「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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今回もマヤノ視点です


サポートカードイベント:アタシにはその権利がある

 

 

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『スタートです。各ウマ娘ややバラついたスタート。真っ先に飛び出していったのは十一番マヤノトップガン』

『変幻自在の脚質で知られるマヤノトップガン、今日は先頭からレースを進めるようです』

 

 このレースは()()がいい。

 欧米のレースは日本よりポジション争いが熾烈。接近も接触も挨拶みたいなもの。リシュちゃんと同じくらい小柄で、リシュちゃんほどパワーがないマヤは削り合いになったらちょっぴり不利。

 もちろん、ラビットみたいなこっちのレースでは反則になるようなものは持ち込まれていないけど。身体にしみついた感覚はなかなか消えない。国際招待GⅠを強く意識しているジャパンカップではおしくらまんじゅうみたいになってもラフプレーと判断されないことが多いから。

 逃げなら最初の先行争いさえ制することができれば、あとはおしくらまんじゅうになることはないもんね。

 複数人の逃げウマ娘が競り合いながらハイペースでレースを引っ張る展開もあるにはあるけど、今回はないよ。

 だってマヤよりも上手に逃げられる子、このレースにはいないもん。はーい、みんな後ろについてくださーい。

 

「ぐぅ……!」

 

 クレセントエースさんが歯噛みする。

 春季最後のアオハル杯、プレシーズン第四戦では長距離部門で一緒に走ったねー。そのとき勝ったのもマヤだったね?

 せっかく逃げウマ娘が二枠三番って内枠を引けたのに、六枠十一番のマヤに頭を押さえられちゃダメだよ。

 でも先頭に立てないと見たら無理しないで、二番手もあきらめて三番手まで下がってでも自分のペースでポジショニングするのはさすが〈ファースト〉ってかんじ。派手さはない代わりに安定感が違う。

 

『さあ先頭に立ったのは十一番マヤノトップガン、単身でレースを進めていきます。第一コーナーから第二コーナーに向かう。二番手の位置で先頭をうかがうのは十六番ヴィオラリズム並んでくる。少し離れて三番クレセントエース。すぐに続いて九番ブレイクチェイン。二バ身、三バ身開いて七番ナリタブライアン』

『一番人気のテンプレオリシュは今日も後方からレースを進めるようです。悪天候の上に海外勢という条件で、再びあの末脚を炸裂させることはできるのでしょうか』

 

 うーんやっぱり、一番怖いのはブライアンさんだね。

 いつ爆発するかわからないのに、いつか絶対に爆発するおっきな爆弾。そこに配置されるだけで周囲を威圧する弾道ミサイル。そんな感じ。

 リシュちゃんは後ろから三番手、追い込みの位置。足場が悪い中スタートが上手くいったから後ろに二人いるけど、何なら最後方からのレースになってもよかったはず。

 テンちゃんが不安定だからおしくらまんじゅうしたくないもんね。リシュちゃんがその分がんばってフォローしているけど。がんばってフォローしている分、少しくらい押し合いへし合いしてもすぐに掛かったりはしないけど。

 それでも先団でバッチバチに位置取り争いしたり、中団で四方八方から威圧されたり、そういうのはできるだけ避けたかったんだよね。それなら前方をブロックされる方が、自分から仕掛ける主導権を握れるだけまだマシだった。わかってるよ。

 

『先頭がやや早いのか、間延びした展開。向こう正面に入って依然として先頭は十一番マヤノトップガン。先頭からシンガリまでおよそ十七バ身』

『後方集団が追いつけるのか気になる開きです。脚を取られる濡れた芝の中、どこから仕掛けるかタイミングの難しいレースになりそうですね』

『ここで中団を見ていきましょう。先頭集団から一バ身離れて十三番スペシャルウィーク。そしてその後ろからいくのは八番アグネスデジタル。十五番ヴェニュスパークここにいた。さらに一バ身離れて五番ビターグラッセ』

 

 思ったよりヴェニュスパークちゃんが外目に付けている。内側の荒れた芝を嫌ったっていうよりは、全体を俯瞰できる位置がほしかったって感じかな。あそこなら誰の接触も受けずに済むもんね。

 トレーナーちゃんが言ってた。ロンシャンレース場の芝は日本のレース場とは根本的に別物。けっこう文字通りの意味で。

 地面から掘り返してコースの形状を整えるのが日本なら、芝がたくさん生えているところを柵で囲ってコースにしちゃったのがフランスなの。

 自然の状態に近い長く伸びた芝。その下の地面は乾燥を防ぐために水を撒けば、水はけが悪くてすぐドロドロになっちゃう。そんな場所で活躍してきたウマ娘は足場の悪さをものともしないパワーと、その上で勝ち切るスピードとスタミナを持ち合わせているのはもちろんのことだけど。

 目がすごくいいんだって。芝の荒れているところを瞬時に察知して、自分が走るべき道を即座に描き出す。その経験で培われたセンスは独特なもので、海外を念頭に置いたトレーニングを積んでなお日本勢がいまだに凱旋門賞に勝てない要因の一つになってるんだって。

 自らの強みが活かせる場所へ、当たり前のように。洗練されすぎて気づけないほど自然に。さすがは欧州王者だねって動き。

 

 でも、日本のウマ娘だって負けてない。なんなら若干一名くらい、確実に上を行く子を知っている。

 リシュちゃんがどんな悪天候も不良バ場もものともしないのは周知の事実。それは空き缶をきゅっと縦に圧縮できるパワーも関係しているけど。

 それ以上に目がすごい。頭がすごい。頭脳こそがテンプレオリシュのもっとも特異な器官だと思う。

 たとえばね。荒れているバ場といってもトラクターで耕したわけじゃない。たくさん踏み荒らされただけだから、よーく見るときれいな部分と荒れた部分がまだらになってる。荒れている部分がたくさんだから、普通のウマ娘にはぜんぶ足場が悪いように見えるだけ。実際に走っても悪い部分に脚を取られちゃうだけ。

 リシュちゃんの目にはきれいな部分が浮かび上がって見えている。どのようにフォームを変化させれば無駄なく無理なくそのきれいな部分を走れるか、自動的に頭の中で組み上がっちゃう。そんでもって実際その通りに身体を動かせる。

 周囲が妥協まじりに不良バ場を走る中、リシュちゃんだけ最短ルートで良バ場を走れるんだ。速いはずだよね。

 

 競り合いになって押し負けないのもそう。

 今まさにフランスから来た海外ウマ娘、ヴェリティトーカーさんがポジション争いでどすんとリシュちゃんに接触した。

 その一回で『あ、これダメなやつだ』と悟った表情になった。そそくさと位置を譲って下がっていく。

 相手の動きがぜんぶ見えてる。自分の動きもすべて掌握している。あちらの力が入らない不完全なタイミングに合わせて、自分はしっかり力を伝達できる姿勢をもって迎え撃つ。芝の目を読んで、必要なときに必要なタイミングで蹄鉄を食い込ませる。

 ヴェリティトーカーさんはまるでどっしりと根を張った切り株に体当たりしたような感触だったんじゃないかな?

 それにしても撤退の判断がはやい。レース中のウマ娘は興奮ぎみで、自分が劣っているなんて認めたくなくてムキになることも多いのに。特にリシュちゃんとは大人とこどもくらい体格差があるのにね。さすが海を越えてきた実力者ってかんじ。

 

 領域具現――Shadow Break

 

 ここでついにブライアンさんが一回目の爆発。

 魂をダイレクトに揺さぶられるような衝撃。ちりちりと塗りつぶされる世界。おおきく振りかぶった拳、気迫の咆哮と一撃。地面を巻き込んでぐるぐる影が渦巻いてクレーターができあがる。

 初めて見たわけじゃないし、体感したことだって何度もあるのに慣れた気がしないなあ。

 マヤでさえこうなんだから、海外から来た子たちが掛かっちゃうのも仕方のないことだった。中団よりさらに後方で出方をうかがっていた一人から光が放たれる。

 

 領域具現――A was an apple-pie

 

 アツアツのアップルパイが湯気を宙に引きながら飛んでいる。おいしそう。

 そのまま追いかけ続けたら加速、つかまえて食べたらスタミナ回復の使い分けができる【領域】かな? 単純な性能そのものも汎用性も高そうだけど。

 ドイツから来たシュヴィークザームさん。ここが使いどころだって見極めたわけじゃなくて、とっさに出しちゃったんだ。せっかくの切り札を攻撃じゃなくて防御に、もっと言っちゃえば悲鳴代わりに使っちゃった。

 

 領域具現――黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 さらにここでリシュちゃんが追い打ち。アップルパイが真ん中からはんぶんこ。

 ブライアンさんを狙わなかったのはエモノの姿勢の問題かな。

 海外のレアな【領域】がほしかったってのもあるだろうけど。シュヴィークザームさん、明らかに心の姿勢が崩れていたもんね。肉食獣が背中を向けているときに強襲するのと同じ理屈。

 いまブライアンさんを狙うとここから激しい競り合いが始まっちゃうから。シュヴィークザームさんにはお気の毒だけど、狙えそうな背中が見えたからついでに狙ったみたいなもんだと思うな。

 

『二番シュヴィークザーム上がっていきます。どうでしょうこの展開?』

『掛かってしまっているかもしれません。息を入れるタイミングがあればいいのですが』

 

 それにしても、さ。まだ千メートルあるのにここから動いちゃうんだ、ブライアンさん。

 ほんとうに強いよね。自分が強いって信じて疑ってない。

 誰かと比べて得た自信じゃないんだ。自分が強いってことを知ってる。だから強い。

 何度負けても揺らがない。いつだってベストコンディションから勝負を始めることができる。

 

『二バ身、三バ身開いて六番トンネリングボイス。千メートル通過。内には十七番ノワールグリモア。一バ身差十八番リードファンタジー。後方二番手に十二番ラピッドビルダー。十四番アットワンマイル、現在シンガリだ』

『各ウマ娘、動きが激しくなってきました。後方から差し返せるか気になる開きですが、一番人気のテンプレオリシュはどう動くか』

 

 リシュちゃんが後方から動き始めている。バ群に浸透するようにじわじわと上がってきている。

 ブライアンさんがもう二番手まで、マヤのうしろにまで来てるからね。それに呼応するようにヴェニュスパークちゃんも立ち位置を調整してる。

 置いて行かれないためにはこのタイミングしかないもんね。

 

 領域具現――(トツ)

 

「かふっ」

 

 はい、ここが限界。

 テンちゃんじゃなくて、リシュちゃんのほうのね。

 

 驚きや焦りにさえまだとどいていないニュートラルな感情。何も出力されていないフラットな表情。

 自分に何が起きたのか理解できないで、困惑すらしていない。

 

『大ケヤキを越え第四コーナーへ。まだ一バ身以上の差があるぞ! ここから捉えることはできるのか! 先頭は依然として十一番マヤノトップガン、まだリードをキープしています! そこから二バ身開いて七番ナリタブライアンが迫る!』

『十五番ヴェニュスパーク外から仕掛ける。四番テンプレオリシュはまだ動かないのか』

 

 うれしかったんだよね? テンちゃんを守ることになって。テンちゃんを守る立場になれて。これまでずっと守られてきたから。今度は自分の番だって奮起したんだよね。

 がんばったんだよね。秋天で一バ身の安全マージンを捨てて、完全に計算しきった十七センチを生み出すくらいに。

 

 これまで努力して、できるようにならなかったことってあまりない――だもんね?

 報われる努力を正しく続けてきた弊害。

 努力するっていうのはがんばるってことで。

 がんばるってことは、巡航速度から逸脱するってこと。

 一つ一つは正しくても、正しい努力でも限界を超えるとどうなっちゃうのか、これまで経験として得たことがなかった。負けてもいい戦いに負けることはあっても、負けられない戦いに負けちゃう経験が欠けていた。

 

 テンちゃんは優秀だけど、ことレースの中に限ってしまえばあくまで優秀の範疇を出ない。こんな歴史に名を刻むような、逸脱した優駿たちが集う戦場の中でできることはだいぶ前から頭打ちだった。

 だから今はもう、リシュちゃんさえ搦めとれば皐月賞のときみたいな大逆転は起こりえない。

 

 それでもよかったんだ。これまでは。

 テンちゃんはサボりの天才だったから。

 手を抜くのが上手かった。ゴルシちゃんみたいに手を抜きすぎてふにゃんふにゃんになって大切なレースで大敗するのは極端でわかりやすい例だけど。

 どこで、どのタイミングで手を抜けばデメリットを最低限に抑えて息を入れられるかなんて。息抜きできるかなんて。ふつうのウマ娘でもなかなか一人じゃ判別できることじゃない。その判断をするのはトレーナーの大事な役目の一つだもん。

 テンちゃんはそこが本当に天才的だった。周囲に付け込まれないタイミングで、周囲に気づかれないくらいささやかに、そしてどこまでも効果的に。テンプレオリシュというウマ娘に休息を挟ませる。次の行動に移るためのベストコンディションを整える。

 おんなじことしかできなくっても。新しい一手を身に付けることができなくっても。それだけできるのなら、ずっとずっと同じことができるのなら。それだけで十分すぎるほど。周囲から見たら反則だーって文句いいたくなるくらいの妙手。

 

 いまはもうできない。テンちゃんは本当に天才的だったから。

 マヤのわかっちゃったと同じ。努力してできるようになったことじゃない。

 人生を自分のものだって感じられない、テンちゃんの独特な精神状態あっての俯瞰。会長さん風に言うなら傍目八目。当事者意識の薄弱さが、自分を含め周囲の状態を的確に読み解く天稟に変わっていた。

 今はもう、テンちゃんは自分の人生を生きている。当事者の中にばっちり組み込まれちゃってる。

 努力してできるようになったことじゃないから、練習できない。できなくなっちゃったときに、もう一度できるように努力するすべがない。

 自分がそれをできなくなった、ってことはそれなりに自覚していたと思うけど。あくまでそれなり。

 努力で得たものじゃなかったから、その価値はテンちゃんにとって相対的に軽いものだった。喪失に焼け付くような危機感がなかった。

 

 それが()()に繋がっている。

 

 領域具現――灰色の臨界点

 

 鈍色から灰色へ。曇天の世界を塗りつぶす色彩を喪った世界。その中で鮮明に浮き上がる黒と紫。黒いブライアンさんを中心に津波のように押し寄せる紫の炎。

 そこに合流する一つ目の【領域】の終着点たる光の奔流。すさまじい力の奔流にまるでトランポリンの上を走っているみたいに足取りがおぼつかなくなる。

 ブライアンさん、完全に喰らいつきにきてるなぁ。こんなの背後に置いて走り続けるなんて正気の沙汰じゃないよー。

 ただ、ブライアンさんはリシュちゃんとの競り合いになることを見込んで今の今まで来ている。徹底マーク戦法じゃないけど、意識の何割かは後方に置き去りにされているってこと。その分だけ歯車に微細な狂いがある。

 ならマヤはその狂いに付け込めるから。

 

「――ふはっ」

 

 どこかでヴェニュスパークちゃんが笑い声を漏らした。

 うん、わかるよ。

 思ったより狭いんじゃないかって不安になってた世界が、思っていた以上に広いみたいって気づいて。その嬉しさと、思いあがっていた自嘲と羞恥でつい笑っちゃうんだよね。マヤにもあったよ。

 来る。来てる。重い芝とバ群をえぐるように切り裂いて。

 確信した。その存在感は世界を覆い塗りつぶすのではなく、ヴェニュスパークというウマ娘の境界線の中にぴんと張りつめて満ち満ちている。【領域】を使わないタイプの実力者だ。ミークちゃんみたいにもしかしたらレース外で使う【領域】を持ってることはあるかもしれないけど、少なくともレース中に使ってくることはない。

 一発逆転の切り札を必要とせず、ただただ高水準の実力で勝ち続けてきたタイプ。攻略法らしい攻略法が無いから厄介なんだよねぇ。

 よーするに、ゴール板を通り抜けるときまで先頭を譲らなければいいだけの話なんだけど。

 

『第四コーナーを抜け直線へ! 十一番マヤノトップガン先頭を突き進む。七番ナリタブライアン猛追。外から十五番ヴェニュスパークも上がってきた』

『四番テンプレオリシュまだ動きません。どうした、もうゴールまで五百二十五メートルしかありません。このまま最後までいってしまうのか?』

 

 領域具現――熱血!ど根性坂

 

「ぜやぁあああああああ!」

 

 最終直線に入ってから国際色豊かな大小さまざまの【領域】が背後で花開いていく中、ひときわ鋭い重さを持った【領域】が上り坂を塗り替える。

 登坂の消耗を増大させるビターグラッセさんの【領域】。でもマヤノもブライアンさんも、何なら上がってきたヴェニュスパークちゃんだって前にいる現状。自分の順位を上げるという目的には適っていない。

 これは一着を狙うための一手じゃない。自分の順位を一つでも下に落とさないための布石。一つでも上の順位でゴールするための行動。一着を狙わない姿勢は消極的だとして、あまりいい目では見られないことも多いけど。

 レースは勝つ子より負ける子の方がずっとずっと多い世界だもん。なら多い方がふつうだって言うのなら、レースは出れば負けるのが『ふつう』。

 だから『ふつう』の子は、負ける中でもよりよい結果を掴もうと必死になる。そりゃあ、一着を狙い続けて本当に一着を獲れちゃうのが理想だけど。地に足のついていない理想は夢と変わらなくて、夢を見ているだけじゃ現実はひどくなるばかり。

 

 甘い理想を現実だと信じ込んで、上手くいかなきゃ破滅するってそれだけの事実を、だから上手くいくはずなんだって夢見ることに置き換えて、傍目には賭けにすらなっていない賭けに出て破滅しちゃう。そういう子はやっぱり、勝負の世界である以上何人もいるから。

 理想通りにならない苦い現実をしっかり受け止めて、その上で今できることに根性で喰らいつく。一つでも上の順位でゴールして、無理に一着を狙わず収得賞金を積み重ねて、その上で勝つべきところではしっかり勝ってレースのグレードを上げていく。ここまでたどり着いた〈ファースト〉の子はみんなそういう子ばかりだから、そこは尊敬するし見習わなきゃなって思うよ。

 

 ただ、今に限って言えばそれは〈ファースト〉とかぜんぜん関係なくて。ただリシュちゃんへの追い打ち。一着争いどころか掲示板に絡むのさえ絶望的になったって事実だけがあった。

 追い込んで上がってくるべきところで上がってこれない。そうこうしているうちにみんなスパートをかけ始めて、横に広がったバ群にブロックされて前に出る道がなくなっちゃう。

 追い込みウマ娘のよくある負け筋。リシュちゃんにとっては初めての光景。

 

「こんなアングルで満足できるやつおりゅ? いねえよなぁ!?」

 

「負けません! やぁあああああああああ!!」

 

 領域具現――尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!

 

 領域具現――シューティングスター

 

 誰もが崖のように切り立った幻想の上り坂に振り落とされるわけじゃない。二つの虹色が穿ち貫いて飛んでくる。一つは星の光で、もう一つは我欲の煌めき。

 スペシャルウィークさんとおデジ。スペシャルウィークさんもさすがの貫禄だけど、それでも今この瞬間のおデジには及ばない。

 万全じゃなくてもその程度で出せる結果は揺らがない。おデジの推し活に捧げる覚悟と熱量は半端じゃない。このレースに限った話じゃないもん。

 この三年間ずっとリシュちゃんたちと一緒にいて、一度もレースのことを嫌いにならなかった。むしろ燃料にしてガンガン燃え盛っていた。そんなことができる子そうそういないって。

 

 マヤだってこれでも、何度もくじけかけたんだよ?

 彼我の実力差を痛感したあの日から、その差をけずって、削って。

 削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って削って。

 “最初の三年間”がもうすぐ終わりってところまでかかっちゃったけど。

 それでもこうやって、ようやく手が届くところまできた。

 尻尾がじりじり焙られたってもう情けない悲鳴なんて上げないよ。

 

 ……じつはね、この期に及んでもまだリシュちゃんは底じゃない。

 リシュちゃんの潜在能力にはさらにもう一段階底がある。

 でもね、それは使えないの。

 だってそれは有記念でスカーレットちゃんのために使う分だから。

 面と向かって交わしたわけでもないあの約束は、リシュちゃんにとってとっても大事なものだから。ここで使ってしまうわけにはいかない。

 先のことを見据えて、今を乗り越えられずに抱え落ち。勝てば強者の余裕。負ければ油断。だったら、これは油断ってことになるのかな?

 出会ったばかりのリシュちゃんならあるいは、それを振り払っていたかもしれないけれど。今の人間らしくなったリシュちゃんなら繋ぎとめるに十分な鎖になる。

 

 ねえ、リシュちゃんはこれまで負けたことがないから。負けるってことは死んじゃうくらいに思っているのかもしれない。マイナス方向にものすっごく高い価値を見積もっちゃっているのかもしれない。

 でもね、きっとね。それってたぶん、経験したことのないことに対する不安も混ざっちゃってるんだってマヤ思うんだ。

 たしかに転ぶのは怖い。痛いし、恥ずかしいし、みじめだし……。両手に抱えていたものが零れ落ちちゃうのも事実。その中には遠くまで飛んでいっちゃって、二度と戻ってこないものもある。

 でもね、零れたものは拾い集めることができるんだよ?

 身体を起こして、起き上がって、拾い集める中でそれまで持っていなかったものが手に入ることだってあるんだよ。

 これまでとは違う自分になっちゃうけど、これまでよりも弱くなるだけじゃない。これまでとは違う強みを手に入れるってことでもあるんだよ。

 むかしリシュちゃんがマヤに教えてくれたように、今度はマヤがリシュちゃんに教えてあげるから。

 マヤ、いまより来年の方が、来年より再来年の方が、もっともっと強くなるから。

 

 来年も、再来年も、その先もずっとずっと……マヤといっしょに、走ろう?

 

 

 

 

 

「負けんじゃないわよリシュ! アンタに勝つのはアタシなんだからッ!!」

 

 

 

 

 

 鎖は音もなくほどけた。

 どくり、どくり、どくりと圧縮されて凝固した時間の中で鼓動の音だけが響く。

 

『外から十五番ヴェニュスパーク、内に七番ナリタブライアン追いすがるが、先頭の十一番マヤノトップガン粘る粘る。八番アグネスデジタルそこから先頭に届くか、厳しいか。っと、ここで最後方から四番テンプレオリシュすごい勢いで上がってきた!?』

『テンプレオリシュだテンプレオリシュだ、やはり銀の魔王がこのまま終わるはずがなかった!』

 

 青い光が渦巻いて、黒の稲妻が軋む。声なき咆哮。

 これだけ切迫した状況の中で、距離もなにもかも通り抜けてはっきり見えた。赤い目。

 目が充血してる。血走っているなんてもんじゃない。白目が真っ赤に染まって左目は血の池に青い宝石が浮かんでるみたい。右目はもっとひどくて、赤い瞳と白目の境界線がわからなくなって獣の目みたいになってる。

 おもいっきり人間離れしちゃった雰囲気。もういっそ角や翼がついていない方が不自然に感じるくらいに。

 それなのに頬に赤みはいっさいない。必要なところに必要なぶんだけ血液が巡っている証拠。

 つまり双眸と、脳。情報処理能力の特化。

 

「……は?」

 

 それはいったい誰の声だったのかな。

 ラストスパートのバ蹄の轟きでかき消されることなく鼓膜を揺らした一言は、あるいはその場にいるみんなの総意だったから聞こえたように感じただけかもしれない。

 バ群をまっすぐ突っ切るように、音もなく通り抜けて。先頭からあれだけ離れていた距離はあっという間にバ身で数えられる近さになって、停滞することなく縮まっていく。ろくに足跡すら残さない。それはまるで幻影のようで。でも確かにそこにある現実。

 

「え、ちょ」

「まって、ねえ待って。おかしいでしょそんなの」

 

 日本語以外の戸惑いの声も、何を言っているのかだけはわかる。

 外国語なんてわからなくても、気持ちは伝わってくる。同じものがみんなの心の中にあるから。

 昨年の有記念終盤に見せた姿に似ているけど、少しだけ違うもの。あれはテンちゃんと共同してやったずる(チート)だったけど、これはただのリシュちゃんの今の実力だ。

 わかったよ。縮まっていく距離のタネはオカルトじゃなくて算数。速度の差もあるけど、一番大きいのは単純な引き算の問題。

 同じ速度で走っているのなら距離が短い方が先にゴールする。リシュちゃんは誰よりも上手にゴールまでの距離を減算しながら走っている。そういうこと。

 まっすぐ走るのってむずかしいんだ。どうしたって左右で身体のバランスは非対称になるし、なんなら左右対称な人工物だってタイヤや道路に歪みがあれば簡単に曲がっちゃう。

 左右で握力がまったく同じって人はそういないだろうし、それが脚力に反映されると左右どちらかにヨレるクセとして出ちゃうこともある。何度も踏み荒らされた芝がきれいな道路からはほど遠いことなんて、もはや言うまでもないことだよね。

 みんな少しずつ曲がりながら走っていて、それを無意識のうちに修正している。でも速度が出ていれば出ているほど些細な歪みが大きく反映されて、その修正にも大きな労力が必要になる。スパートをかけているこのタイミングなんて今がまさにそう。

 だから理論上、理想論でしかない最適なルートをしっかり見極めて、空想的なまでに完璧にそのルート上を走ることができれば。周囲が発生させているロスの分、彼我の距離は縮まっていく。

 情報を丹念に咀嚼して、心と身体と状況を完全に掌握して、世界を手の届く範疇のものとして支配下に置く。つまりはそういうことで、何をどうすればそんなものを幻想から現実に持ち出せるのかマヤでもさっぱりわからない。やっぱりオカルトかもしれない。

 

 三バ身。おデジの真横をするりと通る。

 二バ身、一バ身。ヴェニュスパークちゃんとブライアンさんの間をすり抜ける。

 ゼロ。すぐそこにいる。

 

「ぐぅうう……!」

 

 唸って、振り絞ってもこれが今のマヤに出せるせいいっぱい。レース前に想定していた限界よりちょっぴり多めに引き出すことができたけど、でもそれだけ。

 ゴール板。銀色が五センチだけちょこんと前に出た。写真判定になって然るべき着差だったけど、絶対的な走りは誰の目にもその結果を理解させた。

 

『ゴールッ! 一着は四番テンプレオリシュ! 並みいる強豪を返り討ち、ここに最強を証明した!! 二着は十一番マヤノトップガン、三着は七番ナリタブライアン』

『世界最強の称号を懸けた戦いは銀の魔王に軍配が上がりました。凱旋門賞連覇のヴェニュスパーク、惜しくも四着です。これで秋シニア三冠および年間無敗のグランドスラム達成まで残すところあと一つ。来るべき冬の中山レース場で紡がれる現代の御伽噺、その最終譚には否応なく期待が高まるところですね』

 

 走り終わったリシュちゃんの全身から途端に汗が噴き出す。まるでそこだけ雨脚が強まったようにぽたぽたと、そのほっそりした四肢に流れて滴り落ちていく。

 そんな汗を拭おうともしないで、リシュちゃんはゆるゆると立ち止まると観客席の一点を見つめていた。

 震える身体で、それでも崩れ落ちないよう膝に手をついて支えながら。さっきまでの充血が嘘みたいに赤みが引いた、疲労でうつろになった目でまっすぐ見つめていた。

 スタンドから降り注ぐ大歓声も、熱狂のまなざしも歯牙にもかけないで。マヤもブライアンさんもヴェニュスパークちゃんも、他のみんなもみーんなみんな、芝の上で一緒に走っていた面々には目もくれないで。

 そしてリシュちゃんが見つめる先からも、リシュちゃんのことを見つめ返す視線の持ち主がいた。

 

「…………………………………………スカーレットちゃぁん」

 

 そりゃあないよーという気持ちと、まあスカーレットちゃんにはその権利があるよねーという気持ちのどっちもがある。

 リシュちゃんは結果的に最後方からスパートをかけて撫で斬りにして勝ったから、このレースに出走したほぼ全員がその空気を至近距離から味わうことになった。

 顔が違うんだ。国内の子たちと、海外勢の人たちで。

 海外勢の人たちは目に恐怖がある。強力なライバルに圧倒されるのとはまた性質が違う、言っちゃえばバケモノに遭遇した一般人みたいな怯えがある……ヴェニュスパークちゃんとかはまた違うみたいだけど。

 国内のみんなはバケモノじゃなくて、今日また新たな一面を見せた『バケモノみたいに強いウマ娘』を見た目をしている。だってみんな知ってるから。

 『あれは同じウマ娘。勝てない道理がない』って誰よりも近くで打ちのめされながら誰よりも諦めずに挑み続けたダイワスカーレットという具体例を知っているんだから。

 

 マヤたちの世代の中心はリシュちゃんたちだけど。世代の先頭は間違いなくスカーレットちゃんなんだよね。

 スカーレットちゃんが一番前を走り続けたから、後ろの子たちはみんな迷わずに済んだ。戦える相手なんだって、競える仲間なんだって心から信じることができた。

 だから一番リシュちゃんに勝ちたいのはスカーレットちゃんなんだって、それだけのものを積み重ねてきたんだって、それには納得できなくもないんだけどー。ないんだけどさー。

 それでもやっぱり、ここはマヤが勝ってもいいところだったと思うんだよねー? マヤにだってその権利はあったよねー?

 

 掲示板入りすらできない大敗。それはリシュちゃんが“最初の三年間”で終わってしまう未来から大きく遠ざける一手だったのにさー。

 URAを運営する人たちだってリシュちゃんたちのことが嫌いだから追放するわけじゃないもん。むしろこんな空前絶後の記録を打ち立てたスターウマ娘、長くいてくれるのならできるだけ長くいてほしいはず。興行として成り立たないから隔離されるってだけだもん。

 だからここで大負けして、次の有記念でも調子を取り戻せないで負けていれば。テンプレオリシュが一方的に勝利するんじゃなくて、ちゃんとこの世代の勝負が成立するんだって証明できれば。

 リシュちゃんたちのシニア二年目だってじゅーぶん射程圏内に入ったのに。

 

 うーん、これさー。

 次の有記念、スカーレットちゃんが勝っちゃわない?

 リシュちゃん、ぜーんぶ出し尽くしちゃったよ。有記念で使うはずだった分も残さずぜーんぶ使い切った。

 テンちゃんもリシュちゃんもどっちの潜在能力もきわっきわまで出し尽くして、そんでもってそれをゴルシTさんとスカーレットちゃんがしっかりデータ取っちゃったんだよ。

 たしかに今のリシュちゃんたちはバケモノみたいに強いけど、追いつけないほどの高みじゃあない。じゃあ勝つよね? スカーレットちゃんは絶対にそれを上回ってくるよね?

 最初から最後まで先頭を走って、スカーレットちゃんが勝つ。マヤわかっちゃった。

 

 うーん……。

 ううーん、ぐぬぬー…………。

 でも、今日のレースだってそうだった。

 “わかっちゃった”と思ったけど、はずれた。リシュちゃんとスカーレットちゃんに外された。

 だったらさ、マヤだってできるよね? トレーナーちゃんと一緒に、今わかっちゃった未来を変えることだってできるよね?

 

 うん! マヤ、次の有記念にも出走する。

 未来を変えるんだ。三着争いなんてしない。マヤが勝つ。

 スカーレットちゃんにふさわしいとは思うけど、さあ。

 マヤだってトゥインクル・シリーズのウマ娘だもん。リシュちゃんに勝って一番になりたいって、ずっとずーっと思ってるんだよ。

 だから、走るんだ。

 




これにて今回の連続投稿は一区切り!
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