「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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またひとつ重なる一日

 

U U U

 

 

 寮で提供される朝食と夕食は、昼のカフェテリアが自由に自分の食べたいものを選べるのに対し、担当の職員さんが作ったメニューが共通で提供される。

 いちおう常識の範囲でおかわりは自由。ただ時期や育成状況によっては担当ウマ娘への食事制限がトレーナーから職員さんたちに通達されていることもあり、その際は悲喜こもごもの修羅場が見られるという噂もあるが、新入生の私たちはいまだお目にかかったことがない。

 できればお目にかかりたくないものである。

 

《にんじんうめー》

 

 彩もよく栄養バランスも考えられていそうな野菜の煮物を一口。

 私たちは表に出ていないときも基本的に五感を共有している。オンオフはある程度任意でつけられるけど。

 表側にいるときにくらべ奥にいるときのそれは透明な毛布を一枚隔てたような曖昧で漠然としたものがあるし、感情そのものはともかく感情で左右される体調は主導権を握ってる側のものが反映されるので、ときとしてひどくチグハグに感じることもある。

 身体は共有しているのに嗜好がわりと違うのは面白い。私は甘いものが好き。テンちゃんはけっこうな辛党だ。

 でも共通事項として二人ともニンジンは大好き。そもそも嫌いなウマ娘ってあまり見たこと無い。生徒会副会長のナリタブライアン先輩が野菜嫌いだって噂を聞いたことがあるくらいだけど、彼女はニンジンもダメなのだろうか。

 

《馬が本当に好きなのは甘味。ニンジンはあくまで飼葉よりも甘いというだけであって、リンゴくらい甘ければ嫌いな馬なんていないって前世では聞いたことあったけど……。

 この世界のニンジンは本当に美味しいよね。フルーツみたいに甘いし、特別な下拵えなしでも丸ごと一本いけるくらい柔らかいし。ウマ娘になって味覚が変化していることを差し引いてもまるで別物だ》

 

 ウマ娘用にニンジンがふんだんに使用された料理を前にテンちゃんが何やらうんちくを語るが、食べるのに忙しいので半分以上聞き流す。

 おしゃべりしながら料理を囲むのが出来る女子のスタンダードらしいが、あいにく幼少期の私には練習する機会が無かった。食事なんだから食べることに集中するのは何も間違っていないはずだ。

 

《おそらくこの国においては米と並んで品種改良を繰り返されてきた野菜だろう。あれ、米は穀物か? まあいいや。海外にいったら海外独自の品種改良が施されたニンジンがあるんだろうなぁ、この世界だし》

 

 テンちゃんはいつか海外にいきたいの?

 少しだけ将来に関わりそうな話題を拾ったので聞き返した。

 

《いきたくない? 凱旋門賞とか。すべてのウマ娘のあこがれじゃん》

 

 うーん、いやあれはどっちかというとURAの悲願っていう気が。

 私もメイクデビューを果たせばURA所属ということになるのだろうけど、それはそれとして押し付けられてもその、困る。天皇賞連覇の使命だの、オークス親子制覇だの、名門特有のしがらみは一般家庭出身の私には縁のないものだ。

 海外旅行どころか旅行そのものにさして魅力を感じない出不精な性分なもので。知らないところって怖いじゃん。

 まあ、オークスはともかく天皇賞はもらっていく予定なのですけども。

 

《そっかー。ぼくは一度この世界を見て回ってみたいな。凱旋門だろうがケンタッキーダービーだろうが、ぼくらはその気になればどこにだっていけるよ》

 

 ふーむ、テンちゃんはそうなんだ。

 面倒だなぁ、パスポートとか語学とか。仮に行くとすれば手続きは桐生院トレーナーに丸投げするとして、とりあえず英語ができれば共通言語にはなるか? でもなぁ、私って海外からの観光客に外国語で話しかけられるとイラッとするタイプなんだよね。日本に来てるんだから日本語話せって。

 自分が腹を立てることを相手にしちゃいけないよね。フランス語と英語は日常会話くらいできるようになっておくべきだろうか。香港あたりも視野に入れるなら中国語も必要か。うーむむ、やる気と時間さえあればできるようになるのが私だが、ただひたすらやる気が出ない。

 

《海外の口座に大量の貯蓄があれば、仮に日本が大不況で銀行が潰れるようなことになってもリスクを分散できるぞ》

 

 ああ、それはちょっと心惹かれるかも。

 中央トレセン学園のブランド力は伊達ではなく、生徒の中には帰国子女や留学生も多い。明らかにアメリカンな雰囲気のタイキシャトル先輩あたりはわかりやすいが、大和撫子然としたグラスワンダー先輩もたしかアメリカ生まれの帰国子女だったはず。

 私にとっては外貨を稼ぐ手段である、なんかデカくて有名なレースってだけの凱旋門賞。でも中には本気で狙ってる子もいるだろうし、そんな子たちはフランス語の勉強から始めているはずだ。現地の資料が読めないなんてお話にならないからね。

 うん、交友関係を広げていって相手の母国語で雑談するような関係を築ければ、将来的には解決する問題だな。各種三冠を狙う現状のプランでは少なくともシニア級までは海外遠征の計画が入る余地はないわけだし、未来の私に期待しよう。デビュー前の私にはちょっとばかし余裕がない。

 

《リシュがそれでいいならぼくだってそれで構わないさ。目の前のことからひとつひとつ片付けていこうか》

 

 

 

 

 

 というわけで朝食を済ませ登校。

 学生の本分である授業中である。何気にクラスメイトだったマヤノがすやすやと教科書の陰で寝息を立てるのを尻目に、しっかりとシャーペンを握って黒板と向き合う。

 他人より多少は頭の出来がいい方だという自負はあるが、さすがに授業をろくに受けず予習復習もせずざっと教科書の概要に目を通しただけで『わかっちゃった』するマヤノには敵わない。

 授業中くらいはしっかり集中しないとね。

 

 ちなみに、これでもマヤノは当初に比べると真面目に授業を受けるようになった方だ。一番ひどいときは八割がたサボっていたのに対し、今では七割はちゃんと起きてはいる。

 ただ、今日の眠気の残る一時間目から数学というカリキュラムには『つまんなーい』ゲージが上限を突破してしまったらしい。

 

 言っておくがマヤノは数学が苦手というわけではない。

 むしろまだ教わってない公式を自分で発見してぱぱっと計算を済ませてしまう程度には秀でている。だからこそ、というべきか。周囲に合わせた授業の進み具合はひどく退屈なものに感じてしまうようだ。

 

 私だっていまさら教科書の上におはじきを置いて数を数える小学生一年生レベルの問題を解かされれば、簡単で快適と感じるよりはうんざりする気持ちが勝るだろう。たぶんマヤノにとって学校のカリキュラムというのは大半がそうなのだ。

 その傍証として眠っている彼女を咎めようと授業中マヤノを当てた教師は数知れないが、提示された問題にいずれもマヤノはあっさり正解している。

 バクちゃん先輩と違い、わからないからぐっすり寝ているわけではないのだ。いやバクちゃん先輩の『教科書が安眠グッズ』はいくらなんでもヤバいと思うよ。

 

《学級委員長は流石すぎるぜぇ。あいつは頭バクシンだからな》

 

 そういえば数学はテンちゃんの得意科目でもあったっけ。

 ごくたまにわからないことがあっても自分の内側に質問できる相手がいるというのは大変に安心材料である。自室で勉強に躓いたとして、仮に私たちが私だけだったとしたら聞ける候補はリトルココンのみ。

 これはちょっと無理だ。考えなくてもわかる。無理だ。

 

《んー。国語算数理科社会の区分のうち、ぼくの知識と完全に合致しているのが算数だけって話なんだけどね。国語は現代文も古文も文法こそ同じだから点数は取れるけど一部の漢字が違うし、教材となるタイトルも詳細が異なる。理科も九割がたは同じなんだけど残りの一割のウマ娘要素がカオスなことになっているし。

 特に社会はヤバい。『馬』がいないせいで文明の発達がわりと根本から異なるくせに奇妙なまでに歴史は相似しているし、なまじ似通っているせいで前とごっちゃになってテストの点数がエライことになる。戦国のフリー素材とはいえこの世界線の織田信長がウマ娘になってるのには変な笑いが出たよ》

 

 脳内で見苦しい言い訳を垂れ流すテンちゃん。

 

《言い訳じゃないんだけどなあ》

 

 小学校のころ自信満々に大嘘を教えられて、テストでひどい点数取ったの忘れてないからね?

 

《それはほんとゴメンって。反省してる》

 

 ん、ならよし。

 基本的にひねくれものであるテンちゃんがあの一件だけは素直に謝ることから、本当に素で間違ったし、それを心底悪いと思っているのだろう。

 実のところ今となっては口で言うほど根に持っているわけではないけども、たぶんテストを返却されたときのあの衝撃は一生忘れられそうもない。

 

 私はテンちゃんのことを信頼しているが、盲信はしない。というかできない。

 その物怖じしない行動力は私には欠けているものだし、兄だか姉だかと思う程度には頼りがいのある存在だとも感じてもいるが、しょせんは私たち(テンプレオリシュ)の片割れ。

 失敗するときは失敗するし、ときどき極端にやらかすのだ。だからこそ対等に仲良くできているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 午前中は一般的な中学、高校と同じ授業。いわゆる一般教養というやつだがここは天下のトレセン学園。

 午後の授業内容はレース座学、ウイニングライブ、スポーツ栄養学、基礎トレーニング等々、レースに関連した項目となる。

 こういう普通科には存在しない授業を受けていると、自分はトゥインクル・シリーズに足を踏み入れたのだという実感がいまさらながら追い付いてくる。

 一般家庭特有の感覚なのか、周囲に同じようなことを感じている子はあまり見当たらないけど。

 

《小テストはレース関連の方が明らかに厳しいよな。再テストや補習の基準とかさ。

 まあ当たり前か。そこらの普通免許で転がせるたいていの乗り物の法定速度を凌駕する速さで走るんだ。ルールを覚えていませんでした、で事故を起こしたんじゃ選手生命どころか生物学的な命に係わる》

 

 まったくテンちゃんの言う通りで、入学前の私含め学園の外から見れば『トレセン学園=レースで走るウマ娘』の構図になるのだろうけど、レース座学のテストで合格点を取らなければ私たち生徒は選抜レースへの登録を許可されない。

 そして最低一回は選抜レースに出走しなければトレーナーと契約を結ぶことはできず、担当トレーナーがいなければトゥインクル・シリーズに出走することもできないのだ。

 つまり中等部一年で既に担当トレーナーがつきメイクデビューを控えている生徒たちは、あのそれなりに分厚いレース座学の教科書を既に丸暗記しているということになる。

 

 私は中央に合格してから入学までの間にスカーレットに急かされてぱぱっと詰め込んだし、真面目な優等生であるスカーレットが既に覚え終わっているのもわからなくもないが。

 あの思春期ファッションヤンキー少女ウオッカ嬢やバクちゃん先輩がテストに合格点というのもギャップがあるだろう。まあからくりは簡単で、単純にあの内容は名門と呼ばれる家に生まれたウマ娘たちにとっては幼少期から教わる一般常識の延長線上にあるものらしい。

 さらっとレース座学の家庭教師(せんせい)に教わりました、なんて当たり前のように言われると上流階級との生活レベルの格差に怯みそうになる。

 

 僻んでいるとか、そういうつもりはないんだけどこう、なんだろう。

 ぬるいと思って手を突っ込んだ湯船が想定外に熱かったみたいな。

 反射的に手を引っ込めそうになって、こう、困る。

 

 

 

 

 

 まあ私がどんな想いを抱いていようとお構いなしに時間は進み、ついにはトレセン学園の象徴的存在、トレーニングのお時間が来る。

 まだ担当のついていないウマ娘たちは教官が複数名のグループごとに管理しているが、担当契約済みの私たちは桐生院トレーナーのもとで指導を受ける時間だ。

 そっとクラスのみんなから離れるときに突き刺さる視線の数々が痛い。この時期はまだ担当が見つかっていない子の方が多いのだけど、これが徐々に嫉妬や羨望だけではなく焦燥交じりのものになるのかと思うと、今から心とか胃とかが痛くなりそうだ。

 

《ふっ、雑魚どもの視線が心地よいな》

 

 うーんわかりあえない。

 まあ半分は怯んだ私をほぐすための冗談だとは思うのだけど、冗談半分でもそんなこと言えるあたり残り半分のテンちゃんの性格の悪さはなかなかのものだろう。

 

「やっとトレーニングの時間だー。今日のトレーナーちゃんはどんなキラキラしたメニューを組んでくれてるかな?」

「……まったく、背中を丸めるのやめなさいよ。情けない」

 

 一緒にクラスから抜け出すマヤノやスカーレットの存在がとても心強い。

 マヤノは周囲の視線なんて歯牙にもかけていない様子。それよりも愛しのトレーナーちゃんと一緒に過ごせる時間をわくわく期待しているように見える。強い。

 スカーレットは周囲の視線のことも私がそれに負い目のような感情を抱いていることも理解しているが、その上で胸を張ることが先を走る者の務めと割り切っている感がある。まあ周囲に慮っていたら彼女の大好きな一番になんてなれないしね。そういう強靭さは昔から密かに尊敬するところだ。

 レースに関しては私が勝ち続けだけどね。

 

「あはは、ごめんごめん。レースともなれば逆に全然気にならなくなるんだけど……こういう日常的な一面で視線が集中するとどうにも、ねえ」

 

 誤魔化すように笑いながら肩を竦める。

 ちなみに今日の基礎トレーニングはクラス合同だったから、本当はウオッカ嬢もこの場にいて然るべきだったりするのだけど。

 絶賛思春期ファッションヤンキーガールであるところの彼女は『こんなんじゃ逆に身体がなまっちまう』なんて言ってフケてしまった。もっとも、そんなこと言っておきながらサボるでもなく彼女がしっかり自主練していることはわりと公然の秘密である。

 

 教官主導の基礎トレーニングは受けておく方が望ましいが、こちらも担当トレーナーからの申請があれば担当トレーナーとのトレーニング時間に充てることができる。

 ウオッカ嬢も既に担当契約を結んだらしいし、その担当トレーナーはあのゴールドシップ先輩を三年間育成し続けたといういろんな意味での凄腕との噂だ。きっとウオッカ嬢にそうと気づかれぬよう手を回しているのではないだろうか。

 『風が俺を呼んでいるんだよ』なんて言っていたし、今日の彼女はきっとエアロバイクでマシントレーニングをしている。ぶおんぶおん、ばりばりーと口で言いながらバイクを漕いでいるところを一度うっかり見てしまったことがあったっけ。

 

《普段はかっこつけたいお年頃でポンコツかわいいのに、決めるところではしっかり決めるイケメンなのずるいよなウオッカ》

 

 そうなの? 私まだウオッカ嬢のポンコツな部分しか見たこと無い気がする。

 おっと、さすがに付き合いの浅い相手にポンコツ呼ばわりは失礼か。思春期爆発くらいの表現にしておこう。

 

 チームの部室に向かう道すがら、スカーレットが足を止める。

 

「じゃ、ここでお別れね。アタシはスポーツジムに寄ってあのバ鹿を拾ってから行くわ」

「そっかー。じゃあねー」

「ばいばーい」

 

 手を振るマヤノ。大人っぽくなりたいといつも言っているけど、そういう仕草が幼く見られる要因だと思うぞ。

 そういえばスカーレットもウオッカ嬢と同じトレーナーと担当契約を交わしたのだったか。

 桐生院トレーナーの同期、つまり今年でトレーナー歴四年目というまだまだ新人と中堅の境目の人材と聞いたのだけど、私たちの世代の中で指折りの逸材であるスカーレットとウオッカ嬢をまとめてスカウトに成功するあたりかなりのやり手だろう。

 初代URAファイナルズ長距離部門優勝の担当は伊達ではないということか。あるいは()()ゴールドシップ先輩に三年間付随し続けた実績は伊達ではないということなのか。

 

「ええ、じゃあね」

 

 目は口程に物を言う、とはこのことか。

 別にスカーレットは表情ですごんだわけでもないし、声色が昂ったわけでもなかった。ただその眼差しが、灼けるように熱くて。

 

 このチームで力をつけて、絶対にアンタに追いついてみせる。

 

 そう声にならない声で宣言された気がした。

 周囲にアピールするためではない、己の中に秘めた灼熱。だからこそ、無為にしてはいけないものだ。

 私の背中は追われるに値するものなのだろうか。

 それはわからないし、仮に値しないならどうこうと、行動を改めるほど私は生真面目でもないけど。

 少なくともスカーレットは私の背中を追っている。それは忘れてはいけないことなのだろう。彼女と同じ時間をこれまで過ごしてきた、ひとりのウマ娘として。

 

「スカーレットちゃんはリシュちゃんに夢中なんだね。ひゅーひゅー」

「あ、うん。そうだね」

 

 スカーレットの背中が見えなくなってからマヤノがはやし立ててくる。上手い切り返しが思いつかなかったので曖昧に相槌を打っておいた。

 

 スカーレットのところもアオハル杯に参加するためのチームを編成中らしいが、なかなかメンバーが集まらず難航していると聞いた。まだチームの名前さえ正確には決まっていないのでいちいち『スカーレットのところ』とか『ゴールドシップ先輩がリーダーのチーム』とか呼ばないといけないのが何気に面倒くさい。

 

 でもまあ、そりゃあ仕方が無いよなあ。諦観混じりの納得がある。

 だってリーダーがゴールドシップ先輩で、現在の確定メンバーがウオッカ嬢とスカーレットという世代を代表する天才だろう?

 ウマ娘なら誰だって担当には一番に見てほしいと考えるものだ。

 うん、私はちょっと例外かもしれないけど。何なら桐生院トレーナーの手を取ったときはトゥインクル・シリーズ出走チケットになるなら誰でもよかったくらいだけどそれはともかく。

 スカーレットを始めとしたチームメンバーの綺羅星のごとき才能を思えば、二着争いどころかトップスリーが既に確定しているようなものだ。いくらトレーナーの実績が秀でていようと、四着争いをするためにチームに参加申請を出すのは覚悟がいるというもの。

 

 他の担当とチーフトレーナーとサブトレーナーの関係になってアオハル杯チームを結成するのも現状だと難しいそうだ。

 何しろ繰り返すようだがウオッカ嬢とスカーレットは歴史に蹄跡を残しかねない将来の優駿、ひとつの世代の双璧。

 単独でかっさらった形となるゴルシ担当トレーナーは一部のトレーナーたちからひどく恨みを買っている。

 私? 私はほら、うん、桐生院トレーナーはバックに名門桐生院がありますから?

 なんか誰も取ろうとしていなかった地雷案件をひとのいい桐生院トレーナーが引き受けてくれたように見えたのはきっと気のせい。

 

《引き受けてくれた桐生院にはぜひとも恩返しをしないとねー》

 

 ともあれ、もともと名門の出身でもないのにゴールドシップ先輩という極めて癖ウマだが走りさえすれば勝てると言わしめた珠玉の天才を手中に収め、『最初の三年間』で新設の大型レースURAファイナルズで優勝を果たすというこの上ない成果を出したことで火種はあったらしい。

 ゴールドシップ先輩の担当トレーナーはそれなりに交流関係が広い方ではあるそうなのだが、こういうのは味方がいればそれで解決するというものでもなく。桐生院トレーナーでさえどちらの敵にもまわらず、破局を表面化させぬよう緩衝材の役割を果たすのが精いっぱいだとか何とか。

 あくまで学生の耳に届く噂レベルの話でしかないのだが、困ったことに信憑性はある。あまり交流関係の広くない私でさえ状況証拠になりそうなものを二、三個知ってるくらいだ。

 

 それこそ出走登録締め切りギリギリになって、まだチームに参加できていない尻に火のついたトレーナーとウマ娘たちがいやいや流れ込むような形でなければ結成には至らないのではないだろうかという嫌な予感がする。

 

《……〈HOP CHEERS〉……〈ハレノヒ・ランナーズ〉に〈にんじんぷりん〉……そして〈ブルームス〉……既にすべてが出走登録済みで並列して存在しているのが判断を迷わせるところだが……》

 

 心配だ、本当に。そんなことになったら必然的にアオハル杯は最下位から。一番が大好きなスカーレットが崖っぷちからスタートなんて発狂するんじゃなかろうか。

 

《ゴルシT……『最初の三年間』で初代URAファイナルズ優勝……決勝戦でミークに競り勝って……そしてアオハル杯では九月後半のギリギリに届け出を出して最下位からのスタート……やだなぁ、リーチかかってるじゃん》

 

 一方のテンちゃんはなんか私とは全然違うところで嫌な予感に駆られ何かを心配していた。なあに、また例のふんわり予言?

 

《まあね。これでダスカのチーム名が〈キャロッツ〉になったらたぶんビンゴだ。その三年間は修羅の道になることを覚悟しておいた方がいいぞ。ぶっちゃけるとちょっと同時期には走りたくないチームなので……》

 

 ふうん、怖いね?

 もともとトゥインクル・シリーズにおいて三冠を目指すのはいばらの道だし、スカーレットはただの大言壮語で終わるような子じゃない。

 まだレースにおいて敗北の味を知らない私たちだけど、敗北を教えてくれるのならそれは彼女であるべきだ。

 

《うーん、やっぱり精神的にはリシュの方が強靭だよな》

 

 まあね。もっとも、負ける気はさらさら無いけど。

 世代の双璧が彼女たちなら、頂点はこの私たち(テンプレオリシュ)だ。

 

《併走トレーニングでは差し切られたり追い付けなかったりすることもあるけどねえ。案外あっさり他のウマ娘に負けたらどうする?》

 

 まあ、そのときはそのとき。

 巡り合わせと思って私は諦めるから、スカーレットにも諦めてもらおう。

 

「マヤも負けないように気合い入れないとね!」

 

 隣で気炎を上げるマヤノだって世代を代表する優駿になりうる逸材。スカーレットばかり見ているわけにもいかないのだから。

 

 

 

 

 

《ソウルがたかまるぅ、あふれるぅ》

 

 はい、〈パンスペルミア〉合同トレーニング中です。

 千年に一度現れる伝説の超某戦闘民族な宇宙の悪魔みたいなこと言ってるテンちゃん。みんなでトレーニングしていると時々こんな状態になる。ふざけているのは確かだが、実はふざけているだけではなく私も妙な力の高まりを感じる。

 トレーニングで実力が伸びるのはある種当然のことだけど、微々たる差ではあるがこなしているメニュー以上に実力が伸びている気がするというか。

 

《アオハルトレーニングっていったい何なんだろうと思っていたけど、あれってウマソウルの共鳴現象だったんだな。特殊な環境でライバルと切磋琢磨することによって肉体のみならずウマソウルの容量そのものが引き上げられていたのか》

 

 道理に合わないことを何でもかんでもウマソウルのせいにするのはよくないと思う。

 

「不思議だねー。なんだかリシュちゃんと一緒にトレーニングしているといつもよりちょっぴり多めに強くなれる気がするよ」

「おおっ、私も同じことを感じておりました! これも学級委員長の効果でしょうか!?」

 

「……それは関係ないと、思います」

「ちょわ!?」

 

 ただ、私だけではなくマヤノを始めとした皆が似たような感想を抱いてるあたり気のせいではないようだ。

 

《アオハルトレーニング時の共鳴パターンと各人のウマソウルの波長は把握できたし、ある程度意図的にアオハルトレーニングを発生させられるようになってきたよ》

 

 ふぅん? それって強くなれるの?

 

《チートだー、ずーるーいーよーって他のプレイヤーが地団駄踏むくらいにはね。ゲームだったころと違ってどんな副作用があるか未知数だから段階的に進めていくことになるけど……六月までには()()()のアオハル魂爆発までもっていけそうだ》

 

 相変わらず何を言っているのか把握しきれないところがあるけど、テンちゃんも内側でいろいろやっているようだ。

 おふざけが許されるところと許されないところの境界線が意外としっかりしているんだよな、我が半身は。言動こそ軽いが、今回は真面目なパターンだ。

 それはデジタルも同じ。さっきまで『聖地巡礼』と内側と外側でぴったり声を合わせて今トレーニングしているこの森林を拝んでいた二人とは思えないほど真剣に練習に打ち込んでいる。

 

《だってあの森林だよ? 学園の敷地内に森林浴ができる規模の森があるって冷静に考えればバグっているけどあの桐生院の身体能力の優秀さが明らかになったサポカイベント一回目の舞台だよ? SR桐生院にはさんざんお世話になったから拝みたくなるというもの》

「だって同志! 『最初の三年間』のミークさんはここで桐生院トレーナーに特別メニューを与えられて成長したんですよ? いわばここは伝説が生まれた土地、万能なる白き女神の力のみなもとが秘められた霊地です! 磨かずにはいられませんよ!!」

 

 ごめんね二人とも。せっかく日本語で話してくれているところ悪いんだけど半分もわからないや。

 まあ学園の敷地内に森があるのがおかしいというのには同意する。URAの財力あらためてやべえよね。

 

「ウマ娘ちゃんたちと空間を共有している。それこそがかけがえのない奇跡! ならば能力の上昇なんて恩恵も当然発生しましょう。そんな些事に気を取られてトレーニングを疎かにするなんてありえないのです。あたし、もう一周走ってきますね!」

 

 今のデジタルは普段の境界線がふにゃふにゃした口ではなく、きっと引き締まった真剣な表情をしている。大きな赤いリボンも相まってまるでアイドルのような美少女ぶりだ。目がちょっとばかしイっちゃってる感はあるが。

 チームメンバーはみな不真面目からは程遠い練習熱心な子ばかりなのだけど、その中でも単純な熱量で言えばあのバクちゃん先輩を差し置いてデジタルがトップだろう。

 例えるならバクちゃん先輩は手を抜くなんて頭の片隅にも浮かばない全力全開バクシン学級委員長だが、全力を出し終えたらダウンするからっとした気質。対し、デジタルは自身の限界以上で常に『萌え』続ける粘着質な炎だ。ちょっと自分でも何言ってるのかわかんなくなってきた。

 

「負けませんよー、バクシンバクシーン!」

「……むう」

「マヤちゃんテイクオーフ!」

 

 デジタルの熱意にさっきまでバテバテだったバクちゃん先輩がハーハッハッハと高笑いしながら続き、ぼーっとした雰囲気の中たしかに瞳に炎を灯したミーク先輩がそれを追う。さらにマヤノが追走していったのを見て、私も遅れないように走り出した。

 たしかにアオハル魂なんてオカルト、些末なことかもしれない。腐葉土のやわらかい感触を足の裏で感じながらそう思った。

 

 こうして、私たちの何気ない一日がまたひとつ重なっていく。

 

 


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