「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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かくして役者は揃う

 

 

U U U

 

 

 嘘を吐くコツは、愚直なまでの正直者であることだ。

 

 

U U U

 

 

「ブライアン先輩」

 

 普段から威圧感たっぷりなお人ではあるが、本日は勝負服の効果で猛禽じみたプレッシャーが倍増していた。

 意匠のベースはセーラー服なのだろうか。しかし腰を覆う白いコートといい、胸に巻かれたサラシといい、注連縄を模した装飾といい、受ける印象はどちらかといえば学ラン。

 言ってしまえば不良マンガの番長あたりが着ている長ランだ。

 

「先日はジャパンカップの勝利おめでとうございます」

「ああ」

 

 真っ先にこの話題になったことに深い意味はない。

 顔を合わせれば話をする程度の仲とはいえ、中央の生徒数は二千人。お互いに暇とは言い難い立場であり、LANEなどでまめに連絡を取るタイプでもない。

 だから今日まで言う機会が無かった。それだけの話である。

 

 ジャパンカップの彼女はすさまじいの一言に尽きた。

 海外勢だって弱くない。わざわざ海を渡って不慣れな日本のバ場まで遠征に来たウマ娘なのだから。勝算と、それに見合うだけの実力があったはずだ。

 それでもナリタブライアンには敵わなかった。

 圧巻の三バ身。わりと真面目に走っているように見えたゴールドシップ先輩が二着でそれである。

 

《さすがはレジェンドをして『勝てる気がしない』と言わしめた怪物って感じだったよな》

 

 はてさて、テンちゃんが言っているのはどのレジェンドのことなのやら。

 

「あのレースも悪くはなかったが……満腹には程遠い」

 

 金色の双眸が私の顔を舐める。

 いつかゲームセンターで邂逅した日を思い出す。いや、あれは出会ったというよりすれ違いに近かったか。

 でも確かに脳裏に刻まれた記憶だった。それは向こうも同じだったのだろう。

 

「これだけ待たせたんだ。相応のものを味わわせてくれるんだろうな?」

「私だって好きで待たせたわけじゃないんだから勘弁してくださいよ」

 

 びりびりと肌が内側から刺されるような刺激だったが、肩をすくめて返した。

 

 身体の成長は自分の意思だけではどうしようもない。

 慎重に慎重に。少しでも加減を間違えればバキリとそのまま踏み砕いてしまいそうな薄氷の日々を積み重ねて、ようやくここまで来たのだ。

 

「まあ、お待たせした甲斐あって今回も無理のないコンディションで挑めそうです。それで今日まで一度も負けなかったので、次もきっとそうなると思います」

「ふっ。そうか」

 

 しかしこれはいいな。

 意識して威嚇しているわけではないけれど、私とブライアン先輩が並んだ威圧感は相当なものらしい。

 私に話しかけたそうにしていたウマ娘やトレーナーたちが完全に二の足を踏んでいる。

 勝負モードに入りつつある今のテンションでよく知らない相手とお喋りなどしても、トラッシュトークじみたものにしかならない確信があったから助かった。

 

 失言に暴言。

 傍から見ている分には面白いだろう。

 でも私、別に誰かを傷つけて悦に浸る趣味を持ち合わせているわけではないのだ。いや本当に。

 どうにも私の共感性は一般的な平均から大きく下回っているようだけど、それでも自分の言葉で傷ついた相手を見ると多少は不快になる。

 今日のところもテンちゃんがそういう方向に誘導している節は無いし、話さなくていいのなら話したくない。

 

《あれ? 気づいてた?》

 

 はっきり気づいたのは菊花賞のときの記者会見だったけどね。

 『なんだかいつもと違うな』って。

 そもそもテンちゃんは私と違って対人能力が無いんじゃなくて、相手にどう思われようとも自分の行動を改めないだけだ。相手がどんな気持ちになるか把握した上で断行しているのでよりたちが悪いとも言えるが。

 つまりその気さえあれば、私の言動を事前に添削できるわけである。

 

 これは私の人生だからと、私が失敗しそうなときでもあえて静観する節があるのは知っている。取り返しがつく範疇なら何度も痛い目を見てきたし、手に負えない規模になりそうならちゃんとフォローしてくれた。

 でも上手く根拠は挙げられないのだが、これはちょっと性質が異なる気がするのだ。

 なんだかスプリンターズSまでのテンちゃんはマスコミを始め、周囲に過激な発言をすることを意識してるように感じられた。

 

《まあね。無関心よりも悪評が勝るのがこの業界。一生あんなのっていうのは流石にナシだけど、三年間という限られた時間ならああいうキャラ付けにした方が効率よく売り出すことができるから》

 

 キャラ付けなんだ。

 

《でもまあ、たぶん当初の目標は達成したし? まだまだ稼げそうだし、せっかく造り上げたキャラクター像をわざわざ壊すまではいかないけど。これ以上むやみに敵を作る必要も無いかなって》

 

 ふぅん?

 その当初の目標っていうのは教えてくれないの?

 

《うん。まだ秘密ってことで。いずれわかることだろうし、今わかったところで何かメリットがあるわけでもないし。何よりちょっぴり恥ずかしいから》

 

 最後のが本音だな。間違いない。

 まあテンちゃんは気まぐれで嘘つきだが、こういう肝心なところで私に嘘をついたことは一度も無い。

 なら、本当にいつかわかることで、いま知る必要のないことなのだろう。じゃあそれでいいや。

 

《逐一添削される赤ペンだらけの人生なんて送るのも送らせるのもまっぴら御免だけどさ。リシュが他者との付き合い方を見直したいって言うのなら練習には付き合うよ?》

 

 うーん、それはなぁ……。

 なんとなくだけど、すごく嫌だ。

 

 だってこうしてブライアン先輩とはお互いに傷つくことも傷つけることもなく会話が成立しているじゃあないか。

 マヤノもデジタルも、桐生院トレーナーだって私が何を言わんとしてるのかしっかり理解してくれるではないか。

 何よりお互いに傷ついて傷つけて、それでもスカーレットは私とずっと付き合ってくれているじゃないか。

 

 私と関係性を築いた誰もが痛みを知るわけじゃない。接触したときに一方的に罅が入るのは単純に双方の強度に差があるからだ。

 礼を失しているとか、相手への敬意を欠くとか、ネットやマスコミからは好き勝手言われることも多いけど。私は私の理論でちゃんとやっている。

 理解できないのはお互い様じゃないのか。

 なのになんで私の方が相手側に配慮してやらねばならないのだ。

 かなりひどいことを言っている自覚はあるが、どうしてもダメだ。生理的嫌悪に近い拒絶が心の奥底から湧き上がってまったくやる気が起きない。

 

《弱者は強者の理論に従うしか無いんだ。力が無いからね。ゆえに相手を慮るのは強者の権利。それだけの話だ。単純な理屈だよ。まあ、それを強者側の義務であるかのように弱者側が要求する昨今の風潮はどうかと思うけどねー。しかし――》

 

 テンちゃんが苦笑する気配が伝わってくる。

 

《単純な世論への反発だけってわけでもなさそうだな。資格無き者への酷薄さ、残忍性。材質が()()()寄りなのは相変わらずってことか。情緒が十分に稼働し始めた分、そちらの性質も今の段階では強く引き立てられているっぽいね》

 

 何だろう。

 きっと(リシュ)のことを言っているのに、中身がさっぱりだ。

 でもテンちゃんはいくら聞いても教えてくれないことは絶対に教えてくれないし、逆に私が知っておくべきだと思ったことはちゃんと知らせてくれるからなあ。

 意味深なことを脳内で垂れ流された時にモヤモヤしながらスルーするのにも慣れたものだ。

 

 ねえテンちゃん。私がやりたくないのは悪いことなのかな?

 

《悪いよ》

 

 ばっさりとした断定だった。

 

《善悪っていうのは人間社会で生きるための基準(ルール)だからね。社会的動物として活動するのに支障が出る行いは悪だよ》

 

 そういうもん?

 もっと善悪とか倫理道徳とか、不変的な何かがあるんじゃないの?

 

《じゃあたとえばの話。冬眠に失敗したクマさんに出会ったとする。ヨダレをぼたぼたこぼすクマさんに『殺生はいけないことだ』と説法したとする。クマさんは涙を流して悔い改めて次の日からベジタリアンになると思う?》

 

 ……無理だね。

 というか翌日から菜食主義者なら食べられてるよね、それ。

 

《そういうこと。それができるのならソイツは新興宗教の教祖になるべきだね。いや、教祖になるようなやつなら逆に食わせるかな? でも宗教が絡むと善悪ってねじくれるからなぁ。飢えた虎に我が身を与えるのは宗教的には自己犠牲の献身だが、人類社会の観点からすれば野生動物に人肉の味を覚えさせるのは言い訳無用の害悪だし》

 

 うん、宗教がややこしいってことはわかったからそれ以上はやめておこうか。

 いろんな方面から怒られそうだ。

 

《まーね。要するに善だの悪だのの割り振りが通用するのはある程度安全が確保されたコミュニティ内部で、同族を相手にしているとき限定ってこと。食うか食われるかの生存競争の最中に倫理道徳を説いたところで食われるだけなんだよ。だって食う側に回らないのを選ぶってことなんだから》

 

 わりと反駁をいくらでも思いつく極論のような気がするけど。別に私はテンちゃんとディベートしたいわけじゃない。

 ばっさり切り捨てたわりに否定も咎めも無く、むしろ愉快そうな声色だった理由がわかるのならそれでいい。

 

《悪であることが悪いことだと認識されるのは、普通は悪のままでは生きていけないから。逆説的に社会的動物の一員であることを否定しても生きていけるほど強いのなら、悪のままでも悪くはない。ぼくはそう思うよ》

 

 じゃあ悪いやつのままでいいや。

 結局のところ、私には自分さえあればそれでいいのだ。

 

「よっ、お二人さん。こんなところで既にタイマンとはお熱いねえ。でもまだレースは始まってすらいないんだ。今から眼中にも無いって態度じゃ妬けちまうってもんさ」

「アマさんか……」

 

 肉食獣じみたオーラのバリアも、その猛獣にこまめに餌をやって世話を焼いているお人には効果が無かったようだ。

 私から目を逸らし、闖入者へまっすぐ顔を向け愛称を口にするブライアン先輩からは彼女に対する信頼と親しみを感じる。

 私とブライアン先輩が話しているところに割り込んできたのはヒシアマゾン先輩。スカーレットと同じくティアラ路線に進み複数のGⅠを制した女傑だ。

 ブライアン先輩の同期であり、彼女たちがクラシック級だったときの年末はこの有記念でシニア級の優駿たちを差し置いてワンツーフィニッシュを決めたほどの実力者でもある。

 学園内においては美浦寮の寮長としても有名だろう。その面倒見の良さの範疇は自身が担当する美浦寮の生徒に留まらないため、彼女のお世話になったウマ娘は少なくない。

 実際にブライアン先輩も栗東寮に所属しながら頻繁に世話を焼かれている一人。ヒシアマゾン先輩お手製の可愛らしいキャラ弁を、もくもくと仏頂面で食しているブライアン先輩というのはたまに見かける光景である。

 

「二人だけでメンチ切り合ってないでもっと周囲(アタシら)にも目をやっておくんな!」

 

 快活に笑うその表情にはさっぱりとした気風の良さがにじみ出てた。

 でもその面倒見の良さ、今の私的にはあまりありがたくなかったかな。

 きっとヒシアマゾン先輩が私やブライアン先輩を蔑ろにしているわけではない。他者と交流するのは正しいことで、私たちが不特定多数とのコミュニケーションを不得手としていることも事実である。

 私たちに話しかけたがっている者たちとの橋渡しをしておいて、さていい仕事したねと放り出すお人でもないだろう。きっと間に入って潤滑油の役割を果たしてくれる気満々のはずだ。

 ありがたい話である。

 でも別に、私たちはその正しさを求めているわけではないのだ。

 

「……気が乗らん」

「あっ、ちょ」

 

 普段から面倒を見てもらっているため強気に出ることはできず、かといって素直に従うでもなく。

 まるで嫌いな野菜を皿の隅へフォークで移動させるように、ふいっと逃げ出したブライアン先輩は幼稚といって差し支えない醜態だったけれども。

 私の目には悪くない態度に見えた。

 そうか、あれでいいのか。あんな生き方でも十分通用するんだ。

 

「待ちなって! あーもう、いっちまいやがった」

 

 同じ室内とはいえここは披露宴に使えそうな広さがある。さらにまだ全員が到着したわけではないが、出走する十六人とそのトレーナー陣が着々と集まりつつあるのだ。

 逃げられたら追いかけないといけない程度には距離が空いてしまうし、この人混み。意固地になって追い回さないと捕まえるのは難しかろう。そしてヒシアマゾン先輩はそこまで大人げない真似をする気は無かったようだ。

 がしがしと乱暴に頭を掻くと、私の方に向き直る。

 

「あー……邪魔してすまなかったね。こうしてしっかり話すのは初めてかい? ヒシアマゾンだ、よろしくな」

「どうも、テンプレオリシュです」

 

 軽く会釈するにとどまった。

 お互いに顔と名前を知っているし何度もすれ違ってはいるが、面と向かって会話する機会には恵まれなかった相手。かといって今さら初めましてから始めるのも据わりが悪い。

 美浦寮の寮長なのにテンちゃんが接触していなかったのは少し意外。

 

「……へー、なるほどねえ」

 

 まじまじと私の顔を観察した後、ヒシアマゾン先輩はまたもや快活な笑みを浮かべた。

 

「よかった! あのブライアンにそっくりって聞くからどんな問題児なのかと覚悟していたが、噂よりずいぶん可愛らしい子じゃないか」

「そうですか」

 

 先にも述べた通り、当時クラシック級だった頃のヒシアマゾン先輩とブライアン先輩の有記念は語り種となっている。

 それは素直に輝かしい歴史の一頁ではあるのだが、人々というのはとにかく新しいものを古いものに重ねて解釈したがる。

 べつにブライアン先輩は三冠ウマ娘ではあったが無敗ではなかったし、ヒシアマゾン先輩もティアラ路線で優秀な成果を出したとはいえ無敗のトリプルティアラなどではなかった。いや、だからこそなのだろうか。

 かつての二人と同じくクラシックの二つの路線で優秀な成績を出した私とスカーレットが有記念で雌雄を決する。その様をかつての栄光に脳を焼かれた老人どもはやれ新世代の怪物と女傑だのと好き放題に囃し立てる。

 勝手に新旧で括らないでほしい。別に私はブライアン先輩の後継者に収まったおぼえは無いし、ブライアン先輩だって旧式扱いされて愉快なはずが無いのだから。

 個人的にはそう思うのだけども、それはヒシアマゾン先輩の耳にも届く程度には幅広くマスコミに好まれている見解なのだった。

 

「少しばかりアイツに似て不愛想なのが玉に瑕だね、あっはっはっは!」

 

 もうちょっと距離が近ければバンバンと背中を叩かれていたかもしれない。そういうオカン的距離感の近さがある。まあ笑ってくれるだけありがたいか。

 別に不機嫌とか、ぶっきらぼうなのがカッコいいと思っているとか、そういうわけじゃあないのだ。

 あまり知らない人からぐいぐい来られるとどう対応していいのかわからなくなるだけで。

 

「ブライアンは昔からずっとあんな感じでね」

 

 ヒシアマゾン先輩の声のトーンが変わった。

 

「アイツに憧れるウマ娘は多かったが、アイツと仲良くできるやつはなかなかいなかった。今のブライアンがお前さんみたいな可愛い後輩と仲良くやれてるっていうなら嬉しい限りだよ」

「……まあお互い、通じ合うところもあるので」

 

 フィーリングが合う、とでも言うのだろうか。お互いに気兼ねなく言葉を雑にぶつけ合うことができる。

 それで傷つく相手ではないとわかっているし、それで傷つく自分だとも思っていない。

 お互いに饒舌な性質ではないが、あの人との会話は妙に楽だった。

 

「実はもしも萎縮し(ビビッ)ちまっているようなら今のうちにビシッと言っておいてやろうかと思ってたんだよ。マスコミのジジババどもは小難しい漢字や言い回しは知っているくせに、目の前のもんをありのまま見るのがド下手くそなやつらばかりだ。あんな色眼鏡にこっちの度を合わせてやる必要は無いってな」

 

 きまり悪そうに長い黒鹿毛を掻きながらヒシアマゾン先輩はそう宣う。

 テンちゃんでもあるまいし、頭の中を覗かれたわけでもないだろうが。

 その内容は不思議と先ほど私が考えたこととよく似通っていた。

 

「アタシはヒシアマ姐さんで、アイツはブライアン。アンタはテンプレオリシュでスカーレットもただのスカーレット。タイマン張るのにそれ以外のモンはぜんぶ余計なモンだ。外野は気にせず全力でぶつかってきな!

 ……なんて、アンタにゃ言うまでもなかったみたいだね。思い出してみれば当時のアタシも先輩方に遠慮してやろうなんて殊勝なことはこれっぽっちも考えちゃいなかったか。勝手に見縊って勝手に謝るのもなんだがとりあえず、悪かった。ごめんな!」

「いいえ。どういたしまして」

 

 ぱんと手を合わせて頭を下げるヒシアマゾン先輩。

 この人の姉御肌な気質とはあまり合いそうにないけど。この人が美浦寮所属のウマ娘たちから慕われている理由はこの数十秒の短いやり取りで十分に理解できた。

 私も嫌いではない。苦手かもしれないが。

 

 そんな背後でバァンと勢いよく扉が開け放たれる音。

 そうなのだ。目の前にこれほどの優駿たちが集ってなお。

 この控室にはまだ役者は揃っていないのだ。

 

《まさに夢の祭典ってやつだね。しっかし、この顔ぶれはあまりにひどくないか?》

 

「最速! 最高っ! 世界最強!! エルコンドルパサー、ここに入場デースッ!! ――フギャ!?」

「エールー? 皆様方、お騒がせして大変申し訳ありません」

 

 入ってきたのは二人のウマ娘。

 “怪鳥”エルコンドルパサーと“不死鳥”グラスワンダー。

 二人ともアメリカ生まれの帰国子女であり、語学の勉強の一環で何度か絡ませてもらったことがある。

 まあ友達ではないが顔見知りといっていい相手。

 

 お二人はルームメイトかつ同期、実力も伯仲しており気が置けない関係を築いている。

 今だってプロレスラーの登場シーンよろしくド派手に入室したエルコンドルパサー先輩の尻尾を、強く握りしめる形でグラスワンダー先輩が諫めた。

 大和撫子然とした立ち居振る舞いの奥に苛烈な炎を秘めたグラスワンダー先輩ではあるが、その苛烈さを自覚するがゆえに彼女は安易な暴力を厭う傾向がある(逆に言えば安易でないと本人が判断すれば『やる』ときは『やる』)。

 だがエルコンドルパサー先輩が相手のときだけは例外で、わりと頻繁に実力行使に出ているのをお見掛けする。きっと自分の素の部分をそのままぶつけても大丈夫という信頼関係があるのだろう。

 加えて、お二人とも武を嗜んでいるお方だ。派手にやっているように見えてその実しっかりダメージの残らないじゃれ合いの範疇に収めているのが見て取れる。

 

《プロレスラーは相手の技を受け切るのが華っていうしな。エルが受けに回るのは理論的に何の問題も無い。まー正月イベでヒトミミのトレーナー相手に寝技かけられて動けなーいってやっているのを見るにマゾ疑惑もあるが……》

 

 うん、今いらなかったかなその情報。

 

 エルコンドルパサー先輩。

 普段からプロレスのマスクを着用しているウマ娘。どこかわざとらしいカタコト交じりの日本語やプロレスオタクな言動も相まって、レースのことをよく知らないファンからはネタキャラ枠だと思われていることもしばしば。

 だが世界に羽ばたくと大言壮語してはばからない彼女の実力は文句なしの本物。クラシック級の時点でNHKマイルCやジャパンカップを制覇。翌年のシニア一年目においてはURAの悲願である凱旋門賞にて現地メディアに『チャンピオンは二人いた』と讃えられる半バ身差の惜敗で二着。本当にあと一歩のところまで迫った、わりと日本の歴史に名を残すレベルの優駿だったりする。

 海外遠征の経歴は伊達ではなく、日本語や英語のみならずスペイン語とフランス語も話せるマルチリンガル。学校の成績があまりよろしくないのを鑑みるに、世界に羽ばたく下準備だけは本気で欠かさなかったのだろう。そういう姿勢を含め色々と学ばせていただいた。

 

 ちなみにテンちゃん曰く総合能力はシンボリルドルフ級。

 なんかさ、最近そういうの多くない? バーゲンセールじゃないんだからそうそう皇帝クラスにぽこじゃか湧かれても……。

 

《仕方ないだろ? ぼくだってこんな頭のおかしい時代の真っただ中に望んで生まれてきたわけじゃないんだから。『I was born』とはよく言ったものだよ。受動形なんだよな。望まれて産まれてくることはあっても、望んで産まれてくる生物なんていないのさ》

 

 まあともかく。そんな彼女がルドルフ会長のように隔離組にならなかったのは、『黄金世代』と呼ばれるほどにエルコンドルパサー先輩の同期が豊作だったからだ。

 エルコンドルパサーというウマ娘は確かに強かったが、突出はしなかった。

 歴戦のライバルたちが彼女を独りにはしなかった。隔離する必要が無いほどに。

 

 彼女たちのクラシック三冠のうち二冠を制した幻惑逃げの妙手セイウンスカイ先輩は、菊花賞においてワールドレコードを叩きだしたトリックスター。

 残りの一冠である日本ダービーを獲ったスペシャルウィーク先輩はのちのジャパンカップにて、凱旋門賞でエルコンドルパサーを差し切り一着に輝いたモンジューを打ち破った日本総大将。

 いつか語ったキングヘイロー先輩もその一角。煌びやかな同期の後塵を拝し続け、十度の敗北を経てなお諦めず、ついに短距離でGⅠの冠をその手に掴んだ不屈のウマ娘。誰よりも泥を啜ったその経験は後輩への面倒見の良さという形で見事に昇華されている。

 

 そして、グラスワンダー先輩も当然その一人だ。

 大和撫子らしくおっとりした物腰のウマ娘。エルコンドルパサー先輩と同じくアメリカ生まれの帰国子女であるのだが日本文化に造詣が深く、趣味は野点というそこらの日本人よりもずっと日本人をしている。

 

《地元民が近所の観光名所に疎いようなもんだろ。そもそも書道に華道、茶道に日本舞踊、果ては居合に薙刀まで修めている相手と比べるのが間違っているって》

 

 それだけの習い事ができるっていうのもすごいよね。トレセン学園はお嬢様の集う場所なのだとこうしてたまに思い出させてくれる。

 

 さて、グラスワンダー先輩の戦績だが。

 私と同じくメイクデビューから朝日杯FSまで無敗の四連勝。その鮮烈な将来性を感じさせる勝ち方からマルゼンスキー先輩の再来やら怪物二世やらとマスコミに騒がれるものの、その後骨折が判明しクラシック級の上半期は治療とリハビリに専念することになる。

 リハビリとはつらく苦しいものらしい。私は怪我らしい怪我をしたことがないので伝聞でしか知らないが、テンちゃんが事あるごとに口うるさく注意してくるので相当なものなのだろう。

 十だったものを十五に増やすトレーニングと、十だったものが故障で七に減りそれをまた十に戻すリハビリ。上昇量は前者の方が上だが、より多くの労力を必要とするのは断然後者だという。

 それでもグラスワンダー先輩は復活した。のちに黄金と評される世代と、そんな彼女たちさえ跳ね返す先達を相手に復帰戦から敗北を重ね、ついには待望の勝利を一年ぶりに、なんと有の舞台で達成。つまり彼女もまたクラシック級にて有記念を制したウマ娘の一人なのだ。

 その翌年も新たな怪我に悩まされながら順調とは言い難い春を過ごすものの、夏の宝塚記念で同期のダービーウマ娘、スペシャルウィーク先輩を相手に差し切って三バ身をつける完全勝利。

 引退までに故障を経験しないウマ娘の方が少数派とされるトゥインクル・シリーズではあるが、グラスワンダー先輩の経歴においてそれはひときわ目立つものだ。その上で冬と夏のグランプリレースを連覇という輝かしい戦績を達成した彼女は、ゆえに敬意を持って呼ばれるのだ。

 

《“不死鳥”ってね。普通怪我すると結構な確率でそのまま下がる一方なんだがね。だからこそ復活を遂げたやつらが奇跡だのなんだの持ち上げられるわけで。いや本当にテイオーお前なんなんだよ》

 

 何でそこでテイオーが出てくるんだ。あの子はフォーム矯正も始めているし、もとからフィジカルもセンスもあるし、当分故障とは無縁でしょ。

 ちなみに個人的な感想ではあるが、グラスワンダー先輩は少しだけテンちゃんに似ていると思う。

 

《えっ、どのあたりが?》

 

 ちょっとだけ、だけどね。

 生まれ持った気性を後天的なロジックで覆い隠して、別にそのどちらも無理して捻じ曲げているわけではないところとか。

 あとはこう、中央に来るようなウマ娘って『命を懸ける』くらいまでならできちゃう子が多いけど。

 グラスワンダー先輩はその先、『命を捨てる』ところまでできる人な気がする。

 生きるか死ぬかの大博打ではなく、自らの終焉を前提とした大勝負。自らの誇りのために命を使い切ることができる武士(もののふ)メンタル。

 テンちゃんもちょっとそういう危ういところがあるから。

 そういうところも嫌いじゃないけど、心配にはなるのよ。半身としてはね。

 

《そっかー。そう見えてるのか》

 

 エルコンドルパサー先輩とグラスワンダー先輩のお二人は今回の有記念をトゥインクル・シリーズの締めくくりとし、ドリームトロフィーリーグに移籍するのではないかと噂されている。

 正式に発表するとしたら今日だろう。

 黄金世代と鎬を削る貴重なチャンス。是非とも己が血肉に変えたいものだ。

 

 ラストランという話題性もあり、当人たちも現在進行形で騒がしく、そして黄金世代の呼び名に違わず煌めくような存在感を放つ二人に部屋中の意識が引き寄せられている。

 そんな中、ひっそりと入室してきた最後の一人を私は見逃さなかった。

 

「……」

「…………」

 

 無言で交差する私と彼女の視線。

 触れたらすっぱり切れそうな眼光。ぱっくり開いた白い傷口から一拍置いてじわりと滲みだす紅すら幻視する鋭利の一閃。

 あの一番大好きせっかちさんなスカーレットが最後に来た。

 その意味を捉え損ねるほど私は鈍感じゃないつもりだ。

 公の場では優等生の仮面を被るのを常とする彼女が本性を隠していない。

 否、隠す余裕が無いほど消耗しているのだ。

 クリームを塗って誤魔化しているが肌艶が悪い。もう調整に入ってもいい段階なのに、この期に及んでいまだに心身を削るハードなトレーニングを続けているのだろう。

 控室で待つ一分一秒すら惜しんで、本当にギリギリまで。彼女の担当がゴルシTじゃなきゃ今の倍は心配しているところだね。

 まともなやり方では私に勝てないから。まともじゃなくなるしかないわけだ。

 それでいい。

 私だってきみに勝つために走るのだから。

 

 

 

 

 

 始まった記者会見。

 尋ねられた意気込みに、私はこう答えた。

 

「ダイワスカーレットに勝ちます。今年の有記念にはそのために来ました」

 

 この関係を何と呼ぶのか私にはわからない。

 でも偉大なる先輩や、同期の変幻自在な天才よりも。

 三冠の怪物や、女傑よりも。

 黄金世代の怪鳥や不死鳥よりもなお。

 彼女に勝つことの方が大切。

 周囲がどう思おうとも変える気も偽る気もない率直な感情だった。

 

 さあ、決着を付けようか。

 これまで私が勝ち続けてきたけど、トゥインクル・シリーズでも同じかな?

 

 

 




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