「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
結局デジたんは引けなかったけど、予想以上にたくさんの読者の興味を惹けたよ。
ありがとう。
(お迎えは引き換えチケット使いました。後悔はしていない)
お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
ウマ娘ちゃんが好き。
どうして? と尋ねられても少し困ります。
たとえばカレーが好きだったとしましょう。
『どうしてあなたはカレーが好きなの?』と聞かれて、それっぽい理由はいろいろ並べ立てることができますが。
結局のところそれらの理由があるから好きなのではなく、『カレーが好き!』が真っ先にあって、だから好き。
好きなものってそういうものじゃないでしょうか。
あたしもそうです。理屈じゃなくて、心が、魂が叫んでいるのです。
ウマ娘ちゃんしゅきぃ……たまらん……! って。
地上に築かれた天上の楽園、トゥインクル・シリーズ。
ウマ娘ちゃんはただウマ娘ちゃんというだけで尊いものですが、それでもやはり女神たちが最も輝くのは走っているときでしょう。異論は認めます。でも論争はNGの方向で。『好き』とは他者とぶつけ合い傷つけ合うものではなく、尊重し合い高め合うものというのがデジたんの持論ですので。
誰かの大切を傷つけ貶め踏み台にしないと主張できない『好き』があるなんて、そんな悲しいことはないはずです。
推しを間近で観察するため、推しの最高の瞬間をこの目に刻むため、あたしがトレセン学園を目指すのはしごく当然の流れでした。
そして積み重ねた徳と執念が結実したのか、はたまた面接での熱弁もとい熱意が認められたのか、なんと中央に入学することができたのです。
なんたる僥倖ッ! 夢が現実にッ!! 一般的なウマ娘ちゃんは中央に入学してからが本番でしょうが、このデジたんにとっては既に夢がひとつ叶ったようなものでした。
そして夢に手が届くとき、きっと人は気づいてしまうのです。
触れられる夢とは、自分の指紋がついてしまった夢とは。
それは『現実』と何も変わらないのだ、ということに。
推しを間近で観察し続ける至福の日々。
拝まざるを得ないカップリング。煌めく想いのぶつかり合い。脳内フォルダに保存されていく、最高の位置取りからベストショットの数々。
夢のような時間が飛ぶように流れていく中、ふとあたしは気づいてしまいました。
あたしは勝てるウマ娘でした。
あたしのせいで負けるウマ娘ちゃんたちが何人もいました。
ウマ娘ちゃんたちの真剣勝負の場にデジたんごときがお邪魔しているのです。全身全霊をもって勝利を目指す姿勢で挑ませていただくのは当然のこと、最低限のマナー。それすら守れぬ者にレース場に立ち入る資格なし。そう思っていました。
負けるものかと顔を歪ませ歯を食いしばるウマ娘ちゃんも、差し切られて涙をこぼすウマ娘ちゃんも、至高の芸術品。そこに恥じ入らなければならない醜さなどひとかけらも存在していない。そう、思っていました。
覚悟は決めてきたつもりだったんです。
そもそもあたしがウマ娘ちゃんたちを尊いと感じたのは、彼女たちの『覚悟』でしたから。
幼いあの日テレビで見たウマ娘ちゃんたちはキラキラしていて、でもそれだけじゃなくて。いろんな想いを背負ってその場に立っていて、絶対に譲るものかと真剣にぶつかり合っていた。その在り方にあたしは惹かれたんです。
走りたい。走るしかない。レース場というウマ娘ちゃんが最も輝く場所で、推しが最高に輝く姿を、誰よりも近い最高の場所から余すところなく見届けたい。全力で推したい!
デジたんの本能が目覚めた瞬間でした。
でも、あたしの『覚悟』なんてしょせん画面の向こうでウマ娘ちゃんたちを見て、ぐへへと涎垂らしてだらしない顔していたオタクの『つもり』でしかなかった。
画面が消え去ったとき、そこにいたのはろくな覚悟もなくみんなの想いを粉砕した、薄っぺらな勝者。
価値があるとか芸術品だとか尊いとか、勝ったあたしが言っていいことなんかじゃなかった。
夢を断たれ学園を去っていく『推しだった子』を前に、ようやくあたしは敗者を生み出す覚悟を持っていなかったことに気づきました。
あまりにも遅すぎた気づきでした。夢はとっくの昔に現実になっていて。
何もかも投げ出して画面の向こう側に戻るにはもう、あたしが踏みつぶした覚悟の残骸があたしの背中に載ってしまっている。
だけどこれからもキラキラしているウマ娘ちゃんたちのキラキラな未来を踏みつぶすのかと思うと、脚が前に動かない。
あたしは進むことも戻ることもできず、自分で上がった舞台にただ立ち尽くすことしかできなくなっていました。
笑っちゃいますよね。
あたしだってレースを走ることを選んだウマ娘のはしくれ。
勝つということがどういうことなのか。負けるということがどういうことなのか。知っていたはずなのに。
夢見心地でいる間に、そんなことも見失っちゃっていたんです。
そんなデジたんでも教官さんが選抜レースに出てはどうかと勧めてくれたり、トレーナーさんがスカウトを匂わせてくれたりしたことが何度かありましたけど。
芝の推しもダートの推しも両方捨てがたいから、どちらのレースも選べない、なんて。
嘘じゃないけど本当でもないことを理由に、丁重にお断りしてトレーニングに戻りました。
さいわいと言うか何と言いますか。芝とダートの両方をしっかりベストアングルで走れる自分であろうとするなら、やるべきことは山ほどあったのは事実です。
そうやってハムスターが回し車を満喫しているような毎日が過ぎていきます。
相変わらずトレセン学園は天国で、ウマ娘ちゃんたちはキラキラしていて、煌めく想いが全力でぶつかり合っていました。
そんな中でアグネスデジタルというウマ娘だけが空気を共有できていない。見えないフィルター一枚隔てた呼吸を気取っていて。
あっという間にトレセン学園の一年目が過ぎ、あたしはトゥインクル・シリーズへデビューを果たせないまま二年生になりました。
春、それは出会いと別れの季節。
たくさんのウマ娘ちゃんたちが新たに入学してくる。それすなわち新たな推しとの出会い。
この期に及んでまだ推し活を捨てられなかったデジたんは新入生ウマ娘ちゃんたちが繰り広げる青く微笑ましく、そして眩しいレースにホイホイ引き寄せられていきました。
そして、見つけたんです。いえ、
気づけばあたしの目は釘付けでした。
「くっ……強い……!」
「そうだよ、ぼくは強いんだ。そこに気づくとはお目が高い」
小さな身体に収まりきらぬ猛々しい奔流。
輝く銀の髪は青空の下でもなお傲慢に存在を主張する星のようで。ああ、なんということでしょう。明けの明星ですら太陽を前にしては大人しくその座を明け渡すというのに。
「はは……これでも地元じゃ敵なしだったんだけどね……これが中央の本物、かぁ。勝負にすらなってないじゃない……」
「まーそうやって気落ちするのはもう少し待ってからでも遅くないんじゃないかな?」
「え?」
「一年後にはぼくに勝てなかったのは何も恥じる必要が無いことだとみんな知っているだろうし、十年後には『わたしはあのテンプレオリシュと走ったことがあるんだぜ!?』と自慢できるようになっているよ」
「……あ、はは。そうだね、そうなったら素敵かも」
地に膝をつき眩しそうに見上げるウマ娘ちゃんへ、赤い右目を炎のように輝かせる彼女は悠然と手を差し伸べてその身体を引き起こしていました。
一目でわかりました。
彼女はあたしと同じ業を背負う者。ウマ娘ちゃんが大好きなのだと。
その大好きで大切で輝かしいものを、大好きで大切で輝かしいまま踏みにじって壊して蹴散らして、自慢げに胸を反らし満面の笑みを浮かべている。
敗者の価値は勝者で決まるという強烈な自負。粉々になった夢と覚悟を背負って駆け抜けた先に、粉砕された想いの持ち主たちですら自慢気に笑える未来を築いてやるという絶大な自信。
あたしが持っていなかったもの。あたしが目指すべき到達点。
涙があふれて止まりませんでした。
エウレカ。その日、真っ暗闇だった世界にあたしは光を見出したのです。
星に導かれる三賢者のように『彼女』を追いかけて。
ぶっちゃけコミュ力ゼロのデジたんが一生分どころか来世の分まで熱意とプレゼン力を前借りして自分を売り込み、なんとか『彼女』と同じトレーナーさんの担当ウマ娘に収まったところまでは本当に上出来だったのです。
ええ、奇跡ですよまったく。
なにせ相手はハッピーミークさんを『最初の三年間』でスターウマ娘にまで育て上げ、URAファイナルズ決勝入着という好成績を収めてみせた桐生院トレーナー。
今年度から新たに二名を担当する方針で、その片方は『彼女』だったのですから実質先着一名様の狭き門。
どうしてあたしごときがその枠に収まることができたのやら……っといけない! ダメダメ!
選ばれた以上は胸を張らないと。自信と自負です。意識改革はね、日々意識して続けていかないとね。
きっと道を見失っている間も毎日せっせと着実に積み上げ続けた徳が、ここぞというところで成果を出してくれたのでしょう。迷っているときもあたしの背中を押してくれた推し活と、すべての推しに感謝ですね!
そこまではいいんです。問題は――
「あのっ、あなた様のことを同志とお呼びしてもよろしいでしょうか!?」
デジたんが和気藹々とお喋りできるのは同じ沼に住まうオタク仲間くらいなものでして。
桐生院トレーナーへのセールストークでいろいろ絞り尽くした結果、肝心の『彼女』を前にしたときには搾りカスみたいなもんしか残っていなくて、ですね。
『同志としか仲良くできないなら、同志として扱えばいいのでは?』と見事にとち狂った思考回路でコミュニケーション最初の一歩を進めてしまいました。
覆水盆に返らず。だらだらと汗を流すあたしの前で『彼女』はきょとんとした表情からゆっくり笑顔へ変わると、すっと手を差し出して汗まみれのあたしの手を握ってくれました。
「うん、よろしくね」
ウマ娘ちゃんにはおさわり禁止、なんて考える余裕も無くて。あばばばばと痙攣しながらただひんやりとした小さなおててを感じることに全神経が集中していました。
これがあたしと、テンプレオリシュというウマ娘とのはじまりの記憶。
果たしてあのときあっさりと受け入れてくれたのは、いったいどちらの『彼女』だったのでしょうか。
もしかするとお二人の区別を付けようとすること自体、普通とか当たり前とかいうどこかの誰かが決めた固定観念にとらわれた一種の偏見なのかもしれません。当たり前のことが当たり前にできないオタクという人種だからこそ、周囲の『当たり前』の枠に押し込められようとする苦痛は理解しているつもりです。
くるくるとシームレスに入れ替わるお二人はどちらも等しく自分自身と認識しています。その特有の感覚を本当の意味で理解するのはきっと、どうあがいても第三者には不可能なのでしょう。
でもやっぱり推しのことは気になってしまうのが性というもの。
迷惑にならない範疇でもっと知りたいと思ってしまうのです。
それに『当たり前』の枠に無理やり押し込められるのが苦痛なのであって、異なる相手を理解しようとする姿勢は決して悪いものではないはずですから。
世の中にちょっとばかし存在している『理解しようとしているのにどうしてお前は歩み寄ろうとしないんだ』と肩を怒らせる方々の印象が強くて、反射的に怖気づいてしまうだけで、ハイ。
デジたんの個人的分析によればリシュさんは一度距離を詰めてしまえばともかく、その距離感を縮めるのにとても慎重な内弁慶気質なお方。オタクによく見られるとてもなじみ深い性質ですね。
だから、初対面の相手に積極的な物理的接触を行っていたあれは。
きっとテンちゃんの方だったんじゃないかと思います。
ジャパンダートダービー。
羽田盃、東京ダービーに続く、南関東クラシックダート三冠レースの最終戦。
ちなみにウマ娘ちゃんは好きだけどレースにあまり興味はないという層は『東京ダービー? 日本ダービーじゃなくて?』なんて聞いてきたりもしますが、比喩抜きで芝とダートくらい別物なので混同はNGです。
たしかに
それにしたって言外に『興味がまるでない』と言われると悲しいのです。
閑話休題。
出走できるウマ娘はフルゲートで十六人、うち中央からの出走枠は七つ。
つまり中央所属ウマ娘であるデジたんからしてみれば、普段接点のない地方所属のウマ娘ちゃんたちを最大で九人も間近で拝める絶好の機会というわけですね。ありがたやー。
読み方は同じ『ジーワン』とはいえ国際グレードを持つ『G1』ではなく、国内でのみ通用する『Jpn1』であるため一段劣るレースだとする見方はたしかにあります。しかしURAが認定した最高格付けのレースであることに変わりはありませんし、何よりウマ娘にとっては勝負服を着て走ることが許された数少ない大舞台です。
劣等感が無いとは言いますまい。自分も芝を走れたらと臍を噛んだウマ娘ちゃんだってきっといるでしょう。
しかし今夜、砂を焼く彼女たちの魂の煌めきはたとえ砂埃に塗れようとも陰ることなどありえません。
それに大井レース場をたかが地方と侮るなかれ。
現代では当たり前のように使われているゴール写真判定やスターティングゲート、進路妨害の審議に使われるパトロールフィルム制度はここ大井レース場が日本で初めて採用したものです。
ナイトレースと呼ばれる夜間のレース開催もそう。夜天の下で人工の照明に照らされながら走るウマ娘ちゃんたちは中央では味わえない趣きがありますが、これも大井レース場が初めて実施しました。
つまりレースの歴史を語る上では外せない、ここもまたデジたんにとって聖地のひとつなのです。
さて、そんな聖地にて。パドックでのアピールを終え地下バ道に降り立った女神たちの間にはなにやら不穏な空気が漂っておりました。
「観客動員数、例年の二倍以上だって。ふざけてる……」
それは平日の夜八時過ぎから開催という条件をものともせずレース場に詰めかけた、類を見ない観客数がもたらしたプレッシャーによるものでしょうか。
「いいじゃん、どんな経緯であったとしても。中央の芝から人が流れ込むのは悪いことじゃない。せいぜい利用させてもらって、こっちも盛り上げていこうよ」
彼女たちの郷土愛と戦意が煮えたぎり過ぎて、黒煙を濛々と立ち込めさせるまでに至っているのでしょうか。
いえ、いえ!
それらの要因が無いとは言いませんが、結局のところ彼女たちはそれらを引き起こしたただ一人を強烈に意識しているのです。
「デジタルー」
嗚呼、星が降りてきました。
しゃらん、と靡く銀の紗に鬱屈した空気が祓われていきます。呑まれる、と言い換えてもいいかもしれません。
ただそこにいる。それだけで他のウマ娘が息をのみ、足を止めてしまう存在感。
NHKマイルCと日本ダービーを制した無敗の変則二冠。積み重ねた戦果は幼い子供がクレヨンで書き散らした御伽噺に、血と涙をもって確固とした重さを与えました。
荒唐無稽から羽化を遂げつつある現在進行形の伝説。
それが今の彼女たち、テンプレオリシュです。
あたしは今日、それに挑むのです。
「調子はどう?」
「もちろんバッチリ絶好調ですとも! ウマ娘ちゃん成分を摂取した今のあたしは無敵です。あまりに興奮し過ぎて倒れないかの方が心配なくらいですよっ」
「そう、それはよかった」
リシュさんはそう言って青い目を細めました。
どこか遠い目をしています。
「桐生院トレーナーには迷惑をかけたからねえ。せめて苦労相応の成果は出しておきたい」
「ああー……」
トレーナーさんには本当にいろいろとご迷惑をおかけしてここにいるあたし達です。
まず自分の担当ウマ娘が同じタイトルを奪い合うというのがふつーに難易度高めですよね。ゴルシTさんがさらっとこなしておられるので失念されがちですけど。
たとえば、自身の担当である以上トレーナーはそのウマ娘の情報を誰よりも詳細に把握しています。
そして言われたことを言われたまま愚直にやるミホノブルボンさんのようなオーダー完遂型ウマ娘ちゃんもいますけど、どちらかと言えばあたしもリシュさんもテンちゃんも情報があれば自分で咀嚼してレースに活かすタイプです。
ライバルになる双方の情報の何をどこまで与えるのか。仮に双方を等しく鍛えているつもりでも、その匙加減で勝敗が変わってしまうこともあるでしょう。
隙を残さず徹底的に対策を行えば不意打ちと言う手札を握りつぶしてしまうことを意味しますし、その逆もまた然りです。穴があることを自覚しながら本番の手札とするため意図的に対策を行なわせないなんて、あたしが担当トレーナーだったら想像するだけで吐血しちゃいそうになります。
世間の期待値的にはテンプレオリシュを優先して、アグネスデジタルを踏み台にするのが一番おさまりはよかったんですけどね。八百長は絶対にNGですけど、同じチームのウマ娘がお互いの不利益にならないよう動くのはルール違反ではありませんから。
でもトレーナーさんもリシュさんもテンちゃんも、そういう世間に対する忖度とは程遠いところにいる方々ですので。
今日負けたとしたらそれはあたしが弱かったせいだと、それだけは自信を持って言えます。不平等はいっさいありませんでした。
他にもダートは芝の二軍だと無意識下で信じ込んじゃっている方々から『わざわざダートで弱い者いじめをしてまで小遣い稼ぎをするなんて品位が無い』という内容をわかりづらく回りくどく装飾したありがたいお言葉をたまわったり。
『無敗の三冠が懸かっている中でダートに寄り道するなんてリスクでしかない。やめさせるべき』などと苦言をいただいたり。
あたしが初のG1出走であることに関して『十分に実績はあるだろうに、どうしてわざわざチームメイトの貴重な挑戦を潰してまでダートG1に出走するのか』という声が上がったり。
時期的な問題としてもアオハル杯が本格稼働してから初めての夏合宿の季節であり、〈パンスペルミア〉のチーフトレーナーを務めているうちのトレーナーさんはG1レースの調整の裏でチームの夏合宿の準備に追われたり。
それはもう大小さまざまな問題が噴出しては、ひとつひとつ対処していただいたのです。
「葵ちゃんの担当ウマ娘でワンツーフィニッシュを決めるくらいすればつり合いは取れるかなー?」
『……っ!』
ニヤリと歯を見せながら笑うテンちゃんに、萎縮しかけていた周囲の雰囲気が変わります。
羽田盃は五月開催、東京ダービーは六月開催。その他にいくつものトライアルレースが七月開催のこのジャパンダートダービーにまで繋がっているのです。何か月も、あるいはそれ以上の歳月をかけてダートのウマ娘ちゃんたちはこの頂を目指してきたのです。
『中央のエリートが芝の高い収得賞金にものを言わせて、わざわざダートG1まで物見遊山のように乗り込んできやがった』という反発は褒められた感情ではないのでしょう。でも真剣でなければ悔しいと感じることもありません。
『お前みたいなやつに負けてたまるか』『絶対に譲るもんか』。そんな反骨精神は画面越しという防壁を失くし魔王の威圧に屈しかけていたウマ娘ちゃんたちを、たしかに踏みとどまらせることに成功していました。
「じゃ、お互いにがんばろーね」
再燃した空気の中で敵意の集中砲火をものともせず、満足そうに喉を鳴らすと手を振りながらその場を後にするテンちゃん。
彼女たちはなぜそこまでしてダートG1を走ろうと思ったのでしょうか。
――え? 小さいころに何足もダート用シューズ履き潰したから、無駄にしたくないなって。
いつだったか、ぽろっとリシュさんがこぼしたことがありました。言い終わった後に『あ、やべっ』という表情をしたのであえてそれ以上の追究はしませんでしたけど。
本当にそれだけなのでしょう。特別な憧れや因縁なんて何もなくて。ただ手の届くタイトルで、強い自分が弱い相手に遠慮して手を伸ばさないのは間違いだと思うから手を伸ばす。
傲慢で残酷なほどに正しいウマ娘の在り方。
その小さな背中はどこまでも大きく見えました。
星影と交差して降り注ぐファンファーレの音色。
それは今あたしが大井レース場の砂の上に立っているのだということを強く実感させてくれるもの。
『星空のもとで行われます大井レース場ダート2000、ジャパンダートダービー。十六人のウマ娘たちが挑みます』
普段ならゲートのなかできょろきょろ左右を見渡していたかもしれません。
薄い金属の覆いごときでは遮れないウマ娘ちゃんたちの尊い闘気を浴びて、ついつい視線を動かしちゃうのがいつものあたし。
でも今日はよそ見をしている余裕なんて皆無。いえ、普段のきょろきょろが余裕綽々の表れってわけじゃないんですけど。
『人気と実力を兼ね備えたアキナケス。六枠十二番での出走です』
『URAの強豪を押しのけ本日は三番人気に推されましたアキナケス。はたして期待に応えることができるのか』
アキナケスさんはぴょこんとした葦毛の短いツインテールがチャームポイントのウマ娘ちゃんです。
その凛とした眼差しにふさわしく冷静で視野が広く、柔和な顔立ちに滲み出ているように温和な性格で、実は責任感が強い。
地方を走るウマ娘としてダートの地位向上を目指しており、ファンへのサービス精神旺盛でメディアへの露出も多め。たまにファッション雑誌などレースとは畑違いとも思える場所で見かけたりもします。
そのため『少しばかり好成績を出したからといって、調子に乗ってレースを疎かにしているのではないか』などと心無い言葉を浴びせかけられることもありますが、全然そんなことはないんです! まるで見当はずれの意見だと断言してしまってもいいでしょう。
だって彼女は実質ロハになるような安いギャラの仕事でも、ダートの地位向上の一助になると判断した仕事はどんどん引き受けているだけなのですから。見かけ上の露出ほど彼女の懐に収入は入っていないんです。
好きになってもらうためにはまず知ってもらわなければどうしようもありません。そのきっかけを少しでも増やそうと、NAU所属とはいえ未だ学生である彼女の手が届く範囲で倦まず撓まず努力を続けています。
ジャパンダートダービーの一着賞金は六千万。一方の日本ダービーの一着賞金は二億。同じ『ダービー』の名を冠した『ジーワン』でこの格差。歴史の積み重ねの差があるにしても三倍以上というあまりにも大きい差を少しでも埋めるために。
縁の下の力持ちを続けても腐らずにいられる屈強な心と身体の持ち主。こんなのもう推すしかないですよね!?
そんな彼女ですら、今はどこか気負いを捨てきれない表情をしています……きょろきょろはしなくてもお隣だからよく見えるんですよ、ハイ。
『二番人気はアグネスデジタル。七枠十三番での出走です』
『今もっとも勇者に近いウマ娘アグネスデジタル。砂の戦場で魔王を討ち果たすのは彼女なのか』
あたしの名前が呼ばれました。
そんな御大層な評価をされるほど派手な戦績を出しているわけじゃないんですけどねえ。たしかに公式戦で黒星が付いたことはいまのところありませんけど。
これは『テンプレオリシュと同じ桐生院トレーナーの担当でありチームメイト』という事実が大幅な加点対象となった結果でしょうね。
『そして今日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。一番人気、ここまで無敗の二冠ウマ娘テンプレオリシュ。四枠七番での出走です』
『芝の魔王がついにダートG1にまで魔の手を伸ばしてきた! 生え抜きのダート勢との激闘に期待ですね』
観客席から降り注ぐ視線はもはや質量すら伴っているのではと錯覚するほどの数と密度。それに怯むでもなく猛るでもなく、外套のように自然体で身に纏うリシュさんにはG1を幾度となく勝ち抜いた貫禄がありました。
ダートレースが軟弱だと言いたいわけではなくて。タイトルが持つ歴史と格式の重圧、それを背負って走ることに慣れている。
この場にいるウマ娘のほぼ全員が初めてのG1挑戦。この経験の差はどこまで響いてくるのでしょうか。
スタートを前に静まり返る観客たち。
夜のとばりにぎゅうぎゅうと詰め込まれる静寂。
緊張が限界を超えて破裂する前に、金属の擦れる音と共に圧は一気に解放されました。
『今スタート!』
次回も引き続きデジたん視点です