「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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サポートカードイベント:踊れ、プラネタリウムの上で

 

 

U U U

 

 

『各ウマ娘がきれいなスタートを決める中まっさきに飛び出したのは七番テンプレオリシュ。続いて八番ドラグーンスピア、十四番ヘルファイア、少し離れて十二番アキナケス追走』

 

 きれいなスタート。実況のそれは嘘ではないのでしょう。出遅れなんて一人もいない、ダートG1の舞台にふさわしい集中力。

 ただ彼女たちの最高のスタートとイコールではなかった。まるで大歓声に押し戻されるように微妙なぎこちなさを見せるウマ娘ちゃんたちの中、一人だけその影響を感じさせず滑らかに飛び出したリシュさんはまるで清流にゆらめく魚影のようでした。

 

『ここまでが先頭集団を形成、熾烈な先行争いを繰り広げ……っとこれは?』

『七番テンプレオリシュ、するすると下がっていきましたね。これは作戦でしょうか。落ち着いた表情を見るに故障ではなさそうです』

 

 まるでその存在を誇示するように一度は先頭に立ったリシュさんでしたが、先頭集団との競り合いをあっさり放棄するとスルスルと後ろに下がっていきます。

 そのまま悠々とバ群を通過し、差しの位置にいたあたしの横さえ通り過ぎて、後ろから三番目という後方も後方に位置取りました。

 

 大井レース場外回りコースの最後の直線は386m。これは地方レース場の中では最長であり、なおかつここは全体を通して上り坂も下り坂も存在しません。

 ゆえにラストスパートの速度がそのまま勝敗に影響しやすい、豪快な差し追い込みがハマりやすいコースといえます。

 中央のレースで幾度となく上り坂でのスパートを経験したリシュさんにとっては、ダートであることを加味しても速度を乗せやすいことこの上ない環境でしょう。

 だからこその追い込み。最後の直線で最後方からまとめてなで斬りにすることを前提に、周囲を把握しやすい位置につける。あるいはダートでの乏しい実戦経験を状況把握で補う意図もあるのかもしれません。

 

 一見定石破りのように見えて、ひとつひとつ紐解いてみれば教科書通り、基本に忠実な作戦。自らの身体能力を信じ、積み重ねた基礎のカタマリでぶん殴っていくスタイル。

 いつものリシュさんです。

 

「ふっざけやがって……!」

 

 でもそれは、リシュさんとテンちゃんのお二人をよく知るあたしだからたどり着けた結論。

 傍目にはきれいに決まったスタートダッシュのアドバンテージをむざむざと放棄する、いわゆる舐めプに見えたかもしれません。

 腹立たし気に吐き捨て、さらに強く踏み込んで先頭に立ったのはドラグーンスピアさん。栗毛ショートヘアの目力の強いウマ娘ちゃんです。

 直情的かつ精神状態がパフォーマンスに直結するタイプで、勝つときは派手に勝ちますし負けるときは惨敗します。

 そのため戦績は安定していませんがコアなファンの獲得に成功しています。あたしみたいな。

 ただ大井2000mでは第四コーナーからスタートして最初のコーナーまで約500mもあり、さらに大井レース場のダートは絨毯のように厚く敷き詰められたもの。ダートで2000mというのもやはり長い距離であるには違いなく、うっかり最初の直線で飛ばし過ぎると最後まで脚を残せるかやや不安が残ります。

 ドラグーンスピアさんほど露骨ではありませんが、余裕たっぷりに先頭を譲ったように見えたリシュさんに掛かり気味になったウマ娘ちゃんはひとりやふたりではなさそうですね。

 リシュさんはたぶん天然ですけど、テンちゃんは計算が入っているんだろうなぁ。

 

 実際、ドラグーンスピアさんたちの苛立ちもあながち的外れとは言えません。

 あそこまで綺麗にスタートダッシュを決められた上でそのままぐいぐい経済コースを飛ばされたら、後続のウマ娘たちは厳しい戦いを余儀なくされたでしょう。

 テンプレオリシュというウマ娘があらゆる脚質に対応していることはこれまでの戦績とマスコミの喧伝で広く知られつつあります。それができないと考えるウマ娘ちゃんはここにいないでしょう。

 芝に比べパワーが必要とされるダートの2000mとはいえ、リシュさんやテンちゃんに限ってスタミナ切れを期待するのは絶対に間違いですし。

 

 やらなかったのはおそらく脚の消耗を嫌ったのでしょうね。逃げはどうしても脚を酷使する局面が増えますから。

 あのお二人、このレースが終わったあとから夏合宿に参加する気満々でしたし。さすがに翌日すぐにとはいかないでしょうが、たびたび思い知らされた彼女たちの回復力を鑑みると七月後半には合宿に参加しているのが目に浮かぶようです。

 それを強者の権利と見るべきか傲慢な油断と見るべきかは、今夜の勝敗次第でしょう。

 

『さあ一コーナーから二コーナーへ向かっていくウマ娘たち』

『大井の夜空のもと、一等星として輝くべく、ウマ娘たちが駆けていきます』

 

 星は砂に埋まっています。

 あたしはそれを踏んで走るのです。

 

 【灯篭流し】。

 リシュさんが日常的に使っている、足音が聞こえないほど効率的な走法。

 〈パンスペルミア〉のみんなで練習したのは生涯色褪せることのない大切な記憶。習得の速度はマヤノさんがダントツでしたけど。

 持続時間ならあたしの方が上というのは、自慢してもいいことなのではないでしょうか。

 

――芝もダートも問わないオールラウンダー。ぼくらと同じ視界に至る資質そのものはデジたんが一番持っているだろうね。

 

 耳に心地よく反響するいつかの声。あれにどれだけ励まされたか。

 薄暗い砂に浮かび上がる無数の光点。空気の味が変わるとでもいうべき独特の感覚。

 リシュさんはスタートからどっぷり浸かっているこの深みに、あたしは第二コーナーを抜けバックストレッチに入ろうかというレース中盤でようやく到達するありさまですけど。

 でもここからは砂上のプラネタリウムがあたしのコースです。最後(ゴール)まで、ね。

 

 星を踏む。

 的確に踏み抜いた時、くんとあたしの身体はかろやかになる。

 砂埃どころか音さえ立たない脚力の効率化。

 まるでそのままふわふわと夜空さえ駆け上がれそうな感覚。

 

『向こう正面を抜けて第三コーナー、後方集団を見ていきましょう。中団から二バ身離れて六番ノワールグリモア、一バ身離れてアザレアボヌール。その後方に七番テンプレオリシュここにいた。先頭からここまでおよそ十五バ身の開きがありますが、果たして一番人気に応えることはできるのか』

『足元を確認しながら走っているようですね。まだ本気ではないですよ』

 

 リシュさんの場合、光の点はくっきりと蹄鉄の形に浮かび上がり、道標のようにひとすじの連なりとして現れるらしいですけど。

 あたしの場合は精度が甘いのか、星のような瞬きが一筋と言わず無数に浮かび上がります。でもそれを踏んで走るのはまるで夜空に星座を描くようなときめきがあるので、嫌いではありません。

 

 足音の消えたあたしを周囲のウマ娘ちゃんたちがぎょっと見ていて、それだけは少しばかり申し訳なく感じますけど。

 

『八番ドラグーンスピアここでいっぱいか。先頭は十二番アキナケスに入れ替わりましたが、どうでしょうこの展開?』

『全体的に少し掛かり気味かもしれません。息を入れるタイミングがあればいいのですが、果たして中央の魔王はそれを許してくれますかね』

 

 ウマ娘ちゃんが好き。

 それだけはどうしたって変わらない。譲れない。手放せない。

 砂の上に描いた星座だって彼女たちの煌めきを陰らせることはできない。

 尊い。尊さに満ち溢れている。

 その目が、髪が、息遣いが。どうしようもない至近距離の過剰摂取であっという間にデジたんの限界を突破する。

 ひとり、ふたりと追い抜かしたところでついに耐えきれなくなって爆発した。

 

 領域具現――尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート!

 

 夜も砂も塗り潰して虹色の世界が広がっていく。

 飛び交うのは過去と現在、そして未来のウマ娘ちゃんたちの写し絵。

 過去にあたしが見た決定的瞬間。こんなもの無料で見ていいんですかいえむしろ貢がせてくださいと言いたくなる尊死不可避の光景。

 現在進行形で人工の照明と星影の間にゆらめく、脳内永久保存決定のウマ娘ちゃんたちの燃え上がる瞳。

 公式が供給過多である以上必要が無いはずなのに、気づけば自給自足してしまう未知なるカップリングの数々。

 万華鏡、あるいは走馬灯のようにあたしを取り巻くあたしだけのアルバム。

 必死に脚から発散しても滾々と湧き出る尊みの奔流。あたしの矮躯は押し出されてどんどん速度を増していく。

 

 ああ、どうしようもない。これがあたしの(カルマ)なのです。

 どれほど自問自答を重ねようと、魂の奥底から汲み上げた答えはずっと変わらずこの有様なのです。

 

『アグネスデジタルここで抜け出した! 最初に立ち上がったのは十三番アグネスデジタル、このままいってしまうのか!』

『勝負所、第四コーナーを抜けて明るく照らされた直線へと差し掛かります。十三番アグネスデジタル、彼女には鋭い末脚がありますが後ろの子たちは差し返せるでしょうか』

 

 実はこのデジたん、末脚には少しばかり自信があります。

 いつだったかリシュさんが『身体に悪そう』と褒めてくださったくらいです。

 リシュさんのことをよく知らない人にはもしかすると悪口に聞こえるかもしれませんが、意訳すると『デジタルの末脚はすさまじいね。私でもその速度を出すのは苦労すると思う。でも脚にかかる負担も相当のものだろうし、あまりその末脚を使わずに勝てるといいね』となります。

 

 はぁ~、テンちゃんと閉じて満たされた関係性の中で育った影響でコミュニケーション能力が乏しくなっているのにそれでも他者を思いやる気持ちを素直に表に出せるリシュさん尊すぎません? 優しさの権化か? 言葉足らずでもはや意味が反転して聞こえそうなところがまた稚拙な可愛らしさがあって、普段の凛とした印象とのギャップで萌えポイントですよね!

 あたしの想いに呼応するように、あのときの顰め面にも見える心配そうな表情のリシュさんの写し絵がぽんと空間内に浮かびます。

 

 最終コーナーの時点でいち早く抜け出すことに成功して、スタミナにはまだ十分に余裕があって、最後の直線には【領域】込みのあたしの末脚。

 勝つための要素は十分に揃っていました。

 つまりここからが勝負です。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 写し絵を穿つ漆黒の閃光。

 虹色の世界がぱっくり抉り取られ、夜空と砂が覗きます。

 後方から一度だけ響き渡る炸裂音。それはたったふたりから成る軍勢が挙げた鬨の声。

 大井レース場の厚い砂を爆散させた正体は、意図的に一歩だけ設けられた効率度外視の踏み込み。自らを加速させると同時に周囲への示威行為を兼ねた、ラストスパートを告げる鐘の音。

 来る。ここに来る。直撃こそ避けられましたがもはや【領域】の維持はできず、はらはら崩れる世界の残滓が砂上に溶けていく。

 

 ……はあ、見るたびに惚れ惚れしますね。

 たしかに能力模写というのはフィクションの世界において、強能力にランク付けされがちなものです。

 でも考えてみてください。

 二人の達人。ひとりの手には使い慣れた業物。もうひとりの手には使い慣れているわけでもなければ、相手より一段品質が劣る同じ得物。

 両者の力量が同じならどちらが有利なのか、考えるまでもありません。

 それを補うための数という見方もありますが、人間の手は二つだけ。無数の得物を並べたところでコレクション以上の価値を持たせるのは至難の業というもの。

 それを気づかせないほど鮮やかに、ばっさばっさと並み居る達人を斬り捨てる圧倒的な技量。

 【領域】が強いのではありません。『テンプレオリシュが使う【領域】』だからあの能力は強いのです。

 

『外から飛び込んできたのは七番テンプレオリシュ。驚異的な末脚で上がってきた!』

『十三番アグネスデジタルと七番テンプレオリシュ、最後は二人の鍔迫り合い! 南関東随一の長さを誇る直線を制するのはいったいどちらだ!』

 

 足音は聞こえない。でもその存在をあたしが感じられないわけがない。

 【灯篭流し】は情報処理能力と身体操作を高次元で噛み合わせたもの。あたしやリシュさんの足音が使えずとも、その他のウマ娘ちゃんたちのバ蹄の轟きでエコーロケーションには十分です。

 

 ウマ娘の形に押し込められた銀河が横を通り過ぎるたび、ひとりまたひとりと追い抜かされた子が“溺れて”いく。それはまるで砂に降りてきた天の川の氾濫が大井レース場を呑み込んでいくよう。

 わかっていました。覚悟はしてきました。

 勝つ。絶対に勝つ。そうじゃないとあたしは走る資格すらない。

 

 後ろにいる。

 レース場は広くても有効なレーンは有限。

 あたしのプラネタリウムとリシュさんの灯篭が絡み合う。

 拮抗は一瞬。ガラスが割れるような甲高い音がしたかと思うと、あたしのプラネタリウムが巻き込まれる。

 

 並ばれた。

 くるくると天球が回っていく。

 これまで天井だと思っていたそこを貫いて、あっという間に真っ黒の中に飛び出す。

 静かで、綺麗で、冷たくて、何も怖いものがないところ。

 ただひとつ、内側で脈動する赤い炎だけがあたたかくて。

 

 あ きれい

 

 

 

 

 

『ゴール! 勝ったのは七番テンプレオリシュ、預けておいた先頭を返してもらったぞと言わんばかりの追走劇。みごとダート新星の座を手中に収めました』

『“銀の魔王”、ダートG1も侵略完了です。知らなかったのか、魔王からは逃げられない! 一バ身の魔王城も復活。はたして新たな領土を求める魔王を止めるウマ娘は現れるのか』

 

 バクバクと心臓が脈打っている。

 ガクガクと膝が震えて、ダクダクと冷たい汗が全身から流れ落ちる。

 

 ……い、いま……あたし……。

 見惚れてしまった。

 あんなにも心に刻みつけたのに。ベストアングルで神映像が来るってわかりきっていたのに。

 勝利を忘れた。何もかもが頭の中からすぽんと抜け出して、何よりも観察を優先してしまった。

 こんな二着、他のウマ娘ちゃんたちに申し訳ない……! 目前の勝利を忘れるウマ娘にもうレースを走る資格なんか――

 

「デジタル」

 

 ウマ娘ちゃんの呼びかけに応えるのはもはや脊髄反射です。顔を上げると頬を上気させたリシュさんと目が合いました。

 最後方から追い込みで差し切った彼女は服も葦毛も土埃に塗れていて、でも誰よりも輝いていました。夜空の星々が生まれたばかりの新星に平伏してるようにさえ見えました。

 

「よかった、元気そうだね。ジャパンダートダービーでもしっかり二着が取れたかぁ。これも葵ちゃんの手腕かなー」

 

 くるっと入れ替わってどこか安心したようにテンちゃんが喋ったかと思うと、またくるりとリシュさんに戻る。ふたりでひとつのウマ娘。そこに区別はあっても差別などなく、ただあたしの友人として笑う彼女がそこにいる。

 

「楽しかった。今度は芝で走ろう」

 

 ……ああ、まったくもって救いようがありませんね。

 鉄壁の一バ身を崩すことさえできなかった情けないあたしに、貴女はそうやって笑いかけてくれるのですね。

 その笑顔を否定することなどできなくて。応えるしか選択肢なんかなくて。

 だったら他のところを変えるしかないじゃないですか。

 レースを走る資格のないあたしなら、そうじゃないあたしになればいい。今は何をどうすればいいのか、真っ白になった頭じゃ何も思いつきませんけど。

 

「これが……中央の“銀の魔王”かぁ……」

 

 砂に吸い込まれそうなかすれ声に振り向くと、三着だったアキナケスさんが崩れ落ちそうな自身の身体を膝に手をついて息も絶え絶えに支えていました。

 瞳に浮かぶのは畏怖と萎縮の色。芯に残った一握りの発奮はゆらゆら震え、今にも恐怖に塗り潰されそうです。

 声を出す余裕が残っていただけアキナケスさんはマシな方で、“銀の魔王”初体験の地方のウマ娘ちゃんたちは明らかに折れてしまっている子も散見できました。

 

「無理をする必要はない」

 

 一歩進み出てリシュさんが言います。

 おそらくリシュさん的には威圧する意図はなく、むしろ心情的に歩み寄ったつもりなのでしょう。

 

「やめられるのならやめたらいい。投げ出せるのなら投げ出してしまえばいい。ここはそういう場所だから。

 文句を言うやつは私たちが全員黙らせる。十年後には自慢話になってるよ。『自分はあのテンプレオリシュと戦ったことがあるんだ』って」

 

 それはかつてのテンちゃんの言葉を彷彿とさせるものでした。リシュさんの中にはテンちゃんの言ったことがたしかに息づいているのですね。

 たぶんリシュさん的には『だからここで諦めるのだとしても安心していいよ? あとのことはちゃんと引き受けるから』と親切心で申し出ているつもりなのでしょうねえ。

 テンプレオリシュというウマ娘と競い合うのがどれだけ残酷なことなのか。ある程度客観的に判断しているからこそ、折れるなら早めに逃げておけと言うのは間違っているとも言いきれません。

 

「ざっけんな!」

 

 それが相手に受け入れられるかとか、そもそも意図を理解してもらえるかとかは別の話ですけども。

 

「今回たまたま勝ったからって調子に乗んなよ! 誰が諦めるかよ。次だ、次こそオレが勝つ。たった一度の勝利で格上ヅラしてんじゃねえぞ!」

 

 声を荒らげたのはアキナケスさんではなく、いまだぜぇはぁと荒い呼吸をしているドラグーンスピアさん。精根尽き果てた状態でゴールしたのは十四着。そんな状態から回復もままならないまま大声を出したせいで酸欠によりふらつき、それでもアキナケスさんを庇うような立ち位置に進み出ます。

 そう、このお二人は幼馴染なのです。今でこそアキナケスさんの評価の方が上ですが、幼少のみぎりは引っ込み思案のアキナケスさんの手をドラグーンスピアさんが引っ張ることが多かったとか。周囲の評価が変わってもこういうとっさに出てくる関係性は昔のままとか、ああーダメダメいけません尊すぎます。

 

 乱暴な言葉とは裏腹に、その目を見ればたった一度のまぐれ勝ちだなんてドラグーンスピアさん本人が誰よりも思っていないことはわかります。

 それでも負けを認めるわけにはいかなかった。受け入れることで成長の糧にできる者もいれば、受け入れたら二度と相手の目をまっすぐ見れなくなる者もいる。弱い犬ほどよく咆えると嗤われようと、己の無様さを自覚していようと、ここで負けを受け入れたら一生コイツには負けっぱなしだという危機感が彼女に声を張り上げさせた。

 いつかテンプレオリシュというウマ娘に勝つために。

 

「んー? 次って言われましても……。私、当分ダートを走る予定が無いんだけどなぁ。少なくとも今年度は芝で手一杯なので」

「ああ?」

 

「何なら来年は春秋シニア三冠を取るつもりだから、あなた方がそちらに来てくれた方がまだかち合う可能性は高いのではないでしょうか」

「はあ!?」

 

 会話がキャッチボールではなくドッジボールの体を成してきました。

 レース直後の興奮から醒め『ほぼ初対面の相手と話している』という事実を徐々に認識し始めたリシュさんの言葉が敬語へ変わっていくのが非常にマイペースですね。

 

 たしかに地方のウマ娘でも該当G1レースの優先出走権が付与されるステップレースに勝利すれば、中央に移籍せずとも中央の芝のG1タイトルを走ることは可能です。

 ですが非常に狭き門であることは言うまでもありません。

 

「あれ、無理ですか?」

 

 きっとドラグーンスピアさんには『私はやれますけどね』という副音声が聞こえたのではないでしょうか。

 リシュさんは本当に悪気ゼロなんですよ。煽っている自覚もあまり無くて、『再戦を希望する』というアクションに対し『今のところダートを走る予定はない』『該当する芝G1にそちらが来てくれたら可能だと思う』と単純な事実の羅列をリアクションとして返しているだけで。

 

「できらぁ! やってやらあ!! オレとアキで中央のエリートども四つに折りたたんで鼻かんでやっから首洗って待ってろやっ!」

「わたしもやるの? ……うんまあ、がんばるよぉ」

 

 困ったように苦笑するアキナケスさんからはもう、今にも折れそうな恐怖の震えは消えていました。

 良くも悪くも注目を集めていた会話の区切りは、それを見ていた子たちの心にも細波のように広がっていきます。

 心が繋がる。

 まだ罅だらけのつぎはぎだらけだろうけど。きっと今夜のウイニングライブも、ウマ娘ちゃんたちが笑顔で演じ終えることができるだろうと思えるくらいには。

 

 本当に彼女たちが中央の芝に乗り込んでくる未来は無きに等しいのが非情な現実です。

 芝とダートの両方に適性を持つウマ娘は稀ですし、ましてやその中で重賞を勝ち上がれるだけの実力を発揮できるウマ娘ともなれば。

 あくまでレースの熱に浮かされたこの場限りのやり取り。何ならリシュさんが気まぐれに新たなダートG1に挑戦する方が再会の可能性としては高いくらいです。

 

 でも、この根拠に乏しい灼熱のお陰で繋がった心がありました。

 折れても、挫けても、そのたびに心を打ち直して走り出す。

 錆びて腐ったと思っていても、研ぎ直してみれば自分でも驚くほどの輝きを取り戻す。

 それはあの日、あたしが脳を焼かれた『ウマ娘』の在り方そのものでした。

 

 

 

 

 

 ……今はまだ、近すぎて無理ですけど。

 

 いつか、最新の伝説が遠い神話になるほどの歳月を経て。

 あたしがしわくちゃのおばあちゃんになって、ちいさな子を膝に抱き寄せるような日が来たのなら。

 その子の耳元で、そっと自慢してあげたい。

 

 あたしはあのふたりでひとつの魔王さまの物語が紡がれる様を、最前列の特等席で見続けたんですよって。

 




これにて今回は一区切り。
一週間以内におまけを投稿予定です

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