「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
後半は三人称視点
U U U
剣群の動きが変わる。
外に向いていたものが内側へ。
リシュさんを中心にぐるぐると回遊する長剣のうち、白と黒の一対が彼女の手元に舞い降り、その刀身へ躊躇なくリシュさんは手のひらを滑らせました。
割れる肌。滴り落ちる血。
刃を彩る赤はまるで見えない溝があるような不自然な流れ方をして、幾何学的な文様を描きます。次いでパキャン、と乾いた金属音と共にその文様に沿って剣が散けました。
分解は群れ全体へと連鎖していきます。分解したもの同士が噛み合い、絡み合い、時に接続部分が回転する。その動きはまるで知恵の輪のよう。
いつだったかリシュさんがほんの五秒ほどで解いてみせたことがありましたね。たしかに今はまだ及びませんが、いずれ私にもっとパワーがつけば四秒の大台を切ることは確実です!
領域具現――
【全身全霊】×【優等生×バクシン=大勝利ッ】×【レッドエース】
=【爆進全霊・紅】
一塊になったそれは無数の長剣を束ねたという前提を鑑みてもなお、あまりに質量保存の法則を超越しているように見えました。
柄だけでリシュさんの身の丈を優に越える長さ、槍と形容したくもなりますが……。
刀身との比率を鑑みるに、やはりそれは『剣』になるのでしょう。
《山を剣で掘削しているようなものなら、山を両断できる大きさの剣を用意すればいい。うむ、じつにいんてりじぇんすだ》
いまだ流れる血で柄を赤く汚しながら、リシュさんが大きく振りかぶりました。その華奢な身体は自らの内から迸る力でぎしぎしと撓んでいます。
地平線をがりがりと削りながら放たれる薙ぎ払いに、いかなる対処法がありましょうか。
その刀身は縮んでなお私の胴を真一文字に通り抜けていきました。
「Noooooo!?」
あっ、今タイキシャトルさんの悲鳴も聞こえましたね!
追加捕食! ×【優等生×バクシン=大勝利ッ】
追加捕食! ×【ヴィクトリーショット!】
収斂消化 =【勝利に向かって紅色の驀進全霊ッ!!】
青空の荒野も、桜の世界も、千々に乱れて掻き消えてここは中山レース場の最後の直線。
私を包んでいた全能感が剥ぎ取られ、思わず身震いしてしまいそうになります。
「バクシン」
リシュさんの声が聞こえました。
先ほどまでの奇妙な反響の無い、いつも通りの魂経由。
いえ、いつも通りというと語弊があるかもしれませんね! ここまで気迫に満ちたリシュさんの声は聞いたことがありません。
「
彼女が一歩踏み込むたびに落雷が如き轟音、足元の芝が爆散していきます!
なんということでしょう!! これは掛かって……いえ、そういうことですか。
効率を捨てましたね?
普段の足音の無い走り。あれは確かに芸術的なまでに無駄を省いた走法。しかし、トップスピードを出すのに本当に足音が発生しないことなどありうるのでしょうか?
もちろんレースとはただ全力で踏み込めば速度が出るような単純なものではありません。初心者が体感的に全力を振り絞った際のフォームと、正しいフォームは異なります。たとえ慣れるまでは不自然でぎこちなく感じようと、どんな種目においても正しいフォームの方が強いパフォーマンスを長く発揮できるもの。すなわちバクシンですね。
ただ、瞬間的な最大出力に限って言うのであれば。初心者の考えるそれと模範解答が一致することもありえるのです。つまりはバクシンです。
ただ力むことしかできない無様とも言える踏み込み。脚には尋常ではない負荷が掛かり、スタミナ配分の欠片も無いためすぐにバテてしまう無駄だらけの走り。
「
それこそが今の彼女の全力全開。ただ速度の一点のみを追求したラストスパート! これがリシュさんのバクシン!!
『後ろは大きく離された! 前三人の熾烈なデッドヒートが繰り広げられる!』
『テンプレオリシュが逃げ切るか、サクラバクシンオーが交わすか、それともタイキシャトルが巻き返すのか。ここから二十秒間は瞬き厳禁ですね』
まるで花吹雪のように芝が地面ごと砕け散っていきます。
妨害? いえいえ、リシュさんはただ全力で走っているだけなのは誰の目にも一目瞭然でしょう。彼女に限らず、蹴り上げられベロリと剥がれた芝が後続に当たってしまうのは稀にある事故ですから。私なら避けられますが!
だから仮に、今日また事故が起きたとしても。それはリシュさんの全力疾走に耐えられないほど脆いレース場と、避けられなかった後続が至らなかっただけと言えましょう。
『一番テンプレオリシュ粘る! 十五番サクラバクシンオーじりじり詰めていく! 最後は二人の鍔迫り合いか!?』
『十三番タイキシャトルも素晴らしい速さです。しかし、だからこそ。彼女を置き去りに大地を踏み砕いて走るテンプレオリシュと、それすら凌駕するサクラバクシンオーの速度には寒気すら覚えますね』
完全に制御下に置いた普段の走法を放棄し、ゼロか百かしか選べない未熟な全力をこの場で切り札とした勇気。自らの限界になりふり構わず挑戦するその姿勢。たいへん素晴らしい。レース中ではありますが再び花丸をさしあげます、マルッ!
しかし、その上であえて申し上げましょう。
最速は私であると。
咲いた桜は散るがさだめ。しかし、来年もその次の年もサクラは咲くのです。
一度散ったのであればもう一度咲かせましょう。何度でも咲き誇りましょう。より鮮やかに!
リシュさんがいまこの瞬間に限界を越えようというのに、なぜ私がのうのうとこれまでの己に甘んじることが許されましょうか。一秒前の自分だって追い越してみせますとも!!
だって私は学級委員長ですからっ!!
「ハーッハッハッハッハ! いざっ、バックシーンッ!!」
胸の内より湧き出るぬくもりに綻んでいく空気。鮮やかな桜色に染まる秋口の曇天。
スピードの極致を体現した私の世界。
それはバクシン以外の何物でもありえません!
「バクちゃん先輩はひとりなのに強いね。でも」
すっと青い瞳と目が合った気がしました。
領域具現――
こつん、と額に軽い衝撃。
それは投石というのも烏滸がましい、砂粒の延長線上のような小さな小さな石の衝突。
「今日のところは私たちの方が石ころ一つ分、強かったみたい」
その一石で生じた刹那があまりにも決定的でした。
桜の花が、開ききらない――
『一番テンプレオリシュ! 十五番サクラバクシンオー! もつれ込むようにゴールッ!! どっちだ!? 最速の栄冠はどちらの手に!?』
『掲示板には写真判定の表示。体勢的にはテンプレオリシュが有利にも見えましたが果たして……』
U U U
「まじかよ……」
中山レース場、観客席。
ウオッカは今まさに目の当たりにした現実を前に呆然とこぼす。
レース後半ではほとんど絶叫していた実況然り、この場にいる誰もが『最速』を形にした今年のスプリンターズステークスに熱狂していた。まだ写真判定の真っ最中で着順が確定していないこともあり、余韻というには熱すぎるざわめきがそこかしこを渦巻いている。
ウオッカ自身、感じるものが無かったわけではない。ウマ娘として、レースに携わる者として、あまりにも大きいレースだった。
しかしそれを差し置いてもなお、最優先で処理しなければならないものが彼女にはあっただけの話。
「リシュのやつ……本当にこれまで
本気ではあったのだろう。少なくともリシュと走ったレースのうち、彼女がレースを侮っていると感じた経験はウオッカには一度として存在しない。
だが目の前の事実は事実として受け止めなければならず、それは一人のウマ娘として痛みを伴うものだった。
「油断や慢心からではないはずだよ」
夏合宿の際、彼女の走りと足跡を観察することでその事実を推察した彼女の担当トレーナーが淡々と諭す。
中央のトレーナーというのは前提としてあらゆる能力に秀でたエリート揃いではあるが、そのまんべんなく高水準なスペックの中でも得意不得意が存在している。
ゴルシTと呼ばれる彼の得意分野と目されているのは『故障の防止』。
彼が監修するチーム〈キャロッツ〉のウマ娘はアオハル杯が開催されてからこの一年半、レースに支障が出るレベルの怪我を負った者がいない。これはレース業界全体を鑑みるに、もはや偉業というより異常といった方が的確な手腕だ。
異常は異常を知る。
夏合宿中のゴルシTとリシュの組み合わせは、それはもう傍目には奇妙なものだった。
トレーナーとウマ娘がトレーニングをしている光景と聞いて、どんなものを思い浮かべるだろうか。
せっせと汗を流しながらメニューを熟すウマ娘に、後方からメガホンで適宜指示を飛ばすトレーナー。一般的にはそんな感じだろうか。
そしてそんな普通の範疇に収まりきることができないから異常は異常なのだ。
彼と彼女の間に会話らしい会話はほとんど無かった。ゴルシTはリシュのウマ娘離れした能力にフィットした独創的なトレーニングを考案する。リシュはゴルシTの指示に従ってさえいれば故障はしないと全面的に信頼し、出された課題を完璧にクリアする。
一回メニューを組んでしまえば両者の間に適宜修正しなければならない箇所など無いのだ。まさに以心伝心、人バ一体。結果として一番トレーニングを効果的に消化しているリシュが一番放置されているようにも見えたのは何の皮肉だろうか。
至らない部分がどうしても出てくる常識的なウマ娘であるウオッカとしては、やっぱり至らない部分が適宜出てくる桐生院トレーナーと共にぐぬぬと嫉妬を飲み下したものである。
そんな彼が夏合宿後、担当のウマ娘たちにこう告げたのだ。
テンプレオリシュの脚力の上限があまりにも不透明過ぎる。もしかすると彼女はこれまでのレース、一度として全力疾走をしたことがないのではなかろうか、と。
まさかと鼻で笑えたら、どれほど楽だっただろう。
「ほら、ここから見えるだろう?」
グリーンの絨毯の上を、ココアがなみなみと注がれたコップを持った幼児が小走りで通り過ぎたような惨状。すなわち短いことで有名な中山の最終直線の今の姿である。
ウマ娘の脚力で芝が剥げること自体はさほど珍しいことではない。最終レース終了後はどこのレース場も芝があちこち剥がれて穴だらけ。一昔前なら『まるでダート』と揶揄されるほど芝の状態がひどいこともあったらしい。
だがあれほどの広範囲が断続的に砕け散るなど聞いたことが無い。
それを成した側もしっかり被害が出ている。
普段はレースが終われば数分もしないうちに平然と呼吸を整えているイメージのあるリシュだが、今は全身から汗をぽたぽたと滴らせながら肩で息をしている。頭の重ささえ今は耐えがたいとばかりに膝に手をつき、地面と平行になった背中からは陽炎のように空気が揺らいでいた。
九月後半。暦の上では秋だが、今年は夏が立ち去るタイミングを見失ったかのように残暑が猛威をふるっている。彼女の体温は今どれほどの高温になっているのだろうか。
満身創痍を体現したそれらの中でもひときわ印象的なのが、彼女のブーツ。
勝負服というのは一般常識と物理法則から逸脱したウマ娘要素の代表的な存在だ。誰がどう考えても走りにくそうな出で立ちであったとしても、誰がどう見ても冬には凍えそうな露出であったとしても。それが勝負服として完成しているのであれば、ウマ娘は快適に走ることができる。他のどんなスポーツ科学的に洗練された衣装よりも速く。
折れそうなピンヒールだろうと。足首をガチガチに固めたブーツだろうと。何なら
明らかにスポーツシューズで走った方がよさそうなのに、ウマソウルの不思議パワーが何やらいい感じに作用しているとかで、勝負服の方が好タイムを出せる。
そんなふんわりした理論で納得できるかと。もっと何か厳密なロジックが発見できるはずだと。その理論を応用すれば人類はさらに躍進できるはずだと。これまで幾人もの研究者が熱意の炎を目に灯してこの問題へ挑戦し、そして死んだ目でこの結論に帰結した。
ちなみに余談だが、蹄鉄は勝負服とは別のカテゴリらしくわりと壊れるし落鉄も発生する。いったいこの違いは何なのかと研究者たちの目はますます濁る。
そんな数多の研究者の心をへし折ってきたふんわり強固な不思議パワーに保護されているはずの武骨なブーツは、内側から破裂したかのように半壊していた。
もちろん勝負服が壊れないわけではない。壊れないわけではないが、それはウマ娘を取り巻く不思議パワーの供給が途絶えた状態、すなわちウマ娘の故障に連動するかたちで発生するものだ。
リシュが怪我をしたのならゴルシTは呑気に観客席で観察を続けていないという確信がウオッカにはある。である以上、あの惨状は不思議パワーの保護をそのままに、その許容量を凌駕した結果としてああなったのだろう。
「アイツは全力を出すと、自分も世界もまとめて踏み砕いちまうってことか……」
ヨシ! なんかカッケェことが言えたぞ、とウオッカのテンションが少し上がった。
「うん、そうだね。ウマ娘は稀に限界を超える。レース中ライバルとの激闘で、ファンの声援で、生物が安全のため設定したリミッターを自ら解除してしまう。それが故障に繋がるわけだけど……。
彼女の場合はそうじゃない。リミッターを解除したから故障するわけじゃない。むしろその逆だ。単純に脚力が強すぎる。身体の耐久性能を超過している。だから、普段は意識という名のリミッターを重ね掛けしている状態と言えるだろう」
普段のあの足音が出ないほど洗練された走りは鋭すぎる刀身が持ち主を傷つけないよう、保護する鞘でもあったわけだ。
……うん、いやその理屈でいくと俺は鞘に収まったままの、抜かれもしてない剣にぶっ叩かれて負けたことにならねえか? と、気づいたウオッカはその脳裏によぎった例えを口に出さないことにした。
「いやはや、彼女に走りの基礎を仕込んだ指導者には是非とも一度お話を伺ってみたいものだね」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き回しながらゴルシTは感嘆する。
ウマ娘に全力で走るなと諭したところで、いったいどんな条件が揃えば聞き入れてもらえるのだろうか。彼には見当もつかない。
ウマ娘にとって走るというのは本能だ。人間の三大欲求に並ぶとまでは言わないが、次ぐと言っていいくらいには大きな欲求であり、快楽である。
目の前に山盛りの料理があるのに、腹八分どころか六分に留めておけと言われて素直に頷けるだろうか? 特に予定があるわけでもないのに、一日の睡眠時間は五時間までと制限され納得できるだろうか?
それも一日や二日といった限られた期間ではない。あの生物として歪とさえ言える身体能力のバランスは、おそらく生来のものであるとゴルシTは見ている。
生まれついてから今日にいたるまで、それをテンプレオリシュは愚直に守り続けてきたのだ。
その指導の源はどれだけ座学の成績が良かろうと、決して手に入らないもの。
「本能すら凌駕する信頼。魂の底から信じ抜かれる関係性。その構築に成功したという一点だけで、中央のあらゆるトレーナーは彼ないし彼女の後塵を拝すると言っても過言ではない。そう思うよ」
「そーかぁ? アタシたちのトレーナーだって負けたもんじゃねえとアタシは思うんだがなあ」
ひょっこり後ろから現れ、彼の肩に首を乗せながら宣うは葦毛の奇行種。その言葉に彼は軽く目を見開くと、再びぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。照れ隠しである。
一度目を閉じ、ゆっくり息を吸って、吐く。
目を開けたとき、そこにいたのは敵を賞賛しながら途方に暮れる男ではなく、中央にその人ありと畏怖されたゴルシTと呼ばれる超一流のトレーナーだった。
「うん、ありがとうゴールドシップ」
「おうよ。なんなら勝っちまおうぜ、相棒」
「そうだね。ようやく彼女の上限が知れたんだ」
情報を精査する。
幸いと言うべきか、相手はかのサクラバクシンオー。出し惜しみして勝利をもぎ取れるウマ娘ではなく、現状でテンプレオリシュが持つ手札はそのほとんどが詳らかにされていた。
「できないことをできないままにしてくれるような易しい相手ではないとわかっていたけど……やはり『表側』はどちらもできるようになっているのか」
まず着目するべきはそこだろうか。
いつかスカーレットが語ってくれたテンプレオリシュの二つのスタイル、別人のような脚質の違い。格下を圧倒するスペックごり押しの逃げ・追い込みと、観察に秀でた先行・差し。
だが今回のテンプレオリシュは、サクラバクシンオーやタイキシャトルといった先輩格を相手に最初から最後まで逃げ切った。
ジャパンダートダービーの頃から兆候はあったが、先行・差しの緩急自在なスタイルのまま逃げ・追い込みもできるようになっていると断定してもよいだろう。
「あん? 『表側』はどちらも、って何がだ?」
「あー……すまないウオッカ。いずれ適切なタイミングで話すよ。別に出し惜しみしているわけじゃないってことは理解してくれると嬉しい」
「なんじゃそりゃ。ま、トレーナーがそう言うならそんときまで待つけどよぉ」
素直に引き下がってくれたウオッカに軽く会釈し、改めて感謝を示す。情報を小出しにして担当ウマ娘に不利益を生じさせるなど、トレーナーとしてはあるまじき態度かもしれない。だが、なにせ場合によっては非常にデリケートな問題である。
テンプレオリシュが桐生院トレーナーの担当ウマ娘になって一年以上。仮にアレが精神疾患に起因するものだったとしても、その原因となる存在は既に除外されているはず。そう信じられる程度にゴルシTはあの生真面目でウマ娘想いの同期の手腕を評価していた。
ただ、心の傷は身体の傷と違って全治何か月という明確な目安が存在しない。外見からどの程度癒えているのか判別することも困難だ。
ウマソウル由来の特性ならそれでよし。
だがそうでないのなら、迂闊に突っ込めば癒えかけの傷口に指をねじ込むような事態になりかねない。己を『ウマ娘を勝たせるトレーナーである前に、思春期の少女を導くひとりの大人である』と定義するゴルシTにとって、優先順位は明確だった。
この情報を少女たちに告げるのは先に何らかのルートで裏付けを取ってからだ。もっとも、幾人かは既に自力で勘付いている節があるが。
「そして全力を出せる現状の限界は、およそ十歩と」
足跡が芝の上にくっきり(婉曲な表現)と残っているため、とてもわかりやすい。
夏合宿を経てチーム〈キャロッツ〉と〈パンスペルミア〉のウマ娘たちの身体能力は大幅に向上した。それはスピードやパワーといった表層的な出力のみならず、耐久性能といった面も含めてだ。
中央に所属するトレーナーとして、自チーム相手チーム問わずゴルシTは全力で監修した。それがこれから中央という魔境を戦い抜くために必要不可欠だと思ったからだ。
たとえ仮想敵となりうる相手に自陣の情報がある程度漏洩したとしても、そのリスクを看過した上で担当ウマ娘たちの実力の底上げを優先させるべきだと判断した。
シニア級という層はそれだけ広く、深い。伝説だろうと化物だろうとただ目立つ一人を徹底的にマークしていれば万事解決というものではない。あっさりと伏兵に足をすくわれることになるだろう。そもそもシニア級まで走り続けた時点で『伏兵』と呼ばれる彼女たちも、中央という魔境の『生き残り』なのだから。
桐生院トレーナーも同意見だった。ライバルである彼女と手を組んだだけの成果は出せた、とゴルシTは自負している。
「その上でようやく許容された全力疾走が、たったの十歩なのか。なるほど。これは夏合宿前の状態ではろくに全力を出すこともできないだろう。ふむ……」
芝を爆散させているのは無駄があるからだ。脚力にコントロールが追いついておらず百かゼロの極端な出力しかできていない。
だがいずれ身体能力が向上し耐久性能が追い付けば、全力疾走してもなお音の出ない繊細なコントロールを維持することが可能になるとゴルシTの脳は演算する。
しかしそんな天を仰ぎたくなるような未来予想図が完成するのは、今ではない。
シニア級の春。それが彼の脳内に描かれた、テンプレオリシュの耐久性能の成長曲線が脚力に追いつく座標だった。
つまりウオッカでもゴールドシップでもない彼の担当ウマ娘が見据えている年末のグランプリの時点では、テンプレオリシュはいまだ未完成。
ゴルシTの脳内にもうひとつグラフが描かれる。こちらは熟知したデータを参照にしているため精度も構築速度も段違いだ。
「――うん、勝てるよスカーレット」
呼びかけられた少女は何も答えなかった。
ただ黙ったまま、ターフの上で息絶え絶えに笑っている銀ピカの腐れ縁を見つめ続けていた。
ゴルシTの声が契機になったわけでもないだろうが。写真判定が終わり、掲示板が確定する。
一着にはテンプレオリシュの名前が燦然と輝いていた。
『順位が確定いたしました。一着は一番テンプレオリシュ、一番テンプレオリシュです! スプリントの絶対王者サクラバクシンオー、ハナ差の二着となりましたッ!!』
この場の四人はだいたい察していた。きっとターフの上の主演たちもわかっていたことだった。
だが、中山レース場にいる大多数はそうではない。彼らはこの瞬間まで自分の見たいものだけを見てきたのだから。
地響きのようなどよめきが観客席を揺らす。それでも紅の少女は静かなままだった。
『彼女たちが競い合ってスプリントの歴史が変わらないわけがなかった。昨年のサクラバクシンオーの記録を塗り替え、約束されたレコード更新ですっ!』
悲鳴と歓声が混ざり合い、もはや怒号としか形容できない音の津波が観客席を襲う。
それでもなお静寂を保つルームメイトにウオッカはそろそろ心配になってきた。この直情型のライバルは日本ダービーの観客席において震えながら悔し涙まで流したと聞く。
それが今はどうだ。あれほどの光景、いっそグロ画像と揶揄したくなるほど一周回って滑稽さすら漂う異次元の力の衝突を目の当たりにして、何故ここまでコイツは静かなんだと。
『“銀の魔王”が“驀進王”を打ち破り、まさかのGⅠ六連勝。このままクラシック三冠目の菊花賞を制することができれば、かの“皇帝”シンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝。さらには全距離GⅠ制覇という前代未聞の大記録を達成することになりますね』
『無敗のクラシック三冠という偉業がかすむ、信じがたい事態が発生しかねません……我々は新たな神話が紡がれるのを目の当たりにしているのか』
不定期なまばたきが無ければ、目を開けたまま気絶しているのではないかとさえ思う。
ただ、そんな心配を素直に表に出すにはウオッカは思春期真っただ中に過ぎた。
「おいおいスカーレット、腰でも抜か――」
「……似てる」
叩こうとした憎まれ口がスカーレットの言葉と重なりかけたため、慌てて飲み込む。喉の奥が変な鳴り方をした。
だがその甲斐あってこの怒号の嵐の中、ささやくような音量でぽつりとつぶやかれた彼女の独白を邪魔することなく何とか聞き取ることができたのだった。
「あれは
「…………お、おう」
トレーナーも同期も思わせぶりなことばかり言いやがって。
ズルいぞ、俺も何かそれっぽいこと言いてえ。
ウオッカはやるせなさを噛みしめた。
固有スキル【
>> Lv2『
自身の所持スキル(固有スキルを含む)発動時に追加で発動。
習得済みの任意のスキル(固有スキルを含む)を組み合わせ、即興で新たなスキルを作成する。
レベル1の性能はある程度踏襲しており、この状態で他者の固有スキルを捕食することもできる。捕食能力そのものはレベル1の頃より上昇しているが、この状態で捕食したスキルはそのまま即興スキルに組み込まれてしまいストックにはならない。
作成したスキルはレース後に消滅し、組み合わせる前のスキルに戻る。
テンプレオリシュの固有スキルが順当なレベルアップなどするはずが無かった。
まさかのレベルアップごとに新スキル獲得。状況に合わせて各スキルを使い分けていく模様。
なお、『