「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
一月に新しい勝負服を手に入れてからというもの、私たちは徐々にメディアの露出を増やしていた。
といっても、別にトレーニング量を減らしてお仕事を増やしたわけではない。これまでは断ってきたバラエティー番組やCMへの出演など、受けるお仕事の方向性が変わっただけだ。
相変わらず現状はレースが第一優先である。他に比重を置いて切り抜けられるような容易い戦場ではないのだ。なお健康と安全は殿堂入りの模様。
趣旨で言えば私たちのファンの需要に応えるお仕事が従来のメインだったのが、私たちの存在を不特定多数に知らしめる内容のものが増えてきた。
私たちは前代未聞の記録を打ち立てた年度代表ウマ娘だ。これまで手を付けていなかった分野だって、その気になれば引く手あまた。売り込むのではなく選ぶ立場。
そんなとき、テンちゃんの設定した選考基準は『私たちと競った経験のあるウマ娘』の存在。
どんな業界においてもコネクションは重要だ。私もレース業界に足を踏み入れてからというもの、葵トレーナーおよび桐生院家のコネにはさんざんお世話になった。
そしてこの二年で数々の功績を打ち立て、また塗り替えた今、私たちの方がコネに助けられる側からコネを結んでおきたい対象になりつつある。
だからあくまでトレーニングやレースとの兼ね合い次第ではあるが。私たちへのオファーが複数入ったとき、提示された条件に大きな格差が無いのなら。
判断材料の第一候補として、私たちと走ったウマ娘が所属している組織か否かを判断する。そういうことだった。
私たちが踏み砕き、それでもなおレースから離れずにこの業界に何らかのかたちで関わろうとしているウマ娘たち。
間接的にその命運を断ってしまったのなら知りようが無いしそこまで手を伸ばすつもりもないが、直接走ったことのある子ならみんな顔と名前を憶えている。
新しい場所で何かを始める時、私たちと競った経験が少しでも手助けになるように。
《ま、ポジティブな一面ばかりじゃないんだけどね》
テンちゃんの声に苦味が混じる。
《ぼくらが彼女たちのことを気にかけているって、この取捨選択を続けていけば遠からずわかることだ。それを目当てに採用される子だっているだろうけど……あくまでこちらのレース第一って優先順位は変わらない。テンプレオリシュを釣り上げる餌として用意したのに食いつかない役立たずだと非難される子がいるかもしれないと思うと今から心が痛むよ》
そこまで気にしてやることも無いと思うけどな。
そもそも引き受ける仕事の方向性を変えたのは、より“願い”を集めやすくするためだ。私たちがふたりでひとつのウマ娘なのだということをレース外でも印象付けていく、広報活動の一環。
植林も間伐材の有効活用も大切なおこないではあるし、巡り巡っていつか自分の身を助けると信じて行っているけども、あくまで本命の余力で行う程度のものであるという事実は変わらない。
それに、彼女たちの頼れる相手が私たちとの関係性のみというのならいざ知らず。
この私ですらたった二年で葵トレーナーにデジタルとミーク先輩、マヤノにバクちゃん先輩、その他〈パンスペルミア〉の面々を始めとした
夢は叶えられなかったかもしれないけど。トレセン学園で残したのが私たちへの敗北だけってことはありえないだろう。学園で彼女たちが積み上げたものが今の彼女たちを支えているはず。
あくまでテンプレオリシュとのコネクションは彼女たちがトレセン学園で勝ち取った手札の一枚。活かすも殺すも彼女たち次第。それだけの話だ。
そういう観点では私たちも彼女たちも同列、横並びの存在でしかない。手取り足取り面倒を見てやる必要などどこにもないのだ。
《あー……そりゃそうだ。ごめん、なんか世界が自分を中心に動いていると盲信している痛いオリ主みたいな考えになってた。ありがとさん》
どういたしまして。
芸能界というのは良くも悪くも毒がある。転じれば薬として活用できるものではあるし、それは多くの人を救っているのも事実だが。加減を間違えればあっという間に中毒だ。
テンちゃんはこれでいて根が真面目というか、相手に向き合おうとする傾向があるからやや毒されかけていたのだろう。
最初から興味も熱意も無い分、そのあたりは私の方が俯瞰しやすい。
ま、世界が私たちを中心に回っているのはさほど間違ってはいないと思うけどね。
この世代の中心は
バラエティー番組で私が何気なく発した『人生ワンオペ』発言は単一人格どもにとってはカルチャーショックだったらしく、いまや軽いブームになりつつある。
いろんなお仕事関係で事あるごとに言わされるほどだ。前回のCMでも言ったし。何ならキャッチコピーに組み込まれていた。
アキナケスさん経由で持ち込まれた案件。
ドラグーンスピアさんがレースから引退してからの初仕事。
なにせレース業界で成果を出したウマ娘というのは歌って踊れるフィジカルエリートの美少女と相場が決まっている。きちんと需要と供給を嚙み合せる窓口に恵まれればマルチタレントのような活躍を期待できるだろう。
まあ、マルチタレントといえば聞こえはいいが実際は仕事を選べない若手の悲哀をしばらく味わうことになりそうな気もするけど。あの二人ならたぶん大丈夫なんじゃないかな、知らんけど。
お友達価格で引き受けたのは何も親切心ばかりではない。
地方トレセンから中央GⅠに殴りこんできたウマ娘ということで、彼女たちはそれなりに業界関係者から注目されていたのだ。
今回のCMを経てまた新規開拓が見込める。
お互いにメリットがある。だから引き受けた。
ほどこしをするつもりはないし、借りっぱなしもしない。健全なお付き合いなのだ。無理は一時的に状況を改善するように見せかけて、解決できなければ後で反動が来るだけだからね。
もう一度言おう。無理は、いけない。
だから、どうしようね。
この道端でぶっ倒れている理事長代理、どう始末をつけよう?
「えぇ……」
いや本当にどうしてくれようか。
いったい何故、学園のお偉いさんがこんなところに転がっているのだ。
徹底管理主義に反発する生徒の凶行……にしてはいささか犯行に至るのが遅すぎる。
いや、時期的に入学直後の新入生が限られた情報のもと正義感を暴走させてって線も無くはないのか?
まあ血の臭いもしないし、背後からぶん殴られたとかではなさそうだけど。
《リシュ》
テンちゃんの求めに応じ肉体の主導権を譲渡する。
即座にテンちゃんはてきぱきと樫本代理を調べ始めた。
《うん、呼吸も脈拍も正常。着衣に乱れナシ。外傷も確認できず。事件性はなさそうだね》
ああそうか。トレセン学園ってその性質上、実質女子高みたいなもんだけど。
検証は私でもできる……というか勘の鋭さは私の方が上のはずなのにわざわざ役割を買って出るはずだよ。
守られてるなぁってこういうとき改めて思わされる。
《ただ過労でぶっ倒れているだけっぽい。念のため保健室に運んでおこうか。それが済んだらココンにも連絡入れておいた方がいいね》
ココンに? なんて言うのさ?
《私が拾いましたって。三割貰えるかも》
三割ってどのへんだよ。
樫本理子というこの女性のこと、私はどれだけ知っているのだろう。
URA幹部で、理事長代理で、チーム〈ファースト〉のチーフトレーナー。
徹底管理主義を掲げ教育管理プログラムを布こうとしている、学園の自由を脅かす外来種。
ただ、何だかんだ既に二年も同じ学園にいるのだ。
チーム〈ファースト〉の面々もれっきとした学園の生徒であり、ココンみたいに人付き合いを拗らせたやつばかりでもない。
どこかのクラスに所属していて誰かの級友で、誰かの友人だ。侵略者に魂を売り渡した悪の尖兵などという極端なイメージはいつまでも続くものではなかった。
樫本代理だってそうだ。理事長業務に専念して延々と室内に籠っていたのならよく知らない偉いやつのままだったかもしれないが、トレーナーとしてウマ娘を指導していればグラウンドなりジムなりでそれを見る機会も増える。
垣間見える人となりはこの学園の理事長代理に据えられるにふさわしいもので、彼女たちのイメージは当初のそれからだいぶ変遷している。
《理子ちゃんはコーヒー二杯も飲んだら眠れなくなっちゃうようなか弱い生き物だからねぇ》
私の場合は脳内にソース不明の知識のカタマリを持っている存在もいることだし。
日曜日の夕方。
そろそろ春が本気を出してきたのか、日に日に日照時間が長くなってきたことが実感できる。ただ、今日のところは既に高層建築物だらけの府中の地平線の向こう側にとっぷり沈み終わってしまった。そんな時間帯。
トレーニングは終わり、自主練も終わり、明日の宿題も終わっている。寮の門限もあるし今から街に乗り出すには時間が足りないが、何となく自室に引きこもる気にもなれない。
そんなぶらぶらと学園の敷地を放浪している最中、道端に落ちていた理事長代理を拾うという突発イベントに遭遇した私はテンちゃんの言った通り保健室に彼女を届けていた。
保健医さんの見立てはテンちゃんと同じくただの過労。しばらく安静に寝かせていればいずれ目が覚めるだろうとのこと。
《日曜のこの時間帯なのにご苦労様ですねー、いやほんと》
休日だろうが祝日だろうが、雨が降っていようが何なら雪だろうが、門限ギリギリまで走るウマ娘が一年中いるのが中央トレセン学園という場所だからね。
門限が過ぎてグラウンドの照明が落された後もこっそり走っている子もたまにいるくらいだ。年がら年中怪我を負う機会には事欠かない。
ウマ娘ではなくトレーナーが担ぎ込まれるのは稀だろうが、ヒトミミもウマ娘も人間という括りではいちおう同種だ。細かい差異はあれども基本は共通している。
《ネギもカフェインもオーケーだもんね》
治療できないということは無いだろうと思っていたし、実際にその通りだった。
スマホで検索した意識の無い人間の運搬方法に則りファイヤーマンズキャリーで樫本代理を担ぎ込んだ私に、動揺の欠片も見せず保健医の先生はてきぱきと診断と手当てを行った。
実にプロである。何気ないことではあるけど、医者に動揺されたら患者は不安になるだろうからね。『ああ、このくらいへーきへーき』と表情で語るのは大切なことだ。
《何だかんだリシュも現代っ子というか、こういうのもちゃちゃっと調べちゃうのを見るとスマホを使いこなしていると思うよね》
でも電話帳に登録されている名前はテンちゃんの関係者の方がずっと多いじゃない。下手したら六割くらい私の知らない人の名前だぞ。
樫本代理はすらりと背が高い方で、私はこの通り入学当初からいっこうに背が伸びていない。中央トレセン学園の敷地は広大で、下手な運び方をすると保健室にたどり着くまでに地面との摩擦で樫本代理の身長が縮みかねなかった。
まあ調べたところによると、引きずって運搬するのも正式な手法の一つではあるみたいなんだけどね。学生の身からすると彼女のお高そうなスーツや靴を汚してしまうのは忍びない。
背負う体勢だと両手が完全に塞がってしまうし、抱えて運ぶ姿勢、いわゆるお姫様抱っこの体勢は相手の意識が無いと安定性に欠ける。
すれ違うウマ娘たちに二度見三度見されるような運搬姿勢になったのは必要な犠牲だったと割り切るべきだろう。
でも『ああ、ついに……』みたいな表情をする子が一人じゃなかったことには納得いってないよ。
「ご苦労様。あとはこちらで看ておくから」
「いえ、担当の子がルームメイトだったのでさっきLANEで呼んだんです。拾ったときの状況説明しなきゃなので、もう少しここにいていいですか?」
「あらそう? じゃあ椅子もってくるわね。あ、今からコーヒー淹れるけど一緒に呑む?」
「あー、ありがとうございます。でもコーヒーの方は遠慮しておこうかな。眠れなくなったら困るので」
テンちゃんに頼らずとも私もだいぶ他人との会話が上手くなったものだ。
別にテンちゃんに頼ることが悪いことだとはまったくもって思っていないが、純粋に自分の成長を実感できるのは嬉しい。
持ってきてもらった椅子に改めて礼を言ってから座り、スマホを覗き込んでみる。
相変わらず既読はついていない。ココンは私と同じで既読スルーをわりとやるヤツだがまあ、今回は内容が内容なので目に入った瞬間に飛んでくるだろう。
チーム〈ファースト〉はアオハル杯ランキング一位を維持しているだけあって練習熱心な子が多いけど、教育管理プログラムの傘下にある彼女たちに残業や時間外労働の概念はない。
〈ファースト〉のチーフトレーナーたる樫本代理がここでぶっ倒れている以上今日の自主トレーニングの監修はサブトレーナーがやっていたのだろうし、現場の判断で急遽トレーニングが追加されるようなこともないはずだ。
となれば、グラウンドの照明が落ちる前には既読がつくかな。
グラウンドでトレーニング中のウマ娘の手元には基本的にスマホが無い。
時速六十キロ以上の走行や、それに準じた運動をするのだ。精密機械であるスマートフォンを携帯したまま行うのにはリスクがある。
ただまあジャージにポケットがついていないわけではないし、学園の敷地外へ長距離ランニングに行く際とかは非常事態に備えて携帯することもあるけどね。
リトルココンは納得できないことを納得できないまま遂行する、いわゆる社交性とか付き合いとか呼ばれる能力が極めて貧弱な少女だ。
だが一度それが必要だと感じたことは、たとえそれが自身の欠点の克服だろうとひたむきに努力できる一面も持っている。アオハル杯トップチームの長距離部門エースは伊達ではない。
己の社交性が乏しい自覚がある分、意識的にトレーニング後のスマホはチェックしていることだろう。
待ちぼうけになる心配はしなくていい。
《ま、こうなる可能性は考えていなかったわけじゃないけどねー》
外からは手持ち無沙汰にスマホをいじっているように見えるかもしれないが、実際はテンちゃんとのおしゃべり中だ。
こうやって本を読んだりスマホをいじったりしている風を装っていると無粋な邪魔が入る可能性がぐっと減る。
『こうなる』って……樫本代理がいつか過労で倒れるって予想していたってこと?
それにしても、ウマ娘の無理無茶無謀を抑制する徹底管理主義を掲げたはずの樫本代理が無茶のしすぎで倒れるなんて皮肉な話である。
自らの仕事に計画性は適用できなかったらしい。理事長代理とトレーナーの二足のわらじが激務であることは想像に難くないが、そうなることを想定して仕事を引き受けた節があるんだしさ。もうちょっと事前に見通しを立てられなかったのかな。
《医者の不養生、紺屋の白袴、ことわざとして残るくらいには昔っから日本人はそういう気質の持ち主だったのさ。リシュ、いいかい? 多くの大人にとって仕事っていうのはできると思うから引き受けるんじゃなくて、引き受けざるを得ないから引き受けるものなんだよ》
そのくせ達成できないと見通しが甘いとか計画性が無いとかこちらの責任になるんだからさぁ……と語るテンちゃんの声色が悲哀に満ちていたので、私は今後一切この方面で樫本代理をあげつらうことを断念した。
その気になれば今すぐ引きこもりニートにジョブチェンジして不労人生を開始しても余裕でお釣りがくるだけの貯蓄がある私にとって、必要に迫られてやる労働など縁のない世界であることだし。
理解も共感もできない世界を理解できないまま貶めるのはいけないことだ。
《とは言ってもさ。たぶんだけど、当初の勝算はちゃんとあったと思うよ?》
樫本代理が就任直後に学園全体へ喧嘩を吹っ掛けた直後から、テンちゃんはその行動が計画性に裏付けされたものなのではないかと予想していた。
教育管理プログラムの布教。チーム〈ファースト〉を介した情報開示。ジャガイモをわざと農民に盗ませることで広めたフリードリヒ大王の逸話のごとく、『強大な敵チームの育成プログラム』というシチュエーションを用意して学園のウマ娘やトレーナーに血眼で研究させた。
そもそもアオハル杯の復活が宣言されてから開催に至るまでが早すぎる。今は廃れたとはいえ前例があり、非公式レースゆえにそこまでカッチリする必要がないとはいえだ。大規模なイベントである以上そこには金も人手も、何より時間が必要なはずだ。
記録的ハイペースで開催が実現したと言われているURAファイナルズはその発表から開催までに三年の時間を要した。これを基準に考えると三十前後のチームが三年がかりで順位を争う大掛かりな催しが打診からほんの数か月で開催までこぎつけるというのはあまりに早すぎる。
つまりアオハル杯の復活は事前に計画されていたもので。秋川理事長が長期の海外出張に赴くことも、その間に樫本代理が学園の自由を脅かす強大な敵の首魁というかたちでアオハル杯を主導することも、何一つイレギュラーの無い計画通りだったのではないかということだ。
その読みを周囲とまったく共有していなかったせいでトラブルになったこともあったけど、それはともかく。凹んだテンちゃんは可愛かったけど、いまはさておき。
理事長代理とアオハル杯チームのチーフトレーナーの兼任を三年間続けるのは激務だろうが、事前に予想できていたことならぶっ倒れない程度のスケジュールは用意できていたはずだ。樫本代理なら用意できていただろうと信じられる。
だが事実としていまここに樫本代理はぶっ倒れている。これが『事前に立てていた見通しがただの机上の空論でしかなかった』というオチではないのなら、彼女を過労に追い込んだイレギュラーはいったい何なのだろう。
《まあ常識的に考えるのならぼくらだよねー》
案の定、私たちだったようだ。
うん、薄々そんな気はしていた。
〈パンスペルミア〉という括りで見ても現在私たちのチームランキングは堂々の三位。今度の夏に行われるプレシーズン第四戦では直接〈ファースト〉とやり合うことになり、そこで勝てば決勝を待たずして我々がランキング一位だ。
私個人としても幾度かチーム〈ファースト〉のメンバーと公式戦でやり合ったことがあるけど、デビューから無敗の十四連勝という戦績が示す通り負けなし。
脅威認定されるには十分すぎる。
《ほら、クラシック級になったばかりの頃に〈ファースト〉と四連戦したろ? あれが決定打だったな》
今もなお『テンプレ連戦』として密かに学園にて語り継がれる伝説の四連戦。尾ひれどころかそろそろ翼とジェットエンジンを搭載して宇宙まで飛び立ちそうな勢いのそれ。いや、宇宙じゃジェットエンジンは使えないか。
《もしもあのイベントがもっと後の、プレシーズン第四戦も終わりあとは決勝戦で挑戦者を待ち受けるだけという九月後半あたりのイベントだったのなら。理子ちゃんの庇護下から離れ自分たちで自主練を始めるルートもあったかもしれない。だけど実際にあれが起きたのはプレシーズン第一戦が終わったばかりの一月前半。
チーム〈ファースト〉という新天地でようやく孵化が叶った雛鳥たちが乾きたての羽で羽ばたくことにようやく慣れてきたという頃合い。自分たちでトレーニングメニューを作成できるだけの知識と経験、自分たちならやれると信じられるだけの自負と実力、理子ちゃんのためなら自らの将来と現在の戦績をベットできるだけの敬愛と信念。何もかもが足りていなかった彼女たちは親鳥の庇護下から離れることなど考えもせず、結果としてその負荷は親鳥に集中してしまったというわけさ》
もともとが微に入り細を穿つ絶妙なバランスで組まれていたはずの〈ファースト〉用のメニューが、私という脅威で尻に火をつけられたことにより更に負荷の強いトレーニングを〈ファースト〉は求めるようになってしまった。
安全面から却下しようにもこのままでは私たちに勝てないことは傍目にも明らか。ここで彼女たちのやる気を否定したのでは『アオハル杯に勝利して学園に教育管理プログラムを浸透させる』という当初のお題目ごと否定することになりかねない。しかし安易に負荷だけを増加させるようなメニューを組んで生徒を怪我させるなんてことはありえない。
たとえそれが事前の準備を丸ごと放り投げて進むいばらの道だったとしても、樫本代理は突き進むことしか許されなかったということか。
あれから一年と三か月ちょい。むしろそう聞くとよく持った方だという気になる。
「がんばったんだねぇ」
彼女の献身的な努力を讃えるにはあまりにからっぽな言葉。
我ながら他人事極まる感想がぽつりと口から零れ落ちたとき、廊下を騒々しく走る足音を耳が拾った。
この音はウマ娘だな。走るウマ娘の足音は特徴的だからすぐにわかる。廊下が壊れないギリギリを攻める全力疾走。小走り程度ならともかく、ここまで全力で走っていれば足音から適性と実力のほどもある程度は推察が可能だ。
GⅠ級のステイヤー。となると、考えるまでもなく該当候補は一人か。
「トレーナー!?」
ばーんと弾き飛ばすような勢いで入室してきたのは案の定ココンだった。引き戸じゃなくて内開きのドアだったら本当に体当たりでぶち抜いてきたかもしれない。
たぐいまれな肺活量と評判の彼女がはあはあと息を乱している。顔を伝う幾筋もの汗を拭おうともしない。
「うるさい。校則違反だぞ」
ひょっこりとテンちゃんが表に出て注意した。
ちなみに廊下を走ることが校則違反なのではなく、テンちゃんが指摘した通り騒々しく廊下を走ることが校則違反なのだ。
『廊下は静かに走ること』。中央トレセン学園には他では見られない風変わりな慣習が多々存在しているが、この校則はその中でもとびきりだろう。
「なあトレーナーはっ?」
「だーかーら、うるさい」
赤い瞳とエメラルドグリーンの瞳がぶつかり合い、ぐっと押し黙るココンの図。
まあガチトーンのテンちゃんを感情的な反発だけで跳ね除けるのは私でも難しいから、ココンには無理だろう。
別にルームメイトとの仲が悪いってわけじゃないんだけどね。三年目に突入した学園生活でずっと同じ人物と相室というのは、トゥインクル・シリーズを前提としたこの学園においてはなかなかに貴重な関係なのである。
またこれは余談だが、それを加味してGⅠを獲るような素質のある子は同じくGⅠ級のポテンシャルの持ち主と同室に割り振られる場合が多いようだ。ルームメイトが
《ネームド同士がルームメイトになるのってただの演出面の都合ってだけじゃなくてこういう事情があったのかもしれないな》
……私とココンが同室になったのって、たぶん二人とも期待されていなかったからなんだろうなあ。
それが今やトゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘と、アオハル杯ランキング一位チーム長距離部門の不動のエース。お互いに育ったものである。
「そこで寝てる。ただの過労だから安静にしておけば問題ないってさ。だから静かにしていようねー」
「…………はぁー。トレーナー……よかった……」
崩れ落ちるように嘆息して安堵をあらわにするココン。
まるで戦場から帰還した恋人の安否を確認したみたいな有様だった。おおげさだとは思うが、担当トレーナーを慕うウマ娘の在り方としては間違っちゃいない。
私だって葵トレーナーが倒れたなどと聞いた日には頭が真っ白になるかもしれないし。
《ヒトミミ最高峰クラスのフィジカルを持つ葵ちゃんが倒れて心配になるのはまた微妙に方向性が違うんじゃないかなー》
そうかな? そうかも。
「『ついにテンプレオリシュが実力行使に出た』って新入生が噂しているのを聞いた時はもうどうしようかと……」
「おいコラ」
こっちの文句は私ね。
だから、学園における私の立ち位置どうなってんだ? もう中等部とはいえ三年生になるのにいまだに把握しきれていないぞ。
テンちゃんと私では活動範囲が被らない部分も多いのに、それらを総括してテンプレオリシュの評判になっているからというのも大きいんだろうが。
「LANE見てないの?」
「見たさ。見たから、頭真っ白になっちゃって……ここまで走ってくる最中に不穏な噂が耳に入ってくるし……」
ああそうか。私たちは樫本代理が行き倒れになっているその結果だけを見つけたわけだが。
ココンたちはそこに至るまでの過程も当然見ているのだ。疲労を積み重ね、日に日に顔色が悪くなっていくトレーナー。まともな担当ウマ娘なら心配を募らせるのが道理だ。
かといって〈ファースト〉の力関係で生徒がトレーナーに意見するのは難しかろう。歯がゆい思いをしながら静観することしかできなかったのではないか。
「ちょっと、保健室では静かにしてね」
『あ、はい。ごめんなさい』
保健医の先生に注意されてしまった。声を揃えて謝罪する。
私たちは静かにさせようとしていたし、主に騒いでいたのはココンなのに理不尽な話である。
「怒られたじゃないか。そんなだからお前はココンなんだ」
「人の名前を悪口扱いするのやめてくれる? アタシが悪かったのは認めるけどさ」
まあこのくらいの軽口を叩ける程度の関係になったということで。
でもさ、保健医の先生は樫本代理を起こさないよう気を遣ったのかもしれないけど。
たぶんこの人もう起きてるよ?
勢いよくココンが入ってきた前後で呼吸のパターン変わっているもの。ココンのあまりの剣幕に目を開けるタイミングを逃したって感じかな。
《担当の声で意識を覚醒させるとはこれはまたトレーナーの鑑のような生態だねえ》
茶化しながらまたテンちゃんが身体の主導権を握った。
「それでねー、ききたいんだけどさー」
ぴくりとココンが身体を強張らせる。声を荒げているわけではなく、むしろ優しくすらあるのだが。
テンちゃんとココンの間の空気を一マスずつ埋めていくようなゆったりとした口調。こういうときのテンちゃんは怖い。濡れた綿がじわじわと張り付いてくるようなプレッシャーがある。
あとまたもや樫本代理が起きるタイミングを逃したようで身じろぎと共にまぶたがピクッと動いた。
ああ、もしかしてこれ狙ってやってるのか。
どうやらテンちゃんは樫本代理に寝たふりを維持させたままココンに言わせたいことがあるようだ。
呼吸とか間合いとか話の流れとか、そういうのを潰したり生み出したりズラしたりして相手に思い通りの言動をさせない、私が極めて不得手としている『空気を読む』スキルの発展形にあるもの。
こういう方面でテンちゃんは本当に器用だな。
《いや、リシュがレース中にやっている『最終的に一バ身に至る展開操作』の方がずっと高度な情報戦だからな?》
んー……たしかにレースを走っているだけでも位置取りやペース配分、仕掛けるタイミングなど考えるべき項目はいくつもあるし。それに加え周囲との読みや駆け引きを刻一刻と変貌していく戦況で刹那に行うとなると、表面上の情報処理は圧倒的にこちらが上のように聞こえるけど。
そこまで難しいことはやってないんだよね。レース中のウマ娘って本能が先行して、それを理性で制御している状態だし。本能同士のぶつかり合いとなれば基本的に私が格上。ごり押しで十分何とかなってしまうというか、私が押し通れば邪魔できるやつなんてそういない。
そりゃレジェンド級ともなればそうも言ってられないが、ウマ娘は群れで生きる動物だから。大多数に私の影響力を浸透させてしまえばレジェンド級とはいえそれを無視できないのだ。巨大な岩だって水流の量や勢い次第では押し流せる。
理性方面ではテンちゃんがフォローしてくれるし、ウマソウルが活性化して空間を埋め尽くすようなレース場だと逆に相手への干渉がやりやすいというか。だったら後は目の前の単純な事象を脳内で演算した数多の試行と比較して組み合わせていくだけ。
私が当たり前にできることを当たり前にやっているだけで、こういう技術の結晶的な職人芸と比較するのが間違っていると思うのだ。
《うん、その理屈はおかしい》
そうかなー?
「こうなる前に止めることはできなかったの? 予兆は何もなかった?」
「止めたかったさ……!」
うっかり大声を出しかけたココンはぎゅっと情動を呑み込むようにきつく目を閉じると、意識して抑えた声量で続きを話し出した。
「この半月ほど樫本トレーナーの顔色は特に悪かった。でも『問題ありません』と言われてしまえばアタシたちではそれ以上何もできない。うちのチームはアンタたちとは違うんだ」
だいたい予想通りの展開ではあった。
樫本代理が大丈夫だというから信じて挑戦し、いくつもの壁を乗り越えてここまで到達したのがチーム〈ファースト〉のウマ娘だ。
成功体験というのは時として足枷にもなり得る。たとえ誰がどう見たって『問題がある』状態だったとしても今回だけ相手の言うことを信じないというのは難しかろう。これは〈ファースト〉の面々がどうというよりは人間の生態的な話だ。
「だいたい、樫本トレーナーがあれだけ苦労しているのはアタシたちがアンタに勝つためなんだ。苦労をかけている張本人がどの口で言えるって話だよ」
「あーねー」
気持ちはわからんでもない。
私だって今でこそ貯金がすごいことになっているし桐生院家の力とアオハル杯の予算でトレーニング環境も潤沢だが、小学生のころはいろいろとカツカツだった。
専業主婦だった母親が、パート戦士へと転職せねばならないくらいに。寂しかったけど私のための苦労だった。どの口でやめてと言えるのか。ましてや仮に私の要望が通ってやめたところでお金が宙から湧いてくるわけもなく、資金不足で困るのは私ときている。
心苦しくとも己の無力を痛感しながら甘えるしかないのだ。
「ごめんねーぼくらが強くてー」
「ケンカ売ってんの?」
「いや、揶揄っているだけ」
はぁーと眉間を揉み解しながら嘆息し、首を横に振って気持ちを切り替えるココン。
三年目のルームメイトともなればテンちゃんの性格の悪い言動にも慣れたものだった。
「アタシたちは証明するんだ。樫本トレーナーのやり方が正しいって。この学園でその方法は一つしかない」
「勝つことだね。ぼくらには勝てないけど」
「そういうセリフはランキング一位になってから言いな……!」
びきりと青筋を立てながらも声を抑えている。本当に成長したものだ。
さらにぎゅっと耳を絞りながらココンは疑問を呈す。
「そもそもさ、アンタって今年はアオハル杯に参戦する気あんの? あのローテかなり無茶苦茶だったけど」
「あー、プレシーズン第四戦の方は難しいかなあ。たぶん葵ちゃんの許可が下りないだろうし」
私の上半期は春シニア三冠に加えダートGⅠとマイルGⅠの計五レース走る予定で、既に春シニア三冠の一角である大阪杯とダートGⅠであるフェブラリーステークスの二レースは制圧済み。
そして日程の都合上、六月は前半にマイルGⅠの安田記念、後半に春シニア三冠の最後の一冠たる宝塚記念の二レースを走ることになる。これは七月から夏休みが始まり休養に充てることができるのを見越したローテーションではあるが、裏を返せば夏合宿の前に開催されるアオハル杯プレシーズン第四戦への出走はかなり厳しい。
そもそも一か月の間にGⅠを二つ走るなど、現代の基準でいえばけっこうな無茶だ。それに加えて非公式レースのお祭り企画とはいえろくに休養も挟まずアオハル杯に参戦などすれば世間からの批判は免れないだろう。そして葵トレーナーにそんな迷惑をかけてまで出走せねばならない理由など私にはない。
「まあ〈パンスペルミア〉のみんななら勝ってくれるでしょ」
私ふたりが出しゃばらずとも、チームのみんなが頑張ってくれると今の私は知っているから。
「よくもまあぬけぬけと〈ファースト〉が一位から陥落する未来を語ってくれるものじゃない? ベストメンバーでもないチームに負けるほどうちは甘くないから」
「でもぼくらがいなくたって〈パンスペルミア〉は強いぜ?」
「……」
プライドの高いココンの沈黙が何よりも雄弁な返答だった。
まー今の〈パンスペルミア〉にはエル先輩とかグラス先輩とかレジェンド勢いるからね。あれで雑魚扱いできたらこの業界ではモグリですよ。うん、自惚れとかそういうレベルじゃない。
「それとぼくらの身体能力がこの調子で伸びていけば、冬の頃にはもうちょっと無茶ができるようになっているはずだから。アオハル杯の決勝戦とURAファイナルズにはちゃんと参戦する予定だよ。だから安心して?」
「それのどこをどう聞けば安心する要素があるのかアタシに教えてくれる?」
あれ、アオハル杯に出走できるか聞いてきたのって私たちが不在だと困るからじゃないの?
主役不在なんて、自分で言うのもなんだけど。最強を決めるためのお祭り企画でこの時代最強と目されるウマ娘が不参加だと企画倒れもいいところだ。
私たちが出走できるというのは十分に安心要素だと思うんだけどなあ。
「夏合宿との兼ね合いがあるからプレシーズンの方の日程は動かせないけどさ。決勝の方なら多少スケジュールに余裕がある。ぼくらに出走の意思があることを表明すればむしろあちらが調整してくれるでしょ。この時代に開催しておきながらぼくらのいない決勝戦なんて意味無いじゃん」
「…………否定できないのが腹立つな」
ものすごく複雑そうな表情でココンは言った。
そういえば、また以前と同じ方がファンアートを描いてくださっていたそうで。
新衣装のテンプレオリシュ。しかも誕生日である9/15を目安に。
遅くなりましたがありがとうございます。
個人的にこういうファンアートは描いてもらったらめちゃくちゃ嬉しいし、片っ端から確認してお礼を言いたいタイプなのですけど。
いい加減幾度となく墓地から捨て垢を復活させるのではなく、ちゃんと旧ツイッターにアカウント作った方がいいのでしょうかねぇ。
ハマりそうだから逆に手を出しにくいというか。そのうちにXになっちゃって機を逃した感が……