「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
引き続きアヤベさん視点です
前回のギミックをノーヒントで見つけた読者が多くて戦慄している
すげえなマジで
U U U
「アドマイヤベガ、うちのチームに来なよ」
私はスカウトを受けていた。
新入生歓迎オリエンテーションからまた少しばかり時は流れ、年に四回ある選抜レースに一部の新入生が参加資格を得てからしばらく。
気の早い子はもう既に担当トレーナーが見つかっているらしい。私はまだだけれど。
そんな中に彼女はひょっこり現れて、何の前触れも無くそんなことを宣った。ちなみにここは山の中だ。
もう一度言おう。ここは山の中だ。どうしてこんなところで出くわすのか。わけがわからない。
『中央はレースを志すウマ娘にとって必要な物・場所すべてが揃っている』。ずいぶんと御大層な広告文だと思っていた。
ただ、大げさではあっても根拠が無いわけではなかったみたい。学内の設備が充実しているのは言わずもがな、学園の敷地外もウマ娘がトレーニングしやすい環境が想像以上に整っている。
そんな野外のトレーニングに適した場所の一つ。休日を使い、トレイルランニングに使えそうな山道の下見を行っているところだった。
山の中ではすべてが自己責任。昔から新月の夜には星がよく見える場所でひとりキャンプを行っていたから、そのことはよく弁えているつもり。
一秒だって無駄にしていい時間は私に無い。だからこそ、本格的なトレーニングを始める前にしっかり下準備をしておくべき。そう考えて今日はルート確認をメインに山道を歩いてみる予定だったのだ。
「お、みーっけ」
前触れも無く銀が目の前に着地する。ほうき星のように輝く葦毛が宙を舞った。
もはや着陸と表現したくなるような軌道で本当に脈絡も無く現れた。
木々に遮られ見通しがよくないとはいえ、彼女はいったいどこから降りてきたのだろう。軌道から逆算したところ、目算だけど十数メートルは離れた場所からひと息に飛び降りてきたような気が……。
もしかして山道から外れていたのだろうか。遭難のリスクが飛躍的に高まるからそういうのはやめてほしい。普通に人は死ぬのだ。自然というものの前では。
あまりにも唐突でシュールな状況に一周回って驚きが消え、常識的な懸念から眉を顰める私に向かって投げかけられたのが冒頭の一言。
長々と前置きされるよりはさっさと本題に入ってもらえた方が好みなのは事実だけど、これはさすがに端折り過ぎだ。
「……〈パンスペルミア〉に?」
「そ、アオハル杯のうちのチーム。ぼくなら一人くらいはねじ込めるから」
アオハル杯チーム〈パンスペルミア〉。
そのエース陣の豪華さやこれまでの戦績もさることながら、アオハル杯の規定いっぱいいっぱいまでチームメンバーがいることでも有名なところだ。
アオハル杯はお祭り企画であるという理念のもと、定期的にメンバーを入れ替えているとも聞く。流石にランキング戦の勝敗に直結するエース陣は固定だが、言い方は悪いがいてもいなくても変わらないメンツは入れ替わりが激しいと。
メンバーの入れ替えを実質的に管理しているのは〈パンスペルミア〉公認ファンクラブ。入学したばかりの一年生にも一定の枠を確保してくれるのだと同級生からは評判だった。
たしかに目の前の彼女ならファンクラブにわがままの一つくらい押し通せるだろう。
「興味ないわ。ドトウさんあたりにでも声をかけてあげたら? 彼女、あなたに懐いているじゃない」
以前の上級生交流オリエンテーションで盛大に素っ転んだキャスケット帽の子。どうしても第一印象で刻まれるレッテルというのは根深いものだ。
そしてあれから時間を経ていまだにそのイメージは覆っていない。
実力面で見れば悪くはないけど特別目立ったところがあるわけでもないウマ娘。ここぞというところでドジを踏むので総合的に言えばマイナス。いえ、ドジは勝負所に関係なく年がら年中やっているかしら。
あのキャスケット帽はいま目の前にいる彼女から貰った宝物なのだと言っていた。ドトウさんの性格的に宝物なら傷ついたり失くしたりしないよう、どこかに大切にしまっていそうだと聞いた時は不思議に思ったものだけど。
――あ、あの~私ってドジでグズでダメダメで……部屋に大切に飾っておこうと思ったのにうっかり燃やしかけちゃいまして~。こうやって身に着けておいた方が一番安全なんですぅ……。
事情を説明しながらドトウさんはそっとキャスケット帽の補修された部分を指でなぞっていた。あのパッチワークはもとからのデザインではなかったらしい。
ウマ娘用に調整された衣類や装飾品はウマ娘の不思議な力の恩恵を受けやすくなる。勝負服がその最たる例。
あれは極端な例だけれども。リボンや髪飾りなど些細なものでもウマ娘が身に着けている限り物理法則を超越した耐久性を得られる。水泳の授業でも『外すと調子が出ない』と頭飾りをつけたままプールに入る子は一定数存在しているし、何なら海水浴のときでさえ外さない子は外さない。塩水も潮風もウマ娘の不思議な力を貫くことはできないのだ。
普段使いしている以上、相応にくたびれてはいくのだけれど。ドトウさんにとってはその不思議な力の影響下に置いておいた方が他のどんな管理方法よりも安全だったみたいね。
……部屋に大切に飾ろうとしていた帽子がどういった経緯で炎上するに至ったのか、気にはなったけど結局聞けなかったのが心残りといえば心残り。冬は暖房器具による火災が多くなる季節だから、そのあたりが原因? ドトウさんのお家は大丈夫だったのかしら。
ともあれ、あんな内気な性格のドトウさんが素直に憧れを口にするほど彼女はテンプレオリシュというウマ娘のファンなのだ。
誘うのなら彼女の方だろう。
「あー、メイショウドトウね。懐いてくれるあの子は可愛いんだけどねー。今チームに引き込むとちょっと距離が近くなりすぎる。それじゃあ完全にこちらに依存してしまうよ。
誰かに憧れて尻尾を振ってその後について歩く生き方が悪いとは言わないけどね。そうだなー、この時期はテイエムオペラオーの太鼓持ちをやってるくらいがちょうどいいのさ」
笑顔で何てことを言うのだろうこの人は。
自分のことをあんなに慕っている子に言うセリフだろうか、それが。
「……嫌いなの、あの子のこと?」
「まさか。自分を慕ってくれる後輩が可愛くないわけないだろ? おっぱいでかいし好き」
同性でもセクハラって適用されなかったかしら。
いえ、まるっきり本気というわけではなくて、たしかネットスラングの一種だったような。というか本気だったらどうリアクションをとればいいのかわからないから冗談だということにしておきましょう。
「べつにあの子の生き方を否定したいわけじゃない。ただぼくらの影響力が強すぎるというだけの話さ。こちら色に染め切ってしまえばメイショウドトウ独自の魅力は損なわれてしまうからね」
「……すごい自信ね」
「事実だからねぇ」
我ながら冷めた目をしている自覚はあったけど、目の前の彼女の分厚い面の皮を貫くには至らなかった。
それも仕方のないことなのかもしれない。その分厚さは根拠のない自信で構成されたものではなく、むしろ誰にも否定しようがない前人未到の実績で織り成されたものなのだから。
私が目指すべき高みの具体例。……でも、コレと同じになろうとは思えないわね。
テイエムオペラオー、さっき彼女が名前を挙げた同級生。演劇の合間に人生をやっているような騒々しいウマ娘と被るものがある。上級生交流オリエンテーションのときも騒がしく高笑いしていた彼女のことは、どうも好きになれなかった。
フィーリングが合わないとでも言うのだろうか。それとも『見えている世界が違う』とでも言うべきか。何かが噛み合わない、何とも言えない気持ち悪さに通じる違和感が彼女たちにはある。他人のことをとやかく言えるほど自分がご立派なウマ娘だと思っているわけじゃない、でも。
何と表現するべきなのか適切な言葉が見つからないけど……強いて当てはめるのなら『異質』なのだ、彼女たちは。
「それにメイショウドトウは執念の子だ。放っておいたってシニア級になる頃には開花しているだろうさ」
先ほどこき下ろしたかと思えばこんなふうに、ドトウさんを認めているようなことをここで口に出してみせたりもする。本当に彼女の色の異なる左右の目にはどのような光景が映っているのだろう。
ドトウさんの前で言ってあげたら文字通り泣いて喜ぶでしょうに。どうして私の前で言うのかしら。
「そんなことよりピンチなのはきみたち二人。ナリタトップロードとアドマイヤベガ、きみだよ」
「意味がわからないわね」
反射的にそう言い返していた。
私の実力は同級生の中では頭一つ抜けている。それだけの努力をしてきたつもりだ。
あの子から奪い取ってしまった枠に報いるため、鼓動の一つだって無駄にせずつぎ込んできた自負がある。
それを否定するようにも聞こえる発言に知らず耳が後方に絞られていた。
目指す先に待ち受けるのは困難かもしれない。でもデビューもはたしていないこの段階から危機的状況に陥るほど私は弱くない。心配なんて、いらない。
「今のきみが強いのは認めるよ。でもそれは完成度の差によるものだ。潜在能力の最大値で言えばきみたちの世代はテイエムオペラオーがトップで、ナンバーツーがメイショウドトウ。この順位は揺るぎない」
「それほど見る目に自信があるのならトレーナーにでも転職したらいいんじゃないかしら?」
「おいおい冗談だろう? このぼくらがこの時点で現役引退なんてレース業界の損失でしかないぜ。まー、ぼくらならトレーナーでも大成できるだろうけどさー」
「……」
根拠のない自信が日々一人カーニバルしているオペラオーと違い、しっかり実績がある分たちが悪い。
「ねえアドマイヤベガ。きみはテイエムオペラオーがトレーナーと契約したってことは知っているかい?」
「……いちおうは。クラスの子たちが話していたのを聞いたから」
他人のことでよくもまああそこまで盛り上がれるものだと思う。名前すら憶えていないクラスメイトたち。とりわけ聞き耳を立てているわけもないのに、大声できゃあきゃあ騒ぐものだから嫌でも耳に入ってくる。
トレーナーとの契約はこの学園において一大イベント。でもあそこまで屈託なく話題にすることができるのは新入生のいまだからでしょうね。これが二年、三年と時を経てデビューもできずに引退する者が増えれば。きっとあれほどまで能天気に大声でどこの誰が契約しただなんて口に出すこともできなくなるはず。
だからそれまでの我慢……そのときになったらなったで話題が変わるだけで、騒がしさは変わらない気もするけど。
オペラオーと契約したのはワンダーアキュートさんのトレーナーだ。
ワンダーアキュートさんは現役最長GⅠ勝利記録をもつダート界の大御所。担当にGⅠを獲らせたという実績はそれだけで中央の数いるトレーナーの中でもひときわ輝かしいもので、トゥインクル・シリーズの歴史に更新するべき一文を残したという点では紛うことなき名トレーナー。
ただ、アキュートさんが現役最長GⅠ勝利やトゥインクル・シリーズ現役十年目という大記録を樹立している陰で。
彼もまた中央トレーナーの責務として何人か追加でウマ娘を担当したものの、彼女たちにはGⅠ勝利ほどの芳しい成果を出すことはできなかった。アキュートさんほど長く走り続けることもできず、彼女たちは一部のファンに惜しまれながらひっそりレースの世界から消えていったのだ……などと微に入り細を穿つような内容までべらべらと噂話で垂れ流していた彼女たちは、いま思えばどこを目指しているのだろう。ファンが高じてこの道を選ぶ子って案外多いのかしら。
それと、聞き流していたはずの情報を意外なまでに記憶していた自分にも驚いた。興味がないつもりだったけど。
いえ、これは憶えておいても別に損のない情報のはず。トレーナーの情報はレースにも影響が色濃く出る要素だから。私は揺らいでなんかいない。
「女神が平等とは程遠い、自らの気に入った相手を徹底的に偏愛する存在だってことはわかっていたつもりなんだけどねー。トレーナー学校で七科目首席で表彰されたエリートがアキュばあばとの十年間で経験と実績を積んだベテランとなり、満を持して世紀末覇王の育成に取り掛かる。ある意味でどこかの誰かが見たかった理想のIFなのかもしれないけど、ちょーっとえこひいきが過ぎるかなって」
「……何を言っているのかさっぱりね」
かろうじてオペラオーを高く評価しているらしいことは伝わってきたけど。
あの騒がしい王様きどりにそこまで見るべきものがあるのかしら。平均より上の実力者ということは認める。でもあの彼女の極度のナルシズムに見合うだけの、何か光るものがあるようには思えない。
「要約すればこのままいくと無敗のクラシック三冠もありえるってことさ。それもぼくらの世代以上に圧倒的な、見る者に退屈とさえ言わしめるような結果のわかりきったレースによってね。
世紀末覇王は自らが圧倒的な実力者たらんとしているが、一方でレースとは独りではできないものであることを重々承知している。同世代に肩入れするのは彼女の意に沿うものであるはずだから、ちょっと世話を焼いてみようかなって」
「…………だから、どうして私なのよ? ドトウさんか、あるいはトップロードさんあたりにでも声をかければいいじゃない」
ナリタトップロードさんも交流オリエンテーションで私たちとリレー形式で競ったウマ娘の一人。錘入りリストバンドの重さを知りたがった金髪栗毛のあの子だ。
周囲の期待に応えるのが好きという私とは真逆の性格の持ち主で、入学式からさほど時間の経っていないこの時点で既に『多くのクラスメイトから頼られる学級委員長』という立場を築き上げている。
不器用だと自分では言っているし、実際にその走りに小器用さはない。あの大きなストライドでは悪路や小回りのコースに苦戦することでしょう。ただ対人面に至ってはあれほど多くの人々と交流し期待され、それで破綻も無くむしろ期待を自身の力に変えるその生き方は器用極まりないと思う。私のような人間からすれば、特に。
人好きのするあの子ならチームに誘えば断らないでしょう。嬉々として二つ返事で受け入れるのが目に浮かぶもの。
私は独りでいい。独りがいい。
手を差し伸べてくれなくても結構。私はそれを望んでいない。
救われたいなんて思っていない。そもそも『助けてあげよう』なんて上から目線で接してくる相手には嫌悪と苛立ちしか感じない。
私が進むこの道は私が自分の意思で選んだもの。仮にその先にあるのが破滅だとしても、厭う理由にも避ける理由にもならない。
だってあの子は生まれてくることすらできなかったのに。その事実から目を逸らして私が私だけの幸せを掴むなんて、そんなの許されない。
誰よりも私が私を許さない。
「ん、なんとなく?」
殴っても許されるんじゃないかと三秒くらい本気で考えた。
あからさまに他人の心の襞に指を突っ込んでおいて、動機がそれではあまりにも報われない。
ただ幸か不幸か、彼女の言葉にはちゃんと続きがあった。
「なんとなく、きみとぼくは似ている気がするんだよねぇ。だから覇王世代の誰よりも放っておけなくってさ」
似ている。
それは第一印象から理屈をすっ飛ばして私も感じていたことだ。
でも、似て非なる存在。
彼女は自らを犠牲に半身を生かした。
私はあの子を守れなかった。すべて終わって手遅れになるまでその存在すら知らなかった。
羨望と評することすら生温い。目を背けていた感情は、彼女に向けるそれはもはや憎悪か殺意と呼んで差し支えないほどに醜く煮え滾っている。
「それにこのままじゃあきみの妹ちゃんは菊花賞の後に消えてなくなるだろうから。ファン数を稼いで運命のトレーナーと巡り合えてさえいれば、もしかしたらそれを避けられるかもしれないとなればね。やっぱり優先したくなるのが人情だろ?」
「――は?」
全文を日本語で構成されているはずのそれが、まるで意味を理解できなかった。
耳の奥で甲高く何かが罅割れた音が響く。空耳だとわかっていたけど、何かが割れたのもきっと本当のことだった。
なにを、いっている?
「ああ、やっぱり気づいていなかったのか。妹ちゃん、きみの中にいるよ。ちゃんと一緒にいる。共にここまで歩んできた」
「うそ」
あの子がいるのは空の果て。
ふたご座で最も明るいあの赤い星と語らうために、あの冷たくて静かな場所まで栄光を届けるために、そのためだけに私はこれまで走ってきた。
「星空にいると思っていた? たぶんそれは星の光を浴びることで巫女としての性質が増幅されているんだ。新月の夜にポルックスの光を浴びると巫女パワーが最大まで増すとかそんな感じで。いやはや、中央の芝レースにナイターが無いのが残念だったね」
「わけのわからないことを言わないで! あなたが何を知っているというの!?」
私の言葉を聞いた彼女の顏から笑みが消える。
まるで化粧落としのコマーシャルのように。見えない手で顔の表面を拭われたかのようにいっさいが抜け落ちる。
「知っているさ。いまのきみよりは、ずっとね」
息をのんだ。
激情をゆっくり宥め鎮めるのではなく、瞬時に沈静化させるもの。まるで山火事に爆弾を落とし酸素を消滅させることで鎮火するように。その激情をはるかに凌駕する衝撃。
ゆらりと右目が赤く輝く。
「わからないはずがないだろう。誰もわからない罪の味。きっと告白すれば、みんな言ってくれるさ。『仕方のないことだった』『そんなことを気にしても無駄だ』『その子の分まで幸せに生きればいい』、言葉は違えども意図するベクトルは同じセリフを。
だって彼らは知らないんだもの。その子がこの世に存在したということを。感じたことがないんだもの。あの温かい命の息吹を。それを踏みつぶしていま自分がここにいるのだと思い知ったことがないんだもの。
己が内に抱えて生きていくしかない汚水を煮詰めたような優越感。その味を知らないはずがない」
飽和し過ぎて凪いでいるように見える狂気にも似た、あるいはそのものの吐露。ここまで人間というものは純度が高くなるものなのか。
狂人のたわごとのように意味不明で支離滅裂で、だけど目を逸らすことも耳をふさぐこともできない異様な熱がそこにあった。
何より共感してしまった。
言っていることに、その内容に。私はおぼえがある。心の奥底にしまい込んで直視しないようにしていたはずのそれらが、勝手に解き放たれてわかりやすく並べて晒されている。
「ぼくはそれが嫌だったから抗った。絶対に嫌だったから命まで懸けた。そして幸か不幸か成功した。それが誰にとっての幸運で、誰にとっての不幸なのかは知らんがね。もしも仮に失敗していたらどうなっていたかな。懸けた命を失うくらいならまだマシだけど。仮に自分独りで生き残っていたら世界を滅ぼそうとしていたかもなぁ。
え、物騒だって? まー昔はぼくも尖っていたのさぁ。べつに本当に世界の滅亡を望んでいたわけじゃなくてね? 世界の敵になりたかったんだ」
何やら物騒なことを言い始めた後半は私ではない誰かに向けられているように感じた。
きっとそこにいるのだろう。私には見えない、彼女が守り通したもう一人の彼女が。
……私にもいるのだろうか。
本当に、あの子はちゃんと今も私の隣にいてくれるのだろうか?
「だって可哀想じゃあないか。我が子だって思って育ててきたモノの中身はまったくの赤の他人なんてさ。筋が通らないじゃないか。だからせめて『お前なんて生まれてくるべきじゃなかった』という親の慟哭に世界中が心から同意するような、そんな存在になるべきだと思うんだよね。じゃないと生まれてこられなかったおちびさんに不実だろ?
そういう意味じゃあ真っ当な方法で栄光を打ち立てようとするアヤベさんの贖罪方法は実に穏当で生産的だよね。腐ってもそこは基本的に温厚で品行方正なウマ娘ってことかな」
…………私も、あまり人に言えるような生き方をしていない自覚はあるけど。
彼女は拗らせ過ぎね。『彼女たち』が今の在り方に留まっているのはレースを志す多くのウマ娘にとっては福音となりがたいものであったとしても、世界の平和のためには間違いなく幸運なのでしょう。
そして、やはり信じられないわ。
長年大切に背負ってきたつもりだった罪悪感は、いつのまにか切り離しがたく私の血肉を蝕んでいた。
「さあ、この手を取って。タキオンの育成ストーリーを始め運命を覆すのは不可能じゃないけど、それも一定以上の“願い”を集めた上でトレーナーの助力あってこそ。このままじゃあ下手するときみの脚は菊花賞の後に壊れてしまうよ」
「あの子に栄光を送り届けることができるのなら、砕け散ったって構わないわ。それで終わってしまってもいい。……ふさわしい報いよ。安穏と自分のために走るくらいなら、それこそ死んだ方がマシ――」
ずどん、と衝撃。ふわり身体が浮き上がる。息が出来ない。
禍々しく輝く赤が私の瞳を射抜く。
「『死んだ方がマシ』なんて言葉はなぁ」
襟首に手。片手で軽々と持ち上げられている。自分よりもはるかに小柄な彼女に。
五感を通じて認識できた事実だけが脳内を通り過ぎていく。それ以外は何も考えられなかった。
ただ身を強張らせることしかできなかった。
「一回死んでから言えよ。価値観変わるぜぇ、マジで」
とすん、と地に降ろされたが脚に力が入らずそのまま尻餅をついてしまう。
ようやく身体に認識が追い付いたのかどっと汗が吹き出し、肩が上下するほど呼吸が荒ぐ。
「ああ、ごめんっ。どうにも最近変わりつつあるというか混ざっているというか。たまーに“掛かる”ことがあるんだよね。これがウマソウルになるってことなのかな。案外ぼくがぼくのままでいられる猶予は短いのかもしれない。んー、あと一年くらいはいける気がするんだけどなー」
謝罪も釈明もむなしく私の鼓膜を揺らすだけだった。
“死”を感じた。いまだかつてないほど濃厚に。
でもあれは殺気だったのだろうか。受けている最中はそれ以外の何物でもないと感じていたけど、過ぎ去ってみるとやや異なるものという気がしてくる。
押し付けられたのだ。彼女の中にある“死”の実感。それを無理やり共感させられた。奇怪な表現になるがそう理解するのが一番しっくりきた。
「大丈夫?」
いつまで経っても地面にへたりこんで呼吸を整えている私に業を煮やしたのか手が差し伸べられる。
さっきの苦味が口の中にへばりついている私に、その手を振り払うという選択肢は無かった。
小さな指と掌がひんやり接触したかと思えば、相変わらずひょいと起こされる私の身体。自分の体重が軽くなったような錯覚を覚える。
ウマ娘同士、お互いに相手を持ち上げることが可能なのは承知の上。でも私の方が彼女より大柄である以上、私の方がずっと体重が重いはずなのだ。
自分より重たいものを片手で振り回して身体の軸がまったくブレない。いったいどんなバケモノじみた体幹をしているのか。少なくとも今の私には無理。この矮躯でありながらバ群の中で削り合うような激戦の数々を制することができた理由、その片鱗が窺える。
現状と無関係な方向に考察が進むのは一種の現実逃避なのだろうか。
「……ああ、なるほど」
青い瞳が私の眼窩をするりと貫通してその奥を照らし出す。
「テンちゃんの記憶で見たよ」
そして詩を吟ずるように、いつかの誰かが抱いた想いを彼女は朗々と口にする。
決して輝かしからざる性質であるはずのそれは、しかし彼女には何より大切な宝物に見えているのだろう。一節一節、さらさら流される過去の幻想はきらきらと白く眩い。
紡ぎ終わったあと、うっすら積もった初雪に足跡をつけるように彼女はこう言い放った。
「あなたは自分の脚が血と脳漿で汚れて見えているんだ」
呼びかけに使われた二人称の違い。口調に宿る明確な温度差。ひとつひとつは断片だけど確信するには十分すぎるほどだった。
いまの彼女は先ほどまでのテンプレオリシュとは別人。『彼女たち』の妹の方だと。
「……正直なところ、私はテンちゃんほど気安く他者の心に踏み込めない。ことの善悪はさておき全般的にそういうのが得意じゃない。でも、きっとこれは私にしか言えないことだから。『救われた妹』にしか言えないことで、たぶんあなたと似たような境遇のそれってこの世に私たちくらいしかいないから。言うよ」
言い訳がましく前置きしたわりに、その後の言葉はあっさりと続けられた。
「生まれてくることのできなかった
「嘘よ!」
かぶりを振って強く否定する。
だって私はあの子の恨み言を聞いた。
どうして? どうして私は生まれてくることができなかったのにお姉ちゃんは生きているの?
よかったね。走るのが楽しくて。
私は走ることもできなかったのに。何で楽しむの?
ごめんなさいって何?
悪いと思っているのなら私にちょうだいよ。全部ワタシにチョウダイよ、その身体も命も人生もぜんぶぜんぶ、ねえオネエチャン――
「一割くらい本物が混ざっているから逆に始末が悪くなっているやーつー」
やれやれとこれ見よがしに肩をすくめてみせるテンプレオリシュ。今の彼女は姉の方だろう。
コインの表と裏よりも簡単にくるくると入れ替わる。私たちもそんな関係であればという羨望と嫉妬と、もう二度とそんな機会が訪れることはないという絶望が身を焦がす。
「生者を恨み、その身命を奪わんとする。それを悪霊と呼ぶのだ。きみの妹さんは悪霊なんかじゃない。信じてやりなよ。お姉ちゃんなんだろ?」
さきほどの幻聴が罅割れた音だったとすれば、今度はその罅が決定的に広がり砕け散った音がした。
はらはらと見えない欠片が散らばって、その鋭利な断面で私にとりついていた何かを切り離していく。
「ほ、ほんとうに……?」
喉から洩れた自分の声は笑ってしまうくらいか細かった。
信じていいのかしら。
私を恨み咎めているのは私だけなのだと。
あの子は今も私のすぐ傍に、隣で一緒に走ってくれているのだと。
そんなあまりにも私にとって都合のいい、ご都合主義の夢物語みたいなそれが真実なのだと、本当に信じてしまってもいいのかしら。
《お姉ちゃん。わたし、ここにいるよ?》
あたたかなものが胸の内に溢れた。
そう、ずっとそこにいたのね。
ごめんね。気づかなくて。ダメなお姉ちゃんでごめんね。
あなたのことを見つめようとして、ずっと見当違いの方向に目を凝らして。
気づけば罪悪感に塗れた自分自身を見つめるのに忙しくなっていた。自分だけを見るのに忙しくて、いつしか自分さえ見えなくなっていた。
ありがとう。こんな私にずっと寄り添っていてくれて。
「お願いします」
歩み寄り、縋りつくように目の前の彼女の手を取る。
あの子が私と共にあるというのなら、私が転べばあの子も巻き込まれる。
こんな身体、いつ壊れてもいいと思っていた。あの子を押しのけてこの世に生まれ落ちた罪の象徴。派手に壊れるくらいがふさわしい報いだと思っていた。でも今となっては価値が反転する。
クラシック級の菊花賞の後。そこに私の滅びがあると言うのなら。最短であと一年半しか猶予が無い。そしてあえてデビューを遅らせて時間を稼いでも、逆に破滅は避けがたくなるだろうという嫌な予感がした。
ここだ。今この瞬間こそが分岐点。
見当はずれの方向に爆走していたはずが、何故か天から蜘蛛の糸が降りてきてくれた。縋りつくならここしかない。
「どうか私たちを助けてください」
「まかせとけ! って言いたいところなんだけど――」
ひやりと臓腑の底を冷気が通り過ぎて行った。
思えばあまりにも無礼千万な態度を取っていた気がする。愛想をつかされた? 既に蜘蛛の糸は切れていたのだろうか。
「結局のところ、ぼくらはきみたちと同じ。一番大切なのは
……まったく、オリエンテーションの時といい。
この人は最後に台無しにしないと気が済まないのだろうか。
でも、言っていることはきっと世界の誰よりも理解できたし、共感できた。
だから信頼できる。
「それで、いいです」
「よし、決まりだね!」
ぱん、と乾いた音と共に彼女の小さな両手が私の手を包み込む。
「よろしく後輩! 一緒にハッピーエンドを目指そうじゃないか」
かくして私は〈パンスペルミア〉の所属となった。
この道が本当に正しかったのか、今はまだわからないけど。
かつて見当はずれの方向に向かっていたのだとしても、覚悟はあの頃と何も変わってはいない。
たとえ空の果てだったとしても私はたどり着いてみせる。あの子のもとへ。どんな障害があったとしても挫けることはないだろう。もうこれは確定事項だから。
ただ一つ。テンプレオリシュを人生の師と仰ぐようになり、彼女たちの生態を把握したときから私の中で新たに生まれた夢がある。
叶うかどうか、こちらは手がかりすらさっぱり掴めていないけれど。
「うるさいほどによく喋るウマソウル、か……」
いつか、あなたの声を聴いてみたいな、なんてね。
《わたしの声が、いつかちゃんとお姉ちゃんに届く日が来るといいな》
基本的に自分はネット小説特有の表現よりも行間を詰めて紙に印刷すればそのまま通用するような表現の方が好みなのですが、ハーメルンはネット特有の表現が多彩なのでたまに挑戦してみたくなるのですよね
Q.アヤベさんからの覇王世代の呼び方おかしくない?
A.原作では「高等部:アヤベ、トプロ」「中等部:ドトウ、オペラオー」でしたがこの世界線では全員横並びの同級生になっている影響です。ドトウは誰に対しても下から目線ですが他の三人は意外と同級生か否かで言葉遣いが変わるので。