「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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宣戦布告は鮮烈に

 

 

U U U

 

 

 完成したその日、職人さんは語った。

 

「勝負服はそのウマ娘にとって一世一代のもの。だから儂らが作る勝負服は常に最高傑作でなければならないのです」

 

 勝負服。

 それはウマ娘のGⅠレースに欠かせない晴れ着。

 今でこそアオハル杯でも着用が許されているが、それ以前はGⅡレースでさえ体操服で行われるほど徹底されていたのだ。

 それはGⅠの象徴だった。

 

 毎年、幾人のウマ娘がGⅠに出走するチャンスを掴むことができるのか。計算すれば理論値自体は簡単に導き出すことができる。

 タイトルの数もゲートの数も公表されているのだから。まあ実際には毎回フルゲートでレースが行われるわけではないし、私たちのように同一人物が何回も出走することも多いので、理論値より実際にGⅠを経験できるウマ娘はぐっと減るのだけれども。

 その最大理論値でさえ、学園の生徒数と比較すれば『こんなに少ないのか……』と初心者は戦慄することになる。

 たとえばルドルフ会長は『勝利より、たった三度の敗北を語りたくなるウマ娘』と言われるほどその戦績は勝利で満たされていたが、それでもGⅠは七勝しかできていない。

 

《いや、間違ってもGⅠ勝利は七勝()()って数え方じゃないから》

 

 上澄み中の上澄み、もはや頂点と言って差し支えない皇帝様でさえそれなのだ。

 以前にも述べたが、おそらくGⅠに出走が叶うだけで全体のおよそ三パーセントほどだ。

 さらに勝利ともなれば一パーセントを割る。

 

 勝負服の職人というのは言ってしまえば裏方だ。

 ウマ娘の勝負服のデザインが話題に上ることはあっても、その勝負服をいったいどこの誰が作成したかなど一般人は誰も気にしないだろう。

 掲示板から外れスポットライトの当たらないウマ娘たちよりも、さらに日陰の住人。

 

 それでも彼らが手を抜くことなどありえない。

 倦まず、弛まず、腐ることなく。

 常に己の全身全霊を賭して針を動かす。

 

《仕事には二種類あるという。給料を得るため給料分の職務をこなす者と、この仕事は己にしかできないと自らの誇りに懸けて職務を全うする者だ。遣り甲斐搾取が問題視される昨今では何かと後者は批判されがちだし、内容に見合った給与が得られないのは改善されるべき問題だと思うけど……。

 給料だけじゃあこなせない仕事というのがこの世に存在しているのは、間違いなく事実。医療従事者とか警察関係者とか、命に係わる現場は特にね。トレーナーもそうかな? だから『給料分の仕事をしろよ!』なんて仕事なんだからやって当然と思うのではなく、ぼくらは彼らに感謝を忘れないようにしようね》

 

 それらを大前提とした上で、続けて職人さんはこう言った。

 

「モノ作りは一期一会。今日流れるように作れたものが明日ぱったりと作れなくなることもざらです。今の自分にしか作れないものがある。その上で常に最高傑作を。そう自分に言い聞かせ今日まで拙い手を動かしてきました。しかし――」

 

 穏やかな口調で、優しい目をしていた。

 

「今の貴女方でなければこの服は生まれなかったでしょう。儂が生まれてきたのはこのときに、この技を身に着けた状態で、この服を作るためだったのかもしれませぬ。

 ……儂が新たな勝負服を手掛けることはもう無いでしょう。これ以上のものが作れないとわかっているのに、その子の人生を彩る晴れ着を作るのはあまりにも不実だ」

 

 その日、とある勝負服職人の魂が燃え尽きた。

 メンテナンスは一手に引き受けてくれるし、技の伝承もしないといけないので今日明日引退するってわけではなさそうだが。

 それが燃える炎の生み出す熱ではなく、真っ白になった灰のぬくもりなのだということはその方面に関して素人の私でも何となく理解できた。

 

 これも私たちの犠牲者と言えるのだろうか。

 よし。捧げられた命、無駄にはしないよ。

 

 

 

 

 

 一着目が黒のコートというどちらかと言えば男性的なイメージのある装いだったのに対し、二着目は女性的なイメージが強い華やかなドレス風の勝負服だった。

 大抵こういうのは一着目と二着目で色合いを始め大きく印象を変えるのが定番なのだが、私たちの場合は一着目と同様に黒が基調となっている。

 まあ『新たな勝負服』に込められた意図が他とは根本的に異なるのだから当然といえば当然か。

 多くの場合二着目はそのウマ娘の多大な功績を表したものであり、その報酬であり、そして一着目だけでは補いきれない部分を意匠したものである。つまり往々にして根底にあるコンセプトが一着目とは異なるのだ。

 それに対し、私たちの場合は一着目では制しきれなくなった能力に対応するためのアップデートという色合いが強い。

 つまりこれは一着目の正当進化。故に一着目から受け継がれた意匠は多い。

 

 まるで変身ヒロインのようにフリルがふんだんに施されたロングスカート。

 いや、色合い的にはヒロインよりもラスボスだが。露骨なまでに左右非対称(アシンメトリー)なデザインだって見る者に歪で異質な印象を与えることだろう。

 黒を基調に金で彩られ、アクセントに紫が随所に用いられている。

 一歩間違えば容易く俗悪に落ちてしまいそうな配色を、絶妙なラインで妖艶に落とし込むセンスはまさに職人の技だ。

 

 それが戦うものであることを示すように、各所に存在する硬質なアーマー部位。

 特に右手を覆う白いガントレットは鉤爪のような物騒なデザインも相まって、一回り右腕が巨大化して見えるほど屈強な印象を受ける。

 そのくせ肩はオフショルダーで剥き出しだし、動きやすさだけでは説明し難い大胆な露出が多い気がする。

 ちゃんと私の身体に見合っているのだろうか。職人さんの腕は信用しているしオーダーメイドなのだから心配無用に決まっているのだが、それでもわずかばかりの羞恥心は消しきれない。

 

 頭上には豪奢なクラウン。嵌められた宝石は某宝石商さんからの提供だとか。

 『私たちの何よりも大切な宝石を守っていただいた、ほんの些細なお礼です』とのことだったが、ちょっと心当たりが無い。

 でもテンちゃんは思い当たる節があったみたいなので、別に妄想世界に生きるストーカーを心配する必要も無さそうだった……お値段も気にしないことにする。

 

 真紅のヒールは蹄鉄が仕込まれてることもあり、硬い床の上を歩くとカツリカツリと音がする。

 これで練習中に履き潰した数多のスポーツモデルより速度が出て、一着目の武骨極まるグリーヴより力強く踏み込めるというのだから、ウマ娘とは神秘的な種族だ。

 自分で言うのも何だが実に不思議に満ちた生態だと思う。

 

 そして忘れてはならないのが【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】と【白域(ホーリー・クレイドル)】。

 この双剣も続投だ。デザインは大きく変わったが。

 まず一着目の双剣はロングソードだったが、ショートソードほどのサイズになった。

 そして代わりに弾倉と銃口が付いた。

 もう一度言おう。弾倉と、銃口だ。

 いわゆる銃剣。小銃にスパイクや短剣を取り付けた由緒正しいバヨネットではなく、拳銃を巨大化したような柄に刀身を取り付けたフィクション御用達のアレである。

 ちなみに【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】についた方の弾倉はオートマチック風、【白域(ホーリー・クレイドル)】についた方の弾倉はリボルバー風だったりする。

 私の長剣二刀流は異形の大型二丁拳銃スタイルにクラスチェンジしたわけだ。

 

《ゴテゴテと付け加えるのもロマンだが、シンプルなのもカッコいいよな。ここは旧装備と区別するためにそれぞれ【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)(ツヴァイ)】と【白域(ホーリー・クレイドル)(セカンド)】と呼ぶことにしよう》

 

 心が痛い。これが私の選んだ修羅の道ということか。

 

 拳銃というのは携帯性と取り回しの代償に射程が短く、だいたい有効射程距離は25~50m程度とされている。

 しかもそれはあくまでカタログスペックであり、実戦では的が動くことを考えたら10m前後が現実的だろうか。

 銃と言えば飛び道具、遠距離武器というイメージが先行するが。実は拳銃は護身用、携帯用の武器として発展してきたショートレンジ~クロスレンジ用の武器なのである。

 

 そして拳銃で狩れる獲物など人間くらいだ。

 大型の獣相手なら威力不足が懸念されるし、威力的に十分な小動物や鳥類だと今度は射程と精密性がネックとなる。

 そもそもハンティングに行くのなら大人しく猟銃と呼ばれるたぐいの銃をチョイスするだろう。

 対人を前提に脈々と歴史を積み重ね進化を遂げてきたという意味では剣の正統後継者であり、その剣すら駆逐して現代において最も身近にある闘争の象徴。

 より洗練された同族殺しの形。

 まあ成長した今の私たちにふさわしい形状なのだと思っておくとしよう。

 

「……ありがとうございます。リシュ、テンちゃん」

 

 ふと、着替えを手伝ってくれていた桐生院トレーナーがそう言った。

 私の髪型を整え終わり、頭からそっと手を離した直後のことだった。

 

 ちなみに桐生院トレーナーがテンちゃんのことを呼び捨てではなく『テンちゃん』と呼ぶのは別に含むところがあるわけではなく、ただ単純にテンちゃんが自己紹介のとき『ぼくのことはテンちゃんと呼ぶといいさ!』と言ったのを愚直に守り続けてるからだったりする。

 こういうところ、デジタルに通じるところがあると思う。やっぱり何だかんだ担当トレーナーとウマ娘って似た者同士なのかな。

 

「どうしました急に?」

「いえ、なんと言いますか。私はこれまでウマ娘と並び立つトレーナーとしてふさわしい自分であろうと心がけてきました。桐生院であることも。受け継いだトレーナー白書の教えが目の前のウマ娘に一致しないのなら、そこから逸脱することも恐れない自分でありたいと、今の今まで思ってきました……そのつもりだったんです」

 

 目の前に差し出された手は震えていた。

 

「でも、こうして私の担当が今日URA賞を受賞、それも年度代表ウマ娘に選ばれ……。身体が震えるほどに感動している自分がいるんです。

 気づいてしまったんです。私は今、桐生院の名を受け継いだ者として喜びを覚えている。あなた方が栄誉を手にしたことと同じくらい、自らの手腕が成果を出したことに価値を見出している」

 

 それのいったい何が悪いというのか。

 桐生院トレーナーはその名の通り、トレーナーの名門たる桐生院の血を引く娘だ。その血を受け継ぐ者として、一般家庭出身の小娘には想像もつかない苦労も葛藤もあったことだろう。

 その功績に誇りを抱くのは何も間違ってはいないはず。

 

「きっと彼なら純粋に、ウマ娘の功績を讃えたはずなのに。私は桐生院から一歩も踏み出せていなかった。リシュがずっと私のことを『桐生院トレーナー』と呼ぶわけです」

 

 ああ、別にそれが悪いことだと思っているわけではないのか。

 ただ桐生院トレーナーが理想としている『彼』と、今の自分との乖離に心が混乱しているだけで。

 その混乱が実体のない罪悪感を引き起こしている。

 

《あるいはここまでかたくなに『桐生院トレーナー』で呼び続けてきたリシュとの距離感に悩んでいたのがここで合わせて爆発したのかもね。マヤノとか葵ちゃん呼びだったし》

 

 えぇ……? そんなことある?

 だってトレーナー呼びはミーク先輩もデジタルも同じじゃん。

 

 ああ、いや……ありうるか。

 ミーク先輩と桐生院トレーナーの間には確かな絆が存在しているのが、人間関係に疎い私でも見て取れた。

 それに比べたら私やデジタルは一歩も二歩も桐生院トレーナーとの心の距離は遠かったと思う。

 そしてそれを是としていた。

 集団である以上序列は必要で、そのトップがミーク先輩であるという構図に私もデジタルも異論はまったく無かったんだ。

 桐生院トレーナーの愛はミーク先輩だった。

 

 でも桐生院トレーナーは違ったのかもしれない。

 担当を等しく愛として尊重するべしという理想が、ずっと彼女の心を苛んできたのかもしれない。

 

 うーん、対人関係の問題はだいぶ私の方に非があるからなぁ。

 ここは私の側から踏み込むのが筋か。

 これから最低一年間は共に歩むパートナーとして、ここで倒れられても困るし。すごく困るし。

 

()()()()()()

 

 かしゃり、と軽い音と共に右手のガントレットの先端が開く。

 まるで蕾が開花するような洒落た構造だが、単純にそのままだとガントレットがごつ過ぎて銃剣のトリガーガードに指が入らないがためのギミックだったりする。

 指を斬り落とされないための防具なのに指が露出する機能を組み込むなんて、本当に色々ともうアレだ。

 

 ともあれ、今の状況に限って言えば正解だったかもしれない。

 防具越しの硬い感触でこの人の繊手を汚さずに済んだ。

 彼女の震える手を、私の両手でそっと包み込む。

 

「私を見てください」

「あっ……」

 

 揺れる瞳。

 学生と見紛う童顔。

 いや、この人は実際に若いのだ。

 

 若いトレーナーだと経験不足が心配だとか、周囲から舐められるとかよく聞くが、私はまったく気にしていなかった。

 だって一番身近にいる若手トレーナーがこの人だし。二番目に近しいと言えるのがゴルシTだし。

 経験不足で心配? その短い経験で積み上げられた実績の数々を見てからもう一度言ってくれます? ってなもんだ。

 

 でもそうか。

 トレセン学園の生徒である私たちから見ればトレーナーというのは大人で。大人という一括りで壁の向こうの存在だけど。

 私が小学校を卒業したとき、新品のランドセルを背負っていた頃に期待していたような達成感も成長も特に感じなかったように。

 大人というものもひとつの区切りを乗り越えただけの、今の私たちの延長線上にある存在なのかもしれない。

 成長したのだと自分に言い聞かせているだけで、ゲームのようなわかりやすいレベルアップやスキル獲得など起こらないし。

 正しくあろうとしているだけで、迷わないわけでも間違えないわけでもないのだ。

 

「この手を取らずとも、いずれ私たちはここまで到達していたと思います」

「……っ!」

 

 それは本当。

 掛け値なしの本音。

 私たちがレースの道を選んだ以上、どんなルートを辿ってもどこかの年で年度代表ウマ娘に選出されるだけの功績は打ち立てたと思う。

 だって私たちだもの。

 

「でも、今ここにいるのは間違いなくあなたの手を取ったからです」

 

 でもきっと、今と同じかたちではなかった。

 それはもしかするとテンちゃんと分かたれる未来に繋がっていたかもしれない。

 私の安全が確保できた時点でテンちゃんは積極的に動く気を失くしていたようだし、私がこうやって己のルーツを知り行動を起こそうとしたときには既に手遅れの状況になっている可能性も十分にありえた。

 

 私がこの人に精いっぱいの敬意を示し好意を抱く理由はそれだけで十分だ。

 

「トレーナーの名門桐生院を受け継ぎ血肉に変えた(あなた)がいたから、テンプレオリシュ(私たち)は今この瞬間ここにいる。それがレースの歴史の転換期になることは、いまさら説明する必要も無いことですよね」

 

 クラシック級までの二年間で上振れの極みとも言うべき戦果を出した上で、私たち(テンプレオリシュ)のはじまりを把握したからこそ、残されたシニア級の一年間をこれだけ無茶苦茶なローテで走り抜けることに決めたのだ。

 何か一つでも違えば決心することは無かっただろう。

 負けるつもりは毛頭ないが、それでも成し遂げる自信はあんまりない。レースに関わる者としてこの歳まで培った常識が邪魔をする頭のおかしい目標。

 春秋シニア三冠のグランドスラム、なおかつ二年連続で全距離&ダートのGⅠ達成。

 達成した暁には空前絶後の大記録となることだろう。むしろ二人目が出てきたらダメなレベル。世界はそこまで寛容じゃないと信じたい。これから自分で成し遂げようとしている私が言うのも何だが。

 

桐生院(あなたがた)の歴史が私たちに繋がり、そして私たちが今日から新しい歴史を築く。だから誇ってください。桐生院葵がいたからここからの歴史は始まるのです」

 

 私は父と母の愛娘だ。

 自分で言うのも何だがめっちゃ愛されている娘だ。

 たとえ私に人じゃない何かが混ざっていたとしてもその事実は揺らがない。

 私は自分の生まれを誇る。

 

 だからこの人にも胸を張ってほしい。

 いや、違うな。ちゃんと葵トレーナーの胸の中にも誇りはあるのだ。それだけの努力を重ね、実績を積み上げてきたのだ。ただ接触不良を起こしただけで。

 思い出してほしい。気づいてほしい。その感情は何一つ負い目に感じる必要のないものなのだと。甘受して当然のものなのだと。

 

 大きすぎる光は目を眩ませる。

 ゴルシTは直視するだけで目を悪くする太陽のようなものだ。

 でも葵トレーナーだって北極星くらいはあるのだ。私はそれに導かれてここまで来たのだ。

 それは歴史の教科書に載ってもおかしくない功績だろう。レース史ならわりとガチでありうる未来だと思う。

 

「……ありがとうございます。リシュ…………ごめんなさい。醜態を晒しました」

 

 気づけば震えは止まっていた。

 

「これくらい大歓迎さ。トレーナーとウマ娘の関係が絶対的な指導者とそれに従属する生徒でなければならない決まりはない。そうだろ?」

 

 これはテンちゃんの発言。私も同意見だ。

 たしかにウマ娘とトレーナーの間に絶対的な上下関係が存在する例はある。樫本代理とチーム〈ファースト〉の関係性などまさにそれだろう。大人数のチームほど両者の間に明確な上下関係が存在する傾向にあるようにも思う。

 まあ人数が多ければ多いほど、個々人の意見をいちいち取り入れていれば組織としての運営が成り立たなくなるから当たり前か。

 

《船頭多くして船山に上るってやつだな。ま、船で登頂に成功したのならそれは十分にチームワークの成果な気がするけど》

 

 指導者の仕事は個人に寄り添うことではない。明確な方針を打ち出して下からの意見を取捨選択することだ。

 意見を切り捨てられてなおその指導者についていこうと思わせるには一方的に上から押し付けるだけでは難しかろうが、だからといって一丸となった組織の構成員の心が通じ合っている証明にはならない。

 下の者が納得していればそこに信頼関係はいらないのだ。

 

 では、指導者とトレーナーとは絶対にイコールの立場なのだろうか。

 私は違うと思う。

 トレーナーは指示を出し、ウマ娘は従う。この関係性は共通だ。

 だが専属トレーナーに目を向けてみると、それはもう多種多様な関係性を築いている。

 恭しく奉仕するようにウマ娘の面倒を見るトレーナーがいれば、まるで赤ちゃんの世話をするように嬉々としてトレーナーの世話を焼くウマ娘がいる。いやまあ、流石にこれは極端な例だけども。

 だが具体例ではあるのだ。どこの誰だと名指しできるくらいに、こっそりと知れ渡っているのだ。

 

 トレーナーとは運命共同体だ。

 ウマ娘の運命に寄り添い、共に担ってくれる相手。

 少なくとも私にとってはそうだった。

 極論、トレーナーの知識や技量というのはウマ娘に寄り添うために『あれば便利なプラスアルファ』であって。

 共に運命を背負ってくれるのならトレーナーライセンスすら必要ない……と言ってしまうのは日夜必死こいて机に齧りついているトレーナー志望者および、過労死の危機と戦う日々を送る現役トレーナーの皆さんに対して不実だろうか。ふと先日の、目の下に黒々とクマをつくった某勝負服職人さんのお孫さんの顏が脳裏を過る。

 

《まー数ある世界線(さくひん)の中にトレーナーじゃないヒトミミが、ウマ娘の運命を共に背負い状況を好転させる物語なんて掃いて捨てるほどあるからなぁ。テンプレオリシュ(ぼくら)がそういう感覚を持つっていうのは別に間違ったことじゃないと思うよ。正しいとも言わないけどさ》

 

 仮に押しつけがましく干渉してくるトレーナーが私の担当であれば、私はきっと反発していたことだろう。

 当時は誰でもいいと思っていたが、たぶん当時の私は自分で思っていた以上にその対人能力に難があった。

 

《あれ? 今はそうじゃないと言わんばかり?》

 

 今はだいぶ上達したでしょ。

 胸を張って言える。努力の成果が出ていると。

 

《あー、うん、そうだね。否定はしない。ぼくは褒めて伸ばすタイプだから……というか叱られて伸びるタイプなんていねえよ叱って伸びたように見えるのはお前それ育成対象のことちゃんと見れてねえだけだよって信念の持ち主だからねぇ》

 

 ともあれ。

 入学当初の私が人間相手に十分な手加減ができたとは考えにくい。そうなった際もテンちゃんは仲介してくれていただろうが、仮に私とそれ以外が天秤に掛けられた場合は躊躇なく私を優先してくれるのがテンちゃんだ。

 貴重な中央のトレーナーが私のせいで潰れるのは私としても心苦しい。

 

――あの! 私と一緒にトゥインクル・シリーズを走りませんか?

 

 だから桐生院葵でよかった。

 あのとき私たちに手を差し伸べてくれたのがこの人で、本当によかった。

 はっきりと思い出せる。

 緊張で強張った表情筋。

 覚悟が灯った瞳。

 堂々と力強くこちらに向かって伸ばされた手。

 記憶力には自信のある私ではあるが、どうでもいいことは端から憶えない。

 つまりこれだけハッキリ脳内再生できるということは、当時から消してはいけない大事なものカテゴリーだったのだろう。

 

 エリート揃いの中央トレーナーの中でも高水準にまとまった育成手腕。

 トレーナーの名門、桐生院家が持つコネクション。

 ミーク先輩との『最初の三年間』で築いた彼女個人の影響力とノウハウ。

 才能溢れるチームメイトたちと切磋琢磨する経験。

 葵トレーナーは私がどう努力しても自分たちだけでは持ちえないものを十分すぎるほどに補ってくれた。

 

「じゃあ、ちょっとばかし世界に喧嘩売ってきますね」

「はい、いってらっしゃい。ちゃんと見守っていますから」

 

 あの日の選択が間違いではなかったと今日も証明しに行こう。

 

 

 

 

 

「さあ、次はいよいよ年度代表ウマ娘の発表です!」

 

 閉ざされた視界の中、これ見よがしにカツリカツリと足音を立てながら壇上にあがる。音の反響で目を瞑っていたって周囲は十分に把握可能だ。

 気の早いカメラマンが焚いたストロボの光を瞼越しに感じた。どうにも写真というのは好きになれないな。無遠慮で一方的だ。

 

「選出されましたのはもちろんこの人! “皇帝”シンボリルドルフ以来の無敗クラシック三冠を達成し、そのまま年末の有記念まで数々の強敵を相手に全勝、最強を証明したウマ娘!!

 本来は受賞が発表されてから勝負服を始めとした副賞の授与となるのですが、満票で選出に至った通り彼女以外はありえない一年間でした。故に今回はその功績を記念して、特別に勝負服を着用しての登場となります」

 

 別にフラッシュが眩しくて目を閉じたわけではない。

 不愉快な眩さなのは事実だが、私の網膜はこのくらいではびくともしない。

 

《ふつう鋭敏な感覚器官は大きな刺激に弱いものなんだけどな。()()()のエアグルーヴ号はそれで被害を被ったわけだし。でもぼくらの身体は鋭敏さと強靭さを併せ持った不思議構造なのさ。いや本当にどんな理屈になっているんだろう?》

 

 ゆっくりと一歩ずつ、存在を空気越しに刻みつけるように。

 カツリ、カツリと足音が鳴り響くたび会場の静けさは増していく。

 やはりテンちゃんは場の空気を支配するのが抜群に上手い。

 しんと静まり返った数秒のち、司会者が己の役割を思い出したように言葉を発した。

 

「――っ。テンプレオリシュさん、受賞おめでとうございます」

「はい。ありがとうございます」

 

 開くのは左目だけ。

 青い瞳を印象付けるように。

 

「それでは年度代表ウマ娘に選ばれたテンプレオリシュさんからコメントをいただこうと思います!」

 

 かくのごとし、演出力という点で私はテンちゃんの足元にも及ばない。

 それでも最初の第一声は私が担当すると決めていた。

 担当が決まらず右往左往する羽目になった、デビュー前の模擬戦のときのように。

 どれだけ上手くいかなくても、これは私が自分の意思で始める物語だから。

 

「まずはこのような栄誉に与ったこと、感謝申し上げます」

 

 喧嘩を売るにしても、やり方というものがある。

 別に法や秩序に片っ端から噛みつきたいわけではない。礼儀知らずの犬が吠えていると蔑視を受けるのは少しばかり気に食わないし、周囲の人間にも申し訳ない。

 最低限の挨拶はやっておくべきだろう。

 まあ、無礼も失礼も非礼もやるときにはやるんだが。気にはかけるが気を遣ってやるほどのものではない。少なくとも私の中ではね。

 

「私たちを導いてくださったトレーナー。切磋琢磨してくれたライバルたち。この道を志したとき全面的に応援してくれた家族。そしてウマ娘が走るための環境を支えてくださっている全ての人々に感謝を。この場を借りて改めてお伝えさせていただきます」

 

 よし、いい子のふりはこんなもんでいいか。

 

《敦盛パート終わり! うつけ入りまーす!!》

 

 時は戦国。当時まだ『尾張の大うつけ』と呼ばれていた織田信長は美濃の戦国武将である斎藤道三と和睦を結ぶ際、その悪名を払拭するかのような見事な正装で現れ、その出で立ちが付け焼刃でないことを証明するかのように目の前で敦盛を舞ってみせたという。

 その姿に『大うつけと呼ばれた立ち居振る舞いは周囲の目を欺く仮の姿であったのか』と感服した道三は以後、信長の強力な後ろ盾となったのだとか。

 信長を取り扱ったドラマならけっこうな確率で取り扱われるエピソード。尾張の大うつけから、戦国の三英傑へとキャラクターが移行するわかりやすい最初の転機だ。

 日本史の教科書や資料集には載っていなかったので真偽のほどはさだかでないが、数ある逸話の中ではそれなりに著名なものだろう。

 信長は品行方正に振る舞う自分を魅せることで大うつけの衣を脱ぎ去った。対し、私は今から品行方正を脱ぎ捨てて大うつけと呼ばれても否定できない態度を取ろうとしている。そのことを揶揄したテンちゃんの発言だった。

 テンちゃんは相変わらず頭がいいので、偶にこういう教養を前提とした言い回しをする。そういうところが軽妙で洒脱で大好き。

 まあたしかに。かの信長公も第六天魔王を自称したとも伝わっているし、“銀の魔王”と呼ばれている私と共通項が無いわけでもないかな。

 これから目指すところが天下統一というのもだいたい同じだし。

 

《じゃあ百年後あたりにはリシュもフリー素材化してる可能性が微レ存?》

 

 それはいやだなー。

 

「……ただ、私たちが他の誰よりも優れた存在であることは他のウマ娘の『当たり前』を知った時から知っていました。なので過程はどうあれ私たちがこの場に立つことは当然の結果と言えるでしょう」

 

 流れが変わったことに場がややざわつき始める。

 シンボリ家にメジロ家、その他この世に優駿を輩出してきた数々の名門を差し置いて、一般家庭出身の私がこんなことをほざいたのだ。

 血統が重視され、実際にその成果が如実に歴史に刻まれたこの業界で。ろくに家系図も辿れない野良ウマ娘が『私がイチバン!』などと言いだしたのだ。

 実績あっての発言とはいえ、まあ関係者なら愉快な気はしないだろう。そういうのは感情の問題であるし、その感情は往々にして礼節という衣を被せられて、害する側に非があるとされるものだ。

 そしてこの表彰式の招待客には名門に連なる者がごまんといる。むしろまったく無関係な者を探す方が難しい。

 

 しかしリップサービスとかで、誰かのためにその場の流れでそれっぽいことを口にしたことは何度かあったけど。

 自分のために、はっきり意識して大口を叩くのはもしかしたらこれが初めてかもしれない。心臓が嫌な感じにドキドキする。

 でもきっと、これがテンちゃんの戦っていた世界なのだ。

 ようやく本当の意味で隣に並び立てるのだと思うと、悪くないドキドキだ。

 

 それに、嘘や虚勢のつもりはないからね。

 単純な算数の問題だ。どうあがいても独りではふたりに勝てない。

 

「ウマ娘が異世界から受け継ぐという“名前”と“歴史”、俗にウマソウルと呼ばれるもの。他の皆のそれは喋らないのだと知ったとき、私は自分が周囲とはまったく異なる存在であるのだと自覚しました。

 ウマ娘の神秘の根源と意思疎通が図れないまま走る彼女たちに比べ、私たちはあまりにも有利に過ぎたのです」

 

 そろそろ一人称が複数形であることを聴衆も意識し始めただろうか。

 そっと取り出して、大勢の前に無造作に送り出した私たちの起源(オリジン)

 私たちにとっては大事なものでも、不特定多数にとってはそうではない。突然こんなものを放り込まれても困惑するだけだろう。

 でも『ふたりでひとつの私たち』に“願い”を集めるのならここから認識のすり合わせを始めないといけないから。

 多少一方的でも壇上であるのをいいことに私は語り続ける。

 

《よしよしおつかれ。こんなもんだろ。あとはまかせろー》

 

 うん慣れないことをして疲れた。

 ……本当につかれた。あとはまかせるー。

 

「まあつまり――」

 

 困惑にざわめく彼らの前で、おもむろに切り替わってみせる。

 ぱちりと左目を閉じ、右目を開ける。

 睥睨するは赤い瞳。表情の切り替わりと合わせて実にわかりやすい。

 

「テンプレオリシュはいわゆる二重人格みたいなもんってわけだよ」

 

 あえて敬語は使わない。

 これが人間ならTPOを弁えないのは無礼だが、いま喋っているのはウマソウルだ。人外に人類社会の規範を求める方が間違っている……という方向性で印象付ける狙いがある、らしい。

 たしかに顔面を上下に引き裂くような笑みを浮かべ両手を広げるテンちゃんは人外感マシマシではあるけど。

 私たちの人間味って主にテンちゃん由来の成分だと思うんだけどな。本当にこれでいいんだろうか。ちょっと詐欺っぽい気もする。

 だいたい、私たちがふたりでひとつということを認識した上で過去の記録映像を確認すればテンちゃんにそれなりに社交性があることも判明しそうなものだ。わざわざ演出する必要性はあるのだろうか。

 

《ある程度『道理が通じないやつ』と思わせておいた方がいざというときにこちらの要求を押し通しやすいし、記録を漁ってまでぼくらのことを予習してくれるような相手にはぼくらの方針を暗に伝えることができるからね。無駄な一手にはならないよ》

 

 そういうもんか。

 人間関係のカードゲームはテンちゃんの方が圧倒的に上手なのは今さら再確認するまでもないことだ。ここで伏せられたカードにどんな役割があるのか、拙い私が推察するだけ無駄なのかもしれない。

 ……でもきっと、こうやって考えるようになったことは将来のためには無駄にならないはずだから。

 地道にやっていこう。

 

 両目の切り替え、これは『勝負服の更新によってキャラデザが一新したので、せっかくなので二重人格属性をわかりやすく強調していこう』という作戦だった。

 私が話すときは青い左目だけを開き、テンちゃんが話すときは赤い右目だけを開ける。

 言ってしまえばクラシック級まではやっていなかった露骨なキャラ演出である。

 しかしこの一年の出走する予定のレースはすべて勝負服の舞台という、地味に狂ったスケジュール。キャラ付けの効果はバカにできない。

 

「最優秀? 年度代表? そんなの当たり前だろ。だってぼくらは特別なんだから。むしろたった二年の功績で『その程度』だと枠に当てはめ評価が下されるのはちょっと我慢ならないんだよね。

 だから特異なぼくらが唯一無二であることを絶対の実績をもって証明しよう。これよりウマ娘の歴史は三つに分かれることになる。すなわちぼくらが世に出る前、出た後、そしてぼくらが駆け抜けるこの世代だ」

 

 さあ言うぞ。言ってしまうぞ。言うのは私が直接ではないけれど。

 後戻りできない一線を越える。これまで何度も道を選びここまで来たけど、今回の選択はとびっきりで特別だ。

 緊張で吐きそうになるってこういう感じなのか。また現代文の問題としてしか知らなかった日本語が一つ感覚と同期した。

 きっとテンちゃんに肉体の支配権を渡した状態でなければもっとひどかったんだろうな。顔面蒼白くらいにはなっていたかも。

 

「この一年で春秋シニア三冠を無敗で制することをここに宣言する。ついでに短距離とマイルとダートのGⅠも獲っておけば、今後この国のあらゆる平地レースにおいて追うべき背中はぼくらになるだろう?」

 

 あの日スカーレットに病室で語った計画を今、これほど多くの人の前で堂々と宣言している。

 不思議な気分だ。考えたのは私で、実行に移しているのも私たち。なのに、いまひとつ実感が湧かない。足元がふわふわして、なんだか夢でも見ているよう。

 ここからでもはっきりと表情が引き攣っているのがわかるURA関係者の方々の方がずっと現実的に私たちの言葉を受け止めているように思える。

 

 ちなみにスカーレットも無敗のトリプルティアラを始めとした功績が評価され、順当に最優秀クラシック級クイーンウマ娘に選出されてはいるのだが。

 いまだに療養中であるためこの場にはいない。

 代理でゴルシTが出席してはいるけどさ。彼の表情に驚きはない。スカーレットから話を聞いていたのかもしれない。

 

「手始めに至近のダートGⅠであるフェブラリーステークスから征服させてもらおうか。ああ、そうそう。きっとぼくらにとってこの一年がこの国でまともに走る最後の年になるから。テンプレオリシュというウマ娘を直接味わいたい方々はお早めに準備をお願いしますねぇ。

 URAファイナルズとアオハル杯がある以上『この世代が特別弱かっただけ』なんて戯言を吐かせる気はないけどさぁ。どうせなら直接白黒つけたいだろ?」

 

 強いウマ娘から因子を回収するのは私たちのウマソウルを補うのに有効な手段だ。

 この場を借りて挑発することで、まだ見ぬ優駿たちを捕食する機会が少しでも増えるのなら嬉しい。

 ただ、それは敗北のリスクが上昇するということでもあるけど。

 トゥインクル・シリーズだけでも二年間。そこに結実するまで人生の大半を走ることに費やしておいて、いまさら味わう敗北のプレッシャーよ。

 こんなものを他の子たちはここに来るまで味わい続けてきたというのか。尊敬するよ、まったく。

 

 フェブラリーステークス。

 URA主催のGⅠに格付けされたレースの中では、実は毎年最初に行われるという位置づけだったりする。

 私たちの今後を占う試金石となりうるそれは、その冠する名前の通りほんの翌月に迫っていた。

 

 




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