「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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天高く…

 

 

U U U

 

 

 お腹が空くんだよ。

 

 本日の昼食はお蕎麦。

 その道に詳しい人間イチオシの店だけあってとても美味しい。

 変な表現だが、蕎麦の味と香りがする。

 こう言うとまるでこれまで食べてきたお蕎麦が偽物で、今食べているものこそが本物のお蕎麦だと見下しているような感じがなんとなく嫌なのだけど。でも本当に美味しい。

 

《多くの人間の口にできるだけ安価で届くように用意された大量生産品の蕎麦が悪いものとは思わないけど……まあ蕎麦湯が飲める蕎麦屋ってだけで『おー、ここはしっかりした蕎麦屋なんだな』って思っちゃう庶民だからなぁ、ぼくらって》

 

 うっかり油断すると一杯目のときみたいに麺だけが先になくなりそうなので意識して箸を止め、目標をエビのてんぷらに移す。

 サクサクという衣の歯ごたえと口の中に広がるエビの甘味。うん、美味しい。蕎麦ほどこれまで食べてきたものとの違いがわかるわけじゃないけど、蕎麦がとても美味しいのでこのてんぷらもかなり上等なものに思える。だったらそれでいいだろう。

 ついでに器を持ち上げて温かいおつゆも一口。うんうん、あったまるね。十月に入ると肌寒く感じる日も増えたから。

 

「ははっ、いい食べっぷりだな! 案内した甲斐があったよ」

 

 三杯目になりようやく食べる勢いが落ち着くまで待ってくれていたのだろうか。

 だとするなら熱血と根性で埋まっている言動の第一印象に反し、意外と気遣いのできる人間なのかもしれない。そう思い返してみれば彼女の目は常に一定の温度を保っていた気もする。

 今もその目のまま楽し気に話しかけてきた相手に返答するため、もきゅもきゅとお蕎麦を咀嚼。口にものを詰め込んだままお喋りするなんて非常にお行儀が悪いからだ。

 ごくんと呑み込んで、さて何というべきか。

 

「学園から徒歩圏内にこんないい店があるとは知らなかったよ。ありがと、ビターグラッセ」

 

 それもウマ娘基準ではなくヒトミミ基準の徒歩圏内だ。

 全国チェーン店に慣れた庶民の感覚からするとお値段はそれなりだが、学生の財布では太刀打ちできない高級店というほどでもない。品質から考えると破格。曰く、蕎麦は大衆の食であってこそという店主のこだわりらしい。

 本当にいい店だ。今度、桐生院トレーナーや〈パンスペルミア〉のみんなと一緒に改めて訪れるのもいいかもしれない。

 

「あはは、別に一見さんお断りの店ってわけじゃない。ここを好きになってくれるウマ娘が増えてくれるなら私も嬉しいよ」

 

 ちなみに言葉はしれっとテンちゃんが代弁してくれた模様。

 まあテンちゃんの知り合いだしね。

 私はどうしてビターグラッセにリトルココン、他数名含むのチーム〈ファースト〉の面々と一緒に食事する羽目になっているのかいまだによく理解していないよ。

 デュオペルテ先輩やアジサイゲッコウ先輩あたりは何となく気まずそうにも見える。まあ、このお二人は先月のスプリンターズSで私と走ったというのも大きいだろうが。

 ちなみにお二人とも戦果は芳しくなかった模様。チーム〈ファースト〉は確かにアオハル杯において今のところ頂点だが、チーム戦のスペシャリスト程度では“驀進王”や“最強マイラー”相手は荷が重かろうよ。

 

《“銀の魔王”もね》

 

 ……いよいよ私の代名詞として定着しつつあるよね、その称号。

 

 

 

 

 

 終わった後に言うのもなんだが。スプリンターズステークスは私のローテーションの中でも、ひときわ浮いた存在だったように思う。

 もともと三冠路線にNHKマイルCを経由する程度ならともかく、ジャパンダートダービーまで足を延ばした時点で常識何それ美味しいの的な話ではあるのだけど。

 何故このタイミングなのかと。

 多くの人から婉曲的に問われたし、何なら無作法なマスコミあたりは直接的に突っ込んできたこともある。

 無敗の三冠。たぶん私の想定しているそれの価値と、周囲が抱く憧憬とのギャップは根深いものなのだろう。

 ハッキリ言ってバクちゃん先輩相手に1200mは敗色濃厚だった。それは間違いない。

 でもきっと、テンちゃんがクラシック級のローテにスプリンターズSを組み込んだのはそれこそを求めていたのだろう。

 壁を越えなければ確実に負けるという窮地に自らを追い込んだ甲斐あって、得られたものは大きかったし多かった。

 

《たまに格闘マンガとかで『一生に一回しか使えない』とか『使ったら反動で死ぬ』とかいう技があるけどさ、あれってもう技じゃなくて超能力のたぐいだよねー》

 

 いつだったか、テンちゃんがそう言っていたことがある。

 

《だって練習できないし、お手本だって見せられないし。師匠から弟子への伝授はどうやるんだって話。仮に死なない程度に分割して練習するにしても、それを見せてお手本とするにしてもさ。今度は一度も使ったことのない技をぶっつけ本番で、しかも命懸けで使うことになるんだぞ。プレッシャー半端ないって。

 仮にぼくが命を懸けるなら、何度も練習して呼吸と同じくらい習熟した技の方がいいね。どれだけ強力な技だろうと通しで練習できないことをぶっつけ本番でやりたくないよ》

 

 これは私たちに共通するスタンスだ。スリルやストレスよりも安定を好む。

 だけど、どうしたって練習では得られないものはあるらしい。こと【領域】関連ではその傾向が顕著だ。

 屍を積み重ねてたどり着いた舞台で伸るか反るかの大勝負。そんな経験をして初めて見えてくる境地がある。困ったことにそう実感してしまった。

 あるいは【領域】というのは異世界の歴史に由来するものであるらしいから、勝負の舞台がどこかの重賞であって初めて成長の条件を満たすなんてこともあるのかもしれない。

 

 はあー。見ている方は無責任に盛り上がれるのかもしれないけどさ。

 あんな心身ともに不健康なレースしていたらいつか絶対にどこか壊れるからね? トゥインクル・シリーズで引退までに故障を経験しないウマ娘の方が少数派って事実を身に染みて理解したよ。みんないつもあんなことしているのか。納得。

 

 できることならあんな勝負、最初で最後であってほしいものだけど。

 たぶん無理なんだろうなという嫌な確信がある。

 だから積み重ねるしかないのだ。壊れたくないのなら。逃げる気も無いのなら。奇跡の対価は往々にして前払い。支払いきれるだけの貯蓄を事前に蓄えておくほかない。

 今回のレースであれだけの無茶をして、ぎりぎり私の身体が故障一つなく保ってくれたように。

 ブーツは半壊したけどね。

 

 

 

 

 

 私の勝負服のデザインが少しばかり変更されたことは、間違いなくあのレースで生じた変化の一つだろう。

 レース終盤の全力疾走で落鉄しなかったのはただの幸運だ。こと安全面に関わる問題なので各所の動きは非常に速やかだった。

 私の両足を覆っていた武骨なブーツは、さらに頑強さを追求したグリーブにレベルアップ。何故かセットで両手にガントレットも追加である。

 ……いや、足はわかるけど。なんで手の装備まで変更されるんだ?

 

《ウマ娘の勝負服だからでしょ》

 

 不思議だね、勝負服。両手両足をあわせて『脚』カウントなのだろうか。

 

 まあその影響でこれまで両手を飾っていたシルバーや包帯はオミットされ、私の勝負服はやや左右対称(シンメトリー)に近づいた。

 安全面を優先したわけだから純粋な性能は二の次だったわけで、どうしても重くなったように感じる。ただ安全性が向上した結果これまでより遠慮なく踏み込めるようになったので、差し引きでトップスピードは変わらない。

 しかし、スタミナの消耗は確実に増した。次走が菊花賞という初のGⅠ長距離3000mの私にとってはあまりありがたくない調整だったかな。

 

 この調整は、言ってしまえばあくまで一時しのぎだ。私の身体が成長しきって、私の全力を私の制御下に置くまでの時間が稼げればそれでいい。

 勝負服の調整が終わった後、顔見知りへお披露目したらウオッカが崩れ落ちた。

 どうやら『制御できない膨大な力を封印する装甲』とか『暫定的な処置』とかが彼女の中の少年心にダイレクトヒットしたようである。

 ……すこし気持ちがわかってしまう自分が怖い。

 

 実は勝負服の新調という案もあったが、そちらは丁重にお断りさせていただいた。

 勝負服の入手というのはウマ娘にとっての名誉。本来は『GⅠ初出走』や『年度代表ウマ娘への選出』、あるいは勝負服を自作できるほどの経済力と社会的地位を持つ『ファンからのプレゼント』などなど、一大イベントがあって初めて用意される強い想いの結晶。

 私の場合は『安全面の不足』という必要に駆られ今の勝負服から変更が必要になったわけだが、必要になったからという理由で新規に一着用意されるのは何か違うと感じたのだ。

 私がトゥインクル・シリーズを走る他のウマ娘たちと熱を完全に共有できているわけではないからこそ、迂闊に彼女たちの想いを汚すような真似はしたくないと思っている。

 それにウマ娘の全力に耐えうる耐久性が求められるのはもちろんのこと、オカルト面での役割も大きい勝負服はその作成に何だかんだ金も手間もかかる。今の状態に最適化して作成された勝負服は、来年の春には着れなくなっているだろう。

 それはあまりにもったいない。今年あと走る予定のレースはせいぜい二~三つなのだから。平均的なウマ娘が勝負服を着て走る機会が何度あるのかという点は、さておいて。

 だったら今年は現状の勝負服の改造で対応して、年度代表ウマ娘への選出で得られる勝負服を育ちきった身体に合わせたデザインにする方がずっと効率的でしっくりくるというものだ。

 個人的な感情としても。デザインにいろいろ思うところが無いわけじゃない今の勝負服ではあるけれど、何だかんだここまで一緒に数々の激闘を潜り抜けてきた相棒。クラシック級の残りもできるならコイツと一緒に走り抜きたい。

 

 え、年度代表ウマ娘を取ること前提なのかって?

 この調子で残りも予定通り勝ち続けたら今年度は私以上の適任いないでしょ。逆に私以外の誰かが選ばれたのなら、その子の精神的負荷がヤバいレベルのはず。

 強いて言えば無敗のトリプルティアラを成し遂げたスカーレットが有記念で私を打ち破ればワンチャンあるくらいだろうか。

 うぬぼれや慢心みたいで日本人的感性がすごく居心地の悪さを主張するけどさ。でも負ける気が無い以上は視野に入れておくべき項目であるはず……だよね?

 

《だね!》

 

 よし、自己肯定感に満たされたところで次にいくか。

 

 

 

 

 

 今思い出しても身体が震える中山レース場の1200m。

 私が勝てたのは様々な要因が重なった結果だが、最大の要因は【領域】の覚醒だろう。

 【領域】ひとつで勝負が決まるほどレースは単純ではない。だが、勝利と敗北の間に立ち塞がっていた壁を破壊する決定打になったのはやはりあれだと思う。

 

 中央に来てからというもの、【領域】を使わざるを得ない状況は地元で走っていた頃とは比較にならないほど増えた。

 テンちゃんの負担が増えるのはあまりいい気分ではないが、使えば使うだけ上達するのが能力というものだ。だから【領域】の扱いもどんどん習熟していたわけで、テンちゃんが条件を揃えてレベルアップうんぬん言っていたのも実のところあまりピンときていなかった。

 

 世界が変わるとはあのことか。

 今まで空転していた巨大な歯車がガッチリ噛み合い、これまで止まっていた何かが音を立てて動き始めたような感覚。

 多少【領域】を使い慣れた程度とは一線を画した変化を自覚した。なるほど、あれは無敗という商品価値に瑕がつくリスクを呑み込んででも追い求めるに値するだろう。

 

《『無敗』は結果であって目標じゃない。だって本当に無敗を目指すのなら明確に自分より弱い相手としか戦えなくなるだろ?

 周囲が勝手に騒ぐ分にはどうぞご勝手にって感じだけど、それにぼくらまで振り回されるのはバカらしーぜ》

 

 ふざけたテンションを維持したままわりと真面目なことを言う、いつも通りの相棒である。

 そうだね、勝つ気も無いのに出走するわけがないんだから。

 勝つも負けるもただの結果だ。他者が賞賛するからといって無敗も三冠もしょせんはただの言葉。拘泥する必要は無いだろう。要はこれからも私が強くあり続ければいいだけの話だ。

 

《レベルアップして【十束剣(トツカノツルギ)】も使えるようになったからな! 山だろうが海だろうが空だろうがドンドンぶった斬ってやろうぜ!》

 

 ……レベル1だと英語とドイツ語だったのに、レベル2で日本神話って私の【領域】節操無さ過ぎじゃない? とは思うけどね。

 だいたい、『十束剣(トツカノツルギ)』ってヤマタノオロチを討伐したスサノオの剣の逸話が有名だけど。実は十束(トツカ)って長さの単位じゃなかったっけ。握りこぶし十個分の幅があるという意味で、剣の固有名詞というよりは長剣というカテゴライズに近い。

 大仰に聞こえる名に相反し、実のところ無銘と大差ない。それでいいのか私の【領域】。

 

 実はあのときの世界が鮮明になったような感覚は今でもずっと続いていて、食欲の増大もその一環だ。

 知覚過敏、とはやや異なるか。まるで五感、というよりもっと奥の方を覆っていた不透明な覆いが取り払われたような感じ? これまでに憶えのない経験なので具体的にどう喩えたらいいのかちょっとわからない。

 鮮やかに世界を感じられるようになったのはきっと悪いことではないのだろうけど、世界というのは良いものばかりで構成されているわけでもない。

 疲労や苦痛、飽きや嫌気といったものもこれまで以上に感じられるようになってしまって少し困ってる。これまで『どうしてあの子たちは必要なことを理解した上で取り組まなかったり、あるいは途中で投げ捨てたりしてしまうのだろう』と不思議だったが、ああなるほどねーと腑に落ちる思いだ。

 そういう意味では他者への共感性や理解が増したということで、マイナス面ばかりというわけではないのか。トレーニングへの辟易も意志で克服できる程度のものでしかないわけだし。

 

 ただ、掛かりやすくなった。

 これは明確に弱点だ。しかも次走の菊花賞、各方面から私の対抗バと目されているマヤノは物事を直感的に見抜く嗅覚において私よりも上だったりする。

 このままでは確実に狙い撃ちしてくることだろう。うーん、どうしたものか。

 

 新たに覚醒した私の【領域】はバクちゃん先輩を一刀両断できるほどに強力だが、格上殺し(ジャイアントキリング)を前提にした性能ゆえか燃費が悪いのも頭の痛い問題だ。

 スプリンターズSを完走した直後テンちゃんが脳内でばったり倒れて、そのまま丸二日も眠り続けていたほどなのだから。ウイニングライブは私ひとりで疲労と孤独に耐えながら踊りきったのである。笑顔を崩さなかったのは慣れとプロ根性。表情筋の動きも振り付けの一環として身体に沁み込ませているウマ娘はわりと多い。

 というか、私もだけどさ。レースで全力疾走した後のウマ娘がよく同日にライブをこなせるよね。あそこまで消耗したのにいざライブ直前となると、観客の声援と共に不思議と気力と体力が湧き出たものだ。

 ライブの練習時に『応援してくれたみんなに感謝を返したい』とモチベーションを語るウマ娘を一度ならず見かけたけども。意外と私にもそんな殊勝な情緒があったのだろうか。

 

《ウイニングライブはたぶん過剰摂取した“願い”の調律を兼ねているんだと思うぞ》

 

 ひょっこり出てくるテンちゃんのふんわり知恵袋である。

 

《“願い”が『あちら側』から『こちら側』への一方通行ではなく、『こちら側』から『こちら側』へも適用されるのだとしたら。

 最もその密度が高まるのはレース中だ。観客席およびその放映の視聴者から膨大な圧力でダイレクトに流れ込んでいるものと予想される》

 

 詳しい理屈を理解したわけじゃないけど、私たちはその圧力を利用して壁をひとつ突破したみたいだしね。

 

《どんなものであれ度が過ぎれば害になる。だからその害になりうる余剰分をレース後、歌と舞のかたちにして散らしているんじゃないかな。

 レース後にライブができるだけの余力を残していたわけじゃなくて、文字通りその体力は『湧いて出た』んだ。余剰分の“願い”を変換したことによってね》

 

 ふむ、あちらとかこちらとかよくわからん要素はあったものの。

 走った後に肉体をクールダウンするように、ウイニングライブはウマソウル面でのオカルト的クールダウンってことかな。

 その真偽を確かめる術はなさそうだが、私たちがライブ一本分余力を残した走りしかできていないと考えるよりかはずっと素直に頷ける話だ。だったらそれでいいや。

 

 まあテンちゃんが眠り続けた二日間のうち、たぶん純粋に機能停止していたのは最初の一日だけだろう。だって途中で一回起きてきたし。

 その後に二度寝しやがったけどね。そのまま追加で一日爆睡。まるで責任者に抜擢されていた一大プロジェクトがようやく軌道に乗り、打ち上げした翌朝休日の社会人みたく心底気持ちよさそうに寝ていたものだから起こすに起こせなかった。

 レース中にテンちゃんが奮闘していてくれたことは事実だけど、バクちゃん先輩というかつてない難敵に立ち向かったのは私も同じなんだけどなぁ……。

 スプリンターズSという相手の土俵でレジェンド級と評される相手に加減している余裕など無かったし、過剰にウマソウルを酷使してしまった感は否めない。あの一戦でそういう格上相手との感覚もつかめたので、次回以降はもう少しテンちゃんの負担も減らせるだろう。

 

 

 

 

 

 一年以上手掛けてきた、バクちゃん先輩の中長距離用走行フォームがようやく完成したのも大きな成果だ。

 やっぱり実戦で得られる情報量は桁が違った。というよりは、あの驀進王を知らずしてバクちゃん先輩の走法をトレースしようとする方が間違っていたと言うべきか。

 

 観客席からは絶対に得られない、魂の底が焼け焦げるような膨大な熱量。天が崩落してくるかの如き重圧。二度とやりたくねえ。

 でも不思議と、まるで次に備えるようにいっそうトレーニングに励むようになった自分もいるのだ。本当に不思議なことにまた機会があれば、私はあのスプリントの絶対王者に立ち向かうのだろう。逃げることも無く――いや前回は最初から最後まで逃げ切ったわけだけど。

 実際、走法の完成品は既にバクちゃん先輩ご本人および彼女の担当トレーナーに伝授済みなわけで。今年中は流石に無理だろうが、来年度からは中長距離でバクちゃんと巡り合うこともあるかもしれない。

 そのときはまた、刹那が無限に引き延ばされるような時間を味わえるのかな。

 

 私はバクちゃん先輩に勝ったわけだから、彼女のことを絶対王者と呼ぶのは間違っていると言われるかもしれない。

 勝者の自覚が無いのかと、覚悟もなくその王座に居座ったのかと、彼女のファンからは謗られることだってありえるだろうか。

 それでもやっぱり私はスプリントの王者はサクラバクシンオーだと思うのだ。

 彼女がかつてない強敵だったのは彼女が自他ともに認めるスプリントの覇者だったからであり、彼女の敗因もまた彼女が絶対的な王座の主であったことに起因する。

 

《デバフ系【領域】にいっさい抵抗判定が発生しなかったからなあ。スケールが違い過ぎて通った上で効果があったかっていうと微妙なんだけど》

 

 横綱相撲、とでもいうのだろうか。

 相手が実力を発揮するのを真正面から受け止めた上で、それを優に上回るスピードで勝つ。そういう癖がバクちゃん先輩にはあった。

 勝ち方を選べるほどに彼女の実力は超越していた。それが付け込む隙になったわけだ。加えて私はバクちゃん先輩と同じチームの後輩であるわけで、もしかすると胸を貸してやろうという意識もあったのかもしれない。

 勝てば余裕、負ければ慢心。

 負けたから、バクちゃん先輩は慢心に足を掬われた無様な王様なのだろうか。

 足を掬った私が言うのもなんだけど、勝った今でもやっぱりそうは思えないんだよな。

 

 バクちゃん先輩は短距離での勝利に執着が無かった。

 何故なら短距離という世界において自らが勝利することは、彼女にとって当たり前のことだったからだ。

 人間は大地を踏みしめなければ歩くことができないが、大地がそこに在るありがたみを噛みしめながら歩くのはさっきまで溺れかけていたか、あるいは不時着する飛行機からパラシュートで脱出してきた者くらいだろう。

 どれだけ重要で大切なものであったとしても、そこにあって当たり前のものに人は執着することなどできやしないのだ。

 だからこそスプリンターズSで私に負けた直後は自らの存在意義(レゾンデートル)を見失うほどに錯乱してた。

 

《余力を残せる状況じゃなかったから仕方ないとはいえ『私は誰!? はじめましてこんにちは!? あなたはサクラバクシンオー、これから学級委員長になるウマ娘よ!?』の一連の流れを生で見れなかったのはいささか以上に残念だなぁ》

 

 テンちゃんが名残惜しそうに私の記憶を閲覧している。

 以前に言ったことがあっただろうか。二重人格の私たちは片方が寝ているとき、もう片方がやっていることは知覚できないと。

 あれは実のところリアルタイムで知覚することはできないというだけであり、じっくり手間暇をかければサルベージすることはできるのだ。面倒だから私はめったにやらないだけで。

 二重人格の私たちは身体を共有している。つまり脳だってその範疇であり、その気になれば私だけが見聞きした記憶だろうとテンちゃんは『思い出す』ことができるわけだ。

 ……何故かテンちゃんだけが知っている知識はわりと多いけどね。あれはどう頑張っても私側からは思い出せない。

 

 傍目には愉快だったかもしれないが、サクラバクシンオーの名前と学級委員長の位を譲渡されても私は困る。とても困る。

 私はバクちゃん先輩ほど学級委員長という地位を神聖視しているわけではない。だからといって、尊敬する先輩がとてつもなく大切にしていると傍目からも一目瞭然なものを粗雑に扱うわけにもいかない。

 あの場はバクちゃん先輩のトレーナーがテンちゃんを彷彿とさせる舌先三寸でバクちゃん先輩を言いくるめて事なきを得たが、本当に疲れた。

 

 ゴール板を駆け抜けたあの一瞬、テンプレオリシュはサクラバクシンオーより強かった。

 それは誰にも否定させやしない。仮にそれが私自身であったとしてもだ。

 

 ただ同時に、暗殺者が武術の達人の暗殺に成功したからといって。

 それすなわち暗殺者の方が強いと断じてしまうのもあまりに早計だと思う。

 自分のことを卑下したいわけじゃなくて、あくまで持っている手札の傾向の違い。

 

《ぼくらのデッキが大回転してあのゲームを制したとはいえ、それがあちらのデッキの価値を下げるわけじゃない。ホロレアは相変わらずホロレアのままってわけだね》

 

 まあそんな感じかな。

 

 どれだけ着飾ったところでレースは勝負の世界だ。

 勝利がすべて、とまでは言わないが。

 負けた者がどれだけご高説を説いてもしょせんは敗者のたわごとにしかならない。ここにはそういう摂理が布かれている。

 だから、勝ったのは私なんだからさ。これくらい偉そうなことをほざいたっていいじゃないか。

 

 それに来るべき未来。

 中長距離で向き合った彼女はきっと、王ではなく挑戦者の顏をしている。

 逆に私は迎え撃つ立場になっていて。

 そのときにはまた、今とはまるで違う景色を見ることができるはず。

 そう考えるとこう、ワクワクする……のかな?

 恐怖なのか興奮なのか定かではないが、脈拍が高まるのは事実である。

 

 

 

 

 

「テン、食べ過ぎじゃない?」

 

 今の私はリシュだ、節穴ココンめ。そんなんだから貴様はリトルココンなんだよ。

 未だに私たちの区別がつかないのかとジトッとした視線を向けてやると、察したらしく気まずげにココンは目を逸らした。

 

《リトルココンは蔑称じゃないぞー》

 

 うん、知ってる。

 瞬時に判別してくれるデジタルやマヤノや桐生院トレーナーがすごいだけで、普通は顔も声も同じなのに見分けろと言う方が無理難題なのだ。

 それはそれとして、それなりに一緒の時間を過ごしたのだからそろそろ区別できるようになれよと思ってしまう自分もいる。いや、お互い部屋へ寝に帰るような生活してるんだからその共有している時間の過半数は睡眠で占められているわけで、やっぱり難癖でしかないんだけども。

 

《相変わらずリシュはココンに対して微妙に当たりが強いなー。それだけ美味しそうに食べてたってことじゃないか? ほら、普段のリシュってココンの前だと感情表現が希薄になるし》

 

 そうかな。そうかも。さっきビターグラッセ先輩に対して返答したのもテンちゃんだったわけだし、あの瞬間だけシームレスに入れ替わっていたなんて普通は想像できないよね。

 

 スプリンターズSを反芻している間にも箸は進み、あったかいのもつめたいのも交互に味わって蕎麦は既に七杯目。

 古くから食事の場というのは会談の席として活用されていたらしいが、私は口にものを詰め込んだまま話すなんてお行儀の悪いことはできない。ココンへのリアクションは視線だけで十分だろう。

 

「ああたしかに。前に見たときより頬がふくよかになった気がするな!」

 

 なん……だと……?

 

 ビターグラッセ先輩の言葉に空気が凍る。

 いや、凍ったのは私だけか?

 いやいや、デュオペルテ先輩やアジサイゲッコウ先輩の顏はハッキリ引き攣っているし、ココンも『うわ、コイツはっきり言いやがった』みたいな表情している。

 

 『太った?』は現代日本において老若男女問わず禁句だ。

 

 バカな、この私が太り気味だと?

 思い返してみれば思い当たる節しかない。最近いろいろと食べ過ぎていた記憶がある。

 これまではどんなに美味しいものでもある程度の量を食べれば『もういいかな』という気がした。食べる量が一時的に増えることもあったが、それは成長や回復に必要な栄養だった。

 適切な量を大幅に超過する食事が続くことなんて無かったのだ。

 私だってアスリートだ。身体の推移はデータとして頭の中に入っている。身長はぴくりとも変動していないのに、体重はじわじわと増加していること自体は把握していた。

 だけど太るということが想像の埒外過ぎて、自分が太っているという認識が無かった。

 そうか……これ太っていたのか。

 

《若いうちに一回くらいは暴飲暴食を経験しておくべきさ。三十代……いや、二十代も後半になれば露骨に食欲は減退していくからな》

 

 テンちゃんが何やら脳内でしみじみしている。

 自覚があったのなら止めてよ!?

 

「アンタさ、次は菊花賞の3000mでしょ? 長距離ならむしろ絞るところじゃん。肥えてどうすんの。サクラバクシンオーに勝って弛んでない?」

 

 はぁー、と深々とため息をついた後にリトルココンが言う。

 『グラッセが剛速球ストレートやりやがったからこの際、言うこと言っておくか』という内心が透けて見える態度と表情だった。

 ぐうの音も出ない。

 反射的に腹が立ちそうになるけど、これで心配して忠告してくれているんだということもわかる。

 長距離のスペシャリストであるココンが言うと説得力あるね、本当に。

 

「で、でもあのサクラバクシンオーだよ? アレに勝ったんだから少しくらい弛んじゃったって仕方がないところはあるんじゃないかな!?」

「たしかに無敗のクラシック三冠には期待しちゃうっていうか、全距離GⅠ制覇なんて生きているうちに見れるなら見てみたい大記録だけど。でも走るのはテンプレオリシュさんだから、外部からとやかく言い過ぎるのも……」

 

 おずおずとフォローを入れてくださるデュオペルテ先輩とアジサイゲッコウ先輩の優しさが逆につらい。

 

 

 

 

 

 鮮明になった『欲』との距離感を改めて模索する必要性を痛感する。

 天高くウマ娘肥ゆる秋だった。

 




2023/02/03 指摘のあった部分を加筆

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