「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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先入観は海の味

 

 

U U U

 

 

 アグネスデジタルの特長を一つだけ挙げろと言われたのなら、私は迷わず『魂の輝きがまるで色褪せないことだ』と答えるだろう。

 

 たとえばの話。

 天空の城に住居を定めた、とする。

 初日はそれこそ窓の外の景色が目に入っただけで震えるほど感動するだろう。感涙にむせぶことだってあるかもしれない。時間と共にたえず移り変わる雲や空という芸術を特等席から鑑賞し、その幸福を噛みしめることだろう。

 でも三日目には交通の不便の方が気になっていると思う。

 

 人間はよくも悪くも慣れる生き物だ。

 要するに、どれだけ感動できるものであったとしても日常的に摂取していれば飽きるのだ。そして次のものを探し始める。

 だからこそ世界中に蔓延ることができたのだと思うし、こうやって現在進行形でその恩恵に与っている身としてそれは必要な機能だったと評するほかない。

 

 ただ、幸福実現という観点からみれば困った生態であるとも思うが。

 あれほど好きなものだったはずなのに、飽食を続けているといつの間にか嫌悪すら抱くようになる。そして好きだったものを嫌いになってしまった自分ごと嫌いになる。

 中央ではよく見る光景だ。

 走ることが好きだからトゥインクル・シリーズを志したはずなのに。いまのトレセン学園で『走ることが好きですか?』と問われて『うん、大好き!』と即座に満面の笑みと共に即答できる生徒はウララを含め何人いることやら。

 まあ最低でも絶対に一人はいると断言できる。そのことはたぶん、普段は意識しておらずともトレセン学園関係者の心を少なからず救っている。

 

 嫌いになるとまではいかずとも、何度も何年も繰り返していれば普通は慣れるのだ。

 楽しいは楽しいけど、好きなことは好きだけれども、最初の一回目のように心臓を高鳴らせるようなところまではいかない。じんわりと快楽と愉悦を感じながら流れ作業で己が内に取り込んでいく。

 そうじゃなきゃ身体が持たない。毎回死ぬほど興奮できたらそれは好きなものを好きであり続ける姿勢としては理想だろうが、生物としては欠陥製品だ。

 

 その理想形で欠陥製品を体現しているのがアグネスデジタルというウマ娘なのである。

 

 もうトゥインクル・シリーズを走り始めて三年目になるのに、いまだに彼女はウマ娘を見るたびに奇声をあげ涎を垂らす。

 好きなだけで走り続けることはできない。トゥインクル・シリーズという舞台は見る者に夢を見せるが、舞台に立つ者たちにとってはただの現実だ。そして現実とは苦いものであると相場が決まっている。

 現実の苦味を幾度となく味わいながら、振り落とされないため毎日血の汗を流しながら、それでもデジタルの『好き』にはいっこうに陰りがみられない。

 きらきらとした瞳はずっと私を映している。自分で言うのもなんだが、私という暴虐に特等席で絶えずさらされ続けながらデジタルは折れるどころか尊いと手を合わせる。

 正直、理解できない。

 

 『好き』をこの鮮度で、この熱量で維持し続けることがどれほどの困難か。

 私はかのハルウララにも通じる超人的精神の一種だと思っているし、あまり公言したことこそ無いがアグネスデジタルというウマ娘の生き様を尊敬すらしている。

 

 何故か周囲にはいまひとつその凄さが理解されていないようだけれどね。

 とくに後輩ども。デジタルが尊死するたびにどこかバカにしたような笑みを浮かべている気がするのだ。

 お前らさあ、デジタルのウマ娘ちゃん愛を自分のレース愛に置き換えて考えてみたことある?

 この世界(トゥインクル・シリーズ)で、この環境(テンプレオリシュの隣)で、これほど楽しそうに推し活できるのがどれだけの偉業なのかちゃんと理解してる?

 理解してないんだろうなー。腹立つ。

 

 言わないけど。

 だって理解したところで後輩たちに何かメリットが生じるってわけでもないし。ただ私がスッキリするってだけだし。

 それって先輩のパワハラみたいで、なんか嫌じゃん?

 

 

 

 

 

 さて、本日は恒例の記者会見だ。

 一般層からのネームバリューは日本ダービーと有記念のツートップかもしれないが、宝塚記念はその有記念と双璧を成す春秋グランプリの一角(実際に開催されるのはそれぞれ夏の六月と冬の十二月だけど、立ち位置的に春シーズンと秋シーズンの締めくくりなので春秋グランプリなのである)。

 つまりレース関係者たちにとってその扱いは有記念に劣るものでは無い。いつぞやと同じように都内の高級ホテルの一室に通され、気の早すぎる拍手のように瞬くフラッシュを全身に浴びながら意気込みを語るのだ。

 

「どうぞ、こちらでお待ちください」

「ありがとうございます。いきましょうか」

 

 控室に通され、既に入室していたウマ娘とトレーナーたちから視線が集中する。

 そこまではいつも通り。

 ただ、見え方がいつもと違っていた。

 

「桐生院が来たぞ」

「三人、か……知ってはいたが実際に見ると壮観だな」

「敵は“銀の魔王”だけにあらず。そうわかっていても目が引き寄せられるな。実力は完全に上位といったところか」

 

 トレーナーたちがさざめいている。

 その横にウマ娘がいる。私たちを見ている。

 その視線に込められた感情の熱さといったら。

 好意や憧憬といったプラスに分類されるものから、恐怖や嫌悪などマイナスに分類されるものまで、千差万別のそれらが敵意と戦意に押し込められて極彩色にまとまっている。

 

「……また、雰囲気変わった?」

「まだまだ成長中ってことでしょ。ったく。ゴール板が超高速で走んなっての」

「こっちは一歩一歩血を吐く思いで進んでるっていうのにさー」

 

 勝ち過ぎたかな、なんて脳裏を過る。

 デビューしてから負けなし。シニア級上半期の終着点たる宝塚に臨むこの時点で堂々たる十六連勝、うち重賞が十四勝でGⅠだけ数えても十二連勝。

 “銀の魔王”の異名に陰り無し。同じ舞台に上がろうというこのときに、恐怖のひとかけら視線に込めずにいられるウマ娘は頭のネジが外れているというものだ。

 その頭のネジの外れた者がトゥインクル・シリーズ全体で見ると一人や二人ではないという問題は、さておき。

 

 世界はこんなにも鮮やかだっただろうか。

 以前だって私に向けられた感情そのものは把握できていた。そこを読み違えると一バ身差のゴールなんて狙えるものではない。恐怖ならさらに圧して萎縮に追い込むもよし、煽って攻撃性に転換させるもよし。憧憬ならこちらの一挙一動を注意深く観察しているので、それを逆手にとってノイズを混ぜたり、あるいはあえて吸収しやすくしてこちらの動きをトレースさせたり。いろいろやってきたのだ。

 ただ、思えばそれはデータとしての分析であって。このような漠然とした、感覚的な共鳴ではなかったのかもしれない。このような相手と自分が鳴り響く感覚はレース中に【領域】をぶつけ合わせたときくらいか。

 彼女たちが輝いて見える。テンちゃんやデジタルがウマ娘のことをどう見ていたのか、ちょっぴり理解できた気がした。

 というかこれ、本当にテンちゃんの感覚が侵蝕してない? これまでだって強い情念が境界線を越えてもう片方に伝わることはあったが、それとは似て非なる感覚。

 

《うん、ときおり境界線が曖昧になってるっぽいよなー。まあ問題と言えるかどうかは微妙だし、そもそも治し方も直し方もわからんから放置しておくしかないけど》

 

 適当極まりないテンちゃんのスタンスだった。

 いや違うか。前例が無いからその場しのぎの出たとこ勝負でやっていくしかないのだ。対策とは先駆者の失敗、流れた涙と血で綴られるものであるからして。世知辛い。

 出たとこ勝負の連戦でテンプレオリシュというウマ娘を世界に根付かせる奇跡を勝ち取ったテンちゃんは経験則でそれを知っているだけの話。

 まあたしかに、むやみやたらと心配しても心労が溜まるだけである。今の私に無駄にしていいリソースなど一滴も無いのだから、現状をあるがままに受け入れよう。

 

《お、きたぞ》

 

 テンちゃんの報告に意識の比重を内側から外側に傾ける。

 

「どうも、桐生院トレーナー」

 

 柔らかな物腰で挨拶してきた男性。よくよく観察すれば布地も仕立ても上質だとわかるが、ぱっと見では特に特徴も無いスーツ姿で、本人もこれといった特徴に乏しい。

 いや、むしろこれは半裸だったりメイド服だったりする一部の中央トレーナーが印象的すぎるだけか。

 

「あっ、どうも」

 

 応じる葵トレーナーの身体にわずかながら力が入る。

 その反応が示すのはライバル意識か、はたまた憧れか。担当ウマ娘の前でそれを素直に表に出す人ではないけれど。

 自分を導いてくれる指導者が敵の指導者に尊敬の視線を向けていれば、指導される者としてはあまり面白くないだろう。担当ウマ娘だからって葵トレーナー個人の感情まで指図する気は無いけどさ、こう一般論としてね?

 

 トレーナー間の関係性というのは一面を切り取ればたった一つの栄冠を競う商売敵ではあるが、また別の側面を見れば日常的に中央の激務を分担して片付ける戦友であり、指導者という括りで見れば子供を導く責任者という同志でもある。

 因縁や性格の問題でどうしても相容れないという組み合わせも無いではないが、基本的にそこに流れる空気は穏やかなものだ。特にこの二人は一つの時代を共に背負った同期であるからして。

 

 しかしゴルシTがここにいるということは、その担当である彼女もまたこの場にいるということだ。トレーナー間の前哨戦は我らが葵トレーナーにお任せするとして、最優先でその姿を探す。あの葦毛の奇行種は油断すれば物理的な危険性があるから。

 昨年の有記念にスカーレットが故障して既に半年。トレーナーが付きっ切りでサポートしなければならない期間はとうに終わり、それは縁の下の力持ちをやっていた彼の愛の解放を意味していた。普段やらない真面目を十分すぎるほどこなした反動で多大なフラストレーションを溜めた状態で。

 先日は校門前でサングラスをかけ、道行く人に片っ端からメンチを切る暴れぶりだったそうな。その場で揚げたての熱々だったそうである。

 そしてこんなところで揚げ物をするなとたづなさんに捕まり、そもそも料理するならサングラスをかけるなんて危ないでしょうと説教されていた。

 ガスコンロと油鍋は没収され、大量に揚げられ切り分けられたメンチカツはスタッフが美味しくいただきました。そこは中央トレセン学園なので食べる口には困らない。狂ったカロリー計算に悲鳴を上げるトレーナーの数を考えると軽くテロだったかもしれない。

 

《それで対人トラブルに発展しないんだからゴルシTの人徳が窺い知れるエピソードだよね。まあヒトミミならいざ知らず、食事制限の効果含めてウマ娘が不思議生態ってのも大きいんだろうけど》

 

 言われてみれば。

 ゴールドシップ先輩がゴールドシップなのはもはやこの学園においていつも通りなので、彼女の問題行動がトレーナー間の問題にまで発展してしまう可能性は無意識に除外していたな。

 

「ああ、ゴールドシップなら会見が始まるころには帰ってくるんじゃないかな。守る気の無い約束をするときはあからさまにそうだと相手に伝わるようにする子だから」

 

 いまだって葵トレーナーと会話する傍らさりげなく視線を左右に動かしていた私に気づき、その意図まで理解してさらりと説明してくれる。

 滋味に富んだ声とでもいうのだろうか。ちゃんと見てくれていると安心できる。言うことを聞いていれば何か上手くいくのではないかと、子どもが親に抱くような無邪気で絶対的な信頼が湧いてきそうになる。

 なるほど、これが今のトレーナーの頂点か。まあ、私にとっての最適解(ベスト)は葵トレーナーなんだけどね。

 ぺこりと会話の邪魔にならないよう目礼する。そうか、この部屋まではいちおう連行されたけど気づけば消えていたのね。あの堂々たる体格とオーラの持ち主がいくら探しても見当たらないわけだ。

 それじゃあしばらくは安心して室内を遊泳できそうだ、と気を抜きかけたところに背後から声が掛かる。

 

「やあテン!」

 

 このシチュエーションだけで相手はかなり限られる。まず大前提としてテンちゃんと私の見分けがつかない付き合いの浅い相手。次にテンプレオリシュを私ではなくテンちゃん主体で関係性のある相手。

 そして最後に、トレーナーを同伴させての会話中に割り込むことを恐れない無遠慮さを持つ相手だ。

 振り向くと予想通りの相手がいた。

 

「……どうも、ビターグラッセ」

「うん! ミークさんもデジタルもこんにちは!」

 

「ど、どうもっ!」

「……こんにちはー」

 

 チーム〈ファースト〉のツートップであるビターグラッセが快活な笑みを浮かべながらミーク先輩とデジタルにも挨拶し、二人がそれに応える。

 呼ばれた順番と応える順番が裏返っているところにそれぞれの性格が出ているよね。

 ミーク先輩はのんびり屋なので、リアクションにワンテンポかかるのだ。

 

「会話中に割って入るのは大変な無作法ですよ、グラッセ」

「はい、すみませんトレーナー! じゃあトレーナーたちのお話を邪魔しないよう、我々ウマ娘はウマ娘同士で話をしようか!」

 

 ぴしりと隙の無いスーツ姿の樫本代理に注意されてもこの切り返し。うーん、強い。妙に澄み切ったビターグラッセの目に迷いは見られなかった。

 ココンを介して互いに呼び捨てできるくらいの付き合いは重ねてきたが、私からこの距離の詰め方はできないだろう。私やココンとは根本的に違う陽の者だと思う。

 

《すごくいまさらだけど、リトルココンとビターグラッセのときには理子ちゃん同伴なんだよな。理事長代理とトレーナー兼任ってこういうの見ると本当に激務だなってしみじみ思わされるよ……》

 

 本当にしみじみとテンちゃんが述懐していた。

 ココンとビターグラッセはチーム〈ファースト〉を介したチーフトレーナーだけの関係じゃなくて、トゥインクル・シリーズにおける彼女たちの担当でもあるから記者会見に樫本代理が同伴するんだよね。いや、この場合は樫本トレーナーと呼ぶべきか。

 

 まあ樫本トレーナーだけで回しているわけでもないけど。

 視界の端に死にそうな顔で他の陣営と談笑しているチーム〈ファースト〉のサブトレーナー、例のお孫さんの姿を捉える。あの顔色で談笑と表現していいのか判断に迷うところだが、あいにく他に適当な言葉も思いつかない。

 あのひと、才能はあっても経験は全然だからなあ。当人の性格的な向き不向きも相まって、このような権謀術数の場は地獄だろう。

 本来トレーナー歴一年目で来るような場所じゃないんだよ。押し込んだ張本人が言うのも何だが。責任みたいなものは感じているので、後で余裕があればフォローしにいくか。

 その隣にいたショートスリーパーと目が合い、うちの根性バカがすみませんと目で謝られた気がするので、気にしないでと手を振っておく。

 うちのって言ってもショートスリーパーはちゃんとトゥインクル・シリーズで所属しているチームが別にある子で、あくまで〈ファースト〉とはアオハル杯の上での関係でしかないはずなんだけどね。帰属意識は〈ファースト〉の方に向いているのかもしれない。

 

 ため息をつき、私たちに目礼した後、葵トレーナーたちの会話に加わる樫本トレーナー。

 さすがアオハル杯ランキング一位を率いる片割れだけあってビターグラッセの影響力、場の空気を左右する力は侮れない。何となくトレーナー同士、ウマ娘同士で話す流れになってしまっている。エアリーディングを尊び同調圧力に弱い日本人としては逆らいにくい状況だ。

 そして逆らう理由も無かったので大人しく話に応じることにした。

 

「また強くなったかい? 厳しいローテだろうに削れて痩せ細るどころか、一回り分厚くなったように見える。ははっ、ココンやベロニカ、ゲイルやヌイとの戦いがまた一つ君を強くしたってことかな?」

「ああ、そうだね」

 

 ヌイっていうのはたぶんデュオジャヌイヤのことだろう。

 

「あはは! 気の無い返事だ。でも嘘じゃない。こんなことで当たり障りのない返事をするために君は嘘をつくような人間じゃない。そうかそうか、我々は君に確かな影響を与えられているのか」

 

 ビターグラッセは快活に笑い、うんうんと嬉しそうに頷く。

 

「少しでも恩返しになっていればいいな」

「恩返し?」

 

 何か恩を売ったことがあっただろうか。自分で言うのも何だが、恨みを買うようなことならわりとあるけども。クラシック級一月のテンプレ連戦とか。

 

「ああ、君には本当に感謝しているんだ。もしもテンプレオリシュがいなければ、樫本トレーナーはもっともっと手前に我々の限界を設定していただろうから。これだけのタイムを出せば勝てます、三年の間にこれだけのタイムを出せるようになりなさい、って感じでね」

 

 しかしビターグラッセの言葉には迷いも淀みも無かった。

 黒く澄んだ瞳が私の左右で色の異なる瞳と重なる。

 

「でもこの時代にテンプレオリシュがいたおかげで、そんな自らの限界とさえ向き合っていれば勝利できるなんて甘い目論見は崩壊した。私たちは一人一人が限界を超えてその先に至らなければ勝利できないと心底理解させられたんだ」

「あまりいい意味には聞こえないけど? 私さえいなければもっと楽ができたのに、とか思うところじゃない?」

 

 ……正直、後半まで口に出してしまったのは失敗だった気がする。

 『自分さえいなければ』なんて自嘲的というか自意識過剰というか、言う側も聞く側も愉快にはなりはしない。

 嫌われるのは怖い。怖がられるのは痛い。当たり前のことだけど、いまさらのように感じ始めた向けられる感情の数々は心をささくれ立たせる。

 不安になっているのかもしれない。挑戦というのは言葉の響きほどきれいなものではないよね。

 

「そう考えている子だってもちろんいるだろうさ。でも、私は障害があると挑んでみたくなるんだ。無理だ、できるわけないと周囲に諭されるほど、乗り越えた先の自分が知りたくなる。やれる! できる! ど根性だ! そう証明したくてしょうがなくなる!! おかげで周囲には根性バカなんて言われてしまうことも多いけどね」

 

 私の言うことを否定せず、しかして己の感情は揺らがず誤魔化さず。

 

「君という障害に恵まれたから私はここまで挑み続けてこれた。この幸運に本当に感謝しているんだ。仮にテンプレオリシュの存在しないトゥインクル・シリーズにGⅠを勝利したビターグラッセが存在するとしても、そのビターグラッセは今この場にいる私より間違いなく弱いだろうから。最強のチーム〈ファースト〉が生まれたのは、樫本トレーナーがそうせざるをえなかったのは君の功績だ」

 

 だから一度ちゃんとお礼を言っておきたかったんだ。この場で言うようなことじゃないかもしれないが、思い至ったのは今だし、だからといって改めて場を作るほどのことでもないから。

 なとどやはり笑いながら頭を掻く。とても快活に。

 

「そっか」

 

 んー。こういうところ、なんだろうな。

 今のチーム〈ファースト〉にはリーダー格と呼べるウマ娘が二人いる。片方は私のルームメイトで、もう片方がこの目の前の彼女だ。

 つまりそのまま樫本トレーナーの担当ウマ娘である。素質も実力もランキング一位を維持する〈ファースト〉内においてなお頭一つ抜けており、ウマ娘の本能的にも従うに否応は無い。

 ただ少しばかり奇妙なことがある。それは二人の性分と役割が一致していないように見えること。

 

《古今東西、戦隊モノのリーダーは熱血レッドが担当するものと相場が決まっているからな》

 

 別に〈ファースト〉は正義の防衛組織ではないし、むしろ立ち位置的には悪の秘密結社の方だし、昨今の風潮を鑑みるにテンちゃんのそれはあくまでテンプレの一パターンであってセオリーを外した作品なんて今どき日曜の朝ですらいくらでも散見できそうな気がするけど。

 それはともかく。

 

 たしかに漠然としたイメージ的には、熱血と根性を常とするビターグラッセが皆を煽動し先導する指揮官役で、シニカルでニヒルなココンがそれを俯瞰しつつ調整する参謀役……という役割になりそうなものなのだが、実際は逆なのだ。

 チームの方針は基本的にココンが決め、それをサポートし場の空気を取りまとめるのがビターグラッセの役割。

 

 その理由がこれなのだろう。瞳の奥に宿る澄みきった狂気。

 いや、頭がおかしいと揶揄したいわけじゃなくて。ただどう言葉を飾ってもまっとうではないよねとも思う。

 外部からの矯正ではどうしようもない性分。生まれ持ったとしか言いようのない、絶対に譲れないもの。自分自身にすら言い訳できず妥協できないまま挑み続けるしかない執念の炎。

 不特定多数のウマ娘にとっては理解できず、共感し難いもの。中央に来るような子ならば多少なりとも身に覚えこそあれども、それでもざらりと心の表面に違和感を覚えずにはいられないもの。

 

 行動の指針を預けるには、ビターグラッセはある意味で遠すぎる存在なのだ。

 だからといってそれが人付き合いの得手不得手とイコールで繋がっているわけではないのが、人間関係の複雑怪奇でちょっぴり面白いところかもしれない。

 狂気を性根に持っていたとしてもそれが狂人として生きる理由にはなりえない。ビターグラッセは無遠慮な立ち振る舞いが多いように見えて、その実こまやかな気遣いや根回しができるタイプだと私はこれまでの付き合いから知っている。

 

 言うまでもなくココンの方がずっと人当たりが悪い。

 他者に共感するのが苦手だし、何となくで相手に合わせるのが嫌いだし、そういう自分がちょっとカッコいいと思っている節もある。

 ただ、一度ココンはそういう人間なのだと理解し受け入れてしまえばそれは個性として理解しやすいものでもある。共感しようとしてもざらりとした違和感が邪魔をするビターグラッセとは、ちょうど反対に。

 だからこその〈ファースト〉で彼女たちはそういう役割を担っているのだろう。

 

 そして、ビターグラッセの違和感は私にとっては馴染み深い感覚でもある。

 異質を内包した心のありようを、自分のこととしても他人のものとしても長い付き合いで知っている。腐れ縁だ。

 だから嫌いではない。

 

「……リシュちゃん、それとビターグラッセ。ケーキどうぞー」

 

「っと、ありがとうございます」

「おや、私にもかい? ありがとうミーク」

 

 入室してから早々にビターグラッセに捕まっていた私に代わってミーク先輩がケーキを取ってきてくださった。先輩を使い走りするのは心苦しいが、持ってきてもらったものはありがたくいただいておく。

 記者会見が始まるのを待つここは高級ホテルの一角、それにふさわしく一目ではパッと名前が浮かんでこないお値段が高そうな料理の数々が並べられているのだ。ここに来るような身分の人間にとって、待つとはただ椅子に座って時間を浪費することではないのだろう。

 もてなされるのが当然。軽食を潤滑油に交流を深める場。理由はどうあれ健啖家が多いウマ娘の性として、美味しい食事にありつけるのに否は無い。

 まあバイキングよろしく片っ端からガツガツ口に放り込んでいくには多大な鈍感さが必要とされるだろうけど。

 

「これとか……ウツボに似ていてかわいい。おススメ」

「……ありがとうございます」

 

 ウツボ。ウナギ目ウツボ亜目ウツボ科の海水魚。主に暖かい海域に生息。

 海のギャングの異名を持ち、海に生息する危険生物の筆頭とも言われる。

 グロテスクな見た目で鋭い歯を持ち、その非常に強い顎の力は人間の指くらいなら喰いちぎってしまう。生息海域に天敵がいない食物連鎖の頂点だ。しかもヌメヌメとしたその体表では皮膚呼吸が可能で、地上に釣り上げられても三十分くらいなら活動できるため油断ならない。

 ただし肉食の魚ではあるものの、自分より身体の大きな生物を積極的に襲うような獰猛さは持ち合わせておらず、ゆえに人間相手にも口を大きく開けて威嚇するのが常である。上記のような被害はたいてい人間側から迂闊に近づいてしまい発生するものだ。

 また生息海域に天敵がいないとは言ったが、多くの生物がそうであるように人間が天敵。地域によっては食用として利用されている。ただし種によっては毒があるので素人が知識の無いまま釣って食べるのはお勧めしない。

 

 ミーク先輩と幾度も水族館にいくうちに、ぱっとこれくらいの知識なら脳内から引き出せるようになってしまった。

 フォークで切り分けずともひと口で食べられそうなミニサイズながら、高級ホテルの格式とプライドが飾り付けからにじみ出るケーキから一転。ウツボモドキになってしまったそれをぱくり。

 うん、甘くておいしい。心なし、ちょっぴりしょっぱいかな。

 

「〈パンスペルミア〉からはエース三人が出走か。ははっ、私が言うのも何だけど、プレシーズン第四戦は捨てるのかい?」

「……いいえ。うちのチームはみんな強い。私たちが出走しなくてもきっと勝ってくれます。むん」

 

 私がのんきにひと口ウツボモドキに舌鼓を打っている間にも話題は次へ移行していた。

 いまここにいるのはただの無位のウマ娘にあらず。アオハル杯ランキング現在三位〈パンスペルミア〉を率いるハッピーミークと、燦然と一位の王座にて輝き続ける〈ファースト〉のツートップが片割れビターグラッセである。

 プレシーズン第四戦ではついに直接対決が叶う。顔を合わせればこのような話題になるのも宜なるかな。

 まあ私は参戦しないわけだけども。エースとして目立っているのは私だが、立ち位置的には一兵卒と大差ないからな。

 

《ぼくらはせいぜいトゥインクル・シリーズで派手に勝ち続けることによってアオハル杯まで人目を引き寄せる客寄せパンダだからな。

 チーム全体を率いる者特有の重圧と、それを投げ出さない責任感は彼女たちの足元にも及ばないさ》

 

 いやまったく。

 そういえばこれで〈ファースト〉が一位から転落したらどうなるんだっけ? 当初は打倒管理主義を目的にアオハル杯に参戦したウマ娘も多かったみたいだけど、今となっては形骸化している。

 管理主義がすべてのウマ娘に受け入れられたわけではないが、管理主義があってこそ花開いた〈ファースト〉という実例を中央トレセン学園の人々はもう知っているから。実績は十分すぎるほど。

 だからどこのチームがランキング一位を奪取したところで、即座に管理主義が撤退ってことはないだろうけど。

 

《普通に決勝戦までは方針継続だろう。多少カッコはつかなくなるけど。プレシーズンはしょせんプレシーズン。決勝戦の結果こそがアオハル杯の結論さ》

 

 本当に格好がつかないな。

 そう考えると樫本理事長代理はああ見えて初手からかなり大胆な手を打っていた。あの当時はまるで芽が出ていなかった〈ファースト〉メンバーをかき集めて半年でランキング一位に上り詰めることが前提の論調だったのだから。

 よほど自分の見る目と育成手腕に自信がなければできない一手だ。あの若さでURA幹部となり、そこから中央トレセン学園理事長代理にクラスチェンジするのは伊達じゃないということか。

 

「黄金世代最強を抱え込んだからって調子に乗らないでほしいな。いくら彼女たちが強くてもウマ娘である以上はピークアウトからは逃れられないんだ。今となってはもう我々の時代だよ」

「……たしかにエルさんも、グラスさんも、〈パンスペルミア〉ではエース格です。その上であの人たちの身体能力が徐々に衰えていってることも、否定しません。

 …………でもエルさんとグラスさんをチームに迎え入れることで得たものの真価は、あの人たちが積み重ねた歴史そのもの。それを同じチームの仲間として分かち合うことができた経験が、チームのみんなを強くしました……エースが強いわけじゃないんです。〈パンスペルミア〉が強いんです」

 

「ああ、たしかに道理だ。それこそがアオハル杯だ。その点に関しては先の私の発言が間違っていた。謝罪しよう」

「……はい。その謝罪を受け入れます」

 

 緊張感があるんだかないんだかよくわからないやりとりをビターグラッセとミーク先輩がやっている。あれを舌戦と表していいものか。ぬぼーっとしたミーク先輩の表情のせいでバチバチと火花が散るような空気からは程遠い。

 熱血根性バカのように見えて実際にそれは間違っていないが、ビターグラッセは盤外戦術もいけるクチだ。バカではあるが考えなしのアホではない。プレシーズン第四戦では直接走ることができないからこそ、こうやって少しでも他のチームを外側から削りにかかっているのだろうか。

 プレシーズン第四戦ともなると上位チームのメンバーはかなり洗練されてきていて、つまりグランプリに出走するような子が所属しているようなチームが多いのだ。

 

《それもあるだろうけど……アオハル杯はあくまで学園主催の非公式レース。宝塚記念や夏合宿の日程を動かすわけにもいかない以上、ゲームと違って今日この場にいるウマ娘はプレシーズン第四戦に参加できないだろうからなあ。そこにエース陣三人も引っ張ってきているわけだから、運営サイド寄りの〈ファースト〉からは嫌味の一つも言われるよね》

 

 テンちゃんが何やら理解を示していた。

 なるほど、興行側としての視点か。たしかに私はプレシーズン第三戦にも参加していない。いま話題のテンプレオリシュを追っかけているようなライト層なら、まるまる一年分私たちが走っていないアオハル杯はそれだけで興味を失い存在そのものを忘却してしまうようなこともあるかもしれない。

 だからといってどうこうできるというものでもないけど。

 健康第一、それは変わってないので。

 

 




明日はいよいよハフバですね。楽しみだー
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