「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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安田記念、ウオッカ視点で開幕です


サポートカードイベント:championが馴染まなくて

 

 

U U U

 

 

 ついにこの日がきちまったかー。

 

 その一言に尽きる。

 ドキドキもワクワクもゾクゾクも、それらに伴う感情も、天を仰ぎたくなるそんな一言の後にようやく胸中に湧いてくるものだった。

 安田記念当日。

 怪我もなく万全な状態で今日を迎えられたのは実に喜ばしい。相棒には感謝だな。

 

「はぁー……」

 

 気づけば口からこぼれる、腹の底から流れ出るような深々としたため息。

 地下バ道を進む中、感じるのは重圧(プレッシャー)。中間テストと期末テストがまとめて待ち受けているような重さがずしりと胸ん中と腹ん中を満たしている。

 

 いや、自分でも思うんだ。何回くよくよ迷ってんだよってさ。

 もう決めたはずだろ、覚悟。燃え盛っているはずだろ、決意。

 

 でもよぉ。一回決めたらもう迷わねえって、実際だいぶ厳しくね?

 できねえとは言わねえよ。やってるやつ知ってるもん。同室だし。

 

 けどさ、誰もがスカーレットみたいに単純バカになれるわけじゃねえんだよ。

 口に出しては言わねえけど。みっともねえ。その単純バカであり続けることがどれだけ難しくって、どんだけ傷だらけになることなのか。

 見てきたからわかる。そんでもって、あれと同じことはできないってのも、わかる。

 憧憬と嫉妬の裏返しで、その対象を軽んじて貶めて心の安寧を図るなんてのは……さすがにダサすぎて今の俺でもやれやしねえ。

 

「ヘーイ、ウオッカ!」

「っと、タイキ先輩ちわっす!」

 

 挨拶は大事だ。それはけじめみたいなもん。どれだけメンタルが落ち込んでいても先輩にはきっちり頭を下げて敬意を払う。

 そんな俺の頭をずどどっと勢いよく接近してきたタイキ先輩はその勢いのままむぎゅっと胸に抱え込んできた。いわゆるハグだな。

 ……俺もいわゆるお年頃の女の子ってやつとはだいぶ違う生態をしていると自己判断を下しちゃいるが。タイキ先輩の距離感の詰め方を見ているとあくまで内向的な日本人気質の範疇でしかないんだなと感じる。

 嫌なわけじゃないんだがなかなか慣れねえわ。気恥ずかしさが消えねえっつーか。

 

「ウウーン? すこし、元気ないですかー? ワタシは元気メニーメニーありあまっているのでウオッカに分けてあげマース!」

「う、うっす……」

 

 タイキ先輩がピークを過ぎて引退しちまうかもしれないってなったとき。

 俺は挑んだ。タイキ先輩が本当に引退しちまう前に挑戦して、マイルで無敵とさえ讃えられたこの人をマイルGⅠで下して、世代交代を成し遂げてみせた。

 やり遂げたときは心底自分が誇らしかったね。やるじゃん俺って。

 

 リシュは我が道を突き進んだ。

 輝いて、煌めいて、その目の眩むような光で数々の伝説を己が征く道に引き寄せてみせた。自分がおもむくのではなく、その魔王の異名が示すとおり相手の方を招集しやがった。

 実際にこうやって、タイキ先輩は今年になっても引退せずここにいる。“銀の魔王”テンプレオリシュと走るために全盛期の力量まで返り咲いて、新たなGⅠの舞台に臨んでいるんだ。

 

 それだけで格の差は歴然じゃねーか?

 

「今日のワタシは安田記念のチャンピオンで、でも挑戦者デース! フッフッフ、ウオッカにもリシュにも負けませんヨー!」

 

 見るからにワクワクしていると表情のみならず全身で語りながらタイキ先輩が笑う。君臨する王者ではなく、久方ぶりの挑戦者としての戦いってことか。

 きっとそれは解放感。まだまだ王座に尻が馴染まない若輩マイル王の俺には想像もできない重圧がいくつもあったんだろう。

 

「へっ、今回だって俺がぶっちぎって二大マイル戦覇者の称号かっさらわせてもらいますよ!」

「Fooooo!」

 

 でも、いくら若輩モンとはいえさ。これでも王者としての矜持みたいなものはあるわけよ。

 そしてこうやってカッコつけでも口に出してしまえばそこには力が宿る。血肉を得て重みが生じる。

 ふらふらとしていた足腰が少しだけしゃっきりした。

 

 テンションが上がったタイキ先輩はぴょこんぴょこんと跳ねるような足取りで先に行ってしまった。先輩にこういう表現が的確なのかわからんが……自分が大きくなったと気づいていないまま子犬の頃の同じ感覚で振る舞う大型犬みてーな人だ。

 あれでレース中は圧し潰されそうなプレッシャーの持ち主なんだけどなぁ。

 

「Wow! スカーレットも応援に来てくれましたか!?」

「ええ」

 

 うげ、アイツも来てんのか。

 ここからじゃまだ見えねえけど、タイキ先輩の嬉しそうな大声でルームメイトが地下バ道まで来ていることを知る。

 といってもしょせんは声の届く範囲だ。足を進めていれば嫌でも目の前にたどり着く。

 

 今日走るためここにいるわけではないと暗に示す制服姿。

 しゃんと胸を張っている、というよりは仁王立ちしていると評したくなる佇まいで、その上にスタイルを誇示するみてーに胸の下で腕組みまでしやがった。

 またサイズが上がったんだっけか? 部屋でぼやいていたもんな。けっ。

 

「……よお」

「あら、思ったよりは悪くない顔してるわね」

 

 開口一番にそれかよ。ケンカ売ってんのか、あーん?

 タイキ先輩がいりゃあもう少しネコを被っていたんだろうが、あいにくあの人は軽く会話しただけで既にここを通過したらしい。

 

「へっ、これから大勝負が待ってんだ。無駄な前哨戦をするつもりなんてねーぞ」

「タイキ先輩からエールでも貰った?」

「聞けよ」

 

「敵に塩を送ることを躊躇わない。そもそもほどこしとすら思っていない。絶対王者の貫禄ね。送られた塩、せいぜい無駄にするんじゃないわよ」

「……ああ、そうだな」

 

 見上げていた先輩方も、いまやシニア級という括りでは同格。

 端から負けるつもりなんてさらさらない。それはスカーレットだって同じだろう。ただ、ああいう絶対的な強者特有の余裕を見せられると、まだまだ敵わねえなと思わされる。

 俺のパフォーマンスを向上させることをあの人たちは利敵行為とすら感じないのだろう。何故なら自分が勝つから。競い合う相手が強いことはレースの質が高まるから喜ばしいことでしか無いのだ。

 名実が伴った絶対王者としての自負。

 そのあたり、比べてしまえばリシュでさえ一枚格が劣る気がする。あいつはマスコミの前でこそ泰然自若としたポーズを決めているが、実際は強敵を相手にするときはいちいち嫌そうな顔するからな。

 

「でもまだまだ湿気ているかしら? ゴールドシップ先輩風に言えば『袋を開けて丸一日放置したポテトチップスみたいな仕上がり』って感じ」

「やっぱケンカ売りにきたのかコラ」

 

 あとゴルシ先輩はもうちょっと脈絡が無くって意味不明な感じだ。

 それじゃあまだ話の筋が通り過ぎている。エミュレートの精度が低いぜ。

 

「ケンカ売るのなら勝負服着てきているわよ」

「…………」

 

 制服の襟を摘まむその仕草に言葉を呑み込む。

 それやめろ。何も言えねーじゃねえか。

 スカーレットのやつが脚をやったのは冬のことで、暦の上ではもう夏だ。個人的には夏っていや七月や八月のうだるような暑さとセットのイメージがあるんだが、辞書引けば六月からって載ってあるんだから仕方あるめえ。

 

 季節がくるりと半回転する間にギプスは取れて、松葉杖も必要なくなった。リハビリは進み歩くのにも汗を流していたのが、春のファン大感謝祭ではステージの上で踊れるまで回復した。

 だが、まだまだレースを走るには至らない。トレーナーの見立てでは復帰は早くても秋、順当にいけば冬にもつれ込む。

 ほとんどまるまる一年。本格化を迎えたウマ娘にはあまりにも長すぎる時間。

 

 それでもきっと、机の引き出しがタイムマシンに繋がって何度あの日をやり直す権利を得ても。コイツは何度だって同じ選択を躊躇しないのだろうなとぼんやり確信できる。

 それだけのレースだった。中距離やマイルほど得意ではない長距離で、スカーレットはそれだけの走りをしてみせた。

 

 どれだけ時間がかかっても必ずダイワスカーレットは復帰して、もう一度かの銀の魔王へ挑むのだろう。

 長距離であれだけの走りができたのなら、中距離やマイルなら?

 次への期待をファンは口にする。無責任のようでいて、しかし期待もされないその他大勢に比べたらよほど恵まれた立場。

 

 俺はどうだ?

 マイルの東京レース場。これ以上ないホームグラウンド。俺のテリトリー。運命的な何かを感じる。もはやここじゃ負ける気がしねえ。

 

 ここで負けたらもう先がない。どこにも『次』が用意できない。

 

 俺はリシュに勝てるのか?

 これまで誰にだってできなかったことなのに。

 発表されたリシュのローテでマイルのレースはこれが最後だ。これほどの好条件が重なって、それでも日本ダービーで誓った最後の意地が貫き通せなかったら。

 

「くだらないこと考えている顔ね」

「……うっせ。誰もがお前みたいに迷わず突き進めるわけじゃねえんだよ」

 

 ケンカするまでもなく、それは負け惜しみだった。

 

「まったく。トレーナーからの信頼が重いわね」

「あん?」

 

 何故かスカーレットが空を仰ぐ。

 

「現状に違和感をおぼえる余裕もないほどプレッシャー感じてんのね。思い出してみなさい。アタシたちのトレーナーはなんて言っていたか」

 

 言われるがまま記憶をあさる。ほんの数分前のはずなのに、脳内に蓄積された時間をゆっくりと指でなぞって遡っていくような感覚。

 

「『楽しんでおいで』って、言われたわ……」

 

 笑っていた。そう言って送り出してくれた。

 関係者なら地下バ道まで入ることができる。トレーナーとウマ娘の関係性によっては、あるいはそのときのウマ娘の調子次第で、レース場に出る直前までトレーナー同伴のウマ娘の姿を見ることはそこまで珍しい話じゃない。

 どうして相棒は俺だけを送り出した?

 

「あっそ。そう言うならその通りにしたらいいんじゃない?」

 

 勝算が無いから見限られたか?

 いや、それはありえないな。

 俺の実力どうこう以前に、始まる前から勝負を諦めるようなやつじゃない。どこからどう考えても請け負ったウマ娘の人生を粗雑に投げ捨てるような大人じゃねえ。

 

「温厚な常識人みたいな顔をしておいてやっぱりあの人ってゴールドシップ先輩の担当よね。自分でやるよりアタシに任せた方がより勝率が上がると踏めば、躊躇なく任せるんですもの」

 

 ま、リシュは妥協込みで届くような相手じゃないけどね、とスカーレットは皮肉気に肩をすくめる。

 お前が言うならそうなんだろうさ。説得力が違う。もしかしたら張本人であるリシュを差し置いて、世界で一番リシュを語る資格がある。

 

「楽しんで走ってきたら? アタシと違って、アンタは走れるんだから」

 

 だからそれやめろって。肯定も否定も簡単にできなくて無駄に脳みそ使う感覚が疲れるんだよ。

 でも、そうか。

 楽しむ、か。

 楽しんでいいんだ。

 

 そういやレースを志したのはダービーに憧れたからだったけど。

 そこから始まって今日まで走ってこれたのは楽しかったからだ。

 勝てて嬉しい。負けて悔しい。思い通りに走れてテンション上がって、思い通りにいかなくて上がった分まで含めてガタ落ちしてどん底。

 どれもこれも走るのが楽しいって大前提の上に積み重ねられてきたもの。それがどでかい基礎だからこそどれだけ重ねても崩れることがなかったもの。

 

 ゴルシ先輩もブライアン先輩もレース中は楽しくってたまらないとばかりにギラついた笑みを浮かべている。それぞれの得意距離では並ぶものなしと一目置かれるバクシンオー先輩やタイキ先輩だってそうだ。

 俺が『走るの楽しい』って感じたの、いつが最後だっけ?

 いやいや、まてまて。早合点するな。つまらないってわけじゃなかった、はず。そこまで腐っていたら流石に相棒がなんか言ってきただろう。

 でもここ最近は負けられねーって思いが強くって。俺がダービーの敗北から立ち上がる足がかりになった一方的な約束、その履行しなきゃなんねーってことに意識が持っていかれていて。あんまり楽しいと感じられるだけの余裕がなかった、ような……?

 

 いやだって仕方ないだろ!? だってリシュが発表したトゥインクル・シリーズ最後の年間ローテで府中マイルはこれが最初で最後だぜ? ここまでそのままズバリ俺の最も得意な戦場が用意されて、これはもう負けられねえ負けちゃなんねえってなるもんだろっ!! 春天じゃあ鬼気迫るライス先輩相手に雨天の淀の坂でレコード叩きだしたりするしさあ!? プレッシャー追い打ちもいいとこだぜアレ!!

 何があったって折れず揺らがず曲がらず我が道を行くスカーレットやマヤノみたいなやつばかりじゃないんだよ! ああもう俺の同期そういうやつ多すぎんだろ!? 何で俺が相対的に常識人みたいなポジションになってるんですかねえ!?

 恐ろしすぎんだろ相対評価。俺だって自分なりにだいぶ型破りでアウトロー寄りのつもりなんだがなぁ……。このあたりの感性でいちばん話が通じるのがあのデジタルって時点で何かおかしいわ、うちの世代の代表(テッペン)ども。

 

「まったく、遅刻する気? さっさといけば」

「お、おう」

 

 どんと乱暴に肩を小突かれてレース場へと送り出される。

 まったく、応援に来たとは思えん態度だ。でもま、俺たちならこのくらいがちょうどいいんだろうな。ライバルってのは必要以上に馴れ合わないもんだ。

 送り出せる程度にはマシな表情になったらしい。

 一方的に借り作っちまったな。これは利子をつけておいて、スカーレットのやつがまた走れるようになったら散々煽り倒すことで返すとしよう。

 ライバルと言うにはここまでの戦績は少しばかり一方的って事実には都合よく見えないふりして、外に出たことで急増した明るさに目を細めた。

 

「……おー、空が青いぜ」

 

 梅雨の季節とは思えないくらい、雲一つない快晴と緑に光る芝がそこには広がっていた。

 

 

 

 

 

『快速自慢が集う東京マイル、安田記念! 春のマイル王は誰の手に』

 

 トレーナーからは信頼と楽しんで走れば勝てるだけの実力を、親友からは俺にこの上なくぴったり合わせた激励を贈られた。

 こりゃ無様に負けるわけにはいかなくなったな。いやまあ勝ちに来たんだが。

 

 東京レース場はよく馴染む。

 左回りなのか芝なのかコースの形状なのか何がいいのかハッキリしねーが、ともかくしっくりくるんだ。ずっとここにいたくなるような。あるいは魂があるべき場所にガツンと嵌っているような気さえする。

 ファンファーレをスタンドじゃなくて芝の上で聞くのにも慣れてきたな、なんて考えて。

 そう考えたことで自分がもうシニア級なんだなって、上半期がもう終わりそうになる頃にようやく実感が湧いたのかと苦笑する。

 おいおい、俺まだ中等部三年だぜ? 歳を取るごとに時間の流れが早く感じるなんてのはよく聞く話だがなぁ。中学でこれなら酒が飲める年齢になる頃にはもうマッハだろ。

 

『三番人気はウオッカ。二枠四番での出走です』

『昨年はマイルチャンピオンシップにてタイキシャトルを始めとした錚々たる顔ぶれを打ち破り、クラシック級にして秋のマイル王に輝きました。はたして今日はここ安田記念を制し、二大マイル戦覇者として名乗りを上げることができるのか』

 

 今日の俺は三番人気か。

 まあこんなもんだろ。

 過大評価だとも過小評価だとも思わない。考えなしに反骨精神を剥き出しにするには、今の俺はもう世界の広さを知り過ぎたから。

 

 お、今のなんかカッコよくなかったか?

 

 それに一番人気が順当に一着を獲るのが当たり前なら、レースの盛り上がりは半減するってもんだ。

 二番人気でも三番人気でも、何なら十五番人気くらいのレース場までわざわざ見に来ているファンだって名前を憶えていないようなウマ娘が快勝することがある。それが当たり前。それがレース。一番人気に推されてずっと勝ち続けているリシュがただの非常識なんだよ。もはや勝ち続け過ぎて非常識と常識が裏返りかねないレベルになってるけど。

 だったらさ。もはやリシュが勝ち続けることが常識みたいなことになってんなら、俺が常識破りの女王になってやろうじゃねえか。なあ?

 

『二番人気はタイキシャトル。五枠九番での出走』

『言わずと知れたレジェンド。私イチオシのウマ娘です。そのパワフルな走りは多くのファンの心をがっちりと掴んで離しません』

 

 タイキ先輩は二番人気か。

 こちらもまあ、そんなところだろうと納得するだけだ。いちおう昨秋のマイルCSでは俺の勝ちだったんだがな。その一回だけでは格付けには不十分だった、少なくとも今日この場においてはそういう評価が下されてんだろ。

 だったらもう一度勝てばいい。何度でも勝てばいい。認めてもらうんじゃない。認めざるを得ない結果を出すのが本当の強さ、カッコいいヤツだろ。

 ま、それが至難の業だってことは重々承知しておりますがね。簡単なことならそもそも挑まないんだよなあ。

 

『そして本日の主役はこのウマ娘をおいて他にいない。一番人気テンプレオリシュ、三枠六番での出走です』

『ついに銀の魔王がマイルGⅠへ侵略を開始。はたして王者たちは自らの領土を守りきれるのか』

 

 いや、リシュはあれでクラシック級のころにNHKマイルカップ獲ってんだからアイツもれっきとしたマイル王だろう。外部からの侵略者扱いはピンとこねーな。たしかにあちこちで勝ち過ぎてリシュがマイル王者って感じはあんまりしねーけどさ。

 それとも『どこにでもいけるリシュと違って俺たちはマイル(ここ)くらいでしか勝負できないのに、その数少ない領土(GⅠ)すら奪われるつもりなのか?』と揶揄しているのか。

 へっ、言ってくれるじゃねーの。嫌いじゃねーぜそういうの。

 

 ざっくり一年ぶりにレース場で相対したリシュは、あの頃とはまた印象が変わっていた。

 霧の立ち込める森という大枠こそ据え置きだが、人を拒む魔境の姿はもうそこにはない。人の手が入り人に恵みをもたらしてくれる温和な秩序の空気がある。

 ただ、木々の隙間から無数の武具がちらついているのはどう判断すればいいのか。

 真っ二つに折れた木刀や罅だらけの槍なんてものがあるかと思えば、きらびやかな装飾がほどこされた鎧や宝玉のついた大剣なんてものもある。一貫性の無いそのラインナップは博物館と言うよりも、森の中で戦があって討ち死にした死体だけがどこかに消えてしまったような、不穏で不可思議な何らかの物語性を感じさせるものだった。

 つわものどもが夢の跡。

 何となくそんな言葉が思い浮かぶ。正しい使い方なのかは知らん。俺はリシュやスカーレットほど現国の成績がよくないんでな。いや、たしか松尾芭蕉の俳句だから古文か?

 総評して得体のしれない感じは減ったが相変わらず理解しやすい存在ではないし、感じるエネルギーの総量そのものは上がっている。なんてこったい。

 でもビビってない。怖いけど、すげえ怖いけど。身体が縮こまっていない。不思議な感覚だ。むしろワクワクしている。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 観客の期待と願いがぎゅっと押し込められて邪魔しないよう沈黙に変わる一瞬。

 じゅうぶんに温まったエンジンのように心臓が満足げな唸りを上げる。

 金属の擦れる音がしてすべてがいっせいに解放される。

 

「イヤッフー!」

 

 デカくてパワーに満ち溢れたものがものすげえ速度で動く。それだけで本能的に仰け反ってしまいそうな威圧感。

 

『いまスタートしました! ばらつきのない綺麗なスタート』

『熾烈な先行争い。前に立ったのは十番アングータ、五番ブリーズグライダー、十五番ジャズステップ』

 

「はあああああ!」

「しゃあ!」

「オラオラオラオラァ!」

 

 そんなスタートダッシュを決めたタイキ先輩に臆することなく、逃げウマ娘たちが先陣を争う。

 先頭に立ちそうなのはアングータかな。ブリーズグライダーと並んでレースを引っ張る展開になりそうだ。ジャズステップはちょい遅れ気味。

 

 アングータ。こいつともなかなかに長い付き合いだよな。皐月賞でマヤノともやり合っていた同期で、あの有記念にも出走していた幅広い距離適性の実力者。ま、この走りを見るに適性はマイル寄りだろうが。

 脚質は逃げ一辺倒……と見せかけて、イチかバチかの破滅逃げからペースをコントロールする幻惑逃げまで、レースごとにいろいろ試行錯誤している様子。気質的に先頭を譲ることはできないんだろうが、その上でこのままじゃダメだと次から次へと勝つ手段を模索しているのだろう。

 こいつの出走ローテは明らかにリシュを意識している。だから工夫しているわりに成果に繋がっていない。識者気取りは目立つために先頭を走っているだけ、なんて言いやがる。

 バカが。伊達や酔狂でリシュと同じレースに出れるかよ。スターティングゲートの金属と閉所の圧迫感にリシュの威圧感が重なって、もはや物理的な斥力すら生じそうなそこに踏み込んで、ようやく肩を並べることのできるステージがここだ。

 本当に本気でカッコつけるためじゃなきゃこんなことやれねーっつの。

 だいたい、レースごとにガラリと作戦を変えてそれを本番までにきっちり仕上げるってかなりの労力と難易度だからな。不器用そうに見えて実際不器用なのかもしれねーけど、それだけのウマ娘に成し遂げられる逃げ(コト)じゃねーのさ。

 

 さてと、俺はもう少し後ろに控えさせてもらうとするか。

 短距離ほど露骨ではないが、それでも安田記念はたった九十秒で決着がつく刹那の戦い。本能的に少しでも前へ、前へと位置取りたくなる。特に今回はタイキ先輩とリシュっていうスピードの化身みたいなウマ娘がひとりじゃないんだから、あんまり後ろの方だとそのまま押し切られるんじゃないかと、レース前は先行策でいくことも考えていたんだが。

 俺は俺の差し脚を信じることにした。もともと東京レース場は直線の末脚勝負になる展開が多いってこともある。それに何より最後にいっきにバ群を切り開いて勝った方が絶対に()()()

 レースは問題集じゃないんだ。練習通りの、想定通りの状況が来てくれる保証なんてどこにもない。だったら自分から崩していくのも一興ってもんだろ。

 

『向こう正面中間に入って先頭は十番アングータ。五番ブリーズグライダーそれに続く』

『十番アングータと五番ブリーズグライダー、この二人がレースを作っていきそうですね』

 

 すーっと砂が流れるように一塊となっていたウマ娘たちがそれぞれ自分のポジションを確保していく。

 逃げを選んだ者たちが最前線を構築し、その後ろに先行勢がばらばらと続く。タイキシャトルというウマ娘はその恵まれた体格と存在感が相まって後ろからよく見えた。逆にリシュは足音が聞こえない独特な走法も相まって妙に影が薄い。

 つか、前目につけているウマ娘多くね? タイキ先輩やリシュたちでさえ八番手から九番手。俺に至っては十二番目だ。

 早くに動いてそのまま押し切れるようなコース構造ではないはずなんだが。たしかにタイキ先輩やリシュはその無茶を成し遂げてしまえる実力の持ち主だが、誰もがそんな無茶苦茶を成し遂げられる才覚を持っているわけじゃない。

 

「負けない……負けられない……負けたくない……!」

「あんなローテでろくに調整もしていない天才に譲ってたまるか。マイルはアタシのもんだっ!」

 

 ばちばちと魂がはじけてその火花が顔にかかってくるみてーに、今の段階から前を走るウマ娘たちの想いが俺に降りかかってくる。

 ああ、その気持ちはよーくわかる。俺だって負けたくねえ。リシュにも、スカーレットのやつにも。『な、なんてやつだ。あれほどの実力、今の俺はあいつに勝てるかどうか……!』なんて背景と一体化して解説役に専念するライバルキャラみてーなポジションに収まるのは御免だ。

 ただ、気ばかり急いても足が速くなるわけじゃないんだよなぁ。何より自分に追い立てられながら走っても楽しくねえ。

 ほんの少し前までの俺もあの中にいたのかもしれない。そう思うとわずかばかりの寒気と同情と、それ以上にワクワクが湧いてくる。

 やっべ、なんか自分でも根拠がよくわかんねーのに楽しいぞ。

 

『期待通りの結果を出せるか? 一番人気の六番テンプレオリシュはちょうど列の真ん中で様子をうかがっているぞ』

『六番テンプレオリシュ、周囲の状況を把握できるいい位置につけています。その内には九番タイキシャトル、そしてその後ろに行くのは十一番ミニコットン』

 

 存在しているだけで否応なく周囲に影響を及ぼすスーパースター。そしてそんな相手がただ『存在しているだけ』で終わらせてくれるはずもない。

 注目に存分に応じるからこそのスーパースターってね。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 

 乱暴者の塗り絵みてーに。肉体の枠を完全にはみ出した思念が世界を塗り潰す。東京レース場のバックストレッチがテンプレオリシュというウマ娘の色で上書きされていく。

 投影される光景もまた、以前に見たそれから進化を遂げていた。

 映し出されるのはしゃらんと花開く腕の甲冑。あらわになった細い指をごつい銃に這わせていく。白い銃剣。折りたためば銃口があらわになる銃モードと、真っ直ぐ展開してショートソードほどの長さになる剣モードの変形機能付きだ。

 リシュはこういうときめく装備や言い回しを用意するのが得意なのに、妙にそれを認めるのを嫌がるんだよなぁ。いや、これはテンちゃんのなせる業なのか?

 折りたたまれた銃モードの状態ですら拳銃としてはかなり大型になるそれをリシュは両手で抱き抱えるように持つと、左胸に埋めて引き金を引いた。

 ぱぁんと肉体を貫いて背中から大輪の赤い花が咲く。

 

 はぁ!? だからいちいち演出が俺のハートにダイレクトアタックなんだって! なにそれカッケェ!! 傷ましさの中に混ざるどこか神聖な美しさというかああもう、情緒がMAXになって言葉が出てこねえッ!?

 

 僭称(イミテーション)【レンタルネコの手百裂拳】

 

 ただ、続いて花開き実った世界が地に落ちて芽吹いた光景は一転してそういうしんみりした美的感覚とは無縁のものだった。

 にゃーにゃーと聞こえる無数の猫の鳴き声。空間にぺたぺた押される色とりどりの肉球スタンプ。

 なんだこれ。いや本当になんだこれ。さっきとの温度差で風邪ひきそう。

 

 ああいや、なんとなく効果はわかるんだぜ? その意図の方も。どうにもソワソワというか落ち着かない感じがするし、掛かりやすくするとか掛かったら長引くとかそういう感じだろ。

 リシュとタイキ先輩という強大すぎる相手に冷静さをガリガリ削られているやつが多い現状、タイキシャトルというライバルの存在感まで活用してまずは周囲を削りにきたか。

 スタミナが長距離で重要なのはもはや言うまでもないが、短距離だって距離にして一キロは下らねえんだ。自分のペースを見失ったウマ娘はマイルだろうと容易く溺れて沈む。まったく容赦がねえ。ついでに油断もねえ。

 

「フゥン?」

 

 ただ、その影響を誰もが受けるわけじゃない。

 タイキ先輩あたりは効果範囲真っただ中だったが、本人が特に何かしたというわけでもないのにその周囲ではハラハラと赤い花びらに逆戻りして散っていった。

 

《うーん。やっぱり適性距離S以上のレジェンド級相手に無印デバフはあまり刺さらんなぁ。干渉力が違い過ぎて抵抗ロールすら発生していないって感じがするよ。まあこちらが頂点に上り詰めたことで格上殺し(ジャイアントキリング)系の手札が軒並み使えなくなっているというのも大きいけど》

 

 どこかで普段とは雰囲気の違うリシュのぼやきが聞こえた気がする。

 ここは二大マイル戦と称されるほど格式あるGⅠタイトルで、出走するウマ娘も相応の実力者揃いだ。

 それでもリシュもタイキ先輩も特にピッチを上げているわけでもないのに、じりじりと順位が上がっていく。スピードのベースクロックが違い過ぎるんだ。ざらざらと先団を形成していたウマ娘たちが押し退けられていく。

 直線が第三コーナーに変わり、横目に見える大ケヤキを越えたらもう第四コーナー。ごちゃごちゃと入れ替わりが激しくなってきちゃいるが。この瞬間リシュは四位まで順位を押し上げていて、一人挟んで六位にタイキ先輩がいる。俺は位置的に微妙だが十一位ってところかな。

 

『大ケヤキを越え第四コーナー。まだ先頭は動かない、このまま直線での争いになるのか』

『十番アングータまだ先頭をキープしています! 五番ブリーズグライダーここで抜け出すか。九番タイキシャトル内で様子をうかがう。六番テンプレオリシュまだ抑えたままだ。中団の八番デュオジャヌイヤ不気味に息をひそめる。後方では十三番アゲインストゲイルその位置から届くのか』

 

 なんだこれ。はっきりわかる。妙に視界が冴え冴えとしていて、誰がどこにいて次にどう動こうとしているのか脳内にくっきり思い描ける。自分の後頭部で揺れる髪さえありありと目に映るようだ。

 初めて“領域”に目覚めたときのような万能感と、あのときさえ超える高揚がふつふつと湧き上がってくる。

 今の俺は世界と繋がっている。たいした根拠もなくそう確信した。

 

 領域具現――666:ランナー・オブ・ビースト

 

 先頭で世界がまた一つ炸裂する。

 そうかアングータ。お前もまた到達したんだな。

 

「これがアタシの集大成、もってけぇ!!」

 

 

 




次回、安田記念決着
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