「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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不可能と奇跡は同じ色

 

 

U U U

 

 

 道具は用途に即した形状をしている。

 

 獣を狩る槍ではなく、獲物を狙う弓でもない。

 道を拓く斧や鎚ではなく、身を守るための鎧や盾でもない。

 

 同族を喰らって生き延びると決めたとき、おのずとそれは剣の形をとった。

 

 

U U U

 

 

 動いた。

 ぐわりと渦巻くように空気が流れる。

 

『後方集団も第二コーナーを抜けバックストレッチの直線に入ります。しっかり芝を踏みしめながら十番ハッピーミーク、少し後ろに九番テンプレオリシュ。それをぴったりマークするように八番グラスワンダー、その外に二番ナリタブライアン。

 二バ身離れて六番ヒシアマゾン。一バ身離れて一番マヤノトップガン。最後方にぽつんと一人、十一番ラピッドビルダー。ここから巻き返せるか、はたまた作戦通りなのか』

『ウマ娘たちの動きが激しくなってきました。いずれも劣らぬ猛者揃い、お行儀よく四角からよーいドンとはいかないか?』

 

 よく持った方だろう。

 1000m以上蓋をしたままの状態を保つことに成功したのだ。使い勝手の悪い【固有】にしては大金星と言っていい。

 あと1500m近く残っているという、厳しい現実はまあそれはそれとして。

 

 領域具現――Shadow Break

 

 荒涼とした大地が広がる世界と、そこを侵蝕する影。

 光が何かに遮られて生じた陰ではない、それそのものが絡みつくような重さを持つ黒が四方八方から押し寄せる。

 

 いつかも見たブライアン先輩の【領域】だ。

 その密度も規模もかつて種目別競技大会で体感したそれとは桁違いだけども。

 完全にノリにノッている。

 

「ぜりゃあ!!」

 

 全身に巻き付く影の拘束をものともせず、咆哮と共に影ごと拳で打ち砕かれる大地。

 その衝撃は地軸まで揺るがす。

 無理やり歪めて公転面に対し垂直になっていた自転軸は、元通り23.4度傾いた四季を生む回転に戻った。

 

 相変わらず豪快な【領域】だ。

 同時に中山レース場を抑えつけていた見えない天蓋が外れた。

 再び【領域】が使えるようになる。

 

「うわぁ……ブライアンさん、そういうことするー?」

 

 ついでにマヤノの盤面もさっきので吹っ飛んだ。

 マヤノがやっていたのは非常識ではあるがオカルトではなくれっきとした技術。基本的な原理として、他者に自身をさりげなく認識させ影響を与えていたのだ。

 それがブライアン先輩の獰猛な魂の発露で、それ以外を受け入れるキャパシティの余裕が無くなったウマ娘が大量に発生してしまった。丹念に蜘蛛の糸のごとくバ群に張り巡らせていた影響力はまとめてぶち切られた。

 

《ワンパンで地軸を傾けるってどんなインフレバトル漫画の世界だよ……》

 

 テンちゃんが呆れたように呟いた。

 

 うんまったく。

 でもやるならブライアン先輩だとも思っていたよ。能力的にも気性的にも。

 彼女は周囲との兼ね合いなど歯牙にもかけない一匹狼。その気になった瞬間、あの荒々しい力で封印もしがらみもまとめてぶち壊してしまうだろうと。

 あとはいつ『その気』になるかというだけの話だった。

 

《うん? なんだ、影が……》

 

 なんだか様子がおかしい。

 以前に見たときは大地が砕かれた直後、間欠泉のように光が噴き出していたけど。

 それが無い。

 一撃の衝撃で叩き伏せられた影が砕けた大地にぐいぐいと吸い込まれていく。まるで拳の威力がそこに残留し続けているかのように押し込まれていく。

 いや、これは『溜め込まれている』。

 直感的にそう思った。

 

《あーはいはい、そういうことね》

 

 どこか投げやり気味にテンちゃんが理解を示す。

 一拍遅れて私も思い出した。記憶力には自信がある。一年以上前の『月刊トゥインクル増刊号ナリタブライアン特集』で読んだあの情報だ。

 ブライアン先輩が担当トレーナーに仕込まれた走法の基礎。獣じみた飢えと渇きを我慢するのでもなく抑えるのでもなく、溜め込む。そして最後の直線でいっきに爆発させる。

 

 いくらブライアン先輩が鋭い末脚を長く使える強みの持ち主とはいえ、バックストレッチに入ったばかりの地点から1000mを超えるロングスパートなど無理だろう。そういうアホみたいなスタミナと素質にものを言わせたバカみたいな無茶苦茶はどちらかと言えばゴールドシップ先輩の領分だ。

 だから第二コーナーを抜けたこの時点で【領域】を発動させたのには少しばかり違和感があったのだが、わかってしまえば何と言うことは無い。ブライアン先輩の本来の【領域】は二段階に分かれているのだ。

 影を溜め込む一段階目と、光を爆発させる二段階目。

 レース中盤に展開されたこれを介し、競り合いの中でフラストレーションを溜め込む。そして溜め込んだ分は最終コーナー以降で爆発する光の燃料になる、と。

 

《スプリンターズSのバクシンオーを見たときも思ったけど、これがゲームとリアルのギャップってことだろうねえ。常識的に考えりゃあシビアな現実とまったく同じ難易度で作成されたゲームなんて、このご時世なら運営に苦情殺到からのバランス調整必至だ。そもそも情報量が根本的に違い過ぎる。

 適度なスリルとストレスと労力でクリアできてこその遊び(ゲーム)。それがただの現実(リアル)になったとき、快適なプレイ環境だったころと難易度据え置きのままでいてくれるわけもなしってか。ま、参考文献にしかならないってのはわりと最初からわかっていたことだけどさ!》

 

 種目別競技大会のときはかなりあっさり流してくれていたんだなぁ。あれでいて意外と副会長としての自重もあったのかしらん?

 

 この影の荒野、展開されているだけでけっこうキツい。

 ブライアン先輩の猛々しい渇望が剥き出しになっている。それが五感ではなく魂を介してダイレクトに伝わってくる。

 気の弱いウマ娘ならその威を前に萎縮するだろうし、逆に気の強いウマ娘なら負けん気が前面に出過ぎて掛かり気味になりそうだ。

 実際、私の後ろにぴたりと張り付いているグラスワンダー先輩の目にちろりと炎が灯り、ややその呼吸が乱れた。

 ブライアン先輩が意図してデバフを振りまいているわけではないだろうが。

 これがテンちゃん評価『レジェンド級』というわけか。ガチになったバクちゃん先輩に通じるものがある。否応なしに周囲に影響を与えてしまうのだ。

 

 でも存在感って面じゃあ私だって負けちゃあいない。

 無敗の七冠ウマ娘は伊達じゃないのだ。

 これまで私が踏み砕いた夢の残骸は山に等しく、私の脚に沁み込んだ血と涙の重さはブライアン先輩の影にだって決して見劣りするものじゃあない。

 

 領域具現――あなたに甘いひとときを キャラメル味!

 

 領域具現――濃紅Electrification

 

 先行勢の幾人かが【領域】を暴発させた。

 ブライアン先輩の影が渦巻く荒野に比べたら悲しいほどにちっぽけな、だが確かに世界を塗り潰すウマソウルの奇跡が具現化する。

 甘ったるい香り漂う喫茶店のテーブルを占領するどでかいパフェと、バチバチと帯電する濃い紅色の宝石。

 あれはキャラメルパルフェ先輩とジュエルルベライト先輩か。勝負所でも何でもないバックストレッチの最中、見るからに咄嗟の防衛本能に基づいた発動だった。

 

 無理もない。

 追われる状況で背後にアレが爆誕したら誰だって怖い。たとえるのなら海水浴中に目が合ってしまったホオジロザメ。纏わりつく影のプレッシャーは海水の重さに似る。身体の自由がろくに利かない状況で命の危機さえ感じるだろう。

 

《あ、ちなみにホオジロザメって某映画の影響で人を食う凶悪な生物ってイメージが強いけど。あれってアザラシと誤認した結果であって狙って人を襲っているわけじゃないらしいね。まあ当然と言えば当然。自分の生存圏内にいない種をわざわざ好んで狙う生物なんて人間以外そういるもんじゃないよ》

 

 脳内でテンちゃんがどうでもいい雑学を垂れ流す。

 

《同じ理屈でネコの主食が魚だっていうのも間違いだったりするぞ。だってあいつら泳げないじゃないか。そりゃあ水中に放り込んだら必死に犬かきくらいはするだろうけど。水に濡れるのが大嫌いでシャワーやお風呂を断固拒否っていうのはネコを飼っていない人間でも知っている情報じゃないかな。自力で魚を捕って食える生態じゃないのさ。だから魚をやりすぎると塩分過多で身体を壊すから注意だぜぃ》

 

 へーそうなんだ。

 理由はどうあれ仕掛け処を違えたのは大きな瑕疵。

 遠慮なく付け込ませてもらおう。

 

《ん、じゃあいこうか》

 

 私の芯にテンちゃんの指がやさしく添えられ、力強く引き抜かれる。

 解き放たれる私の本質。当然の権利のように上書きされる中山レース場の一角。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 私たちはお互いが鞘にして担い手。

 自らの中核をもうひとりの自らに完全に委ねる心地よさは、きっと孤独な己と他者しかいない人生を送る者にはわかるまい。

 かわいそうに。この感覚を一生知らずに終わるなんて。つくづく単一人格なんかに生まれるものじゃないな。

 

 無数の黒い長剣が魚群のように宙を回遊する。

 とりあえずブライアン先輩の【領域】は後回しだな。

 あれはいわば脚を撓めて獲物に飛び掛かる姿勢を取っている状態。いま食べたところで周囲に向けたデバフの重ね掛けになるだけで、私自身への恩恵はあまり無い。どうせいただくなら光の奔流の方だ。

 

「いただきます」

 

 狙いを定めて突撃。

 ぞぶり、と呆気ないほどに刀身が相手の中核に斬り込み貫通する。

 一回り縮小する先輩方の【領域】と、私の中に湧き出る新たな力。

 スタミナ回復と速度上昇、それぞれ微加速のおまけ付き。

 うん、美味しい。

 パルフェの一門はだいたいみんな甘い回復系だな。ジュエルの一族はバリエーションの幅が大きいけど今回はパチパチと刺激的だった。

 満たされるその感覚は食事のそれと極めて近い。この世界の見え方を知っているのはきっと私たちだけ。

 【領域】に至ったウマ娘を見たとき『どんな味がするんだろう』と考えている自分に気づいて愕然とした経験などそうそうあるものではあるまい。

 

『残り800mを切って第三コーナーカーブ。先頭からシンガリまでおよそ十七バ身。ここで入れ替わって先頭は三番ジャラジャラ。十六番アングータ既に苦しいか。十三番ダイワスカーレットと共にずるずると沈んでいく』

『早めに仕掛けた子が多かった影響ですね。第三コーナー半ばで先頭集団に先団の子たちが追い付き始めました』

 

 暴発気味に【領域】を使った恩恵でキャラメルパルフェ先輩とジュエルルベライト先輩は前に出た。あの二人はここで脚を使ってしまったから、ラストスパートの競り合いではもう脅威ではないだろう。

 そしてその二人に押されるように先行勢がぐいぐい位置を上げてしまった。後ろで凶悪な圧を放っているブライアン先輩の存在も無関係ではあるまい。

 序盤はかなり前目につけていたのに、今は順位を落としてまで自分のペースを保ち続けているエルコンドルパサー先輩に熟年の貫禄を感じる。

 

「……はっ……はぁっ……!」

 

 そして、ああ、だから。

 こういうこともありうるのだろう。

 マヤノがあれだけ好き勝手アングータさんを振り回していたのだから。

 いや、人のせいだけにするのはよくないな。私もマヤノが張り巡らせたネットワークに便乗してさんざん引っ掻き回した。

 もともと長距離適性は中距離やマイルに比べ一歩劣る体質だったのだ。アングータさんと共に自分のペースを保てないまま1000m以上走らされたのなら、スタミナが尽きたって無理はない。

 でも、何だろうね。

 後続に呑まれバ群に沈み、徐々に近づいてくる青い勝負服の背中を見て胸中に湧き出る感情は。

 

「スカーレット……」

 

 感慨に浸るのはレースが終わってからいくらでもやればいい。頭ではわかっている。

 だけど、こんな形できみの背中を見たくは無かったよ。

 

『第四コーナーカーブ。この先の直線で勝負が決まる。二番ナリタブライアンここでいった! 一番マヤノトップガンも上がってくる。

 中団は混戦状態。エルコンドルパサー外から様子を窺っている。十五番ジュエルルベライト落ち着かない様子。八番グラスワンダーまだ仕掛けない。

 最後方には六番ヒシアマゾン。一バ身離れて十一番ラビットビルダー。その位置から届くのか』

『先頭を逃げる子たちがあれだけ競り合って隊列が縦長の展開になっていないというのはなかなか珍しいですね。二番ナリタブライアン、彼女の末脚ならここからでもゴールは十分射程距離でしょう。一番人気テンプレオリシュの動きにも注目です』

 

「くっ、アタシとしたことが……ちょっとばかし、いいようにやらせ過ぎたかね……?」

 

 隊列が引き延ばされていないのはマヤノの支配下にあった影響だ。先頭からシンガリまで、ピンと糸を繋いで大勢を動かしていたから。

 そんな中、ヒシアマゾン先輩は盤面の攻防でだいぶマヤノに弾避けとして使われていたからなぁ。

 自覚している以上に消耗が激しいだろう。マヤノと同じタイミングで仕掛けにいけなかった時点で勝負は厳しそうだ。

 ここは経験に勝る相手を本番の大舞台でいいように手玉に取ったマヤノの度胸とセンスを褒めるべきところなのだろう。

 

《リシュ》

 

 そうだねテンちゃん。もういかないと。

 ひび割れた灰色の荒野にちろちろと色彩の兆候が見える。

 

「ぶっちぎる」

 

 光。地から溢れ、空を貫き、天球を覆いつくさんばかりの奔流。

 それはナリタブライアンというウマ娘に秘められた底なしの力を可視化したような光景だった。

 ラストスパートの始まりだ。ここから先は立ち止まることはおろか息を入れる余暇さえ許されない。

 一度バ群に沈みながらも諦め悪くいまだに前の方で粘っているので、実際にスカーレットを追い抜くのはしばらく先になりそうというのは救いか。それともずっと視野に入り続ける苦味か。

 

「すくらんぶる! ここが勝負どころだねー!」

 

 マヤノもするりとさらに速度を上げて飛び出す。荒々しく切り開いていくブライアン先輩の走りとは対照的に、軽やかに舞い踊るような足並み。

 後ろで脚をためていただけあって素晴らしい加速だ。この勢いならコーナーを出る前には先頭へ抜け出しているか。

 

 私も仕掛けるとしよう。

 せっかくブライアン先輩がごっそり抉り取るようにルートを開拓してくれたのだ。これを利用しない手はない。

 

《さあ、ルート開拓の恩を仇で返そうか》

 

 言い方。まあそうだけど。

 だって十全の“怪物”と末脚勝負なんて正気の沙汰じゃないし……今はまだ、だけどね。

 とりあえず足を引っ張るところから始めよう。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【深海廻廊】

 

 光の噴出を圧し潰すように暗い海水が空間を満たす。

 もっとも、完全にパワー負けしているけど。圧し潰すことが目的ではなく、少しでも抑え込んで力を削ぐことが目的だからこれでいい。

 ココンから刈り取った【領域】。冷たくて暗くて陰気で孤独な、まさにココンの人となりを反映したような世界。だけど性能は悪くない。いや、むしろ良い。

 率直に言えば後方脚質で走っていれば雑に発動条件が満たせるので重宝している。

 使い勝手がいいというのは無数の【領域】をストックできる私にとって、なかなかの利点なのである。

 

 実のところストックした【領域】は、オリジナルの発動条件を満たさずとも使うことはできるのだ。

 ただ本当にそれは使うことができるというだけ。無駄に消耗するし、そうやって発動させたところで効果は条件を満たした時に比べ大幅に減少する。

 たとえるのならろくな水路も無いのに水を流して水車を回そうとするようなものだろうか。あたり一面水浸しになるほど大量の水を用意してかろうじて水車を回転させたところで、きちんと水路に設置された水車の回転には敵わない。

 それと同じで【領域】はちゃんと条件を満たして発動させないとろくに使い物にならない。私がストックした時点でオリジナルより劣化しているわけだし。

 

 【深海廻廊】は単純な効果もなかなかに高い上に射程もそれなりに広め。総じてバランスがいい。

 ちなみに個人的に気に入っているのは、自分も含め全体の速度を低下させられるところだったりする。

 一般的にはデメリットであるのだろうけど、トップスピードで走り続けると肉とか骨とか勝負服とかが不吉な軋み方をするからな。骨伝導で脳内に響くそれにぞっとしながらも脚を緩めないのはなかなかに覚悟がいるのだ。

 

「ふん」

「ぎ、にに……」

 

 くだらないと言わんばかりに鼻を鳴らし悠々と深海の中を駆けていくブライアン先輩と、それなりに身体が重たそうなマヤノ。

 

《どちらも優駿ではあるが、現状の単純な出力の差が出た感じだね》

 

 そうだね。効果のほどは想定の範疇。

 よし次の一手。出し惜しみはナシだ。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 改めてブライアン先輩に狙いを定め、私を研ぎ澄ます。

 個人的にはリベンジとも言えるか。

 スプリンターズSのとき、私の【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】はバクちゃん先輩やタイキ先輩といった面々にまるで歯が立たなかった。

 その後に【十束剣(トツカノツルギ)】でぶち抜いたが、そうではないのだ。

 歯が立たなかった、喰えなかったことが問題。

 悔しかった。

 正直、しばらく夢に出るくらい悔しかった。何度も何度も夢の中でどうすればよかったのか考えて、その甲斐あって対策は用意できた。イメージトレーニングはばっちりだ。

 単純な話。ウサギを狩るときと狐を狩るときと獅子を狩るとき、すべて同じ道具を使う狩人はいない。獲物に合わせて道具は使い分けなければ。

 

「おいで」

 

 回遊する黒剣を手元に呼び寄せる。まあ八本もあれば足りるかな。

 

「食い縛れ」

 

 号令に合わせぎちぎちと耳障りな金属音を立てて変形する八つの剣。

 まるで曲刀のように歪曲していく。曲刀と異なるのは、本来は峰となるべき反りの内側に刃であった部分が収められている点だ。

 刃は何かの背鰭のようにぞろりと獰猛に逆立ち、刀身は肉厚になった分やや縮む。

 規則正しく並ぶ四対八枚の変形した黒剣。位置によって有機的に形状の違いがあるその配列は、たとえるのなら透明な獣から唯一露出した(あぎと)か。

 この形状に独立した名前は無い。これも私の【領域】のあるべき姿だから。わざわざ名前で区切る必要などないのだ。

 

《そうだなぁ、【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)零式(ウーアシュプルング)】なんてどうだい?》

 

 だから名前は無いというに!

 

「いけ」

 

 本質的に私自身であるのだから呼びかけは不要なのだが、まあ指さし確認みたいなものだ。初めてやることだから一定の部分までは言語化した方がはかどる。

 レジェンド級は強大だ。そのままでは大きすぎて噛みついても噛み切れない。

 だったら発想を変えればいい。まるごと口に収めようとするから無理が出るのだ。

 切り取るのではなく、齧り取る。

 芯まで届かずともただ一口だけ奪い取ることに専念して牙を研げばいい。

 

 がちゅん!

 

 会心の手応え。いや歯応え、あるいは噛み応えだろうか。

 喰いちぎってやった。あの猛々しい光の奔流が私の内側に流れ込む。以前に食べたときもくらりと来るものがあったが今回は比較にならない。迸る熱に我を忘れそうだ。

 レジェンド級だって捕食可能という実績ができて、個人的にも大満足な戦果である。

 

「……ッ!」

 

 喰いちぎられてなお、ブライアン先輩は悲鳴の一つも上げなかった。

 ただ視線だけが深々と私に突き刺さる。状況的に振り返るはずがないのに。たしかに彼女の猛禽類じみた金色の瞳を見た気がした。

 

《獣は手負いが最も危険ってそれ一番言われているから》

 

 そうだねテンちゃん。だから一撃で仕留めるのが理想なんだけどね。成果は成果として、油断などできるはずもない。

 レジェンド相手に一撃必殺を決める火力なんて今の私には無い。今あるもので戦うしかないのだ。

 ちょうど今、最新の武器が手に入ったところだ。

 

 手元に白と黒、一対の長剣を呼び寄せる。

 手を滑らせるは刃。流れる血と痛みで、蒐集した因子を繋ぎ合わせ己が血肉へと変える。

 これが私たちの在り方。パキャンと乾いた音を立てて分解し、懐中時計のような内部機構を覗かせる長剣たちが何故だか少し寒々しく感じた。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【Shadow Break】×【灯篭流し】×【Shadow Break】

=【Splash Light Road】

 

《新しく手に入れたブライアン因子と、かつて入手しこれまでさんざんお世話になってきたブライアン因子をスキルで繋いで! 相乗効果で【領域】の性能もさらに一段階パワーアップだ!!》

 

 不思議なことに。

 どういう理屈なのか自分でもいまひとつわかっていないのだが、私の【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】は一人のウマ娘あたりから刈り取れる割合が固定らしい。

 既にストックした状態で同じ相手を喰らっても私の中に蓄積される因子の総量が増えることはない。まるでデータを上書きするように因子の品質が更新されるだけだ。

 同様に、同じ相手を何度喰らっても相手のウマソウルが削れて無くなってしまうこともない。【領域】が弱体化するのはそのレースの間だけ。一晩も寝て起きればだいたい同じサイズに戻っている。

 

《奪い取れる『権利』の限界ってやつなんだろうね。相手が生きている以上は》

 

 案の定、テンちゃんには何やらこの【領域】の仕様めいた部分に納得している節があるんだけど。私にはさっぱりだ。教えてもらってもいない。

 まあ教えてくれないってことは知らなくていいってことなんだろうさ。

 完全に奪い取ってしまうタイプの能力ならたぶん私も使用を躊躇することもあるだろうし、ありがたいのか不便なのかよくわからん仕様だ。うん、躊躇するんじゃないかな、たぶんだけどね。

 私に託して引退したウマ娘たち? そっちは確認してないからどうなったかは知らないな。

 

 さて本題。

 実は【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】で簒奪した因子が既存のものに上書きされるまでに、微妙にタイムラグが存在していることがわかってる。

 無数の屍を積み上げ情報提供およびその検証に協力してくれたバクちゃん先輩には足を向けて寝られない。まあその分、私も一年以上の歳月をかけて練り込んだ中長距離向けの走法を実戦形式で提供したんだから貸し借りナシということにしておこう。

 

《何度ぶっ刺しても笑いながら付き合ってくれる相手ってそういるものじゃあないからな。精神(メンタル)的な意味でも耐久力(タフネス)的な意味でも。実に貴重なデータが採れた。ほーんと、アオハル杯はいい仕事してくれるよ。この世界に生まれてよかった》

 

 またスプリンターズSの経験で【十束剣(トツカノツルギ)】の素材に同一の【領域】を使用すると同調なのか共鳴なのか知らんが、とにかく効果が上昇するらしいってことも判明している。

 あのときは追加捕食することで条件を満たしたが、追加捕食した分はその場で使い切られてしまってストックに回されることはない。

 アオハル杯で同じチームであるバクちゃん先輩と違ってブライアン先輩は対戦できる機会が限られているので、できることならここでストックを更新しておきたかった。

 いつか戦うであろう完全に初見相手にも、最大まで効果を発揮する【十束剣(トツカノツルギ)】を使えるようにするための練習という側面もある。

 あまり遠くを見過ぎても足をすくわれそうな気がして怖いけど。勝ち続けたいのなら勝ち続けるための努力をしないとダメだ。

 私はひとりじゃない。足元が疎かになったとき、フォローしてくれるもうひとりがいる。

 

《不安は感情だから消すことはできない。懸念するのはいい。でも囚われてはダメだ。行動を起こさないための言い訳なんていくらでも湧いてくるものなんだから。やると決めたのならやり遂げないと》

 

『勝負は最後の直線に持ち越された。中山の直線は短いぞ! 後ろの子たちは間に合うか?』

『外からブライアン、ブライアンが強襲! やはり彼女だ!! しかし後方からマヤノトップガンも飛んできたっ!』

 

 スプリンターズSのときは何もかも初めてだったもので加減などわからなかった。とにかく全力で踏み込むことしかできなかった。

 今は違う。ちゃんと感覚を掴んでいる。

 不足は論外だが、過剰だって決していいものではないのだ。主に心身にかかる負担的な意味で。

 山を叩き斬る大きさの剣など燃費が悪すぎる。

 絡みつき、回転し、耳障りな金属音を立てながら組み上がったものは機械仕掛けの巨大な七支刀。これだって刃渡りだけで優に身の丈を超えるが、地平線を薙ぎ払うようなバカげたサイズ感は無い。

 これが今の最適解。……それにしても、合体前はどちらかといえば西洋剣のフォルムだったのに合体後は和刀になるとは相変わらず私の【領域】は節操なしだな。

 

「さあ、いこうか」

 

 “怪物”が残したルートはいまや蛍光塗料を流し込んだように輝いて映った。

 いつも集中力がある程度の深さに到達すると踏むべきポイントが輝く未来の足跡として浮かび上がる私の視界だけど。

 今はまるで磁石のようにそのポイントが私の脚を引き寄せ、そして力強く弾き返す。

 ひときわ強く輝くU字へカチリと蹄鉄が当てはまるたびに、地雷が爆発するかのごとく大地から光が噴出し推進力へと変わる。

 

「くっ……この……」

「ひぃ……!」

 

 ブライアン先輩と私の【領域】の重圧を立て続けに受けた上で、第四コーナーを抜けた先の直線に待つのは高低差2.2m、最大勾配2.24パーセントを誇る中央レース場最大規模の急坂。心臓破りのそれに適応しきれずぼろぼろと零れ落ちていく先行勢の歯噛みや悲鳴を横目にさらに加速。

 もちろん素直に行かせてくれる相手ばかりではない。示し合わせたわけでもなかろうに前後でゆらりとプレッシャーが立ち昇る。

 

「目指すは頂。いざ参ります……!」

 

 領域具現――精神一到何事か成らざらん

 

「ここからが本当の勝負デース!」

 

 領域具現――プランチャ☆ガナドール

 

 地を這うように重く鋭利な薙刀の一撃を具現化したグラスワンダー先輩と、軽々と天を舞うムーンサルトプレスのイメージが飛んできたエルコンドルパサー先輩。

 タイミングはぴったりなのに何かと対照的だ。

 というか、グラスワンダー先輩は見た目からして危険とわかるからともかく。

 エルコンドルパサー先輩のそれは一見ネタっぽいのに、その実へその下が浮き上がるようなシンプルかつ膨大な力で構成された【領域】だから詐欺に近い。

 いまさら見た目で判断するような愚は犯さないが、まったくもって油断ならない。

 

 挟み撃ちの形になったのはきっと偶然ではない。

 同期ゆえの勝負勘。いわゆる勘というやつは、蓄積された経験の発露。無意識下の判断に由来するのだという説を聞いたことがある。

 黄金世代と呼ばれるほど同じ時間を切磋琢磨した彼女たちなら、その分かち合った経験から刹那の仕掛け処が完全に噛み合うこともあるのだろう。

 ま、初見であろうとサクサク『わかっちゃった』で進めていくマヤノを見ると『勘』と呼ばれるものすべてが経験に依存するわけではなさそうだけど。

 

《間に合ったな》

 

 前方にいるエルコンドルパサー先輩から処理していく。

 

「ケッ!?」

 

 一足で距離を詰めて胴を横薙ぎ。悲鳴すら許さぬ紫電一閃。

 二つに分かれたそれが宙にある間にもう一閃。十字に分割された人影がばしゃりと四散する。

 振り向きざまに一撃。

 薙刀と七支刀が甲高い音を立てて噛み合い、殺意に濡れて火花を散らす。

 

「ふふ」

 

 拮抗は一瞬。ずるりと食い込む手応え。

 私の七支刀は薙刀ごとグラスワンダー先輩を袈裟懸けに断ち切った。

 

「見事……!」

 

 切り裂かれた世界、重力に引かれズレ落ちながらもグラスワンダー先輩が私に称賛を送ってくれた気がした。やっぱりこの人、武士の生まれ変わりか何かでは?

 

《まともにやり合ったら苦労するどころじゃ済まない相手。圧倒的火力による瞬殺劇が最適解ってことだね》

 

 逆に、これ以外の手法では経験値の差で競り負ける可能性が高い。

 贅沢を言うならこのお二方の【領域】も欲しかった。

 でも今の私がこのレベルの相手を捕食しようと思うとブライアン先輩のときみたいにタメが必要になる。一瞬と刹那が千々に入り乱れるこの最終局面においてそんな悠長なことをしていれば確実に負ける。

 将来を見据えることも大事だけど、欲をかいて大事なことを見失ってはいけない。

 取捨選択。ブライアン先輩を二重に捕食して【十束剣(トツカノツルギ)】を使ったのはこの状況に備えた布石でもあったのだ。

 ブライアン先輩を素材にした剣なら確実に黄金世代にも通じるから。

 

 黄金世代相手に私たちの得意分野でやり合えたのは本当に幸運だった。

 相手のウマソウルにばっさりと深手を負わせた。もともとドリームトロフィーリーグに移籍しようかという盛りを過ぎた魂だ。全盛期真っただ中のバクちゃん先輩やブライアン先輩に比べると、ウマソウルの回復力は明確に衰えている。

 このレース中は思うような走りができないはず……だといいなぁ。

 

 追加捕食! ×【プランチャ☆ガナドール】

 追加捕食! ×【精神一到何事か成らざらん】

 収斂消化 =【白銀行路】

 

 【領域】の競り合いに勝利した私の世界の色が変わる。

 金から銀に。静謐と狂気を併せ持つ月光の色。

 私の髪の色に似ている。私の髪の方がだいぶ色合いは濃いけれど。

 

「ぐ、うう」

 

 獲たものは大きい。大きすぎるほどに。何とか制御下に置いてなお身体が軋む。

 取り込んだ力に押されるままに駆けて、駆けて。

 五番手。

 四番手。

 

「待っていたわ」

 

 ふと声が聞こえた気がした。

 鼓膜を介さない魂のふるえ。

 

「ずっと待っていた」

 

 とん、と胸元に軽い衝撃。

 見下ろすと小さな刃が生えていた。

 短剣の切っ先。

 

「……は?」

 

 理解が追い付かず口からこぼれた疑問の声に、こぷりと一塊の赤が混ざる。

 いや、スパートの最中にわざわざ首を曲げて下を見る余裕などあるはずがない。

 これはイメージだ。

 背後から心臓を一突きに匹敵する致命的一撃(クリティカルヒット)のイメージ。

 

「優雅じゃなくても、綺麗じゃなくても」

 

 ぐるりと捻りながら引き抜かれる短剣。

 あまりにも殺意に溢れている。

 気づけばしゃらしゃらと周囲を花びらが舞っていた。

 青いバラの花弁。

 

「勝たせてもらうわよ」

 

 かつて、青いバラは交配による品種改良ではどう頑張っても作り出せないことが判明していた。

 その存在は幻想であり、不可能の象徴であった。

 しかし時代は進み、バイオテクノロジーという概念が生まれた。遺伝子操作によって幻想は現実に変わった。今では青いバラを花屋で見かける機会も増えてきている。

 そうした由来からこの花は、生み出される前と後でまったく異なる二種類の花言葉を持っているのだ。

 すなわち『不可能』と――『奇跡』。

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 




【テンプレオリシュのヒミツ・黒】
実は、霧のような曖昧模糊とした性質の持ち主。
何も持っていなかった彼女は初めて与えられたそれを自らの中核に据えた。
その選択に罪悪感などあるはずもなく。
ただ信頼と喜びに満ちていた。
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