「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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今回はアグネスデジタル視点です


サポートカードイベント:オタク娘かく語りき

 

 

U U U

 

 

「主人公にはなれないんだよね」

 

 これまで幸運にもバレなかったいたずらを告白するみたいに。

 きまり悪げに笑いながらテンちゃんはそう言いました。

 

 

 

 

 

 この冬の新刊はお休みです。

 それは妥協や諦観ではなく、選択。時間が足りないから手を付けられないのではない。物理的に行くことができないから委託で済ますのではない。

 ただ純粋に、創作意欲も萌え心もあたしの何もかも、全リソースをその日につぎ込みたい。一滴たりとも零さずに注ぎ込みたい。『あそこによそ見しなければ』と後悔する余地を消し去りたい。

 後悔すること以上に、後悔する()()()()()()ことの方が問題なのです。

 

 『主人公しかいない夢の祭典』、今年の有記念はマスコミからそう呼ばれています。

 無論いつだってこの年末の大勝負は夢の祭典でした。ファンの夢が集う場所。毎年この日の中山レース場は数多の夢が詰め込まれ、パンパンに膨らんだプレゼント箱。

 今日だけは大人も子供に戻ることを許される。常識も道理も恥も外聞もなく自分だけのヒーローを大声で応援できる熱狂の宴。

 ですが、ですがその上で。例年のこのレースが極上のお祭り騒ぎだったことを語るまでもない大前提とした上で。

 それでもなお、今年の有記念は一線を画している。

 

 

 

 

 

 リトルココンとビターグラッセ。

 この三年間、学園主催の非公式レースのアオハル杯にて。チーム戦という特殊ルールで多くのファンの耳目を集め、その中でもランキング一位常連チーム〈ファースト〉のエース陣としてトゥインクル・シリーズを裏から盛り上げてきた双璧。

 この国の激戦区である中長距離で勝ち星を稼ぎ続けてきた強豪。現代のアオハル杯を象徴するスター選手と言っても過言ではないかと。

 たしかに〈ファースト〉はプレシーズン第四戦でランキング三位まで転落してしまいましたが、来る決勝戦の三チームには入っているのですから誤差です。今は誤差ということにしておきます。

 

 樫本トレーナーに見出され、〈ファースト〉に所属するまでは輝かしからざる戦績の持ち主だったという点も彼女たちのドラマ性を引き立てていると言えるでしょう。『鬱屈としたドン底からの成り上がり』はオタクならずとも大好きですからね。

 そこから広がるはこの堂々たる成果。お二人の活躍とはすなわち、理事長代理も兼任しておられる樫本トレーナーの手腕と育成方針の正当性を証明するもの。少なくともあのお二人は、そして〈ファースト〉の皆様方はそれだけの意気込みで走っているように思わされます。

 そんな彼女たちがついに有記念へ出走するのです。ファンとウマ娘たちの夢の先。全員がそうとは言わずとも、数多が目標に据える果ての地。最初期からお二人のファンだった者にはひとしおの想いがあるのではないでしょうか。あたしにはあります。

 

 

 

 

 

 サクラバクシンオー。

 スプリントの絶対王者。

 これまでそう思われていましたし、これからもそう語られ続けることでしょう。

 しかし、それだけではなかった。

 デビュー当時から誰が見ても完全に短距離特化の適性を有しながら、天皇賞や有記念を目標に語る意識の高い方ではありました。でも誰もそれが叶うなどと信じていなかった。彼女の天稟はあまりにも明らか過ぎたから。

 当の本人と、契約を結んだトレーナー以外は。

 

 周囲の想像通りに短距離路線で圧倒的な戦績を叩き出した“最初の三年間”。シニア級のスプリンターズSではリシュさんたちに一歩及ばず二着と相成りましたが、タイムはクラシック級の頃の己が出したレコードタイムを更新しておりました。

 そして運命のシニア二年目。長距離用の走法を完成させた彼女はついにGⅠ最長距離、天皇賞(春)にてそのヴェールを脱ぎます。

 

 無理だ。無茶苦茶だ。そんな周囲の声と当日の雨天をものともせず、彼女は京都レース場3200mを逃げてみせた。ライスさんやマヤノさん、リシュさんといった長距離の申し子相手に逃げ切ることまでは果たせませんでしたが。

 序盤を過ぎ中盤を過ぎ、残り千メートルを越えてなお先頭を維持しレースを切り開いてみせたその走りは。伊達や酔狂とは一線を画した輝きと、重さがありました。あれこそが結実した夢というものなのでしょう。

 そんな彼女がまた一つ夢を叶えに来た。もうサクラバクシンオーの有記念挑戦を嗤う者はいない。

 

 

 

 

 

 ライスシャワーにミホノブルボン。

 バクシンオーさんの同期。クラシック三冠を分け合った宿命のライバル……と評するには少しばかり、当時の評価はブルボンさん一強に偏っていたかもしれませんが。

 

 バクシンオーさんと同様に短距離向けの体質とされながら、坂路を代表とする過酷なトレーニングで距離延長に成功。皐月賞、日本ダービーと順調に無敗のクラシック二冠まで駒を進めていたブルボンさん。

 そんなブルボンさんに憧れ、鋭く研ぎ澄ませた刃で差し切って菊花賞を勝利してみせたライスさん。

 シンボリルドルフ以来の無敗の三冠への無責任な期待が破られたことで心無いバッシングが発生したこともありました。彼女たちがこの世界に見切りをつけて立ち去ったところで誰も文句を言えません。言えるはずもございません。

 

 それでも彼女たちは戻ってきてくれた。先の見えないリハビリを乗り越えて。心無い言葉の刃を克服して。

 帰ってきてくださった。ブルボンさんのファンなどそれだけで涙で前が見えないことでありましょう。

 ただ、記念だけでゲートに収まるほど、それを許すほど彼女たちは己にやさしくありません。

 サイボーグと称されるほど徹底したタイム管理のラップ逃げで無敗の二冠を達成したミホノブルボン。その彼女を差し切りレコードブレイカーと恐れられたライスシャワー。

 彼女たちの新たな歴史の一ページが今日またここに刻まれるのです。

 

 

 

 

 

 ハルウララ。

 この時代におけるもう一人のレース界の寵児。

 ダートの短距離という適性の持ち主である彼女が、現在のURAでは芝長距離に区分される有記念に出走すること。批判する声があることは知っています。

 その想いはあたしもウマ娘ちゃんファンの一人として理解できるつもりです。何故自分の推しの枠を一つ潰して、勝ち目の乏しいウマ娘が人気任せに入ってくるのかと。

 ですが、その方々はちゃんと意識できているのでしょうか。ハルウララが有記念に出走するのは他の何物でもない、ハルウララ自身の圧倒的な強さによるものであるのだと。

 

 あの方はレースの天才です。走ることがただ純粋に大好きな彼女は、皮肉にもその純粋無垢な走りゆえに『走り』ではなく『興行』としてのレースで前人未到の偉業を成し遂げた。

 誰もがそうあれたらと漠然と憧れながら、具体的に夢想することすらできなかった理想形をウララさんは体現している。

 言ってしまえばレースで負けることなんて当たり前です。現代のフルゲートなら最大で十八名のウマ娘が参加して、勝者はただ一人。ごくごく稀に同着も発生しますが、それでも二人。残りは皆敗者。

 負け続けることも当たり前なのです。引退するまでに勝利を掴めるウマ娘はおよそ三割。将来有望とされ、見出されて上ったその舞台で、七割は何の成果もあげられないまま夢破れて去っていく。

 

 その当たり前の、ありふれた多数派でありながら、彼女は人を集める。応援させる。熱狂を生む。そこにはレコード更新はなく、三冠はなく、無敗もない。

 ウマ娘の心身に負荷をかけ命を削って、それでようやく得られるはずのもの。そこまでやっても得られる確証などないもの。それをただ本人の在り方だけで己がものとしてしまった。“アイドルウマ娘”と称されレースのかたちを変えてしまったあのオグリキャップさんでさえ、その根底には絶対的な強さがあったというのに。

 あのルドルフ会長が敬意をあらわにするウマ娘などとネット上でまことしやかに囁かれるのも宜なるかな。皆があのようになれたら、それこをルドルフ会長の理想通りすべてのウマ娘が幸福を掴むこともできるでしょうに……それができたら苦労はないですけれども。

 

 そう、不満ならば自分がやればいいのです。先んじられるのが嫌ならより速くなればいい。人気で劣ることで不利を被るというのであればより人気者になればいい。それができたら苦労はしない。しかして勝負の世界とはそういう(ことわり)

 正直なところ、感情面では面白くないと思っているウマ娘は出走する者の中にもいるでしょう。でも納得はしているはずです。おてて繋いで仲良くみんなで一着では満足できなかったから選んだ道で。自分の意思でここまで進み続けてきたからこそ、彼女の強大さは身に染みて理解している。

 

 ファンが『マスコミに踊らされて実力もなく……』などと、自分の中で思うのは勝手です。誰が何をどう思おうが、そこには口出しできません。ただ口に出す前に胸に手を当てて一呼吸、俯瞰してみてもバチは当たりますまい。

 ハルウララはレースが持つ興行としての側面で紛れもなく絶対強者なのです。その力で枠を勝ち取ったから彼女は今日、中山の芝を踏むのです。

 

 

 

 

 

 トウカイテイオーとメジロマックイーン。

 今年のクラシックロードを駆け抜けた優駿たち。

 昨年の“銀の魔王”に次ぎ、新たにクラシック三冠を制覇した史上七人目のウマ娘としてその名を刻んだトウカイテイオー。

 この動乱の時代の只中に燦然と輝く現代のメジロとしてジュニア級のGⅠホープフルSを制し、クラシック級では天皇賞(秋)に出走し“銀の魔王”と競い合ったメジロマックイーン。

 芳醇な才能と円熟した環境に恵まれながら、瑕疵なき道のりとはいかなかった。自らの意志で“銀の魔王”に挑み、敗北という傷を負った。

 今日またここに立ったのも、このレースが“銀の魔王”の“最初の三年間”最後のレースだということと無関係ではないでしょう。

 

 シンボリやメジロといった日本のレース界を牽引する名門の血筋の末裔たる彼女たちが、テンプレオリシュというウマ娘に対し拒絶反応を示すことなく、前向きに受け入れる姿勢を見せ続けたこと。このことは少なからず老人たちの頑迷さを緩和する効果があったのではないでしょうか。

 無論、彼女達が計算だけで近づいたとまでは言いません。そのような意図が皆無だったとも思いません。特にマックイーンさんは自らの行いが周囲からどのように見られるのか、常に己を律しておられるお方ですから。

 まー逆にテイオーさんはそのようなしがらみをあまり気にされておられなかったようですけども。リシュさんとはお互いによい意味で遠慮がなく、同じアオハル杯チームで先輩後輩として日々切磋琢磨される様は実にごちそうさまでした。

 

 

 

 

 

 ナリタブライアン。

 日本のレース史上五人目のクラシック三冠ウマ娘。完璧ではなく、絶対でもない。ただ最強の代名詞は彼女だった。

 今でこそその『最強』の座は“銀の魔王”のものだという認識が浸透しつつありますが。それでもナリタブライアンというウマ娘に向けられた、ファンの熱い視線は変わらない。それほどの走りでした。

 それほどの強さでした。狂暴で、豪快で、常識なんて投げ捨てて己の思うままに走って勝利を刈り取る。彼女がクラシック三冠を勝ち取るその場に居合わせることができた。その時代の当事者に成れた。そんな事実にただただ三女神への感謝を捧げたくなるような走りでした。

 その走りは今も変わらない。何度“銀の魔王”に打ち砕かれようとも、まるで敗北の痛みに怯む様を見せず、むしろより洗練されていくようで。

 

 あの圧倒的な実力と猛々しい雰囲気から見落とされがちなのですが、根本的なところであの方はマルゼンスキーさんとか同じなのですよね。楽しく走ることができればそれ以外は些事のエンジョイ勢なのです。

 楽しんでいるからこそ、肉体的なピークを過ぎてなおあの方は強くなり続けている。“怪物”と称された存在が、己と互角以上に競い合える戦場に夢中になっているのです。強くならないはずがない。

 昨日より今日、今日より明日、そういう新たな強みを得た“怪物”の新たな一歩。三人のクラシック三冠ウマ娘が集うこの冬の中山を揺らす衝撃の予感に、こちらの胸もときめいてしまいます。

 

 

 

 

 

 ハッピーミーク。

 現代にその名を轟かせる名伯楽、桐生院葵トレーナーの相棒。歴代桐生院のノウハウと当代桐生院たる葵トレーナーの想いが結実した元祖“適性SMILE”。

 万能とも言えるその適性の広さもさることながら、隙のなく分厚く培われた能力は派手さを必要とせず常に勝つための最適解を掴み取ることを可能としている。その様は当事者はおろか、観客席から見ていたはずの者にさえ『ひょっこり生えてきた』と評されるほどに自然でなめらか。

 桐生院葵の最高傑作と言ってしまえば、それは“銀の魔王”のことだろうと異論が飛んでくること請け負いですが。では桐生院あってこそ“銀の魔王”は“銀の魔王”足りえたのか? と問えば即座に頷ける者は何人いることやら。あたしは頷く側ですけど。そういう意味では万人が納得する当代桐生院の『代表作』はこちらの方でしょう。

 

 あたしたちの偉大たる先輩にして先達。我らがアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉をまとめるチームリーダー。

 この方が桐生院トレーナーと共に道を切り開いてくださったからこそ、あたしたちのトゥインクル・シリーズはあった。

 それはこれまでも、そしてこれからも変わらない。たとえ今日という日がどのような結末を迎えたとしても、それだけは確かです。

 

 

 

 

 

 マチカネフクキタル。

 とても独特な方です。感性も、ファン層も、それらとの距離感も。トゥインクル・シリーズで活躍するウマ娘の大半が自らの実力に自負と自信を持つ中、それを占いに置き換えている。

 クラシック三冠のうち菊花賞を制した実力者であり、この“銀の魔王”が駆け抜けた三年の間にGⅠで彼女と対戦した経験があるにも拘わらず、妙にファンから舐められています。『アイアンクローが似合うウマ娘ランキング』首位(デジたん調べ)は伊達じゃありません。

 そしてチーム〈キャロッツ〉における陰の立役者。

 ずっと見上げ続けていると、ふと見失ってしまうんです。見つめ続けていたはずのものも、これまで歩み続けてきたはずの道も。

 まっすぐ見つめていたからこそ、いちど見失うとそのまま迷子になってしまう。迷子の何がイヤって迷うこと自体もさることながら、迷子になった事実に気づいたときの自己嫌悪と心細さだと思います。

 そんなとき、彼女の占いは導いてくれるのです。それは決してオカルト方面の話ではなく。自らが積み上げたトレーニング量とそれが成し遂げた実績に誇りを持つウマ娘とは、異なる角度からの視点。

 トレセン学園、トゥインクル・シリーズという密閉された世界の中で良くも悪くも純度が高まっていく価値観の中で、彼女の言動は過剰に高まり濁りかけたそれを薄める中和剤となる。

 これは中央にその人ありと雷名とどろくゴルシTさんにも、その相棒たるチーム〈キャロッツ〉のリーダー、ゴールドシップさんにもできない導き方。舐められているだけじゃあ、ないのです。

 それにあの方はあの方なりに考えて行動されておられるのですよ。今回だって『フルアーマー・フクキタル』なる普段とは異なる装いで、あの方なりの思い入れをもってこのレースに臨まれているご様子。

 どれだけ努力しても届かない高い理想。納得できない自分と、それでも諦めきれない夢。その落差を埋めるための占いのようにも見えます。

 あの方の走りが今日ここに集ったウマ娘たちに何を与え、同時にあの方は何を得ることができるのか。あたしは占いなんてできませんけど、だからこそ幸多からんことを願うのです。

 

 

 

 

 

 マヤノトップガン。

 この時代の最先端を駆け抜けた変幻自在の天才。“銀の魔王”の背中を追うウマ娘は数あれど、同じ高さから世界を見ることが可能なウマ娘は限りなく少なく、そして彼女はその限られた中の一人。

 その蒼穹の果てまで見渡すような戦略眼はもはや一つのレースにとどまらず、幾多のレースを跨いで影響を及ぼします。数十キロの猶予など瞬く間に飛び越えて目標を撃墜する戦闘機の如く。

 実際、先日のジャパンカップにおいては“銀の魔王”を相手に勝利するという人類史上初の快挙にその指先がかかるところでした。想定外の事態と魔王の底力によって退けられましたが。

 いま、あの方の瞳にはいったい何が映っているのでしょうか? あの方々ほどの才気を持たぬ身としては想像することしかできませんが。

 あたしごときに語れることは少なく、ただあの天才が勝算なく勝負に挑むわけがない。それだけは確信しております。

 

 

 

 

 

 そして、ダイワスカーレット。

 今この瞬間において彼女を語る言葉を、あたしは持ちません。無論同じレースを競う者としてデータは頭の中に入れておりますよ? ただ、『宿命の対決』だとか、『運命のライバル』だとか、『紅の糸で結ばれた決戦』だとか。マスコミのように大仰なお題目を掲げる気になれないというか、それはちょっと解釈違いと言いますか……。

 彼女のことを知ったように語っていいウマ娘は、あたしじゃあないのです。

 

「あー、デジタルじゃーん。おーい、元気ぃ?」

 

 行く手を銀の影に遮られ、思考が中断されます。

 

「えと、元気もなにも、中山レース場(こちら)まで一緒に来たじゃないですかあ」

 

 あたしが個人的に交流のある中で、それなり以上の知名度があるウマ娘に限って挙げても、これだけの数です。

 誰もかれもが大長編の主役に抜擢されても見劣りしない優駿ばかり。そんな主人公たちの最終章に立ちはだかる魔王が今あたしの目の前にいる新世代の『絶対』。

 自らの内側で一対となっているため、外部に対を探さなくていい例外的存在。

 

 “銀の魔王”テンプレオリシュ。

 

 今年の有記念が昨年以上の注目を浴びているのは間違いなくこのお人が原因。昨年でさえ中山レース場周辺での交通規制が発生したというのに、それすら上回るとか日本中が、否世界中の人間が集まっていると言っても過言ではありません。いえちょっと過言かもしれませんけど。

 テンプレオリシュの“最初の三年間”は泣いても笑ってもこのレースが最後になりますからね。その影響は大きいでしょう。

 

 “最初の三年間”、それはトゥインクル・シリーズにおいてURAが手を出せない聖域。

 ……こう表現するとまるでURAが利益のためならウマ娘の自由を侵害する拝金主義者のように聞こえるかもしれませんがええ、まったくそんなことはなくて、ですね。

 ただ、トゥインクル・シリーズは興行です。それはどんな感情論でも覆せない単なる事実。そして興行、娯楽とは現代において氾濫といっても過言ではない多種多様なジャンルを保有しており、つまりレースとはその一角を占めるものにすぎません。

 当事者たちにとっては代用不可能な人生そのものだったとしても、顧客側からすれば飽きたら別のものに取って代る枠に過ぎない。

 だからそれを運営する者は、つまらなくなる要因を排除しなくてはならない。それもまた自然な流れ、自明の理なのです。

 URAだって人間の集まり。それもレースに携わることを仕事に選んだ者だけで構成されている組織。ただ仕事として割り切っている者もいるでしょう。でもレースに生きるウマ娘に尽くすことを選んだあたしのようなウマ娘オタクだって確かにいるはず。

 手出ししなくていいことを保障された時間。“最初の三年間”は三女神さまがくださった時間なので、人間の都合で邪魔してはならない。これはウマ娘やファンを守るのと同時に、実はURAも守っているのではないでしょうか。

 ……話が少し逸れました。

 

「ぼくはちょっと……元気じゃないかも」

 

 そうやって目を逸らして笑うテンちゃんは、見た限りでは不調には見えません。

 たしかに顔の輪郭は心なしシャープになったようにも見受けられますが、それは無人島トレーニングの成果とでも言うべきもの。

 あたしもトレーナーさんも同伴しませんでしたけど、帰還直後の彼女からは確かな成果を掴み取った者の覇気を感じたものです。

 

 ですが、いえ……言われてみるとたしかに。

 今のテンちゃんは研ぎ澄ませた結果というだけでは足りないほどに、薄い。向こう側が透けて見えそうとまでは言いませんが、レース前だというのに押し戻されそうな圧迫感がない。

 静かな気迫というのではなく、ただ本当に静かなだけ。

 

「ねえ聞いた? 今日のレース、主人公ばかりが集う伝説のレースなんだってさ」

 

 脈絡なく話をぶっこむ、それ自体はテンちゃんの行動としてよくあることです。

 ただ、なんでしょう。今回のは話題の主導権を握るテクニックなどではなく、文脈に辻褄合わせする余裕もない。そんなふうに感じました。

 

「主人公たちが集い、最強の魔王に挑む。たしかに物語の最終章にふさわしい。でもねでもね、ぼくらは主人公にはなれないんだよね」

 

 溜めもなく、するりと出てきた言葉。

 あるいはずっとずっと溜め続けてきた言葉が、ついに喉の奥から決壊したのか。

 

「主人公ってのはさ、未知なる明日に挑戦する者なんだ」

 

 まあ、一概にそう言い切ってしまうのは極論だと思いますが。

 わかりやすい指針だとも思います。

 人間って現状維持が基本スタンスなんですよ。そりゃあ、じっとしていられない人だっていますけど。大多数は特に困ったことがなければ、あるいは多少の困りごとがあったとしても、その場にとどまり続ける。

 この国では特にその傾向が強いと言われておりますからね。このデジたんだって例外ではありません。別にそれは悪いことじゃなくて、だからこそ組織が成立する側面もあるでしょう。

 

 スローライフや日常系をテーマにした作品も世にたくさんありますが、そのスローライフや日常の中でも何らかのイベントがあってこそ物語になる。

 昨日と同じ今日がひたすら続くだけでは、夏休み最後の日に泣きながら終わらせた日記以上のものにはなりますまい。いえ、これでもあたしはちゃんと真面目に終わらせてきましたけど。宿題をサボって創作活動なんてしちゃった日には、『オタ活が悪い』って周囲に見られちゃいますからね。

 

「でもぼくらは……リシュは違う。この子は『昨日と同じ今日』を求めている。それだけを、結局のところそれだけが、走る理由だ。これは厳しい」

 

 何が厳しいって、立ち位置があからさまに厳しい。『昨日と同じ今日』に固執し強大な力を振るうボスキャラと、『未知の明日』を目指し懸命に努力を重ねてきた主人公たち。誰がどう見たって勝つべきは後者。

 そんなメタ的な理由をしごく真面目に、どこか力なくテンちゃんは語りました。現実とフィクションの境目が曖昧な発言は今に始まったことではありませんが、やっぱり何かが違うような。

 これまでさんざんメタ視点を活用して利益を得てきたのだから、メタ的な観点から不利を被っても仕方がない。そんな諦めのよさを感じたのはオタクの妄想でしょうか。

 

 でも同時に思いました。いえ、思ったなんてもんじゃありません。テンちゃんが真面目にお話ししてくださっているのに、あたしの脳内回路は表層を取り残してオーバーヒート寸前の猛回転でした。

 昨日と同じ今日。ただそれだけを求めてリシュさんは走っていると仰いました。テンちゃんの言うことです。どうにもお二方の価値観の差異から同一人物でありながら認識の齟齬が生じているケースもままあるようですが、それでもまるっきり外れているということはありますまい。

 

 資本主義社会に生まれ育ったからでしょうか。無意識のうちに前提としてしまうのです。支払うものと求めるものの価値は釣り合っているのではないかと。

 全距離GⅠ制覇およびレコード更新。デビューから無敗の二十連勝、GⅠだけ数えても十六連勝。クラシック三冠および、春秋シニア三冠制覇。

 過去の偉業をただの過去にしてしまう偉業を超えた偉業。“最初の三年間”で成し遂げられることを片っ端から成し遂げていったような。

 それは完成を目前に控えた神話にして、万人の口を占領して語り継がれる伝説。そんな血肉を伴った現代の御伽噺を織り成して、ようやくどうにか釣り合うというのなら。

 

 彼女たちだけでつくられた、たったふたりで満たされた、今日も明日も明後日もその先もただずっと続いてほしいこれまで通りの『昨日』とは、いったいどれほどの価値を有していたというのですか?

 

 (とうと)い。

 

 胸中を満たすこの感情をなんとか言葉の形に押し込むのなら、きっとこうなってしまうのです。まったくもって言葉とはなんと不自由なのか。

 

「こっちに来る前に一度やったことだ。二度目はきっともう少しうまくやれるはずさ。それくらいできるはずだ」

 

 であるにもかかわらず、テンちゃんはその価値を見出していないようなのです。それは、それはとても、もったいないことだと思いました。

 

「でもねでもね、もしもぼくを欠いた状態でリシュが生存しちゃった場合……きっとリシュはこの世に仇なす存在に変わってしまうと思うんだ。もしそうなったら、勇者として――」

 

「あなたも推しなんですよっ!」

 

 考えて出た言葉じゃありませんでした。我ながら支離滅裂。脈絡のなさはテンちゃん以上でしょう。正直なところ自分でも何を言っているのか理解できませんでした。

 

 魂から出た言葉でした。

 

 ああ、いまわかった。あたしはこの瞬間のために秋シニア三冠を網羅したのだ。

 長距離適性を生まれ持たぬ身でありながら、2500mを走れる他のウマ娘ちゃんを差し置いてまで有記念に出走しようと心身を削ってきたのはこのためだったのだ。

 この一言に魂を乗せるため。誰でもないあたしが、あたし自身の言葉に一点の曇りなき信頼を込めるために。

 マヤノトップガンのように同じ視座で物事を見ることはできない。ダイワスカーレットのような強固な因縁もない。ウオッカのように一歩下がったところから冷静に俯瞰しているわけでもない。

 でもっ、それでもこれだけは確信をもって言える。

 この“最初の三年間”、どのウマ娘よりも近しい場所からテンプレオリシュを見続けたのはこのアグネスデジタルです。

 

 言われたテンちゃんはきょとんとしていて。

 鼓膜を揺らした情報がじわじわと全身にしみ込んでいくのを待つ一拍が生じました。

 

「…………ああ、そっか。言われてみればその通りだ。ぼくってウマ娘ちゃん(きみの推し)だったな」

 

 ゆっくりとその顔に笑みが浮かんでいく。普段の意図的にシニカルに歪めたものではない、どちらかといえばリシュさんのときのような淡くて純真な笑顔。

 あるいは、これがリシュさんの源流なのでしょう。

 うん、うんと二回頷いて、ぽっとその右目に赤く灯ったように見えました。

 

「ありがと、デジタルはぼくにとっての正義の味方だね!」

 

「はえ?」

 

「最近の正義の味方って言葉は正義と混同されがちだけど。実際はかなり別物なんだよねー」

 

 そもそも正義の味方が味方する『正義』とは、いったい何なのか。

 それはどこにでもあるかけがえのないもの。

 家族のため今日も仕事に出かける父親。明日牛乳パックが必要だと直前に言われ発狂する母親。なんだかんだ用意してもらった牛乳パックで宿題を片付ける子供。

 日向(ひなた)にあるもの。善なる存在。ただ生きているだけでそれが正しいものであると確信できる営みたち。

 そして善良であるがゆえに、世に蔓延る悪に対処するすべを持たない人々。

 

 彼らが理不尽な悪意にさらされたとき、悪以上の暴をもってそれに対処する存在。我は日向にあらず。我は善なる存在にあらず。ただ正義に味方するものなり。

 それこそが正義の味方。

 本当の正義なら対話によって解決を試みるはずだ? 暴力を振るうなんて間違っている? そんなの子どもに見せるべき正義の姿ではない? まったくもってその通り。その言い分は正義に適っている。

 その正義が通用しないときこそ活躍するのが正義の味方という暴力装置なのだから。

 

「最近はヒーローとイコールの存在で語られがちだけど、その原点はどちらかと言えばダークヒーロー的立ち位置なんだよ。って、雑食オタクのデジタルにこんなこと語っても釈迦に説法かー」

「は、はあ」

 

 ピンボールのように勢いよく唐突に、ぱちんぱちんとにぎやかな音を立てて弾けるような話の流れ。

 素っ頓狂な比喩でこちらを褒めているようで、よくよく考えてみれば遠回しに自分が味方されるべき正義であると自画自賛している。これは完全にいつもの調子に戻ったと見ていいでしょう。

 

 復活ッ!! テンちゃん、復ッ活ッ!!!

 

 ……ネタは抜きにしても、元気になられたようで本当によかった。

 単純に勝ち負けにこだわるのであれば、相手が不調であるに越したことはありません。その調子を取り戻させて自身の勝率を下げるなんてけしからんという考えもあるでしょう。

 しかし結局のところ、このデジたんにとってレースとはどこまでいっても推し活。それはスターティングゲートにしてゴール板。揺らぐようなものではなく、揺らいではいけないポイント。トレーナーさんもそこを崩さないまま巧みにあたしの勝利への渇望を掘り起こしてくださいました。

 だからウマ娘ちゃんが輝けば輝くほど、出走するあたし以外の面々が強大であれば強大であるほど、それはデジたんにとっての福音となるのです。

 

「ありがとう、デジタル」

 

 重ねて礼の言葉。同じ口から放たれた、しかして響きが決定的に違うそれ。

 薄さはそのまま鋭利な切れ味に変わる。鯨が踏んでも歪みすらしない傲慢な強靭さを兼ね備えて。いえ、鯨に足はありませんが。

 リシュさんに入れ替わったのは一目瞭然でした。

 

「これで足りる」

 

 簡素な一言。

 レース前の大事なときに、テンちゃんの活動時間という貴重なリソースを消費した理由が端的に含まれていました。

 

 し、しかしそのお礼はいったい何に宛てたものなのでしょうか? あたしがやったことといえば、たった一言吐き出したくらいです。それでいったい何が変わると、たかが一呼吸分の吐息が音声に変わったくらいで世界の何が変えられるというのか。

 もとからパーツはちゃんと揃っていたのでしょう。当日までに準備は万端に。この方たちならば当然です。少しばかり角度が悪くて嵌まりきっていなかったものが、軽い振動が最後の一押しとなってぴったり嵌まっただけのこと。

 

 ……などと、ごまかすのはやめにしましょう。あたしの名前はアグネスデジタル。この年末の夢の祭典の出走者名簿その名を連ねる者。

 その貴重な一枠を塗り潰してこの場にいるのですから、出走するウマ娘がたとえ誰であったとしても。あたし自身であったとしても。それを蔑ろにすることは、この夢の祭典の十六分の一を軽んじているも同然。

 それはオタクとして許されざる行いですので。

 

 もしもこの世に運命というものがあるのならば。

 あたしの魂を込めた音と熱のふるえはきっとそれを変えた。

 

 変わる前がどんな未来で、変わった今がどんな先に繋がっているのか、そこまではわからないけれど。

 あたしに馴染みのある言い方をすれば『どデカいルート分岐があるフラグをぶっ立てた』といったところでしょうか。セーブとロードとギャラリー機能がリアルにもあればいいのにとごく稀にですが深刻に思います。

 とはいえ、フラグを立てたのはあたしの一言であってもそこまでのチャートを組んだのは別のお方。

 

 暗躍に、策謀に、誘導。

 学習していないはずがなかった。この規格外の学習能力を持つ生命体が。ゼロ距離を内側に越えたマイナスの距離から絶えず観察し続ける機会に恵まれて。

 必要ないからやってこなかっただけ。相手の領分だから自身は手出しをしなかっただけ。必要になればこれこの通り。自分だけが見える未来に向かってあたしの魂の発露ですら計画に組み込んでみせる。

 

「じゃあ、またね」

 

 そう言い残して踵を返す、その最後に向けられた青い瞳が。

 なぜだかもう二度を見ることができなくなるような気がして。

 

 なんで『またね』なんですか? これからレースなのに。レース後だって同じトレーナーさんに迎えられて、ミークさんとご一緒に帰るじゃないですか。

 再会を約束する言葉が、これまで通りじゃないその先を強調するようで。

 

 嗚呼――だがなんとも救いがたい、オタクの業というものは。

 きっとあたしの顔はいま笑っている。

 “銀の魔王”テンプレオリシュというウマ娘は従来にあった全てを轢き潰しながらここまで邁進してきました。見せるものすべてが新鮮で、鮮烈で、慣れるまでもなく次の成長の成果に引きずり回されて。

 それでもここは中央。鬼が鬼を喰らう魔境。三年もあれば屍を積み重ねたその先に見えてくるものがある。

 先のジャパンカップ、ついに彼女たちは持てる全てを出し切った。それは聳え立つ巨峰であったとしても、もう手の届かない空を舞い踊る天使ではなくなった。

 そのはずだった。

 それがこうして、いまだかつてないテンプレオリシュの予感に期待にはち切れそうになっている。きっとあたしはこれまで知らなかった新たな彼女たちを知ることができる。それが待ち遠しくてたまらない。

 

 ああどうかどうか、一生始まらないで。

 目の当たりにするのがとても怖いのです。終わってしまうのだと知りたくないのです。

 

 

 

 

 

『御伽噺の終着点。英雄たちが集う冬のグランプリ、有記念! 今日ここに新たな伝説が生まれるか、それとも疵無き覇道が完結を迎えるのか?』

 

 本来、実況と解説が特定のウマ娘を贔屓するような発言は望ましくないとされています。

 一番人気でなくとも、この場にいる誰もが誰かの大本命として票を集めたからここにいる。それがグランプリレース。大本命を蔑ろにされて腹の立たないファンなどいません。

 それでも銀の魔王を前にしては歪まざるを得ない。否、いたずらに応援しているわけではない。ただ話題に出さないのは逆に公平性を損なってしまう。それだけの質量が今の彼女たちにはある。圧倒的な重力が存在している。

 “最初の三年間”最後の戦い。ここまで無敗。このままだとドリームトロフィーリーグに隔離という然るべき処置が行われてしまう。そんな結末、認めたくないから。

 集った英雄たちはただ一つの首を狙う。この場にいる誰もが、ふたりに冠されたただ一つの名前に注目している。その事実を無視して今日の有記念は語れません。

 

『三番人気を紹介しましょう。三枠五番、マヤノトップガン』

『いい感じに気合が乗っていますねえ。あらゆる状況に対応できる自在の脚質がこの子の強みです。実力者が集い波乱万丈が予想される今回のレースにおいて、どのような走りを見せてくれるのか期待が高まります』

 

 マヤノさんはこの動乱の時代に覇を唱えることを許された優駿。その事実に疑いようはありません。

 それでもこの、目も眩まんばかりの顔ぶれの中で三番目に推されるほどファンの人気を集めたのは。やはり前走のジャパンカップの健闘あってのことでしょう。

 

 あたしのウマ娘ちゃん表情リーディング検定が間違っていなければあの顔は『どーするかなー。うーん、まーなんとかなるかー』と考えておられるかと。

 その上で気迫が漲っているという評価がまったくもって誤りではない。

 なんとかなるかという軽さにも見紛う態度は、ここに至るまで成すべきことは成してきたという自負を基礎としたもの。裏付けとなる自身の力量と、己をここまで導いてきたトレーナーへの信頼の裏返し。

 彼女は本当に()()()()()()()()から。『なんとかなる』というのは努力不足からの現実逃避や根拠に欠けた過信ではなく、本当の意味での自信なのです。

 

『二番人気はダイワスカーレット。八枠十六番からの出走です』

『紅の女王が今年も中山に帰還となりますダイワスカーレット。前走のエリザベス女王杯は長期療養明けだったのにもかかわらず快勝。変わらぬ実力を見せつけました。今年は大外枠からのスタートとなりましたが、これが吉と出るか凶と出るのか』

 

 エリ女では最初から最後まで先頭を譲らない横綱相撲で押し切って勝利したスカーレットさん。しかし、一般的に外枠は逃げに不利とされています。それが十六人中十六番目の大外枠とは。その上で今回も逃げで先頭をひた走るのか。各陣営が注目していることでしょう。

 昨年の有記念の彼女の姿は忘れられません。脳内永久保存フォルダに入れるまでもない。焼き付いて離れない。きっと一生消えない。そんな熱が今でも心に残っている。

 一閃する寸前で留め置かれている紫電、そんな鋭利さと膨大なエネルギーの猛りを感じたものです。

 

 今のスカーレットさんはまるで別物。

 滾々と湧き出る温泉? そんなあたたかい奔流を感じます。同時に底知れなさも。

 昨年のような、研ぎ澄ませた鋭さとはまた違う。あのときですらウマ娘という存在の限界きわっきわまで突き詰めたと見る者に思わせたというのに。

 それすら上回り彼女は新たな強さをもってここに臨んだのだと、そう確信させられます。

 

『そして今日の主役は、いやこの時代の主役はこのウマ娘を置いて他にいない! 説明不要の“銀の魔王”テンプレオリシュ、一枠一番での出走ですっ』

『前走のジャパンカップでは見事ヴェニュスパークを打ち破りデビューから数えて二十連勝の大台に乗りましたテンプレオリシュ。勝ち鞍だけ見れば既に秋シニア三冠を達成、今日このレースに勝てばグランプリ連覇と年内の秋シニア三冠完全制覇という偉業を新たに打ち立てることとなります』

 

 誰かが言った。

 この時代のレースの流れを知りたければ、ただ一つの名前を追えばそれで事足りると。

 

 その名前を何処で知っただろう。彼女たちは戦場を選ばない。

 その功績を何処で知っただろう。どれ一つをとっても生涯をかけて目指す価値のある偉業が連なる。

 

 それはふたりに冠された、ただ一つの大切な名前。

 

『これが“最初の三年間”における彼女たちの最後のレース。そして関係者たちからはこれがトゥインクル・シリーズのラストランになるのではないかとも予想されています』

 

 別にうちの陣営から公式に発表したことはないんですけどね。リシュさんたちのドリームトロフィーリーグへの移籍。

 『負ける気が無いのなら勝つことを前提に予定を組んではならない』、それがテンちゃんの哲学ですもの。

 まあそういう話が当の本人や担当トレーナーにいっていないということはないと思われますが。隔離組の話はある意味でデリケートなので、詳細に踏み込んで聞いたことはないのですよね。

 なにせすごく乱暴に言ってしまえば『同期のやつらじゃ弱すぎて興行にならん』宣言です。腐っても同期のデジたんに面と向かって言うには勇気か図太さが必要になるってものです。

 

 既に可能性は濃厚。でもここで彼女たちに勝てば、来年はあるかもしれない。

 来年も至高の激闘を楽しめる。そう大衆に、URAに納得させる強い勝ち方ができればテンプレオリシュにシニア二年目があるかもしれない。

 この場に集った多くの者がそれを求めているのです。あるいは当の本人でさえも。

 

 それでも彼女たちはいつも通りに勝利を追い求めるのでしょう。

 

『数多の想いを力に変えて。最後の戦いが今、始まります!』

 

 ゲートイン完了からの一瞬の静寂。

 昨年にも増して集まった全観客が、これから始まる刹那の攻防のために息をのむ。その一体感が心地よい。

 でもそんな感慨を蹴とばす勢いで湧いてくる熱と冷たさに背中を押され、あたしたちは金属製のゲートに頭をぶつけかねない勢いで走り出す。

 

『絶好の立ち上がりを見せたのは十六番ダイワスカーレット。続いて三番サクラバクシンオー、四番ミホノブルボン。八番ハルウララ出遅れたか』

『十六番ダイワスカーレット、大外枠の不利をものともせず鮮やかに先頭に立ちました』

 

 あ。

 …………あー。

 ターフの上から見るのは初めてですね。

 

 ごく稀にあるんです。

 とてもとても強い逃げウマ娘が先頭に立ったのを見て。ああ、もう彼女は一度も先頭を譲らないままゴール板を駆け抜けるのだろうな、とスタート直後に自然と思えるときが。

 

 あのサクラバクシンオーやミホノブルボン相手に一歩も譲らず当然のように先頭を奪取した様を見て、確信してしまいました。

 今日この場においてはナリタブライアンやライスシャワーですら壁の華。彼女は絶対に一番になる。

 最初から最後まで先頭を一度も譲らずに走り続ければ勝てるのだと、幼き日の幻想を現実(リアル)に体現するその背中。

 

「――ええ、スカーレットさんの勝ちです」

 

 観客席から見ていればしたり顔でそう言っていたでしょうね。

 

 ターフの上にいる今、無論そんなことは絶対に許されませんが。

 




次回、シニア級有馬決着
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