「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
当作品の世界線では固有スキルは発動に条件を満たすことが必要ですが、習熟すれば条件を満たしても発動させないことが可能です。
最初に反射的に発動するのはレース中ゆえにあらゆるアクセルを全力で踏み込んでいる状態で、条件を満たした部分のギアが噛み合って急発進するのをイメージしていただければと。
そこにギアがあるとわかっていればエンジンが始動してもギアを入れないこともできるのです。
また、リシュはレース中に相手を噛み千切るのは真っ当な戦法だと思っていますが、一方でレース中でもないのに相手の【領域】を奪い取るのは失礼という価値観も持ち合わせています。
ゆえにミークとバクシンのときは自身の【領域】の性質を説明した上で、相手に了承を取って教えを乞う形で【領域】を分けてもらっています。
まあ条件が『相手が【領域】を発動させた際のカウンター』であることには変わりはないので、剣でぶっ刺すことにはなるのですけども()
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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
青空をゆっくりと雲が通り過ぎていく。
ついこの前まで冬だと思っていたのに着実に景色は温暖の色を帯びていて、この調子でいくとあの雲も気づけば夏の巨大な入道雲になっているのだろう。
ミーク先輩ではないが、たまにはこんな時間も悪くない。空っぽになった頭の中で雑然とした思考がゆるやかに流れていく。
自然とその内容は、チーム〈ファースト〉とのあれこれで生じた変化を反芻するものとなっていた。
そんなわけで、今回のリザルトその一。
自分の頑丈さに自信が持てた。
より具体的に言うのなら『これくらいまでの無茶はしても大丈夫』という明確な一線が自分の中に設定できた。
以前に触れたように本番のレースの負荷や疲労はトレーニングや野良レースのそれとは比較にならない。だがそれはそれとして『〈ファースト〉相手に四連戦して全勝』というのは自負を構成する材料としては十分なものだ。
これのおかげでマツクニローテを走る方針が固まったし、その後もいろいろ挑戦してみようと思えた。
《クラシック級で宝塚ねらってみる?》
うーん……それはまだ無理かな。
シニア級のレジェンドたち、つまりゴールドシップ先輩やナリタブライアン先輩、ハッピーミーク先輩にサクラバクシンオー先輩などなどの豪華メンバーにはまだ勝てる気がしない。
《勝てる戦いにしか挑まないつもりかー?》
いやあ、そういうつもりは無いんだけどさ。
レースに懸ける想いはウマ娘それぞれだとも思うんだけどさ。
勝てないだろうなーと思いながら挑んで負けて、やっぱり勝てなかったと納得する。そんなレースはやりたくない。
出走しておきながら一着を狙わないのは八百長だから、などという意味合いではなく。アオハル杯のような自身ではなくチームの勝利を目指すチーム戦が嫌い、とかいう意味でももちろんなく。
やるからには勝利を目指す。どれだけ実力差があろうと目をぎらつかせ、『一番』を追い求め続ける。
とある腐れ縁のおかげで、私の中にはかくあるべしと刻まれているのである。
これはちょっとやそっとでは変えられない。
《あー、そういう……完全に納得したわ》
たしかに単純に賞金だけ狙うのならグランプリは狙い目だろう。
入着するだけで賞金は二千万以上。その全てが出走したウマ娘の手取りになるわけではないが、一般市民の金銭感覚からすれば十分すぎる額だ。
……ふと我に返るとここまで無敗とはいえ、私はしょせんクラシック三冠への挑戦も始まっていない若輩者。人気投票も絡む名高きグランプリに出走できることを前提に物事を進めるなんて、捕らぬ狸の皮算用もいいところ過ぎて羞恥に悶えそうになるのだけど。
ここまで圧倒的実力を有しておいて、同期との実力差を認識しておいて、世代を超えて通用することもアオハル杯で把握しておいて。
その上で『私には無理だよぉ』なんていうのは謙遜ではないと思うのだ。ただ自尊心を傷つけないための保身、周囲にとっての嫌味だろう。
レースに絶対はない。これから私が負け続ける可能性だってゼロではない。微粒子程度の儚さでしっかり存在している。
でも私は負けるつもりはない。この国において無敗の称号はとても尊ばれる。テンちゃんが何かしたくて発言力を求めているのなら、金で売り払うほどのものではないだろう。
現状でも仮にその一戦だけ、後先考えずに壊れる覚悟でいけばまだ何とかなる目算も出てくるかもしれない。でも私はレースに殉じる覚悟がない。『最初の三年間』をしっかり走り抜きたいし、その後も健康な余生を過ごしたい。
それに幼いころからダートも短距離もそれぞれ対応モデルのシューズを履き潰してきたのだ。たとえそれが栄誉ある戦績だったとしても、マイルと中長距離だけ走っておしまいというのは忍びない。
まあ、せめて夏合宿を終えてからじゃないと彼女たちと同じ舞台に立つ勇気は出ないというのが本音だ。今はまだ無理。
続いて、今回のリザルトその二。
桐生院トレーナーにすごく叱られた。
想定よりずっとずっと怖かった。
ぜんぜんそんな自覚はなかったのだが、ともすれば同年代にさえ見える若い女性ということでどこか侮る気持ちがあったのかもしれない。その点は素直に反省である。
それはそれとして案の定テンちゃんがダウン中にお説教タイムになったのは不条理だと思いました。まる。共犯だし主犯でもあるから、自業自得という評価に間違いはないのだけども、うん。
……本来なら寝てなきゃいけない翌朝に無理やり起きてきてわざわざリトルココンに挨拶する必要なんてあった? あれのせいで絶不調の時間がだいぶ伸びた気がするぞ。
《アイサツは大事。古事記にもそう書いてある》
まあ挨拶が重要だというのに異論はないけども。
ここで一昔前の少年マンガに出てくるような厳しさと理不尽を取り違えた自称熱血指導者なら当面のレース出走停止なんて処分を下すこともあるかもしれないが、あいにくトゥインクル・シリーズはそこらの学校の部活動ではなく賞金を始め各方面に莫大な金が動く経済活動である。出走登録にトレーナーの存在が必須だからといって、トレーナーの一存でウマ娘の方針を捻じ曲げるのは難しい。
トレーナーとウマ娘は教師と生徒のような一方的な上下関係ではない。契約の打ち切りは双方から申し出ることができる……私の場合、あの名門桐生院のエリートトレーナーに棄てられたウマ娘を拾うような奇特で度胸のあるトレーナーが存在するかは別の話だけども。
《ま、葵ちゃんに限って言えばそんなこと心配するだけ無駄だよね。あの子がそんな無責任なことするはずないもの》
彼女がいいひとだという評価はテンちゃんも一貫している。
『こ、これがトレーナーの名門桐生院……!』と戦慄するくらいお説教は怖かったものの、それも私の身体を慮ってのもの。即座に病院に連行され各種精密検査こそ受けさせられたが、それで問題なしとわかると見るからに安堵していた。
というかあれだけ無茶をやって故障らしい故障が筋肉の軽い炎症程度であり、それも三日も寝て食ってを繰り返せばぴっかぴかに完治した自分の肉体に我ながら苦笑しか出ない。
食べて血肉に変えるというのもひとつの才能だ。あの葦毛のレジェンド、オグリキャップ先輩が過酷なローテ(口さがないファンに言わせるとトゥインクル・シリーズの歴史に残る伝説的クソローテ)をこなし、繋靭帯炎や骨膜炎などを発症しても引退に追い込まれることなく有馬記念でトゥインクル・シリーズの有終の美を飾れたのは、彼女が学園の歴史に残る伝説的健啖家(口さがない生徒でなくとも現場を見た者の見解一致)であったことと無関係ではないだろう。
今回のリザルトその三。
周囲からの評価の変化。
先に少し触れたように、悪事千里を走るというやつで学園中に私たちと〈ファースト〉が衝突した噂は広まってしまっていた。
しかし広まる道中で尾ひれを獲得するのが噂の生態というものだ。より派手に、よりわかりやすく。そのためなら多少の事実の歪曲もやむなし。今回も例に漏れず、しっかり尾ひれを獲得して私たちの噂はすくすくと成長していった。
わかりやすく事実との差異を挙げていくと、まずデジタルの存在が抹消され私が一人で戦ったことになっている。これはテンちゃんの狙い通りなのだろう。
桐生院トレーナーを始めとした事情聴取でその存在を隠すことはできなかったし、一緒にお説教も受けたが。噂に群がる不特定多数、そんな無責任な群衆からUMA覆面は彼女の存在を守り通したわけだ。
そしてチーム〈ファースト〉が十五人のフルメンバーいたことになっている。つまり私は万全に機能するアオハル杯ランキング一位を単騎かつ連戦で完膚なきまでに撃破したことになっているのだ。
いや無茶だよ。
ただ、私も〈ファースト〉の面々も躍起になって火消しに回るような性格ではないようで噂は野放しになっている。不快を覚えないわけではないけど、いちいち気にして対応に乗り出すほど興味がないというか。
《人のうわさも七十五日。がんばろう、きっと日本ダービーの頃には世間様の話題は無敗の皐月賞ウマ娘一色になっているさ》
うーん、そうかなぁ?
たしかに噂に対する対抗手段のひとつは、より刺激的な噂で押し流してしまうことだけども。予定通り勝ち進めることができたところでどちらも私に関する噂。相乗しそうな気もするけど。
まあテンちゃんがそう言うのであれば、ここはあえて相殺されることを期待しておこう。
《もしもダメだったら未来のぼくらがきっと何とかしてくれるさ》
頼んだぞ、未来の私たち。
そんなわけで噂が広がった結果、顔なじみではない同期からはますます距離を置かれるようになった。今では向けられる視線に畏怖さえ込められている気がする始末。
まあ私だって完全に他人事の状態でアオハル杯ランキング一位のチームを単独撃破するウマ娘が同期に現れたなんて聞いた日には、オラわくわくすっぞと強敵の出現に喜ぶよりも、そんなのと同じ世代で走らないといけないのかと憂鬱になるだろう。
だからまあ、責めることはできない。傷ついてなんていないさ。
上の世代から向けられる感情もその度合いこそ違うが、質としては似たようなものだ。私ももうクラシック級。今年の夏からシニア級を交えたレースに出走できるようになる。私の脅威は他人事ではない。
しかし、今年度からデビューしたジュニア級は違う。
彼女たちが私と走ることになるのは最短で一年以上猶予のある来年の夏から。その最短もクラシック級でありながらシニア級が跋扈するタイトルへと挑戦する一握りの上澄みの話であり、大半は自身がシニア級になるまで戦う機会など訪れないだろう。つまり対岸の火事としてわあ綺麗と楽しめるのである。
そんな彼女たちが私の武勇伝……羞恥心との戦いであるが客観的に適切な言葉を当てはめるのならやはり武勇伝としか言いようのないその噂を聞けばどうなるのか。
樫本代理の着任からそろそろ一年。アオハル杯の裏で進行している『樫本代理が推し進める徹底管理主義vs従来の自由を尊ぶ学園の方針』も外部に知られつつあるが、裏を返せば今年入ってきた新入生たちはまだ従来の校風を親しんで入学してきた者ばかりである。そんな彼女たちが、学園の自由を侵害する巨悪の尖兵たる〈ファースト〉を単独で撃破した先輩の話を聞いたらどうなるのか。
そしてあまり大きな声で言いたくないことではあるが、私の身長は百四十三センチ。これは華奢な体型にコンプレックスを抱いているナリタタイシン先輩の百四十五センチよりも二センチ低い。
余談ではあるがよくつるむマヤノとデジタルの身長も同じく百四十三センチであり、どこぞでは143ジェットストリームアタック小隊などと呼ばれているらしい。
《小隊というにはいささか人数が足りていない気もするけどね》
軍事編成上の一単位のことじゃなくて、小人数の隊って意味の方じゃない? 三十人から八十人もいたらそれはそれで困るぞ。
まあともかく、新入生の大半より低身長なのだ。ついでに言えばシンボリルドルフ会長のような力のあるウマ娘特有の威圧感もなく、ぼんやりしているという印象をよく抱かれる。
なんか懐かれた。
ちっちゃくて可愛くてぼんやりしていて隙が多そうなのに、いざというときには無慈悲なくらい強いリシュ先輩可愛いって。後輩たちが。『可愛い』が被っているが大事なことだから二回言ったのだろうか。
ちやほやされるというのはこれまでの人生では未知の体験なのでちょっと困惑している。対処の仕方がわからない。
正直なところ。見知らぬ相手に話しかけられるというのは、その動機の根底にあるのが好意であっても私にとっては負担である。コミュ障で人見知りなのだ。だから対応もおざなりというか、毒にも薬にもならない受け答えしかできていないと思うのだが。
でもテンちゃんは違う。
興味がないときはとことん興味がないが、いちど興味を持てば意外と面倒見がいい。そして一度面倒を見ると決めた案件は最後までしっかり片付ける。かと思えば飽きたなんて言って急に放り出すこともある。
気まぐれでマイペース。それを社交性があると言っていいのかは定かでないが、気さくで話しかけやすい先輩ではあるのだろう。
噂に熱狂した一時的なブームで、時が過ぎれば冷めてしまうものだと甘く見ていたのだが。着々とリピーターが増えている気がする。気のせいだと思いたい。
《チーム参加希望者の数という物証があるのに気のせいは無理だろー》
黙れ諸悪の根源。
そうなのだ。すべてが私の影響とは思いたくないが、アオハル杯チーム〈パンスペルミア〉の参加希望者の数が一時期エライことになった。
非公式レースのお祭り企画だからこそのゆるさというか。トレーナーがまだついていない子も多く、レースに出られるメンバーを一軍とするなら二軍と三軍まで出来そうな勢いだった。
さすがに希望者を全員入れるわけにもいかず、まるでトゥインクル・シリーズを走る公式チームよろしく入部テストを開催する羽目になってしまったのだった。うう、桐生院トレーナーに足を向けて寝られない。ただでさえ多忙な中央のトレーナー業なのに余計な仕事を増やして本当にごめんなさい。
そうやってなんとか一チームの常識に収まる範疇までふるい落としたわけだが、不合格になった子たちはめげずに〈パンスペルミア〉公式ファンクラブを立ち上げて楽しくやっているそうである。いや公式ってどこが認可したんだよ。
《ああいうのは下手に個人単位で野放しにしておくより、制御できるようにまとめておいた方が、のちのち面倒がないものさ》
案の定、私だったようだ……。
《大丈夫だいじょーぶ。上の仕事はできる部下に仕事を放り投げることだから。そうやって一回組織の形を造ってしまって、あとはエサやりを忘れなきゃそう面倒ごとなんて起きないよ》
まあそのあたりの匙加減は任せるよ。何だかんだテンちゃんの感覚は信頼してるから。
あと、評価の変化ついでに小話をひとつ。
これまで自身のタイムとのみ淡々と向き合ってきたチーム〈ファースト〉の面々だったが、あるときを境に鬼気迫る勢いでトレーニングを行うようになった。それはまるでケツに火がついたような気迫だったとか。
残念ながら熱狂的な意欲が必ずしも結果に繋がらないのが世の常だが、今回の場合は樫本代理の微に入り細を穿つ計算で構成された管理メニューにより故障のリスクを徹底的に抑え、着実に実力へと繋げている。
いったい何があったんだろうねー。
ま、敵が強くなることを喜ぶメンタリティの持ち主ではないつもりだけど。ランキング一位のチームが弱いと侮られてはアオハル杯そのものの価値に瑕がついてしまう。だからきっと彼女たちが強くなることはいいことなのだろう。
《理子ちゃんが過労死しないことを願うばかりだね》
ほんとうにね。それだけは非常に心配。
そしてチーム〈ファースト〉の空気の変化に伴い、メンバーたちの態度も変わった。
社交的というか、あくまで比較的ではあるが、彼女たちは明確に他者との交流を心がけるようになった。
自分たちばかり見ていてはいずれ頭打ちになると危機感を抱くような出来事でもあったのだろうか。不思議だねー。
リトルココンはその代表格で、これまではこちらの挨拶にリアクションを返すくらいだったのが、ぎこちなくも向こうから話しかけてくるようになった。主にお天気デッキの遣い手である。
《話題なんていくらでもあるだろうにね。ファッションとか、レースとか》
テンちゃんがしみじみと述懐する。珍しくその声に揶揄の色はない。
《彼女にとってコミュニケーションとは毒を含む水源のような感覚なのだろう。飲めば身体が侵される、しかし飲まなければ渇いて先がない。先に進むためなら、たとえ蝕まれようとも挑まざるを得ない。そういうたぐいのものなのだろうさ。
会話を成立させるための話題。楽しく話すためのものじゃない。ただ従来のままではいられないという執念を感じるね。強さを求めることに関しては、本当にストイックだよ》
その点は認めよう……私は何かしてあげるべきかな?
《必要ないだろ。見当はずれの努力ではあるが、人というものは良くも悪くも慣れるものだ。毒も飲み続ければ耐性がつく。身体にかかる負荷は蓄積するけどね。
どれだけ嫌だろうと繰り返していけばコミュニケーションをとるという行為そのものに慣れて、話題も自然なものになっていくだろうさ。従来の自分から変質してしまうことが彼女にとって幸せなことなのかまではわからんがね》
正直なところ、私はまだ彼女のことが嫌いだ。最初に精神的横面を叩かれたことを謝られていないから、許していない。
でも歯切れ悪く天気の話をする彼女のことが嫌いだからと冷たくあしらえば、今度は私が悪いことになる。嫌いな相手のために自分もまた嫌なやつになるというのは、損だ。それにぎこちなくもコミュニケーションを努力するその姿に共感を覚えないと言えば嘘になる。
結果として、これまでテンちゃんに一任していたリトルココンへの対応を一割くらいは私も引き受けるようになっていた。一年の時を経てようやく私はルームメイトとの関係性を構築し始めているのかもしれない。
「おーい!」
ちょうど思考が一区切りついたタイミングで闖入者。
ここは公園だ。今日は珍しく人気が無かったが、長時間留まっていれば誰かが来るのも当然の話か。
明らかに私に向かって走ってきた男の子には見覚えがあった。名前は何だったか。記憶力には自信があるけど、興味がないことはそもそも憶えない気質なもので。
ご近所づきあいというのは私のもっとも苦手とするところだが、さっきも言ったようにテンちゃんはわりと面倒見がいい。ちびっこに絡まれたときも暇があればノリよく付き合ってあげている。ちびっこたちにとって良き隣人といえる立場を築き上げていた。
無遠慮にじろじろと私を見る少年に、手を軽く上げることで挨拶の代わりとする。
すると少年は露骨にがっかりと肩を落とした。
「なーんだ。テンねえちゃんかと思ったらリシュの方かよ」
「なんだとはなんだ」
完全に舐められている。別にいいけど。
敬意を抱かれるようなことをした覚えはない。年上には敬意を払いなさいと教えるのは私の役目ではないし、敬意を払うに値しない年長者が世に多いのも事実だ。さて、私はどうなんだろうね。
「ややこしいんだよなあ、似たような顔してさあ」
「わるかったねー」
似たようなというか、顔は同じだからね。
どうも近所のちびっこたちには双子の姉妹と思われている節がある。まあ、間違っているとも言い難いか。
別人にして同一人物なんて感覚、当の本人しか真の意味では理解できまいよ。
「なーなー! このまえテレビに出てたのってテンねえちゃんの方だろ!? すげーカッコよかったもん」
「きみの中で私がどういう存在なのかよくわかる質問だねえ」
ジュニア級のときにG1である朝日FSを制して以降、少しずつメディアの露出が増えてきたとはいえバラエティなどのテレビ番組に出演したことはない。ということは、彼の言っているのはこの前の弥生賞のことだろう。
「三割くらいそうかな」
「なんだよそれ?」
トゥインクル・シリーズにデビューしてもうすぐ一年。多くの経験を積み、私たちだって少しは成長している。
以前からスタートダッシュに失敗した時はしれっと主導権をテンちゃんに委ねて追い込みに切り替え『計算通りですが何か?』という顔をしたり、逆にスタートが上手く決まり過ぎて先頭に抜け出してしまいもうこれこのまま経済コース走った方がお得だなと判断したときもテンちゃんにバトンタッチして逃げに移行したりしていた。
テンプレオリシュはふたりでひとつのウマ娘。その力を十全に揮うこと、負い目のひとかけらもありはしない。
人生ワンオペを強制されているやつらとは根本的に違うのである。私たちにとって人生とは共同経営。オーナーは私だからいざというとき責任を負うのは私だが、基本は分業だ。
ウマソウルが前面に出ていることが影響しているのか、テンちゃんが主導権を握っているときの方が実はテンプレオリシュというウマ娘の各種ステータスは高い。
だがテンちゃんが言うには、レース勘やセンスといった漠然とした感覚は私の方が優れているそうだ。
自覚できない部分を褒められても自信や自負を抱きにくいのだけども、世の中そういうものらしい。苦も無く当たり前にできることだからこそ気づけない。周囲がどれだけ努力してもその域に到達できないことに。
そんなもんかねえ。テンちゃんがそういうのなら信じるけどさ。
まあそんなわけで最近は得意分野によって適宜入れ替わり、レースを分担して走っているのであった。
テンちゃんの負担は極力減らしたいからね。
余談だが、分担のその上。私とテンちゃんの境界線を乗り越える奥の手も存在しているのだが……あれはあまり使いたくない。
あれは使えば勝てる必殺技というより、今この瞬間の勝利を求めて明日以降を犠牲にするモノだ。ナリタブライアン先輩相手に使ったときは長期間の絶不調
少年漫画の主人公なら我が身を削る破滅技であっても強敵相手に乱発するのだろうが、少年漫画の主人公よろしく破滅しても復活イベントが都合よく私たちの前に出現するとは思えない。
無事之名バ。
この言葉の重みはトゥインクル・シリーズで走れば走るほどに増していく。
いったいどれだけの先達が自らの意思に沿わない理由でその道を断たれてきたか。手加減? 油断? 冗談じゃない。勝つために努力が必要なように、勝ち続けるためには『勝ち続けるための努力』が必要だというだけの話だ。
「まー弥生賞で最初にゴール板を駆け抜けたのはテンちゃんだよ」
「それなら最初からそう言えよ! まどろっこしいなあ」
そこで少年は言葉を途切れさせると、急にもじもじし始めた。いったいなんだよ。
「なあ、あのレースってさ。なんかすげーやつだったんだろ?」
「まあね。重賞だし、皐月賞のステップレースだし」
「お、お祝いにプレゼントとかさ。なあ、リシュはテンねえちゃんがいったいどんなものが好きなのか知ってるか?」
ガキが一人前に色気づいていやがる。
とはさすがに口に出さなかった。
うんうん、テンちゃんカッコいいもんね。年上のおねーさんに憧れちゃう時期だもんね。よく知らんけど。
普段の面倒見のいい笑顔とテレビ越しのギラギラした視線のギャップにくらりとやられてしまったのだろう。わかるよ。
うんよし、落ち着いた。姉に色目を使われて反射的に攻撃性をあらわにしかけた妹なんていなかった。
私にはまだ経験が無いが、恋というのは腹筋をかち割って臓腑を外気にさらすようなものだと何かの本で読んだことがある。たとえ軽口のつもりであっても、臓腑に突き刺されば心無い言葉は深刻なダメージとなるだろう。
理解できないのなら粗末に扱ってはいけない。テンちゃんに教わった人付き合いの基本だ。
ふと考える。
私の恋愛観はどういうものなんだろう。
将来的に両親に孫の顔を見せてやりたいから、人生のどこかで結婚して出産するのは予定として入っている。でもマヤノみたいにキラキラの恋がしたいなんて憧れは無いと思う。
お年頃の少女として、嫌いとまで言うつもりはないけどさ。
パートナーに求める要素を羅列していくと、別に経済力は無くてもいいから(私がレースでがばっと稼ぐ予定なので)育児に協力的で、父親としての役割を十全に担ってくれて、テンちゃんと私の存在を等しく受け入れてくれる存在、というものになる。
これって恋人に求める資質じゃないよねぇ。ビジネスパートナーか何かか? ある意味で人生という大事業の共同経営者なのかもしれないが。
テンちゃんはどうなんだろう?
可愛いとか好きとか愛している推せるとか、デジタルと似たようなことをウマ娘に言ってることはあるけど。
そういや男の趣味は聞いたこと無いな。
おっと、沈黙を続ける私に少年が不満そうな顔をしている。
質問に答えないと。
「趣味らしい趣味といえばTRPGかな」
「何だよそれ?」
「いい年した大人が全力で取り組むルールのあるごっこ遊び、らしいよ。ちゃんとタイトルごとのルールブックがあるんだって」
この前もオンライン上でセッションなるものをやっているとかで、ノートパソコンの前で『《
詳細はまったくわからないが、テンちゃんが楽しいのなら私も楽しい。これは心情的な話だけでない。主導権を握っている方の感情が肉体に反映されるため、身体のウキウキがこちらの心にまで伝わってきて心地よいのだ。
もしかすると、私たちのお小遣いが一番つぎ込まれている趣味かもしれない。
私の生活の中で一番金がかかっているのはレース関連だけど、そこはケチって怪我をすれば元も子もない。万全を尽くすのが保護者の務めだという両親の方針で、私の小遣いからは出させてもらえなかった。まあ額が大きすぎて小学生の小遣い程度では雀の涙にしかならなかっただろうけど。
そうなると走って食って寝るくらいしかやってこなかった私の主な出費は
いちおう、私にだって走ること以外の趣味がないわけではないが。
私の趣味ランキング一位は読書だ。
新しい本をいちいち買っていればあっという間に小遣いが尽きるし、何より一般家庭に書庫は無い。置き場所がないからと一度読んだ後に古本として売りに出すくらいなら、そもそも図書館で借りた方が手っ取り早いのである。
無料で利用できる図書館がある国と時代に生まれてよかった。
金をかけず趣味を満喫できる。作者に対する還元という意味では経済を回せないのが少しばかり心苦しいけども、引退して時間に余裕ができたらガバっとレースの賞金で購入させていただく予定なので勘弁してほしい。
自分の小遣いさえ私に使ってほしそうなテンちゃんにとっては、私たちが着実に貯めたお小遣いがTRPGのルールブックや関連書籍に消えてしまうのは甚だ不本意なのかもしれない。
でも趣味という区分ではむしろコスパは良好な方だろう。一度環境を整えてしまえば、後はネットの通信料くらいしか掛からないもの。まあこれはテンちゃんが私と二重人格であるという身の上から、ネット上でしかテンちゃん個人の関係性を構築しなかったことも大きいけど。
オンラインのセッションがあるのならオフラインのセッションもある。コンペなるものに参加すればその参加費もかかるらしい。
でもたとえばこれがセイウンスカイ先輩のような釣りが趣味であれば、釣竿を始めとした釣り具に初期費用が掛かり、釣りスポットまで移動するのに交通費(ウマ娘の場合は自力で走るという裏技があるが)、移動距離によっては途中の食費もかかり、釣り餌は消耗品。細かい仕掛けも壊れたり劣化したり無くしたりで小まめに買い替える必要があるだろう。
それを考えれば、私たちは心身のリフレッシュをかなりリーズナブルに行えている。
私たちに対する投資としては間違った使い道ではない。だから負い目なんて感じないで、相棒からのプレゼントをどんどん受け取って、しっかり楽しんでほしいと思う。
「……どこにいけば買えるかな?」
「必要なものは一通り持っているし、同じものが二冊以上あっても意味ないよ」
だから、残念だったな少年よ。
コストパフォーマンス良好とはいえ、それは大人が本腰入れて楽しむ趣味を基準に置いたときの話。TRPG関連書籍は子供の小遣いで衝動買いするにはやや値が張る。
それらは長年かけて私がとっくの昔に貢いでいる。諦めるんだな。
テンちゃんが何をやってるかわかった人は作者と握手!
でもあのコンボ、うちのシマじゃ『思いついたはいいけど、どうする?』『やめとこっかぁ…』って紳士協定が結ばれたやつだからご利用は計画的にな!
いざとなればマルアクディスペル一発で片が付くやつだから、GMの良心とリアル知力を試すのなら喧嘩しても仲直りできるような身内卓にしておこう!