「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
しんと一度ほど室温が下がったような沈黙が降りる。
「これまでリシュちゃんがなりふり構わず全力疾走したのって、トゥインクル・シリーズの中だとたったの二回だけなんだよね。バクちゃんのときと、スカーレットちゃんのとき。
リシュちゃんは自分の身体をすっごくコントロールしている。ほんとうの意味で限界ぎりぎりまで酷使できるから、その限界まで追いつめられたらあえてそれを踏み越えるようなことはしないの。それがウィークポイントになるんだ」
まーねー。
みんなが全力で、限界を超えてぶつかり合うからこそレースは素晴らしいもの。そんな幻想を私は共有していない。
だってたぶん私の知っている限界と世間一般で言われている『限界』って根本的に精度が違うから。
私の把握している限界は超えたら何かしら損なわれるものだ。身体とか、命とか。しんどいだけでそのずっと手前でブレーキ踏んでいるやつらと同列に語られても困る。
ただ、安全マージンを確保していないわけじゃない。むしろシニア級になって身体が完成しコントロールの精度が上がり、目的意識も明確になったことで『これ以上は超えないようにしよう』という一線はクラシック級の頃より明確になった。
マヤノが言いたいのは私がこれ以上はもう無理だとブレーキを踏むその境界線まで追いつめるってことで、本当に私の脚をへし折りたいわけじゃあないだろう。
言葉こそ過激で誤解を招きかねない表現だったが、彼女は顔色も変えず誰かを傷つけようと提案できる子じゃない。
私が自らに課した過酷なローテを活用し、人数差という覆しようのないアドバンテージをもって、どうしようもない部分をダイレクトに削りにきたわけだ。
まあ別にへし折るならへし折るで構わないけどね。
私も次スカーレットとか相手にするときは『もうこいつ私のために死んでもいいかな』って勢いで潰しにかかると思うし。
「……え、いやアリなのかそれ?」
突出した実力を有するウマ娘がいる場合、その他大勢に包囲網を布かれる例は往々にして存在する。
誰だって勝ちに来たのだから。正攻法では勝てないほど実力差がある相手なら、その実力を発揮できない展開に追い込む。至極当然の流れだ。
ならばレースに出走する全員から目をつけられるほど突出していれば、周りから寄ってたかって足を引っ張られる。実に論理的な帰結である。
ただし匙加減を間違えてしまえば。事前に示し合わせて己の勝利を捨て、本命の足を引っ張ることに終始してしまえばそれは八百長だ。
レース業界を永久追放される禁忌中の禁忌。
チームで勝利の栄光を追い求める海外ではまた別の評価が下されるし、アオハル杯では前提に近い作戦の一つだが。それでもなお公式レースという場においてその行為に対する忌避感は根深く、反射的なものですらある。
顔を顰めたウオッカの疑問はその証明のようなものだった。
「アリだよ」
そんな彼女へ真っ先に肯定を投げ返したのはまさかのテンちゃん。
「談合は業界追放モノのNGだが、これはそうじゃない。だって自分が一着になるという大前提が揺らいでいないわけだからね」
なるほど、言われてみれば妙手だと、何故か包囲される側が誰よりも感心し賞賛している。
私にもマヤノがこの三人を選んだ理由が理解できた気がした。
一年かけて激戦を重ね私を消耗させるという大規模な作戦。そこらのウマ娘を適当に用いればともすれば『一着になるために走る』というレースの大前提を見失い、ただ私の脚を削るための布石として目の前のレースを消費する者が出かねない。人間は弱い生き物だから。
デジタル、ウオッカ、スカーレット。彼女たちなら、哲学だったり信念だったり本能だったり各々抱く動機は異なるが、自らが一着になるために走るというその一点は何があっても揺らがないだろう。
マヤノは自身がそう確信できる相手を選んだのだ。
私たちがここに同席させられたのも策の一環か。
知らないからこそ効果的になる策があれば、知っているからこそ威力を増す策もある。後者の場合、恐怖や重圧を長期間に亘りかけ続けて相手の精神的疲労を狙うのが主となる。
私のウマ娘としての精神はある意味で、クラシック級のスプリンターズSの時点で誕生したと言える。要するに未熟なのだ。これまで十四年間生きてきた経験が適用できないわけじゃないから赤ん坊よりはマシだが、経験が圧倒的に不足している感は否めない。
そのあたりも詳細はともかく実態の方をだいぶマヤノに『わかっちゃった』されているようで。
ただ一つのレースに勝てばいいのではない。勝ち続けることを選んだ私に対して最も効果的な一手だ。
私自身が認めよう。ああ効果的だとも。少しでもリソースの配分を間違えればそこで致命傷を負わされるプレッシャーを感じている。
スリルやプレッシャーに愉悦を覚える性格ではないつもりだったんだけどな。面白いじゃあないか。
《今年の最後には禁止カードが解放される例のアレもあるしな。一年かけてリソースを削り切った後のトドメの一押しにはぴったりってわけだ》
URAファイナルズね。でもドリームトロフィーリーグに移籍したレジェンドたちを禁止カード呼ばわりはちょっとどうかと思うよ。
マヤノトップガンというウマ娘は一般的に感覚派の極致にいるウマ娘だと思われている。実際にその評価は間違っていないだろう。たぶん自分でもそう思っている。
ただ彼女の根底にある数学的センス、特に0か1かを見極める感覚はそこらの理論派など比較にならないほど冷徹でシビアだ。
飛行機のパイロットだという彼女の父親の血なのだろうか。何となくで計算して空中で燃料切れになったら自分も乗組員も全員死ぬからな。
彼女の感覚はこのまま私とレースを重ねても0だと判断したのだろう。だからリスクを考慮に入れた上で1に繋がる選択をした。
別にマヤノがバクちゃん先輩あたりを信じていないというわけではないだろうが。信頼できる相手と確信できる相手はまた別物だ。マヤノはこの作戦がいかにデリケートなラインを突くものであるかを自覚した上で決行している。
まあ、バクちゃん先輩あたりに情報を流してもちゃんと活かしてくれるか怪しいってのもあるだろうけど。レースに関しちゃ頭が悪いってわけじゃないんだけど、どうしても普段の言動がね……。
私の情報を共有してこれ絶対にばらさないでくださいねと伝えた瞬間には『わかりました! 秘密ですね!! 絶対にばらしませんともッ!!』と大声で拡散しながらバクシンバクシンする姿が目に浮かぶようだ。
いや、あの人は本当に大切なところで間違えないだろうと信頼はしているから、そんな未来はありえないのだけど。こう、普段が普段過ぎて信用ならない。
私が考えに耽る間にもテンちゃんの独白は続いていた。
「ナリタトップロードの育成ストーリーじゃ覚醒したテイエムオペラオーに対抗するためアドマイヤベガと同盟を組んでいた。さらにそのトプロ・アヤベ同盟に対抗するべくメイショウドトウが奮起してオペラオー・ドトウ連合が結成され、シニア級はライバルとの共闘で運命を切り開くというのがテーマの一つだったわけだが。
特に着目したいのはジャパンカップにおける会場入りの一幕だ。その時点でトプアヤ同盟は解除され同期四人の横並び勢力となっており、その上で偶然ばったりアヤベさんとレース場前で出くわすんだが、そのとき彼女たちは『別々に会場入りするのは久しぶり。昔に戻ったみたい』という旨の発言をする。つまりそれまでは一緒に会場入りするくらいべったりな関係だったわけだな」
情緒が溢れた結果として情報の濁流となるデジタルとはまた異なる、絶対に誰かに理解させるために喋っているわけじゃないと聞く者に確信させる言葉の羅列。
うんうんとひとり頷き勝手に何かに納得している。歯切れがよく音量が大きいだけの独り言。
私はテンちゃんのこういうのを聞き流すのにも慣れているしそれが嫌いでもないけど、周囲はそうではないわけで。特にウオッカはドン引きしている。
いや、引いているのはウオッカだけか? 意外と他は動じていないっぽい。
「レースと競馬は違うもの、それを象徴するイベントの一つだと思っている。競馬は公営ギャンブルである以上八百長対策が厳しく、騎手は前日の調整ルーム入室以降外部との接触が著しく制限される。通信機器の使用も制限されるのでスマホゲーなんてもってのほか。最近のゲーム機はオンライン前提だからそういう機能がそもそも搭載されていない数世代前のハードが現役で活躍しているって話だ。
一方でウマ娘はそのあたりがかなりファジーだよね。ギャンブルじゃないというのが一番大きいんだろうけど。ぼくとしてはウマ娘の勝負に懸ける真摯さが本能レベルで刻まれているためわざわざ外部から制限する必要性が薄いという説を推したいところだ。シングレで八百長行為に対する罰則が言及されている点から全くないってわけじゃないんだろうけど、薄汚いヒトミミが絡んだがゆえの悲劇だと信じているよ、勝手にね。うん? スペのキャラスト第二話? ……まあ心が弱っていたらそんなこともあらーね!」
これまで走ってきて恨み言を吐かれた経験が無いわけでもないしね。冗談交じりのものがあれば、抑えきれずに吐露してしまったものもあり。
いずれにせよ私は歯牙にもかけなかった。それは喰らう価値の無いものだ。記憶の片隅に置いて背負うくらいはしてやるよ。
「あー、と……テイエムオペラオーにアドマイヤベガって、今年の新入生たちか? ジャパンカップどころかまだデビューもしてない、だろ?」
すごいなウオッカ。今の時期じゃあ私たちと新入生ってほとんど接点が無いだろうに。
たしかに名前を挙げた二人は新入生の中でも目立つ存在だ。アヤベはその研鑽された実力から。テイエムオペラオーの方はナルシズム全開のその歌劇じみた騒がしい生活態度から。
でも目に留まるのと記憶するのは違う。案外あんな不良気取りの態度で面倒見がいい先輩をやっているのかもしれない。
「ごめんね。テンちゃんが電波受信して会話が成立しなくなるのって稀によくあることだから」
「…………あー、そうなんだなー。まれによくあんのか」
まったく同じ口からラグなしで別人に喋られるのいまだに違和感があるんだよなーって顔してた。ウオッカはそれでいいと思うよ。
突出した才能があるのに常識人ってわりと得難い資質だと思う。少なくとも私たちの世代においては希少価値だ。私含め、天才と呼ばれるウマ娘はどいつもこいつも頭のネジが数本外れていたりぶっ飛んだ思考回路が搭載されていたりするから。
「やおちょー扱いされないよう、ちゃんとマヤも考えてるよー。だって単純に上半期はたぶん、みんな出走するレースがリシュちゃんたち以外とは被らないんだよね。
ウオッカちゃんは安田記念で、おデジはたぶん宝塚の方いくでしょ? マヤは春天だもん。3200mをリシュちゃんたちと全力でやり合った後、さすがにおデジやゴルシちゃんやミークちゃんのいる宝塚まで行こうとは思わないんだよねー。マヤのぼうけんはそこで終わっちゃう」
そう情報を補足するマヤノは感性と思考回路の一部が常人とは根本的に異なるタイプ。いわゆる『わかっちゃった』は他者には真似できない彼女のオンリーワンだ。私と同じカテゴリーと言えよう。
「アタシは? わざわざこんなもんまで渡しておいてただ呼んだだけってことはないでしょうね」
ひらひらと小冊子を振りながら尋ねるスカーレットは根性とか信念とかを抑制するネジが外れているタイプだな。まあネジをはじき飛ばした容疑者筆頭は私になるんだが……いや、あれは生まれ持った資質も大きい気もする。そういうことにしておこう。
「だなー。俺がトレーナーならこの一冊に札束積むぜ。つーかよ、一人一冊渡されたのがちと怖いんだがこれって会議が終わったら返却でいいんだよな?」
「ううん、あげるよー」
「マジかよ」
「まじまじ。あ、トレーナーちゃんといっしょに作ったから安心してね!」
担当トレーナーと共同作成したから外部に流していい情報しか載っていないと暗に告げるマヤノと、うわぁって表情を隠しもせずにパラパラと冊子をめくるウオッカ。
うん、知識量的にはともかく技術的にマヤノひとりの手によるものではないとは思っていたよ。こういう資料のまとめかたって経験が出るからね。本人の口から独断の情報流出ではない裏付けも取れて一安心である。
「でも内容が内容だからうっかり失くしちゃったりしないでね? リシュちゃんが困ったことになっちゃう」
「しねーよ!? このレベルの情報を流出させたらぶちのめされても文句言えねーって」
二人の会話を聞いていたスカーレットの眉間にしわが寄る。
ウオッカが茶々を入れたせいで半ば自分の質問が無視されたかたちになった、というのもあるだろうが。
タダほど高いものはない。この遠足のしおりモドキの価値を知るからこそ一方的な先払いは面白くないだろう。
ましてや彼女はそれを既に受け取ってしまっているのだから。目を通してしまった情報にクーリングオフはきかない。
「スカーレットちゃんの復帰はたぶん秋以降だよね? それも無茶すれば秋あたりからレースに出られるようになるってだけで、スカーレットちゃんとこのトレーナーさんなら安全マージンと再発防止にかかる時間を入れて冬くらいになる可能性が高いよね」
「…………そうね」
そうやって改めて言葉にされると堪えるな。
肯定するスカーレットもだけど、尋ねる方のマヤの方だって相当くるものがあるはずだ。というかレースに関わるウマ娘でこの話題を嬉々として取り扱える者などそうそういない。
それでもマヤノが軽妙な口調だったのはきっと、深刻に話したところで辛気臭くなるだけという気遣いと。
「スカーレットちゃんを呼んだ理由はね。スカーレットちゃんがいちばんリシュちゃんを深く知っているからだよ」
スカーレットをここに呼んだ理由がその先にある以上、大前提として共有しておかないとお話にならないから。
「有馬記念、すごかったよね。マヤは三着だったけど、あのあと何回あたまの中で再現しても三着より上にいくことはできなかった。それだけリシュちゃんたちとスカーレットちゃんは突出していた」
マヤノの瞳がカラオケボックスの薄暗い照明を黄昏色に反射する。今の彼女が見ているのは果たして過去か未来か。
「ぜんぶ出しきっちゃった? からっぽになった? ううん、直後はそうだったとしても今はちがうよね。身体がげんきになっていけば心も動くようになる。どんどん頭の中にわきだしてくる。
ああすればよかったかな。こうすればどうだろう。リシュちゃんがああしてきたらこうして、次は負けない。でも実際に自分ができるようになるのはまだまだ先で、それまでずっと頭の中でぐるぐるさせておくくらいだったら――」
スカーレットの心を読み解くように。スカーレットの心に寄り添うように。そしてスカーレットの心を惹きこむように。
マヤノが『テンプレオリシュから学んだこと』は何も
「マヤたちが試してあげるよ。だからスカーレットちゃんが思いついたリシュちゃん対策、ぜーんぶ吐き出してみない?」
「……っ!」
「あ、あのっ……おそれながら申し上げます!」
ここで声を上げたのはスカーレットではなく意外にもデジタル。
頭のネジ云々で言えばアグネスデジタルは半々だ。特徴的な思考回路に熱が入ると連動してネジもゆるんでいくタイプ。テンちゃんは彼女と一番近いかな。
「ここであたしが口を挟むのは筋違いであると重々承知の上ですが、それでも言わせてくださいっ! たしかにその取引はけっして不平等なものではありません。前払いは十分すぎるほどであり、取引が成立した後も双方に利がある。マヤノさんの明晰な頭脳と穏健な人柄が窺える素晴らしいものです。
しかし! それでもです! ……スカーレットさんとリシュさんの間にあるのは、特別なものなんです。ここで勢いのまま押し切ってしまえばのちのち
「うん、そうだね。そのとおり。というわけでスカーレットちゃんごめんねー、やっぱり今すぐはやめておくよ」
「……ええ、そうね」
「ええー!?」
決死の思いで執り行った異議申し立てがあっさり受理されてやった本人が一番驚いていた。
「おデジありがと。さそっておいて正解だったって、いま改めてとっても思ったよ」
《ああー、デジタルはブレーキ役か。たしかにこの性質の策略を複数人で取り扱うのなら必要だし、彼女にはピッタリだ》
世代では突出した実力もさることながら、そのために引き込んでいたのか。納得の人選である。
勝負の世界では勝たないと意味が無いが、生存競争が遠いものとなった人間社会においては勝てばいいというものでもない。負けたら人生が終わる勝負などそうあるものでは無いし、逆に大衆の目に勝負の様が映るからこそ勝ち方如何によってはのちの人生に悪影響を及ぼすことも十分にありえる。
そして勝負の世界は勝敗が決すればそこで一区切りとなるが、人生は終わるまで終わらない。常識的に考えればどちらを優先するべきかは一目瞭然である。
まあ非常識であることが求められる局面もなくはないんだけど、それはさておき。
マヤノの性分はおおよそデジタルの言う通り。
テンちゃんが吐く子供だまし全開の見え透いた嘘に引っかかるくらい善良で可愛らしい子であるが、一方でシビアな数学的感覚も持ち合わせている。その両者が矛盾なく彼女の中で一体化しているのだ。
ときとして冷酷にすら映る感性に従い勝利のみを目指して邁進していると、いくら彼女とはいえ越えてはいけない一線に触れることもあるだろう。私たちのような二重人格ならぬ者に自身の完全な客観視は不可能なのだから。
今のマヤノには他者を先導し煽動する力がある。仮に彼女が進路を違えたところで、いったい誰がそれを指摘し正道に引き戻すことができるか。
「あ、はい。えっと、あの、お役に立てたのならさいわいです……?」
確実にその役割をこなしてくれる人材がデジタルというわけだ。
レースとウマ娘に彼女固有の確固とした理想と幻想を抱き、それは勝利と必ずしも一致していない。そのせいで取りこぼすものも多いが、そんな彼女だからこそ見逃さないものもある。
アグネスデジタルは彼女が愛するウマ娘ちゃんの悲劇を許さない。きっと本人にその自覚は無いだろうが早期の段階で最大音量での警鐘を鳴らしてくれることだろう。いまさっきやったように。
「マヤノが上半期の本命を天皇賞(春)に据えるのならライスシャワーあたりに声をかけておいてもいいんじゃないかい?」
デジタルの警鐘によってあらわになった未来のしこり、それを自覚したことで微妙に不穏になった空気を入れ替えるようにテンちゃんが新たな話題を提供する。
「うーん。ライスちゃんは知らない方がいい仕事してくれると思う。バクちゃんとかもそうだねー」
ライスシャワー先輩。
私たちの一つ上の世代、バクちゃん先輩たちの同期。本人の適性ゆえ短距離路線を余儀なくされた(というか、彼女の担当トレーナーにいいように言いくるめられた)バクちゃん先輩と違って王道の三冠路線を走り、見事『最も強いウマ娘が勝つ』と讃えられる菊花賞を制した漆黒のステイヤー。
しかしそれはシンボリルドルフ以来の無敗のクラシック三冠を成し遂げようとしていたミホノブルボン先輩の栄華を打ち砕くことを意味していた。華やかな幻想を夢見ていた者たちは期待を裏切られた失意と怒りを、こともあろうか勝者にぶつけた。
“
それに限らず何かと運が悪いというか巡り合わせが悪いというか。道を歩けば信号は赤になり走ろうとすれば雲一つなかった空から豪雨という、どうにも確率統計の壁を越えた不幸が彼女の周りに渦巻いている。
彼女の近くにいればその不幸に巻き込まれることも多いので付き合い方にコツがいる。テンちゃん曰くライスシャワーのウマソウルに付随する不幸パワーをあちらが根負けするまで撃退し続けてやれば一時的に反転して幸福尽くしになるらしいんだけど、あれは疲れるからあまりやりたくないな。かかる労力と得られる時間が割に合わない。
《かのレコードブレイカーを前に前人未到の大記録をひっさげて立ち向かうはめになるとか死亡フラグもいいところだよなー。マックイーンはこの世界線じゃ後輩だからぼくらがその役割を担うことになるか?》
そしてきたる天皇賞(春)において、テンちゃんが誰よりも警戒している相手。
ミーク先輩やバクちゃん先輩、いま目の前にいるマヤノよりも、だ。
曰く、歴代ステイヤー最強候補の一角。特にその魂は大記録を樹立せんとする相手を徹底マークするとき最大限の力を発揮する……当の本人の性格を置き去りにして。
スカーレットたちと同じアオハル杯チーム〈キャロッツ〉に所属していることもあり何度かすれ違うことはあったけど。
こうしてトゥインクル・シリーズで道が交わるのは初めてだな。
年がら年中不幸に見舞われているせいでおどおどと自信なく揺らぐ瞳、その奥底で本人すら消すことができない青い炎が静かに燃える情景を思い出す。
短距離最強のバクちゃん先輩は既に下したことだし、長距離最強に挑むのも筋と言えば筋か。私が自分で選んだんだから当然の結果なんだけど、ただでさえ強い相手を相手のホームグラウンドで迎え撃たなきゃいけないのはひどい不具合だと思う。
「じゃあぼくらは知っている方が都合がいいってことかな?」
テンちゃんがまぜっかえす。
ただ揶揄しているわけではない。既に自分の中で仮説が組み上がっていてもそれはあくまで仮説。それなりに自信のある推論ではあるが、確固たる根拠があるわけではない。
より鮮度の高い情報を。脚を削る前に神経をすり減らせ。少しでも不可避で不可逆の消耗を減らせ。
策謀を戦いの一環と見做す者にとって天皇賞(春)の前哨戦は既に始まっているのだ。つまりそれはマヤノにとっても同様。
「うん。テンちゃんって思わせぶりな態度や言い回しで相手を意図的に誤認させたり、あえて誤情報を掴ませたりすることはあるけど……。言葉でまっすぐ問われたことに明確な嘘を返すことってないよね? そこを明確なラインにしてるって感じがするの。
だからこういう場では最前列まで引っ張り出して素直に質問するのが一番効果的かなって。ちゃんと答えてくれるでしょ?」
「まーね。よくご存じでいらっしゃること」
あははうふふと笑い合う私たちにウオッカが軽く引いていた。
「お前らってさ、仲が良いのか悪いのかよくわかんねーよなぁ」
「なに言ってんのさ。なかよしだよ。ねー」
「ねー。すっごくなかよし」
ぱちんぺちんぴしぴしぐっぐせっせっせーのよいよいよいと手を合わせるマヤノと私。
「みっ」
直撃を受けたデジタルは蒸発した。
「デジタルもしんだし、そろそろ曲入れようか。せっかくの打ち上げなんだ。小難しい話はここらで切り上げてぱーっと歌おう」
「すっごい自然に『やつはしんだ』とか言うなよ!?」
そんなツッコミを入れながらマイクが回ってきたらちゃんと歌うんだから、ウオッカも私たちの世代にちゃんと馴染んでいるよね。
うんざりするような険しい戦いの数々が既に見え始めているが、今はただ仲がいい女子の集いでわいわい騒ぐ時間だった。
次回、ライスシャワー視点
……なのですが!
残念ながらお詫びしなければならないことがあります!
クリスマスの投稿の時点でにおわせていましたが!
実は!
クリスマスに合わせて投稿を始めた結果、章ラストのレースパートが未完成です!!
というわけなんだ、すまない。
たぶん一月中には投稿できると思うから、ゆっくり待っていてきださいませ