「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
( ゚д゚)ポカーン
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U U U
葦毛は走らない。
オグリキャップさんやタマモクロスさんがトゥインクル・シリーズで成果を出す前、世間ではそんなことが言われていたらしい。
今ではもうそんな言葉は根も葉もない噂だって、みんなが知っている。
葦毛の怪物オグリキャップ。白い稲妻タマモクロス。
URA長距離レース初代チャンピオンに輝いたゴールドシップ先輩だって輝くような葦毛だし、トレセン学園入学前からステイヤーとして注目されていたメジロマックイーンさんだってそうだ。
いまやトレセン学園で葦毛をバ鹿にするやつなんていない。
でもアタシたちはそんなこと、オグリさんたちが活躍するずっと前から知っていた。
アイツには誰も勝てなかった。同級生はおろか年上だって、果ては地方トレセンでデビュー済みのウマ娘相手でさえアイツは後塵を拝することが無かった。
一度も勝てなかったのは悔しいけど、それでも許せないほどじゃない。
だけど勝てないと諦めそうになったアタシ自身のことは、アタシが誰より許せない。
中央トレセン学園のカフェテリアはビュッフェ形式で、生徒なら無料で利用できる。
みんながみんなそうってわけじゃないけど現在ドリームトロフィーリーグで活躍中の伝説的OG、オグリさんみたいな大食いのウマ娘も中にはいるから懐を気にせずに思う存分食事ができるこの環境はありがたいことなのだろう。
油断したら食事量も栄養バランスも簡単に偏っちゃうから、トレーナー泣かせのような気もするけどね。
女の子の食事にはおしゃべりがつきもので、今日の昼休みもざわめきが絶えない。
トレンドはついに間近に近づきつつある、中央トレセン学園に入学してから初めての選抜レース。ここ最近の新入生たちの話題はこれ一色だ。
「どうしよう……」
「どれなら出てこないんだろう? 安全圏が無いとかマジふざけんなって話」
「ねえ、どの距離に出るって誰か聞いた?」
ただ、それは決してポジティブな色合いじゃない。
ババを引かないようにこそこそと顔を見合わせ話し合う。
一着になりたい。トレーナーに注目されたい。だから強い相手とは戦いたくない。
その感情自体は自然なことだと思う。選抜レースの結果で『最初の三年間』と呼ばれるレース人生の最も重要な時間が左右されるともなれば、なおさら。
でも逃げた先に楽園なんて無い。
アイツがトゥインクル・シリーズを走る以上、あの異常な適性だ。絶対にどこかでぶつかる日が来る。
そのときに二着争いをするなんて絶対に嫌。アタシは一番になってやる。
「あの、スカーレットさん!」
「はい、どうしました?」
話しかけてきたのは同じクラスの子。
周囲の空気につのる苛立ちを、優等生の仮面ですばやく覆い隠す。さまよう視線や垂れた耳を見るまでもなく、何を聞きに来たのかは予想ができた。
「スカーレットさんってあの、テンプレオリシュさんと同じ出身なんだよね? 仲がよかったりする?」
ほら、やっぱり。
「ええ、リシュとは小さい時からの腐れ縁で。今度の選抜レースも同じ距離を走ろうって誘ってみるつもりです。ああ、アタシは芝1800mのマイルに登録する予定ですよ」
聞かれる前に答えてやると、聞き耳を立てていた周囲がざわりと悲喜こもごもの反応を示した。
安堵する者、真っ青になって絶望する者。心配そうな表情をするやつ、無謀だと嘲笑を浮かべるやつだっている。
余計なお世話よ。
「えっ……それ、大丈夫なの?」
「どうかされましたか?」
「う、ううん。なんでもない。頑張ってね」
目の前のクラスメイトは心配そうな顔の一派。善良な子ではあるのだろう。わからないふりをして首をかしげると、気の毒そうな表情に変えて応援してくれた。
わかってる。日本最難関の中央トレセン学園に合格したのは偉業だけど、それだけで足が速くなったわけじゃない。
アイツとアタシとの差はぜんぜん縮まってない。そんなこと、言われなくてもアタシが一番わかってる!
それでも、勝てるわけが無いと首を下げてしまえば絶対に追いつけない。挑戦しなければ敗北さえ得られない。
アタシが一番になるんだから。負けるつもりで走るレースなんて無い。
もー、何なのよ!
あれだけ大勢の前で啖呵を切っておいてぐずぐず躊躇するつもりなんて欠片も無かったのに、いざアイツに選抜レースの話題を持ちかけようとするたびに捉まえ損ねるんだけどっ!?
気づけばふらっといなくなって次の授業開始ギリギリに戻ってきたり、アタシの方が先生に呼び止められて雑用を頼まれたり。
優等生のアタシが授業中に手紙爆弾を丸めてぶつけるなんて手段がとれるはずもなく、かといってメッセージアプリで連絡を入れても既読すらつかない。アイツ、連絡が取れない
最後に既読がついたのは三日前。自分は三冠路線に進むつもりだからたぶんクラシック級は年末までかち合わないと思う、という旨のメッセージが残っている。
気合を入れて宣戦布告したのに、そういうことはもっと早く言いなさいよ! と今になって振り返ってみればやや理不尽な怒り方をしてしまったかもしれない。
でもそれにしたって場合によっては一週間近くアプリを確認しないんだから、アイツはマイペースに生き過ぎよね。サボりがちな交換日記かっての。
結局そうこうしているうちに本日の授業が終わり、教官から渡された今日の分のメニューも終わり、放課後になってしまった。
優等生の仮面の上からでもため息がこぼれるのを抑えきれない。もうそういう日だったのだと諦めるしかないだろう。
選抜レースが近いためか自主練をしている生徒が多い。というより、契約の内定が決まっていない子はみんな練習しているんじゃないだろうか。
幸運にもと言うべきか、それともようやくと嘆くべきか。ひとり黙々とグラウンドを走っているアイツの姿を見つける。
葦毛と一口に言っても色合いには個人差がある。例えばゴールドシップ先輩のそれに比べ、メジロマックイーンさんの髪色は紫がかっている。
アイツの場合はまるで金属光沢のように銀が強いのでとても目立つ。小学校のころはクラスの男子たちから『ギンピカ』というあだ名でからかわれていた。
……何故かそのからかう男子はひとり減り、ふたり減り、最後には全員から敬語で話しかけられるようになっていたけど。
何があったかは知らないし興味もない。法に抵触していないことを願うだけだ。
「へぇー、あれがヤベーって噂の葦毛か」
わざとらしく腕を組みながら鹿毛のウマ娘がアタシの横に立った。その視線はアタシじゃなくて、ターフを鋭いピッチで刻むアイツへと向けられている。
「ウオッカ……」
「よおスカーレット、奇遇だな」
入学してからここ最近、たぶん一番交友がある同級生でアタシのルームメイト。
かなり走れるやつで、地元じゃリシュという格上とその他格下しかいなかったアタシの前に降って湧いた同格という存在。出会ったときは中央のレベルの高さに感心したものだ。
もっとも中央の平均が高いのは確かでも、ウオッカはその中でも頭ひとつ飛びぬけた逸材だったみたいだけど。
アタシが『一番』にこだわるようにコイツは『カッケェ』にこだわっていて、コイツの言う『カッケェ』を成し遂げるためなら非常識なことも平気でやらかす。それで痛い目を見ていることもしばしば。なのに懲りないアホだ。
でも、コイツの『カッケェ』は本当の意味でアタシの『一番』と同じ。絶対に譲れなくて、それで身の程を知ることになっても諦めることなんてできやしない。そういう意味では似た者同士なのかもしれない。
趣味嗜好がまるで違っていて、波長が合うようで合わない。気性が噛み合わないようで噛み合っている。そんな奇妙な関係がコイツだ。
コイツがアタシと同室だっていうのに初日に部屋に貼りたがったでっかいバイクのポスターのセンスは理解できないし、コイツもアタシが夜にリラックスするために焚きたかったアロマを集中できないからやめろと言う。
でも険悪ってわけじゃない。まあそんなこともあるかと納得できる範疇だ。
もしアタシがリシュに出会うことなく、自分が一番だと肥大したプライドを抱えたままここに来ていれば、趣味が合わないくせに実力は伯仲しているコイツとはもっと侃々諤々とやり合うことになっていたかもしれないけどね。
「ここに来ておいて奇遇も無いでしょ。アンタもリシュを見に来たの?」
「俺が来たのは確認だよ、確認。強えやつの出る種目が決まるかもしれねーって話だからな。せっかくだし俺もそれに合わせてやろうと思って」
「あっそ」
表情こそ笑っているが、ウオッカがアイツに向ける視線にはぎらついた光が宿っていた。
そう、それでいい。無知ゆえの無謀だったとしても構わない。
アイツに挑むのに、共に走るのが諦観に沈んだウマ娘ばかりでは地元と何も変わらない。中央でこそ得られるものをアタシにもっと見せてほしい。
「それに強えやつをマークして徹底的に研究してーってのも悪くはねえと思うけど。本番ではまったくデータの無い強敵とやらなきゃなんねーときだってあんだろ。
そんときにデータが無いから負けましたなんて言い訳するのはダセーって。だから俺は次の選抜レースでもノーデータでぶつかってやんぜ!」
「ふんっ、どうせその方がカッケェからーとかそういう理由でしょ」
「ばっ!? ち、ちげーし!」
図星だったらしい。でもその無鉄砲さ加減を悪くないと感じている自分がいた。
コイツにだって一番を譲ってやる気なんて無いけど、ウオッカは何だか見ていたくなるような華がある相手には違いない。
「しかしバケモノみたいな評判ばっかり聞いていたが、思ったよりデカくないんだな。むしろちっけー? ウララ先輩よりちょいデカいくらいじゃね」
「……バケモノみたい、ね」
好戦的な眼差し。いまウオッカの中には勝算しかないのだろう。
たしかに体格で劣るというのは不利な面が取りざたされることが多い。骨格が小さければ搭載できる筋肉量も減るし、筋肉量が少なければ生み出されるパワーが減る。
パワーが少なければ加速が弱くなりスピードが活かせないし、レース中に他の選手と衝突したときに当たり負けしてしまう。
でもそう遠くない将来、リシュと走ることになったときに思い知ることになる。
同じ時代を走るウマ娘たちにとってアレは『バケモノみたい』じゃなくてバケモノそのものだ。
「量産型ゴルシ計画のプロトタイプなんて噂もあったからな。てっきりもっと高身長のモデル体型を想像していたんだが」
「それはバケモノね!? やめてよ怖いこというの」
なんて恐ろしいことを考えるんだ。トレセン学園が跡形もなく吹っ飛ぶわよ、そんなの。
「……ゴールドシップ先輩、いやスカーレットと比べたって同世代は誰でも貧相な身体になると思うよ。比較対象が悪い」
「うおっ!?」
「っ」
驚きでウオッカの耳と尻尾がびんと伸びる。
目を離した自覚は無かった、にも関わらず気づけばリシュがそこに立っていた。昔から変わらない、白昼夢を見ているかのようなぼんやりした表情でこちらを見ている。
足音がしない。コイツと一緒にレースを走ると強く印象付けられることのひとつだ。
「やあスカーレット。何か私のことを話しているみたいだったから。そっちの人は初めましてだね。私の名前はテンプレオリシュ、スカーレットの……腐れ縁だよ。よろしくね」
「お、おー。ウオッカだ、よろしくな」
ふんっ。アタシとの関係性で一瞬口ごもったことに関しては気づかなかったことにしてやろうじゃないの……友達や幼馴染じゃなくて、腐れ縁ね。
どうせライバルだなんて欠片も思ってないんでしょ。アタシだってそうだもの。差があり過ぎて笑い話にもなりゃしない。今はまだ、ね。
「リシュ。アンタ今度の選抜レース、出る種目決めた? 決めてないならマイル芝1800mにしなさいよ。アタシが出るから」
「いきなり命令口調かよオイ」
「ん、いいよ」
「いいのかよ!?」
ウオッカがツッコミを入れてるけど、コイツとの会話のテンポはこれが正解だ。ほら、腐れ縁だし? 付き合いだけは長いし? 少し気が立っていたなんて事実は存在しないんだから。
それに、嫌なことは遠慮せずにすぱっと断るのがコイツだ。変な前置きはアタシたちの間には必要ない。
「どれに出ようか迷っていたとこだったしね。スカーレットたちが一緒に走ってくれるなら……退屈はしないで済みそうだ」
自身のレース人生を左右しかねないことなのにあっさり頷いちゃってさ……言わせたのはアタシだけど。
まるで何も考えずに適当にその日その日を過ごしているかのような言動。でもアタシは知ってる。コイツはコイツなりにちゃんと将来を見据えて今を走っているって。
――まだ二回勝っただけです。私をスカウトするかどうかは、ちゃんとレースを走り終えた後に決めてください。
初めての模擬レースで芝とダート、両方で同期をぶっちぎり抜きんでた能力を示したリシュは当然のごとくトレーナー陣に囲まれた。
そんなときにリシュが凛とした表情で言い放ったお断りの文句がこれだ。そしてその言葉にたがわぬ実力を示し続け、暗に彼らに問うたのだ。
あなた達は本当に私を育てるに足るトレーナーですか、と。
それを知った時、少し嬉しかった。あれだけの才能を持ちながらそれに溺れることなく、ちゃんと全力を尽くそうとしてくれているんだって。
勧誘されるままに適当に著名なトレーナーと契約を結んでも、リシュならそれなりの成果を出せたはずだ。
でもリシュは『それなり』では満足する気は無かった。何でもできる潜在能力を十全に発揮してくれるトレーナーを求めてると、態度で示した。
その結果として彼女は今もひとりで走り続けている。あまりのリシュの能力にしり込みしたり、その気性難とも取れる態度に敬遠した結果だったりするけど、それでもここは中央だ。
そう遠くない将来、リシュに見合ったトレーナーが彼女の前に現れるだろう。そう信じている。
「で、用件はそれだけ? せっかくだし併走でもする?」
アタシの知る中で一番の天才サマは、どこに焦点が合っているのかわからないぼんやりした顔で微笑んでそんなことを言う。
その表情がかつて幼い日の記憶と被り、そして食い違った。
――あはは、きみは天才なんだねぇ
銀の髪。赤い右と青い左の瞳。暑い日差しに染まらぬ霧のように白い肌。こんな特徴的な配色のウマ娘、アタシはひとりしか知らない。だけど口調も表情もまるで違う。
双子の姉か妹と言われた方がよほど信じられる、アタシを嘲笑ったダレか。でもリシュに姉妹がいないことは何度も確認している。
……よそう。いま目の前にいるのはリシュだ。過去の残影を振り払い、アタシは首を横に振った。
「遠慮しておくわ。アンタと次に走るのはレースにしたい」
「そうだな。俺も同意見。今度の選抜レース楽しみにしておくぜ。首洗って待ってろよ!」
「あ、そう……」
ぼんやりはそのままにがっかりした雰囲気をただよわせて、何だか悪いことをした気分になる。
でも無理なものは無理。コイツと練習なんて気になれない。
コイツとは並んで走るんじゃなくて、その背中を追っていたい。いつか追い抜かしてアタシが本当の一番になる日のために。
そして選抜レース当日。
アタシたちが、いやリシュがこのレースに出走するという噂はしっかり広がっていて、ただでさえ希望者が少ないところに出走登録者名簿が発表されてからは辞退も相次ぎ、本日のマイル芝1800m第四レースは十二人出走予定のところを五人という成立ギリギリの人数での開催となった。
まるでルドルフ会長と双璧を成すこの学園の生ける伝説、マルゼンスキー先輩の逸話の再現だ。まったく、情けないったら。
でも、その分出走者たちの気骨は選りすぐりだ。噂の葦毛をここで仕留めてデビューへの好スタートを切ってやろうとギラギラした気迫が漂っている。
一方でプレッシャーを向けられているリシュはぽややんとしたいつもの表情でのんきに準備運動をしていた。天然で煽ってるわね、あれは……。
『選抜第四レース、芝マイル1800m右。注目のウマ娘が出揃いました。勝利の栄光はいったい誰がつかみ取るのか』
アタシは一枠一番での出走。
逃げや先行を得意とするアタシにとって有利と言える。ここ最近は天気が良くてバ場状態の発表も良。アクシデントは起きにくい環境。
つまり負けたら運が悪かったなんて言い訳はきかない。するつもりなんて欠片も無いけど。
『すべてのウマ娘がゲートイン完了。そして――今いっせいにスタートを切りました!』
さすが怪物揃いの中央。その中でもバケモノの前評判に負けず四人まで厳選された実力者たちだ。出遅れるような者は無く、皆きれいにスタートを決めている。
「ふっ!」
『飛び出したのは一番ダイワスカーレット。素晴らしいスピードで先頭に躍り出ます』
その中でもアタシはゲートの開く音を置き去りにする勢いで先んじた。掛かり気味ともとられかねないハイペース。でもアタシなら最後まで脚を残せる。
つられたように一人、ペースを乱して加速する。彼女はもう怖くない。もう一人はリシュを意識してがっちりマークしているようだ。もっと人数がいればともかく、この人数でこのメンツならこんなものか。
『主導権はダイワスカーレットが握ったか? どうでしょうこの展開』
『掛かってしまっているようにも見えますが、あるいは彼女ならと期待させてくれる実力者ですよ』
『続いて二番ブリーズチョッパー。二バ身離れて四番テンプレオリシュ。少し離れて三番ヤムヤムパルフェ。五番ウオッカ、最後方をいく』
リシュやウオッカがこの程度でつれるわけがない。ただ、これが現状アタシの取れる一番勝率の高い戦法だった。
入学してから今日まで磨いてきたスタミナで、このペースで走っても入学前より半ハロン早くスパートをかけられるようになった。
だからもう半ハロンを根性で埋める。気持ちでは絶対に負けない。負けられない。
「アタシが一番に……いちばんになるんだからっ……!」
霧の中を走るうち髪や衣服が水を吸って重くなるように、じわじわと増していく背後からのプレッシャー。
アイツは足音がしない。ふと気が付いた瞬間横に並んでいてそのまま抜き去ってしまうんじゃないか。そんな思いが酸欠で白く濁っていく頭から離れない。
『第三コーナーを曲がり依然先頭はダイワスカーレット。このままいってしまうのか?』
「そうはさせっかってんだ!」
『ウオッカ! 前を狙っているぞ。大外からまくって上がってくる』
「このまま終わってたまるかよ。っ!?」
『おっとテンプレオリシュ、するりと抜け出した! みるみるうちに前との差を詰めていくぞ』
そしてその予感は現実となる。
するりと横を抜けていく銀の髪。軽快なんて言葉ではとてもじゃないが足りない『軽さ』。
音が無い。まるで夢か幻のようで。
でも確かな存在として目に焼き付く。何度この光景を夢に見て夜中に跳び起きたか。そうなった夜は到底寝つけず翌朝を寝不足で迎えることになる。
まるで体重なんて存在していないみたいだ。
本当に走っているんだろうか。浮いているんじゃないのか。
自分の足がドスドスと鈍重な騒音を立てることに殺意すら抱く。
ウサギとカメどころの話じゃない。
きっとウサギがレースの途中で眠ってしまったのはカメを侮ったからじゃない。ウサギは心が折れてしまったのだ。
必死に地上を走る自分の上を悠々と飛び去る鳥を見て、どれだけ走ってもアレには追い付けないと悟って。
崩れ落ちて、起き上がれなくなった。そしてついには努力を忘れないカメにすら追い抜かれた。
だったらアタシは諦めない。歯を食いしばってターフを駆け抜ける。
たとえ翼が無くても。地上を走ることしかできなくても。それでも一番は譲れない。ウサギにしかなれないというなら、カメにも鳥にも負けないウサギになってやる。
そう思うのに――
「くそっ、追い付けねえ……」
ウオッカの嘆きがやけに耳の奥に響いた。
アタシの末脚はまだ伸びている。伸びているはずなのに距離が縮まらない。後続との距離が開いていくだけだ。
『ゴォール!! 一着でゴール板を駆け抜けたのは四番テンプレオリシュ。見事な走りでレースを制しました!』
五バ身差。
それがアタシとリシュとの距離だった。
二着だなんて意味がない。三着でゴールしたウオッカとの着差にも興味が湧かない。
「……っ!」
根性で押さえつけていた疲労がいっきに噴出する。心臓が爆発しそうだ。喉が焼け付いて声が出ない。全身が痙攣する。
崩れ落ちそうになったアタシの身体を、柔らかいのにしっかりとした何かが支える。
「おつかれさま、スカーレット」
何かはリシュの声で喋った。アタシよりずっと小柄な彼女に覆いかぶさるように支えられている体勢上、リシュの顏を見ることはできないけど。
ウマ娘の鋭敏な聴覚がまったく乱れていないリシュの息遣いを拾う。アタシなんて全身から流れる汗がすごいことになってるのに。
実力差が縮まっているなんて思っていなかった。
でも、負けるつもりで走るなんてありえない。だから全身全霊を尽くして、実力以上を発揮して、それでもまだまだ届きはしなかった。
「ヘロヘロだよ、大丈夫? これが本番のレースならこの後にウイニングライブがあるのに」
本当に、コイツは……!
ガクガクと震える膝を拳で一喝し、無理やり自分の足で立った。
「アンタねえ……! 上等じゃない。十曲でも二十曲でも歌って踊ってやろうじゃないの!」
「いや、クールダウンして休みなよ。選抜レースとはいえ所詮は学園内の催し。メイクデビューと違ってウイニングライブは無いんだからさ」
ほんっと腹が立つ。でも尽きかけていた気力がちゃぽんと奥底から湧いてきた。
首を下げている暇なんて無い。絶対に追いついて、追い抜かしてやる。
普通、選抜レースを終えたウマ娘は一着の子にトレーナーのスカウトが集まる。
でも今回の場合、取り囲まれたのは二着のアタシと三着のウオッカ。
圧巻の走りで一着に輝いたリシュの元に足を運んだトレーナーは一人だけ。どこか幼さが残る容貌を緊張と覚悟で強張らせ、それでも彼女は堂々とリシュに向けて手を差し出した。
「あの! 私と一緒にトゥインクル・シリーズを走りませんか?」
桐生院トレーナー。
トレーナーの名門桐生院出身。トレーナー歴は今年で四年目とキャリアは浅く、まだ一人しかウマ娘を育成したことがない新人と中堅の境目。
でもその一人は短距離から長距離まで、芝もダートも遜色なく走りこなす奇跡の適性を持つハッピーミーク先輩。
新人から『最初の三年間』でURAファイナルズ長距離部門決勝を入着という成果を出した彼女たちは、これからの活躍が期待されているエリート中のエリートだ。
何より、あらゆる適性を持つウマ娘を育て成果を出したという唯一無二の実績はまさにリシュが待ち望んでいたもので、実際にリシュは二つ返事でそのスカウトを受けていた。
一方で多くのトレーナーたちに囲まれたアタシたちだけど、今はスカウトを受ける気になれないと断った。ウオッカも似たような感じで、二人揃ってその場を離れる。
「…………なあ」
「なによ?」
何となく話す気になれず、単純にアタシは息がなかなか整わなかったこともあり、長く続いた沈黙を破ったのはウオッカの方だった。
「アイツってさ、いつもあんな感じなのかよ?」
「ええ、今日がとびきりの絶好調だったってわけじゃないわよ。あれが普通ね」
「……これからの三年間、アイツと一緒に走るのか」
普段の覇気が欠けた声色、萎れた耳。ああコイツ、心が折れかかっているわね。
情けないと思わなくもないけれど、昔のアタシに比べたら『折れかかっている』で済んでいるあたりメンタルは当時のアタシより強いかもしれない。
――二着だって立派な結果だ!
――彼女がいなければ間違いなく君が一着の走りだった!
口々に投げかけられたスカウトの言葉を思い出す。ただでさえ疲れてイライラしているときに本当にやめてほしい。今夜あたり、身体は疲れているのに脳裏でリフレインしてなかなか眠れないんだろうなという嫌な確信がある。
「そんなに怖いのならマイルを主戦場にして、アイツとかち合ったときは二着争いに始終したら? リシュは三冠を目指しているみたいだから、中距離以上をメインに走るでしょうから」
クラシック三冠、春シニア三冠、秋シニア三冠、いずれも芝の中距離から長距離のレースが対象だ。
いくらバ鹿みたいに距離適性が広くても身体がひとつしかない以上、マイルや短距離を主戦場にすれば遭遇するリスクはぐっと減るだろう。
アタシはそんなの絶対に御免だけどね。トリプルティアラは小さいころからの憧れだからティアラ路線で走るつもりだけど、クラシック級の年末やシニア級で真っ向勝負を避けるつもりはない。この一年半で力をつけて、アイツを下す。
「……だぁああああ! そんなダセェ真似できるかよ! 俺だってダービーに憧れてここに来たんだからな!!」
「あっそ、なら頑張りなさいよ」
ふぅん? もう立ち直ったんだ。まだまだダメージはデカそうだけど折れそうな危うさは消えた。
悪くないんじゃない? やっぱりウオッカの気質は好ましい。コイツが寮のルームメイトなのは間違いなくアタシが中央トレセン学園に入学して得たメリットの中でも最大のものだろう。
「ちきしょー! こうなったら今から猛特訓だ、いくぜええ」
「やめなさいよバ鹿。アンタもアタシも身体がったがたじゃない。こんなんでトレーニングしてもケガするだけよ。今日はクールダウンしておしまい」
後日、アタシとウオッカは同じトレーナーからスカウトを受けてチームになった。
相手はあの桐生院トレーナーの同期であり、こちらはまったくの無名だったのにも関わらず『最初の三年間』で初担当をURAファイナルズ優勝まで導いたという破天荒な経歴の持ち主。
アオハル杯登録チーム名〈キャロッツ〉。リーダーはURAファイナルズ長距離部門初代優勝者のゴールドシップ先輩。
ここからアタシの『最初の三年間』が始まる。
アタシはここで、絶対に一番になってやるんだから。
【テンプレオリシュ(リシュ)のヒミツ①】
実は、脳内で会話中は傍目にはぼんやりしているように見える