「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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引き続きマックイーン視点
秋天決着です

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サポートカードイベント:ここに立つ者として

 

 

U U U

 

 

 負けません。負けられません。負けたくありません! わたくしはメジロマックイーンなのですからッ。

 ……身体に回りかけていた心の熱を切り離す。今はまだ必要ありませんわ。然るべき時まで溜め込んでおきましょう。格好のお手本はちょうど今見せていただきました。

 

『外に十三番アグネスデジタル。十五番ワガハドウ続いている。内の方から八番デュオスクトゥム。その後から十番リボンダージュ』

『大ケヤキを越え第四コーナーへ。各人、動きが激しくなってきました。先頭はここで十六番クラシックコメディ』

 

 どれほど俊足を誇ろうとも。どれほど剛力を有していても。あるいはどれほど深い叡智を秘めていたとしても。レース中はとある要素が欠けていればそれらはまるで発揮できません。

 すなわち、スタミナです。

 疲労に縛られた脚は速度を発揮できず、ありとあらゆる動作が重荷と化し、平時ではありえぬミスを犯す。

 それをわたくしは削ってまいりました。悟られぬよう、少しずつ慎重にラップタイムを速めて。前を押し込み、後ろを引っ張り、レース全体の時計を徐々に加速させていく。

 傍目にわかるような派手さはない。言ってしまえば消耗戦です。

 長距離のメジロと謳われるほど伝統的な天皇賞の3200mに固執してきた、その中でも随一のステイヤーの素質を持つと見込まれたわたくしが現状で唯一見込める勝利への道筋。

 

 無論、ステイヤーだからといって中距離ではスタミナを持て余すなど、レースはそのように単純なものではありません。

 ましてやその余剰分のスタミナを有効活用してレースの半ばから超ロングスパートを仕掛けるなどと。そんな一見すると理にかなっているようで生物として無茶苦茶な所業ができるのはゴールドシップさん他数名くらいです。本当にあの方はいったい何なのでしょう。そして何故ゴールドシップさん以外でも複数名も候補が上がるのでしょうか? この時代はいったい……。

 

 こほん、ともあれ。

 だから幾度となく練習しました。

 他の方が無自覚の加速に消耗し、同時にわたくしがスタミナを活かして万全に走りきることができる。そんなラップタイムを身体に刻み込みました。

 ひたすら地道に、着実に。真の才能とはそういうものではないでしょうか? 己の努力が報われることを知っているのですから。

 

 ……認めましょう。高速化が進む昨今のレース。これからメジロには厳しい時代が到来するやもしれません。

 無論そこいらのウマ娘に劣るわけではありません。メジロ家に並ぶGⅠトロフィーは長距離のみにあらず。スピードを含め地力の高さは歴史が証明しています。

 ただ、これから先の時代。マイルと中距離が主体となりつつあるレースの中。きっと生まれてくる最先端を突き進むような速度のスペシャリスト、そんな彼女たちの影を我々は踏むこととなる。

 伝統と天皇賞を重んじるがゆえメジロ家はスタミナに重きを置いた進化を遂げてきた。その差はこれからの歴史と共に少しずつ、しかし着実に無視しえぬものになっていく。そんな予感がいたします。

 それでも、です。それが中距離2000mの順当な決着のかたち、この先の末脚勝負に勝てぬ道理にはならない。スピード勝負になるという大前提からひっくり返してしまえばいい。

 ルールを敷き、自らの都合のいいように改変する。それが支配者というものです。

 

 できることなら第四コーナーを抜けた先の直線までこの隊列操作を続けたかったところですが……やはりそう都合よくはいきませんか。

 渦巻く影のプレッシャーが臨界を突破します。

 

 領域具現――灰色の臨界点

 

 灰色の世界。渇きと飢えで満たされた世界。

 空も地面も、何もかも火山灰に覆われたように色を失くして。その中で黒い衣装を纏ったブライアンさんだけが鮮やかに色づいて。

 

「喰らいつくっ!」

 

 溢れ出す紫の炎が空間を埋め尽くす。劈く光が陰を打ち払う。けたたましいまでのエネルギーの奔流がこちらの頬を撫でる。

 一枚だけでも持て余しかねない巨大な“領域”を二枚、ここまで見事に重ねて使うとは。『怪物』、その言葉の意味をこのレース中だけで何度思い知らされるのでしょうか。

 

 よろしい。それでこそ。

 そもそもハイペースは前崩れと言われ、逃げ先行に不利とされています。ウマ娘がスパートをかけられる時間は生物学的な上限が決まっており、それはスタミナの総量とはまた別の括り。序盤のうちに脚を使いすぎると、後半スパートをかけるべき場面で垂れてしまう。ゆえに脚を温存できる後方脚質のウマ娘が最後の直線で差し切る展開になることが多い。

 ……本来はそのはずなのです。ええ、何故スタミナにものを言わせた超ロングスパートなどという無茶がまかり通っているのか理解しかねます。まったくもってゴールドシップですわ。

 

 では意図的にハイペースを作り上げておきながら、いかにして先行脚質のわたくしが後方の方々に差し切られることなくゴール板を駆け抜けるのか。

 答えは単純明快。気合です。理路整然を並べ立てた先に待つのは結局のところ精神論。

 

「ぐぅ……うぐ……」

「このっ……こんな……」

 

 直線に至る前に力尽き、垂れていく逃げ脚質の方々をかわします。

 全身に異様なほど浮かんだ汗。スタミナが底をつき、それでもなお根性で走り抜けようとして、身体は応えなかった。それが才能。生まれ持ったものの差。

 眦から横に流れる雫は汗か涙か。その正体を探る間もなく終盤の速度は彼女たちをまとめて後方に押し流していきます。

 わたくしが仕掛けた消耗戦で先団はもちろん、中団までしっかりその影響下に引きずり込みました。ブライアンさんでさえその肌に過剰に浮いた汗がその証拠。

 策謀がもっとも効果を発揮するのは、相手が術中に嵌められたことを自覚した瞬間です。『してやられた』という衝撃、反射的に心中に湧く敗北感が肉体の疲労を何倍にも押し上げる。

 

 つまりここからです。わたくしの作戦が最も効果を発揮するのは。最後の直線で切れ味の鈍った末脚に疑問を抱き、GⅠの舞台に相応しい聡明な頭脳がこの終盤の局面でも冷静に状況を分析し、衝撃と共に己の状態を自覚する。

 その状態からでも錆の浮いた刃で強引に叩き切るのか。それでもわたくしが逃げ切るのか。一度追い抜かれたら差し返すのは厳しいでしょう。現状、末脚の切れ味で見劣りするのは自覚するところです。

 ですがスタミナと根性では現時点でも、これから先も誰にも譲りません。

 いざ尋常に、勝負!

 

 領域具現――貴顕の使命を果たすべく

 

 内に秘めた情景がこの肉体から溢れ出て、世界を塗りつぶします。

 さざめく湖畔。刈り取られ、きれいに整えられた草木。小さくまとまった調度品。鼻腔をくすぐる紅茶の芳香。きらめくような茶菓子たち。そこは完成されたティーパーティー。

 見る者が見ればそこにある品々がすべて一流の職人の手によるものであることは瞭然。富だけでは成り立たず、人だけでは成立せず、素材だけでは到達しえない気品と風格に満ちた光景。

 これこそがメジロ。優れた資性と秀でた研鑽の集合体。わたくしが受け継ぎ、そして次世代へ繋いでいくべきもの。

 

 優雅に紅茶を一服しながら勝利し、我が使命たる天皇賞の盾をこの手に。それこそがわたくしの理想。

 まあ理想は理想。実際にこれより行われるのはスタミナをすり潰す泥仕合。すり鉢の中にお互いを投げ入れ、どちらが先に砕けるか競うような我慢比べです。

 泥臭い消耗戦だからこそ、そこに幸運の事故は起こりえない。勝つべくして勝つ。これこそが現メジロの最先端にして品格ある戦いであると、わたくしはあえて胸を張りましょう。

 そう覚悟を決めれば滾々と内より新たなスタミナが湧いてくるようです。

 

『勝負は最後の直線に持ち込まれた! 真っ先に抜け出したのは四番メジロマックイーン。ペースが落ちない。このまま押し切れるか!? 後続とはまだ一バ身以上の差があるぞ!』

『十七番ナリタブライアンここで動いた。一番ウオッカ内をついて上がっていく。十三番アグネスデジタル外から抜け出すか? 十四番テンプレオリシュはまだ控えたまま……』

 

 いよいよ最終直線。敵はブライアンさんのみにあらず。後続から次々と重圧が爆発します。

 間欠泉のように噴き出したそれらは肉体を貫いて熱を叩きつけ、魂に直接その意志を伝えるのです。

 

「ここからだ! フルスロットルで差し切るぜぇ!!」

 

 ウオッカさん。

 入学当初から彼女がカッコいいと思う言動を貫き、時として実力の伴わぬその態度は可愛らしい、微笑ましいと上級生の方々から笑われておりました。

 それでも彼女は自らの行動を省みることはなかった。自身の理想に妥協しなかった。面と向かって伝える機会にこそ恵まれませんでしたが、その姿勢は本当に尊敬しております。

 いまや彼女は歴戦の中で心身を磨き、マイルGⅠを戴冠した女王の一人。その言葉には実績が伴っている。それでもなお現状に甘んじることなく、さらなる大言壮語で己を追い込むことをやめない。

 左回り、最終直線の長い東京レース場はウオッカさんの最も得意とする戦場。その鋭い差し足を存分に揮ってくることでしょう。

 

「今度は譲りませんっ!!」

 

 アグネスデジタルさん。

 あのリシュさんの同期にして、同じ桐生院トレーナーの担当ウマ娘。

 その一文だけで彼女がどれほどの傑物なのか理解できる者には理解できます。今なおこうして潰れることなく、あまつさえ同じGⅠの舞台を走っておられるのですから。

 学年はわたくしの一つ上。彼女はダートレースを走ることも多く、実のところその人柄に直接触れる機会は今日このときに至るまで恵まれなかったのですが……。

 まっこと、人の噂とは当てにならないものですわね。彼女がウマ娘オタクの変態などと。

 わたくしは、ウマ娘の走りにはその人となりが表れるものだと思っております。

 

 領域具現――尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!

 

 バ群を鮮やかに切り裂いて抜け出し、彼女を中心に煌めく世界が広がる。

 伝わってくる。彼女がレースを走るウマ娘に抱くひたむきな愛が。あるいはそれはラモーヌさんがレースへ抱くものと比較してなお、勝るとも劣らない熱量かもしれません。

 この艶が、この煌めきが、物見遊山でどうして出せましょう。ウマ娘がレースを走る、ただそれだけが彼女にとっては何より尊いものなのです。そんな尊いものに恥じぬよう、どこまでも真摯に研鑽を重ねてきたのです。

 レースに生きる者へ臆面もなくこの愛情を伝えてくれる。そのことがどれほど我々の心を救ってくれるか。名門ウマ娘にとって涙が出るほど嬉しいことか。重責を知らぬ者にはわかりますまい。

 

「はぁああああああああ!!」

 

 気迫の咆哮。それは間違いなく彼女自身が放つ眩い輝き。

 才能に溢れ、それに胡坐をかくことなく努力を積み重ねた。たとえその成果が“銀の魔王”に打ち砕かれようとも、腐ることなく。倦まず弛まず次なる努力に着手した。

 そうでなければこれだけの走りには至りません。ましてやデジタルさんは芝とダートどちらのレースにも出走なさっているのですから、それだけで常人の倍の努力が確定しているようなものですのに。

 変態だのなんだのとの流言飛語を真に受け、警戒して距離を取っていた自分が恥ずかしいです。この方の才能や実力以上に、その高潔な精神こそが“勇者”と呼ぶに相応しいものでしょう。この時代の“魔王”が()()ですのになお“勇者”と称されているのは伊達ではありませんわ。

 

「ぜりゃああああああああ!」

「やあぁああああああああ!」

 

 不思議な感覚です。集中しているのに意識がどこまでも拡散していく。表層ではスパートに入ってもうゴール板しか目に入っていないはずなのに、奥の方で視界の外側のことも手に取るようにわかる。

 

「クハッ! ハァアアアアアア!!」

 

 背後でお二人の末脚が先行していたブライアンさんに並び、並ばれた彼女が歯を剥き出して笑ったのが鮮明に見えた気がしました。

 三方一歩も譲らず。始まる火花を散らす壮絶な叩き合い。先頭との距離が容赦なく縮まっていきます。

 

「スプリンターズSであの人と競って、わかった」

 

 ぽたり、と空から落ちてきた水滴がしみを作る。

 喩えるのならそのような、熱しきった空気の中に一滴入り込んできた温度のない言葉。

 各々の気合と信念で燃え上がった魂のぶつけ合い。スタンドを揺らす絶叫じみた大歓声。最終直線に渦巻くありとあらゆる感情の色、そこに染まらぬ無色透明。

 きっと震えたのは鼓膜ではない。強いて言うなら、肌を通じて本能で感じました。

 

『一番ウオッカ、十三番アグネスデジタル、十七番ナリタブライアン、熾烈なデッドヒート。四番メジロマックイーン苦しいけど粘っている。勝負はこの四人に――いや』

『テンプレオリシュがここで動いた! この距離を、この相手を、まとめて差し切れるのか!?』

 

 こじ開けるのではなく、すり抜ける。

 巌の隙間を通る清水のように、あまりに力みのない自然な動き。

 追い込みというのは本来、展開に左右されがちな不安定な戦法です。ましてや周囲に徹底的にマークされる一番人気ではブロックされるリスクが跳ねあがります。

 しかし、この動きが可能なのであれば。

 必勝を期して己の末脚の速度に命運を託すことも叶いましょう。そう納得させられる動きでした。

 

「私は思っていたよりも速いらしい」

 

 領域具現――Hróðvitnir

 

 ばくりと最終直線がひと呑みに。

 従来確認されていたレース場全体を無作為に範囲に入れる大規模な展開ではない。これは狙って、絞った。自らの縄張り(テリトリー)を明確にすることで消費を抑えた。そして、それはこちらへの悪影響が軽減されたわけではないのです。

 

 領域具現――黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 シームレスに漆黒の斬撃が飛んでくる。

 肉よりも深いところまで冷たさが抜けていきました。熱いお茶の中に落とした氷のようにみるみるうちに溶け小さくなっていく己が世界を自覚します。

 

「ぐぅ……っ!」

 

 とっさに竦みそうになる身をさらに横殴りの衝撃が襲う。新たに展開されたその“領域”は大型バイクのエンジンのような爆音とともに。

 

「へっ! 来ると思っていたぜリシュ。だがな、府中最強は俺なんだよ!!」

 

 領域具現――カッティング×DRIVE!

 

 ウオッカさんから放たれた鮮烈な意志のカタマリ。ポスターカラーで塗り分けられたような色とりどりの影を次から次へと躱し、鳥肌が立つような切れ味でゴールまで加速していく情景。

 今ただ一つの頂点を競い走る間柄でなければ見惚れていたかもしれません。

 この大歓声と喉が張り裂けんばかりの応援ですらかき消せぬ、バ蹄の轟きと生々しい息遣いがいよいよ真後ろまで迫ってきました。

 

「くぅ……!」

 

 負けたくない。どろりと粘度を増した一秒の中、ついに恐怖がよぎります。

 疲労と酸欠で白くかすむ思考はもはや取り繕う余裕もなく。

 

 負けたくない。置いて行かれたくない。取り残されるわけにはいかない。

 怖いもの知らずのその瞳。夢に向かってひたむきに走る彼女に憧れた。雲を踏み台にジャンプし、虹の架け橋を曳いて青空を跳ぶその姿と並んでみたくなった。

 

「あぁ……!」

 

 メジロマックイーンはトウカイテイオーのライバルになるのだと、自分で勝手に決めた。

 自分しか知らないその誓いに、どうしても嘘を吐きたくなかった。

 

 だからここまで来たのです。ここにいるのはそれだけの理由なのです。

 己のルーツを思い出し、不思議とすっと心が凪ぎました。覚悟が決まるとはこのような状態を指すのでしょうか。

 わたくしはメジロマックイーン。メジロとして、そして一人のウマ娘として。勝つためにこの舞台へ上がりました。皆様が地の果てまで駆け抜けるような優駿であったとしても。

 ならばこちらは天まで昇ってみせましょう。

 

「はぁああああ……ッ!」

 

 夏合宿前のテイオーがやってみせたのです。どうして夏合宿を経て一回りも二回りも成長した今のわたくしにできない道理がございましょうか!

 

 領域具現――最強の名を懸けて

 

 分厚い雲に包まれて奈落の底に落ちていく中、握りしめるは炎の羽。

 それは憧れのかけら。

 青みがかった白い翼をこの背に生やして、彼女と同じように空の彼方へと手を伸ばす。今こそ飛翔の時。この瞬間に飛ばずしていつ飛ぶというのです。

 

「昇ってみせます! 遥か、果てなき未来へっ!」

 

 

 

 

 

 ときに、当事者たちにすら誤解されがちなのですが。

 “領域”とは戦局を大きく変えうる強力な手札ですが、同時にレースを構成する要素の一つに過ぎません。

 

「言ったはずです。今度は譲りません……!」

 

「負けねえ、ぜってぇ負けねえ! ここで負けたらダサすぎんだろ、だから俺は東京レース場じゃあ二度と負けらんねえ!!」

 

 『鬼に金棒』の脅威は金棒を自在に振り回す鬼の剛力あってのもの。脈絡もなく猫を獅子に変えるような不可思議で便利な異能ではないのです。

 何度思い返しても万全の手ごたえでした。リシュさんの“領域”は依然として存在していたためにこちらが開いた瞬間斬り取られる喪失感こそありましたが、それを補って有り余るほどの熱が胸中より溢れてきました。

 第二の“領域”の具現化に成功し、初めて乗り越えた高みの全能感が確かにありました。

 

「ハハッ! いいぞ。もっとだ、もっとよこせ!!」

 

 その上でなお並ばれる。交わされる。引き離される。

 単純にして明快な地力の差。

 

「十七センチ。許容範囲」

 

 のびやかな大きなストライドで飛ぶように鼻先をすり抜けていった銀の輝き。

 その背中に、今年クラシック三冠という夢を果たした小さな帝王の後姿を。脚から尾を引く虹の架け橋と、羽ばたく炎の翼を幻視いたしました。

 それは“領域”に依るものではない。では何なのでしょう? 『魂の因子を継承した』とでも、形容すべきもの……?

 ああ、彼女の戦いはとっくの昔に咀嚼され銀の魔王の血肉と化していたのですか。

 そうですか。あの涙は地に打ち捨てられていたのではなく、しっかり飲み干され、糧となっていたのですね。

 よかった……。

 

 

 

 

 

『一塊となってゴールイン! 体勢的に十四番テンプレオリシュが有利か?』

『掲示板では五着の四番メジロマックイーンが現在確定しております。同時に一着から四着までには写真の文字。着順が確定するにはもうしばらくかかりそうです……』

 

「はぁ、はぁ……かはっ……」

 

 ゴール板を駆け抜けたと認識してから一拍置いて、限界を超えた反動が来ました。眩暈、吐き気、平衡感覚が油膜で覆われたようにぐらぐら世界が揺らぎます。

 灰色に染まる視界の中、崩れそうになる身体を膝に手をついて支える。重バ場や不良バ場を走ることによって付いた泥であれば戦化粧、のちのち染みとなったところで誉れというもの。

 しかし敗北が確定した後に崩れ落ち、土にまみれるなど許されません。わたくしの勝負服に用いられている緑はメジロ家のシンボルカラーなのですから。わたくしの敗北だけで汚していい色ではないのです。

 

「はぁー……はぁー……ふぅー」

 

 慎重に呼吸を整え、重い脚を動かす。……今のところ自覚できる不具合はありませんわね。

 ただ、あくまで自覚症状が無いだけです。あとで主治医に診せるのは必須でしょう。興奮状態だと怪我に気づかないのはままあることですが、ウマ娘は特にその傾向が強い。

 レース中に骨折していたのにも拘わらず無自覚のままウイニングライブまでしっかりこなしてしまったなどという逸話も稀に聞きます。

 

『確定いたしました! 一着は十四番テンプレオリシュ。二着に十三番アグネスデジタル、三着に十七番ナリタブライアン、四着が一番ウオッカです』

『銀の魔王、秋三冠の一角を堂々制覇! 凄まじい豪脚で並みいる強豪を一閃のもとに斬り捨て中距離最強を証明したぁ! かくして現代の不敗神話は次へと続いていくのかあ!?』

 

 しばしのち、この秋の盾もリシュさんが制したことが伝えられました。

 やはり、そうなりましたか。写真判定の対象となっていた方々もそのこと自体に驚きはないようです。それはそれとして、己の順位に思うところが無いわけでもなさそうですが。

 

「だぁー! 四着って……マジかよ……」

「……ウオッカさんは、ちゃんと備えてきていたのでしょう……ぜぇ……カッコつけるのが大好きですが、そのための努力は丹念に。そういう推せるウマ娘ちゃんですから……ぜひゅ……」

 

 肩で息をしながらウオッカさんが頭を抱え、そんな彼女以上に息絶え絶えの状態ながら、デジタルさんがそのお言葉に反応されておられました。

 

「あん?」

「ゴルシTさんだってどんな状況も想定してトレーニングをさせてきたはず、ですが……あたしはレースが始まるずっと前から、こうなると思っていました……ぜぇ……マックイーンさんにスタミナをすり減らされ、その上で壮絶な叩き合いになると、わかって、その限定されたシチュエーションだけに覚悟を決めて……その覚悟の差が、この数センチを生んだのだと……ごほっ、げほっ、ぐはぁ……!?」

 

「ちょ、無理してしゃべんなよ!? 聞き返してしゃべらせた俺が言うのもなんだけどよぉ……」

 

 正義のヒーローにとどめをさされた悪役ってあんな感じの断末魔を上げますわよね。

 精魂尽き果て崩れ落ちそうになるデジタルさんと、そんな彼女を支えようとよたよた近寄るもそんな自分も余裕はまったくないウオッカさん。

 そんな彼女たちを傍目に、徐々に酸素が巡り色彩を取り戻してきたわたくしの頭脳が今回のレースを反芻し始めます。

 

 ――まず、第一に挙げられる敗因といえば。

 今回のリシュさんは追い込みで走っていたので、わたくしの消耗戦が通用していなかった。

 多少なりとも鈍っていた他の面々に比べ、最後まで温存できた末脚の鋭さは曇り一つ付いていなかった。

 リシュさんとて“領域”を使っていましたが。決定打になったのはそちらではなく、こちらの方でしょう。わたくしの作戦を事前に見透かしたうえで、さらにその上をいかれた。

 それだけの話で、つまりは順当な結果なのです。

 順当な実力差の話だけに、どうすればこの状況を覆すことができていたのかは、今はまだ思いつきませんが。

 最後の展開まで彼女の掌の上だった。“銀の魔王”はその立場に驕ることなく、十七分の一に過ぎないクラシック級のウマ娘の、その実力と想定される戦術までしっかり把握したうえでこの場に臨んでいた。

 相手の出方を把握してしまえばいくらでも後出しじゃんけんで有利な手を打てる万能型の強み。

 そして状況を整えてしまえば、消耗戦に引きずり込まれ鈍った末脚であればこの面々を相手に最後の直線で差し切れると見込んだ、己の速度に対する圧倒的な自負。

 スプリンターズSでサクラバクシンオーを下したがゆえのもの、でしょうか。

 

「………………」

 

 無言で芝の上の佇む勝者の姿は通り雨に降られたようにしとどに濡れ、それでもなお一切の陰りなく美しい。

 見えているのか、いないのか。左右で色の異なる瞳は茫洋と焦点を結ばず、ただ方向だけはスタンドの上を彷徨っておりました。

 

 リシュさんは伝え聞く限り最低でも四種類の“領域”を有していますが(具体的な数値に表すとあらためて現実味のない数値です。GⅠ級のウマ娘でもなかなか到達しえないものですのに)、今回はそのうち二種類しか使用いたしませんでした。

 しかし逆にそれが彼女の凄みに繋がります。間違いなくこれがこのレースにおけるリシュさんの全力。激しく消耗する“領域”を最小限に抑え、かつてはあれほど死守し続けた一バ身差の安全マージンさえ捨て、その上でとにもかくにも一勝せんと形振り構わず死力を尽くす十七人を相手取った。

 彼女は本気で秋シニア三冠の完全制覇を目指している。先のことに気を取られ目の前に全力を尽くせないというのはマイナスイメージと共に語られることが多いですが、秋シニア三冠はレース間隔の短さがその難易度を跳ね上げています。

 目の前の課題を完璧に対処せねば先はありませんが、目の前のことだけに全力を尽くしても待っているのは破滅。その矛盾する難題にひとまず最適解を導き出したのですから。

 負ければとんだ慢心でした。

 ゆえに、勝ったからそれは強者に許された先を見据えた貫禄なのです。

 

 相手がどれほど強大であれ敗北は苦く、そして痛みを伴います。言葉を飾らなければぶっちゃけはらわた煮えくりかえっておりますとも。

 でも、そのことに安堵もしているのです。

 よかった。わたくしはちゃんと悔しいと感じている。この決着を当然のものと諦観していない。わたくしはちゃんとこのレースに勝ちに来ていたのだと、勝つための準備をして研鑽を重ね、それが成果に繋がらなかったことに理不尽な怒りを抱いているのだと。

 

 ちゃんと負けることができた。

 おばあさまに天皇賞(秋)への出走をお認めいただいた時と同様、いつか落としていたものをようやく拾えた心地。

 おばあさまに拾っていただいたのが、大切な人に信じてもらえなかったと感情のままに泣きじゃくる幼き日のわたくしの心であったとすれば。

 今こうして拾い上げることができたのは、勝負の舞台に上がることすらできなかったと嘆くウマ娘のプライドでしょうか。

 

 リシュさんにつられる様にふと観客席へ流した視線はいまだ万全とは言い難く、疲労と酸欠でゆらゆらと不鮮明な状態。それでも不思議とテイオーの姿を見つけることは容易でした。

 マヤノさんの隣で、似合いもしない真面目な表情を面持ちに浮かべて。しかし何故かその顔が相応しいと思えるのは彼女が内に秘めた風格の成せるわざでしょうか。

 テイオー、あなたのおかげです。

 あのとき、あなたの言葉が無ければわたくしは今ここにいないでしょう。……面と向かって『ありがとう』と伝えるには、ライバルという関係性は少しばかり難しいものですけれども。

 

 この敗北をわたくし一人の単なる負けには致しません。

 歴史に必ず名を刻む“銀の魔王”との邂逅、決して無駄にはしませんわ。メジロ家が彼女を知った決定的な一戦として、メジロの歴史に組み込んで御覧に入れましょう。

 それがこの瞬間、直にテンプレオリシュと接する機会を得たわたくしのメジロとしての責務と心得ますれば。

 

 彼女はあまりにも異質過ぎる。まさに空前絶後。

 あれを人の手で再現など、できようはずもない。

 だから絶対にこの機を逃がしてはならないのです。

 

 

 

 

 

「わかっちゃった」

 

 




これにて今回の連続更新は一区切り!
章の途中ではありますが、例によって例のごとくおまけを一週間以内に投稿予定です
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