「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
雨が窓を叩く音で意識が覚醒した。
カレンダーは六月。順調に梅雨だねえと思うも応える声はない。珍しくテンちゃんの方が寝坊しているらしい。
まあこのくらいなら偶にあることだと、一抹の肌寒さを誤魔化しながらゆっくり目を開けて身体を起こす。
「あっ」
室内に響く雨音に気まずそうな声が交ざる。
うっかりルームメイトと目が合ってしまった。しまったな。寝起きで気配を探るのを失念していた。
「おはようございます」
ぺこりと会釈した。
相手が誰であれ挨拶は大事だ。相手に失礼云々というより、自分が無礼者になりたくない。娘にろくな教育を施せなかった両親なのだと思わせるわけにはいかない。
「……えっと、うん、おはよう」
目が合えば挨拶するくらいにはなったけど、言葉が続かない。沈黙が気まずい。
おかしいな、ここは一年以上過ごした自室のはずなんだが。ちっとも心が休まらないぞ。
でもテンちゃんが起きていない以上は私が対応するしかない。
「…………今日はいい天気だね」
「雨ですが?」
やらかした。
悪気があったつもりはないが、思いっきり相手の出鼻をくじいてしまった。テンちゃんならもう少しウィットに富んだシニカルで鮮やかな切り返しをしたのだろうか。
すごい。窓を開けたわけでもないのに空気が澱んでいく。外の不良バ場が室内まで侵入してきたような重さだ。
ぎしりと固まった我がルームメイトはそのまましばらく硬直していたが、やがて肩を大きく動かすように息を吐いた。伏せられていたエメラルドグリーンの瞳が決意の光を宿してぐっとこちらを睨む。
いや、睨んではいないか。ちょっと目つきが悪くて目力が強くて日常的に眉間にしわが寄っているだけだ。きっと彼女に敵意や悪意はない。
「あのさ!」
「はい」
「……悪かったよ」
何に対しての謝罪だろう。そもそも謝罪を切り出すような口調ではなかった気がする。
ちがう。何でやることなすこといちいち彼女にケチをつけようとしているんだ、私は。
相手が彼女であるという事実にテンちゃんがいない要素が噛み合って、無駄に気が立っているようだ。落ち着かないと。
「ずっと考えてた。アンタの態度の理由」
無言の私に通じていないと悟ったのか、リトルココンが言葉を続ける。
「たまにすごくそっけなくなる。今みたいに、まるで他人みたいにいつもの馴れ馴れしさを捨て去って敬語で話してくる」
テンちゃんがデフォルトだと私の対応はまるで急に冷たくそっけない態度を取られたみたいに感じるのだろうなぁ。だからといって私が譲歩してやる必要性は感じないけど。
「アンタは不条理だけど理不尽じゃない。ただの嫌がらせだとか、虫の居所が悪いとか、そんなくだらない理由じゃないとは思った」
テンちゃんへの信頼が厚い。何だかんだ信頼関係の構築には成功している様子。さすがである。
……そんなテンちゃんがせっせと積み立てた『貯蓄』を、私が一時の感情で勝手に目減りさせるのはいかがなものだろうか。
そんな思いが少しだけ私の頭を冷やす中、リトルココンはしかめっ面で、しかしどこかバツが悪そうに首を振る。
「考えて、思い出したんだ。そういえば初対面のとき、アタシは『それっぽいこと』を言ったなって」
――あ、いいからそういうの
――よろしくお願いする気なんてないって言ってんの。アタシはここになれ合いに来たわけじゃないし、ここに来たウマ娘で栄光を掴めるのなんてほんの一握り。
いなくなるかもしれない相手の名前をわざわざ憶えて交友に意識と時間を割くなんて、無駄でしょ? だから部屋ではお互いに不干渉でいこう
案外憶えているものだな。
そりゃ記憶力には自信がある方だけども。プチトラウマになっているとも思っていたけど。
一言一句きれいに記憶領域に残っているあたり、自覚している以上に
「何でいまさらとは思った。本当にそれが原因なのか疑わしいとも思う。でも思い当たる理由はそれくらいだったし、納得ができなくもないんだ」
アンタがそんな態度を取り始めたのは、アタシがこれまでのアタシのままじゃダメだと思い始めた直後からだから。
そうリトルココンは語る。彼女のプロファイリングによれば『テンプレオリシュ』は無駄なことも嬉々として演じるが、楽しくもないただのロスは効率的なまでに避けるのだという。
当時のリトルココンに不干渉の弊害を説いても、お互いにストレスが溜まるだけの極めて非生産的な時間と労力の使い方になったことだろう。その点は私もまったくの同意見だ。
「アンタに言いくるめられてその後うやむやになっていたけど、あのときのこと謝っていなかったから。今は間違いだったと思ってる。だから、ごめん」
そう言ってリトルココンは改めて頭を下げた。
それはほんの少し首を傾けるようなものだったかもしれない。
でも、ずっと喉の奥にひっかかっていた小骨がするりと抜け落ちたような感覚を私に与えた。
ああ、謝ってくれた。やっと許せる。
怒りや憎しみ、嫌悪といった感情は愉快なものでもないくせに湧いてくる。そして維持にこちらのエネルギーを勝手に持っていくのだ。
大量の綿を背負って小雨が降る中を歩き続けるようなものだろう。最初はいっそ愉快に感じることもあるかもしれない。でも途中から重さと不快感の方が勝って、そのときには下ろしたくともじっとりと纏わりついてくる。
許すとか手打ちにするとか、一見するとやらかした方だけが得になるような理論。だけどその実、やらかされた方にも利があるからこそ善なるものとして扱われてきたのだと我が身になってみるとわかる。
「いいよ。許します……こちらも感じ悪い態度で、これまで申し訳ありませんでした」
一方的に謝らせるのは失礼であり、こちらも適当な理由をつけて頭を下げる必要がある。それが相互に関係性を構築するときのセオリーだ。
そう考えてこちらも謝罪したにも拘わらず、リトルココンは嫌そうに顔をしかめた。
「敬語はやめて。頭が痛くなる」
別に敬語を使っているのは敬意を抱いているわけではなくて、距離感をしっかり構築するためなのだけど。
リトルココンは学年でもトゥインクル・シリーズでも先輩であり、そして友達ではない。たまに小説などで『敬語は堅苦しいし敬語はやめて』『わかったぜ!』なんて秒で言葉遣いが崩れる展開があるが、私にはあれがまったく共感できない。
言葉遣いというのは相手に見せる大事な外面の一要素だろう。堅苦しいとか疲れるとか、そういう理由でないがしろにしていいはずがない。コミュ障と笑いたくば笑え。
なお、相手がどう受け取るかというのはこっちの管轄外である。あくまで私側が守らなければいけないルールというだけで、別に相手と親しくしたいわけではないのだから。
ただ、今はお互いに歩み寄って関係性を再構築しようとしている場面だ。
その上でリトルココンから一歩歩み寄って今の形になっているのだから、今度は私の側から歩み寄るのが筋というものではなかろうか。
何より、リトルココンは本当につらそうだ。テンちゃんと私の差異はそうと認識できず目の当たりにした場合、乗り物酔いに似た症状を引き起こすほどその違和感はひどいらしい。
「わかったよ。これでいい?」
奇しくも私がまったく共感できなかったどこぞのキャラクターみたいなセリフを口に出すと、リトルココンは少しだけそのしかめっ面をゆるめ頷いた。
「それで、リトルココンは何で今になって謝ろうと思ったの?」
ここで沈黙が訪れてしまったら、きっと次に口を開く労力は相当なものになる。そんな予感に背中を押されて今度は私から言葉を紡ぐ。
ただ、少しばかり急ぎ過ぎたのか、まるで相手の謝罪にケチをつけて喧嘩を売っているような内容になってしまったが。
だけど確信があるのも事実。このコミュニケーションを拒絶していた彼女が、ただそれが正しいとか間違っているからとかの妥当な理由で行動を改めるわけがない。
「……ダービーを見た。聞きたいことが山ほどある」
ぎらりとリトルココンの目に力が宿る。
そのエメラルドグリーンの瞳をきれいだと思った。
「足踏みしている暇はない。アタシたちは強くならなきゃいけないの。アオハル杯ランキング一位は伊達じゃない、樫本トレーナーのやり方は正しいって証明しなきゃならない。
ルームメイトと仲が悪いとか、ろくに会話も成り立たないとか、気まずいとか、そんなくだらない理由に足を取られている余裕なんて無いんだ」
「なるほどね」
そのわりにカレンダーが六月に入るまで時間が必要だったみたいだけど。
まあ私は学園生活の大半を〈パンスペルミア〉の部室を拠点にして過ごしていたからね。寮には寝に戻るような生活だったし、流石に眠っている相手を叩き起こして『さあお話ししましょう』では聞けるものも聞けないだろう。
生活リズムが合わなかったがゆえの悲劇、あるいは冷静な判断だったと思うことにしてやろう。
《それにしても『アタシたち』ときたか。想定以上の早さでチーム〈ファースト〉はココンちゃんの中に確固たる地位を築いているみたいだね。これが果たしてどのような結果に繋がることやら》
おや、テンちゃんおはよう。
いつから起きてたの?
《さて、いつからだろうね》
あからさまにはぐらかされたのである。
どうやらどこかのタイミングで覚醒はしていたけど、こっそり裏で見守っていたようだ。おそらくは私とリトルココンとの関係改善のために。
その気になれば口の上手いテンちゃんはいくらでも誤魔化して言いくるめることができるだろうに、隠し事をしていることは隠さない。きっとそれが私を相棒と呼んでくれるテンちゃんなりの誠意なのだろう。
テンちゃんは私に嘘をつかないからね。
いつだったか、テンちゃんが語ってくれたことがある。
嫌なことがあったときに酒で忘れてしまえば、次から酒で忘れることがトラブルの解決法に並ぶようになる。薬物が一度で乱用になるのも同じ理屈。薬が持つ恒常性と同じかそれ以上に『トリップが選択肢に入る』という事実が人生にとって致命傷。選択肢にあるならば、きっといつか再びそれを選んでしまうのが人間というイキモノだから。
だから嘘をついてはいけない。何故なら一度でも嘘で利益を得れば、次から嘘をつくことが人生の選択肢に入るようになる。
その言葉を守るようにテンちゃんは無意味な嘘は山ほどつくが、意味のある嘘は私の知る限りついたことがない。そのあたり、ゴールドシップ先輩と通じるものがある。
ただ、言葉を右に左に振り回して意図的に誤解させることは多々ある。付け込まれる瑕疵にならなければOKという理論らしい。
テンプレオリシュというウマ娘のメインは私で、サブがテンちゃんだけど。
テンちゃんは明確に私を守ろうとしてくれている節がある。
大人が子供の手の届く場所に危ないものを置かないように、いくら聞いてもはぐらかされるだけで絶対に教えてくれないことがある。『あっちの世界』とか『メタ的に考えると』とか、そーいうたぐいのやつ。
いつしか私もしつこく尋ねるのを諦めて、そんなものかと流すようになった。まあ『なんじゃそりゃ』の一言くらいは言わせてもらうが。
子供扱いされてるみたいで愉快な気持ちじゃあないのは確かだけど、被保護者に甘んじる愉悦があるのも事実。
だったらその扱いを受け入れて、テンちゃんの意向を通したってかまわないだろうさ。
《それで今のリトルココン、リシュはどう思った?》
そうだねえ。正直すこし見直した、かな。
いくら中央のウマ娘が意識の高い者揃いとはいえ、ダブルスタンダードなんてこの年頃の女の子には、いや大の大人であろうと珍しくないものだ。
だけどリトルココンの言動には一貫性がある。
速くなるために必要ないと思ったからコミュニケーションを切り捨てて、速くなるために必要だと再認識したからこうして苦手を承知の上で関係性の再構築に乗り出した。
苦手を苦手と認識したまま取り組むのはとてもつらいものだ。得意分野に比べ成果は上がらないのに疲労は倍以上。そんな自分が滑稽に思えてさらにメンタルに負荷が掛かる。プライドの高そうなリトルココンなら猶更だろう。
それでも逃げなかった。やって当たり前、できて当たり前だと多くの人は嗤い咎めるかもしれない。
けど、私はそれを勇気だと思う。敵に立ち向かうだけじゃない。自分に立ち向かうのだって尊大な臆病者にはできない所業だ。
「それで、何が聞きたいの?」
こうして質疑応答に応じてやってもいいかなと思う程度には、私はそれを評価する。
だって私たちなら嫌になれば放り出せるから。それを引き受けて続きをやってくれる片割れがいる。でもリトルココンはそうじゃない。自分たちにはできないことを努力している相手に、一定の敬意は払うべきだろう。
リトルココンはちらりと時計に目をやった。雨が降っているとはいえ、室内でできるトレーニングは無数にある。六月を休養に当てている今の私にはあまり関係のないことだけども。
一月あたりから〈ファースト〉の練習は頻度、密度ともに目に見えて上昇指向にある。あまりルームメイトのことなど気にしていなかったが、今日もこれから朝練があるのかもしれない。
「べつに、時間があって答えられることなら今以外だって答えるよ」
そう促すと、少しだけ躊躇を見せたあとリトルココンは尋ねてきた。
「ダービーの最後の直線で見せた
「無理」
なるほど、そう来たか。
無慈悲に一刀両断させてもらったが、聞きたいことも躊躇した理由もわかった。
常識的に考えてありえない複数の【領域】の乱舞。その中にはリトルココンその人の【領域】があったことも、彼女なら認識できていたはず。
もしもあれが『【領域】の模写』という技術であるならば、それを自らもまた使えるようになりたいと考えるのはある種当然のことだ。
その一方で技術であるにしろ違うにしろ、私の手札であることに違いない。それも勝負を決定づける切り札になりうるもの。面と向かって情報の開示を求めるのはタブーと見ることもできるだろう。
それでもなりふり構わず聞いてきた。その泥臭さは嫌いじゃないよ。
《あるいは一気に距離を詰め過ぎて、自分でもどの程度踏み込むのが正解なのかわからなくなってるって気もするけどね》
それも大いにありうるね。共感できる。
「あれは私の【領域】だから他の誰かがマネするのは無理だよ」
「そうか……ごめん、言わせた」
「いいよべつに、こんなの」
バツが悪そうなリトルココンの謝罪もあながち的外れではない。
『予想がつく』と『知っている』との差は果てしなく大きい。ここであらわになった手札はこの場の彼女だけではなくチーム〈ファースト〉全体に共有されるだろうことを考えると、たいした対価も払わず情報開示を促したようなこの場の流れは不実と言えなくもない。
ただまあ、知識というのは質量の無い財産であると同時に、形はなくとも確かな重さを有した荷物となることがある。知っているからこそ身動きが取れなくなることがある。
いわゆる先入観や固定観念。専門家と呼ばれる者たちが素人に後れを取る理由。
ダービーで大盤振る舞いした以上は多かれ少なかれ情報は漏れるだろうし、チーム〈キャロッツ〉およびゴルシTはとっくに対策を立てて動き出していることだろう。
この程度で負い目に感じてくれるのなら、恩を売れるのなら安いものだ。単純な善意からじゃない。
「私の【領域】は他者が【領域】を使った際にその一部を切り取って弱体化させ、同時に切り取った分を自分のものにするって能力。そんなの知っていてもどうしようもない、でしょ?」
「……聞いているだけで頭が痛くなってくる」
相手を強化するとわかっていてもなお【領域】を具現化するには度胸がいる。自分のとっておきの切り札のはずが、相手の手にも握られているのだ。
【領域】を使うべきか否か。判断は困難になりテンションは悪化する。すべてがギリギリのせめぎ合いであるレースにおいては無視し難いデメリットだろう。
私の【領域】は初見殺しに優れた性能であることは間違いないが、知っていたら知っていたで発動する前から相手にしっかり悪影響を及ぼすことができるのである。
《だからこそ、ムシャムシャには驚いたよねー》
そうね、正面から覚悟をもって受け止められたのは新鮮な経験だった。さすが皐月賞とダービーの両方に出走してくるウマ娘だけあるよ。
リトルココンは頭痛を誤魔化すようにこめかみを揉み解していたが、ふと皮肉気な笑みを浮かべた。
「それにしても、普段と全然違うねアンタ。いつものは演技だったの?」
「いつもリトルココンの相手をしているのはテンちゃんだから。今の私はリシュだよ」
「は?」
「いわゆる二重人格ってやつ。テンちゃんは私と比べずっと愛想がいいからね」
ぽかんとしたマヌケ面に向け、時計を見るように視線で促す。長針の位置は既に目が覚めてから十五分が経過しようとしていることを示していた。
「そろそろ急いだほうがいいんじゃないの?」
「は、え? ちょ、待ちなよ」
「待たされるのは私じゃなくてチーム〈ファースト〉の面々と樫本代理の方じゃないかなぁ?」
あの多忙な樫本代理が今日の朝練の監督までしているのかは知らないけども。
「ああ、もう!」
どたばたと慌ただしくリトルココンは身支度を整えていく。ドアノブに手をかけた状態で振り返ったその目は名残惜し気、というにはいささか目力が強すぎたけど。
不思議とこれまでのような反発心は湧いてこなかった。
「帰ってきたら続き、聞かせてよ?」
「タイミングが合って時間があって気が向いたらね」
正直に答えたら返ってきたのは舌打ちだった。いやだって今日、平日だし。休日のように融通が利くわけではなく、そもそもトゥインクル・シリーズを走るウマ娘は休日だろうとスケジュールがびっしりぎっちりというパターンも少なくない。
お互いどんな予定が控えているのかわからないのに無責任なことは言えないだろう。
「いってらっしゃーいココンちゃーん」
「……いってきます」
最後だけテンちゃんがお見送り。私の身体が愛想よく笑いながらひらひら手を振る。
風圧がここまで届くほど力強く閉められたドアだったけど、乱暴な開閉の音で消しきれない挨拶のやり取りは、何だかんだ一年間空間を共にした関係性を感じさせるものだった。
ちなみにカミングアウトは私の独断ではない。
言語化する前の漠然とした感情のやり取りで、テンちゃんと二人で決めたことだ。
そもそも私たちが二重人格ということは、別に秘密ではない。大声で主張する必要のないことだと思っているからあまり人前で言わないだけだ。
ドロップアウトは常に付いて回るのがトレセン学園という場所だが、きっとリトルココンとの付き合いはこれからも続く。私は『最初の三年間』をしっかり走りきるつもりだし、彼女もアオハル杯が終わるまで現役である可能性が高い。
あと一年以上は同室であり続けると考えれば、今のうちに認識してもらっておいた方が何かと便利そうだった。
《想定以上に打ち解けて少しばかり驚いているよ。ココンはダービーがきっかけだったみたいだけど、リシュの方は何かあったの?》
私? うーん、そうだな。
私もダービーかもしれない。ダービーでリトルココンから蒐集した【領域】を使った。
それまでだって練習で使ったことが無いわけじゃなかったけど、【領域】を使えばテンちゃんが消耗する。だからやっぱり、その真価に触れたのはあれが初めてだった。
《ゆるい条件で強力な効果を発揮する、使い勝手のいい【領域】の持ち主に好感を抱いたってこと?》
それも無いとは言わないけど。
自分も相手も圧し潰す世界。あれは拒絶の具現化であると同時に、きっと無自覚な威嚇だ。
アタシは強い。だから周囲を傷つける。自分も傷つける。傷ついたって生きていける。傷つけたってアタシは平気。
だから近寄るな。
そんな重くて暗くて息苦しい深海。それがリトルココンの見えている世界。彼女の内に秘められた心象風景の発露なのだと思うと。
何だか、可愛げがあるというか?
《ひとつ歩み寄れる場所を見つけていたってことか。そりゃあ何かの拍子にぐっと距離が縮まることもあるわな。それが人付き合いの摩訶不思議な性質だ》
そういうもの? ふーん、そんなもんか。
《近いうちにビターグラッセあたりとも一緒にお蕎麦食べに行きたいね。〈ファースト〉との交流で得るものは多そうだし》
うん、なんで蕎麦?
《なんだ知らんのか。アイツは自分で打てるレベルの蕎麦好きだぞ。蕎麦の食べ歩きブロガーとしてその道の人々からも人気がある》
ひょいひょいとスマホを操作して件のブログも見せてもらった。
ちゃっかりフォローしていた。まーたテンちゃんが私の知らないところでコネ作ってるよ。
六月末、アオハル杯プレシーズン二回戦開催。
チーム〈ファースト〉は五連勝という形で圧倒的な実力を示し、ランキング一位に君臨し続けた。
その圧勝は誰かさんのせいで蔓延しかけていた『〈ファースト〉は弱いのではないか』という空気を一掃し、同時に樫本代理の実力と脅威を学園に再認識させたのであった。
《ココンちゃんたちの努力が実って本当によかったねー》
そうだね。面と向かって言えばキレられそうだけどね。
《ラスボスが弱ければゲーム全体が弛緩してしまう。これからもチーム〈ファースト〉には強大な悪役として頑張っていただきたいものだ》
ちなみに〈パンスペルミア〉はきっちり三勝してランキング昇格。
無事に上位五位圏内に食い込むことができた。これでまた設備の向上が見込めて嬉しい限りである。
勝敗の内訳はダートの私と長距離のマヤノ、そして短距離のバクちゃん先輩が白星。
後輩たちを引き連れてチーム戦に臨むというのは、なかなか新鮮な経験だった。まあまあ楽しかったよ。勝った戦いにそれ以上語ることはない。
さて、中距離とマイルが黒星となる。
マイル部門はまあ、こう言うとなんだが普通に負けた。
今回エースを担当したのはデジタル。彼女は間違いなくクラシック級有数の優駿ではあるが、つまるところあくまでクラシック級の実力者でしかない。
今回〈パンスペルミア〉が相手にしたのはランキング昇格のための上位陣。三十を超えるチームが群雄割拠しているアオハル杯で十指に入る実力者たち。つまりシニア級でもG1レースに出走するような顔ぶれが相手チームのエースとして出てくる。
チームメンバーは大半がクラシック級とジュニア級で構成された〈パンスペルミア〉。エースのデジタルはこれまで公式戦をダートで重ねており、芝の実戦には不慣れ。
またデジタルと言う少女の性分としてレースには真摯だが、それはウマ娘ちゃんたちの真剣勝負を汚さないためというモチベーションに依るものだ。極端な話めったにご一緒できないウマ娘ちゃんたちを間近で拝めるというだけで彼女の欲望は満たされてしまい、勝利そのものに対する渇望はかなり薄い。
不利な要素が重なり、それを覆すだけの熱量に欠けた。相手チームのマイル部門に実力者が揃っていたこともあり、順当な結果としての敗北だった。
中距離部門はエースにテイオーを据えたのが敗因といえば敗因かな。
彼女は間違いなくジュニア級としては最大限の活躍をしたし、それを支えるミーク先輩も熟練を感じさせるいい仕事をしていたのだけども、そこは層の厚い中距離部門。
相手チームはひとりひとりで見ればテイオーやミーク先輩に及ばぬ素質の持ち主しかいなかったが、二回目のプレシーズンにして既にチームとしての戦い方に熟達していた。多少の才覚の差などひっくり返せるほどに。
テイオーは間違いなく天才だが、チームワークというのはどれだけ仲間と息を合わせるために時間と労力を費やしたかがモノを言う。天才ゆえの飛びぬけた感性は独りよがりの瑕疵として狙い撃ちにされ、それをフォローしたミーク先輩も逆に言えばフォロー要員以上の仕事ができないよう拘束された。
そもそもシニア級というのは本来トゥインクル・シリーズ二年目であるクラシック級から会敵する相手。それもプレシーズン一回戦の頃と違い、今の〈パンスペルミア〉が相手をするのはランキング一桁の学園の上位層。
その実力は、下位はもちろん中位の者たちとも一線を画す。
《いわばテイオーは適正レベル以上の敵を相手に、チーム戦という不慣れなハンデを背負って戦ったわけだ。曲がりなりにでも勝負になった時点で大健闘だったよね》
嫌味でもフォローでもなく私も同意見だ。まあ、私の言葉を素直に聞き入れるテイオーではないから。
自分のせいで負けた。そんな新鮮な挫折を知った彼女はものの見事に凹んでいたし、いじけていた。
ただまあ、先輩としてかまってやったら気丈な言葉が返ってきたので折れてはいないのだろう。せいぜい敗北からできるだけ多くのものを掴み取ってほしい。
私は負けたことが無いから敗北から何が得られるのかは知らないけどね。相手がチームワーク抜群のシニアG1級だろうと勝てたし。
《アオハル杯は公式戦ではないからあそこでいくらコテンパンにされてもトゥインクル・シリーズの実況には『ここまで無敗!』と言ってもらえるもんに。無敵のテイオー伝説はまだまだこれからであるぞよ》
テンちゃんがテイオー本人に聞かれたらへそを曲げられそうなクオリティのモノマネをしていたが、内容はだいたい正論である。
ついでと言っては何だが〈キャロッツ〉もしっかり勝ち上がっている。
プレシーズン一回戦が始まる前は最下位だったのに、一回戦で二十二位まで上昇し、今回の二回戦ではランキング全体の半分を上回る十四位まで勝ち上がりを果たした。実に主人公街道を邁進していらっしゃるチームだ。
ランキングが十四位ともなればアオハル杯の特典たる設備もかなり高品質なものが得られるはず。ただでさえ人材揃いのチーム〈キャロッツ〉に機材まで加わるわけで、鬼に金棒を地で行く成長を見せるようになるかもしれない。くわばらくわばら。
ちなみにプレシーズン二回戦の戦績は四勝一敗。黒星はダート部門のハルウララ先輩のみ。相変わらずの鈍足で、相変わらずの天真爛漫な笑顔だった。
宝塚であれだけバチバチやっていたのに、相手が格下とはいえその走りに陰りは見られず。やっぱりレジェンドと呼ばれるやつらは格が違う。基礎がぶ厚すぎる。
《ハルウララだって悪いウマ娘じゃあないんだよ。ちょっと他の子と比べて足が遅いだけで》
普通トゥインクル・シリーズでは致命的な欠点なんだけどね、それ。
短距離ではタイキシャトル先輩、マイルではブライアン先輩、中距離ではウオッカが順当に勝利。
印象的だったのは長距離部門をスカーレットが担当していたことだろうか。彼女はマイルや中距離に比べ、長距離の適性は一枚劣る。純粋に戦力だけを考えた起用とは思えない。
実際スカーレットは先頭を維持することができず、最後の直線でまとめてぶち抜いたゴールドシップ先輩に尻拭いしてもらう形になっていた。
《それをいうならウオッカをマイル部門にまわして、ブライアンに中距離を担当させた方が勝率は安定したと思うぞ》
そうだね。きっとチーム〈キャロッツ〉も単純な勝ち上がりだけではなく、メンバーに経験を積ませることを考慮に入れているのだ。
スカーレットとの決戦の地(と私が勝手に思っている)有馬記念は中山レース場の2500m。現在のURAではれっきとした長距離に分類されている。ダービーなどの2400mと比べると数字の上ではたった100mの違いに思えるかもしれないが、その100mでまるで別物。
《というか、ヒトミミ基準なら50m走と100m走でも違う競技だからな》
スカーレットが挑戦すると予想されるレースを鑑みるに、彼女が今年度長距離を走るのは年末の有馬記念が最初で最後だ。
その前に一度、せめて非公式のレースでも実戦の空気に触れておきたいというのは何もおかしなことではないだろう。
ウオッカもそうだ。彼女はたぶんマイルが一番
《ウオッカはワンチャン海外遠征にいくかもしれないと思っていたけどなあ。国内にとどまったか》
テンちゃんが言う通り、実はウオッカはダービーを制した後に海外に行くルートも漠然とだが考えていたらしい。
しかし私に負けたことで計画は白紙に。『国内に勝ててねえヤツがいるのに、海外に往くのは逃げてるみてーでダッセーだろ?』と彼女は笑っていた。
……その理屈だと一生海外に挑戦するチャンスは来ないと思うのだけど、大丈夫なのだろうか?
《まあそのあたりはウオッカとキャロッツTの考えることさ》
それもそうか。
人数は他チームと比べ圧倒的に少ない〈キャロッツ〉ではあるが、今回の勝利でプレシーズン第一戦のときと同様、また相手チームの解散および吸収という流れで強力な新規メンバーを獲得していた。
テンちゃんが注目していた、いわゆるネームドは三人。
〈ブルームス〉からライスシャワー先輩とミホノブルボン先輩。
そして〈ハレノヒ・ランナーズ〉からのマチカネフクキタル先輩だ。
そのほかにも幾人か加入しているのだが、そっちはあまり気にした様子が無いテンちゃんである。
たしかに菊花賞ウマ娘のライスシャワー先輩とマチカネフクキタル先輩、クラシック二冠のミホノブルボン先輩は優秀なウマ娘ではある。
あるのだが、その他の新規メンバーもそう露骨に見劣りするような人材ではないと思うのだけど。テンちゃんの評価基準はたびたび不思議だが、その評価が大外れしたことはないのでそういうものなのだろうと納得するだけだ。
滝登りのように順位を上げているチーム〈キャロッツ〉にも関わらず加入メンバーの数がやや少ないように思えるが。これは〈キャロッツ〉側がえり好みしたというより、新進気鋭の優駿とレジェンドばかりで構成された魔窟のようなチームに参入する度胸の持ち主が選別されたと見るべきだろう。
裏を返せば新規参入した三人には相応のモチベーションがあるわけで、いつか相まみえる日には強力な敵として立ち塞がることが容易に予想できる。
《ついにリンクキャラ四人が揃ったか。ここからが〈キャロッツ〉の本番と思った方がよさそうだな……》
テンちゃんもよくわからないところで戦慄していた。
ちなみにうちのチームの新規参入はどうなのかというと、目立った変化はない。
どこかの誰かさんのファンクラブのせいで、アオハル杯チームメンバー登録用紙の枠いっぱいまで既にメンバーが登録済みだからね。
誰かを追い出してまで目標のチームに参入してやるっていうのは中央のウマ娘の在り方としては間違っちゃいないが、お祭りイベントとしての本質を取り戻しつつある現状のアオハル杯においては『空気の読めていない行為』に該当する。
つまりURA所属ウマ娘である前に日本の女子学生である彼女たちにとっては最も避けなければならない行いだ。
結果として自らの実力に見切りをつけた子が何人か離脱して、その枠を優秀な成績を出したファンクラブメンバーが入れ替わる形で埋めたという印象だ。よく見る顔がわりと見る顔に変わっただけなので、あまりメンバーの入れ替えがあったという実感はない。
テンちゃんも特に反応していなかったし、たぶんネームドもいなかったのだろう。
かくして雨の季節は終わり、夏が来る。
夜空の下に開催される灼熱の砂の舞台、もうひとつのダービー。
ジャパンダートダービーが来る。
次回、デジタル視点