「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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それぞれのふりだし

 

 

U U U

 

 

「んーと、まずは手水で清めて……」

 

「へー。参道は真ん中を通っちゃダメなんだ。うーんでも、お正月で人がいっぱいいると端っこだけ通るのは難しそうだけど……そのときは神様がこっそり道を譲ってくれていたりしたのかなあ?」

 

「はえー。お願い事をするんじゃなくて、感謝を告げに来るのが本来の在り方なんですね。恥ずかしながらこのデジたん、毎年煩悩を垂れ流しておりました」

 

 伝統行事とはいえ、年に一回しか使わない作法なんていちいち憶えていない。各々スマホで検索した初詣のルールやマナーを流し読みする。

 こんなの言ったもの勝ちというか、それっぽい肩書を持っている人がそれっぽいことを言っているだけで、どこまで信頼していいのか怪しいものだが。

 大事なのは神様への感謝の心だというのはどのサイトの記述でもだいたい共通していることだし、ちゃんと調べて作法に則ろうとしましたという姿勢が評価されているといいな。

 

《もしかしたら一流たるキングはこのあたりの作法も完璧かもしれないけど、先輩が後輩に指導したらそれこそ空気が『そういう感じ』に硬化しちゃうからな。みんなでワイワイ調べながらやるのが楽しいのだと理解して静観してくれたようだ》

 

 ああなるほど。たしかにキングヘイロー先輩にご教授願うという手もあったな。

 

 三が日はとうに過ぎていることもあり、この時期に初詣に来たのは私たちだけのようだった。

 まあ世知辛い話ではあるが、神社仏閣というのは意識して探してみれば意外なほどあちこちにあるものだ。言い換えれば競合する相手に事欠かないということでもある。

 そしてトレセン学園近郊にはここよりももっと大きな神社がある。それこそ大杉神社のような元旦には人が溢れ、それを目当てに屋台が立ち並ぶような立派なところが。

 新年の華やかな一連のイベント、その一環である初詣。わざわざ古ぼけたこちらの神社を選ぶ者が少ないというだけの話かもしれない。

 かく言う私たちも元旦の初詣だったら、屋台の立ち並ぶあちらの方を選んでいただろうし。

 

 普段はトレーニングで訪れたり、体調が思わしくないときに神頼みしてみたり、こちらの神社の方が学園生徒と接点があるんだけどね。

 ここを選んだことに深い意味があるわけではない。ただ私たちの活動範囲に合致していたというだけの話だ。

 ただまあ一年の感謝とご挨拶をするのが初詣というのなら、この神社が一番その趣旨に合致している気もする。

 

「えっと、お賽銭を入れてー。二拝二拍手一拝? 二礼二拍手一礼? あ、お願い事はしちゃいけないんだっけ?」

「べつに、しちゃいけないってことはないでしょ。一つくらいならいいと思うよ」

 

 なんだかマヤノが少し残念そうだったのでそう言ってみる。

 たしかに挨拶に来たはずの相手からいくつもごにょごにょと頼みごとをされたらうんざりするだろうけど。

 マヤノみたいなおしゃまな女の子に『一年間ありがとうございました。これからの一年間はこれをがんばりまーす☆』と宣言されたら応援したくなるのが道理というものではないだろうか。

 

「そう? リシュちゃんがそう言うのなら一つだけー」

 

 にゃむにゃむと手を合わせて目を閉じるマヤノに倣うように、みんなそれぞれ願い事をし始める。

 私はどうしようかな。

 自分の努力だけで解決できる問題などたかが知れている。自分よりもっと大きな力を持つ相手に縋らなければどうしようもないことは世の中にたくさんある。

 だけど、それはそれとして。

 この一年間の勝利や無敗をここで頼み込む気にはならなかった。なんとなくだけど、どうしてもやりたくなかった。それは私たちのものだ。

 見守っていてくださいとお願いする気になれない。がんばりますと宣誓する気すら起きない。自らの矮小さを自覚してなお、神々には譲ってやりたくない。

 いや、おかしくね? たとえば故障は自分の注意だけではどうしようもない側面がある。平穏無事を願うのなら、神様の助力があるに越したことは無いはずだ。

 

《ある種の縄張り意識みたいなものがあったりするのかな。じゃあダスカの怪我が早くよくなりますようにとでも願っておくか?》

 

 テンちゃんの提案はとても妥当なものだったけど。

 それはそれでしっくりこないんだよね。

 何故だろう。これこそ努力だけではどうしようもない、神頼みするにふさわしい項目だと思うのだけど。

 実際、後でお守りは買って帰るつもりでもある。

 だけどこう、私の一つだけの願いをスカーレットのために使うっていうのは、こう。

 何か違う気がする。

 私は私のために全力を尽くして、スカーレットもスカーレットのために努力する。私とスカーレットってそういう関係だと思うのだ。

 うーん、我ながら面倒くさい。

 私ってこんなやつだっけ? いや、昨秋から情緒に目覚めて年末にいろいろ自覚して明らかに面倒くさいやつレベルが上昇している気がする。

 これも成長するってことかね。しみじみ。

 

「……ぷはーっ!」

 

 お願い事に集中するあまり、息が止まっていたらしいウララがはぁはぁと肩を上下させる。

 それをきっかけに『もうみんなお願い事が終わった』みたいな空気ができあがってしまった。そしてわざわざそれを否定してこの場に留まろうとも思わない。

 そうだな、じゃあ。願い事でも宣誓でもないけれど、言うだけ言うとすれば。

 

 この一年、気になるなら見ているといいさ。

 きっと後悔も退屈もしないだろうから。

 

 ……うーん、結局これ喧嘩売ってないか?

 罰を当てられないよう礼儀正しくとはいったい何だったのか。

 これ以上考えてもドツボに嵌りそうだったので過ぎた醜態はさっさと忘れることにした。

 

「ねーねー、みんなはどんなお願いした? わたしはねー、今年は有記念に出られるようがんばりますって宣言してきたよー!」

「えっ、ウララ有記念に出るの?」

 

 つい聞き返してしまった。

 

 適性。

 文字に起こせばたったの二文字。

 これに泣かされてきたウマ娘は数知れず。

 いったい何人の少女が夢と己の身体のギャップに心を折られたことか。

 たった百メートルでも世界は変わるのだ。私にはあまり縁のない世界だけれども。

 

 その世界の壁を努力と根性で打ち砕いたミホノブルボン先輩のような例もあるが、あれは例外中の例外。そしてそんな彼女だって菊花賞の後に一度故障が発覚している。

 スカーレットもそうだったように、無理無茶無謀を乗り越える行いは決してポジティブな一面だけではないのだ。

 奇跡かもしれない。偉業かもしれない。その努力と信念は尊いものかもしれない。

 でも代償はいつだって痛みを伴う。

 

「うん、だってね! 有記念でリシュちゃんとスカーレットちゃんが走ってるのを見てとってもワクワクしたんだ! 胸の中がかーっと熱くなって、お腹がぽかぽかして、尻尾と耳がびーんってなったの。わたしも来年はあそこで走りたいってすごくすっごく思ったんだよ」

 

 ハルウララというウマ娘の適性はダートの短距離に大きく偏っている。芝の長距離に分類される有記念は彼女の適性の対極と言ってよい。

 ニコニコと語るウララは可愛らしく微笑ましい。ただこう言っては何だが、その痛みを覚悟している者の顏には見えなかった。

 

「そっか」

 

 まあ、私が指摘するようなことではない。

 もともと中央という場所は切り立った崖に全速力で突撃かますような選択を日常的に求められる、無理無茶無謀を兼ね備えたウマ娘が集うところだ。

 たとえその選択が痛みを伴うものだとしても。

 本人が既に決めたことを外野がとやかく言うのはお門違いというもの。

 その権利を有するのは彼女のトレーナーか、せいぜい同じ苦難を分かち合うライバルくらいだろう。そして私はそのどちらでもない。

 ウララが怪我しそうなら止めて、この子が痛みに泣いているのなら適当なことを言って慰める。彼女の友人として適切な距離感はその程度のものだ。

 

「たしかに、昨年の有記念は私たち中央のウマ娘たちに多大な影響を及ぼしたと言っても過言ではないでしょう」

 

 ウララの言葉に続けるように、キングヘイロー先輩が静かな口調で言う。

 キングヘイローというウマ娘もまた適性に振り回された一人のはずだ。

 そんな彼女がルームメイトでよく世話を焼いているウララを諫めていないのだから、やっぱりこれは静観が正しいのか。

 

「あのレースを契機にドリームトロフィーリーグへの移籍を先延ばしにしたり、事実上の活動停止状態だったのに復帰を決意したりした実力者も多いそうよ。年末のURAファイナルズも合わせてこの一年、かつてない御伽噺のようなひとときになりそうね」

 

 どいつもこいつも私たち目当てなんですね、わかります。

 どうやら私たちが『最初の三年間』でトゥインクル・シリーズから実質追放されるというのは共通認識になっているらしい。

 獲物が増えるのは助かる、

 けど。歴史に名を刻む強敵がこの一年間待ち受け続けるということでもある。

 

 これまでは、言っては何だが自分にできることを自分のできる範囲でやっているだけだった。できるのが当然だったし、失敗してもそれはそれ。まだできないという事実が残るだけだった。

 それが今では明確な目標ができて、負けられなくなった。

 腹の底が焼け付くような感覚。これが敗北の不安。

 これまでレース前に緊張することはあっても、不安や恐怖に駆られることってあんまり無かったんだなと今さら気づく。

 ようやく私はレースというものの全貌を知りつつあるのかもしれない。前人未到の記録を打ち立てた私がうっかり口に出した日には何の嫌味かと苦情が殺到するかもだが。

 

《まーまー、そう気負うなって。せっかく御伽噺のような一年間が来ようっていうんだ。生涯に一度あるかないか、どころか歴史上でも何度あるかってレベルの豪華な一年。楽しんでいこーぜぃ》

 

 他人事のように気負いなくテンちゃんが諫める。

 いや、これはむしろ『自分事』だからか。

 レースで無敗を貫くのは私のスペックで最も効率的に“願い”を集めることができる方法だ。それは間違いない。

 だがその目論見が失敗したところで別の方法を模索すればいいだけだと考えているのが、表層意識越しにじんわり伝わってくる。

 たしかにテンちゃんが考えている通り適当に動画配信者あたりに転職したところで、今のネームバリューと身体能力があればそれなりに大成は見込めそうだけどさぁ。

 私がそう望んでいるから心から応援しているし、自分だって消えたくないと思っているけど、やっぱりテンちゃんにとって己の人生は無くなったところで諦めのつくものなのだろう。

 

 いくら自分とはいえそんな軽いノリだとちょっぴり腹が立つ。

 でも同時にこうも思う。

 今の私が感じているこの不安は、きっと私が本当の意味でテンプレオリシュになるまでテンちゃんがずっと感じていたもので。

 そしてテンちゃんはそれを何食わぬ顔で飲み下してきたのだ。私に気づかれることなく、当然のような顔をして。

 同じ自分なのだ。テンちゃんにできて私にできない道理が無い。

 いや、テンちゃんと私の得意分野はわりと異なり片方が軽々とこなすことがもう片方にはさっぱりということも珍しくはないのだけれども。

 頑張ろうと思う根拠には十分すぎる事実だった。そして私、努力してできるようにならなかったことってあまり無いのである。

 

 そんなことを内心考えていると、この場にいるのが後輩ばかりということも関係しているのか普段のイメージより三割増しの柔らかな口調でキングヘイロー先輩が言葉を続けた。

 

「グラスさんとエルさんなんてその代表格よね。どう? そちらのチームで元気にやっているのかしら」

 

 そう。実は前の有記念でトゥインクル・シリーズは引退予定だったグラスワンダー先輩とエルコンドルパサー先輩のお二人。

 なんとマスコミに発表までしていた引退を先延ばしにして、絶賛アオハル杯に参戦中だったりする。しかも所属は我らが〈パンスペルミア〉だ。

 大幅な戦力強化だ、やったぜ。

 

「さあ。年明けからあいにく〈パンスペルミア〉の練習に参加できていないので」

 

 まあ、LANE越しに話を聞いただけでまだ直接見れたわけじゃなんだけどね。

 

「あら失礼」

「いいえー。別に怪我とかではないのでお気遣いなく」

 

 心なし気遣わしそうな表情をされたので、そこはしっかり否定しておく。

 本当に元気なのだ。食べて寝ればすくすく回復していくのだ。私の身体は。

 

「グラスさんが言っていたわ。『ひとまず敵としては十分に堪能させていただきましたので、次は味方として存分に味わわせていただきたく存じ上げます』って。エルさんも似たようなことを言っていたわね。世代を超え、この時代の誰もがあなたの一挙一動に注目している」

 

 そこでぐっとキングヘイロー先輩は言葉をためると、すっと強い意志を宿した瞳で私を見た。

 

「……もちろん、私も。ねえ、今年あなたは短距離を走る予定はあるのかしら?」

「はいはーい! わたしはねー、“ふぇべらりーすてーくす”っていうのに出るよー!」

 

 ウララが真っ先に手を上げて元気よく宣言する。どうやら各々の次走を確認する話の流れだと思ったらしい。

 そして言い終わった後で違和感があったのか、指をこめかみに当てうんうん首をひねり始める。

 

「ん、あれれ? ふぇるべりー? ふぇらぶりー?」

「フェブラリーステークスね」

 

 ゲシュタルト崩壊が始まる前にキングヘイロー先輩が訂正を入れてくれた。

 そんなキングヘイロー先輩への返答が遅れるくらい驚いた。

 え? ウララも出るの? ダートGⅠだよ?

 

「おおー、奇遇ですねえ。不肖このデジたんも同じくフェブラリーステークスを次の目標に据えさせていただいておりますです。GⅠという大舞台で、ウララさんの天真爛漫な走りを間近でがっぷり閲覧する機会に恵まれるとは……さっそく今年の運を使い果たしたのでは?」

 

「わーい、デジタルちゃんも走るんだ。いっしょにがんばろうねー!」

「あっ。だめだこれとける」

 

 至近距離からウララスマイルを食らいじゅじゅじゅと蒸発していくデジタルが否定しなかったのを見るに、本当にウララは出走可能なのだろう。

 あの負け続けだったウララがねえ。なんだか感慨深いものがあるような、無いような。

 いつの間にかGⅠに出走が叶うレベルのウマ娘に成長していたのか。

 

「トレーナーがね。有記念に出たいならここらで“じーわん”に挑戦しておくべきだって。だからフェブラリーステークスもその“じーわん”ってレースもがんばって一着とるんだー!」

「…………」

 

 悲報、ハルウララ氏。シニア級にしていまだにレースの格付けを理解できていない模様。

 まあ、あの純粋無垢な笑顔から察するに。

 彼女は走れたらそれだけで十分なのだろう。

 格付けやそれに付随する重みなどウララの中では些細な問題なのだ。ある意味では『走り』というものに対し純度が高いと言えよう。

 レースというのは走りが『目的』ではなく『手段』になっている一面がどうしたってあるものだから。

 

 ただ楽しいから走り始めたはずなのに、いつの間にかつらくても苦しくても走らなければならない状況に陥っている自分に気づく。

 気づいてしまえばもうダメで、走ることすら嫌になってこの業界から逃げ出していく。

 そんなウマ娘を私はここに来るまで何度も見てきた。

 

 ウララにはそれが無い。

 ただ走ることが大好きで、大好きだからどこまでも真摯でひたむきだ。

 一着を取りたいという目標も、楽しくてワクワクする走るという行為がより楽しくなりそうだからという、ワクワクの延長線上のものでしかない。

 負けてもへらへら笑っている不謹慎なウマ娘だと彼女を嫌う者だってもちろんいるが、私に言わせれば単純にウララが求めているものがレースという業界と完全にズレているだけ。あの笑顔は不真面目や手抜きの証明ではない。

 彼女の走っている姿を見て、忘れていた何かを思い出すウマ娘も多かろう。

 莫大なファンを持つにふさわしい怪物の一種だと改めて思う。

 

 それはそれとして彼女の頭がざんねんなのは否定しようのない事実だが。

 

《最終目標がシニア級の有記念で、次走がフェブラリーSか。順調にウララちゃんは育成シナリオ通りのルート辿っているみたいだなぁ。おデジもその流れなら、もしかすると今年度は何回か同じレース走ることになるかもね》

 

 テンちゃんが脳内でしみじみと分析している。

 デジタルと走るのはちょっと楽しみかな。去年は結局予定が合わないでダートの一戦しかできなかったから。

 

「そっか。私も出るつもりなんだ、フェブラリーS。出たいからといって出られるとは限らないのがGⅠだけど、お互いに出走が叶ったらそのときはよろしくね」

 

 次もダートでの戦いになりそうだけど、いつか芝でやりあってみたい。

 あれ? もしかしてこれ、私が勝てばまたデジタルのGⅠ勝利が遠のくやつか。

 実はデジタルって何気にGⅠ未勝利なんだよね。まあ半分くらい私が原因なんだけどさ。

 年明けてからの初戦早々、桐生院トレーナーにさらなる苦労が約束されたのかもしれない。うーむ、申し訳ない。

 

「やったー! リシュちゃんとトゥインクル・シリーズでレースするのは初めてだねっ! よーし負けないぞー。いっぱいいっぱいトレーニングして、わたしフェブラリーSまでに今よりずっとずっと速くなる!!」

「私と同じレースになりそうだって流れでそこまで喜ばれるのは何だか新鮮だな。意外と嬉しいものなんだね。ありがとう、また一つ賢くなったよ」

 

 さりげなくウララの脚を観察してみる。

 袴というのは情報面のアドバンテージを生むための装備だ。動きやすさという点において身体にフィットするズボン等に及ばないが、内部の動きを外からわかりづらくするという点では普通に優秀。それゆえいまだに武術のユニフォームとして現役を張っている。

 勝負服は通常の服とはまた別のロジックが働くから完全に同じ目線で考えることはできないけども。私が測り損なっている情報はきっとあるのだろう。

 しかしそれを差し引いても……うーむ、今年の有記念まではざっくり一年近く期間があるとはいえだ。

 

 これに一年のトレーニングを上乗せしても冬のグランプリ、中山レース場の芝2500mを勝てるようになるとはさっぱり思えないんだが?

 つい先日バクちゃん先輩という短期間で化けた実例を目撃した以上、断言することはできないけどさ。

 プレッシャーが無い。短距離ダートならいい勝負をするだろうし、フェブラリーSのマイルでも善戦は見込めるだろう。でもそこ止まりだ。

 

 

 彼女の担当トレーナーはいったい何を考えて最終目標を有記念なんかに設定しやがったんだろう。

 しょせん私はウマ娘でしかないわけで。専門家たるトレーナーの見えているものが見えていないだけなのかもしれないけど。

 なんかモヤモヤするな。

 

《くふふ、自分以外のウマ娘のレースのことを考えて情緒が揺れ動くようになるとは……本当に成長したねえ》

 

 脳内でテンちゃんがすごくやさしい目をしていた。

 その目は嫌いじゃないけど、恥ずかしいからやめて。

 

「あれ? っていうことはさー。リシュちゃん、今年はもしかしてダート路線いっちゃったりするの?」

 

 マヤノが少し不安そうに眉をひそめた。

 

「ううん。まだ桐生院トレーナーと相談し合って決めた確定事項じゃないけど、デジタルみたく芝とダートの二刀流……ってほどじゃないか。たぶんダートを走るのはそこだけ。今のところ暫定でこれを走りたいなって候補は――」

 

 私の口から錚々たるGⅠタイトルの名が連なるたびにウララ以外の顏が多かれ少なかれ引き攣っていく。ウララは『わー、いっぱい走るんだね。よーし、わたしもがんばるぞー!』とほわほわしていた。いや本当にそんなこと考えていたのかは知らんけど。

 私だって完全に他人事としてこのローテを聞けば真っ先に相手の正気を疑うことだろう。相手の脚の心配はそこから三歩遅れてくらいか。

 

「ぺんぺん草も残りませんね……」

「ぺんぺんグサ? かわいい名前! どんな草なのっ?」

 

 デジタルが呆然とつぶやき、そのつぶやきのどうでもいいところにウララが無邪気な疑問を抱く。

 

「ナズナのことよ。春の七草のひとつ。そうね、この時期なら食堂のメニューに七草粥があるはずだから、後でウララさんに見せてあげるわ」

 

 そこに続くキングヘイロー先輩の言葉には彼女の面倒見のよさが存分に発揮されていた。

 

「うーん。シニア春三冠かぁ。うーむむむ……あー、やっぱりダメだー。どう考えてもマヤ、大阪杯に出る余裕はないやー。有記念の疲労がそんなに早く抜けるなんてリシュちゃんずるいよー」

「私だからね。食べて寝ればだいたい回復しちゃうのさ」

 

 ふっふっふ、ずるい(チート)と言いたければ好きなだけ言え。

 テンちゃんの想いが結実し、母が産んでくれたこの身体。恥ずべきところなどひとかけらもありはしないのだ。

 

「マヤはね、上半期はひとまず天皇賞(春)に狙いを定めていくつもりなんだ。だから三月は大阪杯じゃなくて阪神大賞典かなー」

 

 うんうん、普通はGⅠにいきなり出走しないよね。前哨戦で身体を慣らしつつ、ライバルの動向を窺うのが定石だ。

 阪神大賞典はその名の通り阪神レース場で行われる芝3000mのGⅡ。日経賞と並んで天皇賞(春)の前哨戦に位置付けられたレースであり、ここで一着を獲れば春天の優先出走権が与えられる。

 私以外のウマ娘にとって距離の壁というのは高く分厚く立ち塞がる要素。

 長距離レースを連続で走るのは一見しんどそうだし実際にしんどいが、調整という面では下手に中距離を挟むより長距離向けの身体できっちり仕上げた方が楽だったりする。

 この一年、出走予定のレース全てが勝負服着用(GⅠ)という頭のおかしい私と違ってマヤノは順当に戦績を積み重ねていきそうだ。

 

「まあ、春の七草のことは今は置いておくとして……私がこんなことをいうのは筋違いかもしれないけれど。本当に大丈夫なんでしょうね、そのローテ?

 あなたと雌雄を決する機会に恵まれるのはありがたい話よ。でもね、いまや時代の寵児となったあなたが怪我した日には泣く人間は一人じゃないの」

 

 キングヘイロー先輩の声や表情には単なる忠言には留まらない重みがあった。

 そうだ、彼女は黄金世代の一角。

 観客席からやれ不死鳥だと無責任に囃し立てる者たちとは全く異なる、ライバルとしての立場から。グラスワンダー先輩を始めとした黄金世代が怪我と奮闘する様を間近で見守った一人なのだ。

 小学生に上がりクレヨンから鉛筆に持ち替えたばかりの子供が自由帳に書きなぐったような夢いっぱいのローテーションを前に、接点の薄さや筋違いを自覚しながらも一言こぼさずにはいられなかったのだろう。

 

「はい。たぶんいけます」

 

 ちなみに私の返答はこんな感じだ。

 なんか申し訳ない。

 

 ただ、漠然と『できる』気がしているのも事実だった。

 

「今年もきっと無敗で駆け抜けますよ」

「……へえ、言うじゃない」

 

 ぎらりとキングヘイロー先輩の目に光が宿る。

 後輩に向けた面倒見のいい眼差しとは異なる剣呑な輝き。

 

《まー『心配されるような無茶なローテでもあんたらには負けんよ』って言ってるようなもんだし、これで腹が立たなきゃ中央のウマ娘じゃないわな》

 

 だろうね。

 でもここで謙遜するのは美徳じゃない。そうでしょ?

 そして私たちの在り方でもない。

 

 ま、こんなこと先輩に面と向かって言っておいてなんだが。

 これまでにない過酷な挑戦。実際に蓋を開けてみるまで実態はわからない。

 もしかしたらフェブラリーSが終わった時点で『あ、やっぱりこれダメだわ』ってことになるかもしれないのだ。

 

 そのときはあっさり諦めることになるだろう。

 この上なくカッコ悪いが、私たちの身体をプライドと引き換えにすることはできないもの。優先順位はどこまでも明確だった。

 

「わー、わたしもたくさん走っていーっぱい一着とっちゃうぞー!」

 

 そしてウララだけがほわほわと笑っていた。

 中央のウマ娘とは。

 

《うん、ただしウララちゃんは別だ》

 

 なんかテンちゃんってウララに対し妙に判定甘いこと多くない?

 

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