「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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ライスシャワー視点です


サポートカードイベント:悪評高き獣たち

 

 

U U U

 

 

 お日様の光すらさえぎるほど深く分厚い海水がぎゅうぎゅうと身体を圧迫する。くらくて、つめたくて、さみしい景色。

 ただでさえ雨に濡れて消耗していた身体に幻想の深海が重なって、心身から熱を根こそぎ奪おうとしてくる。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 そんな真っ暗な世界の中で、巨大な獣の咆哮じみた轟音と青い光が瞬いた。

 暗闇の中でくっきり浮かび上がる異様な『黒』が一閃される。

 通過した線に沿ってぱっくりと海が割れた。

 

 見たことがある。知っている。

 これはココンさんとテンプレオリシュさんの“領域”だ。深海のイメージの持ち主がココンさんで、黒い剣の方がテンプレオリシュさん。

 あのときは二人のレースを観客席から見ていることしかできなかった。今ようやくライスは同じ場所に立つことができたんだ。

 

 深海の世界はひとまわり縮んで少し圧迫感が弱くなったけど、さっきよりも重圧は増え続けている。

 まるでちいさいころの思い出、好奇心で度の入った眼鏡をかけちゃった時みたいに。海の底が二重にブレて、そのどちらもがちゃんと幻想の質量をともなってライスたちを圧し潰そうとしてくる。

 そっか、自分の身体で受けたらこんな感じだったんだね。

 

「はっ! いつまでもあのときと同じままと思うなよ!」

「思ってないよ。だからもう一枚()()()

 

 また轟音。暗い深海にドレスの裾が艶やかに揺れて、今度は赤い光が瞬く。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【深海廻廊】

 

 世界が二重から三重になった。

 うう、こんなにぎゅうぎゅう押し込められたらライス、カッチカチのおにぎりになっちゃうよぉ……。

 

 ごぼごぼと周囲で溺れていく気配がする。口から漏れ出た泡がいくつも海の底を漂って、まるでクラゲさんの行進みたい。

 ライスはこのくらいなら耐えられるけど。これから二度目の坂越えなのにスタミナがどんどん奪われていっちゃう。三重の水圧に適応できてもそれは同じ。

 だからといって今のライスに何かできることもない。ただしんしんと静かに降り注ぐマリンスノーの中、暗さと冷たさに潰されてしまわないよう走り続けるしかないんだ。

 

 あれ? まって、何かがおかしい。

 どうしてマリンスノーが見えるんだろう。この深海に照らしてくれる光源なんてないのに。

 ちがう。あれはマリンスノーじゃなくて――桜だ。

 

 領域具現――優等生×バクシン=大勝利ッ

 

驀進(バックシィイン)!!」

 

 そう気づいた瞬間、先頭から流れてきた鮮やかな春風が何もかも吹き飛ばした。

 ほんとうに全部。桜色の空間が深海を消し飛ばしちゃった。ふっと身体が軽くなって、ほんの少しバランスを崩しそうになる。

 

《うわぁ……【深海廻廊】は周囲の空間に干渉するタイプだから、彼我の力量次第では自身の【領域】でその干渉ごと弾き飛ばせるって理屈はわかるが……三枚重ねを一発で破るかぁ》

 

 ただ走るという一点を突き詰めた桜色の景色が広がる。

 これがバクシンオーさんの世界。自分を信じる者のみが出せる圧倒的な強さがひしひしと伝わってくる。

 “領域”に後押しされるまま速度を上げて、迷いなく坂を駆け上がっていく。まるでそのまま雲を貫いて天に昇って行ってしまいそうな眩しさを感じた。

 

『残り千メートルを通過。先頭は依然として四番サクラバクシンオー三バ身のリード。じりじりと七番アイゼンテンツァー距離を詰める、十一番イマジンサクセスここでいっぱいか? 中団では十二番リトルココンが動いた。十五番マチカネフクキタルも後方から上がっていくぞ!』

『十五番マチカネフクキタル、彼女には鋭い差し脚がありますからね。勝負の行方はまだわかりませんよ。しかし重たい芝の中でどこまで切れ味を維持できるでしょうか』

 

「くそう、くそう、ちくしょう……!」

 

 ずるずると終盤に参戦することさえできずに垂れていくウマ娘を一人かわして、また一つ前に近づく。

 後ろからも、いくつも気配が燃え上がっている。自分が勝つんだって、鋭い意志が背中に突き刺さって、痛みでびくんと身体が跳ねそうになる。

 いつもならそうだった。前目につけていると自分の脚を残すのと同じくらい、その痛みとの付き合い方が大切。後続からのプレッシャーに負けちゃうから先行策がどうしても取れないって子もいるくらい。

 でも今は、やっぱり静かだ。気にしないんじゃなくて、気にならない。

 こんなにも目まぐるしく世界が色とりどりに塗り替えられているのに。どんな色にも染まらない透明な自分がライスの中心にいる。

 

 水しぶきのように散った深海のなごり、その中からテンプレオリシュさんの声が不思議な反響の仕方をして聞こえる。

 

《あいかわらずサクラバクシンオーはサクラバクシンオーやってんなぁ。これはこっちも覚悟決めて“銀の魔王”するしかないね》

 

 ざわりと空間がふるえた。

 現実の雨も曇りの空も、幻想の桜色も春風も、すべてが揺らぎ始める。

 

《新しい勝負服は馴染んだかい? 信念も我儘も詰め込めるだけ詰め込んだかい? そうかい、それはよかった。だったらお披露目と行こうか。おニューの勝負服には新しい【領域】がセットでついてくるもんだ》

 

 ざわざわが広がっていく。振動はもはや音を放ち、まるで巨大な獣が唸り声を上げているようだ。

 さっきの深海とは似て非なる感覚。ココンさんの“領域”はいっきに奥まで引き込んだ後に四方八方からぎゅうぎゅうに圧迫してくるイメージだったけど。

 これは濃度だけがどんどん高まっていく感じ。スクリーンの調整で濃淡の調整バーを濃くなる方向に動かしているときみたい。

 何かが明確になろうとしている。そう感じた。

 

《新しい“願い”の方向性は定まったかな? マスコミを通じて無作為にばら撒いたイメージは固まったかな? よしよし、ではもう一度この世界を切り開こう。ぼくらがどのような存在であるのか証明しよう》

 

 唸り声を聞いているうちに、何故だかふと唐突に、ルームメイトのゼンノロブロイさんとの会話を思い出した。

 ロブロイさんは本が好きで、すごく博学な人。ルームメイトになったばかりのころはお互いにあまりお話する方じゃないから距離感を測りかねていたっけ。ロブロイさんが読んでいた本を見て『ライスもその本好きだよ』って伝えるのに何週間もかけちゃっていたりした。懐かしいな。

 今では本だけじゃなくて、レースだったり雑学めいたことだったり、いろんな内容でお話している。思い出したのはその一つ、神話に出てくるオオカミさんのお話。

 

――昨今では強力な狼系モンスターの種族名として扱われることも多いものですが、本来は固有の怪物を示す言葉だったんですよ? ロキがアングルボザとの間にもうけた三兄弟の長子につけられた名前なんです

 

 曰く、神々に災いをもたらすと予言された狼。神々の住まうアースガルドの土地を邪悪の血で穢すわけにはいかないという理由があったとはいえ、その封印に際して軍神テュールは自ら右腕を差し出して、喰いちぎらせることとなった。

 そこまでして封印したのに最後には自由の身となり、ラグナロクでは主神オーディンを食い殺してしまう。その血を引く子供たちはそれぞれ月と太陽を呑み込んでしまうのだという、筋金入りの終末を招く怪物。

 

――Fenrir(フェンリル)という呼び名が一般的ですが、実はそれは『フェンに棲むもの』という意味で、それそのものに狼という意味はなかったりします。なので語尾に狼をつけてFenrisúlfr(フェンリス狼)と呼ばれることもあるんですよ。

 個人的には別名のHróðvitnir(フローズヴィトニル)の方がお気に入りなんです。『悪評高き狼』の意がありますし、それになんだか響きが詩的じゃありませんか?

 

 拘束されて開きっぱなしになった口から流れ落ちた大量の涎が、川になるほどの巨大なオオカミさん。

 その胃袋に迷い込んでしまったらきっとこんな感じなんだろう。そうライスが取り留めなく考えるうちにも不可思議に反響する声は訥々と響き続ける。

 

《強奪を生き様とすることに罪悪感が無いわけじゃないけど、詫びるつもりはまったく無い。これっぽっちも。だって生まれる前からこの子の味方をすると決めていたから。故にあえて言おう。厚顔無恥に傲岸不遜に、立ち塞がる誇り高きすべての敵に投げつけよう》

 

 私たち(ぼくら)の邪魔をするな。

 

 振動が限界を超えてはじけ飛んだ。たくさんのオオカミさんたちが口々に遠吠えをしているかのような轟音と、青い光が乱舞して。

 まるで誕生日を祝福しているみたい、だなんて自分でもどこから来たのかよくわからない感想が思い浮かんだ。

 桜吹雪がひと息に呑み込まれる。ライスたちもまた、一緒に。

 

スキルLvアップ!

因子簒奪(ソウルグリード) Hróðvitnir】

Lv2→Lv3

因子簒奪(ソウルグリード)」のレベルが上がった!

「Hróðvitnir」に覚醒した!

 

 暗闇の中にぽっかり浮かぶ太陽。太陽は赤々と燃えているのに空は青く晴れない不思議な光景。

 それが狼の咆哮じみた轟音と共に太陽の真ん中に風穴があいて、木っ端みじんに砕け散った。

 大きな欠片は赤と青の双子の月に。細かな破片は星となって天球に散る。

 そこでようやく気付くんだ。この暗闇は地球から見た夜空じゃなくて、宇宙(ソラ)を真横から眺めた景色だったってことに。

 真空さえ貫く轟音っていったい何なんだろう? 全身の熱がこの空間に吸い取られていくのを感じながらそう思った。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) Hróðvitnir

 

「今度は北欧神話かぁ。ほんと私って節操ないな……でも、それが私らしさか」

 

 諦めたような、それでいて少しだけ誇らしげなテンプレオリシュさんの声が聞こえた気がした。

 

 すごく幻想的で、きれいで、生々しい力を感じる空間だけど。

 見惚れている場合じゃない。警戒しなきゃいけない。だって、この“領域”の具体的な効果がいまひとつわからない。

 わかったところで他者の“領域”にできることはそう多くないけれど。何が起きているのかわからないままだとそのまま勝負が決まってしまうことも少なくない。“領域”はそういう切り札だから。

 

 テンプレオリシュさんの様子を見たかぎりじゃよくあるタイプの加速や速度上昇ではなさそう。その二種に比べたら目に見えて効果が確認できるわけじゃないけど、それでもライスの目が正しいのなら回復系統というわけでもない。

 じりじりと削られているような感覚はあるよ。でも空間そのものから感じる力と比べたらその影響は微々たるもの。あくまで副次的な作用であってメインではないと思う。

 

 領域具現――飽食タイム☆フルーツ到来!

 

 答え合わせのタイミングはあっさりやってきた。

 

 後方から流れてきたイメージは南国の青い海と空、白い砂浜の上に並べられた山盛りのフルーツたち。それを満面の笑みで頬張っていくウマ娘。

 わかりやすいスタミナ回復の“領域”。後ろの方で使った誰かのそれが、溶かされていく。まるで熱いお茶に浮かべた氷みたいに。どんどん縮んでいく。

 

《誤解されることも多いけど、本家ガンブレードって銃と剣の機能を併せ持った武器じゃなくて『引き金を引くことで弾倉内の火薬が炸裂して刀身を振動させ、斬撃の威力を飛躍的に高める』っていう、SFや昨今のなんちゃってファンタジーでおなじみ振動剣と同系統の斬撃オンリーの武器なんだよね》

 

 そこへ追撃とばかりに襲い掛かる無数の黒い剣は、あからさまなまでにその威力を増していた。

 さっきから聞こえていた轟音の正体がやっとわかった。あれは銃声だったんだ。

 南国の“領域”と交差する瞬間、黒剣が己が弾倉内の弾薬を噛み砕いて振動する。すると狼の咆哮じみた爆音と共にひゅんと刀身から青い光が立ち昇って、熱したバターにナイフを入れるみたいに何の抵抗も無く、するりと黒剣は相手の世界を断ち切ってしまった。

 

《ちなみにリアルでも医療現場では超音波振動メスが実用化されているし、超音波カッターなんか模型工作の作業用として市販されてすらいるけど。あれらは基本的に『硬いものをゆっくり切る』ための道具だ。剣みたいに勢いよくバッサリ斬ろうとすると下手したら折れちゃうからやっちゃダメだぞ! まーそれいったらチェーンソーなんかも剣みたいに振り回したらキックバックで自分を傷つけてしまうリスクが高いから危ないなんてもんじゃないんだが……はて、何の話をしていたんだったかな?》

 

 この灼熱と極寒が漂う世界の中でわんわんと反響するテンプレオリシュさんの声だけが熱くも寒くもない常温のままで。そのことにどこか薄ら寒いものをおぼえた。

 

 他者の“領域”の効果を引き下げ、同時に自身の“領域”の効果を高めることに特化した広域展開型の“領域”……。

 自分が複数の“領域”を所持した上で、レースに出走するライバルたちも“領域”を使ってくることが大前提の性能なんて。いったいどんな歴史と魂を受け継げばそんな世界が具現化するんだろう。想像すらつかない。

 

 この宇宙が投影された瞬間にバクシンオーさんの桜空間が切り刻まれて呑み込まれたのもそういうことだったんだろう。

 いくら深海を押しのけるためにある程度の消耗があったとはいえ、あれだけの規模を誇ったバクシンオーさんの“領域”を呑み込んじゃうなんて。

 最初に感じたプレッシャーは間違っていなかった。ここはもう、テンプレオリシュさんの胃の中も同じみたいだ。

 

「どうすればいいのかわからない。でも」

 

 深海の三重がさねで消耗した分、淀の坂で削られる分、スタミナを補填したかったんだろうその“領域”は見るも無残に穴だらけになってしまった。

 それでも臙脂がかったピンク髪のツインテールの子の動きはとまらなかった。

 あちこち喰いちぎられ今にも取れてしまいそうな手を動かして、果実を口に運んで嚥下する。飲み下したその先のおなかだってぽっかり大きな風穴が開いちゃっているのに。

 ずっと後方にいるはずのその子から、ばちばちと顔にぶつかるみたいに魂の欠片を感じる。

 

「やめられないし、とまらない――止まる気も、無い」

 

 どんな言葉よりも雄弁な態度で示されたそれは、最低限の役割を果たした“領域”という成果に繋がる。ひと息いれることに成功したようにその子の呼吸は整って、淀の坂を抜けたその先に向けて灼熱が宿る。

 

『一番手はいまだ四番サクラバクシンオー、それを見るように七番アイゼンテンツァー、続く九番ライスシャワー、外を回ります一番テンプレオリシュ。

 中団では十二番リトルココン、その後から十四番マヤノトップガン、少し離れて八番ムシャムシャ、さらに十五番マチカネフクキタル』

『タイムがおかしなことになっていますが今日は間違いなく雨天の重バ場。後方集団がここから差し返せるのか、気になる開きです』

 

 ……そうだよね。

 正解なんてわからない。攻略法なんて誰にも教えてもらえない。ウマ娘を導いてくれるトレーナーさんたちだって答えを知ってるわけじゃない。これが正しいんだって信じるだけ。

 あきらめられないから、もがくしかないんだ。たとえオオカミさんのおなかの中に呑み込まれてしまった赤ずきんになってしまっていても。

 狩人さんの助けなんて待っていられない。ゴール板はすぐそこまで迫ってきている。

 

「バクシン、バクシーン……」

「はぁ……はぁ、かはっ」

 

 ついに垂れた。これだけ不利な状況がそろっていながらこれだけの速度でここまで先頭を維持できた時点で何もかもおかしいけれど。

 ついでにバクシンオーさんについていた子も崩れ落ちるように順位を落としていく。離されないよう必死に食らいついていたけど、とっくに限界は超えていたんだろう。後ろに隠れて温存できたライスだって体中あちこち軋んで燃え上がってるみたいなんだもん。

 一つかわして、二つかわして、いよいよライスの前にはひとりだけ。

 

 少しだけ、わかった。

 この世界は少しだけブルボンさんのそれに似ている。

 左右どころか上下すらさだかでない、無重力の闇に飛び出す挑戦のかたち。恒星を噛み砕いて自ら星座を創り出すような攻撃性はブルボンさんには無いものだったけど。

 今まで誰も成し遂げたことのなかった既存の概念を打ち砕こうとしている。夜空を見上げるのではなく、星々の間に航路を刻みつける瞳の持ち主。

 ライスはそういう人だから勝ちたいんだ。勝とうと思ってここまで来たんだ。

 

 きっと、ライスはヒーローになりたかったんだと思う。

 でも違った。ライスはもうヒーローだった。ライスをヒーローだと言ってくれた人がいた。

 ならもう、何も恐れることはない。いつか夢見た『しあわせの青いバラ』みたいに。

 

「ライスだって……咲ける!」

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 鳴り響く鐘の音と、舞い散る青いバラの花びら。

 ライスの世界。勝てと、魂が内側で猛り狂う。

 勝つと、身体が燃え上がった。

 レースが始まって以来ずっと空転していた心と身体の歯車が、いまガッチリと噛み合う。

 

『残り四百。最終コーナーを進んで直線に向かう。真っ先に立ち上がったのは一番テンプレオリシュ、九番ライスシャワーそれに追走。後ろからは十四番マヤノトップガンまくって上がってくる。十二番リトルココン前を狙っているぞ』

『坂をゆっくり上がってゆっくり下るのはもう古い! そう言わんばかりの決意の直滑降。この滑りやすい足場で決行した彼女たちの勇敢さには痺れますね』

 

 チーム〈キャロッツ〉のみんなで、ゴールドシップさんから坂の攻略法を何度も教わったけど。

 けっきょくゴールドシップさんと同じことができるようになった人はいなかった。表現の仕方が独特過ぎたっていうのもあるけど、あれはゴールドシップさんのフィジカルとセンスあってのものだ。

 でもライスはライスの答えを見つけたよ。ライスはゴールドシップさんよりもパワーが無いけど、そのぶん軽くて小さい。この悪天候だとそれはメリットになりうる。

 それに何より、目の前でこれ以上ないお手本を見せてもらったんだもん。負けられない。負けちゃいけない。

 

 領域具現――来ます来てます来させます!

 

 ライスとほぼ同時。あるいはライスの知覚範囲に入る誤差を考えると少しだけあちらが先だったのかも。ふと、後方から一筋の光が宇宙を分けた。

 何度か見た、フクキタルさんの“領域”だ。

 誰かと衝突するんじゃなくて、自分の道を『切り開く』ことをかたちにした世界。そのせいかテンプレオリシュさんの“領域”の中でも力を発揮して、その光の道の中だけやや薄まった気がする。

 ただ、切り開いたのはいいけれど。フクキタルさんは前が塞がれてなかなかバ群から抜け出せずにいるようだ。

 あの人の末脚は凄まじいけど、この重バ場であの状況ならさすがに届かない。“領域”は強力だけど万能ってわけじゃないから。

 これだけ距離があれば進行妨害を取られることもない。せっかくのルートはライスが使わせてもらおう。

 ばつんと黒い剣に断ち切られて宇宙に食い散らかされて消えるほんの瞬きの間、それはたしかにライスの力になってくれた。

 

「ふぎゃー!? そんなー!!」

 

 悲鳴が聞こえた気がしたけど、すぐにそんなことは忘れてしまった。

 もうこれから先、見るのはただ一人だけ。

 彼女に勝つことがそのままレースに勝利することに繋がる。そう確信して、それすら脳裏から流れ去る。

 鞘から刃を抜き放つように。ひとつだけ残してあらゆるものが解き放たれていく。

 

「やっぱり来たか」

 

 そして、当たり前のことだけど。

 “領域”を開いて広げていけばそれはオオカミさんの前にここに獲物がいますよって匂いをふりまくのと同じ。ライスだけが見逃されるはずもなく。

 じりじりとこちらの世界を削る極寒の宇宙の中、黒い剣が迫り来る。まるで狼王ロボに統率された群れのように鮮やかな統率と獰猛な叡智を宿した動きをもって。

 咆哮と共に立ち昇る蒼炎。直撃したらただでは済まないだろう。

 

 だけど避けなかった。

 回避を選択したら、それは一手余分な動きを挟むことになる。そしたらライスの刃はもう届かないから。

 

 するりとライスの中を異物が通り過ぎていく。ばしゃりと飛んだ血飛沫が青いバラに滲んで紫に彩った。

 あきらかに致命傷。世界は揺らいで縮んでいく。

 

「まだ、だっ!」

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 鐘が鳴る。それは誓いのあかし。

 縮みかけた世界に塗り重なる。もう一度鮮やかに青いバラが咲き誇る。

 ライスシャワーはヒーローだ。

 ヒーローは斃れない。その背中を信じてくれる人がいる限り。

 

『残り二百! 九番ライスシャワー熾烈な追い上げ、このまま差し切れるか? 一番テンプレオリシュ負けられない、負けられないぞ!』

『十四番マヤノトップガンも外から勢いよく上がってきました! ここから届くのか? 勝負はまだ続いていますっ!』

 

《うおっ、マジか。ここでか》

 

 “領域”を通じてかすかに動揺を感じる。

 でも黒い剣の群れはまるで揺らがずに襲来する。歯を食いしばった。効いていないわけじゃない。テンプレオリシュさんに喰いちぎられて命に届かないわけがない。

 どれだけ致命的でも今は死なないって、決めているだけ。

 衝突。鮮血が飛び散る。

 

「まだ……まだぁ……!」

 

 領域具現――ブルーローズチェイサー

 

 二度もずたずたに食い荒らされて、もう青かったバラの花弁は紫に汚れていないところを探すのが難しいくらいだ。

 でも、ようやくここまで近づけた。この距離からならいける。ライスが懐に抱えてきた短剣がテンプレオリシュさんの命に届く。

 鞘から抜き放って両手で握る。

 ()った!

 

「ごめんね、それはもう既知なんだ」

 

 突き出した刃を迎えたのはやわらかな肌やあたたかい肉じゃなくて、硬く冷たい金属音。

 刃が絡み合う。ひどく有機的な動きで割り込んだ黒と白の剣がライスの短剣を阻んでいた。

 赤と青の火花が花吹雪みたいに舞い散る。

 

「認める。いまのあなたをただの斬撃で仕留めるのは無理みたいだ」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【ブルーローズチェイサー】×【全身全霊】×【優等生×バクシン=大勝利ッ】×【長距離直線◎】×【レッドエース】×【ブルーローズチェイサー】

=【百花繚乱Rose window】

 

 剣の群れの動きが変わる。あとからあとから獲物に肉食獣の群れが飛びかかるみたいに。ライスの短剣さえ巻き込んでミキサーのように渦巻く。

 星が巡る。星の日周運動を撮影した写真みたいに。軌跡が幾重にも弧を描いて闇を彩る。

 光がこねくり回されて像を結んで、気づけばそこには巨大なステンドグラスがあった。赤や青、桜に紅と鮮やかな色がこれでもかとばかりに輝いて。

 すぐにわかった。だってこんな名前を授かった以上、花嫁さんにも結婚式にもひといちばい憧れがあったから。

 あれはバラ窓だ。教会のステンドグラスの中でもひときわ印象的な大きな円形の窓。

 まばゆい憧れの結晶。その前に立つテンプレオリシュさんの手の中で武器の螺旋がゆるやかになり、やがて止まって完成する。

 無数の刀剣が針金細工のように絡まり合って分厚い異形の金棒と化している。鋭い鈍器。そうとしか言いようがないシロモノ。

 

「だからただ事ではない一撃で決着をつけよう」

 

 ぎちぎちと骨と肉を軋ませる音を発しながらおおきく振りかぶられる。空間を震わせる咆哮と共に金棒が青い炎を吐き出し推進力に変える。

 もはやそれは耐える耐えないの次元の話ではなく。

 ライスの身体はこっぱみじんに砕け散った。

 

「んにゃー!?」

 

 あ、マヤノちゃんが巻き込まれたみたい。

 きらきらとパステル色に満たされた“領域”、その右半分がふっとんでいる。巻き込まれるくらい近くまで上がってきていたんだ。

 それでも半壊で済んでいて、それが明確に競り負けたライスとの大きな違いだった。一瞬をいくつも詰め込んだ時間の中でゴールとの距離が入れ替わる。

 ずるりと沈む脚。手を伸ばせば届きそうな、どこまでも遠い銀の背中。

 

 

 

 

 

『抜け出したぁ! そのままゴール板を駆け抜けるっ! 一着は一番テンプレオリシュ、終わってみれば鉄壁の一バ身! すべては掌の上とでもいうのか!? しかもこれは……レコードです! まさかの悪天候の淀の坂でレコードが更新されました!!』

『天すらも彼女を縛ることはできないということでしょうか……。二着のマヤノトップガンも三着のライスシャワーも大健闘でしたね。だからこそ“銀の魔王”の圧巻の強さを思い知らされたというべきか』

『歴史に記すべき春シニア二冠目の激闘でした。この後に続くのは六月に安田記念のマイルと、宝塚記念の中距離……今日の長距離と合わせて最新式マツクニローテとでも呼ぶべき異なる強さが求められる距離への挑戦ですが、決して不可能ではない。そう思わせてくれる一戦でした。いやー素晴らしかった!』

 

 

 

 

 

 気づけば空を見上げていた。

 

 芝の上に大の字になっているみたい。レースはもう終わっている様子だけど、後続の子たちの邪魔にならなかったかな?

 踏まれなくてよかった。転倒事故の原因にならなくって、ほんとうによかった。

 火照った身体を濡れた芝と雨が冷やしてくれて気持ちいいような、服や髪や尻尾にまで泥がしみ込んできて気持ち悪いような。

 

 負けちゃった、か……。

 

「立てる?」

 

 曇天に銀の光が差し込む。

 考える前に差し出されたそのちいさな手を取っていた。ぐっと身体が持ち上がって、靴の下に芝の感覚が戻る。

 助け起こしてくれたのは、当然のようにテンプレオリシュさん。

 それなりに疲れてはいるみたいだけど、ゴール寸前から芝に寝転がるまでの記憶があいまいになるくらい何もかも絞り出したライスとは雲泥の差だ。

 ここまでやっても、まだまだだったんだなぁ……。

 

「んー……すごいな。あれだけ立て続けに限界を超えたらどこかしら故障しそうなものなんだけど。お兄さまがそういう素質の持ち主なのか? 限界突破時の故障率大幅軽減? ……なんつーピンポイントでメタな……でも『ライスシャワーを安寧無事に走らせる』ことを第一に考えるのならこれ以上ないマリアージュだ。さすがは信頼と実績の三女神マッチング」

「え……?」

 

「ん-ん。怪我していなくてよかったねって言っただけだよ」

 

 そっか、ライス、ケガしていないのか。まだ全身が痺れているようであまり感覚がないけど。ケガが無いのならうれしいな。お兄さまのところまで帰ることができる。

 そうだ。ココンさんとも、ちゃんと改めてお話ししておかないと。あのときなんて言ってたんだろう。

 

「ほら、ライスシャワー。聞こえるかい?」

 

 うながされるままに顔を向ける。のろのろとしたその動きだけでとてもしんどい。

 けれど、次の瞬間にその疲労を忘れた。

 

「すごかったぞー、ライスシャワー!」

 

「カッコよかったわよライスシャワー!」

 

「感動した! ライスありがとう! 俺も頑張るよ!」

 

 観客席から降り注ぐ声、声、声。

 みんな嬉しそうだった。雨に打たれながらみんなが笑っていた。

 誰も彼もが幸せそうだった。いつかライスが夢見た光景がそこに広がっていた。

 ライスはライスの走りで、みんなを笑顔にすることができたんだ。

 

「…………」

 

 ……ああ、でも。

 やっぱり、ちがうんだなぁ。

 いつか夢見た光景にたどり着けたけど、ここはライスの夢が叶った場所じゃない。

 私は、自分が勝ってこの景色を見たかったんだ。そのことにようやく気づけた。

 じわじわと敗北の実感がわいてくる。

 

「このみんなの笑顔はさ、ライスシャワーがつくったんだよ」

 

 そうシニカルに笑いながら語りかけてくれるテンプレオリシュさん。

 言いたいことも、言わなきゃいけないことも、たくさんあったはずなのに。

 その笑顔を前にすると、のどに詰まって何も出てこなくなっちゃう。

 

「…………ごめん、なさい」

 

 いっぱいいっぱいがんばって、ようやく胸の中から取り出せたのは一言だけ。

 ありがとうも、ごめんなさいも、これまで伝えなきゃいけないときが何度もあった。なのに、どれもこれもライスはテンプレオリシュさんに告げられていない。

 ライス、とっても失礼な子だ。それなのに、どうしてテンプレオリシュさんはこんなにやさしくしてくれるんだろう? 笑いかけてくれるんだろう?

 ただでさえ疲労で頭がぜんぜん動かないのに。あれだけみんなに助けられてがんばったのに勝てなくって。悔しくって自分が情けなくて。何もかもぐちゃぐちゃになって泣いちゃいそうだった。

 

「うん?」

 

 不思議そうにテンプレオリシュさんが首をかしげる。

 ああ、そうだよね。

 こんなの一方的にライスの都合を押し付けているだけだ。ライスのわがままでしかない。テンプレオリシュさんを困らせるだけだ。

 感謝も謝罪も本当に伝える気があるのなら、最低でもその前後関係はちゃんと説明しないといけないのに。

 いまのライス、ほんとうにだめだめだ……。

 

「ああ、なんだ。あのときのアレかー。それともあのときのコレか? うんうん、たしかにアイサツはダイジだ。古事記にも書いてある。でも、声帯で空気を震わせるだけがコミュニケーションじゃないだろ?」

 

 うつむきそうになった顔が、その言葉で上がる。

 視線の先ではテンプレオリシュさんがぺろりと舌を出してアピールしてみせたあと「うえっ、泥が、ぺっぺっ」と吐き出していた。

 動きのひとつひとつがどこかわざとらしくて滑稽で、その上で目を惹かれる魅力にあふれていた。

 

「絵で語る人だっているし、音楽で語る人だっている。そしてウマ娘はこれだ」

 

 とんとん、と芝の上でヒールが踊る。

 

「きみの走りは何度も見てきた。春天で最大の障害だったからね。だからたくさん伝わってきたよ。今日はぼくらのために走ってくれていたでしょ? ありがとうもごめんなさいもやろうぶっころしてやるも全部ちゃんと伝わったよ」

「さ、さいごのは思ってない、です……」

 

 ライスと走ってくれた後、『殺気を感じた』とか『殺されるかと思った』って相手の子におびえられることがけっこうあるんだけど……。

 そんなにライスこわいかな? すこしショック。

 

 ふと、青い目がこちらを見た。ばちっと心の底まで覗かれた気がして、反射的に目を逸らしそうになる。

 そこにするりと投げ込まれる一言。

 

「うん、強かった。強かったよ、ライスシャワー」

 

 ……嗚呼、それだけで。

 報われてしまった。

 今日までのがんばりが、報われた気がしてしまった。

 そのことが負けたことよりずっとずっと悔しい。

 

 ライスの気持ちはちゃんと伝わっていたよって笑ってくれた。

 ライスのことをゆるしてくれた。

 でも、ライスはちゃんと言葉で気持ちを伝えたかったんです。かたちにしたい想いがたくさんあったんです。

 震えない声で、対等な視線で言いたいことが、いっぱいあったはずなんです。

 

「…………」

 

 でも、だめだ。

 まっしろになっちゃって、何も出てこない。

 あまりにも格が違い過ぎる。今のライスは見上げることしかできない。

 だから。

 

 

 

 

 

 いつか、貴女に勝って、見てみたい景色があります。伝えたいことがあります。

 それまで君臨していてくれますか?

 ライスの前から消えずにいてくれますか?

 

 どうか、どうか。

 




固有スキル【因子簒奪(ソウルグリード)
Lv1『黒喰(シュヴァルツ・ローチ)』『白域(ホーリー・クレイドル)
Lv2『十束剣(トツカノツルギ)

>>Lv3『Hróðvitnir』New!
効果範囲内において【因子簒奪】とつくスキルの効果を一段階上昇させ、それ以外のスキルの効果を一段階低下させる。また、【黒喰(シュヴァルツ・ローチ)】の捕食判定に大幅なボーナス修正が入る。
十束剣(トツカノツルギ)】を使用する場合、使用するスキルそれぞれが【因子簒奪】であるものとして、すべてに上昇補整を加えた上で効果を算出する。




これにてこの章は一区切り!
いやー、長かった。GⅠ最長距離だからって章まで長くならんでもええやん…。

例によって例のごとく、一週間以内にオマケを投稿した後、いつもの書き溜めに移行する予定です
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