「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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ずっと前から決めていました。
このレースは彼女たちの視点で描くと。
というわけで、テンプレオリシュ視点です。

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感想、誤字脱字報告もありがとうございます。


弾む鼓動

 

 

U U U

 

 

 女神の甘言になんて乗るものじゃあないな。

 まだ生きてるじゃないか、この子。

 

 

U U U

 

 

 中山レース場、地下バ道にて。

 待ち合わせしたわけでもないのに、まるで当然のようにスカーレットと私は肩を並べた。

 

「ごめんなさい。待たせたかしら?」

「なに、私もいま来たところだよ」

 

 中央に来てからトゥインクル・シリーズでこうして隣に並ぶまで二年かかったけど。

 私はこの日を待っていたのかな? それとも待たせたのは私の方か?

 

 目は合わせない。

 ただ前だけをまっすぐ見て歩く。

 そのはずなのに徐々に視界の中の彼女の割合が大きくなっていくのは、別に歩幅の差だけが原因ではあるまい。

 前座とか真打とか、こういうのはえてして先に出た方が格下とされることが多いけども。

 このせっかちさんにそんな理屈は無縁らしい。一番が大好きな彼女は確実に私よりも先に地下バ道を抜けようとしていた。

 揺れる紅のツインテールを見ていると郷愁じみたものさえ覚える。

 そういえば地元ではいつもこうして彼女の背中を追いかけていたっけ。ゴール板を駆け抜ける頃には私の方が背中を拝ませてやっていたものだが。

 

 ……それにしても、さ。

 パドックで見たときから思っていたんだけど。

 スカーレットからめっちゃ出てない? 何かこう、紫色のオーラみたいなものが『ゴゴゴゴゴゴ…』って感じで。

 

《うん、出てるね覚醒オーラ。アプリじゃミークと桐生院の黄金コンビでさえ五回以上の敗北を経て三年かかったっていうのに、まさかクラシック級に間に合わせてくるとは。さすがゴルシT》

 

 なにそれ?

 

《ぼくもぶっちゃけアレが何なのかよくわかってないけど……限界まで削ぎ落とした肉体に鬼が宿るというか。フィジカルとメンタルが高次元で噛み合って普段より二段階くらい上のパフォーマンスが発揮できる状態、かな》

 

 なるほどね。つまり手ごわいってことだな。

 

 

 

 

 

 十二月二十五日。

 本日の中山レース場は入場制限どころか周辺の交通規制すら発生しているらしい。

 観客が完全に収まり切っていない。

 さすがは年末のグランプリレースである。

 

《いや、明らかに異常だろ》

 

 うん知ってる。やっぱり私たちのせいだよね。

 ちょっと現実を認めるのがつらかっただけだ。ただ私だけのせいではないという点は断固として主張させていただく。

 

《クラシック路線の無敗とティアラ路線の無敗、そのどちらかが確実に負ける。あるいは二人ともここで初めての敗北を喫する可能性だって決して低くはない。

 だが勝てば歴史的偉業の更新。このネット全盛期のご時世になお生で拝みたいというファンが溢れてもまあ、この世界なら不思議ではないのか……?》

 

 テンちゃん曰く『ここの住人は本当にモラルが良い』とかで、レース場に収まり切らなかった人々も無理に居座ろうとはせず誘導にはしっかり従っているのが救いといえば救いか。

 走る張本人からしてみれば、負けるところを期待して見に来るのはいささか趣味が悪いのではと言いたくなる。いや、全員が全員そんな悪趣味を原動力に中山レース場まで足を運ぶわけじゃないんだろうけども。

 ゆらりゆらりと揺れる感情。

 普段なら勝つのは私で、負けるのは相手だと胸を張って宣言することができた。たとえ敗色濃厚なバクちゃん相手だったとしてもだ。

 今の私にはちょっと無理。

 スカーレットに勝つ自分というのが上手く想像できない。何故だろう。数えきれないほどに経験してきたはずなのに。

 負ける姿もまったく想像できないけどね。経験ないし。

 そもそも彼女だけに注目していいような戦場でもない。

 

《いや本当にね。なんで『有馬記念』を勝ったソウルの持ち主がこんなにぞろぞろひしめいているんだよ。一人や二人じゃないっておかしいだろ。連載後期の少年マンガかよってインフレ具合ですねコレハ……》

 

 喉に張り付く冬の凍てついた空気。

 湯気が立ち昇りそうな観客席の熱気。

 響くファンファーレ。

 さあ、いよいよだ。

 

『年末の中山で争われる夢のグランプリ、有記念! あなたの夢、私の夢は叶うのか』

 

 レース場まで来る途中、私のファンだという小さな女の子に話しかけられた。

 がんばってください。応援しています、と。母親の手助けを受けながらたどたどしい言葉遣いで一生懸命に伝えてくれた。

 何でも今年のクリスマスプレゼントは私の有記念の勝利をサンタさんにお願いしてくれたのだとか。

 私だって数年前までは無邪気な小学生だったのだ。子供にとってサンタさんのプレゼントがどれほど貴重で大切なものなのか、わかっている。

 ありがたいことだ。

 それでも、残念だけどさ。

 私たちの勝敗の行方は誰にも譲ってやらない。たとえそれが大恩あるサンタクロースだったとしても。

 

『三番人気はナリタブライアン。一枠二番での出走です』

『かつてクラシック級で有記念を制したクラシック三冠の怪物が今年また帰還しました。素晴らしい気迫です。実力では一番人気にも引けを取りませんよ』

 

《ずいぶん謙虚な言い方だな》

 

 まったくだ。

 真新しいものに目を惹かれがちなファンの票がクラシック級のぽっと出スターウマ娘に集まっただけで、専門家たちからの評価はむしろブライアン先輩一強とも聞く。

 私もだいたい同意見だ。単純な実力ならブライアン先輩が十六人の中でトップだろう。

 

 スカーレットのように変なオーラが出ているわけではない。

 ただいつも通りの威圧感を、そのまま単純に密度を濃厚にしたような怖さがある。

 いつか種目別競技大会で走ったときの記憶が遠い夢のことのように感じる。私にトゥインクル・シリーズという魔境の広さと深さを教えてくれた一方的な恩師。

 あのときの猛威さえ檻に閉じ込められ腑抜けた獣の嘆息に過ぎなかったとは。夢から覚めた今、待ち受けるのは厳しすぎる現実だ。

 いや、ファンからすればこれもまた現在進行形の夢を構成する十六分の一に過ぎないのか。いいなー観客席って。あったかそう。

 

『二番人気はもちろんこの子、ダイワスカーレット。七枠十三番での出走です』

『無疵のトリプルティアラにエリザベスの王冠を添え、その実力がクラシック級に留まらないことを証明した紅の女王。あの力強い逃げが年末の中山でも炸裂するのでしょうか』

 

《どうだろうなぁ。さすがにこのメンバー相手に逃げ切るのは覚醒ダスカでも難しいと思うんだが……》

 

 そしてスカーレットが二番人気と。

 まあ実績と実力、今が旬の話題性を鑑みれば順当な評価かな。

 

 私はクラシック三冠目の菊花賞を最初から最後まで先頭を譲らず逃げ切った。

 でもあれが成立したのは私のスペックが同期の誰よりも、頭一つ抜けて優れていたからだ。それはマヤノを比較対象とした場合でさえ例外ではない。

 だが今回は違う。この戦場では前提が全く異なる。明確に劣る相手がいるし、拮抗していると思える相手だって一人や二人ではない。

 考えなしに同じことを再現しようとすれば、ほぼ確実に最後の直線でまずブライアン先輩に噛み砕かれて終わるだろう。

 

 私にできないんだから、スカーレットにもできない……と思う。

 だけど、どうだろう?

 私が詳細に知っているのはあくまで中央に来る前のスカーレットだ。

 ティアラ路線を歩み始めた以降の彼女のデータは表面上から得られるものに限られる。あの戦いの中でダイワスカーレットというウマ娘は何を得て、何を失い、どのような成長をしたのだろうか。

 否応なしにすぐわかる。

 

『そして本日の一番人気。無敗の七冠ウマ娘テンプレオリシュ、五枠九番での出走です』

『御伽噺は伝説を超えられるのか? それとも今日、魔王を打ち破る勇者が誕生するのか。ただただ期待が募ります』

 

 大歓声。

 言葉になっていないそれは何よりも雄弁に実況へ同意していた。

 勝手な期待を一方的に背負わせて。

 いや、勝手ではないのか。少なくとも今こうして狭苦しい金属製のゲートに収まっているのは私の意思だ。自分で選んだ選択の結果だ。

 私がこの舞台を夢見た数多の誰かを蹴り落としたその成果だ。

 

《ぼくらはただ走るだけ。そこまではぼくらの勝手さ。そしてそれを見た誰が何を思おうと、その考え自体を制限する権利はぼくらには無いよ。勝手にすればいい。

 見て脳を焼かれてとち狂った結果、ぼくらの走りにケチを付けようっていうなら黙って従ってやる筋合いも無いけどね。それだけの話さ》

 

 そういうもん? ふーん、じゃあそれでいっか。

 レース直前の早鐘のような鼓動にぽわぽわと湧き出る熱の粒が溶け込んでいく感覚が、心地よいような気持ち悪いような。

 

 いいさ、期待していればいい。好きなように夢を乗せろ。

 運んでやるさ、テンちゃんと私で。貴様らごときでは到底たどり着けないところまで。

 そうやって観客席で眺めていればいいさ。

 走るのはどうせ私たちなんだから。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 比喩抜きでレース場に入りきらないほどの人間が総じて固唾をのんで見守る一瞬。決壊が約束されたぎりぎりに押しとどめられた興奮。

 静寂を打ち破るのはどこまでも無感情な金属の擦れる音だった。

 ゲートが開く。

 

『さあ始まりました有記念。年末の大一番、センターの座に輝くのは誰だ!』

『十六人きれいなスタートが決まりましたね。その中でもまっさきに飛び出していったのは十六番――』

 

 直前まで煩わしかった大歓声も、一度気にしないと決めてしまえば生温いシャワーのようなものだった。

 熱くも重くも無い。ただ皮膚の上を流れ落ちていくだけ。

 さて、使うか。

 私の奥底、温かく燃えるそれに手を伸ばす。

 根源に指を添え、引き抜くとでもいうべき感覚。

 私が鞘で担い手、抜き放たれる刃がテンちゃんだ。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【マイナス23.4度の世界】

 

 自嘲、自己嫌悪。

 白域(これ)を使うたびに普段は軽薄な態度の中に覆い隠しているテンちゃんの感情が剥き出しになる。この【領域】のイメージが刀身を握りしめ自らに突き刺す自傷行為となっているのはそういうことだろう。

 隠しきれる程度に軽微なものではあるが、消しきれない程度にそれはずっとそこにあるのだ。

 

 【領域】というのはそのウマ娘の根源。

 異なる世界のどこかの誰かが積み重ねた数々の想い。その名前が綴った歴史の頁。

 それらを受け継いだウマ娘が自らの血と肉と魂に溶かし込み、この世界を限定的に塗り潰すまで昇華させた結晶。

 それを資格も無く奪い取り、おもちゃのように自慢げに振りかざす。いったい何様のつもりなのかと。

 テンちゃんはそう考えているようだ。僭称だとかまがいもの(イミテーション)だとか、そういう自称もそういうことなのだろう。

 その上でその想いは優先順位としては明確に下位にあり、上位の目的のため常に後回しにされている。

 

 私には無い発想と価値観だ。

 だから大切にしたい。

 

 それはそれとしてこれは私の力でなんの恥ずべきものも無いから、思いっきり活用するけどね。

 だって机の上に並んだ湯気を立てるステーキを見て『ああ、三か月前までは牧場を元気に走り回るモーリー君だったのに……』と涙を流すやつがいるとすれば、それは優しいというより頭がおかしい判定になるのが人間社会というものだろう?

 食べるときには食べることを考えるのが道理だ。

 感謝する心や気を遣う機能が無いわけじゃない。ただ使うタイミングではないというだけで。

 

 今回引っ張り出したのは私がストックしている【領域】の中でもとびっきりの変わり種。

 塗り潰されていく世界にまず具現したのは、流転する季節。

 草木が目覚め綻ぶ春。緑が生い茂り灼けるような日差しが降り注ぐ夏。美しく紅葉が映える秋。雪に閉ざされ草木が眠りにつく冬。

 それらの光景が、がくんと傾く。

 くるりくるりと巡っていた四季が固定される。常夏や常冬は無論、常春や常秋というありえない景色が構築される。

 四季があるのは地球が自転軸を傾けたまま公転しているからだ。もしも自転軸が公転面に対して垂直になれば、四季の変化は発生しなくなる。

 すなわち変化の否定。この戦場全域はこれ以降、他者の【領域】具現を受け付けなくなる。

 

能力封印(シール)系アビリティ。まあ異能バトルに一つは出てくるよね》

 

 しかし、奪っておいてこき下ろすようで悪いが……。

 この『【領域】を封印する【領域】』、私が持つ『【領域】へのカウンターで発動する【領域】』以上に使い勝手が悪かったりする。だってあまりにも使いどころがない。

 私が中央のGⅠを主戦場にしているからこうして【領域】に至ったウマ娘と幾人も遭遇しているが、そのGⅠの舞台でさえ出走する者全員が使ってくるわけではないのだ。

 使ってくる相手がいないと意味が無いのに、使ってくる相手がいたところで全員が使えない状態にするだけ。これが微妙でなくていったい何なのか。

 

 そもそも【領域】は切り札となり得るものではあるが、【領域】を使えるから強いのではなく、強いウマ娘だから【領域】に至っているケースが大半だ。切り札を一つ没収したところで手強い相手とガチバトルしなければいけないことに変わりはない。

 付け加えるに、純粋に性能面でも微妙極まる。自分だけが使える状態にするとかならともかく、大仰なイメージにふさわしくこの【マイナス23.4度の世界】は戦場全体に作用する。もちろん自分も効果範囲内だ。

 そして私の【領域】でストックされていることからご察しの通り、力尽くで破ることもできる。たとえるのならでっかい氷でレース場全域に蓋をしているようなものだろうか。時間経過でどんどん氷は解けて拘束力は弱まるし、氷を跳ね除けるパワーがあればそのまま押し切って発動できてしまうのだ。

 

《ま、そのあたり含めて使いようなんだけどね。これは『相手の力を封印する手札』じゃなくて、『相手に不本意な二択を押し付ける手札』ってことだ》

 

 力尽くで破れるということは、破るためには通常以上の力を消費するということでもある。

 先ほども述べた通りにこの【マイナス23.4度の世界】は個々人ではなく戦場全体に作用するタイプ。全員が使えないか、全員が使えるようになるかのどちらかだ。

 自分一人だけがウマソウルを消耗して無理やりこの【領域】の干渉を跳ね除けた先に待つのは、通常通り【領域】が具現できるようになった万全のライバルたち。割に合わないと感じるのが人情ではなかろうか。

 つまりこのカードは相手の【領域】を封じるのがメインではなく、【領域】が使えない縛りプレイを続けるのか、それともどこかのタイミングで自分だけが消耗してライバルたちを万全にしてやるか、その理不尽な二択を強いるチキンレースじみた嫌がらせが主な効果だと言える。

 

 ……まあそんな二択が成立するためには、レースに出走しているウマ娘の過半数が【領域】に至っているようなGⅠレースの中でも上澄みの顔ぶれであることが大前提なのだけども。

 そして今年の有記念はその前提をクリアしている。何かがおかしいと思うんだけど、おかしいのがこのレースなのか、それともこの時代なのかまでは私にはわからない。

 

 このように使い勝手の悪い【領域】ではあるが、しかし今の私たちにとってはまさに最適解だった。

 バクちゃんと競ったスプリンターズSのように【領域】乱舞の展開になれば今の私たちじゃもたない。1200mでさえ勝負服が半壊する憂き目にあったのだ。その倍以上の2500mなら身体か魂、あるいはその両方がぶっ壊れる。

 あれからまた私たちも成長しているとはいえ序盤から【領域】合戦は無茶ではなく無理の範疇。理想を言えば最終コーナー、せめて1000m地点までは魂をぶつけ合うような激闘は避けたい。

 【領域】を画一的に押さえつけることしかできないこの一枚の手札は、そういう意味で状況を打開する何よりの切り札となったのだ。

 

 ただ、同時に思う。

 このような使い方は私の身体がGⅠウマ娘の中でも上から数えた方が早い高スペックで、なおかつ無数の手札をストックできる【領域】を有しているからこその活用法。

 一般的にウマ娘は一つでも【領域】に至れば幸運で、二つ以上持っているのはレジェンドと呼ばれるような歴史に名を残す優駿だ。

 テンちゃんの言葉を借りれば『【領域】ガチャでハズレを引いた』ウマ娘たちは、いったいどうすればよかったのだろう。

 

 私と出会って挫けてしまったウマ娘たちに、私が無責任にがんばれと励ます気になれない理由。

 生まれ持ったものが違い過ぎる。

 努力するのは大前提。同じ環境で同じだけの努力をすれば、より恵まれた素質を持つ方が高い成果を出せる。当たり前のことだ。中央では誰もが一度は思い知らされる。

 私も幾度となく痛感した。見上げる側ではなく、上から下を覗き見る側として。

 私に断片を託しては消えていくオリジナルの持ち主たち。彼女と同じ【領域】に生まれていたのなら、私は今と同じ戦果を出すことができただろうか。

 脳裏を過るたびに無理だという結論が即座に出る。

 

 心身ともに苛め抜き、鍛え抜き、血を吐くような思いで到達した【領域】があまりにもあんまりな性能をしていたとしたらそのウマ娘はどうなる。

 実際こんなもの単体でどうすればいいんだという【領域】を獲得した経験は一度じゃない。

 私なら彼女たちが遺したものを十全に活用することができる。

 だったら彼女は私に喰われるために生まれてきたのか?

 私の糧となるためレースに夢を見て走り続けてきたのか?

 テンちゃんがたまに口にする女神様とやらは、きっと残酷な性格をしているに違いない。

 

 でも、だからこそ。

 やはり私には走ることしかできないのだろう。これ見よがしに奪い取った欠片を振りかざしながら。彼女たちでは到底たどり着くことのできなかった高みを目指して。

 勝者が敗者にかける言葉など無いのだから。その背中で語るのみだ。

 

「ほう……」

「あら~」

 

 視線が私に集中する。

 何が起きたのか、どうすれば解除できるのか、くらった瞬間にわかるやつだからなこれ。先輩方にとってみれば生意気な後輩がいきなり喧嘩売ってきたようなものだろう。

 でも見るのは私の方で本当にいいのかな?

 レースは序盤も序盤。スタート直後の先行争いの最中だ。ほんの一瞬割り込んで世界を少しばかり傾けただけで、一周目の第四コーナーにもまだ到着していない。

 今日の私は差しで行くからこっちばかり見ていたら出遅れるぞ。

 教科書通りの何のひねりも無い位置取りだが、奇をてらう必要は無い。格上がひしめくこの戦場ならこれが一番やりやすい。

 【領域】によってテンちゃんの消耗は抑えられるが、フィジカル面の難易度は据え置きなのだ。何でもできる私の強みを活かさないとね。

 

「どりゃああああああああ!!」

 

 先頭に立ったのは大外枠を引いたくせに逃げることを選んだアングータさん。ガンガン飛ばして進路妨害にならない程度の距離を稼ぐとぐいぐい内側に切り込んでいく。

 彼女は私の同期、日本ダービーにも出走した実力者だ。そのときは破滅逃げに挑戦してものの見事に潰れたが、こうして年末の祭典にいるあたりアングータさんの挑戦は幾人もの心を惹きつけることに成功したらしい。

 私の見立てでは彼女はマイラーなんだけどな。2400m(日本ダービー)でさえ途中で力尽きていたのに、2500mをそのペースでもたせるつもりなのだろうか。

 

《まぁ一説によれば有記念ってマイルらしいし。オグリキャップも本質はマイラーだって言われているけど勝ってるし》

 

 たしかに中山レース場の内回りは『中山の直線は短いぞ!』という実況が有名なように一周の距離が短くカーブがキツい小回りのコース。

 全体の高低差が5.3mと二階建ての建物に相当するこのコースは決して楽なものではないが、キツいカーブでは自然とスピードを落とすことになるため必然的に息を入れるタイミングは多くなる。

 コーナリングの技術を磨けばマイラーでも勝ち目のあるコースと言われているのは確かだった。

 

 それに、考えてみれば日本ダービーから有記念まで半年あったのだ。

 私が成長したように彼女だって成長している。

 ただがむしゃらに、糸のようにか細い勝機にかけて前だけ見据え走っていたあのときのアングータさんじゃない。ちらちらと後ろを意識しているのが見て取れる。

 後続を気にするのは別に珍しいことではないが、そういう話ではなくて。あのとき見た破滅逃げとは根本的に質が違う。

 幻惑逃げ。

 先頭に位置取りペースを支配することで後続を惑わせる走り。レース全体を俯瞰する視野とセンス、何より常に追われ続け消耗する中で思考を失わない精神と脳のタフさが要求される高等技術。

 かの黄金世代が一角、セイウンスカイ先輩が得意としたそれを今のアングータさんはやろうとしている。

 

 この大舞台で実行に移したのだ。

 それだけの根拠が彼女の中にはあるのだろう。

 どれだけのトレーニングを積み、何度くじけそうになる心をそのたびに立て直したのだろう。

 

 ただ、言っちゃなんだが相手が悪いかな。

 戦場と手札が噛み合っていないというか。

 幻惑逃げが成立するのはペースを握ってこそだ。後ろから突きまわされて逆に自分のペースが保てないと成立しなくなる。

 実際クラシック二冠に芝3000mワールドレコードと目に見える成果を出し過ぎてしまったセイウンスカイ先輩は菊花賞以降、徹底的にマークされる展開が多くなった。そしてそういうレースではいずれも彼女は芳しい成果を残せていない。

 ここには相手のペースに合わせることなんかしないでガンガン前に出たがるせっかちさんがいるんですよ。

 

「はあああああ!」

「くっ、ぜりゃあああ!」

 

『先の長いこのレースですが早くも熾烈な先行争い。十三番ダイワスカーレットと十六番アングータ、この二人が前でしのぎを削る』

『ハイペースで流れる展開もありえそうですね。ここ最近のGⅠではレコードが更新されがちですから、少しばかり期待してしまうかもしれません』

 

 思ったよりアングータさんが粘っているな。

 もっとあっさりスカーレットが先頭に立つかと。

 なんだか……やりにくそう?

 顔に見えないほど細い蜘蛛の糸が一本張り付いたような違和感。

 

《マヤノだ。えげつないことやってやがる》

 

 脳内で俯瞰している分、テンちゃんの方が先に気づいた。

 中団の差しポジションに収まりつつある私たち。さらにその後方、ヒシアマゾン先輩の隣という最後方にマヤノはいた。

 先頭からシンガリまでするすると距離が空いていくこの状況で、先行争いに追い込みの位置から糸が繋がっている。

 

「あー、わかっちゃった?」

 

 バ群が遮蔽となり直接視線も声も届くことのない相手と、ぱちりとぶつかった魂が火花を散らした。

 

『先頭に立ったのは十六番アングータ。続いて十三番ダイワスカーレット、その外三番ジャラジャラ。ここまでで先頭集団を形成しています。

 少し離れて五番エルコンドルパサー、その後ろ十二番ロングウェスト。内に十四番キャラメルパルフェ、七番手に十五番ジュエルルベライト。外に四番リバイバルリリック。七番サンセットグルーム落ち着かない様子で上がっていく』

『十三番ダイワスカーレット、虎視眈々と先頭を狙っていますね』

 

 なるほどね。私より後ろに位置取りした時点で何か仕掛けてくるとは思っていたけど。

 マヤノはある意味、スカーレットと真逆のアプローチを選んだわけだ。

 

 有記念の記者会見。スカーレットは誰よりも遅く来て、その時間で己の力を高めようとした。

 マヤノはその逆。きっと誰よりも早く来て、後から来るウマ娘たちを観察していた。

 アオハル杯のそれとは違い、この国の公式レースのルールにおいて自ら勝つ気のないウマ娘の出走は許されない。

 チーム戦はできないのだ。談合などもってのほか。

 だが注目度の高いウマ娘がいた場合、マークする対象が重なって実質的にチーム戦のような展開が生じることはままある。

 

 ……今回のレースで私とスカーレットは、年末のスターウマ娘たちを差し置き注目を集める二大巨頭と言えるだろう。

 マヤノはそれを活用した。記者会見の場で集めた最新の情報を基に、夏合宿の頃から磨き上げた技術を駆使して。

 人間は社会的動物で、ウマ娘は群れで生きる生き物だ。訓練のたまものとはいえ、大仰に腕を振れば即座にぶつかるような至近距離でありながら問題なく時速六十キロ以上でウマ娘たちが走れるのはその証左である。

 集団で生きるためには周囲を窺う必要がある。常に他者のペースを計算に入れ、自らのペースを修正する。それは生物としてのデザイン、ウマ娘という種の基礎を構築する機能。

 

『第四コーナーを抜けて一周目のホームストレッチ。スタンドの大歓声を受けながらウマ娘たちが駆け抜けていきます』

『タイムは少し早めですね。その中でも一番人気の九番テンプレオリシュ、中団で囲まれながらも自分のペースを保ちながら走っています。クラシック級ながらさすがの貫禄と言えるでしょう』

 

 そのコンセプトとなる部分を介してマヤノはシンガリから先頭に干渉している。

 本当にそんなことができるのか冷静に考えてさっぱりわからんが、事実として現在進行形で目の前で実行されている。

 今この瞬間、十六人のウマ娘たちはマヤノが用意した盤上にいる。将棋と違うのは指す側も盤で区切られた安全な席にいるわけではなく、なおかつあらゆる駒が決まった動きを遵守してくれるような生易しい存在ではないってことかな。

 盤ごと叩き壊してきそうな大駒もひとつやふたつじゃないし。

 その上であの天才は『いける』と踏んだのだろう。

 

 でもマヤノさんや、お忘れじゃないですかね?

 

 ランニングデュエル(テンちゃん命名)の最終戦績は私の方が上だったんだよ。

 それができるとわかっていて、これ以上ないお手本が目の前にあるのだ。だったら私は同じ舞台に立てる。

 マヤノはどうあがいても一人。

 私たちはひとりでふたつ。ふたりでひとつ。

 数の利はこちらにある。

 圧倒的有利な条件で申し訳ないが受けて立とうじゃないかその勝負。

 

「…………あはっ」

 

 どうしよう。レース中だっていうのに楽しくなってきちゃった。

 

 

 




【テンプレオリシュのヒミツ・白】
実は、炎のように苛烈な性根を秘めている。
烈火の即断即決に、後悔が無いわけじゃないけれど。
生まれ持った性分を後天的な理屈で補うその生き方は、しっかりもう一人の自分にも受け継がれた。

奪ったものを己の所有物として振りかざす。
己の罪深さを自覚したところで、それが彼女の見出した数少ない勝ち筋だった。
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