「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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引き続きドラグーンスピア視点です


サポートカードイベント:冷酷な銀の春風

 

 

U U U

 

 

『今いっせいにスタートしました! 芝コースの上まっさきに飛び出したのは二番ドラグーンスピアと九番ユグドラバレー。はやくも後続から一バ身ほどのリードをつけ熾烈な先行争いが繰り広げられます』

『二番ドラグーンスピア、彼女の走りは思い切りが良くて見ていて気持ちがいいですね。九番ユグドラバレーと同じく先頭でこそ持ち味が発揮されるウマ娘です。お互いここは譲れない局面でしょう』

 

 ちくしょう。

 オレとアキと有名どころだけのレースじゃない。それは頭ではわかっていたつもりだったけど。

 つええ。こいつ強えよ。

 内枠にいた分距離のアドバンテージがあるはずのオレを外からあっさり追い抜かして前に立とうとしている。

 スタート付近が不慣れな芝ってだけじゃ目の前の現実に言い訳しきれない。がりがりと大事なスタミナをすり減らしてなお先頭を確保しきれない、相手方に分厚い実力を感じる。

 

『前の二人がしのぎを削る中、芝からダートに入ります。先頭の二人から離れて八番フェニキアディール三番手。さらに一番ワンダーアキュート。内に三番アキナケス。一バ身離れて六番テンプレオリシュ。今日はこの位置につけています』

『前の二人がレースを引っ張りハイペースで流れる展開もありえますからね。一番人気テンプレオリシュ、いざというときでも射程圏内に収まる冷静な位置取りですよ』

 

 さすがのオレも先頭争いをする逃げウマ娘たちのことはパドックで確認していた。

 こいつはユグドラバレー、五枠九番。パドックで発表された本日の人気順位は十六番目。十六人中の十六番。つまりは最下位。

 この実力で最低人気とか嘘だろ? 事前の人気とそのレースの順位がイコールなわけじゃない。それはレースの常識だが、人気の高いウマ娘はそれなりに理由がある。その逆もまた然り。

 期待されないのには期待されないだけの理由がある。こいつはこれまで中央で、期待されないだけの走りしか残せていなかったはずなのに。

 それでこれかよ。

 ついに背中を拝みながら唇をかみしめる。これ以上スタミナを消耗したら最後の直線で逃げ切れなくなる。

 

『向こう正面中間に入っていく。さあここでハナに立ったのは九番ユグドラバレー。続く二番ドラグーンスピア。二バ身離れて八番フェニキアディール。内に三番アキナケス。その外を回って五番ドミツィアーナ。すぐ後ろに一番ワンダーアキュート。六番テンプレオリシュ続いている。ここまでで先頭集団を形成』

『一番ワンダーアキュート、後ろから競りかけられても動じない安定の貫禄ですね。冷静に自分のペースを保ちながら走っています』

 

 後方で誰が何をやっているかなんて気にするな。

 自分だけを見ろ。最強の自分であれ。

 それがオレの走り方。

 だから負けたときは言い訳する。最強が負けるなんておかしいから。

 たまたま今日は調子が悪かった。ちょっと蹄鉄の打ち付けが上手くいっていなかった。スタートのときに汗が目に入った。このコースでこの天候でこの枠番とか勝てるわけない。

 

 そういうイレギュラーに対処するのも十分に実力のうちだって? そりゃそうだ。

 ただな、まっすぐ認めちゃダメなんだ。理由はなんだっていい。

 実力をいかんなく発揮できればちゃんとレースで一着が取れたのだと、信じられないのならそのレースに出走する資格はねえ。

 それがオレのポリシーだから。

 

『中団後方に十五番アグネスデジタル。そこから一バ身離れて十四番ハルウララ。内に十番ブラックグリモア。十三番スクイーズアウト最後方からのレースとなりました。先頭からシンガリまでおよそ十五バ身』

『十五番アグネスデジタル。彼女には凄まじい差し脚がありますからね。後方の子たちもまだまだ差し返せる開きですよ』

 

 ただ、そのポリシーは既に罅だらけになっている。

 後ろに真っ黒い闇が広がっている。ブラックホールみたいな重圧。

 ダメだ。気にしてしまっている。

 オレだけを見ることができていない。視界の中心が視界の外にいるはずの()()に固定されてしまってどうあがいても剥がすことができない。

 首を後ろにむりやり捻じ曲げられたまま走っているみてーだ。明らかに今日は『ダメなときの走り』をしちまっている。

 それでもレースからは、逃げたくないんだ。最後まで……!

 

『大ケヤキを越えて第四コーナーへ。勝負は最後の直線に持ち越された』

『六番テンプレオリシュがあきらかに余力を残した走りをしていますからね。彼女がどこで動くかがこのレース、勝負の分かれ目になりそうです』

 

 砂が重い。

 長距離とは比べ物にならないたった千六百メートルぽっち。それもまだ最後の直線がまるごと残っている、三分の二程度の中盤だというのに。

 案の定スタミナと脚を使い過ぎたみたいだ。息が苦しい。

 あんなに強大に思えたユグドラバレーもいまや前を走っているだけの存在だ。ちょいとがんばれば追い抜かせてしまえそう。

 そのがんばりで一人抜かしていまさら何になるって話だが。

 

『さあいよいよ直線だ! どのタイミングで誰が仕掛けるのか? 真っ先に飛び込んできたのは五番ドミツィアーナ。続く八番フェニキアディール。外から十五番アグネスデジタル、すごい脚で上がってくる!』

『六番テンプレオリシュは現在七番手。まだ動かない。それともこのままいってしまうのか!?』

 

 序盤に借金してまで稼いだリードは今、いちばんの勝負所で目の飛び出るようなツケと共に消え失せた。

 ずるずると沈んでいく。もう脚は残っていない。

 一度バ群の中に沈んでしまえば、もう逃げウマ娘は浮上できない。有記念でダイワスカーレットが見せたような理不尽は誰もができることじゃないのだ。

 

「あたしだって、やれる!」

 

「負けない、今度こそ!」

 

「ダートは私たちのホームだ。好きにやらせてたまるか!」

 

 声にならない魂の叫びが走りを通じて伝わってくる。

 戦ったことのあるやつ。名前も知らないやつ。次から次へとオレの横を通り過ぎていく。

 オレのことなんか眼中にありゃしない。この砂上にいる十五人が注目しているのは最初からたった一人だけ。

 

「よし、じゃあいこうか」

 

 この譲り合いの精神なんて欠片も無い混戦模様のバ群の中で、それが自然の摂理であるかのようにすっと道が開いた。

 至近距離で見ていても何が起きたかさっぱりわからない。心なし、位置取りの結果道をつくることになったやつらもきょとんとした表情をしている気がする。こっからじゃ顔は見ねえけど。

 ……いや、高速道路のスポーツカーよろしくノータイムでカッ飛んでいったから『道が出来た』と錯覚しただけか。

 やったことは極めて単純。バ群の隙間を見逃さなかった。

 多少の読みや駆け引きはあったかもしれねーが、教科書に載っているような基礎的なテクニックを教科書に載せたくなるような完成度でやっただけ。

 あまりにさりげなくやられたせいでオカルトじみた光景にはなったがな。つーか、周囲から徹底的にマークされているようなこの現状で呼吸の延長線上みたいにやるんじゃねえよ。

 あれを教科書に載せたらお手本としては満点だが、読んだ生徒の心が折れるせいで教本としては落第点だわ。

 

『抜け出した! ここで六番テンプレオリシュ交わして先頭に立ちましたっ!』

『これ以上ない絶好のタイミングです。やはり“銀の魔王”は期待を裏切らない!』

 

 バ群と砂埃に遮られて、先頭の景色はもうろくに見えない。

 ずぶずぶと沼の底に沈んでいくみたいに視界が暗くなっていく。

 そんな中で不思議と、あるいは不自然なまでに。

 幾人かの存在だけはくっきりと認識できた。

 

「あらまあ、噂以上にすさまじい子だねぇ。語り甲斐があるってもんよ……でもね、あたしだって題材集めのためだけにここにいるわけじゃないのよぉ」

 

「あたしを信じろ! “推し”が信じるあたしを信じろッ! 一緒に走ろうと言っていただけたんだ。おふたりだけの世界にさせるなっ、まだまだぁ!!」

 

「わーい! やっぱりレースってすっごく楽しい!! みんなすごくすごーく速いんだもんねっ。よーし、わたしも負けないぞー!」

 

 まるで薄闇の中で光り輝いているみたいだ。

 別に先頭のウマ娘ってわけじゃない。入着はできるだろうが一着は厳しいだろうという位置にいるやつだっている。

 まるで世界の中心にいるかのような存在感。それが複数人、それも至近距離に同時に存在しているという矛盾。

 

「いただきます」

 

 それすらも一瞬で凌駕し、沈静化させる先頭の()()

 他のやつらと何が違う? 条件はいったい何なんだ?

 何かが違うのはわかるのに、手を伸ばしても何もつかめない。墨汁の中でやみくもに手を掻き回しているみたいに、逆に自分の指先さえ見えなくなる。

 

 オレには何が足りていない?

 才能の差とか、地方と中央の環境の差とか。できない理由(いいわけ)を探しているんじゃない。

 できるようになる方法を教えてほしいだけなんだ。

 

 轟音。

 銃声もかくやというそれに、反射的に多くのウマ娘が身をすくませる。ゴールに向かって前進しなければならないこの状況下で、本能が逃亡を推奨する。後退などできるはずもないのに。

 立場上どうあがいても逃げられない砂の断末魔が響き渡る。

 

「あ。これ、思ったより」

 

 どんどん遠ざかる、これだけいろんなものに隔てられてなお見失うことができないギンピカな輝き。

 ふと脳裏を過ったのはガキのころの記憶。

 うちの地元はド田舎で、交通の便に優れた都会に住んでいるやつらには想像もできないだろうが車が無いとお話にならない。免許が取れるようになったら一人に一台、そういう世界だった。

 ウマ娘なら走れなくもないが、走るために生まれてきたと言われるオレたちだって全員が全員トレセン学園に来るような走り狂いではないのだ。『ちょっとそこまで』が一キロや二キロじゃ済まない環境では文明の利器の恩恵に与りたくもなる。

 

 うちのお袋はオレが物心ついたときにはおんぼろの軽自動車に乗っていた。

 ちょっと傾斜のきつい坂道ではアクセルを踏みきってもなかなか速度が出ない骨董品。でも本人なりに愛着があったようで、オレが小学校に入学するまでは乗り続けていた。

 だけどさすがにそろそろ限界だろってことになって、親父の命令で泣く泣く新車に乗り換えたんだが。

 ガキのオレにはよくわからなかったが当時のいろんな要素が交錯したみたいで、新しいお袋の車は大きさこそさほど変わらないものの、ナンバーが黄色から白になっていた。

 まーパワーがダンチなわけよ。

 前の車と同じ感覚でアクセル踏み込んだらぎゅーんと進むんだな、これが。

 めっちゃ怖えの。

 お袋はゲラゲラ笑っていたけどさあ! いくら自動四輪の法定速度が自分のトップスピードより下だったとしても、あきらかに運転手の制御から外れた駆動するのってマジで心臓に悪いんだよ!!

 後部座席で悲鳴上げまくったわ。

 

 今の()()はそれと同じように見えた。

 これまでと同じ感覚でアクセル踏んだら、思ったよりスピード出ちゃったって感じ。

 

 ああ、ちくしょう。

 ウマ娘ってあんなに速く走れるのか。

 

『三バ身、四バ身、まだ伸びるっ、ギアがさらにひとつ上がったか!? 後続を引き離して今ゴォール!! 六番テンプレオリシュ、フェブラリーステークスを五バ身差で快勝ッ! 今年のGⅠ戦線の開幕はやはり“銀の魔王”の勝利からだー!!』』

『まさに別次元の走り。シニア級となった“銀の魔王”、その新章開幕にふさわしい一戦となりました。今日また幻想が歴史に一(ページ)変わります』

 

 砂煙も、バ群も、酸欠で白く濁る視界でさえそれを覆い隠すには荷が重い。

 ゴール板の向こう側で陽光を浴びて、銀がひときわ強く輝いていた。

 

 

 

 

 

 レースは終わった。

 走っていたときの高揚は消え、敗北の実感がじわじわとしみこんでくる。

 苦くて、痛い。

 何度経験してもこれは慣れるものじゃないし、慣れてはいけないとも思う。

 

 でもウイニングライブでは笑わないといけない。

 オレたちはプロだから。そこには外部からの強要だけではない、たしかな誇りがある。応援してくださった方々に返したい感謝の気持ちがある。

 伊達にこの歳で一千万以上稼いでいるわけじゃあないのだ。

 引き攣りそうな口角まわりを中心に、鉛のように重い手をのろのろと動かしてマッサージしていたときのことだった。

 

「ねえねえ、だいじょうぶ?」

 

 ライブのバックステージで無遠慮に話しかけてきたのは、桜色の頭髪と瞳が特徴的な中央のウマ娘。

 ハルウララだった。

 

「……何がだよ?」

 

 ぶっちゃけ得意じゃない相手だ。今の状態で相手したくない。

 話しかけんなオーラを出しながらぶっきらぼうに睨みつけた。

 効果はあまりなかった。

 

「とっても悲しいお顔してる。これからライブできるのに、うれしくないの? おなか痛い? それともおなか減っちゃった? トレーナーからニンジンもらってこようか?」

 

 じろじろと不愉快なスペースまで踏み込んで顔を寄せてくる。やめろ。

 というか、お前のトレーナーってニンジン携帯してんの?

 中央のトレーナーは変人が多いって噂には聞くけど、わりとガチなんだな。

 

 センター以外で踊って嬉しいわけないだろうが。

 二着や三着でもダメなんだよ。バックダンサーとは違って歌うことができる? 知ったことか。歌唱パートがある分、自分が一着でなかったことをひしひしと実感できて逆にはらわた煮えくりかえるだろうが。

 まー今日のオレは十六着。バックダンサー中のバックダンサーなんですけどねぇ。

 対して目の前の疑問符を並べ立ててアホっぽさ全開のウマ娘は五着。みごとに入着していらっしゃる。

 流石は腐っても中央のエリート様だ。本当に常に負け続けている雑魚は話題にもなりゃしないのさ。

 

「…………いらねえ。身体は健康そのものだから気にすんな」

「よかったあ。ほら、みんな楽しみに待ってるよ! ニコニコーって笑顔で――」

 

 かっと目の前が白く灼けた。

 

「笑えるわけねえだろうが!」

 

 なにやってんだオレ。

 親切で話しかけてくれた相手に。心配してもらってんのに。

 

「一着じゃないとダメなんだよっ! 負けたのに悔しさも感じずヘラヘラ笑えるお前と一緒にするんじゃねえ!!」

 

 逆恨みして、八つ当たりして。

 勝てばよかっただけの話なのに。自分が弱いのを棚に上げて責任転嫁して。

 

「勝てないって思っちまった。負けた自分を受け入れそうになっちまった。それじゃあダメなんだよ……!

 なんなんだよ()()。あんなの反則だろうが。どうしてあんなのがこの世に生まれてくるんだよ……」

 

 カッコわりい。

 頭のどっかで冷静にそう判断しているのに、白濁した感情がこちらから切り離されたみたいにどんどん上がっていく。

 

「あんなの、生まれてこなければ――」

 

 ついに決定的な、どんな事情があってもそれだけは言っちゃいけないラインを超えそうになったとき。

 ぽん、と肩に手を置かれた。

 

「ドラちゃん」

 

 アキだ。

 その呼ばれ方は小学校の低学年ぶりだな。バカな男子にからかわれたオレがもっとバカなキレ方をして以来、オレの周囲にその呼び方をするやつはいなくなったから。

 カッコ悪いとこを見られるのはもうここ数年慣れっこになっちまったけど、今回はとびきりだな。

 でも止めてくれたのは助かったよ、マジで。

 

「大丈夫、わかってるから」

 

 開いた口から出てくるのは注意か説教だと思っていた。

 でも実際にアキの口から出た言葉は全面的な肯定だった。

 それを聞いた瞬間にふっと全身から力が抜けて、冷静になったつもりでまだまだ昂っていた自分にようやく気付く。

 

「ごめんね。わたしたちもライブではちゃんと笑うからさ。いまはちょっと休ませて。じゃ、またあとで」

 

 呆然と動きを止めていたハルウララに最低限のとりなしをすると、アキはオレの手を引いて控室まで連れて行ってくれた。

 ライブ本番まであまり時間は無いっていうのによ。

 渡されるままペットボトルを受け取って、中の生温いお茶を嚥下して、ひと息。

 

「アキ、ごめん。オレ……」

「ドラちゃん、考えるのは後回しにしよう」

 

 この期に及んで見栄とプライドの残骸というか。

 とっくの昔に世間の評価は逆転しているっつーのに、いまだに手を引いていた頃の記憶が邪魔をしてアキに弱みを見せるのには羞恥心がある。

 

「いま考えたって碌な答えが見つからないよ。たくさん、本当にいろんなことがありすぎたから。そしてきっと、これでまだ全部じゃないよ。

 だから続きは大阪杯の後で。阪神レース場でテンプレオリシュちゃんの走りを見終わってから改めて考えよう」

 

 それでも、このときのアキの言葉には思わず頷いてしまいそうになるほど頼り甲斐ってもんがあった。

 

「……いや、大阪杯の阪神レース場って高確率で入れないだろ。今日でさえこのありさまなんだぜ?」

 

 まあそれで素直に頷けるのならもっと別の生き方があったんだろうな。そうじゃないからここまで来ちゃったわけで。

 

 たしかに、ウマ娘のレースは生で見るに限る。

 理論上の話をするのなら映像から得られる情報量はプロが撮影した映像資料が一番多そうなものだ。主観ではどうしたって一部分を限定的にしか見れないからな。情報収集には俯瞰した視点が有効だっていうのは誰でも知ってる。

 だが実際は、レース場のスタンドで見た一回の経験の方が得られるものはずっと多い。そして観客席を隔てて見るより、一緒に走った方がずっとずっとわかることがある。ウマ娘なら誰だって共感してくれる感覚だろう。

 おそらくはウマソウルと呼ばれる不思議要素が影響しているのではないか、って偉い学者さんが言っていた気がする。真相は知らん。

 『本当にライバルのことを知りたいのなら部屋に籠って何度もビデオを眺めるより、レース場に足を運んだ方が有用だ』ってことさえ知っていればいい。

 

 しかし問題は、レース場に足を運べるだけのスペースがあるのかってことだ。

 ()()の次走は大阪杯。

 今日のフェブラリーステークスはGⅠとはいえ、この国じゃ不人気であることは否定しがたいダートレース。それでさえ今をときめく“銀の魔王”が走るとなればスタンドに黒山の人だかりが生まれるありさまなのだ。

 人気の芝のレースで、比較的歴史が浅いとはいえ大阪杯はれっきとしたGⅠで春のシニア三冠の一角。次勝てばGⅠ十連勝なんて頭痛のしてくる記録も達成される。

 昨年の有記念みたいに入場規制、下手すれば周辺の交通規制が発生する事態になっても驚かないぞ。

 文字通りの足を踏み入れる場が無いってやつだ。

 

「たぶんへーき。伝手がある」

「ツテだあ?」

 

「そ。わたしがいろいろとお仕事しているのは、知ってるでしょ?」

 

 アキはマスコミの露出が多いウマ娘だ。

 NAUの看板ウマ娘は伊達じゃない。ダートの地位向上を目指して幅広く、ときにはレースとはあまり関係なさそうな分野にまで手を出している。

 そのことを外野がアイドル気取りとかなんとか、とやかく言うこともあるが。ちゃんとレースをおろそかにしていると言われないだけの実績は出しているんだから文句を言われる筋合いはねえ。

 それともなんだ。芝より少ないダートの賞金の差額分、文句を言うやつらが払ってくれるっつーのか?

 

 金は力だ。

 芝とダート同じだけ走れるのなら稼げる芝を選ぶのは当然の話だし、何ならダートの方が得意でも芝にいきたがるやつは多い。

 じゃあどうすれば金があつまるのか。人を集めるのが手っ取り早い。じゃあどうやったら人が集まるのか。まずは知ってもらわなきゃ話にならない。

 レース界隈の外に興味の種を蒔く。アキがやっているのはつまりそういうことだ。

 小遣い欲しさにやっているわけじゃねえ。レース業に専念すればもっと実力を伸ばせたのではと苦く思うやつは(オレとかが)いるが、アキの活動がダートウマ娘全体のためだとわかっているからやめろと言うことはできない。

 将来を切り捨てた業界は先細りするしかないって、世間じゃ中高生のオレたちでも数年もプロをやっていれば薄々感じられるようになるもんだから。

 

「うん、いや、阪神レース場は中央だぜ? アキの仕事ってNAU関連が主なんだからぶっちゃけ海外みたいなもんじゃねえか」

「マジモンの海外からすれば、中央も地方も地続きの同じ国なんだよぉ」

 

 アキいわくここ数年、具体的には二~三年ほど前から海外進出を目指した新たな動きが立ち上がっているらしい。

 数人のスターウマ娘にすべてを背負わせるのではなく、海外で主流のチーム戦に対抗するべく最初からこちらもチームで運用されることを前提としたプロジェクト。

 その影響で地方と中央の交流を少しでも密接にしようとする動きもあるのだとか。

 

「第二、第三のオグリキャップさんがいないとも限らないからね。宝くじは買ったところで当たらないものだけど、それでも買わなきゃ絶対に当たらないから」

「まだ懲りてないやつがいるのかよ……」

 

 偉大なるオグリキャップの功罪。

 功績の部分が大きすぎてオレたち地方のウマ娘は脚を向けて寝ることもできやしないが。

 それはそれとして我こそが第二のオグリキャップにならんと中央に挑戦し、そして一度しかない人生を無為に費やした元地方の優駿たちがいたことをオレたちは忘れちゃならんと思う。

 信じて送り出した一番星が、一瞬だけきらめく花火にすらなれない。落ちて朽ちて腐り果ててレース業界からひっそり消える。

 だからこそオグリキャップは“怪物”なんだ。怪物の真似をただの人がやったところで同じ結果が出るわけがない。

 オグリキャップさんや、オグリキャップさんに続き地方から中央に出て“永世三強”に数えられるほど大成したイナリワンさんが例外中の例外。

 大金にものをいわせて中央に人材を吸い上げられるのは愉快な気分じゃねーな。吸い上げられた先でろくに活かされないっていうなら、なおさら。

 

「でも流れが一方通行とは限らない、でしょ? 高知なんてウララちゃんの人気のおかげで人もお金もすごいことになってる」

「そりゃーそうだけどさー」

 

 よーするに、海外という強大な相手を仮想敵に設定することで中央も地方も『日本のウマ娘』として一括りにする動きがあって。

 その恩恵でアキには中央にもいくつか使えるコネが生じている。そういうことだろ?

 もうそれでいいや。この話おわり! これ以上はアキとやりたくもない口論をすることになりそうな流れになってるわ、コレ。

 

 たしかに言われてみりゃ、中央トレセン学園の理事長が現在海外に長期出張とかいう話を聞いたことがあるような、無いような。

 アオハル杯なんて埃を被った過去の遺物を引っ張り出してきたのも『チーム戦』の概念を中央のウマ娘たちに馴染ませるためなのか。

 

「大阪杯のチケット二枚くらいなら、なんとかなると思う。だから任せてー」

「おう、期待せずに待っとくよ」

 

 時間が本当にギリギリだったので話はそこまでだった。

 気分を切り替えて、ライブに向かう。

 それができた時点でこの話は有用で有効で、逆に言えばそれ以上の価値は特に求めていなかった。

 だから後日になって。本当にアキが大阪杯の日付が入った阪神レース場の指定席チケット、それもSラウンジのやつを二人分握りしめて現れたときには絶句するしかなかった。

 コネってすげーのな。

 

 

 

 

 

 そしてあっという間に一月後。

 大阪杯当日、スタンド六階のSラウンジは二人掛けの観客席だった。

 より正確に言えば各テーブルにつき二席。テーブルひとつに一台ずつ小型テレビが設置されていて、一席ごとにコンセントがある。ゴールからはやや距離があるけど、その不自由さを感じさせない優雅な造りだ。

 スタンド最上階からゆったり落ち着いて観戦できるシート。

 見下ろせばぎっちぎちに人が詰め込まれた一般席。

 ここで人がゴミのようだと高笑いできりゃ楽しいのかもしれないが、あいにくこちとら田舎もん。なんだかずるいことをしているみたいですごく落ち着かない。

 いやいや、この席が確保できたのは間違いなくアキの努力の成果。楽しまなきゃ不義理ってもんだ。そう深呼吸して気持ちを切り替えようと努力する。

 

 緊張していたというのも大きいんだろうが。自分が走る側だとあんなに長くも短くも感じるのに、観客席から見たレースはひたすら短かった。

 飛ぶように時間が流れ、ふと気づいた時には大阪杯が始まっていて――

 

『届かないっ、一バ身があまりにも遠い! どこまでも縮まらないまま、いまゴォール!! 絶望の魔王城が仁川のターフに再誕ッ、今年の春風はあまりにも冷酷な銀色をしているっ!!

 一着はテンプレオリシュ、春のシニア三冠の一冠目を見事に奪取。これで重賞十二連勝、GⅠだけでも十連勝というあまりにも理不尽な大記録を打ち立てたこの子に敵うウマ娘はいるのかあ!?』

 

 ――その事実をちゃんと噛みしめる前に終わっていた。

 

 は? いやいやいやいや。

 レース場全体がぐらぐらと揺らぐような大歓声を前に現実を受け止めきれない。

 え、これで終わりってマジ? そりゃ芝2000mのタイムなんてこの国のGⅠなら二分切るか切らないかってもんだけどさ。

 あまりにもあっけなさ過ぎる。こんなにあっさり勝利しちまっていいもんなのか。

 

『もはや認めざるをえません、この不都合な真実を……。我々が知るクラシック級までの彼女はさなぎでしかなかった!!』

 

 カン、とその実況が頭にハマる。パズルのピースがはめ込まれるみたいに。それでさっきまでわけのわからなかった絵図が急に理解できるようになった。

 

 あっけないように思えたのは、あまりにも簡単そうに勝ちやがったからだ。

 百回あれば百回、千回あれば千回……仮に一万回あったとしてもやっぱり一万回、()()は勝利しただろう。

 他のウマ娘がこのレースを勝つ可能性なんて、文字通り万に一つもありえなかった。

 

 洗練されたダンスのステップが簡単そうに見えるのと同じだ。

 最初にお手本を前にしたときは簡単にできそうに思える。

 実際にやってみる。

 クソむずかしいじゃねえかバカヤローってなる。

 ライブ練習あるあるだろう。

 

 『才能がありすぎる』ウマ娘だとたまーに聞く症状。

 強すぎる脚力に骨の成長が追い付かない。全力で踏み込めない。

 オレたちは本格化という不思議要素満載のウマ娘ではあるが、同時に成長期の少女でもあるのだ。

 成長期の骨は脆いもの。物理法則を多少無視することはできても、生物としての大原則を無視し続けることは流石にできない。

 そういうウマ娘はシニア級を過ぎてから開花する晩成型になるか、あるいは蕾が花開く前に枯れてしまうかの二択。

 花開くまで大人しく待ってくれるほどレースの世界は甘くないから。普通は勝てない重く苦しい時期を長々と耐え続ける羽目になる。

 普通はな。

 足音がしないほど洗練された走法だってことは、身をもって知っていた。

 自分の脚を自分で踏み砕かないよう、そっとやさしく守り続けてきたってわけか。その状態で勝ち続けてきたってだけのことさ。

 ああ、ようやく骨の成長が追い付いたんだな。本番はこれからだってことだな。

 

 ここからがようやくテンプレオリシュというウマ娘の全盛期なのだ。

 

「あーあ、こうなるってことはわかってたんだよねー」

 

 ふと聞き覚えのある声に視線が引き寄せられる。

 失念していたこと。

 アキが入手してきたチケットということは、この一角はレース関係者御用達のエリアなのではないかという事実。

 どうして気づかなかったのか、隣のテーブルにはマヤノトップガンがちょこんと座っていた。

 

「シニア級になった『リシュちゃんたち』と『それ以外』の力関係は、ネコさんとネズミさん。ネズミさんたちはみんなで力を合わせないとネコさんと勝負の舞台にすら立てないんだよ。だから、そうなる前に自分だけの力で黒星つけておきたかったんだけどなー」

 

 テンプレオリシュの同期、ネット上では『しろがね世代』などと呼ばれつつある世代の一角。オレの見解では、純粋な才能で言えばテンプレオリシュに次いでヤバいやつ。

 あの有記念で死闘を繰り広げたダイワスカーレットを見た上でなお、コイツが才能ナンバーツーだという所感は揺るがない。

 テンプレオリシュがレース外でヤバいことしているときは、たいてい隣にコイツがいる。遊び感覚で非常識をやらかすのだ。

 物証として今もなおウマチューブに残っている配信動画は、同じ業界にいるウマ娘にしてみれば閲覧注意のグロ画像。

 ただレースが上手いというのではない。生まれ持ったスペックそのものが別次元。コイツらがどれだけ才能に恵まれているのか、この上なく見せつけてくる。

 

「どうすれば今のリシュちゃんたちに勝てるんだろう? うーん、マヤわかんなーい」

 

 プレゼントの包装紙に指をかけるガキみたいな目をして言うセリフか、それが?

 オレにはこんな目はできない。

 それを自覚したとき心を覆っていた何かが最後の一枚、音もなく溶けて消え去った。

 

「……アキ」

「なぁにドラちゃん。考えはまとまった?」

 

 テンプレオリシュが最強、ナンバーワンだ。

 オレはどうあがいても彼女には勝てない。

 そう認めた瞬間、ふっと身体の中に澱んでいたものが解けて抜けていく。

 

「ドラちゃんはやめろって。ああ、オレ引退するわ」

「そっかー」

 

 オレ、とっくの昔に『死んで』いたんだな。

 それを認めたくなくて、死体を引きずって見苦しくここまで来てしまった。

 

「オレはテンプレオリシュに勝てない。でも二着を目指して走り続ける気も無い。だからレースからは足を洗う」

 

 地方と中央とか、そういう括りじゃなくて。

 自分が最強だと胸を張って言えないやつはレースに出走する権利は無い。その想いは何があっても、どこまでいっても曲げられなかった。

 でも心がテンプレオリシュこそが最強だと認めてしまって、それを頭で否定し続けて。

 これ以上、自分はまだ諦めていないのだというポーズのために走ることはできない。

 

「はっ、これまでさんざんデカい口叩いておいてコレだ。失望したか?」

「好きだよ。自分を絶対に曲げない、誇り高いきみが好き」

 

 名残惜しさを誤魔化すように吐き出した自嘲は真正面から受けて立たれた。

 おおう、そう真っ直ぐ来られると照れるんだが。

 アキの穏やかな目がオレの揺れる瞳と重なる。

 

「わたしはもう少しがんばってみるね。ドラちゃんから受け取ったもの、まだ先に繋げることができる気がするから」

 

 いつだって自信満々で、その自信に裏付けなどありはしない。

 自信に根拠など必要ないのだ。あれば何かに挑戦するとき楽しくて、無ければ苦しい。それだけの要素。

 己の信念に胸を張り、声高に夢を主張する。たとえ今の実力が追い付いていなくても大丈夫。

 困ったときは素直に助けを求めれば、意外なほど周囲の誰かが助けてくれるから。

 

「それが、わたしがドラグーンスピアというウマ娘から教わった生き方。いまのわたしのすべての基礎になっているもの」

「……ほほー。そりゃあご立派なウマ娘なんだな、ドラグーンスピアさんとやらは。同姓同名のオレとしちゃあ肩身が狭いぜ」

 

 あたたかな声色で語られるアキの中のオレは『いや、誰だよ』とツッコみたくなるほどカッコよくてキラキラしていて。

 赤面しながらそう受け流すのが精いっぱいだった。

 

「わたしだってあの人に勝てるヴィジョンは思い浮かばないや。でも、わたしはまだまだ先にいける気がするから。自分がどこまでいけるか知りたいから、もう少しこの業界にしがみつくの。けーべつする?」

「いや、応援するよ」

 

 即答した。

 ダブルスタンダード? 知ったことか。

 アキがやるって言うなら応援するのがオレだ。信念やら何やらで感情を無視して理屈に縛られるのはバカのやることだって。

 

 

 

 

 

 ふと、脳裏に目つきの悪いガキが立つ。

 ほんとうにやめちゃうの? なんて悲し気な顔をする。

 まだあの場所にはたどり着けていないよ、と文句を言っている。

 

 ごめんな。もう無理なんだ。

 だってほら、『辞める』って選択肢を意識したとたん。

 安堵しちまっている。すごく身体が軽くなって、これまでどれだけの重圧を無意識のうちに背負っていたのか自覚しちまっている。

 いつか自分が一番になれると無邪気に信じて、あの場所を目指し砂上を走っていたオレは死んじまったんだ。

 まだ死んでいないって嘘を吐くためにレースにしがみつくのは違うだろう?

 

 そうだね。じゃあ仕方ないか、と言い残してガキは消えた。

 ごめんな、とオレはもう一度あの日抱いたオレの夢に謝った。

 




これにて今回は一区切り!
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