「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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サポートカードイベント:リュウグウノツカイ

 

 

U U U

 

 

 第一戦、芝2000m中距離部門。担当ビターグラッセ。

 

 ああ、アイツ油断しやがったなと見ていて思った。

 だってそうだろう。第三コーナーでテンに詰め寄られ、並ばれた瞬間にがくりとそのフォームが崩れたのだから。

 勝負根性、叩き合いで相手をすり潰すのがビターグラッセの強みだ。一部の逃げウマのような臆病さとは最も程遠いところにいるウマ娘であり、そんな彼女が並ばれてフォームを崩すなんて油断くらいしか原因が思いつかない。観察を疎かにしてバ場の荒れているところを踏んだか。ウォームアップが不完全で筋を痛めでもしたか。

 樫本トレーナーは怪我に関しては人一倍敏感だ。野良レースで怪我しただなんて、言い訳しづらい事態になってなきゃいいけど。そんなことを考えていた。

 

「できる! やれるっ! ど根性ッ!!」

「言うだけある。根性はたいしたものだ、が……情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ! そして何よりも――速さが足りない!!」

 

 そんな崩れたフォームになりながらも最後の直線で、一度は離された距離を再度縮めにかかった気合は認めよう。だが気合いだけで勝てたら誰も苦労はしない。そもそも油断するなという話だ。

 悠々と伸び脚を使うテンを差し返すには至らず、一バ身という明確な差をつけてビターグラッセは負けた。

 今回はテンに一勝すればその時点でこちらの勝ちで終わる特殊ルール。とはいえ、アオハル杯になぞらえたこの形式で最初の一戦目が敗北というのはいささか以上に幸先が悪く、チームの空気が悪くなる。勘弁してほしい。

 レースを終え、観客席へと力なく歩いてきたビターグラッセに向ける視線に険も混ざろうというものだ。

 

「何やってんの?」

 

 負けたチームメイトにかける言葉と口調ではなかったかもしれない。いや、間違いなく不適格だった。

 でもアタシはチームメイトのことを仲間だなんて思ったことはない。仲良くしようと努力することはおろか意識することさえ億劫だ。

 そういうことは樫本トレーナーがやってくれる。そういう方針を前提に集まった集団がこのチームなのだから、ある程度はお互い様だろう。

 どこか怪我したのかと確認したかっただけなんだけどな。

 

「……いや、聞いてほしいリトルココン。実は」

「怪我でもしたの?」

 

「いいや、そういうわけじゃないんだが」

「だったら後にして。言い訳を聞いてこれ以上テンションを下げたくないから」

 

「ぶはっ!?」

 

 怪我してないならいいや。早々に話を打ち切った横で、何故かテンが噴き出していた。

 

「おいおいココンちゃん。ぼくが言うのも何だけどそこまでテンプレ極まりない悪役ムーブするぅ? でっかいフラグが立ちましたよ今」

 

 鼻を鳴らして受け流す。いちいち相手にしていられない。この一年ルームメイトとしての経験から、テンとまともにやり合っていては神経がいくらあっても足りないと学んだのだ。

 テンがこうして観客席にいる理由は簡単だ。グラウンドでかけっこの延長線上のように行う適当な野良レースならともかく、今回はレース場でゲートとゴール板を用いた本格的なものだ。アオハル杯の各部門の距離が異なる以上、レースごとにコースの調整をしなくてはならない。

 その役割は〈ブルームス〉の面々がせめてこれくらいはと買って出てくれたので、こうしてコース調整の間コイツは観客席で休むことができるというわけだ。さすがにそうでなければ本人も連戦しようなどと言い出さなかっただろうし、周囲も認めなかっただろう。

 いや、このインターバルがあったところで十分無茶なんだけどさ。

 

「それで、ビターグラッセ負けちゃったけどどうする? 今なら引き分けってことで手を打ってもいいよ」

「は? バカじゃないの」

 

 レース直前にテンが言い出した罰ゲーム上乗せの話か。『一生グラウンド使用禁止!』というビターグラッセに負けずとも劣らない『なんでも相手チームの言うことをひとつ聞く!』というガキっぽさ漂う提案。

 まず、ここで引き分けということにして勝負を終わらせてしまうのは論外。まだどちらも感情的に納得してない。ここまで野良レースに時間と手間暇をつぎ込んでおいて禍根を残すなんてバカらしすぎる。中央のウマ娘は暇じゃない。

 あんなの無効だと強弁するのも選択肢ではあるけど……その場の勢いが多分に混ざったとはいえ、一度はビターグラッセが代表として受け入れてしまった追加ルール。一敗した現状でいまさらナシだなんてウマ娘の本能が拒絶する。

 きまりが悪いという以前に、不義理でしょそんなの。

 

「次のレースの心配でもしておけば?」

 

 何より、こっちが勝てばいいだけの話なんだから。

 仲間意識が薄いのと、その実力を把握していないかは別の話。同じ樫本トレーナーに指導してもらう都合上、同じ場所で一年もトレーニングを重ねてきたんだ。

 まぐれで二連勝できるほど〈ファースト〉の層は薄くない。

 

 

 

 

 

 第二戦、芝1600mマイル部門。担当デュオジャヌイヤ。

 

 彼女はスピードとスタミナ、根性といった面でビターグラッセに一歩譲る。反面、レース中の視野の広さでは上だ。主戦場がマイルということを鑑みれば、明確にビターグラッセに劣ると言えるのはスピードくらいだろう。

 つまり、そこらのウマ娘には劣るべくもない実力者。

 

「おしゃあ勝ちぃ! 何で負けたのか次までに考えておいてくださいっ!」

「くっ!」

 

 それが負けた。二連敗だ。

 負けパターンはビターグラッセと似たようなもの。中盤まで先行して走っていたのが、後ろから来たテンに差し切られた。

 ビターグラッセのときのようにフォームが崩れたわけでもない。単純に末脚の鋭さで押し切られた、力負け。今回も一バ身という明確な差がつけられた。

 

 ちゃぽん、と足元から湧き出た何かが足首を濡らす幻覚。

 

「やっほーココンちゃん見てたー? 勝ったよぶいぶい。そろそろアップ始めた方がいいんじゃないー?」

「……っ!」

 

 一年間ちょっかいをかけられ続けたルームメイトという先入観を取り除き、ようやくアタシはテンを真剣に見据えた。

 クラシック級の相手、それも実質ジュニア級に毛が生えたような時期。チーム〈ファースト〉のこれまでの実績。そのことに慢心があったと焦燥と共に認め、相手の実力を推し量る。

 

 まるで霧をむりやり型に押し込めて形を造ろうとしているような感覚。

 

「は?」

 

 なんだこれ、読み取れない。

 たしかにアタシはトレーナーじゃない。中央の変態どものように一目見ただけで、少しトモを触っただけで、その実力を見抜くような技術は持ち合わせちゃいない。でも、自分なりに自主練のメニューを組める程度には知識を持ち合わせているつもりだった。

 少なくとも短距離向きか、長距離向きかは脚をみればわかるはずだ。スプリンターの脚はがっしりと太く、ステイヤーの脚はすらりとしている傾向がある。

 スプリンターかステイヤーか。これは生まれつきの筋肉の配分によって決定すると言われており、つまるところ才能。今のところ努力でその壁の破壊に成功したのは、あのミホノブルボンくらいだ。他にも似たようなことをしたウマ娘はいるのかもしれないけど、アタシは知らない。

 

 思えば最初から不自然なほどに気迫を感じなかった。実力者だと身構えさせるものがなかった。その原因がこれなのか。

 皮膚の下一枚に収まっているはずの筋肉がまるで見通せない。色素の薄い肌が、まるで霧の立ち込める昏い森のように得体のしれない深さを有している。

 どんな身体に生まれつき、どんな鍛錬を積み重ねればこんな脚になるのか。まるで想像がつかない。速筋と遅筋の配分いったいどうなってるんだ?

 

 あらゆる距離に対応する規格外の逸品のようにも思えるし、どんな距離だろうと成果が出せないみすぼらしいガラクタのようにも思える。

 ビターグラッセとデュオジャヌイヤの敗北を見た上でなおそう感じている現状が何より気持ち悪い。

 あの二人を相手に連戦して息を乱している様子もないことから、スタミナは常人以上で回復力にも秀でている。今の段階でわかるのはそのくらいだった。

 

 

 

 

 

 第三戦、ダート1800mダート部門。担当フェニキアディール。

 

「がんばれ二号ー!」

 

 腹立たしいほど呑気に、しかし真摯に観客席から応援するテン。

 事前の取り決め通り、このレースはコイツではなくUMA覆面二号を名乗る不審者が走っている。中身がどんな顔をしているのかは知らないが、骨格に見て取れる未成熟の残り香からしておそらくはテン同様にクラシック級のウマ娘だろう。

 

「が、がんばってーUMA覆面二号さん!」

「がんばれー!」

「がんばってください」

 

 〈ブルームス〉の面々が声援を上げるのは第一戦から変わらず。自分たちのチームメンバーではなくとも自分たちの代理で走っている以上、応援するのは当たり前という姿勢。

 声一つ上げず観察や、黙々と自分の準備に精を出す〈ファースト〉とはどこまでも対照的だ。正直なところ相手チームの声が五月蠅い、煩わしいと感じなくも無いが……今走っている不審者二号はさっきまでの二戦、観客席でキレッキレの動きでサイリウムを振り回して応援していた。あれと比べたら静かなものだろうと己を納得させる。

 

「さーて、第四コーナー。ここからだな」

 

 余裕に満ちたテンの声に、ひたひたと膝の裏まで何かが押し寄せてくる。

 

 フェニキアディールは率直に言えば、ダートメンバーの中でやや見劣りする人材だ。

 適性の幅が狭く、ダートのマイル以外で十全に力を発揮するのは難しい。実のところそのダート適性にしても他のレギュラー二名に比べたら一枚劣る。

 またスタミナも乏しい。ダート部門は中距離以上で開催されることがまず無いということを差し引いて、なお不安が残るほどに。

 だが、根性の一点ではチーム全体で見ても三指に入る。上にいるのは根性バカのビターグラッセと普通にバカのアゲインストゲイルだけ。今回も正月に帰省せず、各部門のエースに混ざってトレーニングする向上心のカタマリ。

 仲間意識こそ無いが、同じ時間を過ごした相手。その実力は認識している。断じて凡百のクラシック級に負けるようなウマ娘ではない。

 

 では、この結果は何なのか。

 

 彼女は先にも述べた通り器用なウマ娘ではない。たとえそれがこれまでの二戦でチームが負けてきたパターンであろうと、作戦を変えることなく自身が最も力を発揮できる先行策を選んだ。不審者二号はその後ろ、差しの位置についた。

 最後の直線、必死に逃げるフェニキアディールと力強い足取りで外側からかっ飛んでいくUMA覆面二号。彼我の距離はみるみる縮まっていき、二つの影が交差した瞬間にゴール板を駆け抜けていた。

 

「もつれ込むように並んでゴールイン! うーん、体勢的には二号有利に見えたけど野良レースに写真判定ができるわけでもなし。引き分けってことにしておこうか」

 

 あと一ハロンあれば確実に差し切られていた。

 アタシの目にも、いや、どうだ? 角度を考慮すれば同着、あるいはフェニキアディールがハナ差で先だったんじゃないか。考えれば考えるほどに願望が記憶を歪ませる。

 

「そうしたいのならそうすれば? どうせ結果は変わらないんだし」

 

 どうせテン相手に一勝すればこちらの勝ちなのだ。だからこの勝敗は重視する必要がない。

 アオハル杯のレギュレーション通りだったら敗北にリーチがかかった状態という現実から目を逸らし、アタシは吐き捨てた。

 

「ううー……ぜぇ……しゅみましぇん同志……ぜぇ……」

 

 観客席に戻ってきた不審者二号は全身から汗を滴らせ肩で息をしており、見るからに精魂尽き果てていた。全力を振り絞ったことがわかり少しだけ安心する。

 

「なぁに。シニア級の相手、それもあの〈ファースト〉相手に互角の勝負に持ち込んだんだから大したものさ」

 

 コイツみたいに走り終えたと思えばすぐに息を整え平然としているバケモノは一人で十分すぎる。

 

「それでも……勝つべきでした。同志はもう二戦しているんですよ。さらにもう二戦なんて無茶です。せめて、あたしもあと一回は……」

「いやいや、今の状態を見ればどっちの方が余力残っているかなんて一目瞭然じゃん。それに残りは短距離と長距離だよ。どっちも二号は不得意だろう?」

 

 ぴょんぴょんと主張するように軽くステップを踏むテンの足取りは本当に軽やかで。先の二戦が、ビターグラッセたちの敗北が何ら負担になっていないのではないかと思わせるに十分なものだった。

 眉間にしわが寄るのを自覚する。

 

「まあ距離適性のことを除いてもいまの二号にはあまり走ってもらいたくないかな。楽しめてないだろ? ウマ娘ちゃん箱推しで雑食のキミが、ウマ娘ちゃんが最も輝くレースという空間を共有して、出てくる感想が『勝つべき』だったなんてさ」

 

「あ……」

 

「責任感や義務感で走るなとは言わないし、想いを背負うのが間違いだとも思わないけど。せっかくこの世界では自分の意志でレースに出走してるんだから、胃腸薬のお世話になるような真似はよそうぜ。ウマ娘に楽しくないレースはしてほしくない」

 

 薄っぺらなきれいごとを、まるで教科書を読み上げるように真面目に朗々と語る。そうやって不審者二号をしょんぼりと黙らせたテンは、覆面越しでもわかるほど朗らかにニッコリ笑ってこちらを見た。

 

「さあ、楽しいレースの続きをしようか」

 

 目に見えない水圧が腰まで迫るのを感じる。もはや動くことさえ苦労しそうだ。

 

 

 

 

 

 第四戦、芝1200m短距離部門。担当デュオペルテ。

 

 彼女はチームで随一に頭がいい。しかし、それゆえ考えすぎてしまうのか勝負根性に乏しい節があり、叩き合いになればそのまま押し負けるだろう。

 そんなデュオペルテがとった作戦は逃げ。もとは差しの脚質だった彼女が、チーム〈ファースト〉で新たに手に入れた勝つための武器だ。

 その中でも今回彼女は大逃げを選んだ。テンはインターバルを挟んでいるとはいえここまで二戦している。レースは一戦一戦心身を消耗させるもの。マークするつもりの相手が勢いよく飛び出せば疲労で鈍った判断力、つい勢いに釣られ掛からせることもできるかもしれない。

 アタシから見ても悪くない策だった。

 そしてそんな策を、常識を、平然と踏み越えていく規格外がいるのが中央だ。

 

「追い込み、だと……?」

 

 思わず口から洩れるつぶやき。

 短距離ではスタートダッシュが重要となる。瞬きの間にスタートからゴールまで駆け抜けるこの距離で出遅れは致命傷。バ群の無いこのレースでわざわざ追い込みの位置につけるメリットなど皆無に等しい。

 そのはずなのにテンは悠々と、一時は十バ身以上差をつけられた状態になったのにも関わらず己のペースを守り続けた。まるで狩りの時の肉食獣のように身体を撓め、溜めて、溜めて。

 

「シャアアアアアア!」

「ひっ」

 

 直線で一気に爆発する。その迫力は影が交差した瞬間、飛び散る血飛沫がこちらの目にまで幻視されるほど。彼女はものの見事に狩られた。

 気迫負けしてヨレたデュオペルテとゴール板を駆け抜けたテンの間には、またもや一バ身の明確な敗北が横たわっていた。

 ここまで繰り返されると嫌でも理解させられる。コイツは狙ってこの距離を演出している。

 

「ふいー、おまたせココンちゃーん。待ったー?」

「……べつに」

 

「ダメじゃないか。そこは『全然。いま来たところだよ』って返すのがお約束だろ?」

「ふざけたことに付き合わせないで」

 

 文句でさえ口から上手く出てこない。普段のアタシなら『どいつもこいつも情けない』くらいの憎まれ口は叩けただろうに。

 首元まで浸かる感覚。もう誤魔化しようがないほどに、アタシは敗北のプレッシャーに沈められていた。

 

 

 

 

 

 第五戦、芝3000m長距離部門――アタシの担当。

 

 落ち着け。

 そう自分に言い聞かせる。テンはクラシック級のウマ娘だ。つまり長距離は未経験。

 トゥインクル・シリーズにおける長距離レースはクラシック級の夏あたりからぽつぽつ出走可能になり、G1という括りで言えばクラシック三冠目の菊花賞が最初となる。菊花賞が『もっとも強いウマ娘が勝つ』と言われているのはG1という大舞台でいきなり3000mという未知の長丁場と二度の坂越えを余儀なくされるからだ。

 経験の有無はそのまま実力差に繋がる。この3000mはアタシのテリトリー。三戦もしたテンはいま疲労のピークであるはず。これからさらに長距離を走ろうというのだ。否応なしに気力は下がるだろう。

 ゲートの中でちらりと横を見る。覆面越しでも隠しきれないほどにテンは楽しそうに笑っていた。

 もはや何度聞いたかもわからない、ゲートの開く金属音。

 

「ふっ!」

「シッ!」

 

 勢いよく飛び出し先行したのはテンの方。

 これも大きな違いだ。これまで敗北を喫してきた〈ファースト〉の面々は先頭(ハナ)や前目につける者ばかりだった。コイツ自身がペースを作らなければならなくなったとき、いったいどんなレース展開になるのか。

 3000mという未知の遠路を先導無しに切り開く。これはテンにとって大きな不安要素のはずだ。

 前で揺れる銀をにらみつける。長距離は技術の積み重ねだ。いくら才能があろうと、トレーニングを重ねていようと、本番のレースでしか得られないものがある。この時期のクラシック級とは埋め切れない経験値の差が存在している。

 負けたアイツらみたいに最後の直線で差し切ってやる。その笑顔を苦悶の歪みに変えてやる。せいぜい悩みながら走るといい。

 

「……チッ」

 

 一回目のホームストレッチに入るころには、コイツの異常性はあからさまになっていた。

 足音が極端にしない『軽い』走り。ふわふわと曖昧に安定しないフォームと相まって、まるでそこにいるのが幻か何かのような錯覚すら覚える。

 速いのか、遅いのか、自分の中のペースが狂わされる。普通ウマ娘の歩幅はおおよそ一定なのにコイツは違う。ガチャガチャと忙しなく切り替わり、そのくせ理想的なライン取りが成立している。頭がおかしくなりそうだ。

 後ろについたのは間違いだったか? いや、そんなはずはない。

 UMA覆面を名乗る不審者たちは雑魚じゃない。そこは認めなければならない。樫本トレーナーの管理下にあったウマ娘の敗北を軽視するのは、あの人の管理プログラムの成果を軽視するに等しい。感情は感情、データはデータとして切り離して考えなければならない。

 アタシの最も得意とする作戦を選んだのが間違いであるはずがない。全敗のプレッシャーに精神が圧迫され、正常な判断が下せなくなっているのだろう。

 だったらここはなまじ考え続けるよりは、押し切る方向で。野良レースで使うようなものではないが、全敗のリスクを看過するのは今のアタシには無理だった。

 

 沈め。沈んでしまえお前も。

 

 じわじわと水圧に苦しめられた今日これまでをそっくりそのままお返ししてやる。

 レース中盤、後方にいることで成立するアタシだけの世界。緩い条件で境界を乗り越えることができるのは、その世界が常にアタシの中にあるからだ。

 

 領域具現――深海廻廊

 

 鈍い静寂。

 日光さえ遮る分厚い海水に閉ざされた奥底。

 ここはアタシの世界。冷たくて暗くて、取り巻く水圧が身体を四方から圧し潰そうとする。誰もが平等に息苦しい場所。

 『たぐいまれな肺活量』、そう称されるアタシだけが辛うじて耐えることができる。溜め込んだ酸素を頼りに鈍重な脚を動かし、海底を突き進む。

 

「へぇ、なるほどねえ」

 

 大嫌いなアタシだけの世界。そのはずなんだ。

 なのに――どうしてアンタがここにいる?

 赤い瞳がこちらを射抜く。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード)

 

「自身すらも対象に巻き込む制約を付けることで範囲と効果を高めた広域デバフか。無差別だからチーム戦では使いにくいな。もしかして固有未収得だったんじゃなくて、アプリでは『仲間を巻き込んでしまうからシナリオ中のレースでは使えなかった』とか? だったらエモいねぇ」

 

 漆黒。

 海底の暗さの中でなおくっきりと輪郭が浮かび上がる異質な黒の長剣。

 それは膨大な海水の壁ごと鮮やかに、アタシの胸を袈裟懸けに断ち切っていった。

 

 びきりと海底に罅が入る。底辺だと思っていたそこに、もう一回り闇暗とした大穴が口を開ける。重圧に抗いきれず身体がさらに沈んでいく。

 美しくも悍ましい、巨大な魚影。まともな生物は動くことはおろか圧縮されるしかない水圧の中をするりと煌びやかに泳ぐリュウグウノツカイ。

 ごぼり、と自分の口から白い気泡が漏れるのが見えた気がした。泳ぎが得意ごときの陸の生物では、深海に住まう魚に敵う道理がない。

 ごぼごぼとアタシの身体から泡が水中に溶けだしていく。溺れる。脚はもう動かない。

 

 世界が戻る。身体を凌駕する魂に塗り潰された景色が、元のターフに帰還する。

 

 アタシは溺死していないし、アイツは魚じゃない。アタシたちはまだ走っていて、しかし何が起きたのかは理解できた。

 ()()()()()

 アタシの世界とまったく同じ色の世界をアイツは重ねて、二重の静寂と重圧を湛えたあの海底にアタシは対応できなかった。アイツは適応しきった。

 それだけの話だ。残酷なまでの格付けの終了。

 脚が止まっていないのはアタシの意志じゃない。ただの惰性、染み付いた習慣が身体を動かしているだけのことだった。

 

「がんばれー!」

 

 応援が聞こえる。応援されるアイツの背中がますます遠くなっていく。

 

「がんばれリトルココン!」

 

 は?

 

「が、がんばれー!」

「がんばって!」

「お願い、負けないで!」

 

 ビターグラッセが。

 デュオジャヌイヤが、フェニキアディールが、デュオペルテが。

 声を張り上げてアタシのことを応援している。

 〈ブルームス〉の調和のとれた声援に比べるとまるで補助輪を外したばかりの自転車のようなぎこちなさ。その横のサイリウムをもって踊り付き応援を披露している不審者二号とは、もはや比べるのもおこがましい雲泥の差がある。

 そりゃそうでしょ。慣れてないんだから。チーム〈ファースト〉はチームメイトを応援するような集団じゃない。仲間ではなく、同じ組織に所属しているだけの個人の連なり。

 

 ああ、そっか。そうだよね。

 アタシが負けたら〈ファースト〉全敗になっちゃうものね。それにビターグラッセが言い出した無茶な罰ゲームがアタシたちに降りかかってくるわけか。ついでにテンが上乗せした、金額の欄が白紙の小切手みたいな追加ルールも。

 アタシが最後だからアップなんかする必要がなくて、クールダウンはすでに終わっている。もうチームメイトの応援くらいしかできることがないものね。

 十分に利己的な理由だった。少し安心。

 

 同調圧力は嫌い。虫唾が走る。仲良しごっこはよそでやってほしい。

 チーム戦ならチームと仲良くしなきゃ、って理屈は理解できる。だからアオハル杯なんて嫌だった。そもそも参加する気なんて無かった。

 それでも樫本トレーナーはそんなアタシのままでいいと言ってくれた。その言葉を信じて勧誘を受けた。トレーナーは言葉をたがえずアタシたち一人一人に合わせた指導をしてくれて、そのおかげでここまで強くなれた。

 強くなりたい、もっともっと。樫本トレーナーに応えるためにも。

 でも、正しくなりたいわけじゃない。

 模範的チームのあるべき姿を目指しているわけじゃない。アタシはアタシのままでいたい。それが欠点だと薄々自覚してなお改善したくない。そもそも努力して直るものならとっくの昔に変わっている。

 痛い目に何度あっても直らない。性分ってそういうもんでしょ。

 

 だからいまさら普通のチームみたいに応援のまねごとをしたって無駄だ。見ることしか出来ないという今から目をそらすための現実逃避以上のものにはなりえない。そう思うのに。

 

 どうしてアタシは何かに背を押されるように走っているんだ?

 

 尽きたスタミナ。トコトコ歩くような足取りで、下手な踊りみたいな崩れたフォームで、何でみじめにもスパートをかけているんだろう。

 

「がんばれー!!」

 

 うるさい。

 とっくの昔に頑張っている。むしろサボっているように見えるのか。もしそうなら眼科にでも行ってこい。

 喉が裂けて息をするたび口の中に血の味が広がる。吸っても吸っても酸素が身体に行き届かない。

 まるで水の中を走っているかのように手足が重い。違いは熱を奪ってくれる水が無いから、吐きそうなくらい体温が上がるってことくらいだ。大気で構成された濁った分厚い海水の先にわずかに銀色の影が見え隠れする。今のアタシはさながら魚影を泳いで追いかけるバカってところか。

 魚に水中で追いつけると思ってんの? 皮肉気に笑う、嗤う。いくら顔を歪めたところで気が楽になるわけもなく、ただ鈍重な一歩を少しでも速く積み重ねる。

 

「フレー、フレー、リトルココン!」

 

 黙れ。

 言葉のかたまりが背中にぶつかって痛い。じり、じりと、そのたびにわずかに身体が前へ押し出される気がする。

 海水にぼやけていた姿が少しずつ鮮明になっていく。徐々にその背中が近づいてく。

 苦しい。つらい。はやく終わってほしい。はやく、はやく。動けよこの脚が。

 あと少し、もうちょっとで、その背中に。

 追いついた。

 振り向いた。アイツはもう走っていなかった。

 

「ふいー、流石に疲れた、つかれた。ココンちゃんもお疲れ様。ナイスファイト!」

 

 ゴール板はとっくに駆け抜けていた。その事実に気づいた瞬間、ずるりと脚から力が抜ける。

 

「おっとと」

 

 それなりに勢いがあったはずだけど、アタシの身体は地面に投げ出される前に受け止められた。くるりと一回転して速度を緩和すると、テンはアタシをゆっくり芝の上に横たえる。

 

「クールダウンしないと身体に悪いよココンちゃぁん」

「……っさい」

 

 ぜえぜえと壊れた蒸気機関のように息が漏れる。脈動が耳の中で強烈に自己主張している。身体を起こそうにもスタミナは完全に尽きていた。根性だけでここまで走ってきたなんてアタシのキャラじゃないのに、そうとしか判断しようのない現状。

 悔しい。はらわたが煮えくり返るほどに。

 でもその理由が負けたからなのかは、疲労のせいで頭が働かないからわからなかった。

 

「リトルココン、大丈夫かい!?」

 

 ビターグラッセと〈ファースト〉のメンバー。ついでに〈ブルームス〉とUMA覆面二号までこちらに駆け寄ってくる。

 

「へいぱーす」

「へ、ちょっ?」

 

 すごく軽いノリでアタシの身体はビターグラッセに受け渡された。すごく腹が立ったのは敗北とは無関係だって、今の酸欠の脳でも理解できた。

 

「ココンちゃん動けないみたい。せめてマッサージでもしてあげて。クールダウンできないまま放置しとくよかマシでしょ」

「え、っと」

 

「ぼくがやっていいのならやるけど?」

「……いや、敗者が勝者にそこまでやってもらうわけにはいかないな。わかった、私がやらせてもらうよ」

 

 ビターグラッセはそう言ってアタシの筋肉を確認し始める。これまでのチームではありえなかった距離感。プライベートスペースを侵害される嫌悪が無かったわけじゃないけど、わきわきと卑猥に指を蠢かせるテンに好きなようにされるよりかはマシだろうと思えた。

 

「…………」

 

 とっさに礼の言葉が出なかったのは、呼吸で口が忙殺されていたからか。何も言えないまま、ただ借りを作る現状に、鉄の味とはまた違う苦味が口に広がる。

 

「さーて、何でも頼める権利なにに使おうかなー」

 

 謎の動物の覆面をしているくせに、声だけで喜色満面だとわからせるのはある種の才能だろう。

 『相手チームの言うことを何でもひとつ聞く』。負けるとは思わなかったから細かい条件さえ詰めようとはしなかった。プレッシャーを掛けるための空手形だったはずの『グラウンド一生使用禁止!』の約束と相まって、まるで臓腑に錘を繋がれたような気持ち悪さを感じる。

 

「ねーねー二号。ぼくが決めちゃっていい?」

「ふぇ、アッハイ、どうぞ!」

「ありがと! じゃあよし決めたぞー」

 

 相談とも言えない短いやり取りの後、テンは軽やかな足取りでこちらに向き直る。いまだ起き上がれず、痙攣する筋肉をビターグラッセにマッサージしてもらっているアタシとはどこまでも対照的だ。

 汗が体操服に滲んでいたり、微妙に動きの軸がぶれていたりと、テンにだって疲労がないわけではないのは見て取れるけど。〈ファースト〉が四連戦もかけて与えた被害にしてはあまりにも軽微だ。

 

「メニューみせて」

「……は?」

 

 あまりにも簡潔過ぎていったい何を言われたのか理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。

 

「だーかーらー。チーム〈ファースト〉のこれまでのトレーニングメニュー見せて。走り書きでいいからさ。栄養満点ペナルティドリンクとかのレシピも気になるんだよねー」

 

 トレーニングメニューはそのトレーナーの技量そのものだ。自身の担当の為に手腕を最大限に揮って練り上げた、知恵と経験からなる珠玉。

 密室でトレーニングしているわけじゃないから多かれ少なかれ外部に流出するが、見える範囲を推測で繋げるのと、過不足の無い情報を実物で手中に収めるのは天と地ほども差がある。

 

「できないとは言わせないよ。ぼくはキミがそれをできることを()()()()()

 

 手を差し出すその姿がぐにゃりと歪んで見えた。

 もしもその情報を流出させてしまったら、樫本トレーナーはどれほどの損害を被るのだろう?

 その損害を生じさせた、一年も手塩にかけて育てられていながらたった一人に惨敗したチーム〈ファースト〉のアタシたちはどうなってしまうのだろう?

 もし、もしも、見限られたら――

 

「もうやめて!」

 

 得体のしれない異形の怪物にさえ見えていたテンの姿が黒い何かに遮られる。

 

「守ってもらったのに、こんなこと言うのは間違ってる。そうライスだって思うよ。でも、でもね! これ以上はやりすぎだよぉ……」

 

 アタシの前に立ち塞がった小さな影の正体はライスシャワーだった。

 背中側からその表情を窺い知ることはできない。けれど、きっと涙目なんだろうとその震える声で容易に想像がつく。

 それでも彼女は震えながら、アタシたちを庇うように両手を広げた姿勢を崩そうとはしなかった。

 

「…………そっか、やりすぎか」

 

 ふっとその場にあった威圧感(プレッシャー)が抜ける。霧散というにはまだ存在感が残ってはいるが、もう得体のしれない怪物と感じるほどではなかった。

 

「ふー、あちー」

 

 ずるりと謎の被り物を脱ぎ、頭を振るテン。癖のない葦毛が宙を舞い、キラキラと銀にきらめいたあと無造作に顔にかかる。そんなざんばら髪で隠れた表情の中で、鈍く光る赤い右目がアタシのことをじっと見ていた。

 いや、脱ぐのかよそれ。それならそもそも何のために付けていたんだ? 疲労のせいか、それともついさっきまでそこにあった緊張感から本能的に逃避したくなったのか、至極どうでもいいことが脳内を通過する。

 

「さっきのやっぱり無しで。内容を変更するよ。『なんでも』の権利を使って一つ目の罰ゲーム『一生グラウンド使用禁止』を変更する。

 あやまって? ドリンクこぼされたことに怒るのは当然のことだし、大小さまざまな嫌がらせに反応が多少過激になるのも悪くないことだ。ただ、『ライスシャワーにひどいことを言った』ことに対してチームのみんなで謝罪して? 形だけでいいからさ」

 

 言っていることはわりと無茶苦茶だった。もっともらしく聞こえなくも無いが、理屈が成り立っているとは言えないだろう。

 だが、そもそも元からこれはそういう勝負だ。感情的に納得できるか。その一点が何より大切。

 そして理論的じゃなくとも、筋が通っていなくても、テンの言い分はその一点に関しては満たしていた。

 

「不運だとか刺客だとか、そんなの関係ない。無責任な大衆の印象なんてクソくらえだ。

 その子はただ要領が悪くて巡り合わせも悪くてひたすら努力家な、この世界で幸せになるべき女の子なんだから」

 

 言いたい事だけ一方的に言い切って。

 あーあ、つかれたねみーなどと愚痴をこぼしながら、レース場の外へと歩き出した背中に声がかけられる。

 

「申し訳ありませんでした」

 

 ミホノブルボンだ。

 代理で走ってもらっておきながら不義理ともとれる行動をとったライスシャワーのことを代わりに謝ったのかと思ったけど、そういうわけでもないらしい。

 

「忠告していただいたのにも関わらず、私は――」

「それは貴女が謝る必要なんてまったくない」

 

 おだやかに、しかしきっぱりとテンが遮った。

 そういえばどことなく顔見知りのような空気があった。二人の間に何があったかは知らない。だが、こんなテンは初めて見る。

 

「故障の責任は担当トレーナーと学園、あとは可能性を知っていたのに何もしなかった者に帰属する。三冠を目指して真摯に努力していたウマ娘が咎められる道理はこの世に存在しない」

「いえ、マスターは――」

 

「帰属するんだよ。そのくらいの責任は取らせてやらないと、あとはエンコ詰めるか腹を切るかくらいしかやりようが無くなるぞ。背負わせてやりなって。まだ歩みは止めないつもりなんだろ?」

「……はい」

 

 振り向きざまに少しだけいつも通りの皮肉気な笑顔を浮かべると、今度こそテンは踵を返す。

 

「帰ろう二号。正義は成された以上、悪は立ち去るべきだ」

「あわわ、待ってください同志ー」

 

 来たとき同様、二人組の不審者は誰にも了解を取らず勝手に帰っていった。

 台風一過。湧き出てきた率直な感想。突然現れて、いろいろめちゃくちゃにして、ろくな後始末もせず痕跡だけ残しまくって消えていく。

 

 ……別に、テンに促されたからとかじゃなくて。いや、こっちから言い出した罰ゲームだからそれを守るって意味合いも確かにあるけど。

 ぽつり、と一言ライスシャワーに向けて吐き出した

 

「……悪かった」

「へ?」

 

 へ? じゃない。

 ようやく呼吸も整ってきたから機会を逃す前に言ったのに、そんなマヌケ面を晒されるとイライラがぶり返しそうになる。

 

「っだから! 勝手に決めつけて責めて悪かったって言ってんの。何、アタシが謝ったら悪い?」

「ひゃ、ひゃい! ああいええっと、はいじゃなくてえーっと。悪くないです!」

 

 なんだこのやりとり。

 締まらないったらありゃしない。笑うなビターグラッセ!

 ただ、少し思っただけだ。アタシがコイツに抱いていた勝手なイメージも、学園のウマ娘たちが〈ファースト〉に貼り付けた悪役のレッテルも、似たようなものなんじゃないかって。

 自分がされて嫌なことを他人にするのはやめましょう。いまどき正面向かって説かれたら喧嘩を売られているのかと思うようなこと。でも人間関係の基本。ただしレース中の駆け引きは除く。

 何となく、アタシたちに嫌な視線を向けてきたアイツらみたいにはなりたくないなって。そう思っただけだから。

 

 

 

 

 

 レースに負けた日の足取りは重いものだが、今日のアタシの足取りは過去最高に鈍重だった。

 疲れたというのもある。あの後、野良レースを終えてから予定通りのメニューをこなすのはどう考えてもオーバーワークだったため、軽めに流して切り上げた。また樫本トレーナーが時間を捻出して様子を見に来てくださったので、今日の一件を簡潔にだが面と向かって報告することもできた。

 厳しい叱責を受けた。

 けれどあのとき一瞬脳裏を過ってしまった見捨てられるとか、見限られるとか、そういう方向のものは一切なし。それだけで心の底で強張っていた部分がほぐれる気がした。

 そうやって、アイツが放置した騒動の後片付けをひとつひとつこなしていって。チームのみんなは帰って寝ればそれでこの散々な一日は終了だろう。

 でもアタシの場合、自室に諸悪の根源がいるんだよなあ。

 

「……ただいま」

 

 しっかり躾けられてしまった挨拶と共に自室の扉を開ける。

 返事は無かった。部屋の灯りは落とされ、片方のベッドが膨らんでいることから、既に寝ているのだとわかる。

 少し安心。どういう顔をして向き合えばいいかわからなかったから。

 そう思っていたところにもぞもぞと掛布が動き、のそりとテンが顔を覗かせる。眠たげに片目だけ開け、視線がアタシの方を向いた。

 

 青い瞳。

 見覚えのない目だった。テンはいつも何か楽しそうにしていたから。

 見覚えのある目だった。アタシがいつも周囲に向けている目だ。興味のないものを無関心に包んでひとまとめにしている視線だ。

 

 そのまま、彼女は何も言わずもう一度目を閉じて眠りについた。

 アタシは何も言えずに自分の肩を抱きしめた。身体が震える。

 今日、コイツのせいでいろいろぶち壊された。迷惑極まりなかったし、しんどかったし大変だったけど、でも何かがいい方向に変わるんじゃないかって漠然とした予感もあったんだ。

 でも今日何かが変わったところで、過去が変わることはない。

 自業自得。昨日までのアタシの行いがそっくりそのまま返ってきていた。

 

 強さを貪欲に求めていた。成果を出したかった。そうすれば、人付き合いに心を砕いている奴らを仲良しごっこと蔑んでも許される気がして。

 対人関係を否定しておいて、強さでも負けた。いまのアタシにいったい何の価値があるっていうんだろう。

 コイツの対応は妥当だ。文句を言う筋合いなんて無い。

 傷つく権利なんて、ない。

 ただ、とても寒かった。

 

 

 

 

 

「おっはよー! 今日も元気にいこうぜココンちゃぁん!!」

 

 翌朝、昨日のアレは何だったんだといういつもの無駄にうざいハイテンションで叩き起こされて感傷は露と消えたが。

 やっぱりコイツのこときらいだ。

 

 

 




【リトルココンが帰る少し前の1コマ】
「ふいー、もう活動限界だから落ちるね。あとよろしくー」

「えぇ……この状況で? 気まずいじゃん」
「……寝るか」

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