「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

以前にTRPGの話題出したときもそうだったけど、話通じ過ぎじゃない?
握手するだけで握力が鍛えられそうだ。類は友を呼ぶとはこういうことか……。

さて今回のサポカイベント、誰の視点なのか様々な予想が出ていましたが。
はたして正解できた方はいるのでしょうか…?
まさかのとあるモブウマ娘ちゃん視点です。
ラストの一部のみ三人称に切り替わっています。


サポートカードイベント:天秤を揺らす砂粒になれたら

 

 

U U U

 

 

 かつて私は天才だった。

 

 特に努力もしていないのに、走れば誰にも負けなかった。たまに私より速い子もいたけど、負けないように練習すればすぐに追いついて、そのうち追い抜かせるようになった。

 同年代の皆が私の背中を見ていた。大人が皆、私を褒めてくれた。

 楽しいだけで走り始めた私も、いつしかその評価に見合うだけの自分であろうと自分を律した。毎日のように努力を重ねて、いつの間にか私に勝てるウマ娘は周囲にはいなくなっていた。

 中央に合格したときも嬉しいことは嬉しかったけど、それ以上に順調という思いの方が強かった。

 往くべきところに往くのだと。その先に私がたどり着くべき目的地があるのだということを疑っていなかった。

 

 だけど中央で待ち受けていたのは、私程度の『天才』ならごろごろ存在しているという残酷かつ単純な事実。

 それでも、ここに合格したからには見るべきものが自分にもあるはずだと。折れそうになる心をそのたびに叩き直して。

 教官の画一的な指導を腐らずに熟し、自主練も身体が許す限り続けてきた。その甲斐あってか入学して二年目には選抜レースでトレーナーの目に留まりスカウトされ、三年目にはメイクデビューまでこぎつけることができた。

 かなり順調なペースだ。これならかつて夢見た場所を目指すことができるんじゃないかって、自分に期待して――

 

『追いかけてくる子はまだ二バ身後ろ! 三バ身、四バ身、縮まらない!? 伸びる伸びる、強いッ! ゴール!! 五番テンプレオリシュ、圧倒的な実力差を見せつけメイクデビューを制しました。次のレースが今から楽しみです』

 

 ――私がひとつひとつ積み重ねてきたものをあっという間に飛び越えた『本物』に、木っ端みじんに蹴散らされた。

 

 

 

 

 

 夜中に目が覚めてしまい、こっそり合宿所を抜け出す。

 

 体力を使い果たせば今度こそ泥のように眠れるんじゃないかと思って。

 最後にぐっすり寝たのはいつだっただろうか。

 眠れないわけじゃない。寝不足になって翌日のトレーニングに悪影響が出たことはない。

 ただ、眠りにくい日が続くだけ。

 

 滑り込むように参加資格を得た夏合宿。

 トレーナーはすごく喜んでくれて、私は参加しないという選択肢を失った。

 強くなりたい。強くならなきゃいけない。

 今でもそう思っているから毎日こんなに必死こいて走り込んでいる、はずだ。

 なのに何故こんなにも途方に暮れているのだろう。

 

 友人に誘われた夏祭り、結局いくことは無かった。

 その分の時間を自主練につぎ込んだけど、本当にあれでよかったんだろうか。

 『エラは真面目だねぇ』と残念そうに微笑みながら褒めてくれた友人の顔を思い出す。

 違うのに。ただの罪悪感。何の成果も出していない自分が、あからさまに遊びに行くだけの勇気が出なかっただけなのに。

 今夜は遊ぶとはっきり決断できた友人の方が、よっぽど真面目だ。

 

 ストレッチをしているうちに暗闇に目が慣れてきた。

 靴ひもをしっかり締めて呼吸を整える。

 中央トレセン学園のある府中に比べ、合宿所近辺はトレーニングに活用できる自然環境が豊富。つまり人気が無ければ人工の灯りも無い。

 星と月を光源に私は走り出す。

 目的地どころか明確な目的意識もない。自主練と呼ぶのも烏滸がましい。

 こんなの、ゆるやかな自傷行為だよ。

 

 潮の匂いがする空気の中をただ走る。あても無く、何かから逃げるように。

 追跡者のいない逃避行はそう長くは続かなかった。

 聞こえる潮騒の中に人の声が混ざった気がして、私は足を止める。

 

 こんな時間にいったい誰が?

 自分を棚上げしてそう思う。

 

「……歌?」

 

 背筋に冷たいものを感じなかったといえばウソになる。

 トレセン学園の生徒で一度も怪奇現象に縁の無かった者なんてそういない。

 そもそもウマ娘という存在そのものがオカルトに片足を突っ込んでいるのに加え、年中無数の夢が散る中央は怨念の種に事欠かない。

 私もこのままだと遠からず、その魔のひとかけらに変じるかもしれない。

 

 だけど、よくよく耳を澄ましてみると。

 やたらアップテンポというかロックというか。

 かすかに聞こえてくる歌声は実にエネルギッシュだった。

 

 こんな生命力に溢れた幽霊がいるのなら逆に見てみたい。

 そんな好奇心に背中を押され私は歌声が聞こえる方へ、海岸へと足を向ける。

 

 そして見つけた。

 降り注ぐ星の光を一身に受け止め、くるくると舞い踊る銀ピカのウマ娘。身に纏った学園指定のジャージはどんな豪奢な衣装より神秘的に映った。

 私より十センチは低いはずなのに、その巨大な存在感は遠目にも見間違えようがない。

 なんで、どうして、よりによって貴女がここに。

 

 立ち竦む私の存在に気付いたのか、あちらも動きを止める。

 歌声が消え、区切りのように大きく振り下ろされる右足。砂浜だという事実をものともしない重音は潮風を揺るがし、その場の空気がぱっと一新されたような気さえした。

 赤と青の双眸がすいと私を見つめる。

 

「……こんばんは、バトルオブエラ先輩」

 

 まさか名前を憶えられているとは思いもしなくて思考が止まった。

 バカみたいにただ視線を合わせて、いったいどれだけ硬直していたのか。

 彼女が無表情のまま首を傾げて、さらりと動いた銀髪にようやく呼吸の仕方を思い出した私は、慌てて吐き出す息に乗せて挨拶を返す。

 

「こ、こんばんは、テンプレオリシュさん」

 

 先輩、先輩か。

 たしかに私の方がずっと年上だね。大人にとっては一年や二年の差なんて些細なものらしいけど、小中高の一年は世界を隔てる分厚い壁だ。

 とはいえトレセン学園の生徒にとって、年齢の壁は一般的な中高生のそれに比べだいぶ薄く透明度が高いと思う。

 “本格化”と“トゥインクル・シリーズ”があるから。

 本格化がいつ来るかは個人差が大きく、それに応じてトゥインクル・シリーズにデビューする時期はまちまち。

 中等部でデビューする子もいれば高等部になってようやく本格化を迎えられる子もいて、そしてデビューしたのが何歳のときだろうと私たちの実力はジュニア級、クラシック級、シニア級の区分で評価される。

 中等部だろうと高等部だろうと関係ないのが大前提。ウマ娘はそういう生態で、ここはそういう世界。

 

「……先輩扱いも敬語もいらないよ。トゥインクル・シリーズでは同期でしょ?」

 

 でも私がそう言ったのは別にそんな小難しい理屈があったわけじゃなくて。

 ただ彼女に敬称で呼ばれ敬語を使われることに耐えられなかった。それだけのことだ。

 今や“銀の魔王”なんて仰々しい異名でマスコミに煽られトゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘と、なんとか未勝利戦を潜り抜けた十把一絡げのモブウマ娘。

 同期だからライバルだなんて、冗談や軽口でも言う気になれない。

 

「そう」

 

 短い了承。拒絶ではなかっただけマシなのだろうけど。

 そこに窓があるとは気づかずガラスで突き指しかけたような、冷たく硬い常温に怯みそうになった。

 メディアの露出越しに見る彼女はめちゃくちゃフレンドリーなんだけどな。いや、あのテンションでぐいぐい来られても困るか。

 

「えと、こんな時間にどうしたの?」

 

 お前が言うなと脳内でブーメランが回転する。

 でもこんな状況でとっさに出てくる話題なんてこんなのしか無いんだよね。

 

「あまりに数が多くて鬱陶しいから、いっそまとめて()()()()()やろうかと」

「そっかー」

 

 あ、わかったこれ。下手に知ったら夜眠れなくなるやつだ。

 既にあまり眠れていないのだから、私は即座に話題を変えることにした。

 しかし本当に何を話すべきか。あのテンプレオリシュと話している。実は合宿所の布団の中で見ている夢なんじゃなかろうか。現状に現実味がないせいか、友人と話すときのような取り留めのないラインナップがちっとも脳から降りてこない。

 そもそも存在を認識されているとさえ思っていなかったのだ。

 

「それにしても驚いたな、名前。そもそも存在を認識されているとさえ思っていなかったから」

 

 ちょっと待とうか私の口。思ったことをそのまま垂れ流していいなんて誰が許した。

 誰か一度口から放たれた言葉を相手に届く前に回収する技術を開発してくれないだろうか。今ならなけなしのレースの賞金をつぎ込んででも私が買い求めるよ。

 

「メイクデビューで一緒に走ったでしょ? 二枠二番バトルオブエラさん。適性はスプリンター寄り、脚質は先行。二着だったよね」

 

 ふざけた現実逃避が、ばつんと衝撃で断ち切られる。

 

「……な、なんで?」

 

 真っ白になった全身の中で、口だけが勝手に動いて疑問を投げかけた。

 年下相手にまるで縋りつくような声色だと、痺れた思考に自嘲が滲む。

 

 何故そんなことまで憶えているんだ、貴女が。

 短距離であるにも拘わらず五バ身差、影さえ踏めない大敗を喫したウマ娘の情報なんて記憶に留める価値など無いだろうに。

 

「私は強いから」

 

 受け取りそこなったのは思考が漂白されていたことだけが理由じゃないと思う。

 通じていないことを悟ったのか、テンプレオリシュさんは小首を傾げてから、噛んで含めるように言い直してくれた。

 

「私はとても強いから、私と走ったウマ娘の中には走るのをやめてしまう子が一定数存在しているんだ」

 

 ただ事実を淡々と述べている口調だった。

 そこには自負も無ければ、罪悪感の欠片も見当たらなかった。

 

「でも中央に来るような子は、ただ走るために生きてきたような子ばかりでしょ?」

 

 生き方を変える、なんて安直な表現で言い表せるものではない。

 大人から見ればほんの数年。仮に五年や十年ともなれば短いとは言えずとも、やはり取り返しのつかない時間でもない。

 でも私たちからすれば代用不可能な人生の十割なんだ。

 それはひとつの人生の終焉に等しい。振り返ればそんなこともあったかと苦笑できるような思い出になるのだとしても、現在進行形のそれは死神の鎌の味をしている。

 

「だから、私が『殺した』かもしれない相手のことくらい、憶えておこうかなって。どうせ現役全部含めても千は超えないだろうし」

 

 ……私はここまで傲慢で壮絶な覚悟を持って走ったことが、一度としてあっただろうか?

 

 あるはずもない。

 小さいころ、友達を泣かせてしまったことがある。私が勝ったから。

 後味が悪かった。なんなら『ごめんなさい』と謝った気もするし、それでますます相手を怒らせたような記憶もある。

 でもいつの間にか慣れてしまっていた。簡単に破れていた足の裏の皮膚は何度もマメができるのを繰り返すうち分厚いタコになり、踏みつけても何も感じなくなっていた。

 

 因果は巡るもの。

 いつか私がそうやったように。あの日踏み砕かれた私は雨ざらしにされて、ただ朽ちていくのを待つばかりなんだと思っていた。

 

 ……ずっと、背負ってきてくれていたの?

 

 何人も、何人も。無責任に砕けて散っていく軟弱な私たちを一人も残さず。その小さな背中に乗せてここまで駆けてきたというの?

 そのとき走った身体の震えの正体を余さず表す言葉は、浅くて薄い私の人生経験の中には存在していなかった。

 ただ、堪らなかった。レースの高揚とはまた違う、生まれて初めて魂が煮え滾る感覚を知った。

 

「こんなの、我らが生徒会長に比べたら全然だよ。私は自分が直接行き会ったウマ娘のことしか記憶していないから」

「えっ、とー」

 

 ああもう、本物はこれだから。

 数段飛ばしで階段を駆け上がっていくその文脈は、私のような凡人の読解力では置いていかれるばかりで。

 だけどそんな性能差も既に心得たものなのか、彼女はゆっくりとよどみなく言葉を継ぎ足してくれた。

 

「聞いたことある? 『シンボリルドルフ会長は一度見た顔を忘れない』って」

「う、うん」

 

 その情報自体は私も知っているものだった。

 やっぱり“皇帝”ともなれば頭のデキも違うんだねと、友達と数ある雑談の種にしたこともある程度の些細なもの。

 

「この学園の生徒会って学生とは思えない権限を持っている。それこそ全校生徒の個人情報を閲覧可能なくらいには。それで、あの人は生徒会長なんだ。なんでそんなことになっているのかはさっぱりだけど、業務の一環で生徒の進退に関与していたりする」

 

 こちらも既知。

 この学園の生徒会の権限は大きい。でも実は、生徒会長にシンボリルドルフが就任してからさらに一回り拡大されたって噂。

 実際、できるところに仕事が回ってくるというのはこの世の摂理だけど。本当にそれは学生に委託していいのかと、ふと冷静になれば冷や汗を通り越して真顔になりそうな内容を生徒会がこなしているのを見ることもある。

 あれを歴代の生徒会長が全員、同等の責務を背負わされたとは思いたくないな。

 

「あの人は全部憶えているんだよ。中央トレセン学園の全校生徒二千人、入ってくるウマ娘も出て行くウマ娘も、みんな」

 

 ピタリ、と。

 バラバラだったパズルのピースが組み上がる。

 

「『すべてのウマ娘が幸せに暮らせる世界』なんて正気の沙汰とは思えないお題目だけど……中央トレセン学園を、トゥインクル・シリーズを構成するウマ娘たちを丸ごと背負って立つ覚悟と信念は私も認めざるをえない。

 “怪物”と呼ばれるウマ娘は歴史上何人もいたけど、“皇帝”と呼ぶに値するウマ娘はいまのところ私はシンボリルドルフしか知らないな」

 

 それに比べたら自分の蹴散らした千にも満たないウマ娘を暗記するくらい気楽なもんだよねえ、とテンプレオリシュさんは気負いのない口調でのたまう。

 本当に心からそう思っているようだった。

 私は気づかなかったのに。

 中央トレセン学園の生徒会長という責務を背負った者の、一度見た人の顔を忘れないという能力が、どれほどの苦痛と悲哀をもたらすのか。

 想像できるだけの材料を手元に揃えながら、わかろうともせず呑気に今日まで生きてきたというのに。

 

 天才は天才を知る。

 いま理解した。彼女たちは生まれ持った規格が私たちとは根本的に違う。

 いつか私が夢見た目的地にたどり着くためには、彼女たちのようにならないといけなくて。

 でも……私は彼女たちのようには、なれないんだ。

 

 それでも。

 それでも……!

 

「……テンプレオリシュさん!」

「はい?」

 

「私と、走ってほしい。いまここで」

 

 背負われたままで終わるのは嫌だった。それだけは御免だった。

 中央の門を自分の意志で叩き、同じ場所を目指した同志を蹴落としてここまで走り抜けたウマ娘として。なけなしの誇りが、魂が叫んでいる。

 このままじゃ終われない。

 

「わかった。いいよ」

 

 我ながら衝動的で支離滅裂な提案への返事は、やはり気負いのない了承。

 犬好きじゃない人間が足元にじゃれつく子犬を踏まないよう片手で摘まみ上げたらこんな風かな、という温度だった。

 

 

 

 

 

「ようい――」

 

 合宿所近辺砂浜杯、ダートだいたい800m。出走者二名。

 ゲートも無ければゴール板も無い、砂浜のスタートとゴールに雑に足で線を引いただけの野良レース。日中のトレーニングでは素足で走ることも多い場所だから、ガラス片のような危険物は徹底的に取り除かれているのが安心要素。

 人工の灯りは無いけど、満天の星は意外なほどに明るくて。砂浜が白く浮かび上がるようにここからゴール地点まで見通せる。

 ただ走る分に支障は無いだろう。流石にコインを弾いて落ちたと同時にスタート、みたいなことは日中じゃないと難しいけれども。

 だからスタートの合図は私が任されることになった。短距離ではスタートダッシュが重要。自分のタイミングでスタートできるということは、短距離と区分するにも短すぎるこのレースにおいて有利な要素だ。

 それが両者の実力差を埋められるだけのハンデになるとは思っていないけど。無いよりはマシのはず。

 

 隣で身構えるテンプレオリシュさんの姿が大きく見える。

 それは果たして、彼女の数々の偉業と功績に怯えた私の心が見せた幻覚だろうか。

 

「――スタート!」

 

 自分の声に弾き出されるように駆けだす。

 焦ってはダメだ。ビーチのようにきめ細やかなここの砂は正しいフォームじゃないと力が分散してスピードが出ない。

 そう自分に言い聞かせても、理性は頭にしか宿っていないのがよくわかる。脚も、肺も、心臓も猛り狂っている。もっと速く、はやくと見苦しくがなり立てている。

 ゲートを出て息をつく間もなく、まっすぐ横を抜けていったかつての幻影がちらつく。あの銀は今、まだ隣にいる。むしろ私の方が先んじているか。

 これがあの頃からの私の成長分……のわけないよね。単純に向こうの走り方が変わったのだろう。

 『鉄壁の一バ身』とか『魔王城』とマスコミが呼んでいる、脚の消耗を抑えた走り方。この走法を確立してから彼女から手加減を奪ったのは今のところダービーのウオッカさんだけだ。

 朝日杯FSも大差でゴールインだったけど、あれは奪われたんじゃなくて自ら崩したんだって誰もが知っている。世界に己の存在を刻みつけるようなあの走りを見て、あの心が折れたメイクデビューですらぜんぜん全力じゃなかったんだと悟って、なんとか補強して立て直しかけた私の心は砂のように崩れたんだ。

 あのときに比べたら彼女はずっと近くにいる。近くにいるはずなんだ。

 ああ、ちくしょう。足音がしないから距離感が掴みづらい。本当はウマ娘なんてそこにいなくて、夏の夜に迷い出た人ならぬモノがいるのではないかとさえ思えてしまう。

 気配は曖昧模糊としているのに存在感がびしばし殴りつけてくる。圧倒されてヨレてしまいそうなほどに。身体がゴールのはるか手前で既に白旗をあげて逃げようとしている。

 

 ふざけるな。

 たしかに相手は無敗のクラシック三冠街道の途中にNHKマイルCまで獲って、物のついでのようにジャパンダートダービーでダートG1まで掻っ攫っていったバケモノだ。芝の未勝利戦でひーこら言っている私とは格が違う。

 ダートG1ウマ娘と芝の未勝利戦ウマ娘が砂浜の上でレースしているんだ。誰が考えたってどちらが有利かは明らか。勝率は一パーセントだって無い。百回やれば百回負ける。これはそういう勝負。

 

 だからどうしたッ!

 勝てると思ったから挑んだんじゃない。負けたくないから走ってるんじゃない。

 ただ我慢できなかっただけ。深い考えも、立派な信念も、御大層な哲学も何もない。

 魂が叫んでいるんだ。このままじゃ終われない。

 

 800mなんてウマ娘の足ではあっという間だ。

 ふっと浮かび上がるように私の視界を占める銀の割合が多くなっていく。月と星の光を受けて、まるでそれそのものが光を放っているかのように暗闇を切り開いていく。

 

 大きい。

 まるで巨人だ。平均よりもずっと小柄なはずの彼女の無音の一歩が世界を鳴動させているように見える。

 どうして私はこんなモノに徒手空拳で挑んでいるのだろう?

 

 こわい。

 どこも見ていない、何も考えていない、冴え冴えとした青い瞳。

 泣いて謝れば許してくれないだろうか。

 いや、きっと降参すればそれだけで許してくれるだろう。興味無さそうな声と表情を隠そうともせずに『そう』と一言で。

 この期に及んでやっぱりそれだけは嫌だった。

 

「うう……」

 

 伝説の剣や鎧が必要な相手だろう、これは。

 でも私の中にそんなご立派なものは貯蓄されちゃいない。トゥインクル・シリーズで一年以上走り続けたけれど、華美な武具に値する経験など一つも得られなかった。せいぜい転がっているのは数個の石ころくらいか。

 

「ああああ……!」

 

 いや、そもそもご立派な武装を得られたところで。

 私の貧弱な身体では身に着けられないよ。身の丈に合わない。

 私には豪奢な剣も重厚な鎧も無いけれど、逆に考えれば石ころの数個は拾い集めてきたわけだ。

 だったらそれをただ、全力でぶつけろ。私以外の誰かに代わってここにいるわけじゃない。

 私は今、そのためだけに走っているのだから!

 

「がああああああ!!」

 

 ばきり、と何かが外れて私の内で猛り狂っていた熱が外側まで包み込み始めた。

 

 領域具現――五石に加護と福音を

 

 つやつやに磨き上げられた、ただそれだけの丸い石。

 河原で探せばいくらでも見つかりそうなそれらを五つ、革の投石機(スリング)で投じる。

 そんな光景が夜空の下を塗り潰した。

 

 “領域”、話には聞いたことがあったけど。

 うん。なんてしょぼい、私らしい世界なのだろう。

 この私が“領域”を使えるとは思わなかったという驚愕より先に、そんな納得が来る。

 ああ、だけど歴史オタの友達が言っていたな。

 原初の戦争は投石で決まると。剣も槍も必要ない。ただ数を集められた方が多くの石を投じることができ、それで勝敗が決まる。イデオロギーの無い生存リソースの奪い合いはそれで決着がつく。

 剣やら何やらの立派な武器は逃げるに逃げられない状況が多発するまで文明が成熟して、初めて出番が来るのだと。

 だったら私のこれも、考えようによっては人類の勝敗を左右する最も由緒正しい武器であるわけで。ちゃんと中てれば巨人殺し(ジャイアントキリング)だって叶うかもしれない。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 五つの石が無数の漆黒の剣で迎撃される。

 宙を舞う黒剣は石を蹴散らし、その勢いを衰えさせぬまま私の世界を切り裂いた。

 すぱん、と私の首が飛ぶ。さくさくと四肢が切り離される。

 最後にまるで巨大な(あぎと)のように、上下から迫り来る剣群にじゃくじゃくと私の身体は咀嚼された。

 

 あ、そこまでやるんだ?

 

 恐怖とか苦痛とか以前に、いっそ感心してしまった。

 

 

 

 

 

 気が付けばゴール地点と定めたラインの向こう側。寝転がって星空を仰いでいた。

 “領域”のカウンターを喰らって右も左もわからなくなった状態から、何とかゴールまでは走り続けたらしい。

 やるじゃん私? 一年半も中央という魔境を生き残った経験は伊達じゃなかったんだな。

 

「格上との競り合いをトリガーに発動。対象は各ステータス。自身にバフとして発動する『加護』と、相手へのデバフとして発動する『福音』。判定は五回あるが、どちらになるか条件は要検証。うーん、狙ったステに集中して福音を通せれば強いけど……現状だとかなり使い勝手悪いな、どうしたものか」

 

 舌の上で転がして吟味するような声が聞こえて、顔を上げてそちらを向こうとして気づく。身体がぴくりとも動かせない。

 どうやら先ほどの短距離とも言えないレースで、魂の一滴まで絞りきってしまったらしい。でもしばらく休めば動けるくらいには回復するだろうなというのもわかる。

 中央の夏合宿に参加するというのはそういうことだ。

 

「……ねえ」

 

 仕方がないので少しマナーは良くないが、視線を星々に向けたままテンプレオリシュさんに話しかける。

 正直、相手の顔を見ながら話し続ける自信は無かったので自分の中の大義名分ができてありがたかった。

 

「わたし、つよかった?」

「あんまり」

 

 ばっさりだった。一刀両断だった。ちょっと泣いた。

 ちんけなものだったかもしれないけど、いちおう“領域”まで使ったんですけど? たぶん一生に一度とかの奇跡だったんですけど。

 いやあるいは、あちらに()()()()()()のか。いまや私の中の魂はあれほど燃え盛っていたのがウソのように凪いでいる。

 

「は、はは……こういうときはお世辞でも『強かった』って言ってくれるもんじゃないの?」

「無理。次に私が誰と戦うのか、短距離を主戦場にしているあなたなら知ってるでしょ」

 

 ぐうの音も出ない正論。

 サクラバクシンオーさん。

 入学当初からスプリンターとしての素質は噂されるほどのものだったけど、シニア級に入ってからの彼女はちょっとおかしい。1200mで負けるところが想像できない。

 “世界最速”。

 あらゆるウマ娘が一度は夢見て、そして歳を重ねるごとに現実を知り諦める。そんな称号に熱い血肉が宿れば今の彼女になるのではないかと思ってしまうほどに。

 “最強マイラー”と謳われるタイキシャトルさんですら次のスプリンターズSでは挑戦者と見なされているくらいだ。

 ぶっちゃけ、テンプレオリシュさんの担当トレーナーには批判の声が少なからず上がっているとも聞く。せっかく無敗の三冠を達成できそうなのに、どうしてわざわざ敗色濃厚の短距離G1にまでこのタイミングで寄り道するのかと。

 

 なるほど。仮想敵があのバクシンオーさんであるのなら、たとえお世辞であろうと私を『強かった』などとは言えないだろう。

 どう理屈をこねくり回しても嘘になってしまうから。彼女はただ誠実であっただけの話だ。

 

「あはは、それもそうか……ここだけの話、さ。勝算はどのくらいあるの?」

「いまのままじゃ勝てない」

 

 納得と驚愕が見事にカクテルされた感情なんてこれまで知らなかったし、たぶんこれが最後だと思う。

 あのサクラバクシンオーならそうなるよね、という気持ちと。

 このテンプレオリシュでもそうなるのか、という気持ち。

 きれいに半分半分、混ざり合わないまま私の中を一気に通り抜けていった。後に残ったのは、好奇心で聞いていいことじゃなかったなという苦い後悔だけ。

 本当にこの情報は死んでも漏らさないようにしようと、こっそり心に誓う。

 

「でも、今日あなたと戦ったことでほんの少しだけ勝率が上がった。ざっと一パーセントくらい」

「…………そっか」

 

 嗚呼、それだけで十分だ。

 

 ひょっこりと天の川を遮って銀色が私の顔を覗き込む。降り注ぐ光量は減ったはずなのに、不思議と眩しさは上がった気がして目を細める。

 

「大丈夫? 送っていこうか?」

「……ううん。もうしばらくここにいたいから。帰るなら先に帰ってほしいな」

 

「そう。ここで寝たら風邪をひくと思うので、気を付けてくださいね、バトルオブエラ()()

 

 ごくあっさりと彼女は踵を返してその場を後にした。

 サービスタイムは終わったらしい。敬語に先輩呼び。

 終わってからようやくわかる、私に気を遣い意識して距離を詰めていてくれた不器用な優しさ。

 耳を澄ませて、彼女が近くにいなくなったと確信してからのろのろと顔を覆う。普段の何倍も苦労して、何倍も時間をかけて眩い星たちから目を遮った。

 

「……ふふ、はは」

 

 考えたことが無いわけじゃない。

 ここ最近のトゥインクル・シリーズは頭がおかしい。単騎で時代を築けそうな優駿が群雄割拠する世代が折り重なっている。

 でも、うっかり神話の世界に足を踏み入れた身の程知らずは、実は私の方なんじゃないかって。

 私ごときに今を走る資格なんて無かったんじゃないかって。

 

「あはは、ふくく」

 

 私は彼女たちに成れなかった。何もかも足りていなかった。

 でも、巨岩が載せられてゆらゆら揺れる両天秤、その拮抗を崩す砂粒のひとつにでもなれたのなら。

 私が今日まで走ってきたことは無駄じゃなかったんだよ。この時代、レースに生きたこのウマ娘の人生は間違いなんかじゃなかったんだよ。

 

「ふぅ、あぁ……」

 

 でも、やっぱり。

 自分の脚で勝ちたかったな。応援してくれたみんなの期待に応えたかった。

 悔しいなあ。なんで私は天才じゃなかったんだろう。

 

「うあああぁああああ……!!」

 

 私のトゥインクル・シリーズは今日でおしまい。

 『来世』に余分なものを残さないように、私はただ声に乗せて感情を吐き出し続けた。

 

 

 

 

 

 私を『殺した』のが貴女で、ほんとうによかった。

 

 

U U U

 

 

 潮騒に混ざって聞こえてくる嗚咽と慟哭。

 時期も相まって完全にホラーだとリシュは嘆息する。

 

「まったく、どいつもこいつも……」

 

 独りごとが増えるのは精神的な疲労が一定値を超えたときの彼女の癖だが、本人は自覚していない。

 普段は脳内で済ませている会話が、うっかり外部にまで漏れ出てしまうのだ。

 

「あれでよかったの? そっか」

 

 想いを託されるのは実はこれが最初ではないし、たぶん最後でもない。

 不思議とこういう形で託された【領域】は質が高い。持ち主の力量そのものは【領域】含めたいしたことはないのだが、己の中にストックされる割合が心なし大きいというか。

 

「奪い取ったものと捧げられたものの違い? ふーん」

 

 人目につかない夜間ということもあり、もう一人の自分との会話は誰にはばかることもなく続けられる。

 

「ま、いいさ。連れて行ってあげるよ」

 

 自分が強く生まれたのが自分の責任ではないように、弱者が弱く生まれたのは何もそのこと自体に咎があるわけではない。

 リシュはそう考えている。

 自分に当たって砕けてしまうのなら、その託された残骸くらいは面倒を見てやろうかと思う程度には彼女は善良で、優しかった。

 間違いなく彼女を取り巻く周囲の功績であった。

 

「この道がどこまで続いているのかは知らないけどさ」

 

 何とはなしに空を見上げ、星を掴むように手を伸ばす。

 

「私たちに託したこと、後悔しない景色を見せてあげる」

 

 だって、私たちは強いからね。

 

 小さな宣言は当たり前のように潮風に解けて消えていった。

 彼女たちにとって、それは記録に残さねばならないような御大層なものではないのだ。

 

 




これにて今回は一区切り!
一週間以内におまけを更新後、いつもの書き溜め期間に入ります。

今回でスプリンターズSまでいくという予想も多かったのですが、残念ながら次回に持ち越しです。
菊花賞と合わせてひとつの章にした方がプロット的におさまりがいいと判断しました。
つまり、次章は開幕ボス戦からの予定…

ま、その前におまけの執筆ですね。のんびりとお待ちくださいなー
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