「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
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U U U
「天才っていうのは区切る言葉だ」
いつだったか、テンちゃんと『天才』についてお話ししたことがあった。
どうしてそんな話題になったのか、前後のつながりはあんまりおぼえてない。でもその部分だけはとっても印象的で、よくおぼえていた。きっとずっと忘れないと思う。
「そもそも『天才』という言葉に詰め込まれた内容が多岐にわたりすぎるんだよなあ。どこぞのゲームでは一定以上賢さを確保した状態で特定のイベントを踏むと確定で【切れ者】が手に入るというかたちで天才を表現していたわけだが……」
けっこうマヤは一緒にゲームやる方だけど、テンちゃんが例として挙げたそのゲームは知らなかった。
ただ、なんらかの育成系ゲームを一回やったことあれば理解できる内容だったから、続きを聞くことに苦労はしなかったけど。
「スキル取得時に必要となるスキルポイントが減少する。同じ経験してもより多くのスキルを覚えるわけだね。それはたしかに天才だ。でもさ、じゃあ天才ってその一パターンだけなのかな?
スキルのヒントレベルが六以上になるのは? サポカが七枚以上編成できるのは? 最初から友情ゲージがフルMAXでスタートするのは? 体力ゲージが二百スタートなのは? 成長率が合計三十パーセント超えているのは? ステカンストの上限値が周囲の倍以上あるのは? 初期能力値が二倍とか、故障率が当社比マイナス五十パーセントなんてのも面白そうさね?」
ああ、なんと天才という言葉の広大なことか――なんて言ってテンちゃんは肩を揺らして笑う。おかしいわけじゃなくて、笑うために笑う。笑うしかないから笑う。
きっと適当に羅列した具体例に、それぞれ対応する誰かの顔が浮かんだんだろうね。
「これらの資質は、なんなら能力のカテゴリーさえ異なるが。そのいずれであっても、一つだけであっても、現実世界で持っているやつはやっぱり『天才』になるよね?」
テンちゃんは物事を身近なものに例えるのがすごく上手で、そういうところはちょっとうらやましいかも。マヤは自分の中にある感覚を誰かに伝えるのがまだまだへたっぴだから。
そんなのどこで拾ってきたの? って思うような知識も豊富だし、何よりお話ししていてとっても楽しい。きっと頭がいいっていうのはこういうことなんだろうなって思う。
テンちゃんとマヤが数学のテストで勝負したらマヤの方が勝つけど。むずかしい数学の証明問題ができたところで、日常生活の中ではあんまり役に立たないもん。
「ではそれらの共通項とはなにか? 天才を天才たらしめる要素とは? ぼくはそれを『他者より秀でている』ことだと思う。他人の平均あってこそ天才という外れ値なのさ」
単体では天才たりえない。比較があって初めて『天才』と『それ以外』が生じるのだと。
くるくると指で宙に円を描きながらテンちゃんは語る。
豊富な語彙とよく通る発声、ときどき出てくる効きすぎなくらいシニカルのスパイスをまぶしたセリフ。そういうのが特徴的だけど、こういう何気ないしぐさで相手の注意を引くのも有効なんだね。参考になるなー。
「ではでは、ここでクエスチョン。『他者より秀でている』と判明するのは、天才とそれ以外が分かれてしまうのは、いったいどのようなシチュエーションだと思うかね? はいマヤノさん」
一方的にしゃべるだけしゃべって相手を置き去りにすることもあれば、こうやって話を振って歩調を合わせることもある。
共通してるのは自分のペースに巻き込むことを念頭に置いた話の組み立て方をしているってこと。テンちゃんのセンスもあるけど、やっぱり研鑽のたまものだね。
技術の集合体だからこそ、分解すればひとつひとつの要素が理解できて、理解できればマネできる。
「はーい、なにか目標があって努力するときでーす」
「正解ッ! 素晴らしい!!」
テンちゃんがおおげさに褒めてくれた。パチパチと拍手までしてくれる。わざとらしさは確かにあったけど、それでも褒めてもらえるのは嬉しい。えへへって笑っちゃう。
すぐに答えられちゃった。マヤの中にはずっと前から答えがあったから。
「自分の上限ってもんがうっすら見え始めるくらい努力を突き詰めたとき、そこでようやく才能ってものの見え方が変わり始めるのさぁ」
何か目標があって、努力を始める。最初は勝手が何もかもわからない。上手くいかなくってうんざりする。それでも目標を諦められなくて、なんだかんだ努力を続ける。
しばらくすると、努力という行為そのものに慣れてくる。コツをつかむとも言う。やればやるだけ上達するようになって、楽しくなる。努力の中でもいちばん楽しい時期が来る。
そうやって上達を続けていると、そのうちに伸びに陰りが見えてくる。どれだけやってもこれまでみたいに成果が出せない。こんなはずじゃないのにって足掻いているうちに昨日より下手になった今日に気づく。そしてもっともっと苦しく、下手になっていく。いわゆるスランプ。
そのスランプを抜け出すとまた伸び始めるけど、一番楽しく無邪気に努力できてたころほどじゃない。それに、このあたりで自分が努力で上り詰めることができるだろう限界もなんとなく見えてくる。
「その限界が見えると同時に、自分が到達できるであろう限界のその先を悠々と進む人影にも気づくんだ。自分がどれだけ努力してもたどり着けない向こう岸の住人。『あいつは俺たちとは違うんだ』『じゃあ何が違うっていうんだ?』、疑問と諦念、嫉妬と羨望、そんな感情を納得に変えるために引かれる一線、それを文字に起こしたのが――」
天才、だってテンちゃんは言いたいんだね。
すっごくひねくれた意見だと思うなー。
みんなはもっと気軽に、誉め言葉として『天才』って使っていると思う。
なんならテイオーちゃんみたいに自分で自分のことを天才だもんネ! って言ってる子もいるよ? ……中央に入学して三か月もすれば、同じことを言い続けられる子はテイオーちゃんみたいなウマ娘に限られちゃうけど。
でも、同時に納得できちゃう部分もあった。
中央ってところで、ウマ娘が他の子を『天才』だって呼ぶとき。そこに込められた感情は必ずしも前向きなものじゃないと思うから。
「『天才はいる。悔しいが』ってね」
テンちゃんは笑いながら言った。
どこかで聞いたようなそのフレーズだけど思い当たる節は無くて、なのになぜだかとてもしっくりきた。なんとなくテイオーちゃんあたりに似合いそうな気がする。
借りものを我が物顔で見せびらかすような雰囲気。そんなことは一言も言ってないのに露悪的な薄っぺらさがぷんぷん漂っていて、これはちょっとすぐにはマネできないかも。器用なことするんだなーって感心しちゃった。
「努力で到達できる境界線の向こう側にいるのが天才だと思うんだよねえ」
ネガティブな意味合いでこそないけど、だからといってポジティブというわけでもない。
境界線の向こう側にいるという、単なる事実。もちろん天才と呼ばれる人たちが努力していないわけじゃない。なんなら天才を羨む人たちよりずっと長い時間努力していることが大半なんだけど。
自分たちが優れている、というのを大前提にして。だから自分たちに勝てなかった子たちは努力を欠いていたわけじゃなかったんだって。
そう言いたいように思えたのは、マヤの考えすぎなのかな?
「才能ってそういうもんなんだよ。自分があっさりできることなのに周囲が苦労しているのを見て、はじめて『あ、これ普通はできないんだ?』って気づくんだ」
その言葉はマヤにもすとんと納得できるものだった。
『あれ? もしかしてみんなにはわからないの?』って気づくまでにマヤもだーいぶ苦労したもの。
「それで苦労することもあるんだよね。努力せずにできてしまうから、それが平均よりずっと上のクオリティだという自覚がない。逆に努力してできるようになったことは頑張った分だけ自信があるけど、客観的に見ると『苦手だったものを努力で並にした』程度のクオリティでしかない」
がんばったところはぜんぜん褒めてもらえなくて、てきとーにできる範疇でさらっと流した部分がすっごく褒められる。
がんばる意味がわかんなくなっちゃって、がんばるのをやめちゃうことも多いんだって。
うっ、こっちもなんか思い当たることがあるような、ないようなー……?
「逆にこれまで何一つ努力せずに感覚的にできることだったから、それが急にできなくなったとき。もう一度できるようになるための努力の足掛かりすら掴めないってパターンもある」
こっちも心当たりありまーす。
マヤの『わかっちゃった』は努力してできるようになったことじゃないから。すごく普通に、できるのが当たり前だったから。
急にわかんなくなっちゃったら、どうすればもう一度『わかっちゃう』ようになるのか、自分でもさっぱりわかんないと思う。
「かくして才能とは無ければ無いで、あるならあるで、どこまでも理不尽なものなのだなぁ」
ふと、思った。
才能っていうのはその人にとって、だいたい最初からあるもの。生まれつき持っているもの。
だからあるのが当たり前で、持っていない人と比べないと自分に才能があるってことにすら気づけないことも多い。
比較して気づいたところで『才能が無い自分』っていうのを経験したことがないから『才能がある自分』に切実な感動や強い感謝を抱くこともないはず。
だけど仮に『才能が無い自分』と『才能のある自分』。そのどっちも実体験として経験することができるのなら?
それが可能なら才能の有無で振り回されるどんな当たり前の人たちより、ずっとずっと上手く自分たちの才能を使いこなすことができるんじゃないかなって。
「ねえマヤノ、きみは天才だよ。ぼくらの次の次くらいにはね」
なんて答えたかはあまりおぼえてない。
けど、否定しなかったのはたしかなはず。
東京レース場の控室。
それが今のマヤがいる場所。
ずっと前からここに来ることを望んでいた。この場にたどり着くためにたくさんたくさん考えて、準備して、実行してきた。
計算通りで、計画通りで、予想通り。
なのに、どうしてちょっぴり泣いちゃいそうなんだろう。
「……マヤノ」
「ん? なーにー? トレーナーちゃんどうしたの?」
「がんばれ」
たった一言。でも、ただの一言じゃなかった。
心配してて、不安でたまらなくて、でもそれが表に出ないようぐっと我慢して。トレーナーちゃんはマヤのトレーナーだから。
背中を押してあげたくて、でもそれでさらに追い詰めてしまわないか不安で。
年上の大人として、トレーナーとして、マヤのことが大好きな一人の人間として、やらなきゃいけないことがバラバラで、でも重なっていて。
それらを全部ひっくるめて、今のマヤを応援してくれる言葉だった。
「うん、がんばるっ」
すこし気持ちが軽くなった。
不思議だね。状況は何も変わっていないのに。出揃ったデータに変動は無いのに、今なら飛べる気がする。
きみのエールがすごいパワーになるんだね。
「勝ってくるね」
視界良好。目標捕捉。
さあ、答え合わせにいこう。
地下バ道でリシュちゃんとヴェニュスパークちゃんがお話ししてた。
「はじめ、まして。お初にお目にかかるです。東洋の王者さん」
「『フランス語で大丈夫ですよ、欧州の王者さん。いまのところ私はこの島国のみの王者ですが、だからといって凱旋門賞のことを調べていないわけじゃないので』」
「! 『なるほど。正直助かります。私は師匠ほど日本語が堪能ではありませんから』」
少しぎこちなさが残るけど十分に通じる日本語のヴェニュスパークちゃんと、挑発を滲ませることができる程度に流暢なフランス語のリシュちゃん。
うん、どーだろう? 挑発なのかな? 気持ちがちょっと攻撃的になってるのは事実だけど、リシュちゃんはただ思っていることをそのまま言ってるだけかも。
べつに大声出してるわけじゃないのに、すごんだりしているわけでもないのに、オーラの衝突がすごい。同じように地下バ道を通っていた他の子がぎょっとして一歩下がったりしてる。
「『はるばる遠路来てくれてありがとうございます。貴女だけではなく、海を越えあれだけの人数が東京レース場まで駆け付けるだなんて。ヴェニュスパークというウマ娘がどれだけフランスに愛されているのか、傍目にもわかるというものですね。
だからこそ、わざわざ遠路はるばる来てくれたあなた方にお渡しできるものが“敗北”なのが実に心苦しい』」
あ、こっちはテンちゃんの意図的な挑発だね。シニカルが語感に絡みついてるもん。
いくら情報化社会といっても、海を越えると得られる情報は大幅に劣化する。あの凱旋門賞の情報ですらネット上のデータはサイトごとにばらつきがあるくらい。初めて見たときはびっくりしちゃった。
少しでも生きた情報を。鮮度の高い確証を。必要だから、やる。ずっとテンちゃんの一貫しているスタンス。メンタル面から軽いジャブを入れて反応をうかがっている。
「『問題ありません。私はこの国に勝利を譲ってもらいに来たのではなく、奪いに来たのです。彼らの声援と期待を裏切らない走りを、栄光をこの国でもお見せしましょう』」
そんな盤外戦術とも呼べない出会い頭のジャブはヴェニュスパークちゃんの前髪をそよがせることさえできなかった。
世界最強が
胸を張って宣言するその姿に堂々たる威風がある。熱い風が彼女を中心に地下バ道を渦巻いて吹き抜けていくような感じさえした。
「……ふぅん」
だけどその熱風も、やっぱりリシュちゃんを揺らすには至らない。
余波を浴びただけで誰かがごくりと喉を鳴らす。そんな風格を前にちっとも自分の在り方が揺らがない。
異なる地域で絶対王者と目される二人の優駿。お互いにこれといって手札を晒したわけじゃないけど。
現状、受ける印象的にはまったくの互角ってところかな。
「道を塞ぐな。邪魔だ」
「おっと」
「
そんな二人の間にずかずかと割って入って、そのまま通り抜けてしまう怪物がいる。
秋天のころよりさらに凄みを増した黒い衣装。色もデザインも変わっていないけど、秋天の激闘を経て新品の固さや狭苦しさが焼き切られたよう。全身の隅々まで気迫が漲っていて、裾から紫の炎が零れ出てるみたいな。
ブライアンさん。知らない人がみたら怒ってるのかなーとか、不機嫌なのかなーとか、その迫力に怖がっちゃうかもしれないけど。
わかっちゃう。マヤじゃなくてもブライアンさんのことちゃんと知ってるとわかると思う。
すっごくわくわくしてる。楽しみで仕方がなくって、まるで小学校のときの遠足みたいに足が前に進んじゃうんだ。少しでもはやくレース場にたどり着きたくて。
「……」
「…………」
リシュちゃんとヴェニュスパークちゃんは無言で目を合わせた後、二人ともレース場に向かって歩き出した。
あんなに楽しみにされたら無駄に待たせることなんてできないもんね。続きはターフの上で、
三人の怪物たちがいなくなったあと、誰ともなしに吐き出されたため息が重なってこだまする。
「はふ~、緊張しましたー」
苦笑いしながらそうこぼしたスペシャルウィークさんもその一人。
エルちゃんやグラスさんと同じ“黄金世代”と呼ばれた時代を駆け抜けたウマ娘。このジャパンカップを勝ったこともある実力者なんだよね。
ノってるときのリシュちゃんやブライアンさんみたいに、ばりばりオーラ垂れ流しているような感じじゃあないけど。むしろ穏やかでのんびりしている感じ。
「さんざん話には聞いていましたけど、実際にこうして同じ高さで並んでみると迫力がすごいです。エルちゃんもグラスちゃんも楽しかっただろうなー」
「ははっ、なんてレースだ。
応じてビターグラッセさんが笑う。
言葉だけ聞けば弱音か、あるいは嫌味みたいに思えなくもないけど。
目が澄んでる。ちょっと怖いくらいに濁りが無い。
さっきのテンちゃんと同じように、スペシャルウィークさんとその周囲の反応を見ている。ピークを過ぎてドリームトロフィーリーグに移籍してもおかしくないくらいのウマ娘は、トゥインクル・シリーズに留まっていてもレースに出るのが半年置きとかザラだから。海外から来た子たちほどじゃないけど情報の鮮度が低い。だからこうやってレースの外側から少しでも補填してるんだと思う。
テンちゃんと似てて、でもちょっと違うタイプ。テンちゃんは必要だからやる。ビターグラッセさんは打てる手はとにかく全力で打ちまくるってかんじ。そりゃあ敵が多くて味方が少なくもなるよね。
チーム〈ファースト〉の子たちってどの子も一癖あるけど、ビターグラッセさんとリトルココンさんのツートップはその実力に比例するようにクセの強さも頭一つ抜けてるかんじー。
ビターグラッセさんの挑発をスペシャルウィークさんは笑って受け流していた。ううん、そもそも挑発とすら気づいてないかも。
「えへへ……。でもターフの上でまで譲る気はありませんよ! La victoire est à moiです!」
あー、そのフレーズ。テンちゃんも使ってた。
たぶん元ネタはフランス軍行進曲『La victoire est à nous(勝利を我らに)』だよね。それを一部改変して『moi』、つまり直訳すると『勝つのは私だ』って意味になるんだけど……。
元ネタが元ネタだけに凱旋門賞を制したフランスのウマ娘がいる場で使えば、かなり挑発的なニュアンスになるね? 意訳するともう『調子に乗んな!』くらいにならない?
ジャパンカップは国際招待のGⅠレースだから、世界中からウマ娘が参加する。アメリカやイギリス、イタリアにドイツ、中国や韓国、果ては赤道を越えてオーストラリアやニュージーランドあたりからも。
今年はヴェニュスパークちゃんの影響かフランスから同伴した子や、凱旋門賞にかかわりのある子が多いイメージ。だから共通語として使われる英語だけじゃなくて、フランス語もちゃんとわかっちゃう子がけっこういるみたい。
さっきから地下バ道を通っている周りの視線がビシバシ突き刺さるくらい鋭くなっていってる。スペシャルウィークさんはぜんぜん気にしていないみたいだけど。
このくらいの戦意を向けられるのは当たり前ってこと? 怯んだり掛かったりする必要がないくらい、身体が慣れちゃってるんだ。
経緯はともかくこののんびり屋さんで穏やかそうに見えるこの人も、しっかり“黄金世代”と呼ばれた一つの時代を築き上げたウマ娘なんだって実感する。経緯はともかくね。
「ほう! さすがは我らが大先輩だ。フランス語にも精通しておられたとはね。そしてそれをこの場で堂々と言い放つとは!」
「あははー……褒めてもらっちゃって恐縮なんですけど……。フランス語で『良い勝負にしましょう』ってなんて言うのか、このワンフレーズだけ友達に教えてもらったんです。さっきヴェニュスパークさんにも言ってきましたけど、笑っていただけたのでちゃんと発音は合っていると思います!」
うん、間違っているのは発音以前の話だもんね!
犯人はエルちゃんだね。間違いない。
自分がされて嫌なことはやらない。人間関係のきほんなんだけど……。だから逆に、自分がされても嫌なことじゃないから軽いいたずら感覚でやっちゃうこともある。
エルちゃんは周囲に注目されるのも、バチバチに意識されてマークされるのも、それに真っ向から立ち向かうのも、ぜんぜん嫌じゃないもんねー。
あとでグラスさんにバレておしおきされちゃうね。きっとそうなるよ。
そっかー。ヴェニュスパークちゃんの前で言っちゃったかー。
その笑顔は牙を剥き出しにする獣のサムシング的なものだったと思うな!
それをその場にいた周囲にも聞かれた、と。
なるほどー。事前の想定よりずっとスペシャルウィークさんへのヘイト値が高かったのはそういう理由だったのかー。
頭の中のデータを更新する。うん、これでよし。
スペシャルウィークさんにエルちゃんのいたずらを教えてあげるの、今はやめておこう。
その方が計算しやすいもん。
「……なるほど! そうだったんですね!」
ビターグラッセさんも言わないみたいだった。
あの一拍は『ここ言ってスペシャルウィークさんのメンタルを崩した方がいいか』『それとも言わずに想定外に方々からマークされた状態でレースさせるのがいいか』を計算した間だね。
おせっかいを焼くかどうか迷っていたわけじゃないのはよーくわかるよ。
『今日、“世界最強”の歴史がここ府中で更新される、国際招待GⅠ競走ジャパンカップ! 勝つのは極東の銀の魔王か、それとも凱旋門賞連覇の覇者か、はたまた新たなる最強が名乗りを上げるのかぁ!?』
『東京レース場芝2400、十八人のウマ娘が挑みます。天候はあいにくの雨、バ場は重と発表されていますが、これがレースにどう影響するでしょうか』
『三番人気を紹介しましょう。ナリタブライアン、四枠七番での出走です』
『気迫が充実していますね。これは秋天のときよりさらに仕上がっていますよ』
秋天では二着だったおデジが四番人気なのに、秋天で三着だったブライアンさんの方が今回人気が上なんだよね。
パドックでのブライアンさんの佇まいがそれだけの完成度だったってことも大きいだろうけど……。
マヤたちの世代はリシュちゃんっていう魔王さまを頂点に、リシュちゃんとお互い以外に負けたことがない四人のウマ娘を『四天王』って称号でまとめていた。
マヤ、おデジ、スカーレットちゃんにウオッカちゃん。そのうちウオッカちゃんがこの前の秋天で初めて魔王と四天王以外に負けたから。
マヤたちがシニア級の秋シーズンに至るまで守られ続けた牙城、それを崩してのブライアンさんの三着だったから。それを加味して今度こそ魔王までその牙が届くんじゃないかって期待がかけられてる。そんな空気を感じる。
あと、おデジにとって今回の距離はちょっと長すぎるって考えた人が多かったんだと思う。これまでのおデジが勝ったレースはマイルやダートが中心だったもんね。
芝の上であの凄まじい末脚を活かすには2000mで勝負できても、2400mでは長すぎるって意見はまー見当外れではないっていうかー、常識的な見方ではあるよね。
ミークちゃんやリシュちゃんを見ていたら感覚がバグるけど、100m違えばそれはもう違うレース。同じ東京レース場の中距離でも400mも違えばそれは、もう別の世界と言っていいくらいだもん。
その点、ブライアンさんは実績がある。中距離どころか長距離だって、クラシックレースの菊花賞でもグランプリの有馬記念でも、すごく強い勝ち方をしたことがあるっていう信頼がある。それが評価の差になった。
……ちゃんと春シーズンに宝塚記念の2200mで二着っていう実績を出してるんだけどなぁ、おデジ。
知識は邪魔にならない荷物だから詰め込めるだけ詰め込んでおけ、なんて。どこかで聞いたことある気がするけど。
先入観や固定観念は邪魔になるタイプの知識だと思うなー。
三冠ウマ娘ってやっぱり特別なんだよ。特にブライアンさんは強い勝ち方をするレースが多かったから、一部のレースファンはおめめも頭の中もぐっつぐつのぐらぐらに煮えたぎっちゃってる。
ただ、マヤの見立てでもこのレースのおデジはちょっときついかなって感じ。
秋天はそれはもう激闘で死闘もいいところだったから。そのぶんが回復しきれていないのと、来月の有馬記念に向けて肉体改造している分で微妙に歯車がかみ合っていない感じがする。
有馬記念の中山2500mは長距離の区分。おデジの肉体にもともとは存在していない適性の距離。だからこそ逆に、そこに焦点を合わせすぎちゃったのかな。
もちろんおデジはオタクとしてものすっごく高いプライドがあるから、勝算もなく推しに並んで出走するような子じゃないから。このレースにだって勝ちに来ているんだろうけど。
マヤ的評価でもこのレースでの点数はブライアンさんより下だねー。その猛省で有馬記念はしっかりきっちり仕上げてくるような気もするけど。
『二番人気はヴェニュスパーク。七枠十五番での出走です』
『観客席からはサポーターたちの大歓声! フランスを愛し、フランスに愛された王者がここ日本でも頂点に立つのか』
ほんとうにすごい歓声。あれがぜんぶフランスから駆け付けた人たちってわけじゃないだろうけど。日本のファンの声援があるならそれはそれで、逆に同じ国のウマ娘を差し置いて応援したくなるすごい魅力の持ち主って見ることもできる。
自分にすっごく自信があって、向けられる歓声を素直に受け取ることができて、余さず自分の力に変えることができる。テイオーちゃんとかと同じタイプだね。
応援は力になるけど、人によってはプレッシャーになっちゃうもんね。ああいうのは強いよ。ルームメイトとしてすぐ隣でずっと見てきたもの。
まー、それでもこのレースの最有力候補にはならないんだけどね。
『そしてこれだけの面々を差し置いてなお、一番人気はこのウマ娘を措いて他にいない! 二枠四番、“銀の魔王”テンプレオリシュ!!』
『極東が誇る銀の魔王。海外勢は彼女に対抗できるのか? それとも国内からついに魔王を打破する勇者が現れるのか』
海外勢に対抗できるか、じゃなくて。
リシュちゃんに勝てるウマ娘がいるのか。そこが注目されている。
それがリシュちゃんのちから。これまでの実績が生み出す信頼。
一昔前、日本のウマ娘は海外ウマ娘になかなか勝てなかった。ジャパンカップというホームグラウンドで、不慣れな環境に長距離移動というハンデがあって、その上でも地力の差で押し負けていた。
それが今ではリシュちゃんが一番人気に推されることに誰も驚かない。すごいよね。これはリシュちゃんだけじゃなくて、時間の力もあると思うんだ。
たくさんの時間を費やして、たくさんのウマ娘が研鑽を積み重ねて、日本のウマ娘全体の地力を高めていった。時間と労力がちゃんと使われた。ちゃんと報われる努力ができた。その結果が今になってる。
過去の延長線上に今がある。それはマヤたちも同じこと。
東京レース場、芝2400m。それはマヤが回避した日本ダービーと同じ条件。
皐月賞で完敗して、ここではリシュちゃんには絶対に勝てないからって、出るのをやめた。
でもね、それまでの間にね。一生に一度だけのクラシックレース。なんのトレーニングもしなかったわけじゃないんだよ? 作戦だっていくつも考えた。
もちろん、今のマヤは今のマヤだし、今のリシュちゃんは今のリシュちゃん。あのときのデータとはお互いにまるで別物だけど。
『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』
あのときにできなかったことがいっぱいある。
あのときから続けてきたことがたくさんある。
だから、とどくよ。
次回も引き続きマヤノ視点