「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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なんとか一月中に間にあったぁ!
えらいぞすごいぞやるじゃない。
宣言通り、今回からライスシャワー視点です。

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サポートカードイベント:誰が為にバラは咲く

 

 

U U U

 

 

 『しあわせの青いバラ』になりたかった。

 それは小さいころに読んだ絵本のお話。

 色とりどりのバラが植えられたお庭に生まれた、青いつぼみをつけたそのバラはみんなの嫌われ者。

 だって誰も見たことが無かったから。気味悪がられて、不吉の象徴のように扱われちゃったんだ。

 そうして嫌われているうちに青いバラ自身でさえ自分はダメな花だと思うようになって、しおれてきてしまうの。

 

『やあ、青いバラだなんてとっても素敵だ! きっと綺麗に咲くに違いない。ぜひ買い取らせてください!』

 

 でもね、認めてくれる人もいたんだよ。

 心の優しい、とっても穏やかに笑うお兄さま。

 鉢に植え替えられて毎日声をかけてもらって、ついに窓辺で見事に花開いた青いバラは道行く人たちを幸せな気持ちにすることができたの。

 

 見る人を幸せにできる存在。ライスもレースでそんな存在になれたらって。

 がんばった。いっぱい努力したよ。

 ライスはだめだめで上手くいかないことも多かったけど。トレセン学園でライスはトレーナーさんに、ライスの『お兄さま』に出会えたから。

 きっと今のライスなら。お兄さまと一緒ならみんなを幸せにできる青いバラに。みんなを不幸にしちゃうだめな子じゃなくて、みんなを幸せにできるウマ娘になれるんじゃないかって。

 そう、思っていたのに。

 

 同期のミホノブルボンさんはすごい人だった。

 適性はスプリンターだって言われていた。いろんなトレーナーさんから自分の体質を受け入れて短距離路線に進むべきと諭されていた。

 せっかく将来有望なんだから、いつまでも夢を見ていないで現実と向き合いなさいって。

 でもブルボンさんは絶対に自分の夢を諦めなかった。クラシック三冠が自分の夢だと誰に何を言われても譲らなかった。

 ついにはその夢を一緒に支えてくれるトレーナーさんを見つけて、虐待じゃないかと非難されるくらい凄まじい、ハードなトレーニングを積み重ねて。

 マイルのレースに勝って、中距離のレースに勝った。距離適性の壁を壊した。どうしようもない才能の世界だと言われていたそれを、努力で補えるんだって証明してみせた。

 ……ブルボンさん以外の子たちが真似しようとしたら故障しちゃうから、ハードトレーニングを血肉に変えることができるくらい頑丈っていうブルボンさんの才能あってのことかもしれないけど。

 

 冷たい視線はいつしか期待のまなざしに。あきれを含んだため息は歓声に。

 ブルボンさんは結果で周囲を変えてみせたんだ。

 無敗のままクラシック二冠目の日本ダービーを制し、シンボリルドルフ以来の無敗のクラシック三冠に王手をかけたブルボンさんにみんなが夢中になっていた。

 

 青いバラが夢なら、ブルボンさんは目標。

 あのすごい人に勝てたら、それはきっととてもすごいことだ。だめなライスが胸を張って自慢していいことだ。

 勝ちたい、ブルボンさんに。いつの間にかそう思うようになっていた。

 

 でもライスがクラシック三冠目の菊花賞で勝ったとき、観客席にあふれたのは歓声じゃなくて失意のため息。

 ライスシャワーの勝利はみんなに求められてなんかいなかった。

 ざぁっと血が引いて、指先から凍えていくような感覚。全身が震えて立っていられなくなるほどに。

 一冠目の皐月賞では勝負にならなくて、二冠目の日本ダービーでようやく背中が見えるくらいで。レース展開にも助けられてやっと菊花賞で達成できた目標だったのに、夢はかなわなかった。

 

 花開いてもみんなを笑顔にできないのなら、ライスは咲いちゃいけない花だったんだ。

 なんでがんばってきたんだろう?

 悲しくて、つらくて、消えてしまいたかった。

 そのあとすぐにブルボンさんの故障が発表されて、無期限の活動休止。それもライスのせいなのかなって。

 

 その年の年末には有記念に出ることもできたけど、結果は十一着。どこを見て走っているのかわからないうちに終わってしまった感じ。見に来てくれた人にも、一緒に走った人たちにも、本当に失礼なレースをしてしまったと思う。

 いよいよ、なんのために走っているのかわからなくなっちゃった。

 

 それでも引退しなかったのは、お兄さまがずっと傍ではげましてくれていたのと。

 アオハル杯が始まっていて、ライスはすでにそのチームに所属しちゃっていたから。

 それもくじ引きで決めたらライスがリーダーになっちゃって、チームの名前もライスが〈ブルームス〉に決めちゃっていたんだもん。

 みんなに迷惑はかけられないから、途中で投げ出すことはできなかった……チーム戦じゃなかったら逃げ出していたかもしれない。

 

「ここがライスシャワーさんのチームですか? ミホノブルボンです。いまだステータス『リハビリ中』ですがサポートはできます。チーム〈ブルームス〉への加入を申請(オーダー)します」

 

 そしたらなぜかブルボンさんがチームに加入してきた。やっぱり逃げておけばよかったかも。

 ライスの理想(ヒーロー)と同じチームで、しかもライスの方がリーダーで。何がどうしてそうなっちゃったのか本当にわかんなくて。

 菊花賞のこととかもあってぎくしゃくしたけど。意外と打ち解けるまでに時間はかからなかった。

 

 ブルボンさんは戦績だけじゃなくて中身もすごい人だった。

 一見するといつも無表情で声に抑揚も無い。こわくて、とっつきにくい人みたいに思える。

 だけど、チームメイトとして接しているうちに感情はちゃんとあるし、表現の仕方はむしろ素直な人なんだってわかった。

 ライスよりずっと身長が高くてスタイルもよくて、憧れてしまうようなクールビューティーなのに。お話しているとたまに、ちいさな子供みたいな純粋さを感じることがあるの。ギャップで胸がどきどきする。

 

 少しずつ、ほんのちょっぴりとだけど。周囲のみんなのおかげでライスはまたレースに向き合うことができるようになってきた。

 なってきていたのに……年が明けてシニア級になったばかりの一月、ライスはまたやっちゃったんだ。

 

「チッ、くだらないことしてくれるじゃん」

「ち、ちがっ」

 

 わざとじゃなかったの。

 どこからか学園の敷地内に入ってた黒猫さんがドリンクボトルにじゃれついていたから。もしも中身がこぼれちゃったら黒猫さんもそのドリンクの持ち主の子も悲しいことになっちゃうと思って、ボトルを黒猫さんの手の届かないところに移動させようと思っただけなの。

 まさか全部こぼしちゃうなんて。

 

 リトルココンさんは当たり前だけどすごく怒っているし、騒ぎになってお互いのチームメイトが集まってきて、どんどん収拾がつかなくなっていっちゃった。

 『ライスはそんなことする子じゃない』ってかばってくれる〈ブルームス〉のみんなと、『でも実際にドリンクはこぼれているじゃん』と取り合ってくれない〈ファースト〉の人たち。

 どうしよう、どうしよう。ライスのせいなんだから、ライスがリーダーなんだから、なんとかしなきゃいけないのに。そう思うのに、思うだけで頭が真っ白になっちゃってそれ以上なにも考えることができない。

 

「ただの勝負じゃ面白くないよな? だから負けた方は一生グラウンド使用禁止ってことにしよう!」

 

 ついにはレースで決着をつけることになっちゃった。ライスも学園の生徒だし、そういう展開は別に慣れっこなんだけど……。

 身体が震える。芯から冷たくなって動かない。どうやってライス走っていたんだっけ? わからなくなっちゃった。

 こんなんじゃだめだ。このまま先に進んでもぜったいだめだめなことになる。でも代案なんて出てこない。

 アオハル杯形式でレースして決着っていうのは揉め事の解決策としてビターグラッセさんが提案してくれたことなのに、代わりの案も無しに嫌なんて通らないっていうのは今の動かない頭でもさすがにわかった。

 

「問題ありませんライスさん。オペレーション『友人の汚名返上』を開始します」

 

 ライスのことを友達だって言ってくれて、友達を守るため戦おうとしてくれるブルボンさんの姿がとっても嬉しくて。嬉しく感じている自分がとてもあさましくてみじめになる。

 ブルボンさんはまだリハビリ中なのに。誰よりもあの背中を追い続けたライスだからわかる。今のブルボンさんはかろうじて走れるってだけ。

 機械的なまでのラップタイムで後続をいっさい顧みない逃げを見せつけて“サイボーグ”と畏怖されたブルボンさんじゃない。

 それでも変わらずブルボンさんは“ヒーロー”のままだった。

 

 ブルボンさんをこんなことで走らせちゃいけない。ライスが悪いんだから、ライスが原因なんだから、ライスがなんとかしなきゃいけないのに。

 どうすればいいのかわからない。どうしようもない。今やらなきゃいけないことと、今のライスのできることが致命的に噛み合っていない。

 誰か……だれかたすけてほしい……!

 

『まてい!!』

 

 ライスのあまりにも自分勝手な願いに応じるようにその二人は現れた。

 

「お呼びとあれば即参上! UMA覆面一号!」

「ウマ娘ちゃんのためならたとえ火の中水の中、芝の中ダートの中縦横無尽に駆け回ってみせましょう! 推しの為ならこの命惜しくはありません、UMA覆面二号!!」

 

 不思議な被り物をした彼女たちは周囲を覆っていた嫌な空気をひと息に吹き飛ばして、そのまま自分たちのペースに巻き込んで、気づいたらライスたちの代わりに〈ファースト〉の人たちと五連戦することになっていた。

 そしてあっという間に五レース走って勝っちゃった。

 ええぇ……?

 何が起きたんだろう。一部始終ちゃんと見ていたはずなのにさっぱりわからない。まるで理解が追い付かなかった。

 いちおうアオハル杯形式だとレースごとに距離が変わるからそれに合わせてコースを調整する役割を引き受けたり、レース中は応援したり、ただ観客席でぼうっとしていたわけじゃないよ。でも、でもね。

 なんでUMA覆面一号さん、中距離、マイル、短距離、長距離の四連戦を一人で走って全勝しちゃっているの……?

 距離適性ってなんだっけ? ブルボンさんが知り合いみたいだったけど、その関係なのかな? もしかしてライスが思っていたよりも努力でなんとかなる境界線って広かったりするのかな?

 

 

 

 

 

「もうやめて!」

 

 助けてもらったのに、ライスは恩を仇で返しちゃった。

 

「守ってもらったのに、こんなこと言うのは間違ってる。そうライスだって思うよ。でも、でもね! これ以上はやりすぎだよぉ……」

 

 リトルココンさんが、チーム〈ファースト〉の人たちがあまりにも苦しそうだったから。揉め事になったのはライスのせいで、賭けを持ちかけたのは〈ファースト〉の人たち。勝負が終わってからこんなことを言うのは筋が通らない。ひどいことだ。それでも言わずにはいられなかった。見ているだけでつらかった。

 

「…………そっか、やりすぎか」

 

 それなのに、こんな理不尽をのみこんでくれるんだからUMA覆面一号さんは本当にやさしい人なんだろう。

 強くて、やさしい。それだけ聞くとまるでヒーローみたいだけど……さっきまで嬉々としてリトルココンさんに詰め寄る姿を見ていると素直にそう表現するのもはばかられた。

 

「ふー、あちー」

 

 覆面を外して、銀に輝く髪を天使の翼のように広げてUMA覆面一号さん――もとい、テンプレオリシュさんは去っていった。

 残されたのは解決した問題と、少しだけ仲良くなった〈ファースト〉と〈ブルームス〉のみんな。

 まるで悪いことはぜんぶ持っていかれちゃったみたいで。ライスは助けられたのにろくにお礼も言えなくて。

 

 テンプレオリシュさんはまるで自分が悪役みたいな言い方をしていたけど、ライスにはあの人がヒールだとは思えなかった。

 かといってヒーロー、と言えないとも思う。みんなのために尽くすような英雄じゃない。自分の在り方を曲げないままひたすら突き進んでいった。

 強いて言うなら……ダークヒーロー?

 これまでのライスの価値観に無い在り方。それが何もできなかった後悔と一緒に、とても印象に残った。

 

 

 

 

 

 テンプレオリシュさんのうわさは聞いたことがあった。

 すごい新入生が入ってきたって。

 

 ミークさんと同じ全距離適性の持ち主。ブルボンさんが目のくらむような努力をしてようやく乗り越えた距離の壁を、生まれつき素通りする天賦の才。小柄ながら物怖じしない、かといって熱くなりすぎることもない極めて勝負向きの性格。模擬レースでは距離を問わず連戦連勝。

 完全な一般家庭出身なのに中央トレセン学園に合格した剛の者。お父さんやお母さんが直接のレース関係者って子はそこまで多いわけじゃないけど、家として見ればレースで大きな功績を残した有名な誰かと繋がりがあるのがこの業界のあたり前。

 小さいころから適切なトレーニングができる環境なのかっていうのはそれだけ大きい。それは知識ももちろんだけど。

 家がすごくお金持ちのところだと、才能のある子のためにトレーニング施設から新調してしまうところもあるって聞いたことがある。お金も必要なんだ。

 普通の家に生まれたらそういうのを用意できないから。

 普通の家に生まれたのに中央に合格できるってことは運よくそういう環境に恵まれたか、環境の差をくつがえすことができる努力家さんですごい才能の持ち主ってことになる。

 ……ただ、あくまで『中央に入学できるだけの才能がある』ってだけで、中央で勝ち進められるだけの将来性があるかは別の問題だったりするんだけど。

 そこのところはまだまだ不透明。たぐいまれな適性の広さが話題になっていて、少しだけトレーナーさんたちからも注目されている。

 みんなが話題にするほど有名じゃないけれど、たくさんいる新入生の中では知られている。テンプレオリシュさんはそういう立場にいるウマ娘だった。

 

 正直なところ、ライスと接点はあまりなかった。

 ライスはライスがすごいと思う人たちばかり見るのに忙しくて下級生の子たちはあまり気にすることができていなかったし、最近はそのすごいと思う人たちだって見る余裕が無かったから。

 

「検索中……照合完了。メモリー『テンプレオリシュさんとのエンカウント』の再生を開始します」

 

 だからブルボンさんに聞いてみた。

 

「彼女と出会ったのは日本ダービーを勝利し、私が無敗のクラシック三冠に王手をかけた直後のことでした」

 

 菊花賞に出走しても勝てない。それどころか菊花賞で敗北後、ジャパンカップへ向け調整中に故障が判明して無期限の活動休止に追い込まれることとなる。

 そんな滅びの予言を持ってそのウマ娘は現れた。

 

「クラシック二冠を無敗で制したことにより、世間の評判は概算で八十二パーセントが応援ムードに染まりました。しかし一方で『距離適性の壁は無視しがたいものである』という持論の持ち主は依然として存在し、その中には私に忠告するべきであると熱意に燃える者も一定数存在していました。

 その多くはマスターがシャットアウトしてくださいましたが、いくつかは私の耳に入ることもありました。それゆえ菊花賞への出走をやめるよう言葉をかけられたのはあれが最初でも最後でもありません」

 

 それでも印象に残ったのは、雰囲気があまりにも独特だったから。

 切実で、真摯で、どこか投げやり。

 『4×7が28と世間で言われているのは知っているけど、どうにか今回は35ってことになりませんかね?』と真剣に聞くだけ聞いてみて、ダメだったからあっさり引き下がる。そんなあまりにも奇妙な態度。

 自分の言っていることに覚悟はあっても負い目は無い。押しつけがましい善意や見当違いの義憤も感じられない。

 時期的に学園に入って間もないはずの小さな新入生が、無敗のクラシック二冠という偉業を果たした先輩ウマ娘に臆面も無く提言してみせて、何事を成し遂げることも無く立ち去った。

 

「それが私の記憶領域にテンプレオリシュさんというウマ娘のデータが優先事項として記録され始めたきっかけです」

 

 ブルボンさんは表情も声の調子も変わらないけど、テンプレオリシュさんのことを悪く思っていないことは伝わってきた。

 不思議だった。自分ががんばってきたことを否定されたようなものなのに。どうしてブルボンさんはテンプレオリシュさんや……ライスのことを嫌わないんだろう。

 でも怖くて、聞けなかった。聞くかどうか迷っているうちに話が次に進んでしまった。

 

「その年の種目別競技大会ではかつてクラシック三冠を成し遂げたブライアンさんに勝利し、トゥインクル・シリーズにおいてはメイクデビューから負けなしの四連勝。特に年末の朝日杯フューチュリティステークスでは大差で圧勝してみせました。あのときテンプレオリシュさんがミッション『仲裁』を買って出たとき、私がそれに委ねる判断を下したのは彼女の実力および人となりの一部を把握していたからです」

 

 公式レースの記録は学園のライブラリだけではなく一般の動画サイトにも投稿されているのでスマートフォンがあれば閲覧可能です。

 テンプレオリシュさんのレース、あれは一見の価値ありですよ、なんて勧められて。

 

 ライスも『テンプレ連戦』の名前で広まりつつあるあの事件が終わった後にだけど、テンプレオリシュさんのレースはひととおりチェックした。いちばん手に入りやすい朝日杯FSのレースは真っ先に見た。

 ……圧倒的だった。クラシック級どころか、もしかしたらシニア級の重賞レースにそのまま出走してもいい勝負になるんじゃないかと思うほどに。

 それで、ようやく思い至ったの。

 ライスはもう追われる立場なんだって。すごい人たちに憧れてついていって、追い越そうとするだけじゃもう足りないんだって。

 ジュニア級やクラシック級の子たちがライスの背中を追ってきている。油断したらあっという間に追い抜かされてしまうんだ。

 

「…………それは、いやだな」

 

 アオハル杯プレシーズン第二戦が終わって、ライスたち〈ブルームス〉は残念ながら勝ち上がれなかった。

 そんな中ライスたちと戦って勝ち上がったチーム〈キャロッツ〉から『まだまだチームメンバーが足りないんだけど一緒に走らないかい?』って勧誘されて、移籍することを決めたのはきっと、まだ追い抜かされたくないって焦燥と向上心がライスの中に残っていたから。

 チームリーダーをやっていたライスを始め、ブルボンさんとか〈ブルームス〉の中核を担っていたメンバーが移籍したから実質的に吸収って言った方がいいのかも。

 非公式戦でまでガチで走りたくない、せっかくのお祭り騒ぎなんだから仲良しグループで気軽にわいわいやりたいって子たちは別のチームにいった。そういうのもライス、いいと思うよ。

 でもライスはまだ上を目指したかったんだ。あきらめることができなかったんだ。

 

 それで、移籍して正解だったと思う。〈キャロッツ〉のみんなはライスとお兄さまだけではどうがんばっても知ることのできなかった、いろんなことを教えてくれたから。

 チームリーダーのゴールドシップさんは枠にはまらない破天荒さを、エースであるブライアンさんからはレースへの飢えを、それぞれ学ばせてもらった。

 タイキシャトルさんはみんなと一緒にいることの楽しさを、ウララちゃんは走ることそのものの楽しさを思い出させてくれた。

 ウオッカちゃんからは『カッケェ』と憧れに向かって素直に努力する姿勢の大切さを教わったし、フクキタルさんからは……うーん、自分に自信が無くても他に根拠を見つけて自信満々になるアグレッシブさ? え、えーっと、フクキタルさんからも何か大切なことを教わった気がするよ!

 それで、それでスカーレットちゃんからは……どうしても勝ちたい相手をひたむきに追いかける執念を。

 いつの間にかライスが失くしてしまっていたもの。スカーレットちゃんの中で張りつめて、煮えたぎって、いまにもあふれそうになっているそれを見て、いつか自分の中にもそれがあったことをようやく思い出した。

 今はもう無くなってしまったもの。どこに落としてきちゃったんだろう?

 もう手に入らないのかな? そもそもライスはもう一度あれが欲しいと思っているのかな?

 あきらめられないからまだここにいるはずなのに、自分にそう問いかけたら素直に頷くことができないの。こんなんじゃだめだってわかっているのに。

 ライスはどうすればいいのか、もうわかんないんだ。

 だからチームの中でもことさらスカーレットちゃんを応援して、親身になって、そうすることで結論の出ないライスの中のぐちゃぐちゃからいったん目を逸らすことにした。時間稼ぎに後輩を使っちゃったんだ。ひどいよね。

 でもスカーレットちゃんはそんなライスを受け入れてくれた。自分が少しでも速くなるためなら、目的に少しでも近づけるのなら何だって貪欲に取り込んだ。

 そんな姿が、うらやましく感じた。

 

 

 

 

 

 チーム〈キャロッツ〉への移籍は思ってもみなかった再会をライスにもたらした。

 夏合宿におけるチーム〈パンスペルミア〉との合同演習。

 何でも〈キャロッツ〉のチーフトレーナーであるゴルシTさんと〈パンスペルミア〉のチーフトレーナーをしている桐生院トレーナーはとても仲良しさんらしくって、相談して一緒に夏合宿の間トレーニングすることにしたんだって。

 つまりそれは、ライスがテンプレオリシュさんと一緒にトレーニングする機会があるってことで。

 ……どどどうしよう? ぜ、ぜんぜんそんなこと予想してなかったよ! まだ心の準備ができてないのにあっという間に夏合宿は始まってしまって。

 

 でもテンプレオリシュさんはすごく普通だった。

 七月前半のジャパンダートダービーに出走したから夏合宿への本格参加は七月の後半から。それでもいちおう合宿所には来ていて、最初の顔合わせのミーティングにもいたんだけど。

 あちらから話しかけてくることもなければ、そもそもライスのことを特に気にしている様子もない、

 あれー? もしかしてライスのことおぼえていないのかな。忘れられちゃった? ろくにお礼も言えなかったあのときのこと、ずっと気にしていたのはライスだけだったのかな……。

 

 だけど、すぐにそんなこと気にしている余裕はなくなった。

 ライスの不幸に〈パンスペルミア〉のひとたちまで巻き込まれることが起きちゃった。

 同じチームのみんなならまだ耐えられる。信頼しあえる仲間だから、このくらい大丈夫だと言ってくれるみんなを信じられる。

 でも〈パンスペルミア〉のひとたちは違う。あのひとたちにとって、ライスはただ夏合宿の間だけ一緒にトレーニングするウマ娘のひとりに過ぎない。

 メリットがあるから一緒に行動するだけの関係。デメリットの方が大きかったら一緒にいる意味なんてない。

 迷惑をかけることに、ライスが耐えられない。

 

 さんざんみんなを不幸に巻き込んじゃった一日目。

 二日目の朝、ライスはトレーニングに出るのが怖くなった。

 怖くて怖くてどうしようもなくて、こっそり合宿所を抜け出しちゃった。まだデビュー前の、お兄さまに見つけてもらう前、レースに出走することさえサボって逃げたあの頃みたいに。今はお兄さまの担当ウマ娘なんだから、お兄さまに迷惑がかかっちゃう。そう思っても踏みとどまることができなかった。

 だからといってウマ娘の脚で近隣の街まで遊びにでかけるほど思いきることもできなくって、今のライスは本当に中途半端だ。サボるならサボるでしっかり覚悟を決めて全力で逃げた方がいい。ウオッカちゃんの言うところの『カッケェ』ってやつだ。

 たとえばゴールドシップさんなら『伝説のウナギを捕まえにいくぜ!』とか宣言して、手ごろな漁船をシージャックして沖合に出るかな?

 ちなみにウナギは産卵のため海に下る魚だけど、稚魚はある程度成長すると淡水域に入るからウナギ釣りは主に河川で行われる。そういうハチャメチャなところ含めてゴールドシップさんだから、たぶんそういうこと言うしする。

 海岸に座りこんでぼんやり水平線を見ながらそんなことを考えていると、ふと背後に誰かの気配を感じた。

 

「あれ? おー、ライスシャワーじゃーん」

 

 なんで、このタイミングで。

 『にこにこ』というより『ニヤニヤ』と表現した方がよさそうな笑みを表情に貼り付けてテンプレオリシュさんがそこにいた。

 

「こんなところで何やってんの? ん、ぼく? ぼくはほら、アレ。この周囲やけに多いからやられる前にやれっていうか、湧く前にある程度は潰しておかないと面倒なことになりそうだから。要するに散歩だよ、朝の散歩」

 

 ……そういううわさを聞いたことがあるけど、テンプレオリシュさんってやっぱり不良なのかな? 地元の不良ウマ娘をシメる? とかやっているのかな。

 ちらちらと顔や服をうかがってみるけどケガしたり汚れたりはしていないみたい。でも、返り血も浴びずに一方的に……ってことはあるのかな?

 おそるおそる動く思考が不用意に詰められた距離でぱっと白く散る。

 

「こっ、こないで!」

 

 その距離は巻き込んじゃう距離だ。

 昨日さんざん迷惑をかけちゃったライスの不幸のテリトリーだ。

 

「ん? なんだって?」

 

 なのにテンプレオリシュさんはさらにずかずかと踏み込んできた。

 声が小さかった? 言葉が足りなかった? 理由はどうあれライスのせいだ。

 

「ライスの不幸に巻き込んじゃう!」

 

 あわてて言い直したけど、そんなライスの悲鳴に被せるように鳥さんが飛んできてテンプレオリシュさんに『爆撃』する。

 

「不幸? この程度で?」

 

 それをテンプレオリシュさんは上も見ないでひらりとかわした。

 

「ぼくらを退けたいのならこの三倍は持ってきてもらわないと」

 

 その言葉に惹かれるみたいに本当に鳥さんが三羽飛んできたときは本当にどうしようかと思った。ライスの不幸ってここまでだっけ!?

 でも、それすらも。

 テンプレオリシュさんを汚すことはできなかったんだ。

 連続爆撃を余裕をもってかわすどころか、ライスに飛沫がかからないよう角度まで考えた立ち回り。

 ひょいと腕をつかまれて引き寄せられて、気づけば顔が近くにあった。赤と青の瞳にライスの顏が映っている。色の異なる双眸に映るライスはとてもひどい顔をしていた。

 

「ごめん、やっぱ三倍じゃ足りなかったわ。次は五倍持ってきてみる?」

 

 どこまでも揺るがない、傲慢なまでの我。

 ライスにこれがあれば、きっと今みたいにはなっていなかったんだろうなって。

 そう思ったけど、こんな強さを持つライスを上手に想像できないのも事実だった。

 そして五倍のおかわりが来ることもなかった。

 

「きみに宿っているウマソウルは半分荒魂みたいなもんだからなぁ。あちらの人間が無責任に願って託した『悪役(ヒール)としてのライスシャワー』、オリジナルがどうだったのかはさておき独り歩きするイメージも名前で括られて中身を注がれてしまえばこっちじゃ本物になる」

 

 何を言っているのか、わからなかった。

 ただ結論だけは理解できた。

 

「ま、格付けが済んだからしばらくはちょっかいかけてこないと思うよ。夏合宿の間くらいはお得意の不幸も大人しくしているだろ」

 

 だから帰りなよ。きみはもう夏合宿に参加できる。だって逃げる理由がないからね。

 

 そう言われて、信じる方がどうかしていると思う。

 だってライスの不幸はライスが生まれたときからずっと一緒にいたもの。ほんの数分の邂逅でなんとかなるものじゃないし、なんとかなっていいものでもないと思う。

 なら、なんでライスは言われた通り帰ったんだろう?

 朝練に遅刻したライスをお兄さまは叱らなかった。ただ心底安堵した顔で抱きしめてくれて、よくがんばったって褒めてくれた。

 この人にすごく心配かけちゃったんだって実感がようやく湧いてきて、わんわん泣いたライスは顔がぼよんぼよんのひどいことになっちゃって……結局、その日の朝練に参加できたのは後半のほんのちょっぴりのとこだけになりました。

 

 言われた通り、不幸はもう起こらなかった。

 むしろ夏合宿の間はラッキーなことが多かった気がする。夏祭りのくじ引きって当たりが入っていたんだね。しかもそれを自分が引き当てることなんてあるんだ。ライス初めて知ったよ。

 そしてそれっきり、テンプレオリシュさんとの特別な交流は無かった。

 べつに同じ合宿所で合同トレーニングをする関係上としては不足があったわけじゃないし、チームとチームのオリエンテーションで一緒に遊ぶことも何度かあったけれど。

 あの朝の海岸でのできごとがライスの夢だったんじゃないかと思えるくらい、ほんとうに個人と個人では何もなくて。

 もしかしてテンプレオリシュさんって双子の姉妹だったりするのかな? そんなことさえ考えた。

 

 それと、参加できてよかったと思う。夏合宿の中でライスはかけがえのない経験をした。それはただ単純に特別なトレーニングでひとまわり成長できたとか、そういうのだけじゃなくって。

 ちょっとおおげさな言い方になっちゃうかもだけど。ライスのこれまでの人生と、これからの人生、その境目になるかもしれないくらい特別なできごと。

 

「ライスシャワー、きみの力を貸してくれないかい?」

 

 それはゴルシTさんに声をかけられて「は、はひっ!」って反射的に返事しちゃったことから始まって。その後ちゃんとお兄さまと相談してから引き受けることになった。

 みんなとのトレーニングが終わったあとに、ライスはスカーレットちゃんとの併走。その代わり、お兄さまはゴルシTさんから育成メニューを分けてもらうの。それで交渉は成立したみたい。

 同じチームで仲が良くっても、同時にライバルで商売敵。中央の業務は膨大だからトレーナー同士で助け合っていかないと回らないけど、だからといって一方的に借りっぱなしや甘えっぱなしもだめなんだって。大人って大変そうだなって思った。

 

「目標を徹底的にマークするその戦法をスカーレットにたくさん経験させてあげてほしいんだ。きっと今の彼女に必要なものはそれだから」

 

 砂浜の上で何度も、何度も、スカーレットちゃんの後に付いて走る。

 スリップストリームを活用するように陰に身を潜めて。あるいはわざと横にずれて存在を誇示するように。

 露骨に足音を響かせて萎縮させたり、逆にすっと消して注意力を無自覚に消耗させたり。

 言われた通り、ライスの持っている技術を惜しげもなくつぎ込んでスカーレットちゃんを追い詰めた。

 

 学園に入ってきたばかりの子はハードトレーニングのあまり吐いちゃうことがあるの。でも月日が過ぎていくうちにだんだんと、同じメニューをこなしても雑談できるくらいに余裕が出てくる。

 それはもちろんスタミナがついてくるってこともあるんだけど。身体の使い方が上手くなるって要素も大きいんだって。

 力を入れるところで入れて、抜くところで抜くことができるようになる。もう吐いちゃわないように。身体に余力が残るように。

 慣れるってそういうことなんだけど、無自覚に手を抜くようになるって見方もできるよね。

 

 スカーレットちゃんにはそれが無かった。

 何度だって吐いた。毎日のようにはいつくばってえずきながら涙を流して、それでも限界の底の底まで自分を追い込むことをやめようとしなかった。

 どうしてそこまでするのって聞いたことがある。年下の女の子をそこまで追いつめるのがライスの方もくるしくて、せめて動機が知りたくなった。

 

「勝ちたい相手がいるからです。ライス先輩だってそうだったんでしょう?」

 

 灼熱を宿した紅い瞳。胃酸で焼けた口内を水ですすいで迷いなく言い切った。

 そうやって全身全霊で追い求め続けた彼女が奇跡を起こすのを、ライスは誰よりも近くで見ることになった。

 “因子継承”。ただでさえ“領域”に至るウマ娘は中央全体の中でも希少なのに、個々人の魂に由来するはずのそれが他者に受け継がれる奇跡。資料もろくに残っていない、実在すら疑われていた現象。

 

 スカーレットちゃんの中にライスの一部が刻まれたのを目の当たりにして、またライスは気づかされたんだ。

 後ろから来る子たちはライスがこれまで積み重ねてきたものをあっという間に追い抜かしてしまう脅威かもしれない。

 だけど同時に、ライスのこれまで積み重ねてきたものを引き継いでくれるかもしれない希望でもあるんだって。

 つらかったのも、苦しかったのも、ブーイングが痛かったのも、ぜんぶぜんぶライスだけのもの。

 でもね、そうやってライスの中に折り重なって織り成された世界がたしかにスカーレットちゃんの中にも広がったんだよ。

 誰かの背中を追うばかりだったライスが、いつの間にかライスの背中についてくる誰かへ託せるような存在になっていたんだ。スカーレットちゃんを中心に渦巻く紅の花吹雪と青いバラはライスにそう教えてくれた。

 奇跡を起こしたスカーレットちゃんにはぜったい勝ってほしい。夢を叶えてみんなに笑顔を、スカーレットちゃんに笑顔になってほしい。

 “奇跡”を託したライスはそうお祈りしたんだ。

 

 

 

 

 

 そんなことがあって、ライスは以前にも増してテンプレオリシュさんの背中を目で追うようになっていた。

 スプリンターズステークスではあのバクシンオーさんに1200mで勝利した姿に呆然とした。

 ライスも勝った菊花賞ではマヤノちゃんと競り合いながら雨の中3000mを駆け抜けたことにびっくりしちゃった。

 そして有記念では――ただ観客席で涙を流すことしかできなかった。

 それが感動の涙じゃないことは、ううん、感動だけの涙じゃないことをライスはわかっていた。

 勝ってほしかった。勝たせてあげたかった。あんなにスカーレットちゃんはがんばっていたのに。

 でもね、叶わなかった悔しさも届かなかった悲しさも果たせなかったつらさも、ぜんぶぜんぶスカーレットちゃんのもの。スカーレットちゃんだけのものなんだよ。それを勝手にライスが取り上げちゃいけない。分かち合ったつもりになっちゃだめだ。それもちゃんとわかっていた。

 

 じゃあ、なんの涙? どうしてライスは泣いているの?

 どうしてライスはここにいるんだろう。どうしてライスはあそこにいないんだろう。ブルボンさんみたいに故障してしまったわけでもないのに。なんでレースに出ようとしないままここまできてしまったんだろう。

 ターフの上に黒い勝負服に身を包んだ自分の姿を幻視する。それを夢見るにふさわしい努力(こと)を何もしていないのに、ただ未練だけがつのる。そんな自分があさましくて情けなくて。

 

 あれだけ何もかもつぎ込んで、なげうって勝とうとしていたスカーレットちゃんでも勝てないなんて。

 彼女に勝ってほしかった。あの努力と執念が報われてほしかった。どうしたらよかったんだろう? どうすれば勝てるんだろう?

 頭の中でテンプレオリシュさんへの勝ち方を模索している自分に気づいて愕然とする。

 ああ、そうか、そうなんだ。ライス、勝ちたいんだ。

 テンプレオリシュさんに勝ちたい。ブルボンさんに憧れたみたいに。あのひとに勝った先の未来を見てみたいと思っているんだ。

 

 あの日のため息と失望の視線が脳裏を過る。

 

 また繰り返すの? どうせ勝ってもみんな喜んでくれないのに。ライスのためにがんばってくれたお兄さまに悲しい顔をさせるだけなのに。

 ううん、だめだ。お兄さまを言い訳に使うなんてだめ。ただライスがもう傷つきたくないだけなんだ。もうあんな思いはしたくない。

 燃え上がったように感じた血は、今はもう凍えてかじかんで、指先がちいさくふるえるほどだった。

 

「走りなさい、ライス」

「……え?」

 

 大歓声の中でも聞き逃しようがない透明感のある声色。同じチームで過ごした月日の中で距離が近くなって、呼び捨てで名前を呼んでもらえるようになった。

 ブルボンさんがじっとライスのことを見つめていた。周囲の熱狂はそのままに、すっと遠ざかったような気がする。

 

「出なさい、レースに。あの識別名『銀の魔王』と雌雄を決するのです」

「ど、どうして……?」

 

 聞き返したライスの声はみっともないくらい震えていた。

 どうしてそんなこと言ってくれるの? ライスはこの一年だめだめだったのに。ずっとブルボンさんはそれを隣で見続けたはずなのに、なんでまだライスに期待してくれるの?

 興奮と感動、スカーレットさんが緊急搬送された不安と心配でぐらぐら煮え立っているような中山レース場。だけどそんな沸騰しているお鍋みたいな中でもライスの言葉も気持ちも、ブルボンさんは取りこぼさずにしっかり受け取ってくれた。

 ライスはブルボンさんの声を聞き逃さないし、ブルボンさんはライスの言葉を聞きもらさない。わんわんと鳴り響くような周囲の声が混入したくらいで塗り潰されるわけがない。そんなお互いの特別がここだけ静寂に包まれたみたいなクリアな空気を生み出す。

 

「あなたは私のヒーローだから、です」

 

 ひーろー。

 それは目の前のブルボンさんのことだと思う。

 生まれ持った適性にも周囲の言葉にも負けず己の夢を貫き通した強い人。無敗のクラシック二冠を成し遂げて、たくさんのファンから応援された英雄(ヒーロー)

 ライスとは正反対。

 

「ち、ちがうよ。だって、ライスは悪役(ヒール)だもん……」

 

 ヒーローに倒されるためにいる役。勝つことなんて誰にも望まれていない。

 勝ったところでがっかりされるだけ。

 ブルボンさんがせっかく答えてくれたことを否定するのは心苦しかったけど、どうしてもその言葉とライスが繋がらなかった。

 

「……菊花賞で敗北し、その焦りからかジャパンカップに向けた調整のさなか故障が発覚する事態と相成りました。結果、無期限の活動停止。入院した私にマスターは『すまなかった』と謝罪してくださいました。お前には無理をさせすぎた、と」

 

 ブルボンさんが目を伏せる。

 それは、ライスが知らなかった弱いブルボンさんの姿だった。熱狂の渦の中でそっと脚を撫でるその姿に、入院用の簡素なパジャマを着て脚を包帯で固定したいつかのブルボンさんの姿を幻視する。

 

「しかしマスターのオーダーは私の夢を叶えるためのものでした。謝罪とは己の過ちを認めたときに行うものです。私の夢を叶えるためにその『無理』は必要不可欠なものだったと今でも判断しています。では私の夢見たクラシック三冠が間違いだったのでしょうか?」

 

 ああ、ライスはこの一年間ずっと同じチームにいたのに。いったい何を見てきたんだろう。

 当たり前だ。夢が破れて、走れなくなって、痛くないわけがない。傷つかないはずがない。

 サイボーグなんかじゃない。血の通っていない機械じゃない。ライスと同じまだ高等部の女の子だったのに。ひたむきにリハビリに励む姿を見て、勝手にそういう人なんだと思っていた。

 憧れで区切って、自分とは違うって遠ざけていたんだ。なんて残酷なことをしていたんだろう。

 

「もう二度と走れないかもしれない。過去に成し遂げたはずの成果があやふやになり未来に展望が持てず、ついには走ることさえ諦めそうになったとき――私を掬い上げてくれたのがライスシャワー、貴女だったんです」

「っ!」

 

 急にライスの名前が出てきてびっくりしちゃった。ううん、文脈的にはたしかにそうあるべきなんだけど。

 本当にそこでライスなの?

 

「トゥインクル・シリーズで私が負けた唯一の相手。目標達成の障害(リスク)と成り得る相手はこれまで幾人も存在していましたが『次こそは負けない、勝ちたい』と思えたライバルはライス、あなたが初めてだったんです」

 

 ああ、そっか……。ブルボンさん菊花賞までは無敗だったし、菊花賞でも二着だったから。ブルボンさんが負けたのは本当にライスだけなんだ……うわぁ……。

 

「あなたの背中を追ってきたから今日まで走ってこれたのです。強いあなたに負けたくないと思ったから、私は復帰を諦めずここまで来ることができたのです。だから、あなたは私のヒーローなんです。

 リシュさんとテンちゃんさんに負けたくないと思ったのでしょう? だったら戦ってください。私のヒーローは強いのだと、そこで証明してください!」

 

 弱くて、わがままで、自分勝手で、言っていることがむちゃくちゃ。無機質で無表情で淡々と目標を遂行するサイボーグのようなウマ娘はそこにいなかった。

 こんなブルボンさん、想像したこともなかった。

 

 こんなにもライスと同じだったんだ。彼女たちが繰り広げた有記念の激闘に、レース中の掛かったときみたいに頭がかっと真っ白に染まって、魂のさけびに翻弄されている。

 このままじゃ終われない。その想いだけが先行して頭の中がぐるぐるになって、何かしなきゃいけないと急かされている。まだ何も成し遂げられていない、そう思い知らされて。ライスがそうだからすごくわかる。

 みんなそうなのかな? 自分以外の何かに怯えて、追いかけられるように毎日を過ごしていたのかな?

 ライスやブルボンさんだけじゃない。みんな、つらさを覆い隠して生きているのかな? みじめで怖いのを飲み下しているのかな? 痛みと不安に溺れないようもがいているのかな?

 

「…………ブルボンさんはわがままです。自分勝手で、言っていることもめちゃくちゃで」

「っ! ……すみません」

 

「でも」

 

 『しあわせの青いバラ』になりたかった。

 でも、どうして青いバラが咲いたのか。ライスはちゃんと考えたことがあったのかな。

 お兄さまに支えられて、励ましてもらって、最後はきれいに咲いてみんなを幸せにできる。そんな在り方に憧れたけれど。

 咲いてもみんなを幸せにできる保証なんてどこにもなかったのに。つぼみのときに気持ち悪いと嫌われたんだから、咲いたらもっと気持ち悪がられて嫌われるかもしれなかったのに。

 

 それでもバラが咲いたのは、きっと期待に応えたかったから。

 

「……もう一度、がんばってみようと思います」

 

 みんなを幸せにできたのはバラにとっても幸福なことだったと思うけど。

 きっと、みんなを幸せにするために咲いたわけじゃなかった。

 ただずっと隣で花開くことを待ちわびてくれるお兄さまに応えたかったから。そのためだけに咲いたんだ。たとえそれで道行く人が気持ち悪いと顔をしかめても、そのことでまた傷つくことになったとしても。

 それでも咲くことで笑顔にできる大切な相手がいるって、バラは知っていたから咲いたんだ。

 なら、ライスだって咲けるはず……ううん、ちょっと違うかな。

 咲こうと思えた。

 ブルボンさんと、ずっと今日までライスのことを信じて待っていてくれたお兄さまのために。

 




次回も引き続きライスシャワー視点
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