやしねえ。責めるのはスカーレットが流した汗と涙とゲロの価値をわからねえバカだけだ。

 それなのにスカーレットは惜しみなく俺に提供してくれた。でっけえ借りだ。それは間違いねえ。

 思い返せばトレーナーは、情報を聞くときにすげえ気を使っていた。注意深くスカーレットの表情を窺って、少しでもスカーレットが嫌がるそぶりを見せれば話をそこで切り上げられるように。そもそも対策会議がスカーレット主導で立ち上がったものでなければ、スカーレットから情報を聞き出そうとしたかどうか。

 

 だがレースを走り終えて、いろいろ見えるようになった今だからこそ引っかかる。

 コイツってそんな聖人君子みたいな性格してねえよな?

 それとチームメイトの勝利が自分の勝利みたいな価値観の持ち主でもねえ。自分自身が一番にならないと気が済まねえ『一番バカ』だ。

 じゃあ何が目的だったのかって話になるんだが。

 

「べつに、負けると思ってアンタを送り出したわけじゃないわ」

 

 スカーレットはじつに優等生な笑みを浮かべた。

 

「ただ、それ以上にリシュを知っていただけ。それだけの話よ」

「ほーん」

 

 知っていた、ねえ。

 スカーレットにとっては『信じる』までもなく、リシュが勝つのは当たり前のことだったってわけだ。俺は新しい情報を得るために用意された当てウマだったと。

 ふんふん、ほー、へー。

 

「おっしゃ決めた。俺クラシックでまずは桜花賞いくわ。そんでもってまずはテメーからぶちのめす」

 

 コイツにはでけえ借りがある。だがそれはそれ、これはこれだ。

 

「あーら、アンタはダービーにいくんじゃなかったかしら。三冠じゃなくていいの?」

「お前から勝ち取ったティアラの方がずっと価値がありそうだからな」

 

 一生に一度の三冠路線、ティアラ路線で担当同士がぶつかり合うトレーナーには悪いけどさあ。

 

「実現不能だってことに目を瞑れば『カッケェ』わよ、ウオッカ」

「吠え面かかせてやるぜ!」

 

 リシュが目標なら、スカーレットはライバルなんだよ。

 

 

 

 




固有スキル【因子簒奪(ソウルグリード)】Lv1
相手の固有スキル発動時にカウンターで発動。
その効果をもとの性能から一段階低下させる。さらにもとの性能から二段階低下した効果を自身に適応する。
相手へのデバフ効果はそのレース中のみだが、自身に適応されたバフ効果は以降習得済みのスキルとしてストックされる。

※スキルの記述がわかりにくいという指摘があったので少し修正しました。

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