「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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敗北の価値 後編
一戦去って、また一戦


 

 

U U U

 

 

「アタシ、有記念に出ることになったから。それまで負けんなよ」

 

 寮の自室で爪を磨いていたココンが急にそう言った。

 こちらに視線を向けることなく。相変わらず失礼なやつだ。

 

「出れるの? 有記念だよ?」

「舐めんな。抽選にならない程度にはこっちも勝ってるっつの」

 

「へー」

「……マジでぶっ潰すからな。おぼえてろ」

 

《あらやだ物騒》

 

 たしかに収得賞金が足りているのか、って意味合いが皆無だったと言えばウソになるが。そんなあからさまに喧嘩を売るようなことを言いたかったわけではなくて。

 今年の年末はいろいろとイベントが立て込んでいる。特にココンにとって重要なのが有記念の後。アオハル杯の決勝戦がついに開催されるのだ。

 

《ぼくらを出走させたい都合上、ある程度の猶予は設けられるとは思うけどね》

 

 〈ファースト〉はチームメンバー全員が己の仕事を全うすることでその真価を発揮するチーム。長距離部門のエースたるココンがアオハル杯決勝から欠場すれば、チーム全体の勝率が大きく低下する。

 誰をどの距離のエースに据えてもだいたい勝ち星を拾ってくるような、どこぞの実力派色物チームとは違うのだ。

 

《多くのウマ娘が限界を超えてまで勝ち取りたいGⅠで、グランプリレース。そんなところを走らせて、それからさして時間を置かずに非公式レースのアオハル杯決勝。

 順番が逆とはいえ、どこかで聞いたような流れだよなあ。トラウマが刺激されるには十分に思えるよね》

 

 だから、あの樫本代理が担当ウマ娘にそんなタイトなローテを許すのか。そんな疑問の方が強かったのだけれど。

 こうして耳を絞っているココンを見るに、ちゃんと樫本代理と話し合って決めた結果なのだろう。

 よそのチームの内部事情だ。知らない間に何かが進んで、何かが変わっている。

 しごく当然の話である。今となっては不幸になってしまえと呪う相手でもないので、その変化が彼女とその周囲に幸をもたらすものであるのならよかったねと思うだけだ。

 うん、思うだけ。口には出さない。めんどうだもの。代わりに口に出すのは別のこと。

 

「っていうか、さ。たしかビターグラッセの秋シニア三冠、そっちも認めてもらったってこの前本人の口から聞いた気がするのだけれど。次のジャパンカップも私が勝っちゃっていいの?」

「アイツがアオハル杯以外のところで勝とうが負けようが、アタシの関与することじゃない。樫本トレーナーの育成手腕への評価って意味じゃ勝つに越したことはないけど、無様な負け方しなきゃ最低限それでいいよ」

 

 そもそもアタシら、なかよしってわけじゃないから。

 なんて、一般的な感性からすれば冷淡に聞こえるんだろう。ただ私は、そう吐き捨てる彼女が先日ビターグラッセを含む〈ファースト〉の数名と共に、お世話になっている人へのプレゼントを買いに行っていたことを知っている。

 年末年始はレースに限らずイベントが目白押し。理事長代理とトレーナーの二足の草鞋を履いている人間にとっては比喩抜きで殺人的忙しさ。そんなわけで、普段から濃い目の疲労の色が最近ますますひどいことになっていたので。

 チームで相談の末、疲労軽減効果のあるアロマオイルをチョイスしたと言っていた。そこにシンプルなデザインのアロマストーンとセットで贈るよう助言したのはテンちゃんである。

 

《家に帰った瞬間玄関で崩れ落ちてそのまま翌朝まで寝てしまいそうなくらい疲れている人間に、アロマを焚くって行動自体がなかなかハードル高いだろうからなー。準備と片づけにかかるコストが既にキャパオーバーしていそう。

 その点、アロマストーンはポットと違って電気も火気も必要ないから事故の心配が無いし、シンプルなデザインならこっちもうっかりひっかけたとか踏んだとか落としたとかのリスクを軽減できる》

 

 テンちゃんって樫本代理のことを心のどこかでよぼよぼのおばあちゃんか何かだと思ってない?

 

《要介護って意味じゃ似たようなもんだろ》

 

 まあひどい。

 

 樫本代理が担当の気持ちを蔑ろにする人だとは思っていない。死蔵されることはないとある種の確信、あの人がウマ娘に向ける切実さへの信頼と言い換えてもいいものはあるけれど。

 贈り物が本当にその人の役に立つのかは、事前にどれだけ検討を重ねようと実際に贈ってみないとわからないものだ。真心が正しく報われることを祈るのみである。これに関してはこれ以上、私からは特にできることがなさそう。

 いっそ家政婦とセットでプレゼントした方がお互いのためになりそうな気もするくらい。人間嫌いのココンですらこれほど懐いているお人なのだから、〈ファースト〉から適当な面々を見繕えば希望者だけでローテだって組めるのではなかろうか。

 

《んー、それはどうだろう。理子ちゃんはあくまで生徒のことを生徒として可愛がっているから、プライベートに踏み込ませない一線があると思うんだよねえ。

 理子ちゃんの性格的にウマ娘に見られたらまずいような重要資料をその辺に放置なんてしていないだろうけど、それでもね》

 

 これでいて、ココンは別に気恥ずかしくてツンデレっているわけではない。

 本当に本気で自分たちは慣れ合っていないと思っている。アンタたちみたいな仲良しチームとは違うんだなんて、ときおり実際に口に出したりもする。

 必要なことだからやっているのだ。

 嫌々、というほどではないけど。嬉々として、と言ってしまえば噓になる。そのくらいの熱意とモチベーションで。

 だからこそ真面目で手を抜かない。それは強くなるためにやっている努力の一環だから。

 拗らせている、と思う。普通に、当たり前にできる人は何故それだけ意識のリソースをつぎ込んで大事のように取り組むのか理解できないだろう。

 ただ、私にとっては共感しやすい価値観かな。それでこそ、そんなんだからココンなんだよと納得できる。

 

「そのネイル、ウマッターの更新? いいじゃん、かわいーじゃん」

「……ん、そろそろ更新しとかないとだし」

 

 テンちゃんだと判断するのに一拍かかったなコヤツめ。こんな堂々と話題を飛ばすのはテンちゃんだよ。私だと意識せずにやらかすことこそあるが、そういうときは拙さゆえのぎこちなさが伴うものだ。

 自分の言いたいことを脈絡なくぶっこむときのテンちゃんは独特な輝きがあるよね。半身の欲目かもしれないけど。

 意外といっては何だが、ココンはファッションセンスがあるらしい。

 ウマッターを始めとしたSNSの更新は私たち中央所属のウマ娘にとって、広報活動を兼ねた半ば義務のようなものではあるが、ココンの紹介するネイルやら服やらはしっかりファンの反響があるらしい。

 

「相変わらず顔は映さないんだ?」

「不特定多数に素顔をさらすとか正気の沙汰じゃないでしょ」

 

「とがってんねー。一般人ならともかく、ぼくらクラスになると今更マスメディアに流れる表情データが一枚二枚増えたところで誤差の範疇のような気もするけどねぇ」

「そうやって、むやみやたらと素材を提供してるから、一部のバカどもにオモチャにされてるんだろうが。時々タイムラインで流れてくるんだけど? 有名税とかふざけんなって感じ。殴りつける方が免罪符として振りかざしていいもんじゃないでしょ」

 

「あれれ、ぼくのために怒ってくれてるの?」

「……フン」

 

「きゃーココンちゃんぼくも愛してるぜー」

「やめろほんとうにうざい」

 

 対人センスはともかくとして。なんでこのファッションセンスがあって、一時期はあんなにお天気デッキを使い倒していたんだろう。私も彼女も天候によって大きく成果が変化するような走り方ではないのに。

 

《そりゃあ、逆にこっちがファッションに疎いことは当時すでにバレていただろうからな。自分だけがわかることを一方的にまくし立てても会話のキャッチボールにはなるまいよ》

 

 なるほど納得。たしかにファッション関連で話を振られても私の方が応えられなかったか。

 

「…………スプリンターズSに、秋天とこれまで維持してきた『一バ身差の決着』が崩れる展開が続いている」

 

 ふと、ココンの表情が真面目になった。声のトーンも少しばかり下がっている。

 

「どっか悪いんじゃないだろうね。勘弁してよ? 実は故障していました、とかさ。それじゃ、せっかくレースに勝っても見ているやつらは無責任に『ああ、怪我していたから負けたのか』なんて納得しやがるじゃない。意味ないんだよ。ちゃんと勝ってうちのトレーナーはすごいんだって理解してもらわないと」

「だいじょーぶだよ」

 

 つらつらと続きそうだった憎まれ口をさっくりテンちゃんが遮った。

 

「一バ身差が崩れているのは、それだけ激戦だったからだ。安全マージンを確保している余裕なんてなかった。でもその分、リシュがきっちりがんばってくれたからね」

 

 うむ、わたしがんばった。

 表情筋の制御を担当してどや顔を披露してやる。ココンは「あっそ」と、至極どうでもよさそうに引き下がった。

 十七センチ。

 削って、削って、ようやく守り通した間隔。比喩抜きで一歩どころか半歩でも狂えば着順がひっくり返る。そこまで自分を追い込むしかなかったのだ。

 なにせテンちゃんの精神的揺らぎはいまだに健在。追い込みで走ったのはそういう兼ね合いもある。後方からプレッシャーをかけられたりバ群に揉まれたりすれば、そのまま崩れかねないリスクが無視できなかったから。

 というか、たぶん昨年のスプリンターズS以降の私同様に、これが正常な状態なんだと思う。直るものではないし、治すものでもない。私が望んでいた『ぶち生き返す』への第一歩だ。

 

 現状はまだ私がフォローできている。レースで勝ち続ける気があるのなら、ここからどうにか着地点を見つける必要はあるとは思うけどね。

 私、努力してそれでも最後までどうにもならなかった経験ってあまりないので。どうにかできるんじゃないかと、あえて楽観視している。

 ネガティブに考えたところでそれを『深刻に捉えている』と言うのは何か違うと思う。だから真剣に、命を懸けて、具体案も無くどうにかなると思うことにしている。

 

 

 

 

 

 はたして天皇賞(秋)とは私にとって、いったいどんなレースだったのか。

 秋シニア三冠の初戦? “最初の三年間”の公式レースできっとウオッカと同じレースを走る最後の機会? 復活のブライアン先輩との激突? 勝てば天皇賞春秋連覇?

 どれも間違いではないが、こうして終わった後に振り返ってみると一つ思うことがある。

 

 私ってやっぱり、ウマ娘の歴史と何処とも繋がっていないんだなって。

 

 いや、ちょっと誤解を招く言葉かな。

 この国で走ってきたいくつもの蹄跡の上に今のレース業界があって、その恩恵を受けている身としては少々不用意な発言だったかもしれない。

 今の私の功績は私のみで築き上げたものであるなどと、思春期の視野狭窄を最大限発揮したような主張をしたいわけではなくて。

 

 メジロマックイーンというウマ娘がいた。

 学年で言えば同級生のマックイーンさんであり、トゥインクル・シリーズという括りで見れば一年後輩のクラシック級。

 彼女を見て、歴史を積み重ねてきた名門としての力を肌で実感すると、こうね。アレは私には無いものだなって。

 

《桐生院を介して名門トレーナーの恩恵は今日に至るまでたっぷりといただいているんだけどね。やっぱり、ウマ娘の名門とトレーナーの名門は同じレースに携わる歴史ある家系でもその性質は似て非なるものなんだなって》

 

 強かった。本当に。

 己が歴史を背負って立つ者であるという強靭な自負。根底から垣間見えるは貴種が脈々と重ねてきた獰猛な血の因果。

 クラシック級であの()()なら、シニア級で経験を重ねれば将来的な完成度はどれほどのものになるのやら。

 先団からスタミナですり潰すようなあの走り方が真価を発揮するのは長距離だろうし、デビューの時期が違えばまるで違う姿を見せてくれたのではなかろうか。

 

 つまり秋天は私にとって、名門の歴史が積み重ねた重さ、その重さゆえの強さを再認識するレースになったわけだ。

 負けないけどね。勝ったけどね。

 マックイーンさんと同期となるテイオーが、これからも著名なタイトルを彼女と競うことになるのだと思うと少しばかり同情を禁じ得ない。それとも中央でスタンダードなウマ娘的価値観からすれば嬉しいことだったりするのだろうか。

 

 ただ、私たちにとって彼女が秋天のペースを握ったことは幸運だった。

 消去法で選ばざるを得なかった追い込みが、勝負を決める一手に化けた。

 こういうところ、本当に運という要素は重要だと思う。こいつを味方につけるか敵に回すかで局面は大きく変わる。

 ブライアン先輩、ウオッカ、そしてデジタル。この面々を前にただの直線一気で撫で斬りにするのは至難の業だったことだろう。ちょっと万全の状態では末脚勝負に持ち込みたくない相手ばかりである。

 メジロマックイーンが削ってくれたから、勝負に持ち込めた。今年のスプリンターズSで勝ち取った最速を、この局面で活かそうと決意することができた。

 

《へへっ、ご迷惑をおかけしますね》

 

 迷惑だなんて、思ったこと一度もないよ。

 身長が伸びて体重も増えると、狭い隙間が通れなくなる。脆弱な足場を踏み抜いてしまうようになる。

 それと同じだ。成長と共にこれまでできていたことができなくなるなんて珍しい話じゃないし、できないことが増えたからといってそれが成長じゃなくなることもない。

 これは成長だ。厭うことなんて全くない。

 

 

U U U

 

 

 十一月前半、本日もまた快晴なり。

 京都レース場開催、エリザベス女王杯。

 わざわざ府中から足を運んだ甲斐あって、この日私は伝説が人の手で織り成されるのを目撃した。

 

『残り二百メートル。ダイワスカーレット逃げる、逃げる。外からウオッカ、強烈な末脚。このまま差し切るか? だがダイワスカーレット脚色は衰えない。かわ、さない、粘る。先頭を譲らないままゴールッ!? 復活! ダイワスカーレット完全復活!! 紅の女王が淀の舞台に帰還したぁ!』

『復帰戦でまさかのスタートからハナを奪ってゴールまで逃げ切る横綱相撲でした……。エリザベス女王杯連覇。歴史に残る偉業を成し遂げたのはダイワスカーレット。周囲の懸念や不安もなんのその。強力なライバル相手に一歩も譲らず、怪我を克服し昨年よりさらに成長した姿を見せつけてきました』

 

《えぇ……》

 

 一番は誰にも譲らない。絶対に。

 子供じみた稚拙な衝動も、純度を極限まで高めれば無垢で高尚なものであるような気がしてくる。きっと気のせいだ。

 執念が滲み出して空間にこびりつくような走りだった。

 

 怪我をしたら弱くなる。常識だ。

 成長に使う分の栄養が怪我の回復に費やされる。練習できていた時間が治療とリハビリに圧迫される。単純に同期との間に発生するリソース配分の格差。精神的なダメージ。フォームの狂い。勝負勘の鈍化。マイナス要因は枚挙にいとまがない。

 

 じゃあ、あれはなんだ?

 

 ウオッカは昨年よりずっと強くなっている。昨年と同水準まで戻っただけでは(それだってリハビリという観点では手放しで絶賛されて然るべき快挙だが)、順当に負けるはずだ。

 でもスカーレットは勝った。レース中、一度として一番を譲ることなく。肉体的にも精神的にも強いウマ娘の勝ち方をした。

 彼女の担当はあのゴルシTだ。世界屈指の腕利きである彼が何かをどうにかして、肉体的に万全な状態まで回復させたというのはまあ、理屈は置いといて感情的には納得できなくもない。あの男はそういう世界の特異点とか外れ値とか、そういうタイプの無茶苦茶な存在だ。

 でもどうしてあんな走りができるんだ。ケガが怖くないのか。無知ゆえの無謀じゃない。実際に“最初の三年間”のうち一年近くの歳月が怪我により喪失の憂き目に遭っておいて、あそこまですべてを擲つような走りが再びできるというのか。

 

 普通じゃない。

 

 ああ、知っていたとも。そうじゃなきゃ私たちはここにいない。

 

 ウオッカが天を仰いでいる。

 流れ落ちる汗、揺れ続ける肩。大きく口を開けて呼吸したいところだろうに、ぎゅっと唇を噛み締めて。

 前髪に隠れて目元は見えない。どんな表情をしているのか、人間が判別するために重要な上半分が陰になって隠れている。

 ただ、噛み締めすぎて唇から血が流れ落ちるのが見えた。いや、そんな大量出血しているわけじゃなくてほんの一筋程度のものだし、私の視力あってのことだけども。

 

《ウオッカが“最初の三年間”でダイワスカーレットとレースを走るのはたぶんこれが最後だからなぁ……》

 

 先月の天皇賞(秋)とこのエリ女。短期間でGⅠを二連戦している。ウオッカも特別身体が頑強という体質でもないし、今年も残すところあと二か月しかないことを鑑みると、これ以上の脚の損耗は現実的ではないだろう。

 ウオッカはスカーレットのことをライバル視していたし、スカーレットもウオッカに対して単なる同期やルームメイト以上の何かを感じていた節がある。

 

「……そんな相手に公式戦で一度も先んずることができなかったの、か」

 

 どんな感情なのだろう。悔しいとかつらいとか、わかったようなことは心の中でさえ口にしたくない。

 カッコつけたがりで良くも悪くも普段は騒がしい彼女が、ただ寡黙にたたずんでいるその姿からは、言葉に当てはめることさえ憚られる彼女の感情が重く重く何重にも折り重なって渦巻いているように見えた。

 抱えきれないほど巨大で重苦しくて、でも捨てることもできなくて。潰れるとわかった上で潰されるその瞬間まで抱え続けるしかない。

 それは彼女だけのもので、どれほど苦く重苦しいシロモノでも区分するなら困ったことに宝物になる。代わりに背負ってやることなどできやしないし、仮にやろうとすればそれは窃盗に等しい暴挙となりうるだろう。

 

《それでも、レースに生きるウマ娘はそれを分け合うことがおおやけに許されている。そのためのトレーナーだからね》

 

 ウイナーズ・サークルに駆け寄る道すがら、ゴルシTがウオッカに声をかけていた。

 声をかけられる直前にウオッカは手の甲で口元を拭っていたから、そこにもう血の跡は無い。だからといってゴルシTに気づかれないとは思えないけど。

 それはそれとしてあんな拭い方したら傷口に汗が入って沁みるだろうに。

 

《気づかれたくないって気持ちと、隠したところでどうせバレるだろうという諦観は両立するからな。ダメ元で隠蔽しているというより、ただ隠さずにはいられないんだよ。ああいうのって》

 

 ふぅん。

 この距離ではさすがに何を言っているかは聞こえない。

 でもウオッカを中心に渦巻き彼女を押し潰さんとしていた重さが、ただそのわずかな邂逅だけで目減りしたように感じた。

 あの量ならウオッカは潰れない。きっと彼女は来年以降も走り続けることができるだろう。

 

 ……来年? ああそうか。もう来年のことを考え始めなければいけない時期か。なんなら計画性という意味では、十一月に始めるのでは出遅れ感すらある。

 でも、私たちの場合はまずこの年末を乗り切らないとね。死体に明日の計画表は必要無いのだから。

 同時にふと思った。必ずどちらかは負けなければならないレースに担当を送り込むトレーナーとはいったいどんな心情なのかと。

 以前から考えたことが無かったわけではないけど。負けた担当に声を掛けた上で、勝った担当のもとに歩み寄っていくゴルシTの姿を見ていると改めて強く考えさせられる。

 秋シニア三冠、どころか下半期のローテのすべてにおいて私は葵トレーナーの担当ウマ娘同士で共喰いを繰り広げることとなる。

 葵トレーナーは許可してくれたけど。それはそれとして彼女の痛みも苦しみも、私は私のもたらした被害の一つとして失念していてはいけないものなのだろう。

 

『アタシは今年も有記念に出走するわ』

 

 おや、珍しい。意識がスカーレットのインタビューの方に向く。

 普段の彼女はがっちり優等生の仮面をかぶっている。そのがっつり具合以上に激しい気性のせいで頻繁に仮面はズレちゃいるが、彼女のことを優美な優等生だと思っているライトなファンは一定数存在している。

 その彼女がマスコミの前で敬語も猫かぶりもなしの宣言だ。

 

『だからリシュ、アンタも来なさい。次こそアタシが一番になるんだから。いい? 死んでも絶対に来ること!』

 

 びしりと指を突き刺すようなしぐさで猛烈にアピールしてくる。変わっていないというか、変えられないというか。

 スカーレットにとっては『一番になる』というのは真っ先に満たされるべき最優先事項で、そこがいつまで経っても満たされないからずっとそこに拘り続けるしかないのだろう。

 私とて異論はない。死んだことがないので確約はしかねるが、善処しよう。

 無論、生きてそこにたどり着くつもりではあるが。

 

《せっかく京都に来たんだし帰りにお豆腐と漬物買っていこうぜぃ。専門店や土産物屋とかじゃなくてそこらのスーパーに特売で売ってるような純地元民向けの商品がやけに美味いんだよね!》

 

 こんな宣戦布告を受けたのにテンちゃんはマイペースだね。ま、そういう外に向けたアピールじゃない、地元の人間の生活に繋がるものこそ本当の地域色ってやつなんじゃない? 知らんけど。

 

『スカーレット、きみは完全に復活したと言っていい状態だ。つまり、昨年と同じことをしたら同じように壊れる現状と言い換えることもできる。だからといって、限界を厳密に見極めるように……などと言ったところできみたちは聞き入れないだろう?』

 

 インタビューの中にゴルシTの声が混ざる。

 

『だから今回は限界を超えても壊れないくらい、分厚く仕上げる方針でいく。鋭く研ぎ澄ます昨年とは逆にね。これから一か月と少し、昨年以上にしんどいトレーニングになるけど。覚悟はできているかい?』

『ええ、望むところです……!』

 

 どうもインタビューというより内容が作戦会議の域に半ば踏み入ってしまっているような感じがするけど。ここで言ってしまっていい内容なのか。

 いいのだろうな。聞かせているのだろう。

 

《何をやっているのかわからなければわからないで、わかるならわかるで、おおいに惑わせてくる。深い叡智と大局観、何より限られたチャンスをしっかりモノにする天運に富んだトレーナーを相手にするとはまこと厄介なものだねえ……》

 

 うわぁ、急に正気に戻るな。

 

 

 

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