「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

54 / 93
お気に入り登録、評価、ここすき
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。

さて、今回はトウカイテイオー視点です


サポートカードイベント:雨天の銀竜

 

 

U U U

 

 

 最初はカイチョーの言葉だった。

 

「ねーねー、カイチョーがいま注目しているウマ娘っているー?」

 

 春の中央トレセン学園。

 やっと入学できたよーってカイチョーに報告するため生徒会室まで遊びに行って、ついでに生徒会役員であるエアグルーヴやナリタブライアンといった実力者とも顔合わせして。

 やっぱり中央の生徒会メンバーともなるとすごいんだなーって感心して。その中で生徒会長をやっているシンボリルドルフというウマ娘のものすごさにますますカイチョーへの憧れが強くなって。

 

 そんな中、何気なく聞いてみたこと。

 六割……いや七割くらいはボクの名前を言ってくれないかなって期待もあったけど。

 入学してきたばかりのこの中央。

 あのカイチョーが注目しているくらいすごいウマ娘がいるのなら、マークしておこうかなって真面目な部分も三割くらいはあった気がする、たぶんね。

 

「この中央に所属するウマ娘はみな英俊豪傑、注目していないウマ娘など一人もいないとも。

 ……とはいえ、テイオーが聞きたいのはこんな返答ではないだろうな」

 

 そうして柔らかな笑みと共に挙げられたのは、聞き覚えの無い名前。

 自分で言うのもなんだけど、ボクの実家ってけっこういいとこなんだよね。だからウマ娘の名門同士、縦の繋がりも横の繋がりも相応の規模があるんだけど。

 マックイーンみたいに真面目にいちいち憶えているわけじゃないよ。でも、記憶を漁っても名門リストにはさっぱり引っかからなかった。

 

「えー、誰なのさそれー?」

「おいおい、去年の朝日杯FSを制したGⅠウマ娘だよ」

 

 本当に聞き覚えが無いのかい? とカイチョーの笑顔が苦笑に変わる。

 そう言われるとちょっと気まずかったんだけど。だってGⅠなんてその気になればいつでも取れちゃいそうだったからさ。

 それに『クラシックロードへの登竜門』だなんて言われているように、ジュニア級のGⅠなんてしょせんは前哨戦。クラシック級以降の戦績に比べたら大したことないってイメージもあったし。

 受験生だったっていうのもあるけどさー。去年のジュニア級ウマ娘の動向なんて、ぜんぜん気にしてなかったんだよね。

 

「私が彼女を意識した契機は、昨年の入学式のことだ」

 

 そんなボクに、カイチョーは思い出話を語ってくれた。どこか楽し気な口調で。

 憧れの人が明るい顔をしているのに、何だかとてもモヤモヤしたのをおぼえている。

 

「テイオーは懐いてくれているが、どうにも私は四角四面な印象を与えるというか。他のウマ娘を威圧してしまうようでね。この性質が生徒会長という役職にとって一概に不利というわけでもないのだが……いや、これは負け惜しみかな。

 ともあれ、そんな私を前にした新入生の表情というのはいくつかのパターンに分類できる。憧憬や畏怖。尊敬に隔意。熱意や、稀にそれが行き過ぎた敵意というのもあったな」

 

 件のウマ娘は、そのどれにも該当しなかった。

 だからひどく印象に残ったんだって。

 

「そうだな、喩えるのであれば……『パン屋の値札を前に財布を覗き込んでいる』といったところか」

 

 今はまだ足りないけど、あとどのくらい貯めれば手が届くかな――なんて。

 そんな生活臭の延長線上にある視線。

 ショーウィンドウに飾られたトランペットを見るような憧れじゃなくて。いつか到達したい目標でもなくて。超えるべき通過点ですらない。

 彼我の距離を測る、ただの目安。

 

「トゥインクル・シリーズで成果を上げ、ドリームトロフィーリーグに移行してからあんな目で見られた記憶は……いや、生まれて初めての経験だったかもしれない。それが何とも痛快に思えてね。

 彼女の異質な視線が身の丈をわきまえない誇大妄想ではなく、才気煥発の発露だったことはこの一年で証明されたことだ。いやはや、私も存外見る目がある」

 

 カイチョーは嬉しそうに話すけど……カイチョーが言うほどすごい戦績かなぁ?

 メイクデビューから朝日杯FSまで四戦全勝。無敗のジュニア級王者と言えば聞こえはいいけどさー。

 ちょっと早熟ですっごく運が良かっただけかもしれないじゃん。弱いとまではさすがに言わないけど、クラシック級以降も同じような好成績を出せるかっていうと根拠に乏しいんじゃないのー?

 むすっとしているボクの斜向いでつまらなそうに書類に印を押していたブライアンが、急にぼそりとつぶやいた。

 

「アイツは一度私に勝った」

「ああ、種目別競技大会の一件のことか。まさに驚天動地、あれは流石の私も予想外だったな。

 ふふっ、それにしてもブライアン。君はあの敗北をきっちり己の物として受け止めているんだね」

 

「えっ?」

 

 ブライアンと個人的に知り合ったのはこの日が初めてだったけど、ブライアンの走りはそれ以前からよく知っていた。

 だってカイチョー以来のクラシック三冠を達成したウマ娘だもん。カイチョーと違って無敗ではなかったけど。

 そのブライアンに勝った? 種目別競技大会っていうと……タイミング的にジュニア級のウマ娘が?

 

「あ、もしかしてチョーシが悪かったとかー?」

 

 世代最強の証であるクラシック三冠を成し遂げながら無敗ではなかったように、ブライアンは波が大きいタイプだ。

 ノリに乗ったブライアンはカイチョーの次くらいに凄みがあるけど、気分が乗らないときは格下相手に不覚を取ることも少なくない。

 

「くだらん言い訳をするつもりはない。調子の良し悪しで覆る差だったのならば、その程度のものというだけの話だ」

「ぐっ……」

 

 それはそうだ。

 仮に絶不調だったとしても早熟で幸運なだけのジュニア級ウマ娘に負けるブライアンじゃない。だってブライアンは三冠ウマ娘なんだから。

 それはカイチョーに続く『無敗の三冠ウマ娘』を目指しているボクにとって、誤魔化すことのできない事実だった。

 

 ムカムカというか、イガイガというか。

 楽しくてワクワクする思いをするためにここに来たはずなのに、何だかとても面白くない。

 そんなボクにエアグルーヴが釘を刺してきた。

 

「おい、トウカイテイオー。もしもヤツに接触するのなら、あの非常識の真似をしようとするなよ。

 貴様ほどの才覚ならあるいは模倣しきることも可能かもしれんが、一般的な新入生が後に続けば絶対に怪我人が出るからな」

 

 なんて返したかはおぼえていない。

 テンプレオリシュ。

 その名前だけが強く刻まれた。

 

 

 

 

 

 第一印象は最悪だった。

 

 なんかアオハル杯? っていうのをやっているらしくって。

 よくわかんないけどー。噂のテンプレオリシュを間近で拝めるなら利用しない手は無いかなって。

 ただ、思った以上に噂になっているらしくって。テンプレオリシュが所属しているアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉は参加希望者が多すぎて、人数を絞るため入部テストなんてものをやっていた。

 トゥインクル・シリーズの公式チームでもないくせに、なんかナマイキー。

 

 ま、ボクは無敵のテイオー様だからね!

 とーぜんテストはびゅーんと一着を取って合格。

 ついでにチームに所属しているウマ娘たちにもボクのすごさを見せつけることができて、一石二鳥ってやつだよね。

 

「どこのチームにいこうとボクが勝っちゃうのは変わらないしー? カイチョーと同じチームで走れたらサイコーだったんだけど、カイチョーはもうドリームトロフィーリーグの方に行っちゃってるしー。

 だったらボクの前に無敗の三冠を成し遂げるかもしれないっていうウマ娘を間近で拝んでおこうかなーって」

 

 ……後から思えば、このとき『テンプレオリシュ』を意識し過ぎていたボクはちょっと態度が悪かった気もする。

 

「その走法、変えた方がいいね。ダービーまでは無敗を貫けるだろうけど、菊花を走る前に壊れるよ」

 

 だからって第一声でこれは無いよ。ぜったいに頭がおかしい。

 ふつーさ、いやふつーじゃなくても。少しでもウマ娘のことを知っている人間なら面と向かって言わないよ、そんなこと。

 ウマ娘の走法に指図していいのはその担当トレーナーだけ。それは常識で大原則。ましてやここは中央なんだから『知りませんでした』なんて理屈は通用しない。

 もー戦争だよ、せんそー。

 ウマ娘の決着の付け方と言えばもちろんレース!

 

 そしてボコボコのメッタメタにされた。

 ひとつ年上のウマ娘にここまでハッキリ負けたのは生まれて初めてだった。

 

 何かの間違いだと思いたくて何度も挑戦して、そのたびにきっちり一バ身で仕留めてくる底意地の悪さったら!

 かつてない逆境にどんどん心身が研ぎ澄まされてパフォーマンスが跳ね上がっていくのがわかるのに、彼我の距離だけはぴったりつかず離れず変わらないの。

 自分の感覚が信じられなくなりそうだったよ。タイム測っているわけでもない野良レースだったし。

 ついには力を使い果たして芝の上に転がるボクを、ソイツは不思議なものを見る目で見ていた。芝ダート全距離対応不思議生物はそっちの方だろ。

 

「あ、わかった。追いつかれたくなくてこんないちゃもんつけたんだろ? 何回やっても差はたったの一バ身だもんね~?」

 

 あまりにも苦しい負け惜しみは、苦しい呼吸に紛れて半分もまともに聞こえたかどうか。

 ソイツがゴールの瞬間あの距離(一バ身)を意図的に保っていることはわかりきったことだったし、その無理難題を押し通すのにどれだけの要素が必要か考えれば、実力差がどれだけ開いているのかも明らかだった。

 

「今のお前ごとき、目を閉じていたって勝てるよ」

 

 ……たぶんこれ、煽り文句じゃなくてただの事実だったんだろうなぁ。

 『それで怪我したりさせたりしたら言い訳できない』とか言って実際にやったことは無かったけどさ。

 栗東寮が停電で大騒ぎになったとき、ひとりだけ舌打ちしながらスイスイ暗闇の中をまるで見えてるみたいに動き回っていたし。

 後でマヤノが教えてくれたんだけど、あの舌打ちはクリック音といって音の反響で周囲の情報を把握しているんだってさ。

 やっぱりアレ、ウマ娘じゃなくてウマ娘によく似た新種の謎せーぶつか何かなんじゃないの?

 たまに重力を無視した挙動しているし、実は宇宙とか異世界とかからやってきたウマ娘星人なんですなんて言われても『まっさかー!』じゃなくて『ああ、やっぱり……』が来るヨ。

 

 ちなみにこのエコーロケーション、精度に差はあるけどマヤノもデジタルも似たようなことができるらしい。

 ウマ娘星人、感染してるよ。もう侵蝕型の侵略者(インベーダー)だよ。マックイーンと見に行った映画にそんなのあった。

 

「じゃあなんでそんなこと言うんだよぉ……『無敗の三冠ウマ娘』はボクの夢なんだ。小さいころから、カイチョーに憧れて、ずっと走ってきたんだよ……いまさらフォームの矯正なんて始めて、また勝てるようになるまでどれだけかかると思っているんだよぉ」

 

 そんなトゥインクル・シリーズの未来をおびやかす脅威はさておき。

 コテンパンに負けたのが悔しくて、こんなくだらないことしか言えない自分が情けなくて。ついに泣き言を漏らしたボクに向けて。

 アイツは膝を抱え込むようにしゃがみ込んで、ボクと目を合わせてこう言った。

 

「勝てるだろ、キミなら」

 

 あまりにも気負いなく確信に満ちた言葉だった。

 断じてボコボコのメッタメタにして芝の上に転がした張本人が言っていいセリフじゃない。

 

「三度の骨折というハンデを経て、一年というブランクを経て、それでも。『年末の綺羅星集う大舞台で勝てるわけがない』という理屈も『どうか無事にゴールまで帰ってきてくれたら』という常識も、何もかもねじ伏せて勝つだろ。だってキミはトウカイテイオーなんだから。

 それでもぼくはキミの『奇跡の大復活』じゃなくて『順当な勝利』が見たい。そして圧倒的な強さでヒトを退屈させる名優と何年も何度でも覇を競って欲しい。これはそういうワガママなんだ」

 

 何を言っているのかわからなかった。今でもやっぱりよくわからない。

 ただ赤と青の双眸が異なる温度を宿しながらボクを見下ろしていて、言葉よりそっちの視線の方に身体の芯がゾッと凍えた。

 異質。

 このとき受けた印象は一生忘れないと思う。

 何だかんだ付き合いの長くなった今ではわりとふつーなところもあるウマ娘だって知ってるけど、印象は薄れても消えてはいない。

 

「すべてに手が届くわけじゃない。たまたまキミはぼくらの後輩としてとっても近くに来てくれたから、特別に気にかけてあげる。

 よかったね。ぼくらのこの、ちいさなおててにひっかかって」

 

 まるで手を強調するみたいに、ぺたぺたとボクの顏や首に触りながらそんなことを言って。

 言うだけ言うと、そのままソイツは踵を返してその場を後にしてしまった。

 

 そのすぐ後に来た教官から話を聞いたから、事情は理解しているよ?

 自力では動けないくらい消耗しきったボク。

 観察と触診で容体が急変することはないと判断した上で、大人を呼びに行ってくれたんだよね。

 でもやっぱりあの態度と対応はナシ寄りのナシだと思うんだ。感謝はしているけど、それはそれとしてね。

 

「リシュちゃんって人間やるのがとってもへたっぴだから。でもでも悪気は……ちょっぴりあるかもだけど、悪意は無いんだよ?」

 

 寮で同室になったマヤノはそうフォローしていた。

 いやフォローなのかなこれ。『人間やるのが下手』ってどういう表現なのさ。

 

 意味は三日後に嫌と言うほど思い知らされたけどね。

 

「『こう』やるんだよ。わかった?」

 

 自分から見せに来たくせに何だか面倒くさそうという態度が意識から零れ落ちるほど、理解不能な光景がそこにあった。

 ()()()()()()()()

 どう考えてもたった三日でボクの走法をトレースして改良して実戦レベルまで洗練させて、おまけにそれを使ってボクをブチ転がすって頭おかしい。ワケワカンナイヨ。

 フォームの矯正なんて下手すれば年単位を覚悟しなければならないという理屈も、仮に矯正に成功したところでクラシック三冠に挑戦するような実力者に勝てるかわからないという常識も、真正面から粉砕したバケモノがそこにいた。

 

 もうちょっと人間らしく生きようよ。

 

 ただ、それは今だから言えること。そのときは呆れかえる余裕なんて無かった。

 あと、ボクの走法に口出しした非常識をアイツはきっちり認識していた。そのことについてわざわざアイツはその場で蒸し返した。

 

「だがぼくは謝らない」

 

 何故なら自分が間違っているとは思っていないから。

 いや、そこは謝っておこうよ。コミュニケーションの一環としてさ。不条理な謝罪は人間関係に欠かせない潤滑剤だって小学校のころ担任の先生が死んだ目で語ってくれたよ?

 

「だからって中央のスタンダードな方法で白黒つけると、ぼくの勝利が確定しちゃうだろ? それじゃあトウカイテイオーの心が納得できないはずだ。だから賭けをしよう」

 

 今年アイツはクラシック路線に進む。

 そこでアイツはシンボリルドルフ以来の無敗の三冠を成し遂げ、己の正しさを証明する。

 その成果をもって、ボクは走法の矯正を受け入れるべし、と。

 ただし一敗でもしたのなら、それは身の程知らずの無礼者であったことの証。その時点であれは非常識な忠言ではなくただの非礼であったことを認め正式に謝罪するとのこと。

 

「こんな条件でいこうと思うんだけど、受けるよね?」

「……勝手にすれば」

 

 丹念に手持ちの言い訳を全部潰されて。

 ボクが無理だって諦めようとしたこと全部、ただ単純にボクが弱いからできないだけだって突き付けられた気がしていた。

 でもそれは、これまでずっと無敵のテイオー様だったボクにはとうてい受け入れることなどできない事実。

 だけど逃げることだけは、どうしても選べなくて。

 勝算が用意できたわけでもないのに挑戦しては当然負けて、唯一の対策としてがむしゃらに走り込む。そしてまた勝負。

 そんな無様な日々を繰り返していた。

 

 そんなときに出会ったのが今のボクのトレーナーね。

 オーバーワーク一直線だったボクを叱って、止めてくれた。

 話を聞いてくれた。自分だって新人で通常業務だけであっぷあっぷしていたのに、ボクのためにちゃんとしたトレーニングメニューを組んでくれた。

 何だかんだあって契約を結ぶ前からまるで担当みたいな関係になって、二人でアイツの前に立ったとき。

 アイツは第三者が加わったことに驚きも見せず、むしろ満足そうにこう言った。

 

「うん、ようやく準備が整ったみたいだね。ビデオカメラの準備はいいかい?」

 

 ふと、そのとき思ったんだ。

 あれ? もしかしてコイツ、悪いやつじゃない? って。

 

 だってよくよく考えてみればコイツだってクラシックロードに向けて暇じゃないだろうに、ボクの野良レースを断ったことって今のところ無いし。

 それがボクとのレースが実利のあるトレーニングになっているからなのか、それともトレーニングに差支えが出るほどの負担にもなっていないからなのかまでは知らないけどさ。

 

 ボク以外の後輩にも何かと世話を焼いているところを見たこともあるし。

 いずれボクが至るべき目標地点……少なくとも賭けに負けたらそうならざるを得ない走法の情報を惜しみなくボクとトレーナーに譲渡してくるし。

 

 発露の仕方がねじくれているだけで、やっていることを端的に抜き出したらむしろお人好しの所業じゃん。

 実際に受けた身からすれば、とんだ箇条書きマジックだとも思うけど。

 

 もともとボクが一方的に敵視して、突っかかっていたようなものだ。

 自分で言うのも何だけどさ。ボクって誰かを嫌ったり憎んだりっていうの、あまり得意じゃないんだよね。

 一度気づいてしまえば、もう続けるのは難しくなっちゃった。

 

 それから少しずつ、アイツとの関係性は変わっていった。

 顔を見るたび噛みつくように、吠えたてるように絡みに行っていたのが、じゃれつくような感じになって。

 いつしかリシュと、アイツのことを愛称で呼ぶようになっていて。

 向こうもテイオーと気安く呼び捨てにしてくる。

 そんな距離感に。

 

 ……敵だと思っていた相手がそうじゃないとわかって。

 中央に来る前は重要性なんてぜんぜん理解していなかった、トレーナーとの二人三脚も始まって。

 ここで一度勝てたらテイオー伝説の序章としてはこの上なかったんだけどねー。

 空気を読んで負けるなんてことは絶対にしてくれないリシュとの野良レースの戦績は、今日に至るまで全敗。

 にっしっし、まあそれでもいいよ。

 今のボクは無敵のテイオー様あらため、不屈のテイオーだ。

 いつか絶対にボクの背中を拝ませてやるんだもんね!

 

 

 

 

 

 ボクの憧れはずっとカイチョー、シンボリルドルフ。それは変わらない。

 友達と言うには得体のしれないところが多すぎる。

 ライバルと呼ぶには、悔しいけど実力差が開き過ぎている。

 

 だからきっと、リシュはボクの人生の中で初めてできた『先輩』というポジションのウマ娘なんだと思う。

 恥ずかしいから面と向かってリシュ先輩なんて、呼んでやらないけどね。

 

 

U U U

 

 

 今日の京都は雨。

 ターフは文句なしの不良バ場。

 こんな日に走ると靴の中までドロドロになって、髪や尻尾のお手入れがとっても大変なんだよね。

 本日レースがある人たちはおあいにく様って感じ。

 

 そんな天気でも雨にも負けず風にも負けず、本日の京都レース場は満員御礼。

 入場制限がかかるくらい人がパンパン。傘を差したら周囲の迷惑になっちゃうから、みんなお行儀よくレインコートを着て並んでいる。

 なにせ今日の京都レース場ではクラシックロードの終着点、菊花賞が開催されるからね。

 

 注目は誰が勝つか……じゃなくて。

 リシュが偉業を達成するか、それともリシュを阻止する者が現れるかってところ。

 

 ちょーっといやな感じー。

 ボクの目標の『無敗のクラシック三冠』がオマケ扱いとまでは言わないけどさ。

 それ以上に今日リシュが勝てば『全距離GⅠ制覇』とか、『クラシック級にしてシンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝』になるとかの方が重視されている気がするんだもん。

 だいたい、リシュが勝つことを前提に期待を積み重ねるって去年のブルボンの一件を彷彿とさせてモヤモヤするんだよ。

 これでマヤノが勝ったりしたら、ライスのときみたいにため息やブーイングで観客席が埋め尽くされたりしないよね?

 ……大丈夫か。仮にそうなったとしたら、肝心のリシュが黙っているとは思えない。

 たとえウイニングライブをぶち壊すことになってURAから何らかの処分を下されるとしても、絶対に何かしでかすって謎の信頼がある。

 

 まあそれはそれとして、リシュが勝つのが確定みたいな方向に無責任に持っていこうとするマスコミや観衆には腹が立つけどねー。

 つい先日、無敗のトリプルティアラなんて歴史的偉業が達成されたせいでなおさら『今日も無敗の三冠が出て当たり前』みたいな論調になっててうんざりしちゃうよ。

 スカーレットがすごいのは確かだけど、それと今日のリシュは何の関係も無いじゃん。

 

「あら、テイオー」

「あ、マックイーンじゃん。やっほー」

 

 なんとか入場はできたけど、さてどこか空いている席は無いかなーとウロウロしていると、隣の席にお上品なハンカチを敷いたマックイーンを見つけた。

 メジロマックイーンはボクの同期。

 学年で言えばひとつ上でリシュと同い年なんだけど、骨膜炎を発症したとかでデビューが一年ズレちゃったんだよね。まあ、学園の平均で言えばそれでも十分デビューが早い方なんだけどさ。

 名だたる名門メジロ家のお嬢様らしく洗練された物腰と隙のない実力。特にステイヤーとしての適性は入学前から噂になるほどだった。

 天皇賞の盾を何よりも重んじ、それに合わせたトレーニングを積んでいるからクラシック三冠に挑戦するかは不透明らしいけども。

 もしもマックイーンが参戦してきたら強力なライバルになること間違いなし。ボクはそう思っているよ。

 

「おひとりですか?」

「うん、〈パンスペルミア〉のみんなと来たのはいいんだけどねー。予想以上に人が多くって、ちょっとまとめて席が確保できそうにないから。各自幸運を祈る! って現地解散したところー」

 

 ちなみにボクのトレーナーは来てない。学園でお仕事ちゅう。

 『おかしいよな? ウマ娘を間近で見たくてトレーナーになったのに、その仕事が忙しすぎてウマ娘を間近で見る暇がないって絶対におかしいよな?』と血涙を流さんばかりの形相で嘆きながらボクを見送ってくれた。新人って大変なんだね。

 桐生院トレーナーやゴルシTを見ていたら錯覚しそうになるけど、やっぱり中央のトレーナーって激務なんだよ。

 それなのにトレーナーは、ボクのために使う時間は絶対に減らそうとしないんだから困ったものだよねー。

 よーし、トレーナーのためにもしっかりレースを堪能して感想を聞かせてあげよっと!

 

「ではよろしければ、こちらの席はいかかでしょう?」

 

 そう言ってマックイーンが指したのは、ハンカチで確保された座席だった。

 

「いいの? 誰かのため確保しているんだと思っていたけど」

「ええ、ゴールドシップさんに連れてこられたのですが……」

 

 眉間にしわを寄せてこめかみに指を添えながら、マックイーンが嘆息する。

 『一緒に来た』じゃなくて『連れてこられた』って表現するあたりに道中の一幕が垣間見えるよね。

 

「席を確保したかと思えば『む、なに? ゴルゴルイエロー2号から通信? なんだとッ! ゴルゴルグリーン2号が育休でゴルゴルイエロー1号がストライキ!? くそう、今回の敵はイエロー2号とグリーン1号だけじゃきちーぞ! すまねえマックイーン、あたしはイエロー零号として仲間を見捨てることはできねえ。トウッ!!』といなくなってしまいまして……」

「今回は戦隊モノかー」

 

 もしかして黄色と緑しかいないのかな、その戦隊。というかゴールドシップ、あの勝負服で黄色担当なんだ。赤じゃなくて。

 あと何気に声マネしているマックイーンが可愛かったけど、下手に指摘してへそを曲げられ席が無くなっても困るので黙っておいた。

 

「当初は戻ってくるかとこのように席を確保していたのですが、こうも人が多くなると帰ってくるかも定かでないあの方のために席をひとつ占領し続けるのも心苦しく。

 知人に譲ったとなれば最低限の言い訳も立つでしょう。なので、よろしければ」

「ありがとマックイーン。お言葉に甘えるとするよ」

 

 こうしてボクは幸運にもマックイーンの隣の席を手に入れた。

 ラップ越しに遠くの空に見えるというゴルゴル星に感謝の祈りを捧げておく。今は分厚い雲が空を覆っていて星なんて見えないので、そのへんの適当な方向に。

 菊花賞の出走までまだ時間はあるけど、ここにいるのはお互いトゥインクル・シリーズにデビュー済みのウマ娘だ。

 話題には事欠かない。まあ、今の話題はだいたい決まっているけど。

 

「テイオーの見立てはどうなんですの?」

「うーん、ルームメイトのよしみとしてマヤノに勝ってほしいところかなー。いろいろと対策を練っているみたいだし」

 

「たしかにマヤノトップガンさんは対抗バとして最も有力視されていますわね。わたくし個人の見解としても2000mの皐月賞ではまだ余力が残っている様子もありましたし、夏合宿を乗り越えた今の彼女は何かしてくれるのではないかと期待が持てます」

 

 ここ最近、寮の自室で見るマヤノはヘトヘトに疲れ果てていた。

 キラキラしたものが大好きでいろんなものに興味を示し、その全てで一定以上の成果を出すあの子がスマホをいじる余力も無くて、帰ってくるなりすぐに寝ちゃうんだもん。

 今のボクは努力が必ず報われるわけではないと知っている。努力が報われるとき、成果とその努力の目標と必ずしも合致するわけではなさそうだぞってのもわかり始めている。

 だけどマヤノの努力は報われたらいいなって。そう思うんだ。

 

「マックイーンはどう見ているのさ?」

「そうですわね、パドックで目に留まったのはムシャムシャさんでしょうか。ここまでクラシック三冠の全てに挑戦しており、皐月賞でこそ掲示板を外しましたが2400mの日本ダービーでは五着。

 パドックで拝見した限り本日の仕上がりも上々。彼女の気質的に菊の舞台ではさらなる成果を期待できるのではないかと思っていますが……それでも本命は世論と一致いたしますわ」

 

「リシュはスプリンターズSであのバクシンオー相手にレコード勝ちした、ガッチガチのスプリンターだけどそれでもー?」

「自分でも信じてないことをもっともらしく言うのはどうかと思いますわ。それはゴールドシップでしてよ」

 

「ゴールドシップは品詞じゃないでしょ……」

 

 ゴールドシップ(形動) 意:ふざけていて荒唐無稽な様、破天荒で支離滅裂な様子。

 

 知らないうちにマックイーンの辞書に新たな日本語が追加されていた。

 うん、何か知らないけどゴールドシップってやけに頻繁にマックイーンへ絡みに行ってるみたいだからね。

 口調や表情から察するにマックイーンも別に嫌っているってわけではなさそうだけど、それはそれとして被害は甚大なんだろう。

 

「あ、始まったみたい」

 

 仲のいい相手とおしゃべりしていたら時間の流れなんてあっという間だ。

 ファンファーレが今年のクラシック路線の終わりの始まりを告げる。

 

『クラシックロードの終着点。菊花賞を制し最強の称号を手にするのは誰だ?』

 

 クラシックレースにはそれぞれ格言がある。

 

 皐月賞は『最もはやいウマ娘が勝つ』。

 これは単純な『速さ』と同時に、まだ成熟しきっていないクラシック級の序盤で成果を出せるだけの成長の『早さ』も指しているって話だ。

 

 日本ダービーは『最も運のあるウマ娘が勝つ』。

 こちらはまだシービーとかがトゥインクル・シリーズを走っていた頃、二十人を優に超えるウマ娘が出走していたダービーの話。大外枠になった日には多少の実力差ではどうしようもないほど不利になってしまう時代の名残だって言われている。

 

『一枠一番レッツジャンプ、本日は三番人気です』

『適応力の高さと視野の広さがこの子の持ち味ですからね。今日の荒れたバ場は彼女の得意分野ですよ』

 

 そして菊花賞。

 クラシック級まで走り続けてきたウマ娘が初めて経験する長距離GⅠ。3000mという絶対的な距離と二度の坂越え。

 作戦も無く走りきれる距離じゃない。その上で要求されるのは小細工では覆しようのない確かな実力。

 ゆえにこう言われるんだ。『最も強いウマ娘が勝つ』ってね。

 

『二番人気は七枠十三番マヤノトップガン』

『いい感じに気合いが乗ってますねえ。日本ダービーを回避し牙を研ぎ続けてきた小さな天才。夏を経て成長したその力は“銀の魔王”に届きうるのか、注目です』

 

 マヤノを始め、実況から出走するウマ娘の名前が呼ばれるたびに観客席のどこかから歓声が上がる。

 一番人気じゃなくてもここまで勝ち進めて十八枠に収まったウマ娘たち、誰かにとっては最推しの大本命なんだなってわかる光景だ。

 でも、やっぱり一番人気は圧倒的。

 

『本日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。二枠四番テンプレオリシュ、一番人気です』

『無敗のクラシック三冠、全距離GⅠ制覇、“皇帝”シンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝。様々な歴史的偉業に王手をかけています“銀の魔王”。彼女の覇道を阻止する刺客は果たして現れるのか』

 

 レース場を振動させる大歓声が『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』でぴたっと静まり返るのは傍目には面白い光景だった。

 この世代の最強が決まる緊張感。それを圧縮された空気が金属の擦れる音とともに一気に解放される。

 曇天の下、重く濁った芝を切り裂くのは一筋の銀の光。

 

「うわぁ、そうきたかー」

 

 リシュが何を仕掛けたのかわかったとき、思わずそう漏らしちゃった。

 

『まっさきに飛び出していったのは四番テンプレオリシュ! 十三番マヤノトップガンそれに続く』

『これは意外な展開ですね。“銀の魔王”、3000mを逃げ切る秘策があるのか、それとも何かの作戦か』

 

 スタート地点から始まる一回目の上り坂も何のその。重力を感じさせない浮き上がるような足取りで加速していくリシュと、素早くその意図に気づいて先頭争いに加わったマヤノ。

 あと三人ほど逃げようとしていたウマ娘がいたようだけど、この重いバ場であの二人に追いつくのは至難の業だ。完全に出遅れて先行の位置になってしまっている。

 逃げウマ娘っていうのは逃げで走らないとその真価が発揮できない気質の持ち主が多い。あの三人は早々に消えたかな。

 あとリシュとマヤノがガンガン競り合って縦長の展開になるだろうから、最後方で走ってる追い込みウマ娘のレッツジャンプって子も分が悪い。せっかく三番人気だったのにね。最後の直線に差し掛かるころには、かなり残酷な距離が生まれることだろう。

 

『二番フローズンスカイ落ち着かない様子。七番リードクリティークと十番ドリーミネスデイズもややペースが速いか』

『まだまだ先は長い菊の舞台。落ち着いて自分のペースを保ってほしいですね』

 

 今回リシュが選んだのはなんてことは無い、ただの力押しだ。

 

 たぶんだけど、リシュが先行以下の位置取りだったらマヤノが何かしたんだと思う。

 何をするのか具体的な手法まではわからないけど、周囲のウマ娘を利用してリシュを封殺したんじゃないかな。少なくともリシュはそう読んだ。

 ただでさえリシュは目立ち過ぎたもんね。仮にマヤノ一人が何かしなくても、テンプレオリシュ包囲網が布かれてもおかしくないほど勝ち過ぎた。

 

 だからリシュは、包囲されない一番単純で確実な方法を取ったんだ。

 でもさ、ふつー『誰よりも速く先頭を走り続ければ囲まれることも無くまっさきにゴールできる』なんて子供やシロウトが考えるような理屈を大真面目に実行するかなー。

 いちばん頭おかしいのはそれを実行できるアイツのスペックだけどさ。

 

 このドロドロに濁った重い芝をまるで問題にせず坂を駆け上がり、頭一つあっさり抜け出す加速力はさすが今秋のスプリント王者って感じ。

 でも、先行と差しが王道って言われるのは伊達じゃない。

 レース展開を見ながら勝負所だけ全力を出すことのできる差し先行と違って、逃げは先頭で追われ続ける形になるから全力疾走を強いられる展開が多いんだ。

 ただでさえ身体に負担のかかる長距離。菊の舞台の3000mに二度の坂越えをマヤノと競り合いながら逃げ切ろうっていうんだから、リシュの身体にかかる負担も相当なもののはず。

 ただでさえスプリンターズSであれだけの無茶したんだ。ここで勝つにしろ負けるにしろ、菊花賞の後はそれなりにまとまった休養を必要とするだろうね。

 

 マイルチャンピオンシップへの出走も検討していたみたいだけど、時期的に間に合わないだろうなぁ。

 目標のために無理してしまいがちなのは中央のウマ娘の性だけど、リシュはその正反対。

 誰が何と言おうと自分が無理と判断したことは絶対にやらない。レースの権威や格式に憧憬を抱いているわけでもなさそうだし。

 

『一周目の直線。いぜん先頭は四番テンプレオリシュと十三番マヤノトップガン、この二人が鎬を削る。隊列は縦長の展開だ』

『前の二人が突出していますね。これだけ距離が開けば後続は焦るでしょう。仕掛け処の難しいレースになりそうです』

 

 言ってしまえばこれはリソースの最大放出。

 想定の範疇で脚をしっかり使い切ることで、想定外で不可逆なダメージを負う展開を除去したんだ。

 マヤノはそれだけの相手だったってことか。

 

「きれいだなぁ……」

 

 経緯は思いっきり脳筋だけど、出力された結果は幻想的ですらあった。

 雨で覆われた菊の舞台の重さに囚われることなく、先頭を軽やかに駆けていく二人のウマ娘。飛び散る泥水でさえキラキラときらめいているようで。

 

「まるで飛んでいるみたい」

 

 ふっと浮かんだ光景は雨天を優雅に舞う銀の竜と、それを追尾して鮮やかな軌跡を描く戦闘機。

 空中で行われる異種格闘技(ドッグファイト)

 戦闘機の機関銃くらいなら銀の竜は頑丈な鱗で弾いてしまうし、ミサイルはひらりひらりと躱してしまう。

 仕返しとばかりに大きな口を開けて、ずらりと牙の生え揃ったそこからブレスを吐きだす銀の竜。鋭角に身を捻った戦闘機から外れたそれは、地上で為すすべもなく空を見上げていた冒険者たちに被弾した。

 大空を舞う二体の流れ弾で地に無数のクレーターができていく。

 用意した立派な武器も、何度も吟味を重ねた罠の数々も、空を飛ぶことが出来なければ争いに参加することさえ許されない。

 

「うっわー、これはひどい」

 

 そう言わざるを得ない。

 リシュとマヤノが生み出した殺人的ハイペース、不良バ場とはとても思えないタイムに後続はぐちゃぐちゃになっていた。

 あのまま好きに走らせたら絶対に差し切れない。途中でスタミナを使い果たして垂れてくれるような、可愛げのある相手じゃないことはこの場にいるウマ娘全員の共通認識だ。

 でも現実問題として追いつけない。重とか不良とか発表されたバ場状態で出していい時計じゃない。どうしようもなく勝利が遠ざかっていくのを刻一刻と自覚しながら、ただ走り続けるだけ。

 あそこにいるのがボクじゃなくてよかったと、観客席から無責任に安堵する。

 

「すさまじいですわね」

 

 なんとなく。

 本当に何か具体的にあったわけじゃないんだけど、何故かマックイーンのその声が気になって意識の何割かを目の前のレースから逸らす。

 

「彼女と天皇賞の盾の栄誉を競えないのが残念でなりません」

「えっ、何でさ!?」

 

 思わずマックイーンの方を振り向いちゃった。

 目の前で繰り広げられるのは現在進行形の菊花賞。長距離といえどもカップラーメンにお湯を注いで麺が伸びきる前に決着がつく世界だ。既にレースは中盤に差し掛かり、目を離している間にあっという間に決着まで行ってしまうだろう。

 でもこう言っちゃなんだけど、もう結果は見え始めている。

 リシュを撃墜できればマヤノの勝ち。そうじゃなければリシュの逃げ切りだ。ボクの見立てだと三:七でマヤノの分が悪いかな。

 価値が無いわけじゃない。目を逸らしていい勝負じゃない。それでも予想の答え合わせを目で追い続けるよりは、今のマックイーンの方がボクにとって重要だった。

 リシュとの賭けの成否に関わらず、もう既にフォームの改造には着手しているわけだし。

 

「シニア級は何年も続くじゃないか。ボクたちと競うチャンスはいくらでもあるんじゃないの!?」

「ではテイオー。テンプレオリシュさんにシニア二年目があると、本当にお思いですか?」

 

 マックイーンの目はキラキラと泥に塗れながら走る、葦毛の小柄なウマ娘に釘付けのままだった。

 

「それ、は…………そっか、『隔離組』か」

 

 カイチョーがそうだったように。

 マルゼンスキーがそうだったように。

 強いウマ娘はスターになれる。勝ち続けるウマ娘は期待される。

 でも、あまりにも周囲からその強さが逸脱し過ぎたのなら。

 『最強』には人を集める熱がある。でも『無敵』になってしまえばそこにドラマは無い。ただわかりきった勝利と、決まりきった敗者の群れが温度も無く量産される。

 トゥインクル・シリーズは興行だ。資本主義のこの国で、お金が稼げない催しは運営から対策が入る。

 いわばURAから入るレフェリーストップ。シニア級の二年目を待たずにドリームトロフィーリーグへの移籍を打診される、名誉ある投獄。

 誰が呼んだか『隔離組』。

 クラシック級の現段階にして既に様々な偉業にリーチをかけているリシュがシニア級の一年間でさらなる向こう側へ到達した結果、そのリストに名を連ねる可能性は十分にあった。

 

 ドリームトロフィーリーグへの招待状はトゥインクル・シリーズを走るウマ娘にとって名誉だ。

 誰にだってその権利があるわけじゃない。GⅠウマ娘でさえそれを得られないまま失意のうちに引退することも少なくない。

 でもリシュがその価値を理解……いや、共感してくれることがあるだろうか。

 トゥインクル・シリーズを走る動機を金を稼ぐためと即答したあのリシュが。

 十分に賞金を獲得した今、『最初の三年間』の途中で引退すれば桐生院トレーナーの経歴に瑕がつくから義理立てで走っているんじゃないかと一部で噂されている()()リシュが。

 

――顔も名前も知らないどこかのご老人どもの決定に、どうしてこの私が従わないといけないのかな?

 

 すごく言いそう。

 少なくともボクの脳内では容易に音声付きで再生されちゃったよ。

 マックイーンはリシュの同級生だ。その性格を少なからず知る機会があったのだとすれば、『最初の三年間』でさっさと引退してしまう可能性を危惧するのは十分に頷ける話だった。

 ボクだってすごくありえそうな未来だって思うもん。

 

「……間に合ったかもしれないのです」

 

 観客席からレースを見ながらマックイーンはぽつりぽつりと語る。

 お行儀よく膝の上に乗せられながら、強く握りしめられ震える拳だけが彼女の内心を物語っていた。

 

「ですが、あの方のレースをたった一度ご覧になったおばあ様が『無理をせず今年度は休養にあてなさい』と……」

 

 まだ直接会ったことは無いけど、噂は嫌というほど耳にしたことがある名門メジロ家を束ねる総帥。

 絶大な権力を誇り、多くの業界関係者が彼女の顔色を窺いその表情筋の動きに一喜一憂するという。

 その権威はトゥインクル・シリーズのウマ娘とはいえしょせん学生でしかないボクたち程度じゃ逆らえるものじゃない。特にメジロ家のウマ娘として常々己を律している、真面目なマックイーンにとっては神託に等しい言葉だったことだろう。

 

「わたくしは! 彼女と競う舞台に立つことすら、できなかった……!」

 

 血を吐くような静かな慟哭を聞いていると、さ。

 なんだかどんどん腹が立ってきちゃって。

 

 メジロ家のおばあ様もそうだけど、何よりリシュに対して。

 お前なにマックイーン泣かせてるんだよ、って。

 理不尽なのは頭ではわかっているんだけど、こういうのは感情だからねー。

 

「――マックイーン、戦おう! そして勝とう!!」

 

 立ち上がって叫んじゃったけど、幸運にも周囲の迷惑になるようなことはなかった。

 ついにレースに決着がついて誰もが座り続けていることも、黙り続けていることもできなくなったから。

 

『ゴーォル!! まさかまさかの菊花賞逃げ切りッ! テンプレオリシュついに偉業を達成! きっちり一バ身離れて二着はマヤノトップガン、大きく離れて三着はムシャムシャ』

『無敗のクラシック三冠、全距離GⅠ制覇、シンボリルドルフに並ぶGⅠ七勝。これらの功績がたったひとりのウマ娘の名のもと一日の歴史に刻まれるなどと誰が予想できたでしょうか。

 今日という日を目の当たりにできたことを私は一生忘れないでしょう……』

 

 観客席はまさにスタンディングオベーション。

 座ったままポカンとボクを見上げているマックイーンの方が逆に浮いているくらいだった。

 

「ボクは来年の宝塚記念に出走する! だからマックイーンは天皇賞・秋に出てっ! 二人でリシュに黒星を付けるんだ!!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいませテイオー。貴方の夢は無敗のクラシック三冠でしょう? クラシック級で宝塚記念に勝利したウマ娘が何人いると思っているのです?」

 

「リシュだって無敗の三冠路線の真っただ中にバクシンオーとスプリンターズSで争ったよ!」

「ぐうの音も出ませんわね!?」

 

 しょーじき、ボクもあのローテを聞いた時はバカじゃないかと思ったよ。

 しかも勝っちゃうし。

 

「隔離されるのは無敵だからだ。だから、ボクとマックイーンでそうじゃないって教えてやればいい。そうだろ?」

 

 マックイーンは言葉に迷っているようだった。

 頭がぐちゃぐちゃになって言葉が出てこないだけで、心が燃え上がったことはその目を見ればすぐにわかった。

 だからもうボクたちの間に言葉なんていらなかった。

 

 視線をターフに戻す。

 歴史的偉業をビンゴのようにまとめて達成したのに、はしゃぐ様子もなくウイニングランを続けるターフ上のリシュ。

 ムカつくなぁ、そのすまし顔。ダービーの時の方がもっと露骨にはしゃいでなかった?

 

 

 

 

 

 今に見てろよ。

 無敵(ひとり)になんてさせてやらないんだから。

 




【レース後の1コマ】
「だーもう疲れたぁ! マヤノえぐいって……もう菊花賞なんて走るもんかっ」
《そりゃあ誰が何を言おうともう一度菊花賞を走ることは無いよねー》



これにて今回の連続投稿は終わり!
いつも通り一週間以内におまけを投稿予定…

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。