「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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今回はアドマイヤベガ視点です
聖蹄祭のときに背後関係がよくわからんって言っていた人たちはお待たせ!


サポートカードイベント:無遠慮な超巨星

 

 

U U U

 

 

「ああ、なるほど」

 

 青い瞳が私を射抜く。

 服も肌も肉も骨も貫通して、するりと臓腑すら通り抜けて私の内なる感情をあっさり抜き取ってさらけ出してみせる。

 その無遠慮で静謐、そして超常的な美しさは腹立たしいことに冬のダイヤモンドを構成する全天二十一の一等星のひとつ、リゲルを彷彿とさせるものだった。

 銀河系において肉眼で見える最も明るい恒星の一つ。あまりに明るすぎて正確な視差の測定が困難とされてきた青色超巨星。

 

「テンちゃんの追憶(きおく)で見たよ」

 

――私は突き飛ばされただけだから。

 

――もう終わってしまったことだから。

 

――今さらどうしようもないから。

 

――着地地点にいた赤ん坊の頭を踏みつぶした事実に開き直って、血と脳漿で汚れた足跡を残しながら意気揚々と歩きだせる人間だっているのだろう。

 

――私はそうでなかったというだけの話。

 

「あなたは自分の脚が血と脳漿で汚れて見えているんだ」

 

 

U U U

 

 

 物心つく前から誰かが傍にいるような感覚があった。

 とても近くて、どこまでも遠い。どこにいるのか、誰なのかもわからない。手を伸ばしても断絶しているように届かない。夜空に浮かぶ赤い星を見ていると触れられそうなほどに強く感じる。

 その星が冬のダイヤモンドを構成する全天二十一の一等星のひとつ、ポルックスだなんてこと幼い私は知らないで。

 ただふたご座で最も明るいその星のもとで、私は幾度となく誰かと語らった。きっと薄々察していたのだろう。その誰かが自分にとってかけがえのない大切な存在なのだと。

 そんな私を、母は困ったように笑いながら見ていた。

 

 初めてレースを走ったとき、私は自分の(オリジン)を知った。

 

 昔からあまり感情を表に出さない、大人しいと評される子供だった私。

 走る前から()()()()()()はしゃぎ、レースに勝利して笑い、そして理由もわからず取り返しのつかない喪失感に涙する私。

 母は見かねたように教えてくれた。

 私は、本当は『私たち』かもしれなかったのだと。

 私には生まれてくることができなかった双子の妹がいた。

 大きくなって、当時の『私たち』の状況を調べて、わかった。このままだとどちらも危険な状況で、一つしかない枠に私の方が選ばれたのだと。

 

 ……私がのうのうとこの世に生まれ落ちなければ、ここにはあなたがいたの?

 

 楽しかったのも、嬉しかったのも、本当は全部あなたのものだったの?

 走ることが好きだった? レースを走りたかった? 走って勝ちたかった?

 何もわからない。私には知る由もない。だってあの子は生まれてくることさえできなかったんだから。

 だから追い求めるしかなかった。手を伸ばしても届かない。夜空の星を見上げているとき少しだけ言葉が届くような、そんなどこまでも遠くにいる近くの誰かがくれた感情の断片。

 

「私が全部叶えてあげる」

 

 勝利も、栄光も、すべて手に入れてあなたに捧げる。

 そうしたら、少しはあなたのさみしさも和らぐというのなら。

 そのために私は私のすべてを賭しても惜しくない。

 

「だって私は、お姉ちゃんなんだから」

 

 あの子の人生の全てを奪い取ってしまった罪悪感。

 誰にも理解されず、共感もされない。ただ私がふさわしい報いを受けるまで続く贖罪の旅路。

 軽薄なうわべだけ整えた言葉なんて私には必要ない。ずっと独りで抱えて生きていくのだろうと、そう思っていた。

 疑う余地なんてなかった。たとえ母の命を奪ってこの世に生を受けた赤ん坊であっても、そこへ至るまでには母親の人生と選択と意志がある。

 あの子には何もなかった。選ぶ権利すらなかった。私が全部奪ってしまったから。

 同じ境遇の存在なんて、想像すらしたことがなかった。

 

――質問をする前に自己紹介くらいしたらどうかな、お嬢さん?

 

 中央トレセン学園。

 レースで栄光を掴むのならここ以外ありえない。

 だからといって秋のファン感謝祭に足を運んだのは両親の誘いを断り切れなかったからで、同年代の子たちが目にキラキラと浮かべるような憧憬の念があるわけじゃなかった。

 府中までの移動を含め浪費される時間を考えると自身のトレーニングを優先させたかった。だけど親に心配をかけている自覚はあったから。

 この生き方は変えられないし、その気も無い。でも心が痛まないわけじゃない。少し時期のズレたオープンキャンパスみたいなものだと自分を誤魔化して同行して。

 

 『彼女たち』を見た。

 

 世代征服ライブとかいう、喜んでいるファンの前じゃ大きな声では言えないけど少しセンスがどうかと思う名称の催しのことなんか頭から消えていた。

 季節の移り変わりのようにメンバーが入れ替わる数々の踊りは目を滑り、歌は耳を右から左へ素通りしていった。

 ただ当然のような顔をしてステージのセンターに居座り続ける銀のウマ娘だけが見えていた。

 

 ここ最近、有名になってきたその名前を聞いたことが無かったわけじゃない。

 ただ興味が無かった。

 トゥインクル・シリーズにどんな優駿がいても関係ない。私は生まれてくることができなかったあの子に勝利と栄光を捧げる。そう決めたから。

 強い相手がいるから諦める? 別の道を探す? いいえ、そんな選択肢は存在しない。

 それにウマ娘が実力を発揮できる期間は短いもの。去年までの覇者が今年に入ってからは入着すらできず、逆にまったく無名のウマ娘が初めての重賞勝利をGⅠ圧勝という形で成し遂げる。レースはそんなことが珍しくもない世界。

 今から強敵となりうる相手をマークしたところで意味がない。その情報が有効活用できる可能性は乏しい。だから周囲に目を向けるのは入学してからでいいと、ただ自らの実力を高めるトレーニングに重点を置いていた。そればかりに時間をつぎ込んでいた。

 

 あれは私と同じだ。理屈なんて無い。視界に収まった瞬間に魂が理解した。

 でも、あの人は私とは違う。一つしかない枠だったはずなのに。一つの身体の中に異なる二つの魂があることだけが内容は綺麗に通り抜けていくライブの中で強烈に印象に残った。

 思考も常識も炎で炙られたように縮れて消えた。家族とここに来ていたことさえ忘却の彼方だった。

 ただ知りたかった。どうすればよかったのか。

 教えてほしかった。私はどうすればあの子を失わずに済んだのか。

 

 突き付けてほしかった。お前は間違えたのだと。

 

 気づけばライブは終わっていて、私は家族を振り切ってやみくもに彼女たちを探し、幸か不幸かまるで何かに引き寄せられるかのように校舎の物陰で休んでいるところを見つけた。

 礼儀もなにもあったものじゃないその襲撃を、彼女は緩やかに微笑んで受け止めてくれた。さほど身長が変わらない、ともすれば現時点で既に私の方が背丈はやや上かもしれない相手は確かに年上の女性なのだと。貫禄、あるいは包容力のようなものを焼け焦げた思考の残骸で感じた。

 

――喰わせた

 

――ぼくが持っているのは正解じゃない。だーかーら、今のきみを間違っていると断罪することもないよ。わかった?

 

 望んだものは……得られなかった。

 

 私の想いが通じなかったわけじゃない。こちらの内心を把握した上で、もしかすると私以上に『私たち』の事情を理解した上で、その上でさらりと受け流されたのだ。

 でも軽妙洒脱な色を被せた赤い瞳の奥、彼女の燃え盛る炎を見て感じずにはいられない。あのときの私にこの苛烈さがあれば、あの子を喪わずに済んだのではないかと。

 それはほんの一瞬の邂逅。すぐに両親が私を探しに来てくれて、彼女たちは彼女たちでこの後にやることがある様子で、慌ただしくその場は別れた。

 こうやって後になって振り返ってみると本当に失礼で、申し訳の無いことをしたと思う。親にも、彼女たちにも。余裕がないなんてこちらの一方的な言い訳にしかならないから。

 それでも自分の生き方を変える気は一切ないのだから、救われない。

 

 短いながらも鮮烈なひとときにすっかり気力と体力を奪われてその後の聖蹄祭はろくに記憶がない。起きているのか寝ているのかわからないような状態で帰宅することになった。

 洗濯する前に衣服のポケットを確認して気づく。見覚えのないメモの切れ端が入っている。内容は走り書きの電話番号とメールアドレス。

 そういえば別れ際、彼女に軽くぽんと肩を叩かれた記憶がある。機会があるとすればそれくらいかしら。

 不用心なこと。こんな気軽に個人情報をばらまいていいような立場ではないでしょうに。それとも、それほど己の見る目に自信があるのか。

 もはやお人好しが過ぎると言ってもいい彼女たちの親切。安易にそれに乗る気にはなれなかったけど、かといって破り捨てるには価値がありすぎるから。

 私のスマホの電話帳が少しだけ増えた。きっと使わない容量の無駄遣い。その程度が妥協点。

 

――中央においで、アドマイヤベガ。きみの救いはきっとここにある

 

――あはっ。ぼくの目には贖罪に見えたけどねぇ。そして刑期を終えたら罪は許されるものなのさ。たとえそれが冤罪であってもね

 

 あの人の言葉が脳内をリフレインする。

 違う。私はそれを望んでいるわけじゃない。

 償うべき罪であり、咎められるべき悪。でも、許されたいわけじゃない。だって許されてしまったらあの子はどうなるの?

 上手くやる方法があったのだと証明されてしまった。偶然かもしれない。奇跡なのかもしれない。でも不可能ではない。可能性はゼロじゃなかった。

 なら、それはどうしようもなく私の(とが)だ。

 

《おねえちゃん。わたし、ここにいるよ?》

 

 

 

 

 

 月日は流れ、私は中央に合格した。

 そこにいくのは確定事項だった。それ以外の未来はありえない。安堵はあっても感慨はない。

 ……でも、受験に至るまでの勉強やトレーニングに静かに集中できたのは。使いもしない電話帳の一頁の影響が無かったと言いきってしまえば、それは嘘かもしれない。

 こちらから掛けることも向こうから掛かってくることも、結局一度も無かったけれど。

 

 一人になりたかった。うるさいのが苦手だった。

 一人であるべきだと思っていた。あの子からすべてを奪ってしまった私が、あの子が得られなかった繋がりを得るのは許されないことだと感じていた。

 私のすべてはあの子のために。そのためだけに生きている。呼吸することが許されている。

 だけど、それはあまりにも急に不可逆なまでに変わってしまった。

 誰とも共有できないはずの境遇はこれ以上ない先達がいた。

 彼女たちとのコネクションは、あの子のことをもっと知る上で有益なものだから。必要なことだから。

 ほんのわずかにスマホの容量を圧迫する数行のデータは、私が拒絶しなくてもいいこの世界の繋がりだった。

 

《よかったね、お姉ちゃん!》

 

「新入生・上級生交流オリエンテーション、AグループからCグループはこっちだよー!」

「あ、あたしたちに続いてグラウンドまで移動してくださーい!」

 

 秋と冬、二つの季節を跨いで再会した彼女は印象が変わっていた。

 ふわふわ。

 でも、布団乾燥機をしっかりかけたお日様の匂いのするそれではなくて。たとえるのなら……人の手が入っていない鬱蒼とした森に漂う霧? ひんやりとして掴みどころがない。ふわふわだけど、あまり好きになれないふわふわ。

 ああ、違うのか。今の彼女は『妹』の方なのね……私とは、違う。

 

「うわぁ、ナマ143JSA小隊……ちっちゃい! かわいい! めっちゃ強そうでゲロ吐きそう!!」

「わかるぅ。同じガッコの先輩で何なら超えるべき目標なのに今からサインほしいわぁマジで……」

 

 きゃいきゃいと新入生の子たち――私の同級生となるウマ娘たちが騒いでいる。

 目の前にいるのは現代のトゥインクル・シリーズを代表するスターウマ娘。引率してくれる上級生たちは皆それなりに実績を持ったウマ娘ばかりみたいだけど、私たちの運がいいのは疑いようがない。

 マヤノトップガン、アグネスデジタル、そして『彼女たち』。この三人組は公私ともに仲が良く頻繁につるんでおり、同じ百四十三センチという特徴から一部では143ジェットストリームアタック小隊などと呼ばれているらしい。

 あくまでネット上を中心としたファンからの呼称であって非公式のようだけど。ミーハーな生徒が多いのか、それとも世間に浸透してしまっているのか、何気なくこぼした言葉にすぐさま隣で同意が出るくらいには幅広く知れ渡っている様子ね。

 

中央(ここ)に来るようなウマ娘に言葉で語ったって半分くらいしか通じないだろ? だったら最初から走った方が手っ取り早い。というわけでー、今から皆さんにはぼくらとレースをしてもらいまーす」

 

 ぎこちなくグラウンドに整列した私たち新入生の前に、悠然と胸を張って説明を始めたのは以前と同じ彼女だった。

 わざとらしく左目を閉じて赤く光る右目をアピールしている。こちらが私の知っている『姉』なのだろう。

 今年の初め、彼女たちはふたりでひとつの存在であることを世間に公表した。

 始まりは偶然だったのかもしれない。奇跡だったのかもしれない。でも彼女たちはそれに胡坐をかかず、自分たちの居場所を切り開くべく日々世界に立ち向かっている。

 それがなんだか、とても羨ましく思えた。

 

「あのー……これっていわゆる『かわいがり』ってやつですか?」

 

 おそるおそる、といった様子で新入生がひとり手を上げて質問する。

 ここにいるのは中央の狭き門を潜り抜けた者たちばかり。だけどさすがにこの時代を代表する看板ウマ娘を相手に勝負が成立するなんて、自己評価をくだす子は少数派だ。

 逆に言えば何人かはやってやるとばかりに目をぎらつかせているのだけど。自分を鼓舞するためなのか無駄に高笑いしている子がやや悪目立ちしている。無謀であることは疑いようがない。でも、顔は憶えておいた方がいいかもしれない。

 どんな相手であっても私は勝つ。勝利の栄光をあの子に捧げる。その想いは今も変わっていないけれど。

 レースに勝つためには情報も必要。たとえば強敵となりうるウマ娘とか。彼女たちは()()になりうるから。

 

「あはは、まっさかー。何のために引率が三人いると思う? リレー形式でレースを行うためだよ! チーム戦ならぼくらにだって勝てるかもしれないからねー。人数は均等に割り振らせてもらうけど、とりあえず好きな先輩のところに移動してみて」

 

 新入生たちの目の色が変わった。

 公式戦無敗。この生ける伝説に非公式のイベントレースとはいえ大金星を挙げられるかもしれない。これで燃えないウマ娘ならそもそも中央に来ないわよね。

 憧れに挑戦するもよし。憧れと同じチームで走るもよし。そこは性格の差が出そうだけど、ぐっと全体の空気の温度が上がる。

 

「それと、ぼくら先輩組は斤量……じゃない、(おもり)をつけているから。とりあえず勝負にすらならないってことはないんじゃないかな」

 

 ジャージの裾をまくって水色のリストバンドとアンクルを示して見せる。あの中に錘が仕込まれてるのだろう。

 

「あのっ! どのくらい重いのか気になるので、持たせてもらっていいですか?」

 

 また別の新入生が挙手してそう発言した。

 金髪寄りの明るい栗毛。きっちり真ん中の髪の分け目といい態度といい、快活で真面目そうな印象を受ける。

 そして彼我の差を貪欲に知ろうとする姿勢。新入生を見てそう感じるのも変な話だけど、その子を見て改めて実感した。ここは中央なのだ。より速く。より強く。その姿勢を忘れない者だけがスタートラインに立つことができる。

 ウマ娘が本能的に忌避するゲートの圧迫感だって、レース本番では選ばれし者のみが味わうことを許されるごく限られた枠なのだから。

 

「いいよー」

「ありがとうございます!」

 

 ひょいと軽い動作で右手のリストバンドが取り外され、手渡される。

 彼女が受け取る直前、同じく軽いテンポで注意が言い渡された。

 

「けっこう重いから腰を痛めないように注意してねー」

 

 え? そんなに?

 

 受け取る彼女はそういう顔をしたし、たぶん見ている一年生みんな同じことを思った。

 

「おっ、とと」

 

 忠告があったため、彼女が取り落としたりつんのめったり腰を痛めたりするようなことはなかった。

 それでも重さに引かれて少しだけ身体の軸がブレた。中央に合格するほど鍛え上げたウマ娘が、忠告に従い両手で受け取ってなお。

 

「こ、こんな重たいもの付けて走るんですか……?」

「へーきへーき。きみたちもクラシック級の夏まで生き残ればこれをつけて砂浜を走れるくらいになってるよ。このイベントのために用意した専用アイテムじゃなくて夏合宿用の流用だからこれ」

 

 なるほど、大した説得力ね。

 今の私たちとはこれほどまでに違うのか、と。どれだけ言葉を重ねてもこの実感を私たちに与えることはできないでしょう。

 

 中央トレセン学園に合格という個人的偉業と達成感。それに裏付けされた将来への期待。レースに勝ちトゥインクル・シリーズで活躍するウマ娘になるという漠然とした未来予想図。

 そんな楽観がいま、氷のように溶けて消えた。

 クラシック級の夏にはあの錘入りリストバンドとアンクルを付けて砂浜を走れるくらいになっておかないと、トゥインクル・シリーズを生き抜くことはできない。具体的な指針がぐさりと脳髄に挿入された。

 そして時代を代表するような優駿になるためには、あの程度の重さでは縛り付けることもできないほど屈強な身体能力を獲得する必要がある。ひょいとリストバンドを受け取って再度右腕に装着する、その軽やかな立ち振る舞いが何よりも雄弁に語りかけていた。

 

 この時点で新入生を先輩と交流させた学園の意図的には大成功と言っていいんじゃないかしら。

 熱されて膨張しかけていた空気がきゅっと引き締まった。少なくともこの三グループに所属する新入生の中で、新しい環境に浮かれてスタートダッシュに失敗するような子は出ないでしょうね。

 

「生徒会からは口を酸っぱくして『くれぐれも壊すな、殺すな』と念を押されている。全力で手加減してあげるから安心して本気でかかってくるといいよ」

 

 にっこり優しく微笑んで吐かれた言葉。大言壮語だとは、誰も思わなかった。

 

「……はっはっはっは! はーっはっはっはっは!! ああ認めよう! 我が世紀末覇王伝説はいまだプレリュードにすら至らず」

 

 呑まれかけた、その空気を無遠慮な笑い声が吹き飛ばす。

 さっきも高笑いしていた新入生だ。

 

「それではエチュードから始めるとしようじゃないか。舞台にすら上がれぬこの身でありながら! この日まで無疵の“銀の魔王”の血で綴られる第一節! まさに無謀ッ、しかし果たせれば? 実に素晴らしい!! このボクにふさわしい幕開けと言えるだろう」

 

 まるで演劇をしているかのような大仰な身振り手振り。周囲の視線を受け恍惚としたナルシズム丸出しの表情。

 騒がしいのは嫌い。この時点で彼女に苦手意識を抱いた。でも――。

 

「アグネスデジタルさん。力を貸してくれるかい? 君にはどこか運命的なものを感じるよ!」

「ひゃ、ひゃい! よろしくお願いしましゅ!」

 

 ――彼女はこの中で誰よりも早く、迷うことなく戦う意志を示した。その事実は軽視してはいけないものだ。

 何故か新入生より緊張した面持ちで迎え入れる上級生を見ながらそう思う。

 名前も知らぬ騒がしい彼女を皮切りに、他の子たちも少しずつ動き始める。私もマヤノトップガンさんのもとへ身を寄せた。

 

「よっろしくー! 今日はマヤと一緒にがんばろーねー!」

「……よろしくお願いします」

 

 トゥインクル・シリーズの頂点。そこすら私にとっては通過点であり、あの夜空の果てにいるあの子へ栄光を送り届ける。それが私の成すべき使命。

 ならば知るべきは敵として見た『彼女たち』であり、『彼女たち』を凌駕せんと走り続ける先達。マヤノトップガンというウマ娘は変幻自在。逃げから追い込みまで走りこなす彼女からなら、追い込み脚質の私が学べるものは最も多いはず。

 

 

 

 

 

 とはいえ、しょせんは新入生歓迎オリエンテーションの一環。

 数か月前までは中央トレセン学園に合格したエリート小学生だったとしても、現状は担当トレーナーも所属チームも無いウマ娘。ふわふわのヒヨコですらない、せいぜい孵化を待つ有精卵といったところかしら。

 

「美しく!」

 

 そしてトゥインクル・シリーズという世界の規格に合わせたレースはポニーカップなどで経験してきたこれまでとは次元が違う。今の私たちの実力ではクラシックディスタンス(2400m)の半分の距離を完走できたら上出来の部類。距離適性という概念が適用される前の段階。

 ゆえに一人あたりに割り振られる区間はトゥインクル・シリーズのどの短距離レースよりも短い。そもそもがリレー形式なのだ。ゲートから始まりゴール板で終わる通常のレースと異なり作戦や脚質が介在する余地は薄い。

 言ってしまえば、かけっこの延長線上のようなレクリエーションだった。

 

「負けません!」

 

 本音を言えば敵わないのだとしても通常のレースと同様の形式で競いたかった。

 同い年の誰よりも走り込んできた自負……いえ、執念の自覚がある。2400mだって私なら既に走れる。新入生をいたずらに傷つけないよう娯楽めいた緩衝材で薄めたものではなく、生のままの時代の頂点を今この場で味わってみたかった。

 

「……しっ!」

 

 どのような想いがあれ、変則的な形式であれ、レースである以上スタートがあってゴールがあり、時間が来れば否応なしにスタートは切られてしまう。

 私の番が来て、走って、次にバトンを渡す。受け取ったときは最下位だったけど、渡すときには一着まで追い上げることができていた。

 実力差。

 同じ新入生であってもこの段階から既にそれは生じている。才能なのか、努力なのか、はたまた成長速度の違いなのか。何に由来するものなのかは定かでないし興味もない。

 ただ私が今の時点でちゃんと強いウマ娘なのだと把握できたのならそれでいい。あの子の枠を奪っておいて弱い私なんて、許されないから。

 私以外にも目立つウマ娘は幾人かいた。それはリストバンドを持ちたがった金髪栗毛の彼女であったり、空気を自分色に引き寄せた騒がしいナルシストの彼女であったり。

 きっと彼女たちはデビューまでこぎつけることができるだろう。もしかしたら同期になることだってありえるかもしれない。そんな運命めいた何か、言い換えれば根拠のない予感を抱く。

 

「ありがとっ! マヤちんテイクオーフ!!」

 

 上級生の三人は皆揃ってアンカーに任命されていた。どのチームも相談して順番を決めたはずだけど。まあ、たしかに彼女たちを差し置いて自分がアンカーを走ろうというウマ娘はいないか。

 仮にいたとしても周囲が止めるでしょう。日本人的同調圧力以外に、レースを走るウマ娘という観点からしても一人だけ抜け駆けなんて許せるものではないから。ごく当然の帰結としてマヤノトップガンさんに後を託し、私は邪魔にならないようグラウンドの横に逸れる。

 

 ……いま中央ではアオハル杯という非公式のチーム戦が盛んらしいけれど、私はやめておこうかしら。アオハル杯用の予算は純粋に魅力だったから少し悩んでいたのだけれど。

 やっぱり私は集団行動というものが苦手らしい。

 他人に足を引っ張られるのも、自分の努力が勝利に直結しないのも、まったくもって嫌気がさす。ドキドキワクワクハラハラなんて私には縁のないものだった。

 

「きゃああああああああ!?」

 

 大仰な悲鳴。逸れかけていた意識が勝負の行く末に戻る。

 盛大に素っ転ぶキャスケット帽のウマ娘。明後日の方向にバトンが飛んでいく。その間に追い抜かしたアグネスデジタルさんチームの子がアンカーへとバトンを繋ぎ、転んだ子のチームはあっという間に最下位に。

 

「ごごごご、ごめんなさい~!!」

 

 ぼろぼろと涙を流し謝罪しながら、意外なほどにその子の立ち直りは早かった。顔面についた土を払おうともせず飛んでいったバトンを追いかけると、短い往復の間にも二回ほど足をもつれさせながら何とかアンカーのもとへバトンを運ぶ。

 転ぶことに慣れているのかしら。走りに突出したものは感じなかったけど、また印象に残る子がいたものね。

 

「すみませんすみません、私ったらほんとうにドジでグズでノロマで……」

「ふふ、おぼえておきたまえ新入生諸君」

 

 泥だらけの顔で泣いたせいで、(おとがい)から茶色の雫が滴り落ちる。バトンを受け取りざま、そんな彼女の頬をさらりと撫でて。

 『彼女たち』――テンプレオリシュは走り出した。

 正直、厳しいと思った。ものの数歩でトップスピードに到達した加速力は圧巻で、流石としか言いようがないけれど。

 中央の基準では一秒あれば五~六バ身の差がつくとされている。いくら何でもこれだけのリードを削り切るには一人当たりの区間が短すぎる。

 

「スタートを切った以上、泣くのも笑うのもゴール板を通り過ぎてからでいい。レース中にするべきことはただ一つ。走れ(バクシンだ)

 

 トップスピード、じゃなかった。

 私の知っているウマ娘の最高速度を優に超えて、ぐんぐんとその銀色の影は速度を増していく。

 まるでターフの上を駆け抜ける流星。いえ、夜間のみならず昼間だろうと観測可能な無遠慮なあの輝きは火球に区分されるべきかしら。

 

「うえええええぇえええええ」

「ひょえええええええええ!?」

 

「はーっはっはっは、バクシンバクシンバクシーンッ!!」

 

 先行する二人だって決して遅くはない。最後に走るのも納得だ。あの走りを見た後ではしり込みして実力を発揮できない子も一人や二人ではなかっただろう。

 そのはずなのに、距離がみるみるうちに縮まっていく。

 迫り、追いつき、並ぶ。ゴール板を駆け抜ける頃には横一列で。だけどもつれるようにゴールインしたハナ差であっても誰が一着だったのか、不思議と見間違える者はいなかった。

 それほど圧倒的だった。

 

「だってぼくらみたいなのがいたら、道中の成果なんて簡単にひっくり返されるからね。泣いたり笑ったりした分の感情リソースが無駄になるだろ?」

「テンちゃんってたまーに大人げの無さに迷いがないよねー」

 

 ぶすっと頬を膨らませたマヤノトップガンさんの指摘も何のその。新入生たちのそれまでの努力をたった一騎で覆して見せた銀の魔王は高笑いすらしてみせた。

 

「はっはっは。あー、楽しかった。この距離でスプリント王者と勝負するには適性とリードが足りなかったようだねぇ」

 

「ぶーぶー。菊花賞ウマ娘のセリフじゃないと思いまーす」

「ひえぇえ……今日も推しが天井知らずで尊い……しゅきぃ……」

 

 結果的に私たちの努力は無に帰したと言っていい状況だったのだけれど、誰も負けた二人の先輩に不満を抱いている様子はなかった。

 文句なんて言えるわけがない。あれはもうどうしようもない。そういう存在だ。

 

「あ、そうそう。さっき派手に転んだんだからメイショウドトウはちゃんと保健室にいってきなよ? 直後だと自覚症状が無いことも多いんだから」

「は、はい~~~~!」

 

 それでいて、さらりと新入生の名前を呼んだりもする。

 もしかしてここにいる面々の顏と名前が一致していたりするのだろうか。なるほど、トゥインクル・シリーズの看板を背負わされるだけのことはある。このスターウマ娘さまはどうすれば己が他者に好かれるのかしっかり心得ているらしい。

 さっき転んだキャスケット帽の女の子をはじめ、幾人もの新入生がテンプレオリシュを見つめる目はまるで恋焦がれているかのような憧憬で満ちていた。

 

 私もあんな生き方ができればあの子に…………ごめんなさい。あちら方面は諦めて。

 

《人には向き不向きがあるもん。お姉ちゃんはそんな性格だし仕方がないよ。無理しなくていいからね?》

 

 何故だかあの子にちょっと呆れられたような気がした。

 




次回も引き続きアヤベさん視点
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