「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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サポートカードイベント:πανσπερμίαはここに芽吹く

 

 

U U U

 

 

「ハルウララはレースの天才さ」

 

 あたしとミークさんとリシュさんたちは皆、同じトレーナーさんの担当ウマ娘です。

 今回のようにたった一つの勝利を競う状況では分かち合えないものがあります。レースにおいて八百長は厳禁ですから。共有してはならない情報があります。

 その一方で、同じトレーナーさんのもとでトレーニングを行うウマ娘なのです。純粋にお互いの実力を高めるものであれば、他陣営のライバルの情報を共に吟味することもあります。多角的な視点というのは大抵の状況においてメリットですからね。

 

「ただし『興行としてのレース』だけどね」

 

 これはその一環の思い出。

 トレーナーさん監修のもと、ミークさんとリシュさんたちと顔を寄せ合って話し合った情報のひとひら。

 

「レースに出て負け続ける。それはレースを志したウマ娘の七割が通る道。つーか公式レースで一勝できるウマ娘がたったの三割だもん。

 そんな誰もができることで、誰もできない圧倒的実績を叩き出したバケモノ。それがハルウララという歴史に名を刻む天才」

 

 謡うようにウララさんを読み解いていくテンちゃん。その身体は無人島生活で痩せ細り、メンタルも好調とは言い難いように見受けられます。

 それでも動けてしまう。必要だからといつもと同じように。少なくとも表面上は取り繕って。将来的に過労死とかなされないか心配です。

 

「才能がないわけじゃあない。むしろ素質で言えば上澄みも上澄み。勝つための努力を始めてから短期間でダートGⅠを制覇している。知識としては知っていたけど、実際にやられてみるとちょっとふざけんなって感じだよなー」

 

 ウララさんは十一月前半に開催されたJBCスプリントに勝利され、GⅠウマ娘の肩書と共に有記念に臨まれております。

 これはたとえ有記念に投票で選ばれた優駿たちでさえ達成できている者の方が少ない、レース界における偉業です。実際あたしだってGⅠに勝ったことがありません。特にここ最近は特定のウマ娘が距離適性を問わず片っ端からGⅠをかっさらっておりますゆえ。

 たとえ負け続けのド根性ウマ娘と呼ばれようとも。ただの人気だけで出走したとは誰にも言わせない実績。

 

「ただ、勝つための努力を始めたってことは――ぼくらと同じになったってことだ。彼女の才能の独壇場から、ぼくらと同じ舞台に立ったということ。ぼくらよりずっと出遅れてスタートして最後尾を走っているってことだ」

 

 努力というものはそう軽いものではない。残酷なまでに才能がモノを言う世界ではあるが、いやだからこそ、努力不足はどこまでも足を引っ張る。適性外を踏破しようとするのなら、ことさらに。

 そうテンちゃんは語ります。淡々と、蔑視も同情もなくただ事実を羅列するだけの口調で。

 今のあの子が有チャレンジをクリアするには長距離適性も芝適性もステータスもスキルも、何もかもがまったくもって完全無欠に足りていないのだ――と。

 

「つまりこの有記念のハルウララはちょっと足が遅いだけのウマ娘。フルゲートで出走するのは十六人。自分をそこから引いて十五人のライバルのうち、完全にマークを外していいウマ娘がいるのは労力的に助かるねぇ」

 

 心情的には素直に頷きがたいものがありますが、かといって言っていることが間違っているということもないのでした。

 

 

 

 

 

『一周目、正面スタンド前を大歓声を浴びながらウマ娘たちが駆け抜けていく。先頭は変わらず十六番ダイワスカーレット、一バ身開いて三番サクラバクシンオー、四番ミホノブルボン。内から十四番ブリーズプレーン、少し下がって十番メジロマックイーン、外に六番トウカイテイオー、二バ身離れて十二番ビターグラッセ。このあたりまでで先頭集団を形成』

『十六番ダイワスカーレット、やはり彼女がこのレースを作っていく展開になりましたか。彼女には後方からの差し切りを許さない根性があります。そう簡単に一番は譲りませんよ』

 

 とけてしまいそう。

 今が冬だなんて信じられない。こんな溶解してしまいそうなほどの熱気が充満しているのに。ターフの上も観客席も熱くてたまらない。

 誰が何を言っているのかいちいち判別なんてできやしない、ただ膨大なエネルギーの奔流となって降り注ぐスタンドからの大歓声。

 でも不思議なことに。誰かが誰かを応援しているということはこの耳ではっきり聞き取ることができて。

 

『二バ身離れて十一番ナリタブライアンここにいた。外に続いて九番ハッピーミーク。一バ身離れて十三番リトルココン、一番人気の一番テンプレオリシュこの位置付けています。二番ライスシャワーそのすぐ後ろ』

『二番ライスシャワー、彼女は徹底マークから差し切るヒットマンスタイルが持ち味です。今日は一番人気のテンプレオリシュを狙っている様子。マークしやすい隣の枠番を引いた幸運を存分に活用していますね』

 

「ぜりゃあああああ!」

 

 領域具現――熱血!ど根性坂

 

 中山レース場名物、ゴール手前に広がる高低差2.2m最大勾配2.24パーセントの急坂をビターグラッセさんの“領域”が覆っていきます。

 ただでさえ中山2500はホームストレッチに設けられたこの心臓破りの坂を二回越えることを要求されるというのに、その疲労度は世界を塗り替える不思議なパワーで倍ドン! これはもう一種の殺人未遂では?

 でも殺しにかかった程度であっさり死んであげるほど、素直なウマ娘ちゃんなどこの場には存在しないのです。天を衝く崖の幻想に塗りつぶされた急坂をものともせず後続が踏破していきます。怯まなかったところでスタミナが削られることも変わらぬ事実ですが。

 

 なお、ビターグラッセさんの“領域”は彼女が登坂に入ったタイミングで発動するので、その時点で既に坂を通過していた先団のウマ娘たちは無傷です。つまりスカーレットさんの走りには陰り無く。

 どうもビターグラッセさんの“領域”って自分が不利になることが発動条件の一つに含まれているっぽいのですよね。

 

 一方でリシュさんたちに動きがなかったのが気になります。ここは宝塚のとき同様に重ねてくるところだと思ったのですが。

 できなかったというのは考えにくい。ではやらなかった理由が必ずあるはずで。それが見通せない。

 推理小説ではないのです。疑問を片っ端から解き明かさねばならない道理もないのですが。まったくもって万能の実力者とは厄介なものです。動かないことがまた周囲を惑わせる一手として機能するのですから。

 

 その双眸はいまだ充血の紅に染まることなし。

 別に一昔前の少年漫画の主人公的サムシングのように、一回使うごとに寿命が削れるみたいなことはないようですが(リシュさんにせよテンちゃんにせよ、自分一人の身体じゃないので共有リソースの不可逆的損耗にはかなり敏感なのです)。

 走るという全身運動と併用するとなると、やはり乱発は難しいようです。ただでさえリシュさんは【灯篭流し】が常時発動状態でそこにリソースがつぎ込まれているはずですしね。

 最高効率で稼働する精密機械ほど遊びはないもの。そんな常識を真っ向から粉砕する拡張性と成長性を誇るテンプレオリシュというウマ娘ですが、それでも血肉を有するウマ娘である以上そこに限界は存在します。

 

『続いて七番アグネスデジタル。外に続いて八番マチカネフクキタル。後方にぽつんと一人、八番ハルウララ』

『ただでさえ先頭がはやく間延びした展開。芝の長距離レースが初挑戦なハルウララには厳しいレースとなったか。果たしてここから巻き返せるのか』

 

 走るのは楽しい、勝てたらもっと楽しい! そう言いきる春風のような笑顔はいま、彼女の顔には無いのではないでしょうか。

 後方の中でも追い込みに近い位置取りになっている今のあたしからしても、なお遠き最後尾におられるハルウララさん。

 今のあの方にこれ以上できることは何もない。ゴールに向かって走る以外は、なにも。

 レース中に何かを掴んで一気に、それこそ覚醒と評すべき変貌を遂げるウマ娘もいないわけではないですが。適性はそうではありません。一に先天的なもの、二でそれを打破せんとするのならば膨大な努力が必要となる。あの方は足りていないまま舞台に立ってしまわれた。

 実際にこうして長距離に区分される有記念に無理を通して道理を引っ込めて出走しているあたしだから、そこに手心を加えることはできません。だからただ祈るのみです。

 どうかこのレースがあなたの将来により多くの実りをもたらさんことを。どうか、どうか貴女は走ることを嫌いにならないで。それだけで救われる命がたくさんあるのです

 

 未来に心と思考を散らすのはここまで。

 あたしは勝つために今日ここを走っているのですから。ウマ娘オタクである己を捨てる必要はなくとも、ウマ娘オタクであること()()に専念するのなら観客席に留まっていなければならない。

 ターフに降りてきてしまった以上は、それが血迷った結果だろうが頭ポン菓子になった惨状だろうがここにいる者の務めを果たさねば。

 

『第一コーナーを抜け第二コーナー。十六番ダイワスカーレット先頭でペースを握る。二番手はサクラバクシンオー変わらず、十四番ブリーズプレーン少し上がってきたか』

 

 きっと、追い抜かすだけなら不可能ではないのです。

 徹底して後続から一バ身のリードを保ち先頭をひた走る、あの紅い背中を。

 

 でも、いまここで先頭を奪ったところで己の勝利には繋がらない。それがわかってしまう。ある者は理論的に、ある者は感覚的に、ルートは異なれども有記念に集う実力者ゆえに皆が共通の結論にたどり着く。

 このダイワスカーレットから先頭を奪い取るのはそれだけの難事であると。仮にあの美しい走りの邪魔をしても消耗してしまう。そんな己では勝利を掴むことなどできない。

 ではそうなったとき、いったい誰が勝利するというのか。

 自然と意識が引き寄せられる。いまだ中団後方に息をひそめている銀の魔王に。必ずしも彼女が勝つとは限らない。そんな終局まで完全に読み切ることができる者などこの世にどれだけいるものか。しかし、勝ってしまったら。魔王に勝利を献上し、URAからこの時代は敵に足りえずと決断を下されてしまったら。

 状況が噛み合ってしまっている。誰も彼もが高次元の実力者であるからこその一種の拮抗状態。

 

 ではこのまま終盤までいくのでしょうか?

 第四コーナーからよーいドンの、現代の定石のようなレース展開になるとでも?

 

 そんな予測もまた、素直に受け入れがたい。だってここにいるのはスターウマ娘ばかり。常識と定石をまとめてゴミ箱にポイして、その上で輝かしい成果を出してきた優駿揃い。

 たまたまだ。顔を見合わせて息をひそめているような状態が続いているのはたまたまに過ぎない。その裏では凄まじい勢いで緊張が高まっている。エネルギーが爆発の時を求めて蓄積されている。

 誰がきっかけになるかはわからない。でもナリタブライアンがいて、サクラバクシンオーがいる。マヤノトップガンがいて、ハッピーミークがいて、そしてテンプレオリシュがいる。

 おとなしく台本通りに踊るような役者じゃないということだけは、これまでレースを通じて彼女たちの人となりを見てきた者たちの共通見解となることでしょう。

 

「あたしにもね、思うところってモンがあるのサ」

 

 はたしてその(とき)は来ました。

 まさか彼女が、と意表を突かれた思いでした。

 十四番ブリーズプレーンさん。今回の有記念に出走したウマ娘の中で、唯一デジたんが直接的な接点を持たなかったお方。

 無論、その活躍のほどは存じ上げております。今年でトゥインクル・シリーズ七年目という、芝を主戦場にしていることを考えると歴戦の老兵と言っても過言ではない戦績を誇るお方。晴れの日も雨の日も安定した走りを見せ、阪神レース場での好走は特に印象的。福島レース場や新潟レース場でも好成績を収められております。

 

「“銀の魔王”と同じ時代を生きた。彼女が走っているときあたしも走っていた」

 

 彼女の持ち味はその安定感。派手に勝つことはないけど、大きく負けることもない。コツコツと掲示板に食い込み収得賞金を積み重ね、勝ち星と共にまた一つ上の戦場へと進んでいく。

 そこに荒波を乗りこなす船のような躍動的な感動はないでしょう。その代わりに、青く晴れた空にゆっくり引かれていく飛行機雲のような安心感がある。

 七年目にして他の有力候補を差し置きこうして有の枠を勝ち取っていることからもおわかりでしょう。七年間絶えずファンを惹きつけ続けた魅力の持ち主で、堅牢な実力の持ち主。それらを支える穏やかながらも強靭な心の持ち主なのです。

 

「今日、やっと同じ芝の上を走ることができた。今日になるまでただ同じ時代を走っているだけだった……!」

 

『十四番ブリーズプレーンあがってきた! ここで先頭に立つか!?』

『掛かってしまっているようですねえ。一息つけるといいのですが』

 

 掛かってしまっている、妥当な見方ではあります。

 勝負の熱に呑まれ、勝負所を見失った暴走。そう謗られても否定のできない加速だったかもしれません。

 熟練と言われ、老兵と呼ばれてもその心は年若い少女でしかない。どれだけ研鑽を積み重ねたところで呑み込み難いものはあるものです。それを捨てきれなかった未熟。

 

 ただ、あたしはその熱をただの失態だと切って捨てたくはなかった。

 “銀の魔王”テンプレオリシュという強大な敵の影に目が眩んで、走らずにはいられなかった。それは本当に間違いなのでしょうか? ここに至るまでに直しておかねばならなかった欠陥だったのでしょうか?

 その熱は、かつてあたしが魅入られたウマ娘ちゃんたちの輝きと同じ色をしていたのに。レースに全力を懸ける魂の輝きをたしかに感じたのに。

 憧れと己のプライドがごちゃまぜになって、愚行だと自分でわかっていてもなお仕掛けずにはいられなかった。

 走らずにはいられなかった。それを尊いと感じた己の魂に嘘はつきたくなかった。

 

「何の爪痕も残すことができず、ただ忘れ去られるのは御免なんよ」

 

 領域具現――本日ノ航行異常ナシ

 

 冬の中山を穏やかな蒼穹が侵食していく。彼女の魂が、あふれ出る想いが世界を染め上げてあたしたちの魂にまで沁み込んでくる。

 

 領域具現――Queen's Lumination

 

 そしてそれは鮮やかに跳ねのけられた。

 

「忘れないわよ、アイツは」

 

 紅の花吹雪とは異なる、新たな力。

 音もなく降り積もっていく雪が周囲を覆い尽くし、地上の一点から噴き出す金色の光がそれらをまとめて眩く染め上げる。

 

「そういうやつなんだから」

 

 雪のひとひらは手で掬えば溶けてしまうほど儚くとも、地平を埋めるまで膨大に積み重ねられたそれは時に鉄筋の建造物さえ押し潰す。

 天と地の狭間まで埋めるような金の光は、この空間が無機質で美しい雪の結晶だけで形作られたのではない、猛々しいまでの誇りに満ちている。

 冷たくて、熱い。まさに先頭をひた走るあの方を象徴するような世界。

 

『十六番ダイワスカーレット直線でさらに加速! ハナは譲らないと後続を突き放すっ!』

『まだ千メートル以上残っているぞ! ほんとうにこのまま最後までいってしまうのか!』

 

 こうなったらもうね、止まりませんよ。こんな応酬を見せられて、ここで静観するような面々じゃあありませんよ。

 箍が外れたように。堰を切ったように。

 

「なるほど、バクシンですね!!」

 

 領域具現――優等生×バクシン=大勝利ッ

 

「フッ、そうではなくてはな……喰らい尽くす!」

 

 領域具現――Shadow Break

 

「やれる、できる、ド根性ッ!!」

 

「……勘弁してよ……まだ半分残ってるってのにさ!」

 

 領域具現――深海廻廊

 

「これが有記念……! ええ、覚悟の上ですっ!」

 

「リシュのいるレースは二回目なんだ! ボクやマックイーンがこの程度で怯むと思うなよっ!」

 

 前も後ろも百花繚乱。

 “領域”として結実したものも、そこまで至らぬものも、ばちりばちりと火花を散らす魂の破片が断片的な想いとなって後方を走るあたしの頬を打つ。

 バックストレッチに入り距離的には遠いはずのスタンドからの大歓声が、熱気に絡まり合って、まるで一つの存在になってしまいそうな。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) Hróðvitnir

 

 音が消えた。

 せっかちが過ぎる皆既日食のように。夜とは質感を異にする黒が一瞬で訪れ、そして過ぎ去っていく。

 圧縮されていく。ただ一点に。そこにいるウマ娘の身体を中心に。

 熱のベクトルが変えられてしまったような気がしました。中山レース場を漫然と渦巻いていたそれらが、傾斜を設けられたように流れていくような。

 

「ありがとう」

 

 落としたものを拾ってもらったような気軽な礼。

 圧縮されていく。レース場を覆う宇宙の天蓋は、小柄なウマ娘がぎりぎり入りきるほどの大きさの球体に。摂理を超越して物理的に目視可能なのではないか、そんなことを考えてしまうほどの濃度に。

 それはまるで……卵か、繭かなにかのようにも見えました。

 

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 

「ずっと、無意識のうちに選択肢から外していた。予感があったのかもしれない。怖かったのかもしれない。でも、今はもう迷わない」

 

 因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】 × 【因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 

 織り成されるは白と黒の円環。新衣装の銃剣ではなく、きっとこれまでの人生共にあり続けたシンプルな長剣の意匠。恒星を取り巻く惑星のように規則正しく、中心の漆黒をぐるりと無数の剣が包囲する。

 包囲網を形成し終えた剣の群れは動きを止める。しかし惑星が恒星の引力に引かれるまま落下せず公転軌道を維持できるのは万有引力の法則に加え、遠心力の運動エネルギーあってこそ。

 落ちていく。樽に収められた海賊人形を剣で突き刺していく遊戯の如く。切っ先を下に向けて順番に堕ちていく。肉を穿つ生々しい音が響く。

 

「今日と同じ明日を迎えるためなら、私は昨日までの私たちにだって牙を剥く」

 

 同時にあって然るべき飛び散る血潮も、苦痛の悲鳴も、宙に並べ立てられた白と黒の剣も何ひとつ余すことなく飲み乾して。

 

 ドキドキしました。ワクワクしました。

 資格無き者には観測すらおぼつかないでしょう。知識無き者には理解できないでしょう。でもあたしはこの三年間、ずっと特等席から首ったけで推させていただいてきたのです。

 だからあたしにはわかります。

 あれはテンプレオリシュの足跡。この三年間で身に付けた異能を最新のものから順番に、時系列とは逆順に積み重ねたアルバム。

 一つ一つ、他の何かと混ざり合うことなく。奪い取った熱はあくまで燃料として。純粋に自分たちだけで繋ぎ合わせて、仕上げに始まりの二つを重ねて取り込んだ。

 ならば到達したのは始まりを超えた零の領域。だったらまた始まりますよね? ここからですよね? ええ何が、なにがなにがなにがなにがなにかが――

 

才能開花

因子簒奪(ソウルグリード)】→【万物の種子(パンスペルミア)

因子簒奪(ソウルグリード)」が「万物の種子(パンスペルミア)」に進化した!

 

 ぴしり、と罅が入りました。それは瞬く間に球体全体に広がり、ばりぃんとあっけない音を立てて砕け散ります。

 中から出てきたのは銀に輝くウマ娘。外観に大きな変化はなし。翼がついているわけでも、角が生えているわけでもない。変身ヒロインのパワーアップイベントのように新衣装に変わっているなんてこともなし。

 ただ一点を除いて。彼女のことをわずかにでも知る者なら気づかないはずがない、絶対的な変化が双眸にあり。

 

 ときに、オッドアイの定義をご存じでしょうか。

 左右で目の色が違うこと? ええ、間違いではないです。でも実はそれ、『左右で目の色が違う症状』限定の状態を指す単語ではなかったりします。それはヘテロクロミアというまた別の用語があります。

 では『オッドアイ』とはいったいどういう意味なのか? もったいぶらずに答えを言ってしまうと虹彩異色症のこと。瞳に複数の色が入り混じっている状態。

 だから、一つの瞳に二つの色が共存していてもそれはオッドアイなのです。銀髪オッドアイのウマ娘のままなのです。

 

「おはよう、私たち。やっと朝だね」

 

 混ざり合って紫になるのではなく。赤と青のまま一つの瞳の中に、左右対称の美しい文様を描いて調和している。

 後方に位置するあたしからは見えるはずもないのにしっかり見えました。そんな物理的制約から解放された知覚ゆえでしょうか、何故だか次のこともはっきり確信できました。

 あれは不可逆の変化です。レース中の一時的なものではない。テンプレオリシュは赤と青のオッドアイのウマ娘のまま、ふたりでひとつのウマ娘のまま新たな存在として再誕なされた。

 

 ある種の融合を経たからといって、かの“紫”のようにありとあらゆる能力が倍に跳ね上がるなんてことは起こっていない様子。きっと正規ルートではないのでしょう。その半分の、五割増しにすらなっていない。

 せいぜい全ステータス三割アップといったところでしょうか。

 つまりテンプレオリシュほどの頂点に君臨するウマ娘のあらゆる能力が上限を突破して、瞬間的にさらなる三割上昇を見せたということ。おそらくは永続的に。敵対するウマ娘にとっての絶望です。

 

「あわわ、位置取りを間違えた気がひしひしと……。私あれをまくって差し切る自信なんてこれっぽっちも湧いてこないんですが……! カモン、シラオキッ! プリーズヘルプミー!?」

 

 フクキタルさんの悲鳴の念は、このレースを走るウマ娘たちの代弁だったかもしれません。

 

「ついてく、ついてく……それでもライスはついていくんだ!」

 

 同時に、ゆらりと青く燃え上がったライスさんの気炎だっておおよそこの場の共通見解ですとも。

 リシュさんたちが空前絶後の強敵であることは承知の上でここに臨んでいるのですから。戦いを放棄する理由には、ならないのですよね。

 

 もー、たしかにこのデジたん、レース中にコツを掴んで急激に伸びるウマ娘もいるにはいると少し前に語った覚えがありますが。

 それにしたってこの伸び方はないでしょう? まさにチートですよチート。リシュさんからすればこの三年間の集大成が結実しただけであり、己に恥じるところなど一点の曇りもないでしょうが。

 ……あ、ちなみにオタクはチートという言葉を『ずるいくらいにスゴイ』という誉め言葉的な意味合いで使いがちですが。本来の意味合いは『ずる』を意味するネガティブな言葉であり、特にゲーム業界で活動する方々にとっては業界を蝕む現在進行形の敵を指すワードだったりするので。

 使うときはちゃんと時と場所をわきまえて使いましょうね!

 

 あたしのテンションは天元突破です。あんな美しいものを見て、魂が燃え上がらなきゃオタク名乗れません。

 

 そこから先は夢のようなひとときでした。

 意識がはっきりしない時間が続いたとも言います。

 

 瞬き、光り、祈り、走る。

 競う、交わす、競り合う。

 走る。

 ぶつ切りの単語だけが白く靄のかかった脳裏をよぎっていくようで、はたしてその言葉が状況と対応しているのかさえ定かでない。そんな一滴の余裕もなく記憶の一手間すら溶かし尽くして、脚を前に動かす。

 

『一番テンプレオリシュと十六番ダイワスカーレット、前の二人が完全に抜け出した! 中山の直線は短いぞ、後ろの子たちは間に合うのか!?』

『いけええええスカーレット! 逃げきれえええ!! っと失礼しました、先団から十一番ナリタブライアンと五番マヤノトップガンが追走。十四番ブリーズプレーン無理が祟ったか後方に沈む。二番ライスシャワー抜け出そうとしているが厳しいか』

 

 気づけば短いことで有名な中山レース場の最終直線。

 

「ちょっとー、マヤをおいていかないでよ」

 

 領域具現――フラワリー☆マニューバ

 

 領域具現――ひらめき☆ランディング

 

 可愛らしいお声と、ちっとも可愛らしくない鋭いコーナリングで四角を曲がり切りスパートをかけるマヤノさん。

 当然のような顔をして立て続けに織り成される“領域”。曲芸飛行で空にハートを描く飛行機からブーケが投げ渡される。とびっきりのおもちゃ箱のようなパステルカラーの中をマヤノさんが飛んでいく。

 

「まだ喰い足りなくてな。もう少し付き合ってもらうぞ」

 

 領域具現――灰色の臨界点

 

 競り掛けられたブライアンさんも負けてはいない。

 渇望の紫炎を漂わせ、何もかも焼き尽くして灰に変えてしまうような“領域”と共に凄まじい末脚が発揮される。大地を砕いて噴き出る光がその背を後押しする。

 

 領域具現――万物の種子(パンスペルミア) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 それを横薙ぎに振るわれた漆黒の剣が青の軌跡をもって無慈悲に跳ねのけた。

 もののついでとばかりに抉り飛ばされる幻想の断崖絶壁。ゴール前の坂に設置されていたビターグラッセさんの“領域”が揺らいで消える。

 間違いなくこの決戦の場に立つに相応しい実力者たち、そんな優駿でさえ近づけない。前をゆく二人に追いつけない。

 

 後続から一バ身の差をつけて先頭に立つのは当然のように紅と銀の二人。でも、それを運命と呼んでしまうのはお二人にとっての侮辱となるのでしょう。

 他の何かに約束されたわけじゃない。誰かに強制されたわけでもない。ただ相手と自分自身に約束したものを手放さなかった結果があの壮絶な叩き合いなのですから。

 

 自分が一番じゃないと気が済まないスカーレットさん。

 自分が一番であることが揺らがないリシュさん。

 似て非なる存在であると同時にどこまで行っても似た者同士。だからこそ惹かれ合う。何度だってぶつかり合う。お二人とも自分を曲げることなんて考えもしない筋金入りの頑固者だから。

 

「まだ、まだぁ!」

 

 領域具現――万物の種子(パンスペルミア) 十束剣(トツカノツルギ)

 【レッドエース】×【長距離直線◎】×【ブルーローズチェイサー】

=【紅青散華】

 

 新たに引き抜かれた黒と白の剣が絡み合い、湧き上がる紅と青の花弁が後方に尾を引いていく。まるで燃えながら夜空に散っていく流星のような速度と輝きで。

 その双眸の白くあるべき部分は既に真紅に染まっている。持てる手札の全てをつぎ込んで勝ちにきている。

 テンプレオリシュがついに並ぶ。かわして、先頭に立つ。

 逃げとは前半に稼いだリードを後半に守り通す戦法。様々なバリエーションがあってもその基本は変わりません。だから後続に追いつかれたら、その時点で圧倒的な不利。

 

「このレース中、何度限界を超えようときみの脚は壊れない。そういうふうに調整をした。その代わり、アオハル杯の決勝は諦めてもらったけどね。だから――」

 

 刹那、声が聞こえた気がしました。

 いえ、ホームストレッチを走っている位置関係上、スタンドからの喉も裂けんばかりの大歓声は絶えずビリビリと臓腑から揺さぶってきます。

 でもそんな、音とは空気の振動であると理科の基礎教養を身をもって教えてくれるそれらではなくて。凛と内側に響くような、意味の通った言葉が。

 ウマ娘の“領域”越しに響くのとよく似ていて、似ているからこそ何かが異なると感じる声。滋味に富んだよく通る声。ゴルシTさんのものだと思います。

 スカーレットさんの魂を通じて、伝播してきた? それほどまで己の担当に寄り添っていると? 真相を確かめるすべはありませんし、あったとしても判別できるだけの学はこの身にありませんが。

 

「勝てえええ! スカーレット!!」

 

 大歓声に紛れて聞こえた最後のそれは肉声だったように感じました。

 相手を叱るときでさえ声を荒げることがないというゴルシTさんが。立ち上がって身を乗り出して、汗を滲ませて声を張り上げる様が目に見えるような熱のこもった声でした。

 

「いけえっ、スカーレット! 今はお前がナンバーワンだッ!!」

 

 ウオッカさんの声がそれに続きます。

 スカーレットには負けたくない。常々そう公言しているウオッカさんが。ライバルを自認し、そんな相手に先んじられ続けている己に忸怩たる思いを抱いているウオッカさんが。

 今この瞬間だけは相手が自分より先んじていることを素直に認め、その上で観客席から勝利を願った。彼女にこそ一着はふさわしいと言葉にした。年頃の少女にとって、勝負に生きるウマ娘にとって、その声援の裏にどれだけの覚悟と痛みがあったことか。

 

 それら想いの価値が裏切られることはない。

 

 領域具現――ブリリアント・レッドエース

 

「舐ッめるなぁあああ!」

 

 赤い花弁が渦巻き、螺旋を描いて突き抜ける。

 逃げウマは追いつかれたら終わり。そんな常識をダイワスカーレットは燃え盛るような根性で打ち砕く。

 

「舐めるわけ……ないだろうがああぁあ!」

 

 領域具現――万物の種子(パンスペルミア) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 領域具現――万物の種子(パンスペルミア) 白域(ホーリー・クレイドル)

 萌芽【深海廻廊】

 

 たとえ黒い剣の群れが千々に襲い掛かろうとも。深海の昏さに押しつぶされようとも。削られる傍から紅花は咲き続ける。

 見てください。一度並ばれ追い抜かれかけたのに、耳を絞って差し返しましたよ? あれがレース序盤から先頭を逃げ続けたウマ娘のやることですか? なんで逃げウマが差し返せるんです?

 

「やあぁあああああああああ!!」

「はああああぁぁあああああ!!」

 

 ぶっころす。そんな憤怒と殺意が滲むような競り合い。

 でも同時に。この程度でお前が死ぬわけがない。まだいけるよね? そんな甘美な信頼が滲んで見えるのは酸欠と疲労で頭ポン菓子と化したオタクの幻想でしょうか。

 

 殺されるのならお前がいい。お前以外は許さない。

 でも私が勝つ。だからお前が死ね。

 

 間違いなく一着を奪い合う敵で。同時にかけがえのない大切な存在で。

 親友とか、ライバルとか、そんな綺麗な言葉ですら包み切れないほどに大きなおおきな存在。

 

「お願い、負けないで!」

 

 近しい人の応援は何も相手側に限った話ではありません。

 あたしのウマ娘イヤーは、あたしたちのトレーナーさんの切なる祈りの声もこの土砂降りの豪雨のように降り注ぐ大歓声の中から掬い取りました。あたしにできるのならリシュさんにだってできるでしょう。

 全身全霊をもって勝てと叫んだゴルシTさん。負けないでと祈るあたしたちのトレーナーさん。それがお二人の間を隔てるトレーナーとしての差なのかなと思います。

 でも、純粋なトレーナーとしての器では見劣りするのだとしても。ならばその差分、自身の素質で補えばいい。そう気負いなく豪語できるからこそ、“銀の魔王”は“銀の魔王”としてあたしたちの世代の頂点に君臨しているのです。

 想いを乗せて走るのは、どのウマ娘にだって許された特権。

 

「んっ、まけない……!」

 

 領域具現――万物の種子(パンスペルミア) 十束剣(トツカノツルギ)

 【絶対は、ボクだ】×【全身全霊】×【最強の名を懸けて】

=【白銀の熾天使】

 

「うあああぁああああああああ!!」

「ああああぁああぁアアああぁ!!」

 

 三対六枚の銀翼を羽ばたかせる魔王と、どこまでも紅華を咲き誇らせるヒロインとの一騎打ち。

 既に“領域”を咲かせているウマ娘は他にもいるのに。マヤノさんだって、ブライアンさんだって、一方ならぬ優駿たちが己の世界を爆発させて一着を目指しているというのに。

 一バ身が縮まらない。あの二人には追いつけない。

 

 これまで積み重ねてきたもの、ここで新たに得たもの。

 自分の中にあるもの、誰かから受け取ったもの。

 ぜんぶ薪としてくべて、命を燃やして。

 

『前二人が鎬を削る! 壮絶なデッドヒート! どっちだ、勝利の栄光はどちらの手に!?』

『後続から七番アグネスデジタル外に抜け出した。このまま捲って上がってくるか!』

 

 領域具現――尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!

 

 嗚呼、おねがいです。

 どうか満足してしまわないで、あたしの心。ここからのアングルだけで十分だなんて思わないで。

 もっと近くで。もっと前で。いま以上に尊い光景が広がっているのだと欲望の炎を絶やさないで。じゃないとここに立つ資格すら失ってしまう。

 

 ……駄目だ。魂には嘘をつけない。

 だってあたし、ウマ娘ちゃんが大好きなんですもの。

 あの光景を見ていたいと、それ以上の何も思えなくなってしまった。そんな自分を偽れない。どこまでいってもそれがあたしという存在でした。

 あの二人の走りはそれほどまでに輝いて見えたのです。

 

『二人並んでゴールイン!! どちらが体勢有利とも言い難い、ここからはまったく同時にゴール板を通過したように見えました! 掲示板には写真判定の表示が出ています』

『先に三着以降が出ております。三着は十一番ナリタブライアン、四着は五番マヤノトップガン、五着は七番アグネスデジタル』

 

 あたしはかろうじて掲示板入りという結果でした。でも救いがたいことに、後悔はしていないのです。

 いいレースでした。それをこの距離から、この位置から、こんな特等席から感じることができた。

 今日繰り広げられた伝説の一端を担うことができた。そのことに誇りすら感じてしまっているのです。胸を張れてしまえるほどに、今のあたしのすべてを出し切ったレースでした。

 ただ勝てなかったのではありません。完敗したのです。何度今日をやり直したところで、あたしがあたしである限りこれ以上の成果を出すことはできないでしょう。

 

「あーあ、勝てなかったなー」

 

「……いいところなし。トレーナーにごめんなさい、しないと……」

 

 口では不満らしきものを漏らすマヤノさんやミークさんの表情もどこか晴れやかで。見れば出走したウマ娘たちの多くがそのような顔をされておられました。

 通常、負ければ悔しいものです。人生をつぎ込むような努力が結果という形で完全否定されるわけですから。いつもならレース後のクールダウンの最中から顔を覆ったり、中には人目もはばからず泣き出してしまったりする子だっています。

 今回は少しばかり様子が異なりますね。何一つ間違えなかったとは言えない。完璧なレースを展開できた者などいやしない。後悔の種はある。それでも前を走った二人につられて自らも燃えた。心を燃やし尽くした。完全燃焼の清々しい気怠さがその場を煙のように漂っていました。

 当の紅銀二人はそんな清々しさから無縁の表情をしているのが、なんだか一周回っておかしさを感じますね。どこをどう回ってきた感性なのかはさだかでありませんが。

 

 写真判定は長引き、掲示板が確定する前に地下バ道へ移動することになりました。

 ここにはトレーナーが立ち入ることができるので、ここまでトレーナーさんに出迎えられる子は少なくありません。

 その中に、抱き合って泣く一組の人影。

 

「ごめんね、ごめんねトレーナー……ひくっ、クリスマスプレゼントに勝つよって、言ったのに……ひくっ……」

 

「ごめん……ごめんなウララ……! 他の誰でもない。俺がお前を強くしなきゃいけなかったんだ。ろくに何もできないままお前を送り出してしまった……!」

 

 ハルウララとそのトレーナー。最初から最後までぽつんと一人、最後尾を走り続けたお方。燃え尽きることができるほどの力も発揮できなかったお方と、そんな彼女をそんな彼女のままに舞台へ送り出した指導者。

 ああ、でも、もう大丈夫。膝をついて視線の高さを合わせ、しっかりと相手を抱きしめながら恥も外聞もなく真摯に涙を流すウララさんのトレーナーさんを見ているとそう思えました。

 

「強くなろう。今度こそ、二人で……!」

「うん、うん……がんばる、わたしがんばるよ……!」

 

 なまじウララさんが人気のあるウマ娘だっただけに各方面からいろいろ言われていた挑戦でした。実力が伴わないまま有記念という大舞台に出走。そりゃあね、あたしとしても思うところがなかったと言えば、嘘になります。

 ですが二度とこんなことは起きないでしょう。これからはダート路線に専念するのか、それとも再びこの年末の舞台を目指すのかはわかりませんが。次はちゃんと勝つためのレースができる。この二人ならば。

 さすがは音に聞こえし有記念。年末の夢の祭典。二人の真の物語は“最初の三年間”を乗り越えたここから始まるのでしょうか。

 

 そしてまた一つ、物語は大きな一(ページ)を増やすのです。

 

『確定いたしました! 一着は一番テンプレオリシュ! 二着は十六番ダイワスカーレットです! “銀の魔王”、年内秋シニア三冠完全制覇達成ッ!! 伝説は伝説のまま三年間を駆け抜けたっ!!』

『三年前、この御伽噺をいったい誰が想像したでしょう……ありがとう、ありがとうテンプレオリシュ……それしか言葉が見つからない……』

 

 レース中の煮えたぎり破裂するような感情の発露の仕方ではなく、膨らんだ風船に小さな穴が空いてゆっくり空気が抜けていくような。そんな大観衆のどよめきが地下まで流れていきます。

 あたしは、なんとなく驚きませんでした。そんな気がしていたんです。レース開始直後はスカーレットさんの走りを見て彼女の勝利を確信していたのに。まったくもって節操がないことです。

 

「……まだよ、まだ。まだ」

 

 あなたは諦めないのですね、スカーレットさん。

 周囲を完全燃焼させるほどの熱を発したというのに、自身はまるで燃え尽きることなく。血が滲むほど唇を噛み締めながら。敗北に打ちのめされるよりも先に、灼熱の眼差しで次を見据える。

 

 ドリームトロフィーリーグで行われるそれはトゥインクル・シリーズのそれに比べ興行としての色合いがより強くなっている。

 それはスカーレットさんが望む勝負ではない。そこで競ってもスカーレットさんが魂の底から追い求め続けている『一番』を得ることはできない。

 たしかに可能性はゼロではないのです。あれほど短距離の絶対強者として畏れられたサクラバクシンオーにシニア二年目があったように。興行として成立するとURAが判断するに足る根拠があれば、隔離は実行されない。

 トゥインクル・シリーズの“最初の三年間”はこれで終わってしまいましたけれど、アオハル杯決勝とURAファイナルズという真剣勝負がまだ残っている。

 そこで一勝できれば、テンプレオリシュとのレースは興行が成立する戦いであると立証できれば。

 

 可能性が一パーセントでもあるのなら絶対に諦めない。

 フィクションではよく聞くフレーズ、実行するのがどれだけ困難か。実行に移すその姿は、傍からすればどれだけ尊くまばゆく映るのか。

 

「デジタル」

 

 聞きなれた声が耳朶を揺らします。

 振り向くと、思った通りの銀の光がそこにおわしました。赤と青の瞳がまっすぐにあたしを見つめています。

 

「……同志。あなたのことはなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」

「リシュの方でよろしく。どっちでももはや間違いじゃないけど、呼称を統一していないと面倒だから」

 

 これまでがコインの表と裏みたいなもんだとしたら、今はメビウスの輪みたく表も裏もない状態になってんだよねー、などと宣いながら。

 いまだ引かぬ汗を気だるげに拭うその姿はたしかにリシュさんとテンちゃんの雰囲気を同時に感じさせるものでした。

 やれやれ、慣れるまでたいへんだー、なんて仰られていますけれど。二重人格が同時に表出しながら共存している状態なんて、対応する方もかなり混乱すると思いますよ? あたしはまあ、推しにそういうものだと言われたら『はえー』と口を半開きにしながら鵜呑みにするオタクの生き方が染み付いているので抵抗ありませんけど。

 

「んー、葵トレーナーはまだ来てないみたいだね。ってかゴルシTの姿も見えないし。マスコミにでも捉まっているのか? レース直後に、担当の元まで急ぐトレーナーを塞き止めるとは考えなしで無粋なやつらだ」

「もしもそれが本当なら改善されるべき由々しき事態だとは思いますが……本題はそうではないのでしょう?」

 

 いつもなら推しとの会話など値千金、お財布が許す限り延長を申し出て然るべきサービスなのですが。

 今は本当にぎりぎりなのです。魂を燃やし尽くして真っ白の灰になって、その余熱でかろうじて動いているような状態。あたしですらそうなのです。リシュさんたちの消耗だって無視していいものではないはず。

 レース結果が確定した以上は一刻も早くトレーナーさんに診ていただいて、ライブが始まるまで少しでも長く休んでいただきたいところでした。

 

「ん、じゃあ言うね」

 

 ゆっくりリシュさんは表情を微笑のかたちに動かし、手をこちらに差し出してきました。

 

「結果は出した。足元は固まった。だから例の計画、実行しようと思うんだ。デジタルはついてきてくれる?」

 

 問いかけているようで、断られる不安なんてみじんも伺えない。なんて傲慢な甘え方。

 ええ、それでいいのです。“銀の魔王”テンプレオリシュはそれでいい。そんなあなただから人は好きになるのです。推さずにはいられないのです。

 

 こちらもそっと手を伸ばす。

 普段はイエスウマ娘ちゃんノータッチを鉄の掟としているデジたんですが、あえてここはその信条を曲げてもそうするべきだと思いました。

 恭しくその手をとって、跪いて首を垂れる。

 

「あなたとならば、どこまでも」

 

 それがこの歴史の渦中、自ら望んで舞台に立った役者として果たすべき務めだと感じたから。

 だってあたしもレースに生きることを選んだウマ娘ですもの、ね?

 

 




育成目標達成!
全ての目標を達成しました!





これにて今回の連続投稿は一区切り!
例によって一週間以内におまけを投稿後、書き溜めに移行します
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