「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」 作:バクシサクランオー
感想、誤字脱字報告もありがとうございます。
U U U
いま私たちがいるのはトレセン学園ではなく、桐生院家所有の土地。
もうレースまであといくつ寝るとという時期なので限界まで追い込むようなことはしない。最近露骨に長くなってきた日が暮れるころには、激しいトレーニングの類は切り上げている。
だから一分一秒を惜しむこの状況でもこうして雑談に花を咲かせる機会もあるわけで。おしゃべりに興じているようで身体は丹念かつ丁重に動いている最中だ。
雑談と雑念はイコールではないし、気もそぞろに適当に運動しているわけではないというのは明言しておく。この時期に雑に動いてケガするとか泣くに泣けない。葵トレーナーにも顔向けできなくなってしまう。
「……うん。誰が勝ってもうらみっこなし、でいこう……」
「ミーク先輩、そこは『私が勝つけど恨まないでね』くらい言ってもバチは当たらないと思いません?」
「お、おおう。リシュさんの魔王節がこの上なく……」
無駄なことに時間を使っている余裕は無いが、この時間は無駄じゃない。学園に入学したころの私なら……いや一年前の私であったとしても。
自分がこんなことを断言できる人間に成長しているなんて予想だにしないだろう。
テンちゃんが言うところの友情トレーニングとやらの兼ね合いなのか、ある程度の人数がいた方がトレーニングの効果が高いのだが。今回は葵トレーナー監修のもとかなり繊細な調整を行うのでここにいるのは彼女の担当である三人のウマ娘のみ。
草の生い茂った堤にずらりと打ち込まれた丸太が夕日に照らされている。今日の私たちの頑張りの成果だ。
テンちゃん曰く、これが今の最先端のパワートレーニングなるもの……らしい。もちろんその情報を鵜呑みにしたわけではなくて、葵トレーナーが我が身を以てその効能を確かめてから導入に至ったものだ。
《さすがの葵ちゃんとはいえ一本あたり三撃は必要だったけどね!》
うーん、どこからツッコめばいいのやら。
たしかに水泳に代表されるように、他の競技を用いて走力を鍛えるのはそこまで珍しいことではないけれども。次のレースでは十分以上にパワーを確保しておくべきだという意見にも賛成だけども。
正式名称『ハリテパイル』。レースほどメジャーではないがれっきとしたウマ娘競技の一種目である。その名の通り、杭を張り手で壁に埋め込んでいくというスポーツだ。
ちなみに杭とはいうが実際は一抱えもある丸太。葵トレーナーが瓦割りできることは知っていたけどさあ……。
ああいうのってヒトミミは普通ハンマーとか使うんじゃないの?
《ハンマーがあっても堤防にあの深さまで丸太の杭を埋め込むのは数日作業だろうな。というか、普通は重機が必要な土木作業だよ。発祥はまさにそのあたりだったりするのかねえ? スポーツって意外な由来があったりするし。たとえばカバディなんかは紀元前のインドの狩猟が元だって言われているね。武器を持たずに数人で獣を囲み、声をかけながら捕らえる遊戯性の高い狩猟がベースになっているとか》
カバディって『カバディカバディ』叫びながら走る鬼ごっこみたいなスポーツだっけ? ふーん、元は狩猟から発展したものなんだ。
たしかに、張り手で丸太を埋め込んでいくその行為だけ抜き出せばシュールそのものだが。かつてウマ娘が碌な道具も無い時代から土木作業に従事し、工作の優劣を競う文化がやがてスポーツに発展し、現代まで繋がってきているのだとすれば――納得と敬意が芽生える、気がしなくもない。
しかしそう考えると、葵トレーナーが自分の手でトレーニング効果を試せることが輪をかけておかしくなってしまうのだが。
《あれで葵ちゃんもあくまで中央トレーナーの身体能力トップクラスであって、ぶっちぎりのトップとまでは断言できないのがすごいよなー。シチトレとか走ってタクシーに追いついていたし。表面化していないだけで探せばもっといるだろ》
中央ってすごいんだね。
本当にその理解でいいのかわからないが、それ以上考えるのに疲れた。
ま、さすがにヒトミミが私たちと同じことはできないけどさ。
当初こそ相撲のツッパリよろしくバシバシ張り手を叩きこんで丸太を打ち込んでいたが、慣れてきた今となっては掌底一発で丸太一本を規定ラインまで埋め込むことが可能だ。いくら葵トレーナーといえどもそれは真似できない。出力が違い過ぎる。これがウマ娘のみに許された所業。
それにしてもこの競技、広大な土地と人手を有する桐生院家がバックにいる私たちだからこうして頻繁にトレーニングできるけどさ。そうじゃない子が練習するのってかなり難しい気がするんだけど。
《いまさらだな。スポーツなんてかかる費用は天井知らずじゃないか》
そうか、いまさらか。言われてみればウマ娘に限った話でもない気がしてきた。
「……リシュちゃん」
ミーク先輩がじっとこちらを見てくる。
「はい?」
「負けません……今度こそ」
前にも言われたな、それ。
有馬記念の記者会見、その控室での出来事だっけ。
そのときは別に、争う気など無かった。レースでの話ではなく、葵トレーナーの担当ウマ娘としての話だ。
葵トレーナーの愛馬はミーク先輩だ。彼女たちが築き上げたものの上に私たちはいて、その恩恵は計り知れない。そのポジションを奪い合う気など無かった。
今は少し違う。恩に感じているのも、桐生院葵の隣はハッピーミークこそが最もふさわしいと思っているのも変わっていないけれど。
「勝ちますよ、私が。これまでも、これからも」
ぐっと力を入れて一歩踏み込む。
桐生院葵はハッピーミークのトレーナーであるのと同時に私たちのトレーナーでもあって、アグネスデジタルのトレーナーでもある。いまさら羅列するまでもないただの事実。
だからこそ、譲ってはいけない。葵トレーナーは一人しかいないのだから。どれだけ愛情と熱意と敬意と良心に満ち満ちた人であっても二十四時間の呪縛からは逃れられない。
同じ立場にいる相手は仲間であるのと同時に、トレーナーの育成リソースを奪い合う競争相手。
私たちだって彼女の担当ウマ娘なのだ。引け目を感じる理由などどこにもないはずだ。
「……うんっ」
ふんすふんすと満足そうに鼻息を荒げながらミーク先輩は頷いた。実に嬉しそうだった。
《そうか、争いたかったのかミークパイセン。ずっと競い合うのを待っていたんだな》
え、あれ、そういう反応?
あー……悪いことしたな。私もデジタルもそういう、ウマ娘として当たり前の情緒の動きには疎い傾向にあるから。
《ウマ娘に限った話じゃないさ。人間というのは自分の所持しているものを独占したがる反面、他人に羨ましがられることでその価値をさらに実感するという性質を持っているからな。中にはどうでもいいものだったはずなのに、他人に取られてから惜しくなるような救いがたい一面もある。
ま、それだって全人類共通した感性ってわけじゃなくて『他者に欲されることで呪いがかかる』と見做す文化圏もあって、そういうところでは憧憬されることを避けるためあえて大切なものに劣悪な名前をつけたりもする。『腐った雑巾』とか》
さすがに自分の大切なものを腐った雑巾呼ばわりするくらい割り切れてはいないなぁ。
考えてみるに、かつての私は無敵だった。
だって失って困るものがなかったから。
より厳密に言えば、敗北によって失われるものは私にとって無くなっても困らないものばかりだった。周囲の評価、連勝記録、あと獲得できなかった賞金……をそこに含めるのはちょっと違うか。賞金は勝ち取るもので負けて失われる区分じゃないもんね。
まったく惜しくないと言うほどではないが、とくべつ執着するほどのものでもない。一方で勝つことによって得られるものは美味しいものばかり。
勝敗のメリットとデメリットが釣り合っていなかった。だから勝負に出ることがちっとも怖くなかった。ある種の『無敵の人』ってやつである。
今は違う。
敗北は私にとって唯一にして絶対の部分を侵すリスクを含んでいる。テンちゃんと一緒にいられなくなるかもしれない。そんなこれまで一度も考えたこともなかった未来。
はっきり言ってテンプレオリシュとはふたりでひとつがあるべき姿なんだから、中途半端に片方だけ残るよりは共に消滅した方がずっとずっとスッキリする結末なんだけど。これ言ったらたぶん両親にも半身にも怒られるからここだけの話にしておくとして。
でも、それだけじゃない。私のいろんな意味でクリティカルな部分の存亡が懸かっているというのは最大の要因だが、それ以外にもいろいろと失いたくないものが増えた。
葵トレーナー、チームの仲間たち、レースでしのぎを削るライバルたち。そんな彼らとの接点が私たちの勝利を基礎にしている以上、敗北によりそれらの関係性は少なからず変質せざるを得ないだろう。それが怖くなった。
そうだ、認めよう。とても見苦しくて気恥ずかしいが直視してやる。私は怖い。
これまでだって勝てると確信してレースに出ていたわけじゃないけど、負けるかもしれないと思うと身体が震えそうになる。
レースを迎えるたびに恐怖が心の奥底から滲むようになってしまった。今のところ、それに足を取られた経験はないつもりだけど。これからどうかはわからない。
負けられない戦い……などと言ってしまえばスカーレットあたりが『バカね。負けていいのならそもそも戦うまでもなく譲ってしまえばいいだけの話でしょ。負けられないから戦うんじゃない』と鼻で笑うだろう。目に浮かぶようだ。
だが負けるのが気に食わない程度の軽い動機しかなかった私にとって、突如として認識できる範疇に湧いて出た負けてはいけない理由の数々は半年過ぎてもなお消化しきれない重さだった。むしろどんどん重さを増している気さえする。
私は弱くなってしまったのだろうか。心が肥え太って贅肉がついて、鈍くなってしまったのだろうか。
少し余分なものを削った方がいいのか? 研ぎ直すべきなのか?
《いや、時間が経つごとに大切なものが増えて臆病になるのは何もおかしいことじゃないだろ。それは
そうなの? そんなもん?
《もともとリシュの心は薄すぎて鋭すぎるくらいだったんだから、少し厚みを増したくらいでちょうどいいんだよ。失いたくないものが増えたのは強さだ。
抱えるものが少ないゆえの無敵っていうのは大陸の方じゃ評価されるんだろう。仙人とかまさにそうだ。杜子春の中国語版と日本語版の違いを見ればよくわかる。
ただぼくは日本で生まれ育ったから、道教的思想よりも他人を慈しむ心を評価したいわけさ。ま、よーするに臆病さに囚われて優先順位を間違えなければいいだけの話だよ》
その最後の一言が重要なんだけどねぇ。
ちなみに『杜子春』とは芥川龍之介が同題の中国の伝記小説を童話化したとされる短編小説であり、人間社会に嫌気がさした主人公が仙人になろうと『何があろうと声を上げてはならない』という試練を受けるものの、最後の最後で失敗してしまうというのが概略となる。
具体的な試練の内容は中国語版の原拠と日本語版で異なれども、おおよその流れは共通している。しかしその最後は明確に違うのだ。
肉親への情を断ち切れず試練に失敗してしまうという点は共通。ただ日本語版の場合の主人公は母のため声を上げてしまったことを後悔していないし、試練を課した仙人も逆に主人公が母のために声も上げないような人間ならここで殺してしまっていたとその心を評価する。さらに仙人になれなかった主人公に一軒家と畑を与え最低限の衣食住を保証してやる。
一方の中国語版の原拠では本当に乗り越えるべき試練であり、産んだ赤子が殺されようとあそこで声を上げなければ仙薬ができ仙人になれたものを、と試練を課した仙人は主人公を突き放す。
お国柄が出ているというか何と言うか。
同調圧力とか空気を読むとか、日本では美徳として扱われがちなしがらみを煩わしく感じることは多々あるが。それでもやっぱり私はこの国に生まれて正解だったとよその国の空気にぶち当たって心が悴む経験をするたびに思うよ。
あーあ、海外いくのいやだなー。
それにしても相変わらず、テンちゃんとの会話はぽんと教養が必要とされるものだ。
まあ私自身なんだから同じものをインプットしている以上、『なにそれ知らん』ってことはそうないのだけれど(たまにならある)。
こういう喩えを出したということはつまり、文脈を素直に読み解けば要するに、少し前までの私は仙人になりかねないような精神構造をしていたということかな。そしてそれはテンちゃんにとってあまり好ましい状態ではなかった。いや、肉親のため咄嗟に声を上げてしまうような情緒を好ましく思っていると言った方がより正確か。
《大丈夫だーじょーぶ! ぼくがいるんだから。こういうのは善悪も正誤も無いバランスだからね。偏りそうになったら内側から指摘してあげるよ》
テンちゃんがそう言うなら大丈夫か。そう思える程度に一人の人生をふたりで分かち合うことは私にとって自然なことで。
それを失いたくないと、やっぱり思うのだった。
《ねえリシュ》
テンちゃんの雰囲気が少し変わる。
《罪悪感を覚える必要はないよ》
……罪悪感? 何に?
《んー……。中二病っていうのは客観性の発達から生じる自己肯定感と承認欲求の暴走だと思うんだよね。以前に話したことあったっけ?》
おっと、話が飛んだぞ? いろんな意味で。
脈絡のない話を勝手気ままにべらべらとまくし立てて煙に巻く手法はテンちゃんの
《人間は生まれたときには世界の中心なのさ。一人称視点で世界を捉え、自分の価値観で物事を噛み砕き、自分なりに吸収して自分の中で再構築する》
ただ、私にはあまりやってこない。これまで皆無というわけじゃないが、自分自身を騙したって仕方がないもの。生産性の無い行いだ。
何より今のテンちゃんは声の調子が普通に真面目。
だから黙って続きを聞く姿勢に入る。中二病と客観性はわりと遠い存在なのではないかと少しばかり思ったが、茶々は入れなかった。
《だが背が伸びて視界が広がると、ある程度の時期にふと気づいてしまうんだ。『あれ? もしかしてオレってそこまで大した存在じゃない?』ってね。自分の外側にも世界が広がっていることに気づいて、自分が広い世界の中では矮小な存在なのだと理解してしまう。これがだいたい十四歳前後、中学二年生あたりでよく起きる覚醒イベント》
テンちゃんの独白は続く。
覚醒イベント扱いでいいのか、それは。いや、幼い幻想から目覚めているわけだから中二病的な意味ではなく文字通りの覚醒で合っているかもしれないが。
《そこで次にどうなるか? 自分がたいして価値の無い十把一絡げの存在だと諦念と共に受け入れるのか? 違うね。まだまだ世間の厳しさを知らず負けん気の強いお子様は、目減りしてしまったように見える自らの価値を再び器一杯に満たさんと挑戦を始めるのさ》
なんとなく挑戦するお子様への風当たりが強いように感じるのは、テンちゃんにもそういう時期があったからだろうか。
テンちゃんの知らない私は存在しないと言い切ってしまっていいくらいだけど、テンちゃんがテンちゃんになる前の『前世』はまるっきり私のあずかり知らぬところなんだよな。
知らずともその経験の延長線上にあるのがテンプレオリシュというウマ娘なのだから、知らないというだけで私の一部ではあるのだけど。それはそれとして少し寂しいというか、もやもやするものはある。
《しかし広がってしまった視界は教えてくるんだ。順当な手段では世の価値のある人々と等価になることはできない。同じ高さまで上り詰めるのは非常に困難を極めるし、順当にいったとしても膨大な時間がかかる。でもそんなの待っていられないのさ。すぐに成果が欲しい。手っ取り早く自らの価値を主張したい。足りない頭は即効性を何より求めるからね。
そこでたどり着く手法が規格の統一された現代社会基準の値札ではなく、別ルートから値札を持ってきてそこに自分の理想の値段を書き込むショートカット。すなわち黒魔術や悪魔や前世の記憶といったものを持ち出して自らの価値を担保させようとする、少し聡明になってしまったからこそ順当な社会貢献で周囲の関心を引こうとはしない幼稚で稚拙な自己主張。これが中二病の基本原理ってわけ》
なんともまあ赤裸々な。世の中二病患者が聞いたら首を掻き毟って悶絶しそうだ。
あと前世の記憶は私が閲覧できないだけで私たちには存在しているわけだが。それで自分の価値が高まったなんて私が感じたことはないぞ。
《そりゃまあ、リシュだからね。リシュは自分が自分であるってだけで一億万点でしょ?》
それはそう。
私の自己肯定感は常にMAXだ。
で、つまるところ何が言いたいの? 長々と語ったけど実はまだ前置きの段階でしょ。
《ご明察。要するに十四歳前後のお子様にとって自身の世界が広がり、相対的に自分の価値が下がったように感じるのはごくごく自然な成長の一環ってことさ。
でもそう感じるってだけで、別に
レースを楽しむことに罪悪感を覚える必要は無いよ。それはべつにぼくの存在を軽んじているわけじゃないからね。
テンちゃんはさらっと言った。
ここまで妙に仰々しく前置きしたくせに結論は吹けば飛びそうなほどあっさりだった。
「同志? あの、リシュさん? どうなさいました?」
心配そうに声をかけてくるデジタルに反応を返す余裕がない。
ああこれが、頭が真っ白になるとはこういう感覚か。また一つ人生経験が豊かになったなと回らない頭で考えた。
……おちつけ。まずは否定から入ろうとするんじゃない。
反射的に湧いて出たその憤怒と嫌悪は本物か?
テンちゃんがこう言っているんだ。錆びついたように回らない思考回路に指をかけて無理やり稼働させろ。
ひとつずついこう。私はレースを楽しんでいるのか? 自問自答。
いやまあ、これには是と答えよう。楽しくなければ今日まで走っていない。お金だけで選べる選択肢じゃない。手っ取り早く稼げるがハイリスクハイリターンもいいところ。多少なりとも走るという行為にポジティブな想いを抱いているからこそ、私はレースという道で身を立てることを志したのだ。
昨年のスプリンターズS以降その想いはますます強くなった。これまで経験してこなかった“掛かり”という感覚が生じるほどに。
これまで積み重ねてきたものを根底からひっくり返して宙にばら撒いて、魂でまとめてぶつけ合うような戦い。全身全霊を振り絞る快楽。
それに応えてくれる相手。自分がこれまで頑張ってきたのと同じように相手も必死に頑張ってきたのだと、理解できる共感と安堵。
私にとってレースはどんどん楽しいものになっている。
じゃあ、私はレースを楽しむことに罪悪感を覚えているのか? 続けて問う。
……そうかもしれない。指摘されるまで自覚はまったく無かったけど。
だって前提が前提だ。今の私のレースの勝敗はテンちゃんの生死に直結している。
敗北が即死に繋がるとまでは言わないけど。きっと寿命的なものや世界に干渉できる権利的なものは一敗ごとにごっそり減る。
《テンプレオリシュはふたりでひとつのウマ娘だって外枠は既にできあがっているんだから、そこまで警戒する必要は無いと思うけどねー。完全消滅ルートに入る可能性はごくごく低いと思うよ。せいぜい稼働時間が減ったり、温感や味覚が喪失したり、感情や感性の一部が壊死するとかそういうどこかで見たような
それら何一つとして許容できないんだよ、私は。
自分のことなのにそんなヘラヘラ笑いながら言わないでよ。
《自分のことだからこそボクが言わなきゃ不謹慎な空気になるでしょ》
自分で言ったって不謹慎なことに変わりはないよ。
傷つくじゃん。
《そっか、ごめん》
ん、許す。
そう、たとえばの話だ。
親族の心臓手術を執刀する医者がマスクの上からでもわかる満面の笑みで、鼻歌まじりに心臓にメスを入れていたらどう感じるだろうか?
たとえ楽しんでいるということは集中しているということで、笑顔に鼻歌オプションの方がパフォーマンス向上に繋がるのだとしても。
それでもやめてほしいと感じる人が大半ではないだろうか。
生死に関わる局面では神妙な顔をしているべきだ。楽しむなんて不謹慎だ。少なくとも私はそう考えるタイプの人間だったようだ。
《だけどさ、そんなのもったいないだろ? せっかくレースが楽しくなってきたのに、今年に入ってからのリシュは楽しく感じる自分を戒めているように見えたよ。漠然と感じてはいたけど、確信したのは安田記念のウオッカを見たときの反応だね》
…………ああ、そうだ。
私はデジタルと芝で走るときをずっと楽しみにしていた。視界の外からすっ飛んでくるあの凄まじい末脚。すごく身体に悪そうである。ダートの上でさえあの切れ味なのだ。ダートよりも速いタイムが出る芝の上で相対すればその脅威はどれほどのものだろうか。
でも宝塚記念でその待ちに待った機会が成就しようとしているのに、ここ最近それを意識したことがあっただろうか?
いよいよ認めざるを得ないようだ。私がレースの楽しみを無意識に意識しないようにしていたということを。
うーん、なんかさ、もっとこう、どうして予感がした時点で教えてくれなかったの?
《だって貴重な経験だろ? こういうことでぐらぐら真剣に考えるなんてことはさ。中高生の間にできるだけやっておいた方が精神的成長に繋がるってもんだ。でもこのままいったらたぶん負けるから。リソースがいい感じに削れてるのに精神的に枷が掛かった状態で、その上で補正付き主人公属性を相手にやるのは逆境通り越して無謀だから》
ああ、私の半身ってこういうやつだったわ。
家族に恵まれ努力がたいてい報われる順風満帆な人生を送ってきた私ではあるが、その道中において一度も転んだことがない、なんてことがあるはずもなく。人並みの経験ではないかもしれないが、自分なりに転ぶ痛みも起き上がる気恥ずかしさも体験してきた。
テンちゃんは私の人生のレールの上にある大小さまざまな石を丹念に拾い集めて脇にどけるような真似をしなかった。転んでひざをすりむくのは身体を共有している以上テンちゃんも同じなのに、痛みも恥ずかしさも一緒に味わってきた。
これは二周目のテンちゃんの人生ではなく、一度しかない私たちの人生だから。
取り返しのつかない致命的なものでもない限り、テンちゃんが力づくで解決するようなことはなかった。常に見守られていたがその手は頻繁に離されていたのだ。
……でも、テンちゃんはそれでいいの?
自分の生き死にが懸かった戦いを楽しまれるなんて、嫌じゃない?
《楽しいと遊び半分はイコールで繋がっているわけじゃないさ。そもそも、それでいいも何も、レースってそういうもんだろ。ぼくらがこれまでやってきたことと何一つ変わりゃしないよ。負けたとしてもぼくの番が来たってだけさ》
…………嗚呼、そうだった。この脚でいくつの命を踏みつぶしてきたのだろう。
来世で頑張っているかつての同朋たちへのサービス精神を心がけてはいるが、言ってしまえばそれはあくまで来世でもレースに関わることを選んだ者限定のサービス特典。レース外までは流石に網羅していないし、その義理もないと思っている。
だけどこの国には芝でもダートでもない、コンクリートで舗装された道の方がずっと多い。
それでも、芝とダートで構成された前途が人生経験の少ないトレセン学園の中高生にとってはあるべき人生の展望であり、世界のすべてなのだ。
行く手にコンクリート道路しかなくなったとき、本当に皆がちゃんと次の一歩を踏み出せているのだろうか?
そんなわけがない。道が無くなってしまったと絶望して、転んで、蹲って、そのまま起き上がれなくなった子だってきっといる。
テンちゃんは常に意識していたのだろう。自らの選択が相手の命を脅かすものであると。天秤に相手の命を載せていたのだろう。
だから反対側の皿に自分の命を載せるのは当然のことだと。
テンちゃんにとって命のやり取りは今に始まったことではないのだ。相手が己の命運を脅かす存在であると認識した上で敬愛し、その勝敗で彼我の命運が分かれると判断したうえで勝負を楽しんできた。
ずっとテンちゃんはそういうことをやってきたのだ。
だったら私の自重なんていまさらの話だ。
ずっと昔から己のもう半分がやっていたことだったのだから。
認めよう。受け入れよう。そして楽しもう。
その先に私たちの未来がある。
私は私の最も大切な部分を脅かすものを、脅かすものであるまま好きになろう。
ぱちんと何かがはじけて消えた音が聞こえた気がした。
「……リシュちゃん」
「はい?」
「すごい笑い方している、よ……?」
「そうですか?」
ミーク先輩のご指摘を受けぺたぺたと顔を触ってみるものの、よくわからない。笑みの形に表情筋が動いているのは事実のようだったけれど。
「うん……負けない……!」
マイペースで独特な性格で知られるミーク先輩だが、当代桐生院の担当ウマ娘の中ではもっともトゥインクル・シリーズのウマ娘としてスタンダードな感性の持ち主だったりする。
つまり、ライバルとみなした相手が奮起していると自分も同様に燃え上がる。
「…………」
一方でやけに物静かなデジタル。
何を考えているのやら。
きっと大事なことなのだろう。今の私にとってレースが生存競争と化したように、今も昔も一貫してデジタルにとってのレースは推し活。
トレーニング中の尊死はレース本番の妨げになり、ひいては推しの晴れ舞台への侮辱に他ならないと鉄の信念で爆発四散を拒絶する彼女であるけれど。供給に対して生理現象は発生するのに、今はそれすら控え目に何かをずっと真剣な表情で考え込んでいる。
気になる、けど聞かない。
下手に次走関連だったらお互いに困るもの。八百長は厳禁なのだ。
李下に冠を正さず、と言う。
次走が同じレースを間近に控えた同トレーナーの担当ウマ娘は、むやみやたらと接触しなくなることが多い。
中央に来るウマ娘はどいつもこいつもプライドが高いので八百長をやらかす可能性はごくごく低いが、だからといって皆無ではない。
人間である以上、どうしたって距離の近さは心の近さに影響するものだ。言葉を交わしているうちに知らず知らず情が湧き、それに足を取られることだってなくはない。
それでもこうして三人まとめて葵トレーナーのお世話になっているのは、まあ言葉を飾らずに言ってしまえば私のためだったりする。
ちゃんと両者ともに同意の上だし、お互いにメリットのあるトレーニングになってる自信もあるけどね。
《友情トレーニングもアオハル魂爆発も使えるものはじゃんじゃん使っていこうねー》
葵トレーナーは中央トレーナーの平均のかるく三倍は早く動けるかもしれないが、それでも三分割ではとうてい足りない。他の二人に遠慮していたら私の宝塚には絶対に間に合わない。ウマ娘だけで勝てるレースじゃない。
なりふり構っている場合ではないのだ。わりと切羽詰まってる状況なのである。他人に無遠慮に指図されるのは気に食わないが、それはそれとして認めざるを得ない。
今の私はとってもわがままです。
《次のレースはボスラッシュだからなー。次のレース『も』と言うべきか? まったく、強敵に事欠かないにも程がある。だから選んだんだけど、だからといってしんどくないわけじゃないのよね》
ダイワスカーレットにウオッカ。
ゴルシTに担当されたウマ娘と私たちは幾度となく干戈を交えてきた。そこに易き戦いなど一度として存在しなかった。間違いなく彼女たちは歴史に名を刻むべき優駿だった。
それでも今もなお、彼は『ゴルシT』なのだ。それがどれだけ異質なことか、何気なく彼をそう呼ぶ人々は理解しているのだろうか。
あの天才が、現代の名伯楽が、その名ではなくその担当の名前を代名詞としている。その脅威をどれだけのウマ娘が認識しているのだろうか。
たしかにトレーナーよりもウマ娘の方が知名度は高い。GⅠを勝利するようなウマ娘であったとしても、その担当トレーナーの名前まで一人残さず言えるファンは全体の半分にも届かないだろう。アイドルはウマ娘の方であってトレーナーではない。
ただし、力量が一定ラインを超えると世間の認識は逆転する。
名ウマ娘の担当トレーナーではなく、名トレーナーの担当ウマ娘と呼ばれるようになる。
葵トレーナーだってそうだ。彼女が世間に呼ばれるときは『桐生院トレーナー』。それはあの人が名門桐生院を継ぐ存在であり、また彼女自身が若くて美人で生真面目で喋らせてみるとやや天然というメディア受けする要素をいくつも持っていることとも無関係ではないが。
結局のところ彼女は『テンプレオリシュT』と呼ばれることはない。それが事実だ。
《ゴールドシップっていうのはさ、主人公なんだよ》
テンちゃんはそう総評する。
《ひとつの世代の中心人物。勝っても負けても物語。みんなを笑顔にすることができるスーパースター。勝つことでしか息をすることができないぼくらとは違う、本物の主人公さ。
ま、前作主人公を踏み台にして今作主人公の強さを証明するのだって続編モノにありがちなテンプレ。せいぜい
ターフの上で邂逅するまで、あと少し。
あとそれ、爆死するタイプの二期テンプレだと思うよ。