「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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今回はモブウマ娘のドラグーンスピア視点です。
誰? となった人は『サポートカードイベント:踊れ、プラネタリウムの上で』を読み返してみよう!


サポートカードイベント:罅だらけの竜槍

 

 

U U U

 

 

 ガキの頃、初めて見たレースがダートだった。

 

 どうして芝ではなくダートを志したのかと問われたら本当にそれだけの話だ。

 インタビューに答えるウマ娘がよく口に出す日本ダービーみたいな著名なレースじゃなくて、そもそも重賞だったかどうかすら定かじゃない。

 体操服だったからGⅠじゃねえことは確かだ。でもどこのレース場だったか、なんてタイトルのレースだったのか、そういうのはサッパリ。

 ちっこいガキが親に連れていかれた先で見たレースなんてそんなもんだろ。調べりゃわかるのかもしれねえが面倒くせえ。

 そもそもオレの親もオレと似たような性格だから、聞いたところでちゃんとした正確な答えが返ってくるか怪しいもんだ。

 

 それに、憧れを抱くのにそんな情報の有無なんて些細なものだ。

 少なくともオレにとってはそうだった。

 体操服に身を包みゼッケンで武装した砂上のウマ娘たちは、ガキだったオレの目にはそれはもうカッコいい大人のオンナに見えた。

 力強い踏み込みがレース場どころか地面そのものを揺るがしてるみたいで、舞い上がる土煙で青空が曇りになるんじゃないかとハラハラした。

 いつかオレもあそこに立ちたい。ああやって一着を勝ち取って雄叫びを上げるんだと幼心に誓った。

 オレが憧れたのはタイトルもレース場もあやふやな、オレの記憶の中だけにあるダートレース。

 それが悪いことだとはぜーんぜん思わねえ。

 

 ただまあ、レースの道に入ってから。

 この国じゃ芝が主流だってことに、腹が立つ経験が幾度となくあったことは事実だけどな。

 金なんだよなぁ、やっぱり。

 アキも頑張っているみたいだけど、賞金が急に跳ね上がったりしねえかな? ざっと芝の三倍くらいにさ。しねーか。

 

 ところで、オレは地図を読むのが苦手だ。

 あの薄っぺらい紙の上に描かれた模様と実際の風景がちっとも噛み合わない。

 何でもそつなくこなすアキとは違うんだ。アキなら事前に地図を読み込んで計画を立てて、初めていく場所でも迷うことなくたどり着けるんだろう。

 でもオレには無理だ。自分の目で見て憶えた道じゃないと自分がどこにいるのかわからない。現在地がわかるのは二回目以降に同じ場所を歩いているときだけだ。

 

 だから、オレが憧れたあの場所に立っていると自覚できるのはきっと。

 オレが本当にあの場所に立った、思い出のあの場所に並んだ、そのときになってようやくなんだろうさ。

 

 そういう意味じゃあクラシック級のときにジャパンダートダービーなんつーGⅠに出走が叶い勝負服まで手にしたオレではあるが、あの思い出の場所に並んだとは到底思えねえ。

 まだまだ道半ば。休んでる暇なんてありゃしねえ。

 もっともっとオレはやれるはずだ。もっと、強くなれるはずなんだ。

 ()()に負けないくらい、強く……!

 

――ざっけんな! 今回たまたま勝ったからって調子に乗んなよ! 誰が諦めるかよ。次だ、次こそオレが勝つ。たった一度の勝利で格上ヅラしてんじゃねえぞ!

 

 JDD(ジャパンダートダービー)で目を開いたままこれでもかと見せられた一夜の悪夢、あのとき啖呵を切ったことが間違いだったとは思ってねえ。

 例によって例のごとく、カッと頭に血が上ってやらかしたことだけども。

 あれしかオレには道が無かった。そうじゃなきゃ諦めるしかなかった。

 

 ()()には勝てないって。

 

 それはレースを走るウマ娘にあっちゃいけないことだ。それだけは絶対にナシだ。

 二着でいいなんてありえない。自分が一着になる。そう信じられるやつだけがゲートに入ることを許される。

 レースってのはそういう世界だ。おてて繋いで仲良く平等になんて、そんな平和ボケした価値観はおよびじゃねえんだよ。

 うん? 海外レース? アオハル杯? 知らん! 地方トレセン所属のオレたちには縁のない世界だ!!

 

――できらぁ! やってやらあ!! オレとアキで中央のエリートども四つに折りたたんで鼻かんでやっから首洗って待ってろやっ!

 

 その場の勢いで言ったこととはいえ、言った以上は発言に責任を持たなきゃなんねえ。これは誇り(プライド)の問題だ。

 『損な気質だねえ』とアキは苦笑いするけど、もういっそのことアホだとハッキリ言ってほしい。三つ子の魂百までってやつで、もう直らねえんだよこの性格は。何度痛い目みても昔からずっとこうなんだからさ。

 

 トレーナーに苦い顔をされながら、同じチームのウマ娘たちにアホを見る目で見られながら、芝でのトレーニングを開始して。

 自分でも驚いたのが案外オレは芝も走れるってことだった。

 そりゃあどっしり踏み込んでもしっかり受け止めてくれるダートの方が性に合ってはいるが、タンタンと速度が出せる芝も悪くない。

 もちろんガキの頃から一度も芝の上を走ったことが無かったわけじゃない。ただ、芝のGⅠを最終目標にして考えながら走れば見えてくるものは変わってくるもんだ。

 つーか、ここまでやれるならもっと早く本気(ガチ)で芝やっておけばよかったと後悔している。

 次走の選択肢がぐっと増えたのになあ。芝の優遇具合とか中央のエリートへの反発から食わず嫌いしていたのが悔やまれるわ、マジで。

 

 この国の芝は世界でも有数の高速バ場だってのはトレセン学園で習ったし、知識としては知っていたんだがな。

 トレセン学園に入学するようなウマ娘はどいつもこいつもスピード中毒みたいなもんだ。稍重の湿った砂よりさらに速度が出せる感覚はどうしてこう、なかなか癖になるものがある。

 

 ……まー世の中にはタイムが出にくいと言われているはずのダートの良バ場で、その年の皐月賞の勝ちタイム2:00.8より速い2:00.4なんてバケモン記録を叩きだし、ダート2000m日本レコードを大幅に塗り替えたスマートファルコンさんなんていうウマ娘もいるんだが。

 あれは例外中の例外だろう。砂の方が芝より好タイムが出る根拠にはならない。いや本当(マジ)で。

 ぶっちゃけ、個人的な感情としてはあの人のことはあんまり好きじゃない。

 ウマドル、だっけか? 趣味のアイドル活動の片手間にレースされているようで、レースが軽んじられているようで面白くなかったし。

 各地方のレース場で快進撃を続けたのに一部のファンからは地方巡業(ドサ周り)扱いされて真っ当に評価されていないのも気に食わない。

 今でこそ()()に抜かれたがURAの重賞連勝記録保持者だぞ? それを評価に値しないってのはさぁ、俺たち地方は中央に蹂躙されて当然だとでも?

 

 ただ、そしりを受けるべきは彼女じゃなくてオレたち地方ウマ娘の方なんだろうとも思っている。

 スマートファルコンさんがアイドル業の片手間にレースをしていたんじゃなくて。

 レースに専念せざるを得ないほどの強敵に、オレたちは成りえなかった。

 アイドル業に熱を上げられるのが気に食わないのなら、それができないほどオレたちが強くなればよかったのに。

 それができなかった時点でこっちが悪い。不平不満を抱いたところで負け犬の遠吠え以上のものにはなりえない。

 地方が雑魚扱いされるのだってそうだ。中央で成果を出せなかったウマ娘が地方に流れてきて大活躍。そういう流れがお決まりと化しているのは否定しがたい事実。

 逆に地方から中央に移籍して成果を出せたのはオグリキャップさんやイナリワンさんなど、個々人の名前を指折り数えられる程度にしか存在しない。

 

 強いやつが正義。結果がすべて。

 そういうもんだ。レースは……いや、勝負っていうのはそういう世界。

 でもま、オレがデビューしたのはあの人たちがドリームトロフィーリーグに移籍した後なわけだし?

 地方ウマ娘(オレたち)の方が悪いってのは認めるが、オレが悪いわけじゃねえからな! そこはハッキリさせておこうか!!

 

 少しばかり話が横にそれたが、ともかく。

 芝の上で走れば走るほど、オレの走りはキレを増していった。いきなり重賞を狙うのはやや厳しいが、オープン戦なら芝でも十分に勝ちを狙えるんじゃないかってくらいに。

 ……いや、わかっている。

 オープン戦で勝つか負けるか、なんてレベルの走りじゃ無敗の三冠ウマ娘には勝てない。

 しかもその三冠ウマ娘はあれよあれよという間に四冠も五冠も達成していきやがる。むしろクラシック三冠達成した時点でGⅠ七勝の全距離GⅠ勝利達成だった。

 何言っているかわかんねーと思うが言っているオレもまったくわけわかんねー。その中で数少ないわかること、彼我の距離が縮まっている気がしねえ。

 

「あれー、また見てる。すっかり魔王様のファンになっちゃったんだねぇ」

 

 何度も何度も、過去の記録から最新の映像まで穴が開くように確認する俺に向け、のんびりとした口調でアキのやつはからかい交じりに言った。

 アキには珍しいとんだ見当はずれの意見だった。見ずにはいられないだけだ。あの悪酔いしそうなほどにギンギラきらめいているギンピカの動向を確認せずにはいられない。

 次に見たときこそ『勝てる』と思える何かが見つかるんじゃないかと期待して、そのたびに裏切られているだけだ。

 

 最終目標は芝のGⅠで()()をボコること。だが、いきなりGⅠを狙うのはさすがに無謀だ。地に足が付いていない。カッコいいことを無責任に吐き出す自分に酔うダセーやつだ。

 だから中目標として、当面の目標は芝の重賞。理想を言えばGⅡ。

 

 ダート路線も疎かにしないとトレーナーと約束させられて、オレだってやっぱりダートの方が好きだからそれ自体は願ったり叶ったりってやつなんだが。

 着実と言えば聞こえはいいが、遅々とした進展に苛立ちがつのる。

 こんなんでいったい何時になれば()()に追いつけるというのか。

 だが苛立ち交じりに階段を数段飛ばしで駆け上がろうとすれば、そのままひっくり返って下まで真っ逆さまってオチは目に見えている。

 この歳まで付き合ってきた唯一無二の相棒だ。オレの脚がどのくらいのペースで走れるのか、オレが一番よく知ってる。

 ちまたで噂のアグネスデジタルとは違うんだ。アイツは生粋の天才(へんたい)。芝とダートを遜色なく走りこなす二刀流(オールラウンダー)。レースのことを少しでも知っている者なら彼女の才能は万人が認めざるを得ないだろう。

 それに対し、どうしたってオレの適性はダート寄り。脚の筋肉のつき方は芝の上でスピードを出すより、砂をしっかり捉え蹴り出すパワーの方に重点を置いている。きっとダート路線以上の成果を芝のレースで出すことはできやしない。

 理想(もくひょう)現実(いまのじぶん)が噛み合わない。でも認めたくないから目を逸らすしかない。

 あの生ける伝説に挑むための資格さえ、今の俺は持ち合わせていないんじゃないかってことに。

 

「そんなことないと思うけどなー。資格なんて同じレースに出走できるならそれで充分満たせているでしょ。時代の寵児に勝った当時の無名の話なんて枚挙にいとまがないよ」

 

 自分で言うのも何だが、オレは雑な性格をしている。

 情報収集もレースの一環だと頭ではわかっちゃいるが、なかなか自分以外のウマ娘の情報まで積極的に取り込もうという気になれない。

 だってオレは逃げウマ娘だし。位置取りとかは後ろでどうぞご勝手にってもんだ。自分のペースで好きに走って、あとは勝つか負けるかの二択。情報収集に時間を費やしたって効果が薄いだろ。

 そのくらいならもう一本多めに走った方がよくね? そう思っちまうんだよ。

 

「ほら、これとかすごくない? まだ海外ウマ娘の独壇場だったジャパンカップで、『今度こそは日本の勝利を』と願いを託された三冠ウマ娘が二人もいる中、期待されていたとは言い難い十番人気。それでも、ものの見事に逃げ切ってみせた」

「いや、その人ちゃんとその前に宝塚記念(グランプリ)勝ってるエリートじゃん……。よりによって同期と後輩に今でも歴史上六人しかいないクラシック三冠を成し遂げた三人目(ミスターシービー)四人目(シンボリルドルフ)がいたせいで過小評価されていただけだって」

 

 そんなオレが大なり小なり他のウマ娘の知識を持っているのはひとえにアキの功績だった。

 てめえだって時間に余裕があるわけじゃないはずなのに、こうやって事あるごとに資料を集めてオレに見せてくれる。

 

「おおー、ちゃんと前後の関係も頭に入ってるんだね。めずらしー」

「そりゃあなぁ」

 

 個人的にその人とは被るところが多い気がして、記憶に残っていた。

 同年代にクラシック三冠を成し遂げたバケモノがいたこととか。評価の高い差し先行ではなく、ここ一番の大勝負で逃げを選んでいるところとか。

 まああっちは中央でグランプリも制したエリート。こっちは雑草どころか砂の住人なんだが。

 同じ逃げウマ娘としては、ちゃっかりあんなバケモノどもに白星あげているその戦績にあやかりたいものだね。

 

「うん、わたしもそう思うよ。ドラグーンスピアというウマ娘は、今はまだ世間の評価が低いだけ。その実態は“銀の魔王”にだって見劣りしない」

「……へへ、NAU(地方ウマ娘全国協会)の看板ウマ娘と名高いアキナケスさんにそう言われちゃあ頑張らねえわけにはいかねえなっ」

 

「がんばって。応援している」

「おう、すっげー応援されてる」

 

 飛ぶことができないのなら歩いていくしかない。

 たとえどれだけ遠いのだとしても、不平不満ばかり並べて言い訳しているうちは絶対にたどり着かない。まずは一歩を積み重ねることだ。

 千里の道も一歩からとばかりに歩み始めたその道の先は――思っていたよりもずっとずっと早く目指すところを交わった。

 

『“銀の魔王”テンプレオリシュ、シニア級の初戦はフェブラリーステークスに決定』

 

 ……結局ダートに来るのかよテメー。つくづくふざけたヤローだ。

 

 

 

 

 

 フェブラリーステークスはURAが施行するダート重賞の中では最も古い歴史を持つレース……らしい。

 詳しいことは知らん。興味も無い。ただ開催場所が東京レース場といったことを始め、普段とは何もかも勝手が違うってことさえ理解しておけばいい。

 例の()()がURA賞の授賞式でやらかした『宣戦布告』から一か月ちょい。芝路線から急遽予定を変更して、オレとアキはその中央のダートGⅠ出走者リスト十六名の中に名前を連ねていた。

 まあ、これでも地方では名の知れたウマ娘やってるんで? 収得賞金千六百万で足切りされるほど温い戦績はしてないんで? ……わりと最後は運頼みだったけどさ。

 

 出走者リストの中には見知った名前もあれば、ぜんぜん記憶にない名前もある。

 他の出走するウマ娘のデータを頭に入れてレース中に活用するような器用さはオレには無い。怠けとか諦めとかじゃなくてマジで無理。

 全力疾走している最中に明瞭な思考ができるのも一種の才能だ。そもそも駆け引きできる器用さがあれば逃げなんてハイリスクな戦法取らないっつーの。

 幻惑逃げは変態の所業だと思ってるから。だってあいつら三分(180秒)もかからないレースの刻一刻と変動する状況を適宜把握して、刹那に思考を追従させて、それに身体を対応させるんだぜ? 悪口抜きで頭おかしいって。

 

 だからその分、レース場の情報は事前にしっかり頭に入れるようにしている。

 東京レース場のダートコースはスケールでいえば日本一。

 トップクラスではなく、トップ。地方所属の身としては自嘲も卑下も御免だが、それでもなお財力の差は如何ともしがたい。

 一周距離が1899m。直線の長さが501.6m。バックストレッチとホームストレッチに二つの坂があり、直線の上り坂の高低差は2.4m。

 ……ただでさえ地方レース場では大きな高低差にお目にかかる機会が少ないってのに、うんざりするくらいハードでタフなコースだな。

 スマートファルコンさんがあれだけ圧倒的な実力を誇りながら中央のGⅠを避け地方を巡り続けたのは『実は坂が苦手だったんじゃないか?』って説があるくらい、地方ダートにとって坂は無縁の存在。

 地方レース場で坂があるのって盛岡くらいか? 実際スマートファルコンさんって、盛岡開催のマーキュリーカップでは二着だったし。同じく盛岡開催のマイルチャンピオンシップ南部杯には出走していないし。

 まあスマートファルコンさんでなくとも逃げウマ娘には不利な構造と言えるだろう。直線の末脚比べになりやすい差し追い込み有利なコース。

 どうせ有利不利で作戦を変えられるような器用さは持ち合わせちゃいませんがね! どうあろうと勝つためには逃げ切るしかないのだ、オレは。

 

 それに不利な要素ばかりってわけでもない。

 フェブラリーSの舞台となる東京レース場ダート1600mはスタート地点が芝コース上にあるという、かなり変わった構造になっている。最初は芝コースをざっと150mほど走って、第二コーナー付近からダートコースへと入るのだ。

 ダートウマ娘が芝の上を走ったからといって足を滑らせるわけではないが、スタートダッシュが命の逃げウマ娘にとってスタートからの150mが不慣れな足場というのはまあまあ厳しい要素()()()

 坂への対処も、芝への適応も、ここ最近のトレーニングが何一つとして無駄になっていない。すべて今日のレースへと繋がっている。運命なんてものを信じそうになるくらいに。

 

 JDDからざっくり半年。オレは確実に強くなった。

 彼我の距離はどうなった?

 

「おやおや、今日はよろしくたのむねえ」

「いえーいアキュばあばだー。こちらこそ、どうぞよろしくー」

 

 地下バ道で中央のウマ娘が会話しているのを見つけた。

 

「リッキーちゃんもタルマエちゃんも間に合わなくて残念だったねえ。それともこうやってテンちゃんと鎬を削る機会を得たのは、長年がんばったあたしに女神さまがくれたごほうびだったりするのかしら」

「コパノリッキーともホッコータルマエともちょっぴり時代がズレているんだよね。ほんとこの時空はどういう基準で年代が重なっているのかわからんな……ああごめん、こっちの話」

 

 ひとりはワンダーアキュートさん。

 オレでも知ってる中央ダートの看板ウマ娘。

 なんと今年でトゥインクル・シリーズ十年目になる大御所だ。かつて負けるところなんて想像もできなかった全盛期スマートファルコンさんに写真判定のハナ差二着まで迫った猛者でもある。

 そしてもちろん、実力がとっくの昔に衰えているのに見苦しく現役にしがみついている老害とはわけが違う。むしろその正反対。

 ドリームトロフィーリーグに隔離されるほど突出した異質さは無く、しかして埋没するほど凡庸でもない。アキュートさんは現役最長GⅠ勝利記録の持ち主なのだ。

 

 通常、ウマ娘は『最初の三年間』が重要視される。つまりそれだけ旬が短く三年もあれば本格化は終わり、全盛期は過ぎ去ってしまう。

 しかしアキュートさんはそんな常識知ったことかとばかりに何年も何年も好成績を上げ続けてきた。その中にはウマ娘の最高の栄誉たるGⅠ勝利さえ含まれる。まー厳密にはJpn1なんだが、読み方は同じ『ジーワン』だから別にいいだろ。

 一部ではネタ交じりに『不老不死なのでは?』と言われるほどその外見は変わらない。たしかに昔っからおばあちゃんみたいな雰囲気のお方だったし、老け顔は年をとっても外見が変わらないから一定ラインから逆に若々しく見えるだなんて聞いたこともあるけど、流石に限度ってものがあるわ。

 オレもぶっちゃけアキュートさんは物の怪のたぐいじゃないかと疑っている。

 

 中央ダートの歴史を背負う生き証人。過去と現代を繋ぐ語り部。中央とか地方とかそんな区分に関係なく尊敬するべき相手だ。

 あれだけの長期間を走り続ければレースを走るということに慣れ過ぎてしまいそうなものだが、あの人は未だに自らを削るような凶暴性と飢えを熟練の態度の裏に秘めている。個人的にアキュートさんのイチオシポイントはそこだな。

 

 そして、アキュートさんと話していたもう片方のウマ娘は――例の()()

 JDDで叩きのめされてから、ずっとその動向は追っていた。アキにファンになったのかとからかわれるくらいに。

 サクラバクシンオーとタイキシャトル、最強と名高い二大巨頭から逃げ切ったスプリンターズS。

 雨天のなか悠々と二度の坂を越え、一度も先頭を譲らず世代最強を証明した菊花賞。

 そして、その力が世代に留まるものではないことをまざまざと世に知らしめた有記念。

 画面越しにだが全部確認した。その力量の推移はちゃんと把握しているつもりだった。

 『できているつもり』ってのがあくまで『つもり』でしかないのだと、オレはこれからの人生であと何回痛感すれば学習するんだろうな。

 

 モノが違う。

 

 半年前のJDDでも上手く呼吸ができなくなるような圧の持ち主だったが、今を知ってしまうとあれでもなお可愛げがあったのだと思える。

 勝負服が新調されたことは知っていた。二重人格なんて知ったことかと思っていた。

 喋るときに片目を閉じるなんて露骨なキャラ付け始めやがって、クラシック級のときまではやっていなかったじゃねーかと腹が立っていた。

 

 生で見ると印象がガラリと変わる。空間がねじ曲がって見えるプレッシャー。

 ぎらぎらと輝く赤い瞳、片目を瞑った影響でやや歪んだ笑み。

 意図的に造られたキャラだという大前提を踏まえた上でなお、その姿は道化ではなく怪物のそれだった。

 その覇気の奔流とでも呼ぶべきものにこの距離でさえオレは溺れかけているのに、当たり前のような顔をしてしれっと受け流しているアキュートさんやっぱヤベェやつだわ。

 

「お、ドラちゃんじゃーん。元気だったー?」

「…………だーれが未来の世界のネコ型ロボットだ」

 

 あっぷあっぷと何とかオレが溺死を免れている間に会話は終わっていたらしい。

 気づけばアキュートさんの姿は既になく、()()が音もなくオレの傍に忍び寄っていた。

 悲鳴を上げなかったのは上出来だな。まあ呼ばれ方が呼ばれ方だった影響も大きいが。

 それはやめろ。ガキの頃の思い出がよみがえるし、ガキってのは色々と思い出したくもないことを色々やらかしているもんだって相場が決まってんだ。そしてオレの場合も例外じゃねえ。

 

「まー元気だったから今日この十六人の枠に選ばれてここにいるんだよね。楽しいレースにしようぜぃ。一生の思い出になることはわかりきったことなんだからさ! 何度も思い出すのなら苦い記憶より甘い記憶であるのに越したことはないだろ?」

 

 そうやって一方的にまくしたてると、そのまま身をひるがえしてとっとと地下バ道から出て行ってしまった。

 意思疎通する気がどこまであるのか疑わしい、というか無いだろあの態度は。

 

 何も言い返せなかった。

 反射的に腹が立った。だけど、身体との接続が断絶されてしまったみたいだ。

 今も足が前に出ない。これからレースだっていうのに。

 おいおい、オレもうシニア級だぜ? ゲートへの忌避感なんてとっくの昔に克服済みだっつーの。

 そう皮肉気に自分に言い聞かせても膝の震えが止まらない。

 本能ががなり立てている。

 進むな、引き返せ、逃げろ、と。

 

「……チッ!」

 

 ああ、逃げるさ。

 スタートから前向きに、だけどな。今日の逃亡距離は1600mだ。

 ここまできて回れ右はあり得ない。東京レース場は左回りのコースだしな。

 駄々をこねる膝に一喝して、胸を張って砂上へと足を進めた。

 

 

 

 

 

『ファンファーレが高らかに鳴り響く! 春のGⅠ開幕戦、フェブラリーステークス!』

 

 観客動員数が普段とは桁違いだ。

 あきらかに倍じゃきかない。もしかしたら冗談抜きで、オレたちが普段地方レース場でやるときの五倍や十倍いるんじゃないか?

 少なくとも熱気はそれだけのものがある。

 

『人気と実力を兼ね備えた一枠一番ワンダーアキュート。今日は三番人気です』

『このレースでトゥインクル・シリーズでの活動が十年目に入りますワンダーアキュート。魔王の侵略にダートの生ける歴史はどう対抗するのか。衰え知らずの熟練の業に期待しましょう』

 

 『レースを見に来るファンの推し』ではなく『推しがいるからレースを見に来る』、そんなレース業界の外から人を呼び込むことができるウマ娘。

 地方から中央の一番星にまで駆け上がった灰色のシンデレラ、オグリキャップさんはそういう存在だった。

 そのオグリキャップ級が複数人このレースに出走しているからこそのこの惨状だろう。

 ハルウララ、ねえ。

 負けてもヘラヘラ笑いながら観客席に手を振るその神経はまったくもって好きになれないが、外部からダート界隈にガンガン人を呼びこむその人気ぶりにアキの活動がおおいに助けられているからなんも言えねえ。

 こうやってシニア級のGⅠまで来ているところ見るに雑魚ではないはずなんだがなあ……。

 近くで見る分にはげんなりするが、遠くで活動している分には非常に有益。そういう相手だ。

 

『二番人気を紹介しましょう。アグネスデジタル、八枠十五番で出走です』

『いまだGⅠ勝利こそ経験していませんが、砂上では銀の魔王以外に黒星が存在しない新進気鋭の優駿。昨年のクラシックを彩った看板ウマ娘の一角が今季はどのような活躍を見せるのでしょうか』

 

 これだけ集まると視線もざわめきも質量を有した波みたいだ。

 押し流されそうになる。

 ただ、シニア級しかいないはずの今日のレース。妙にゲートに手間取っているやつが多い印象を受けるのはそれだけが原因ではあるまい。

 正直、オレの枠番が一枠二番。アキュートさんの隣でよかったと思う。

 

『そして今日の主役はこのウマ娘を措いて他にいない。“銀の魔王”テンプレオリシュ、三枠六番での出走です』

『新しい勝負服がじつに映えていますねえ。シニア級での彼女がいったいどれだけの伝説を築き上げるのか、大言壮語は実現するのか。春の開幕戦はその試金石となるでしょう』

 

 偶数で八番以降を引いたウマ娘どもはよくもまあ自力でゲートに収まったもんだ。

 四枠八番はフェニキアディール、だったか? あんま聞いたことのない名前だが。中央にも根性のあるやつがいるじゃねーか。アイツがずいと物おじせずにゲート入りしたから他のウマ娘も負けん気が刺激されて何とか後に続けたんだ。

 はたしてオレは()()が既に入っているゲートに、自分の意思で踏み込めるかどうか。

 

 通常、枠番で奇数を引いたウマ娘はスタートに不利をひとつ背負うと言われている。

 ウマ娘はゲートに本能的な忌避感がある。ゲートインは奇数のウマ娘がゲートに入り終わった後、偶数のウマ娘が入り始め、最後に大外枠のウマ娘が入ってゲートイン完了となる。

 つまり奇数を引いたウマ娘は長時間ゲートの中で待ち続ける必要があり、それがけっこうなストレスになるんだ。集中力がスタートダッシュに重要とされる所以だな。

 アキが言うには奇数と偶数の枠番のウマ娘の勝敗の統計を取れば、その差は一パーセント未満でぶっちゃけ誤差の範疇らしいが。

 それでも一パーセント未満とはいえ確かに偶数の枠番の勝率が高いのだと、数字として有利不利が出ているのは無視できないとオレは思う。

 だが今回の場合は、八番以降の偶数のウマ娘の方が掛かる負荷は大きいだろう。

 断崖絶壁に命綱なしでバンジージャンプするようなものだ。バンジーは飛び降りたところで終わりだが、レースはゲートに入ってから始まりって点ではよりたちが悪い。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 何故だろう。いくつもの金属製のゲートと幾人ものウマ娘で隔てられているというのに。

 ゲートの中の()()がすっと両目を開いたのがわかった。

 スタートに備え声をひそめていた観客席がいっそう静まり返る。まるでクジラよりもでっかい怪物がのそりと身を起こしたみたいな緊張感。

 

 ヤバい――やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 

 脳内でゲシュタルト崩壊しそうなほど繰り返される危険信号。

 いいからとっとと逃げろと誰かが叫んでいる。

 ()()はもう勝つとか負けるとかの段階じゃない。生物としての格が違う。取り返しがつかないことになるまえに逃げてくれと懇願している。

 

 きっと、間違いではないのだろう。

 でもオレは聞こえないふりをしてスタートダッシュの姿勢に入った。

 その声の主がみっともないほどの怯懦に満たされた自分自身だと、気づくわけにはいかなかったから。

 

 ゲートが開く。

 その開ききらない金属の両端で肩を削るような勢いでオレは芝を蹴り飛び出した。

 

 




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