「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
痛みを知れ、ただ一人のため。
U U U
『最終コーナーを抜け直線に入る。真っ先に抜け出したのはタイキシャトル。強い強い、あとはもう後続を千切るだけ……いやウオッカ追走! 内側からバ群を切り裂いて上がってきた……大外からアグネスデジタルも飛んできた!』
《うわー、ええ……》
テンちゃんが気の抜けた感嘆を漏らす。
マイルCSに出走したデジタルの応援のため、私たちはいま京都レース場の観客席にいた。
無敗のクラシック三冠その他諸々を成し遂げたせいでここ最近はマスコミが煩わしいことこの上ないけど、観客席にいるウマ娘をレース中に捕まえるのはマナー違反と言うよりタブーに近い。
だから少なくとも、このレースが終わるまでは安全だろう。
《あー、たしかにこの世界線のウオッカはダービーから怪我していないし海外遠征の計画がおじゃんになったわけでもない。ただぼくらにダービーで負けたっていうだけで》
レース観戦中のウマ娘の邪魔をしてはいけない。あるいは自身のレースへ向かう興奮気味のウマ娘にちょっかいをかけるよりも、さらに危険だから。
マジギレしたウマ娘に蹴られたらヒトミミはお亡くなりになるのだ。
ウマ娘とヒトはお互いに良き隣人ではあるが親しき仲にも礼儀あり。
自分のことなら我慢するウマ娘も、自分以外まで蔑ろにされたら耳を絞ることもある。大切なライバルの応援を邪魔されようものならけっこうな確率でアウトだ。
隣人であるからこそお互いの生態は熟知しているし、それに合わせた対応も慣習となって脈々と受け継がれているわけである。
《だとすれば『ダービーのウオッカ』がゴルシTの手腕で調子を維持したまま夏合宿を経験し、秋を過ぎ今に至るのだとすれば、まあつまり
そもそも、どんな素性であれ観客席にいる間は一観客でしかないわけで。
それを軽視した態度はレースが国民的娯楽であるこの国においてナシ寄りのナシだよねという話。
顧客層からの印象が悪いにも程がある。このご時世ならあっという間にSNSに晒されて炎上不可避だろう。
《え? 今のダスカってあのウオッカに勝ってトリプルティアラ達成したってマジで?》
しっかし、デジタルは相変わらず凄まじい末脚だな。
抜群に身体に悪そうな速度だ。この瞬間だけ切り取って評すれば、タイキ先輩というレジェンドさえ凌駕している。
でも位置取りはウオッカの方が巧みだった。ラストスパート直前で微妙に前が詰まったデジタルに対し、ウオッカは完全にフリーパス。トップスピードではデジタルに一歩及ばないものの、ゴール板までの距離を鑑みると、これはいったか。
『アグネスデジタル驚異的な末脚。タイキシャトル苦しいけど粘っている。並んだ、三人が並ぶ混戦状態。ウオッカさらに伸びる。もつれ込むようにいまゴールイン! 体勢的にウオッカ有利か?』
周囲は大盛り上がり。だが頭の中でやけに騒々しいテンちゃんのせいで、熱気から隔絶された妙な空気が私たちを包んでいた。
三人ともタイムに差が無いくらいの接戦だったし、掲示板が確定するまでもうしばらく時間がかかるだろう。
ただ画面越しならいざ知らず、こうしてレース場で直に見ているのだから誰が勝って誰が負けたのか私は察することができる。
《それにしたってうーんうーん、この三人がマイルCSで競って、こういう結果になるとはねぇ……》
タイキ先輩が勝つっていうテンちゃんの予想、はずれたねー。
私の予想もはずれたけどさ。まあ予想というか、デジタルを一番応援していたってだけなんだけど。
《ここが府中ならまだ想定の範疇だったんだが……ダメだな。結局ぼくは色眼鏡から脱却しきれていないってことか。まーその色眼鏡のおかげでいろいろ恩恵に与っておいて、偏見や先入観だけノーセンキューってのも筋が通らないかな》
しばしのち、ぱっと点灯する掲示板。
一番上にあったのは予想通りウオッカの名前だった。
『掲示板が確定いたしました! 一着はウオッカ、二着はアグネスデジタル。二大マイル戦覇者タイキシャトル、まさかの三着ですっ』
『掲示板に輝くレコードの文字、これはまぐれではありえない。堂々と今ここに世代交代を成し遂げたウオッカ。GⅠ勝利は阪神JF以来となります。ジュニア級王者がクラシックでも実力を証明し、いまここにマイル王者の座を手に入れた』
短距離でバクちゃん先輩に勝った私が言うのも何だが、まさかマイルでタイキ先輩がクラシック級のウマ娘に負けるとはねえ。
驚愕の悲鳴が方々から大歓声に混ざる中、軽くテンちゃんとこの決着になった経緯を分析する。
たぶんさ。単純なカタログスペックで言えば、あの三人の中ではウオッカが一番下だったよね?
《そうだねー。タイキシャトルはもちろん、おデジの成長率だってバカにできないものだ。何しろぼくらと一緒にいる時間が最も長いウマ娘だからね。潰れていない以上は伸びるしかない》
そんな劇薬みたいな扱いに思うところが無いわけじゃないけど。
言っているのも自分自身だし、自覚が無いわけでもないので聞き流しておく。
自惚れでなければ、タイキ先輩はスプリンターズSの消耗が回復しきっていないように見えた。
もちろん表面上は万全だったし圧倒的だった。でも後続に追いつかれて壮絶な叩き合いに持ち込まれたとき、蓄積されたダメージが抜けきっていないのが垣間見えたというか。
まあバクちゃん先輩や私としのぎを削ってまだ二か月しか経っていないのだ。回復が追い付いていなくても仕方がない。それだけの激闘だったから。
一方でウオッカやデジタルは前のレースの消耗を完全に回復するのはもちろん、そのプラスアルファの分まできっちり上乗せして仕上げてマイルCSに臨んでいたように思える。
既に完成しているシニア級と成長途中のクラシック級の違い。いや、ピークを過ぎたウマ娘と本格化真っただ中のウマ娘の差異だろうか。
タイキシャトルは盛りを過ぎたのだという、どこか心の表面が肌寒くなるような事実を目の当たりにした。やはりウマ娘の旬とは短いものなのだ。
私もいずれはああなるのだろう。それも、数年後というそう遠くない未来に。
《まー史実と比較すると十分長く走っている方なんだけどねー。トレーナーというブースターの存在を加味してもよくやったんじゃない?》
どこか投げやりにテンちゃんが批評する。
確かに芝を主戦場にしているウマ娘としては長く走った方かもしれない。
芝よりダートの方が脚にかかる負担が少ないというのは誤りで、実際は負荷のかかる部位が異なるだけだというレポートを読んだこともあるけど。
記録上の事実としてダートを主戦場にしているウマ娘の方がトゥインクル・シリーズの現役を張り続ける期間が長い傾向にあることから、致命傷になりにくい部位に負荷が分散される意味を含めて『ダートの方が負荷は少ない』というのは間違いではないのだろう。
ただまあ、『史実』という表現に引っかかるものはあるが。タイキ先輩というレジェンドの歴史は目の前にあるのが十割で百パーセントだろうに。
《はいはい。そうですねー》
なんだか怒っている?
何に?
予想を外したのがそんなに腹立たしいことだったのだろうか。いや、微妙に違う気がする。原因ではあるけど本質ではないというか。
自棄……あるいは自己嫌悪。そんな落ち着かない感情が微妙に伝わってくる。
《ああごめん。ウオッカの
そう言うんなら今は触れないでおくけどさ。
テンちゃんのウオッカへの評価って妙に高いよね。
《現状はともかく、ウマソウルの格でいえばシンボリルドルフあたりとも互角だと思っているよ》
この業界の最高評価じゃん。
実際は私やスカーレットに負け続けて、クラシック級のGⅠ勝利は今回でようやくというありさまなんですけどね。
《すねてる?》
べつにー。
閑話休題。
さて、タイキ先輩が競り負けた理由はピークが過ぎたことによる回復力の低下として。
単純なステータスで言えば勝るはずのデジタルがウオッカに勝ちきれなかった理由。
まあこっちもわかりやすいか。
アグネスデジタルというウマ娘は生粋のウマ娘ちゃんガチ勢ではあるが、レースガチ勢ではなかったというだけのこと。
デジタルはウマ娘のことが好きだ。
大好きだ。LOVEである。三回表現を重複させても追い付かないほどに心の底からウマ娘という存在を愛している(ただし何故か自分自身は除く。謎だ。むしろ一番好きになるところじゃないのか)。
デジタルの思うウマ娘が最も輝く場所がレースであり、それを特等席から拝むために自らもレースの道を選んだのだ。
つまり彼女にとってレースに勝つことは、彼女がレースを志した動機と必ずしも一致しているわけではない。
やや語弊がある表現になるがデジタルにとって一着は目標ではなく義務なのだ。
あの輝かしい場所にお邪魔するのなら、限りある枠を自分ごときが占領して出走してしまった以上真摯に一着を目指す
その微妙なニュアンスの差が、魂のぶつけ合いとでも言うべき最終直線でわずかな遅れとして露出してしまったのではないだろうか。
このあたりはデジタルの課題かな。
いやどうだろう。彼女の個性という気もする。
少なくともウマ娘ちゃんへの尊みを捨てて勝利に固執する彼女を私は見たくない。それで勝率が上がるとしてもだ。
ここは負けたデジタルに欠点があったと決めつけるのではなく、勝ったウオッカを褒めることでお茶を濁しておくべきか。
勝利への執念が足りないせいで最後の一押しが足りないというのなら、執念が無くとも勝ちきれる安全マージンを稼げるだけの地力があればいいだけの話だろう。
実際、私はさほど勝利に執着していないが勝ち続けているわけだし。
ただまあ、その執念というか。
レースへの純度が最も高かったから今回ウオッカが勝ったのも事実。
根性や気迫で実力差がひっくり返るなら苦労しないし、その理屈だと負けたやつは根性が足りなかったみたいになるから嫌いだけど。
全部が全部ではないが、状況を打破する一要素として精神力で押し通せることだってあるわけだ。物理法則が時々呼吸を止めるウマ娘だとその傾向はより顕著になる。
ターフビジョンに映し出されるウオッカの勝利者インタビューを観察する。
消耗が隠しきれていないが、疲労で精彩を欠いた表情の中にも達成感がにじみ出ていた。
負けてたまるかと、勝つのは俺だと気迫を漲らせて走っていた。私の思い違いでなければ彼女はスカーレットのことをライバル視しているようだから、このままでは置いていかれるという焦燥もあったのではないだろうか。
時期的にこれがクラシック級のラストランになるはずだ。
勝ててよかったね。
友人として、素直に祝福しておこう。
実況は世代交代なんてそれっぽいことを言っていたけど、タイキ先輩はこれでドリームトロフィーリーグの方に移籍してしまうのだろうか。
確実に招待状の方は届いていると思うけど。むしろあの人に出さなきゃマイル部門で資格のあるウマ娘がいなくなるレベルだ。
《どうかな。中央に来るようなウマ娘は総じて責任感が強い。アオハル杯があと一年残っているから、その間はトゥインクル・シリーズの方に残っているかもしれないね。夢杯と同じ半年に一度ペースなら本格化が終わっていても相応の実力は発揮できるようだし》
それもそうか。
アオハル杯はドリームトロフィーリーグのウマ娘に出走資格はないものね。
それにしても、三年かけて開催されるアオハル杯の二年目がもうすぐ終わろうとしてるのか。そろそろ初期メンバーの離脱が目立つ時期になりつつあるのかもしれない。
個人の戦いではなくチームの名前を優勝まで導くアオハル杯の本領発揮だ。まあ〈パンスペルミア〉初期メンバーは最年長で当時シニア二年目のミーク先輩だったから、エース陣の交代はまだまだ先になりそうかな。
《ミークもなぁ。全然衰えが見られないんだよな。このままだと覚醒ミークでもないのに全能力がSに届きそうな勢い。これもぼくらの影響なのかしらん? 十中八九そうだろうなぁ……》
何やらテンちゃんがしみじみしている。
来週にはジャパンカップか。
一昔前は海外ウマ娘の草刈り場だと嘆かれる状態だったらしいけど、最近はそうでもない。テンちゃんがレジェンド級と呼ぶような実力者がじゃかぽこ湧いているからね。
実際、今年の開催もブライアン先輩が大本命の日本総大将。ゴールドシップ先輩も出走するらしいのでどちらかが勝ってくれるだろうと世間は期待している。
私も異論はない。
それが終わると十二月が来る。
年末の祭典。夢のグランプリ。
有馬記念が着実に近づいていた。
U U U
そんなこんなで月日は流れ十二月某日、都内の高級ホテルにて。
今日はここで有馬記念の記者会見が行われる予定だ。
初めて袖を通した時はやっちまったと思ったこの勝負服も、あと数えるほどしか着る機会が無さそうだと思うと名残惜しさすら感じる……かもしれない。いや、やっぱりまだ羞恥心が勝るか。
記者会見は学園で行われることもあるのだけど。今回はこうやって一般市民には縁の無い豪華絢爛なホテルの、披露宴にでも使われそうな広々とした会場が用意されている。流石はグランプリというやつだろうか。
いや、格式の差ってことはないか。由緒正しき日本ダービーのときだって学園でやったわけだし。実はどういう基準なのかいまひとつ把握していない。だってあまり興味ないし。
なんだかんだ言ってあくまで未成年の学生でしかないのだ。行けと言われたところに行って、やれと言われたことをやる。興味のないことに関する子供の意識なんてそんなもんである。
「いったんこちらでお待ちください」
「ありがとうございます。いきましょうかミーク、リシュ」
「……はい」
「わかりました」
丁重な案内に礼を言い、桐生院トレーナーの後に続く形で入室。
呼び込みが掛かるまで立食パーティーよろしく軽食が用意された控室で、見栄と値段がイコールで結ばれていそうな高級な食材を口にできるのがこういう場で行われるときのメリットだろう。
ただまあ、個人的には学園からわざわざ移動しなければならないデメリットの方が大きい。時間も手間もそれなりにかかる。そのリソースを走る方に回したい。
べつに練習熱心さをアピールするつもりはないけどさ。人付き合いのわずらわしさはやっぱり嫌いだ。
レースで走る私が好きなら喋らせるんじゃなくて走らせろと、一年以上この業界にいるがいまだに思う。
金も人手も無から湧いてくるわけがない以上、こういう活動もレースやライブと同様に重要な要素だというのは頭では重々承知しているつもりなんだけどねえ。
部屋に入るや否や既に来ていたウマ娘たちの視線が私たちにぐさぐさと突き刺さる。
見知った顔もあれば、データでしか知らない顔もある。とりあえずマヤノがやっほーと手を振ってきたのでやっほーと手を振り返した。
まあ出走するウマ娘の中で一番見知った顔は真横にいるのだけれど。
「……リシュちゃん」
「はい? どうしましたミーク先輩」
「…………負けません。むん」
「あ、はい」
このタイミングで宣戦布告とは、相変わらず独特なペースで生きているお人である。
白の勝負服が眩しい。
より厳密に言えば膝丈まである印象的なコートだって襟に金がアクセントで使われているし、ベストとスカートは淡い水色だったりするのだが、ミーク先輩の白毛と非常にバランスよく調和しているため全体のイメージは純白。
ネタ色の強い私の勝負服とは大違いだ。
年末の夢の祭典に桐生院トレーナーの担当から二人のウマ娘が出走。今のところ彼女の担当ウマ娘は私とデジタルとミーク先輩の三人なのだからなんと過半数だ。
飛ぶ鳥を落とす勢い。トレーナーの名門桐生院の中でも歴代最高の手腕であるなどと持て囃す声もしばしば聞く。
ただ、知名度でいえばトレーナーはウマ娘に一歩劣る。
若くて美人で優秀な桐生院トレーナーは一定数のファンを有するが、それでも歌って踊って走れるウマ娘には敵わないのだ。
つまり何が問題なのかと言うとライト層からの評価、言い換えれば世間一般から抱かれている印象。
桐生院葵という人物は多くの人間にとって『前人未踏の大記録を成し遂げたウマ娘テンプレオリシュの担当トレーナー』なのである。
……自画自賛じみたことを言っている私の羞恥心はさておこう。
《それがハッピーミークの逆鱗に触れた!》
いや、逆鱗に触れたわけじゃないけど。
普通に仲のいい先輩後輩でチームメイトだけども。
意識されているのは間違いない。『負けません』というのは単純にレースでどちらが先着するかというだけの話ではないだろう。
もともと、こうやって有馬記念に出走が叶うことからわかるようにミーク先輩は間違いなくトゥインクル・シリーズを代表する優駿の一人なのではあるが。
同期にゴールドシップという破天荒なスターウマ娘がいたせいで、微妙に過小評価されている気もする。
口さがない者は『ハッピーミークで練習した成果をテンプレオリシュでいかんなく発揮している』などと、これといった悪意も無く放言している始末。
でもさ、桐生院トレーナーの前じゃ大きな声では言えないけど。
私も、きっとテレビの前で応援してくれているデジタルも。
桐生院葵の愛馬はハッピーミークだと思っているよ。
贔屓しているとか、そういう話じゃなくて。こう何というか。
あの二人はパートナーなのだ。
何もかも初めてづくしのトゥインクル・シリーズを二人三脚で走り抜けた。お互いを思いやっているのに気持ちが掛け違って、すれ違って、クラシック級の一年間なんて迷走もいいとこだった。
その上でシニア級になってからわずか一年でURAファイナルズに参戦可能なスターウマ娘の一人までいっきに上り詰めて、魑魅魍魎がひしめく決勝戦で入着という成果を出した。
一人のトレーナーと一人のウマ娘が『最初の三年間』で築き上げた特別な関係性。中央ではよくあるものだと第三者が笑ったとしても、当人たちにとっては代用不可能な宝物。
《ハッピーミークの成果あってこその今のぼくらだって意味じゃあ、ネット上の無責任な発言もあながち間違いではないわな》
そうね。腹は立つけどね。
私もデジタルも、桐生院トレーナーとミーク先輩が積み上げたものに後から来ておいてのうのうと乗っからせていただいている。
その意識はあるし、それがある以上はどうしたって桐生院トレーナーとの関係性はミーク先輩が築いたものとは異なってくる。
ミーク先輩がいたからこそ、デビュー前から高水準に整っていた『走るための環境』。絶好のスタートダッシュの価値は時が経てば経つほどに実感の重さを増していく。
きっと私がミーク先輩に足を向けて眠れる日は一生来ない。
それはハッピーミークというウマ娘がいろんな意味で私の先輩だからだが、決して肩書に平伏しているわけではないのだ。
「…………おー。あのお皿、ひっくり返ったグソクムシみたいでかわいい」
「アッハイ」
「ふふ、そうですねミーク。綺麗な盛り付けです。リンゴ、よければ取ってきましょうか?」
それはそれとして独特の感性には共感し難いものもあるけど。
色とりどりのフルーツは庶民の手にはなかなか届かない高級品であるはずなのに、いっきに食欲が失せた。
《知ってるか? グソクムシって食えるらしいぞ》
いま問題なのは食えるか食えないかじゃないんだよなあ!
そりゃあカニもエビも食文化というフィルターを通さなきゃ似たようなもんだとは思うけどさ。
感情は理屈ではないのだ。それはそれとして理屈で感情をねじ伏せなければならない局面は多々あるけどね。
「さて。いいですかミーク、リシュ」
取ってきてくれた以上は食べねばなるまい。一口サイズのリンゴをしゃりしゃりと咀嚼する私とミーク先輩の前で桐生院トレーナーは注目を集めるように人差し指を立てる。
「最強は定義の数だけ存在しますが、有馬記念に出走する十六名のウマ娘は間違いなく今年度の最高峰の十六人です」
これは別に私たちのことを賞賛するために言っているのではあるまい。
その予想を裏付けるように桐生院トレーナーは真剣な表情で言葉を続ける。
「あなた達の才能と努力はどこに出しても恥ずかしくないものですが、どうしても経験という一点においては百戦錬磨のウマ娘たちに一歩劣ります。
ゲートに収まればそこからは敵。しかし裏を返せば、まだこの場にいる間は頼りになる先達であり同朋であるわけです」
アオハル杯のようなチーム戦ならいざ知らず、公式レースにおいて自分以外のウマ娘は全員が敵だ。
これは言葉を飾ったって仕方がない。もっと敬意のある呼び方があるのではないかとズレた苦言を聞くこともあるが、これは逆にそれ以外に定義する方が不義理だと思う。
勝利せねばならない相手を、それ以外の何かと誤魔化していったい何になるというのだろう。
だが、敵だからと言って粗雑に扱っていいわけでもないのだ。
そもそもこの業界は広いようで狭い。仁義を欠いた行いはあっという間に世界を一周して自分の背中を蹴り飛ばす。
普通に顔見知りと言える相手も、友達と呼べる相手もいるしね。必要以上に傷つけたってこちらが嫌な気分になるだけである。
「存分に交流を図って学んでください。保護者同伴ではどうしても詰め切れない距離も生じるでしょうから、私も私の成すべきことを成します」
そう言い残して桐生院トレーナーはトレーナー陣が集まる区画に行ってしまった。
私たちウマ娘はゲートに入ってからが本番だが、トレーナーはレース場まで送り届けてしまえば後は答え合わせのようなもの。
宣言通り、これから彼女はトレーナーとしての使命を存分に果たすのだろう。
「…………ではお互い、がんばりましょー、おー」
ミーク先輩はぬぼーっとしたいつもの表情のまま、さっさと行動を開始してしまった。
マイペースな性格ではあるが、桐生院トレーナーの指示にはいつだって彼女なりに全力で応えているお人だ。
さて私はどうしようかな。
チーム〈ファースト〉の面々がいれば同じはぐれもの同士、少しはマシだったのだが。
実力的にココンやグラッセあたりは既にGⅠ級と言えるのだが、さすがに有馬記念の十六枠に入るのは荷が重かったか今年の出走メンバーの中に彼女たちの姿は無い。
時期的にアオハル杯プレシーズン第三戦が迫っており、当人たちのモチベーションがそちらの方に向いているというのも大きかろう。
やっぱりアオハル杯の開催時期、間違っている気がするよね。
「おい」
ぼんやり立ち竦んでいると、ぶっきらぼうな声と共に近づいてきた人影がある。
私に向いていたいくつかの意識がそのビリビリとした気迫に圧されて遠ざかっていった。