「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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サポートカードイベント:メーデー☆銀の魔王?

 

U U U

 

 

 初めて見た手品はつまんなかった。

 先生が言うの。どうしてもっと素直に楽しまないの? どうして楽しんでいる人たちの邪魔までするのって。

 だって『わかっちゃう』んだもん。

 知らなかったんだもん。種も仕掛けもありませんって言うのがウソつきじゃなくて、みんなを楽しませる口上だなんて教えてもらわなかったもん。

 ウソつきはいけないことだから、注意しないといけないと思ったんだもん。

 

 テストではなんで途中の式まで書かなきゃいけないのかわからなかった。

 『わかっちゃう』のに。答えは合ってるのに。どうしてわざわざ時間をかけて面倒なものまで書きなさいっていうんだろう。

 うににーってなっちゃう。だから数式そのものはどこかキラキラしていて嫌いじゃなかったけど。算数や数学の時間、席に座っているのは苦手になった。

 

 カワイイお洋服。ピッカピカなお菓子。ロマンチックな映画にオシャレな雑誌。

 キラキラしたものや、ワクワクすることはたくさんある。

 でもそうじゃないものも、やっぱりたくさんあるんだね。

 

 怒られて、叱られて、注意されて。

 いっぱい泣いて、ちょっとずつわかってきた。

 マヤが『わかっちゃう』ことがみんなにはわからないみたい。

 でも、どうしてわからない方に合わせないといけないのかな?

 みんなの方が多いから? それとも『わかっちゃう』ことが本当はダメなことなの?

 

 みんなの見ているものと、マヤの見えているものって、本当に同じものなのかな?

 

 国民的娯楽トゥインクル・シリーズ。

 いっぱいワクワクが向けられて、そこにいる子たちはみんなキラキラしているところ。

 テレビでやっているおっきなレースはマヤのわからないことがいっぱいで、そこに映っている大人のウマ娘さんたちはマヤのわからないことがたくさんわかっていて、見ていてとってもワクワクした。

 あそこでマヤも走れたら、今よりもっとワクワクでキラキラになれるんじゃないかと思って、中央に入学して。

 

 ……でも、そこでも一回やれば全部『わかっちゃう』ようなもので。

 勉強もトレーニングもつまんなかった。こんなことやる意味あるのかなって、そう思ったらサボっちゃった。

 みんながたくさん努力しているのは知っているし、みんなと同じようにしなきゃいけないって思ったこともある。でもどうしてもダメだった。

 レースは日々の練習の成果を出すところ。だからサボっちゃったマヤは出ちゃダメって言われて。

 レースに出られるみんなが羨ましかったけど、それでもあれ以上つまんないトレーニングをやるのは嫌だった。

 キラキラに憧れるだけじゃ、ワクワクに夢を見るだけじゃ、ダメだったんだね。

 

 そんなある日。マヤは出走できないけど、新入生の子たちが模擬レースを走っているのを見に行ったとき。

 もうすぐ新入生たちが参加できる初めての選抜レースが行われるからみんな気合十分で、そのみんなのキラキラに惹かれるみたいに観客席に座って。

 

 あの子を見つけた。

 

 みんなをズガガーってひき潰すようにあちこちのレースで疾走している、マヤと同じくらいの背丈のギンピカ葦毛の子。

 芝もダートも、短距離もマイルも中距離も、新入生は対象外だったけどきっと走れたのなら長距離だって。逃げでも追い込みでも、先行でも差しでも、当たり前のように一着でゴール板をヒューンと駆け抜けていく。

 ふわふわと霧みたいな気配なのに、とっても重たい存在感。ぽかーんって圧倒されてレースをぜんぶ見終わったあと、何となく横を見た。隣の人も同じようにこっちを見た。

 きっと同じことを考えていた。

 

 なんか『わけのわからないもの』がいるんだけど、なにあれ?

 

 このとき、マヤの見えているものとみんなの見えているものは同じだった。

 それがなんだかとても嬉しかった。つまんないものを見つけるたびにソワソワと心の奥に溜まっていたものが、いっきにほどけて溶けていった。

 

 その日、マヤはようやくトレセン学園でテイクオーフ! できたんだ。

 

――何をしているのかって? みんなマヤノみたいに『わかっちゃった!』できるわけじゃないからね。普通は予習復習をしっかりしておかないと授業中に覚えきれないものなのさ。

 

 トレーナーちゃん言ってたよ。

 本当の『ふつう』は予習復習をしても授業中だけでぜんぶわかるのは無理だって。だからテスト期間にみんな必死に勉強し直すんだって。

 マヤたちはいつも通りトレーニングに使ってるよね?

 

――私だけで〈ファースト〉相手に五連勝? いや無茶だよ。デジタルもその場にいた……いや、ずるいって言われましても……ごめんって。うん、次があればマヤノも誘うから。

 

 マヤ知ってるよ。

 リシュちゃん、無理なときはちゃんと『無理』って言うよね? リシュちゃんにとって〈ファースト〉単騎五連勝はまだ『無茶』の範疇なんだ?

 

 マヤをキラキラさせてくれるのはトレーナーちゃんだけど。

 トレセン学園がむかし思い描いていた以上にわからないことがたくさんある、ワクワクできるところだって最初に教えてくれたのはリシュちゃんだったんだよ。

 

 

 

 

 

 中山レース場の地下バ道。

 パドックでのアピールを終えた出走前のウマ娘が気合いを高める道で、薄暗い地下でもよく目立つギンピカの葦毛を見つけた。

 

「リシュちゃーん」

「おー、マヤノ。調子はよさそうだね」

 

 声をかけるとひらひらと手を振ってくれる。

 あまり長くおしゃべりしてると怒られちゃうけど、ここまでならトレーナーちゃんも入れるし、ここで誰かとちょっぴりお話するくらいならよくあることだった。

 

 よかった。いつも通りのふわふわのリシュちゃんだ。

 たぶんそうだと思っていたけど、やっぱり安心する。G1だからって去年の朝日FSのときみたいなぎらぎらリシュちゃんになられたら、どうすればいいかわからなかったもの。

 

 皐月賞。

 『最も速いウマ娘が勝つ』と言われているクラシックロードの一冠目。

 三冠を目指している子たちにとっては絶対に落とせない大舞台なんだろうけど、しょーじきマヤにしてみれば他のレースとあまり変わりないかも。

 マヤがキラキラできる舞台。トレーナーちゃんにワクワクを届けてあげられる場所。

 

 あ、でもおっきな違いがひとつあった。

 リシュちゃんとトゥインクル・シリーズでぶつかり合うのは今日が初めてだ。

 

 マヤがリシュちゃんに話しかけたことで、同じように地下バ場を移動していた周囲の意識がザザッっていっせいに向けられるのがわかる。

 観客のみんなはマヤの方を見ている。マヤの勝ち方はワクワクするものが多いから。それはえっへん! って感じだけど。

 でも一緒に走るウマ娘とそのトレーナーはリシュちゃんの方をずーっと警戒している。観客のみんなと違って、リシュちゃんの脅威は他人事じゃないもん。切実なの。

 

『アイツと走ったウマ娘は壊される』

 

 そんなひどいことまで言われている。

 でも朝日杯FSに出走できるような将来有望な実力派ウマ娘だったはずなのに、当時の出走リストの名前が今回の皐月賞に全然無いのは事実なんだって。

 朝日杯FSが一番ひどかったけど、それ以外のレースでもリシュちゃんと走った後にひどいスランプに陥っちゃったウマ娘が一人や二人じゃないって話も聞いたよ。

 

「今日はマヤ勝っちゃうよー!」

「へぇ……」

 

 ふっと焦点が合った気がする。ゆらゆらと灯篭みたいに青い瞳が揺らめいている。

 

「いつも二着以下の振り付けも完璧に仕上げてきているんだけど、毎回センターしか踊ったことないんだよね。今日はマヤノが踊らせてくれるの?」

 

 うーんすごい迫力! やっぱりいつもよりは気合入っているかも。

 周囲で見ているだけだったのに、気の弱い子はぎゅわーんってなっちゃった子もいる。これから本番なのに大丈夫かな?

 

「もっちろん。リシュちゃんのがんばりはマヤが無駄にさせないから。ユー・コピー?」

「アイ・コピー。期待しておくよ」

 

 そこでリシュちゃんはあたりの様子に気づくと、緊張感を覆い隠すかのようにあくび一つして、そそくさと足を進めた。みんなを威圧しちゃったのが気まずかったんだね。

 

 入れ替わりでいそいそと近寄ってくるトレーナーちゃんを待ちながら、マヤはうーんと頭を悩ませた。

 どうやって今日は勝とうかなぁ?

 

 

 

 

 

 ファンファーレが奏でられる。

 レース場は広いから、実のところ派手に響き渡るわけじゃない。でも血がざわざわして、脚がそわそわする。

 これから始まるレースが特別なものだって、すごくワクワクするの。

 もともと狭いゲートの中は好きじゃないけど、もっとはやくはやく開いてー! ってたまらなくなる。

 

『最も『はやい』ウマ娘が勝つと言われる皐月賞。実力を証明するのは誰だ』

 

『三番人気を紹介しましょう。ムシャムシャ。七枠十五番での出走です』

『ライバルたちは強力ですが、好走を期待したいところですね。この子の得意なペースに持ち込めれば強いですよ』

 

『この評価は少し不満か? 二番人気、テンプレオリシュ。今日は一枠二番での出走です』

『ここまで無敗のジュニア級王者の一人です。私イチオシのウマ娘でもあります。前走の弥生賞で調子を落としたとみなされたのか本日は二番人気となりました。今日はどのような走りを見せてくれるのでしょうか』

 

『そして今日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。一番人気、ここまで無敗のジュニア級王者マヤノトップガン。七枠十三番での出走です』

『その変幻自在な脚質と、皐月賞と同じ中山レース場2000mのG1ホープフルステークスを制していることから一番人気に推されましたマヤノトップガン。無敗と無敗のぶつかり合い。いったいどちらが皐月の冠を手にし、頂点に輝く新星となるのか』

 

 ざわざわしていた観客のみんなが少しずつ口を閉ざしていったかと思うと、あっという間にシーンと静まり返る。

 みんなが邪魔しないように用意してくれた静けさの中、ようやくガシャン! とゲートが開いた。

 テイクオーフ!

 

『今スタートが切られました』

『十六番バスタイムジョイ出遅れたか?』

 

 あー、あの子は地下バ場でリシュちゃん相手にぎゅわーんってなっちゃってた子だ。

 作戦は逃げだったよね? あーあ、今回はもうダメっぽいね。表情がもうむーりーってなっちゃってるし巻き返せそうにないや。

 厳しいけどこれがレースなんだよね。

 

 マヤは外枠だから内枠の子たちに比べると余分に走らないといけない。それは短距離ほどじゃないけど、2000mという中距離においてもまあまあ不利な要素。

 斜行にならないよう注意しながら、ゆっくりと集団の内側に入っていく。先頭争いには加わらない。ギリギリまでトレーナーちゃんとふたりで悩んでいたけど、今回はそういう作戦でいくことに決めた。

 

 リシュちゃんは足音がしない。〈パンスペルミア〉のみんなでマネの練習をしてみたけど、結局完全にマネできるようになった子は一人もいなかった。

 そんなリシュちゃんを背中に走っていると、少しずつじわじわと、まるで霧が衣装にしみ込んでいくみたいにプレッシャーがのしかかってくる。マヤ的に、そのプレッシャーの掛けられ方はいやーな感じ。

 だから今回はリシュちゃんの後ろで走ることにしたんだ。

 

 リシュちゃんが追い込みで走っていたらプランBに移行しなきゃだったけど。さいわい今日のリシュちゃんは内枠だったのにするすると下がっていって、差しの位置取りに収まった。二バ身離れてその外側にちょこんと付ける。

 よかったー。これまでの傾向とリシュちゃんの性格的にクラシック三冠の一冠目は差しでじっくり周囲を観察する可能性が高いとは思っていたけど、予想が当たって本当によかった。

 何をしてくるかわからないって一つの強さなんだね。マヤもどんな作戦でもいけるけど、その厄介さはリシュちゃんを通じてようやく理解できたよ。

 

 まあ、前方のリシュちゃんもだーいぶデンジャラスなんだけどね!

 

『先頭争いは八番アングータ、九番ナターレノッテ。二人ともハナを譲らない』

『前に出たのは八番アングータ。この二人がレースを作っていきそうです』

 

 先頭の位置取り争いだけがレースじゃない。

 中団の子たちがこれさいわいとリシュちゃんを封じ込めにかかる。事前にマークされている証だ。

 囲って蓋をしちゃえばルール上、体当たりでこじ開けたりはできないものね。ルールで許されたら三人くらいまでならまとめて吹き飛ばしそうなリシュちゃんだけどさ。

 でも大丈夫? それってリシュちゃんを()()()()ってことだよ?

 

 ガチャン。ギリギリギリ……。

 

 歯車が外れて、空転したり絡まったりする音が聞こえた気がした。

 ありゃー。やっちゃった。

 バ群が崩れていく。掛かったみたいにいきなり上がったり、まだまだ序盤なのに終盤のスタミナを使い果たしたときみたいによれたり。

 その原因のはずのリシュちゃんだけは悠々と自分のペースを保っている。乱気流に散らされた雲の中を悠々と突き進むジャンボジェット機みたいな貫禄だった。

 

 まるで周囲の混乱なんて見えていないみたい。

 ううん、実際に見えてないんだ。意識されてない。

 

 レース座学のときにトレーナーちゃんに教えてもらった『集中』のおはなし。

 たとえば野球で理想的なバッティングを行った選手が、インタビューのときにこう言ったりする。『何を打ったのか憶えていない。気が付けば塁の上にいた』。

 これは野球に限った話じゃなくて、世界記録を更新した後に『何も考えていなかった』とか『競技中の記憶がない』って選手が言うことは往々にして存在するんだって。

 これが理想的な集中。ただ備える。何も考えない。思考を言葉に変えるぶんの力もすべて身体で反応する分にまわしちゃう。

 ピッチャーが投げたボールがキャッチャーに届くまでの時間はおよそ0.4秒。考えながらバットを振っていたら『あ、投げた』と思った瞬間にはボールはミットに収まってしまう。

 だからバッターボックスで考えるのはバットを構えるまで。構えてからは何も考えない集中ができるよう、選手は様々なルーティーンを作ってより集中の精度を高めようとする。とはいえ、本当に記憶があいまいになるような理想的な集中に至れることなんてそうそうあることじゃないけど。

 

 リシュちゃんは()()をやってる。

 

 だからレース中のことを漠然としか憶えてない。特別なルーティーンも何もなくて、ただリシュちゃんは自然とその深さまで潜れるんだ。

 そしてそれがリシュちゃんの『一緒に走った者を壊す』とまで言わしめた、幻惑する走法の正体。

 無意識のうちに周囲を取り込んで、最適解にして適応する。リシュちゃんからしてみればその場その場の最適を導き出すための環境データの一環でしかないけど、取り込まれてより効率的な模範解答を突き付けられた他のウマ娘からすればたまったものじゃないよね。

 クラシック三冠に挑戦できるような実力者だからこそ、反射された情報を敏感に受け取って理解して、自分の中の歯車がグキャってなっちゃうんだ。

 

 トレーニングで同じことが起こらないのも同じ理屈。

 いつものリシュちゃんは常に考えている。練習中はいまやっている内容を意識して、吟味して、より効率を心がけてトレーニングしている。

 実力を高めるためのトレーニングと、実力を発揮するためのレース。その差が情報の反射を起こらなくさせているんだね。

 

 リシュちゃんの情報反射への対策はおおきく分けて二つ。

 ひとつはスカーレットちゃんが選抜レースでやったみたいに前に位置取って視界に入れないこと。でもこの場合、今度は背後から音もなく迫るプレッシャーに耐えなきゃいけない。これはマヤ的にすごくいやーな感じ。

 だからマヤが選ぶのはもう一つの方。種目別競技大会でウオッカちゃんがやった方法。

 自分を信じて真正面から立ち向かう。マヤならできるってトレーナーちゃんも信じてくれた。それだけでマヤはやる気百倍だよー!

 

 視界に入るリシュちゃんからいろんなことが『わかっちゃう』。

 今のマヤにできること、できないこと。ごちゃごちゃの乱気流みたいなのがわーって押し寄せてきて、それに吹き散らされるみたいに周囲の子たちはへろへろ沈んだり上がったりしている。

 慌てずに取捨選択。今のマヤにできることをひとつずつ拾っていって、マヤにできそうにないことは残念だけど今はポイしちゃう。

 

『1000m通過。先頭に続き中団がバックストレッチを駆け抜けていきます。十三番マヤノトップガンここにいた。人気に応えることができるか?』

『落ち着いて走っていますね。周囲のことも良く見えているようです』

 

 遠目に見える満開の桜がすごくきれい。コースの外側で薄紅色の花びらがひらひら舞っている。レースが終わったらトレーナーちゃんとお花見したいな。

 うん、だいじょーぶ。今日のマヤもよく見えてる。よく『わかる』。

 

 マヤの距離適性は中距離から長距離。まだ身体が十分に成長しきっていないクラシック級ということを差し引いても、クラシック三冠のプレッシャーを差し引いてもまだ、2000mは少し余裕がある。スタミナも脚も十分に残っているけど。

 まだだ。マヤの仕掛けどころはここじゃない。

 ぶ厚い雲の中、まっしろなコックピットで乱気流に操縦桿を持っていかれないようひたすら耐え忍ぶような時間が過ぎる。

 

『第三コーナーカーブ。ここからが仕掛けどころ』

『先頭は相変わらず八番アングータ、九番ナターレノッテ、五バ身離れて中団が形成されてます』

 

 動いた。

 仕掛けたのはマヤでもリシュちゃんでもなかった。

 

 領域具現――飽食タイム☆フルーツ到来!

 

 世界が塗り替えられる。

 春のやわらかな暖かさが降り注ぐ芝の上から、南国風の海岸へ。

 あれは三番人気に推されていたムシャムシャちゃんかな? 白い砂浜の上に並べられたかご一杯のフルーツを、褐色の肌に臙脂がかったピンクの髪をツインテールにしたウマ娘が満面の笑みで次から次へとたいらげていく。

 わかりやすいスタミナ回復のイメージ。レース中に他の子の【領域】に巻き込まれるとこんな風に見えるんだね。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード)

 

 そこに矢のように降り注ぐ無数の黒い長剣。

 矢とフルーツってそれだけ聞くとまるで、この前ロブロイちゃんに教えてもらったウィリアム・テルのエピソードみたいだけど。

 あいにくテルは見事にリンゴだけ射抜いたけど、漆黒の剣は横じゃなくて縦に来た。

 フルーツとまとめて串団子のようにぶすーっといっちゃった。わぁ、ざんこくー。

 

 刈り取られた世界が縮小して、消え去る。

 先行の位置にいた一人ががくんと調子を崩して、もともと余裕綽々だったリシュちゃんの息がますます万全になる。

 

 やっぱりね。

 そうなんじゃないかと思っていたけど、やっぱりそうだった。

 【領域】に対するカウンター。それがリシュちゃんの【領域】。

 うかつに展開したらそのまま利用されちゃう。ただでさえ地力で見劣りするのに、勝ち目がぎゅーって減っちゃう。

 だから今のマヤは、せっかく身に付けたマヤの【領域】を使わないまま勝利しないといけないんだ。

 

 その下準備はもう始めている。

 リシュちゃんが【灯篭流し】と名前をつけた、足音の出ない走り方。マヤもちょっとだけならできるようになった。

 潜水するとき肺の中の空気を少しずつ吐き出しながら深く、ふかく潜っていくみたいに。マヤの中の酸素をどんどん消費しながら意識が沈んでいく。コースが薄暗くなって、代わりに道標のように踏み込むべき点が輝くように浮かび上がる。

 焦っちゃいけない。今のマヤが実用レベルで使えるのは五秒。無理をすれば七秒くらいまでなら維持できるかもしれないけど、スパートとの併用を考慮すればはっきり『わかる』最深まで沈むのはむしろ三秒に留めておくべき。

 沈む速度を慎重に調整する。きたるべきときにエンジン全開にできるよう、今はゆっくりあっためていく。

 

『縦長の展開となっています。後ろの子たちは差し返せるでしょうか』

『二番テンプレオリシュ、ここで動いた』

 

 リシュちゃんが動いた。

 内側からするすると上っていく。他のウマ娘の子たちは邪魔さえできない。まるで見えない空気の壁に押し出されるようにリシュちゃんの進路から逸れていく。

 なんだか、いつかやった古いゲームのワンシーンを思い出した。ストーリーはすごく王道のRPGで、中盤に魔王自らお城に攻めてきて、兵士さんたちが必死に応戦しようとするんだけど。

 

――雑魚を相手にする気は無い。少しばかり選別するとしよう

 

 そういってオーラを解放すると兵士さんたちはそれだけでぶわーって吹き飛ばされちゃうの。残るのは勇者パーティーだけ。

 兵士さんたちはすごく頑張っているのに。城下町には家族がいて、王様とお姫様を敬愛していて、自分たちがこの国を守るんだって、少し前のイベントで誇らしげに語っていたのに。

 目の前の光景はそれにどこか似ていた。立ち向かうことにさえ資格が必要な強大な存在。霧に惑わず立ち向かえるウマ娘はほんの一握り。

 マヤは勇者になれるかな? できれば勇者より魔法使いの方がいいなー。衣装かわいかったもん。

 

『第四コーナーカーブ。中山の直線は短いぞ、後ろの子たちは間に合うのか!』

『内を突いて上がってきたのは二番テンプレオリシュ。九番ナターリノッテに並ば、ない! 躱してどんどん上がっていくぞ』

 

 まだ……まだ……あと、もう少し……ここ!

 

 タァン!

 

 残り二百メートル地点で銃声のように鋭い音が響く。

 マヤの足音。この音量でもまだ、スパートに入った周囲のバ蹄の轟きの前にはかき消されそうになるけど。さっきまで消えていた足音から急に入った一音。その変化に生物は敏感に反応するようにできているから。

 情報処理能力に優れたリシュちゃんなら絶対に聞き逃さない。足音を拾ってくれる。拾ってしまう。

 リシュちゃんの集中はすさまじい。周囲のすべてをデータとして取り込んで、身体が反応して最適を導き出す。

 だからこそ、そこにリシュちゃんの意識が浮上したとき。それは無意識に最適解を描く身体に対するノイズになっちゃうんだ。

 リシュちゃんが当たり前のように潜っていた深さ。マヤはへとへとになりそうなくらいいっぱい消費して数秒至れる程度だけど。

 それでもリシュちゃんの正確無比にくるくる回っていた歯車。そこをちょっぴりギリィってさせることならできるよ。

 

「っし! ふぅう」

 

 許されるならプハァッって水面から顔を出したみたいに大きく息を吸い込みたい。

 でもダメ。これからスパート。これからが勝利に繋がるフライトなんだから。

 目論み通り、掛かった。けどリシュちゃんならあっという間に立て直してしまうと思う。でもでも、この距離でマヤの脚ならぎりぎり差し切れる。

 乱気流から抜け出して、分厚い雲は後ろで白く漂うばかり。目の前には青い空が広がっている。そういう気分だった。

 

 白い霧が、炎に変わる。ごうごうと風を孕んで燃え上がった。抜け出そうとしていたマヤの尻尾が巻き込まれる。

 

 メーデー! メーデー! メーデー!

 あちゅいよぉ!?

 

 ノイズは消えた。発生するはずだったタイムラグも無くなった。

 一度は距離を詰め並びかけた葦毛の背中。それがまるで膨大な質量でぶん殴るかのようなスパートでふたたび遠ざかっていく。

 それはマヤの勝算が指の隙間から零れ落ちていくのと同じ意味だった。

 

『ゴォール!! 一着は二番テンプレオリシュ、着差以上の強さを見せました! 二着は十三番マヤノトップガン、三着に入ったのは八番アングータ』

『無敗の皐月賞ウマ娘がここに誕生しました。銀の魔王の戴冠式、ここに漆黒の絶対王朝の樹立を宣言だ。これからのクラシック路線に目が離せません』

 

 

 

 

 

 急に止まったら血流がどうとか副交感神経がどうとか、要するに身体に悪いのでゴール板を駆け抜けた後も急には止まらないでゆっくりと速度を落としていく。

 掲示板を見上げると、そこにはきっちり一バ身で二着に滑り込んだ事実が表示されてた。

 あーあ、結局マヤはリシュちゃんの『いつもの一バ身』を崩すことさえできなかったってことか。くやしいなぁ。

 くやしい。くやしい。くーやーしーいー!

 走っていなければ地団太を踏んでただろう。リシュちゃんと出会ってから悔しいと思うことがすっごく増えた。

 でもこの悔しさは仕方がないことで。だけど、どうしようもないことではないんだ。

 

 マヤがつまんなーいってトレーニングをサボっていたとき、リシュちゃんは黙々と坂路を走っていた。マヤが授業中居眠りしちゃってその罰として補習を受けていた時間、リシュちゃんはしっかりストレッチをして身体を休めていた。

 つまりはそういうこと。

 マヤが『わかっちゃう』から、わかっただけで終わらせていたとき。リシュちゃんは『わかった』のその先までできるようになって、さらにその先を『わかっちゃった』していたんだ。その積み重ねがこうして差になっているだけ。

 以前はつまんないことをどうしてやらなきゃいけないのかわからなかった。そんなことしなくても『わかる』のに。結果はちゃんと出せるのに。

 今となっては理解させられちゃった。身体の奥がじりじり灼けるように。見えているのに届かない。『わかっちゃう』だけじゃあ追いつけない。それがみんな嫌だから普段から頑張っているんだね。

 それと今回のレースで、はっきりしたことがひとつある。

 

 テンプレオリシュというウマ娘は複座式。

 

 いつものリシュちゃんがパイロットで機体制御担当なのだとすれば、奥にもう一人のリシュちゃんがいる。戦闘機の後方座席でレーダー迎撃士官(RIO)兵装システム士官(WSO)がレーダーや兵器を操作してパイロットの負担軽減を担うように、周囲を俯瞰してサポートに務めている。

 だからリシュちゃんには搦め手が通用しにくいし、掛かったとしてもすぐに立て直されちゃう。そこまでは『わかって』いた。

 そしてF/A-18Fみたいな複座型では前後席に互換性があり、後席からでも操縦が可能みたいに。いざというときはアイ・ハブ・コントロールで機体制御担当が入れ替わる。そこも予想できていた。

 

 でもまさか、入れ替わりにコンマ一秒もかからないなんて。

 

 そこだけは予想外。あの状況からあそこまでシームレスに動けるんだ。そもそも機体の性能差があるのにパイロットまで二人いるなんてずるくない?

 もう一人のリシュちゃんが生まれたのは昨日や今日じゃないってことは何となく感じていたけど、ふたりでひとつがイレギュラーじゃなくて当たり前になるくらいずっと一緒にいたんだ。もしかすると、生まれたときからそうだったのかな?

 メインとサブの関係性はあっても立ち位置は対等。あの独特な絆の深さはそれくらいじゃないと説明がつかない気がするもん。機長と副機長みたいな上下関係が有って、マニュアル通りの指揮系統に則っての切り替えだったらもっとラグがあるよね。

 

 作戦、一から練り直さないとダメだなあ。搦め手を成功させるには表と裏のリシュちゃんをまとめて絡めとるか、あるいは物理的にどうしようもない状況下に追い込まないといけないみたい。

 開き直って真っ向勝負しちゃう? うーん、マヤがサボっちゃっていた分とリシュちゃんが頑張り続けた分の差ってそんなに簡単に超えられるような大きさかな? ただ考えるのが嫌になって、スッキリするためだけに特攻しているだけだよね、それ。

 

「ふふ、ひひ……とんでもないやつと同じ時代に生まれちまったもんだぜ……」

 

 マヤと同じようにターフの上を流していたウマ娘が荒い呼吸の中そうつぶやいたのが聞こえた。

 リシュちゃんの霧に惑わされ、心が折れちゃった子たちはたくさんいる。でもこの子みたいにそうじゃない子もいっぱいいるんだ。

 たしか三着に入ったアングータちゃんだっけ? 息絶え絶えになって蛇口をひねったみたいに汗がぼたぼた滴り落ちているのに、目だけはギラギラしてる。

 諦めなければ道は拓けるなんて、言えるかどうかわからないけど。

 諦めちゃったらそこで終わりなのは確かだよね。

 

「マヤノ」

 

 ざわっと空気がざわめく。

 周囲の反応を歯牙にもかけず、リシュちゃんがマヤの前まで歩いてきた。

 

「ちょっとびっくりした。でも、まだその程度じゃ負けてあげられない」

 

 色の異なる双眸がまっすぐにこちらを見る。

 炎のように燃える赤。蛍みたいに熱の無い光を放つ青。

 興奮で少し頬が赤らんでいるけど足取りは軽くて、レース直後の疲労なんてぜんぜん感じられない。

 

「今日のセンターも、私だよ」

 

 観客席から降り注ぐ歓声を、サーコートみたいに自然と身に纏って。

 それだけ言うとリシュちゃんは踵を返してその場を後にした。

 

 ……んー、トレーナーちゃんには悪いけどダービーは見送りかなぁ。

 このままじゃウオッカちゃんと二着争いをすることになっちゃう。それはヤダ。

 目標は菊花賞。

 クラシック級から参加できる夏合宿。そこでぐーんと差を縮めて、マヤの適性距離である長距離で勝負する。

 むかし巨大なテコと支点を用意してもらえれば地球だって動かしてみせるって豪語した数学者さんがいたらしいけど、地球を動かせる大きさのテコと支点なんて用意できない。

 地球どころかゾウさんを動かすのだって、用意できるテコと支点の大きさと強度を考えればネズミさんサイズじゃあ難しい。せめてバッファローさんくらいには成長しないと。

 

 リシュちゃんはなんだかんだ親切で面倒見がいいから、トレーニングに付き合ってくれると思う。何ならリシュちゃんの倒し方教えてーって直接お願いしても『それ本人に聞く?』って口では呆れながらヒントくらいは考えてくれそう。

 その裏にあるのはどれだけライバルが成長しても勝つのは自分だっていう、圧倒的な自信なんだろうけど。

 そのリシュちゃんだってゴルシちゃんやブライアンさん、会長さんたちにはまだ勝てない。だから追いつくために毎日せっせと努力している。

 そう思うとすごくドキドキする。

 トゥインクル・シリーズに来て本当によかった。ここにはキラキラとワクワクがたくさん詰まっている。退屈なんて感じている暇もないくらい毎日いそがしくてしんどくて、とっても楽しい。

 

 トレーナーちゃんとならマヤ、どこまでも飛んでいける気がするんだ。

 だから一緒に頑張ろうね!

 

 

 

 

 

 あと、これは余談なんだけど。

 

『銀の魔王の戴冠式! 漆黒の絶対王朝の幕開けか!?』

 

 翌日、スポーツ紙の一面を見てリシュちゃんは羞恥に崩れ落ちていた。

 でもねマヤ、何となく『わかっちゃった』んだ。

 “銀の魔王”。たぶんこれ、リシュちゃんのこれからの代名詞になりそうだよ?

 

 だってあのときのリシュちゃん、本当に魔王さまみたいだったもん!

 




これにて今回は一区切り!
一週間以内におまけを投稿後、書き溜めに移行します

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