「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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安田記念決着
途中で三人称視点が挿入されていますが品質に問題はありません

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サポートカードイベント:血と骨で織り成すgravity

 

 

U U U

 

 

 バ群を貫いて押し寄せる、こことは異なる光景。

 見えたのは岩。山と見紛う巨岩というわけでもなければ、クリスタルのように透き通っているわけでもない。何の変哲もないただの岩だ。

 荒々しい表面。水と親しみ角が取れて苔むしたものとは違う。ろくに風を遮ってくれる草木も無い荒野でどれだけの時間を過ごしたのか。

 その表面が赤く灼ける。まるで透明な焼きごてを押しあてたみたいに。いや、岩があんなに煌々と灼ける温度の焼きごてって何だよって話だが。

 6・6・6と数字が三つ。象形文字のように独特の崩し方をしたそれが浮かび上がる。

 そして、ただそれだけだ。ド派手に爆発なんてしない。ビームとかも出ない。

 その岩ができあがるまでにどれだけの歴史があったのか。細かな砂が集まって岩になるまでどれだけ圧縮される年月があったのか。何を思って数字は刻まれたのか。想像はできても想像できるだけだ。頂点が織り成す鮮やかな異能と比べると悲しいほど情報量の少ない、ささやかな世界。

 だからこそコイツらしいと思った。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 そしてそんな情緒を顧みることなく無慈悲に魔王の牙は狩る。

 まるで獣の咆哮みたいな轟音を立てて、黒剣が虚空に青い尾を引いて飛んでいく。四方から、八方から、獰猛に秩序ある動きで飛び掛かる。

 それがシーツの上に描かれた絵で、そこにハサミを入れるみてーに。岩も荒野も灼けつく数字も平等にじゃくじゃくとあっけなく千々に切り裂かれていく。咀嚼されていく。

 

 ……いや、俺もアイツの黒剣は喰らったことあるけどさ。

 あそこまで禍々しいもんだったっけ? もう相手のすべてを喰らいつくしてやんぜって勢いじゃないか、アレ。

 

《ふむふむ、残り666m地点をトリガーに発動する速度上昇、加速、スタミナ回復の欲張りセットか。ゲームじゃスパート中のスタミナ回復は無意味なことが多かったけど、現実じゃありがたいことこの上ない。性能だけ見れば実質的に【スリーセブン】の上位互換。どんな脚質でも使えるところも実に美味しい。あとはコスパとの兼ね合いだなー》

 

 脳内に、いや身体のどの部分と表しても微妙に違和感の残る部分でリシュのワインをテイスティングするソムリエじみた感想が響いたのは気のせいだと思いたい。気のせいでこんな長々とした幻聴が聞こえるのもそれはそれで問題だが。

 

 領域具現――ヴィクトリーショット!

 

 それでも状況は待ってくれない。いちいち立ち止まって考察している暇など無い。ここはもう息を継ぐ間もないマイルの終盤戦。

 広がるのは西部劇の背景のような赤茶けた乾いた大地と青い空。中央に陣取るカウボーイのような格好をしたタイキ先輩。ぎらりと鈍くリボルバーが光る。

 

「さあ、参りますヨー! イザ尋常に勝負デース!!」

「ああ、受けて立つ」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【優等生×バクシン=大勝利ッ】

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)

 僭称(イミテーション)【Shadow Break】

 

 リシュだって譲らない。立て続けに赤い花を咲かせてみせると、一歩も引かずに競り合いに持ち込む。

 銃弾が乱舞し、桜の花びらが金色の奔流に煽られて空まで舞い散る。華やかな光景に反し衝突で鳴り響くのは大型トラックが正面衝突したような重量級の破砕音。

 その様はまさに怪獣大決戦。余波だけで街が吹っ飛び降り注ぐ瓦礫から人々が逃げ惑う、そういう規模の生きた災厄だ。あいにくレースに参加したウマ娘は逃げるわけにはいかないんだがな。

 

『九番タイキシャトル前を狙っているぞ! じりじり詰めるタイキシャトル、このまま先頭に立つか?』

『集団が一つにまとまって混戦状態です! 前に抜け出すのは容易じゃなさそうですが四番ウオッカ、まだ動かないか』

 

 ああ、あまりにも規模が違う。彩度が違う。アングータのやつとは比べものにならない。

 だがこれだけは言える。やつに足りないのはきっと努力ではない、と。努力でどうにかなる境界線じゃない。頑張ればタイキ先輩やリシュたちと同規模のものが創り出せるようになるだなんて、俺には口が裂けても言えやしない。足りないのは頑張りじゃない。

 

「いただきます」

「アウッ!?」

 

『さあ最終コーナーを曲がって最後の直線コースに入る! 残り四百で抜け出したのは六番テンプレオリシュ』

『テンプレオリシュ! 先頭は六番テンプレオリシュこれは強い、完全に抜け出した!!』

 

 鍔迫り合いはリシュが制した。

 俺の目にはその裏側の光景まではっきり見えた。リシュは白銃から生じた二枚の“領域”で真正面からの競り合いを演じる傍ら、黒剣でばっさりタイキ先輩を死角から斬ったのだ。

 いや、斬ったというより『喰いちぎった』と言う方が正確か、あれは? まるで獣の(アギト)のように規則正しく並んだ三対六本から成る黒剣の編隊ががちゅんと抉り取っていった。その影響で揺らいだタイキ先輩の世界はそのまま押し切られたのだ。

 まったく、なんつーご無体な話だよ。人間なら二刀流やっている最中に三本目に背中抉られるなんてサシの勝負じゃありえないってのに。いや、リシュはもともと一人でふたりなんだっけか?

 やれやれだぜ。天才とそれ以外を区切る境界線、その向こう側でさえ優劣が生じる。

 さぁて、俺はどっちかな!?

 

 領域具現――カッティング×DRIVE!

 

 鮮やかなポスターカラーで塗り分けられるウマ娘の影、影、影。

 拡張する世界がどのように動けばいいのか、俺の脚に直接教えてくれる。俺の魂が勝ち方を知っている。あまりにも手の届くところに降りてくる必勝の感覚。

 そしてこうやって俺の世界を俺の外側に広げたとたんに、リシュのやつが襲い掛かってくる。無数の黒剣が青い残光を纏いながら飛び込んでくる。

 捕食者を前にした草食獣の気持ちを追体験ってか? おかしいな、俺がやってるのってレースだよな?

 だがどれだけ鋭い爪でも、恐ろしい牙でも、こう来ると軌道が見えていれば避けられないものでもない。赤いラインが少しだけ先の脅威を俺の目に描いてくれる。

 バ群を切り裂き、こちらを切り裂こうとする黒剣を躱し、ぐんぐんと先頭までの距離を詰めていく。

 

「ははっ!」

 

『残り二百! 四番ウオッカ、すごい脚だ! 内側から切り込んでいく!』

『三番アゲインストゲイル動くも前が塞がっていますね。これは厳しいか。九番タイキシャトル食い下がる。まだ勝負は続いています』

 

 楽しいな。すっげえ楽しい。

 ウオッカというウマ娘に込められたすべてがエンジン全開のフルスロットルで唸りを上げている。己という存在が全身全霊でただ一つの目的に集中する愉悦と快楽。

 勝つ。俺が勝利を手にする。今この瞬間はこの面々を前に臆面もなくそう断言できる。

 

「……たしかに、ここはウオッカの世界なのかもしれない。でも」

 

 ぱちりと擦れるような意識の接触。

 ドン、と胸に衝撃。

 見下ろすといつかの焼き直しのように黒い柄が生えていた。

 

「は?」

 

 や、なんでだ?

 たしかにリシュの黒剣はかつてとは規模も練度も桁が違う。従来だって優しくなかったのにえげつないレベルに育ってやがる。

 でも俺だって進化してるんだ。強くなってんだ。直撃するようなミスはしなかったはず。

 俺の中の何かがごっそりと持っていかれる喪失感、下手打った焦燥。それより先に真っ白な疑問が来て視線を彷徨わせる。剣の襲来を予測する赤いラインは一本たりとも見逃さなかったはずなのに。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 白域(ホーリー・クレイドル)(リバース)

 僭称(イミテーション)【カッティング×DRIVE!】

 

 ぺらん、とシールみたいに俺の“領域”の一部が()()()()

 その下から現れるデンジャーを示す赤いライン。本来あるべき世界を覆い隠していた薄っぺらな部分はくしゃくしゃに縮むと赤い弾丸に変わり――いや、あれは『戻った』のか。そのままハイスピードカメラの巻き戻しみてーな動きで白銃の銃口へと吸い込まれていく。

 ちゃきん、と弾倉に弾が収まりリボルバーが回転した音がやけに響いた。

 

「今はほんの少しだけ、私たちの世界でもある」

 

 以前に奪い取った“領域”を介してオリジナルへの干渉、か?

 ……はは、お前そんなこともできたのかよ。

 もはや笑うしかない。そんなこちらの内心がこぼれてしまったのか、はたまた偶然か、するりと赤と青の瞳と目が合った気がした。

 

「できるようになったんだよ、ウオッカ。あなたに勝つためにね」

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 十束剣(トツカノツルギ)

 【カッティング×DRIVE!】×【鍔迫り合い】×【ヴィクトリーショット!】

 =【勝利裁断DRIVE SHOT!!】

 

 世界の動きがまた一段階変わる。

 知恵の輪の解説動画みたいにスムーズな速度で白と黒の銃剣が空中でバラバラになり、そこに設計図があるように迷いない動きでまったく別のかたちに組み上がっていく。

 瞬く間に形を成したのは、巨大な(はさみ)

 刃渡りだけで小柄なリシュの身の丈の八割を超えるのではないかというビッグサイズ。いったい何を裁断するための道具なのやら。まあわかりきった話ではあるが。

 パズルのように入り組んだモノクロのカラーリングの隙間から絡みつくように赤と青のオーラが立ち昇っていて、こう……すげえイイ。禍々しさの中に隠れる優美さというか、退廃的とは紙一重のエネルギッシュさというか。リシュの今のドレスによく似合っている。銃剣のモチーフが所々に残っていて自分を傷つけそうな部分に刃が露出していたり何に使うんだって弾倉がついていたりすんのもすっげえイイ!!

 

 そしてそんな造形に見惚れながらもわかっていた。ここは既にやつの射程圏内だってな。

 

 「へえ、そいつはなんとも――光栄な話だ」

 

 諦めない。完全にしてやられたがこの身体はまだゴール板を横切っちゃいない。

 タイキ先輩だって歯をむき出しにし、噴き出す汗が蒸発せんばかりの気迫でまだ勝負を続けている。俺たちはまだ誰一人として終わっちゃいない。

 それがただ、結果が確定するまでの刹那のあがきに過ぎないとしても。

 

 ひやりと首の両端に冷たい感覚。

 じゃきりと刃の噛み合う音を頸骨越しに聞いた。

 

『ゴォールッ!! 一着は六番テンプレオリシュ、テンプレオリシュです! 並み居る強豪ですら彼女を抑えることはできないっ! 二着は四番ウオッカ、三着は九番タイキシャトル』

『今年に入ってから既にダート、中距離、長距離GⅠの冠をそれぞれ手中に収め、いまこうして芝マイルGⅠを新たに手にしました銀の魔王。恐るべきことに鉄壁の一バ身はこの期に及んでなお健在。このウマ娘に敵う者がいるのか……?』

 

 

U U U

 

 

 激闘、決着、その熱すぎる余韻に観客席が沸き続ける中、静かに少女のささやきが転がる。

 

「……いつから、この光景を予測していたんですか?」

 

 ここではない、ありえた世界線において。

 ダイワスカーレットとその担当トレーナーは気が置けない相棒であった。外面を気にする彼女がそれを取り繕う余裕もなくなった時期に出会い、それを支え、そして立ち直るのに一役買ったことで共に歩む関係性がスタートしたが故に。その対話には敬語も無く、時として彼女の激しい気性のままに振り回す、信頼と甘えをないまぜに向ける相手だったのだ。

 ここのスカーレットはそうではない。

 幼少期から『著しいストレス』にさらされてきた彼女は、逆にトレセン学園では新たな挫折を味わう機会に恵まれなかった。その精神は安定性を増し、それは自身の担当トレーナーとの関係性を構築する上でも大きく影響した。

 すなわち、指導者としてしっかり敬意ある態度で接する相手となったのである。そしてそれはかくあるべき世界の彼女たちより関係性において劣ることを意味しない。

 

「ずっと前からだよ、スカーレット」

 

 彼女の目の前にいるトレーナーは間違いなく傑物の一人であり、大人として包容力のある態度は気性の激しい一面のあるスカーレットを穏やかに包み込んで有り余るものだった。

 意地を張らず素直になることができる相手というのは両親以外では初めてであり、あるいは親に対しても時として意地を張ってしまう彼女にとってかけがえのない相棒である。

 

「ウオッカはずっと前からこれだけの実力があったのさ」

 

 二人の瞼には鮮やかにターフの上で演出されたウオッカの末脚が焼き付いていた。

 今度こそ誰もが確認しただろう。マイルの歴史にまた一つ、伝説(レジェンド)が刻みつけられた事実を。彼女はもはやタイキシャトルに比肩しうる存在であると。

 楽しんで走っているだけで勝利する、あの“スーパーカー”マルゼンスキーにも通じる圧倒的な才気。それさえもなお凌駕したテンプレオリシュが色々とおかしいだけだ。

 

 これも、また別の世界の話であるが。

 『ウオッカ号』と呼ばれた彼女は日本ダービーに勝利しその世界の歴史上六十四年ぶりとなる快挙を成し遂げた後、しばらく苦難の日々が続いた。

 予定していた凱旋門断念からの年内は四連敗。年が明けた後も勝てないレースが続き、ようやく勝利を掴んだのはダービーでの栄光からおよそ一年もの時を経てのこと(皮肉なことにそれは、この世界で今まさに決着のついた安田記念のできごとであったが。それは本題ではないので今は置いておこう)。

 その戦績の低迷ぶりに複数の怪我の存在が無関係であるとは誰も言えないだろう。凱旋門遠征断念の原因にもなった右後脚に発症した蹄球炎。その後国内でエリザベス女王杯の当日朝に出走取消の原因となった右関節跛行。たとえ怪我が治ったとしてもマイナスをゼロまで取り戻すのは、プラスにプラスを加算するよりずっと困難で精神に消耗を強いるものだ。

 しかしこの世界においてウオッカはダービーの後から健在のままここまで成長を続けてきた。歴史的快挙を成し遂げられるだけの潜在能力の持ち主が、ダービーからずっと一直線にその潜在能力を引き出され続けていたのだ。

 

「ただ、最近少しばかり負け癖というか、調子を崩していただけなんだ」

 

 あの有記念はそれだけのものだったから。

 いつか勝ってやりたい目標と、常に一歩及ばないライバル、そんな彼女たちの壮絶な一戦を目の当たりにして、自分にあれができるのかと問うてしまった。自分はあれらに一枚劣る存在なのではないかと疑ってしまった。

 ウオッカの常識人たる所以である。

 

 どんなことがあっても揺るがない決意。絶対に諦めない覚悟。

 たしかにそれは素晴らしいものだ。たいていの場合は諦めて別の道を探す方が安易であるからこそ。挫けそうになる心をそのたびに打ち直してついには成果を掴み取る、それが英雄譚として語られることそのものは決して間違いではない。

 ただ人間という生物の生態として適正か、となると話は変わってくる。

 人間がここまで地上に蔓延る生物となった要因として、『これではダメだ』となったときに別の道を模索する能力をもつことは無関係ではないだろう。

 ギャンブルで考えればわかりやすいか。このままでは勝てないとなったとき、諦めずに資金を投入し続けて負け分までひっくり返せるのは運なり実力なりに恵まれたほんの一握り。多くの場合、運も実力も無いのに引き際を見誤った者に訪れるのは破滅である。

 

 スカーレットの覚悟も決意も信念も、彼女自身の才覚と環境に恵まれ成果に繋がったからこそ『覚悟』や『決意』や『信念』としていまや絶賛されている。

 何か一つでも掛け違えれば、それだけで現実を直視できない愚直な不器用さだと嘲笑と憐憫に塗れる未来もあっただろう。

 これはスカーレットに限った話ではなく、天才と呼ばれる人種は何かしら感受性の扉がガッチリ閉ざされて、その部分はいっさい外部からの情報をアップデートできない、そんな心の形状をしていることが往々にして存在する。

 スカーレットが極端な例であるのもまた事実だが。

 

 ウオッカはそうではない。

 人並みに情報を受け入れ――だからこそ人並みに迷い、悩むのだ。それが彼女の弱さであり、強みでもある。

 

「大丈夫。焦ることは無いよスカーレット。きみは必ず走れるようになる。走れるようにする。それがトレーナーの仕事で、これでもこの業界じゃ腕利きと評判なんだ」

「……はい」

 

 そわそわと無自覚であろう動きで己の脚を撫でていたスカーレットにそう諭すと、ぴりぴりと張りつめかけていた彼女の雰囲気がほっと解れた。

 どれだけ身体が育ち心を鍛えていても中等部の女の子。ライバルの強さを目の当たりにすれば走れない現状と相まって焦りもする。

 その焦燥が、ひとつ声を掛けただけで鎮静化する。その信頼に応えたいと彼は思う。

 青年の評判は『この業界じゃ腕利き』どころか名伯楽といって過言ではないものである。そのことに関して大した思い入れは無いが、こういうときに使えるのは単純に便利だった。

 

「…………しかし、勝てなかったかぁ。これは単純な読み負けじゃないな」

 

 わしゃわしゃと頭を掻きまわしながらウオッカの担当トレーナーは考える。

 ウマ娘ならぬ身に“領域”は直接観測することはできない。ただ結果だけから全貌を推察することしかできない。

 ただ、どうにもそれ以外でも『足りていない』という直感の囁きを無視できないでいた。

 

 一日の長。

 テンプレオリシュの中にある二つの人格の内、テンちゃんと名乗る方。

 彼女に見えていて、自分の側に見えていないものがある。こうしてシニア級になるまで追い続けて、丹念に情報を敷き詰めて、ようやく見えてきた空白のピース。

 実は彼とテンちゃんにはそれなりに交流がある。具体的にはLANEのやり取りが、頻繁と言うには少ない頻度で行われる程度に。そう言えばオークスの前後にはダイワスカーレットの体調を心配する旨の連絡が何度も来ていたし、実際にその期間はスカーレットの体調がやや不安定な時期でもあった。

 

「未来予知? いや、それにしては不自然だな」

 

 本当に未来が予知できるのであればもっと効率的な立ち回りがあるし、その模範解答に気づかない程度の相手であればレース業界全体がこれほど振り回されることも無かった。相手を低く見積もることほど愚かなこともない。

 漠然とした直感。テンプレオリシュはずっとずっと前から今日この日に勝利するための布石を打っていた。

 それは大きなものではないし、決定打と呼べるようなものでもないだろう。だが確かに結果を左右したのだ。

 一バ身を覆せずに負けるほど彼の担当ウマ娘は弱くない。ならばそれはこちらの落ち度であるはずだった。

 

 テンちゃんと名乗る彼ないし彼女はジュニア級の頃から、あるいはデビューする以前から。自分たちが『最初の三年間』でどのレースに出走し、誰と対峙し、それをいかに打破するのか。漠然と展望を抱いていた。そんな気がする。

 ウマ娘もトレーナーも多かれ少なかれ似たようなことはやっている。むしろ目標とするレースも、心にこれと決めたライバルも無く、この業界を走り続けることのできる者の方が稀だろう。

 だがそれとは違うのだ。根本的に何かが異なる。

 たとえば“皇帝”と謳われるシンボリルドルフ。彼女はデビュー前から注目の的だったし、実際にデビューしてからはものの見事に周囲からの期待に応えてみせた。

 しかしそういうウマ娘ばかりではないのだ。前評判から一転してデビューすらできずこの業界から去る者もいれば、シニア級になってから突如として開花して無双し始める者もいる。そして、そんな例は決して珍しくない。

 テンちゃんの漠然とした布石はあまりにもリソースの配分に無駄がない。どのウマ娘がどの時期にどれだけの力量を有した状態でどのレースに出走するのか、まるであたりがついているみたいに。

 

「ああ、並行世界の観測。歴史を閲覧できるのか」

 

 かちんと金具が嵌るように答えが当て嵌まった。

 シニア級に入ったあたりから彼女たちが外部に露出させ始めた情報によると、テンちゃんと名乗っているのはウマソウル。それがどこまで事実なのか鵜呑みにすることはできないが、まんざら根も葉もない嘘ということはあるまい。

 ウマソウルによって受け継がれるのは、こことは異なる世界で紡がれた歴史と名前。もちろんそれが『ウマ娘はただ異世界の歴史に沿って走ることしかできない運命の操り人形なのだ』という主張とイコールではないが。

 漠然と特定のレースや相手に引き寄せられるように感じたり、過ぎ去った後に「あれはそういうことだったのだろう」と納得したり、何かしら『それらしい』経験を一度もしていないウマ娘はごくごく少数派だろう。

 それを自分の分だけではなく、他者の歴史も俯瞰できるのだとしたら。まるで歴史の教科書を閲覧するように、ウマソウルに刻まれた歴史の全体像をあらかじめ知っていたのだとすれば辻褄が合う。

 

「……いいなぁ」

 

 皆が霧の中を一歩一歩進みながら手探りで地図を作っている中、一人だけ完成形の地図とコンパスがあらかじめ手元にあるようなものだ。

 もちろん地図を持っているがゆえの弊害もあるだろう。たとえば地形が変わっているとか。先にも述べた通りウマ娘は運命の操り人形ではなく、必要とあれば覆すのがトレーナーの仕事だ。少なくとも彼はそう思っているし、実際に何度か不都合な運命の横っ面をひっぱたいて道を譲らせた自覚もある。そういう場合、逆に地図が手元にあるからこそ道を見失ってしまうこともあるだろう。

 それはそれとしてすごく羨ましい。

 

「トレーナー?」

「ああ、いや。やるべきことがはっきりしたってだけさ」

 

 未だおさまらぬ大観衆の興奮に紛れて当然のそれを、当たり前のように聞き逃すこともなく不思議そうに首を傾げた自分の担当にそう頷いてみせる。

 そう、相手がどういう経緯でどんな情報をどこまで知っているのか、だいたいあたりがついただけ。そしてそれが自分には直接手だしのしようがないし真似もできないというのが同時に把握できただけの話。

 そう、やることはこれまでと変わらない。それがハッキリしたのだから思索に時間を費やした価値はあった。

 

「次の宝塚記念でリベンジだ」

 

 さて、己の相棒たる葦毛の奇行種はいまどのあたりにいるのだろうか。

 一緒に東京レース場に来たところまでは確かなのだが、また焼きそばを売りさばいているのだろうか。移動時間も因果関係もまるごと無視して太平洋をバタフライで横断していてもまったく驚かないが。

 

 

U U U

 

 

 レースの余熱が少しずつ冷めてきて、ようやく負けたって実感がしみ込んできた。まったく、冷めて味がしみ込むって俺は煮物かなんかか。

 もうとっくの昔にウイナーズサークルでのインタビューは終わっていて、そろそろライブの準備始めなきゃって時間帯だ。どれだけ長々と余韻に浸ってんだって話だよな。

 でも楽しかったんだ。

 もちろん悔しい。シニカルな表現で押し包んで誤魔化そうとしても耳の奥で血管がゴウゴウ唸っていて、毛細血管が切れて鼻血が出るんじゃないかってくらい悔しい。

 それでも楽しかったんだ。いまだに血がざわめいているのはきっと、悔しさからだけじゃない。

 

「じゃあ相棒、行ってくるわ」

「ああ、いってらっしゃい」

 

 負けて帰ってきた俺をトレーナーはしっかり労ってくれたし、こうして今は何も言わずに控室から送り出してくれた。

 そうそう、今は一人になりたい気分だったんだよ。ライブのバックステージにたどり着くまでの短い時間だったとしても。

 本当にアイツと一緒にトゥインクル・シリーズに挑めてよかったと思う。うまく表現しきれないがこう、居心地がいいというか何と言うか。見守られていて、支えてもらっていて、息がしやすいんだ。

 だから今日もできれば勝ってやりたかったなと思うんだが……ああもう、やめやめ! 既に決着ついてることをこれ以上くよくよしたって仕方ねえだろうが。

 そんなことを取り留めも無く考えていると、行く手に人影が二つばかり。

 

「……なんだよ?」

「左脚」

 

 思ったより一人でいられる時間は短かった。

 そこにいたのはどちらも顔見知り、リシュとアングータだった。立ち位置的にリシュが待ち構えていて、そこにアングータが来た感じか?

 だらりと壁にもたれかかったリシュの勝負服姿はレースで三着以上の戦績を出した証。別に立ち塞がるような姿勢でもないのに、水に濡れた綿がびっちり敷き詰められているような圧迫感が道をふさいでいる。

 バックダンサーの衣装に身を包んだアングータとはどこまでも対照的だった。

 

「ははっ、バレちまったか。さすがだな。まあ見逃してくれや。足をもつれさせて転んだりはしねえからよ。これで最後なんだ」

 

 聞き耳を立てていたつもりはないが、内容が内容だけにそれはするりと耳から脳に伝わって心がぴんと張り詰める。

 

「ん、あなたの身体だ。自分で決めたのなら好きにしたらいいと、私は思う。救急車で搬送されなきゃいけないような緊急性のある壊れ方をしたわけでもなさそうだし、応急処置はされているようだし。

 でも、きみだけの身体ってわけでもない。トゥインクル・シリーズにいる以上、その身体に責任を持つのはトレーナーの領分でもある。ちゃんとトレーナーには報告しているんだろうね?」

「当然」

 

「よし、確認してくるね」

「ははっ、信用ねーなあ」

 

「ことレース関連で、ウマ娘の理性や自制心ってものを、ぼくは信用しないことにしているんでね」

 

 そう言い終わるや否やリシュはこちらに向かって駆けだすと、そのまま軽やかな足取りで俺の横を通り過ぎる。

 俺は何も言えずに、ただ見送ることしかできなかった。

 

 そりゃ、脳裏にはいろいろ言いたいことがよぎったさ。『ここまで何度も競い合った同期が引退をほのめかしているのに何も思うことはないのか?』とかな。

 だが、何だかんだ長い付き合いだ。アイツの横顔と、そこで静かに光るガラス玉みてーな青い目を見れば察せられるものがある。

 アイツはどこまでも客観的に『テンプレオリシュと競い合うことの残酷さ』を知っているんだ。

 『自分は勝ち続ける。絶対に負けない』と決めているからここに残れと、自分と競い続けろと言うのは自分に負け続けろと要求するのとイコールだと思っている。

 だから去る者は追わない。自分と出会って相手が潰れるのは当然のことだと思っている。どれだけ信念をつぎ込み努力を積み重ねても報われないのに、それでもなお覚悟を問うのは非人道的だとさえ認識している。

 アイツがそんな道理を放り出して感情のまま袖に縋りつきそうなのは、俺が知る限りどこかの一番バカくらいだ。

 逆に言えばあれくらい才能あるやつが何もかもつぎ込んでたった一つを求める勢いで人生懸けてようやく視界に入るってことで。腹立たしいというか何と言うか……たぶん寂しいことだよな、それって。

 何はともあれ、少なくともアングータはリシュにとって引き留めるに値する相手じゃなかったってことだ。俺はどっちなんだろうな?

 

「よっ」

「おう」

 

 別に物陰に隠れているわけでもなく、リシュの背中を見送っていたアングータと視線が合うと、奴はきまり悪そうに片手を上げた。

 

「悪いな。聞かせるつもりはなかったんだが」

「気にすんな。ここで話し始めたのはリシュのやつだろ」

 

「あいつが悪いってわけでもないんだがなあ」

 

 言葉に詰まるほどではないが、どこかぎこちない空気が漂う。

 俺個人としては残ってほしい。だってシニア級まで肩を並べ続けた貴重な同期(いきのこり)だ。同じチームの相手ほど交流が無いのは確かだけれども、仲間意識はそれなりに持ち合わせている。

 ただ、リシュが言っていたことを忘れるわけにはいかない。

 俺はぱっと見で相手の状態を直感的に把握するなんてリシュやマヤノ(あいつら)みてーなことはできないが、それでも意識して見てみるとたしかに体重の掛け方に違和感がある、ような……?

 いや、わからんわこんなん。俺たちウマ娘って場合によっちゃ骨折していても走れるどころか自覚症状さえ乏しかったりするし。本人が言っていたようにライブがこなせるレベルならトレーナーならぬ俺の目で判別できるもんか。

 

「へへっ、いつか絶対に勝ってやるって思っていたはずだったんだがな……。心が折れる前に脚の方が先に音を上げやがった。いや、グラス先輩やダイワスカーレットみたく絶対に復帰してやるって思えなかった時点でやっぱり心の方もやっちまったのかな?」

 

 照れくさそうに苦笑いしながらアングータが左脚をさする。

 どれくらい悪いんだ、とは聞けなかった。

 どれだけ軽傷だろうと怪我をしたら時間をかけて治療して、その後にはリハビリだ。これまでプラスに積み上げてきたものがマイナスになって、それをゼロに戻すための戦い。

 その道程がどれだけ過酷で苦しいものなのか、俺はこの半年ずっと傍で見てきたんだ。軽い怪我なら諦めるな。治して復帰しろよなんて、どの口が言える?

 

「だからよ」

 

 近づいてきたアングータが、ドンと俺の胸を突く。

 

「あとのことは託したぜ。“新世代のマイル王”さまよ」

 

 声の調子こそ変わっていなかったが……震えが隠せていないその拳に、燃え尽きてなお捨てきれなかった最後の熱が込められているような気がした。

 

 そのとき改めて実感したのかもしれない。

 ガキの頃、無邪気に憧れていたてっぺんに居座ることの意味。俺が既に獲得していたはずの玉座の重み。そこに座るということ。

 

 そうか、これが“王”の重圧ってやつか。

 

 リシュやタイキ先輩はずっとこれを背中に載せ続けていたんだな。だからあれだけ重い走りができるわけだ。

 レースっていうのは勝者より敗者が圧倒的に多い勝負の世界だ。勝ちまくっている俺はそのことをずっと前から知っているつもりだった。それでもまだ、GⅠという冠の価値というものを理解しきれていなかったらしい。

 

 きっと俺の憧れているブライアン先輩なら歯牙にもかけない。

 あの人はそういう人だ。弱い相手には見向きもしない。煩わしいと切って捨てるだろう。そういう靡かない態度がすげークールでカッケェと思う。

 スカーレットもそうだ。アイツはブライアン先輩みたく外聞を気にしないわけではない。むしろすげえ外面に気を遣って優等生フェイスを維持するタイプではあるんだが。

 それでも優先順位は揺るがない。たった一つの『一番』のためにそれ以外を切り捨てる覚悟がある。託される想いが重荷になると判断したらスカーレットは相手と目を合わせた上で、それでも容赦なく切り捨てる。

 

 でも、俺にそれは無理だ。

 託されたこれを切って捨てることなんてできない。

 

 それが俺の強さになるとも思うんだ。

 今日走ってわかった。俺はまだまだ強くなる。昨日よりも今日、今日よりも明日、どんどん強くなっていく。

 今日負けたのなら次勝てばいい。そう自分を信じられる。次に戦うときはもっともっと強くなっている。そう信じられる理由に、きっとこの託された熾火はなるはずだから。

 カッコつけんなら意地なんて張ってナンボだろう?

 

「しゃあ! まかせとけ!!」

 

 胸を張って大声で強がった俺に、アングータは眉を下げて笑ってくれた。

 




これにて今回は一区切り!
いつも通り一週間以内におまけを投稿した後、書き溜めに移行します
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