「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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今回はテイオー視点です


サポートカードイベント:生粋のバケモノ

 

 

U U U

 

 

「うーん……」

 

 目頭を揉む。

 やっぱり画面ばっかり見てると疲れるなー。ちょっと休憩しよっかな。

 

「んんー」

 

 伸びをすると凝り固まった首や背中がポキポキ鳴った……ような気がした。まだそんな経験はしたこと無いけどさ。

 フィクションとかではよく見るけど、ボクもお年寄りになったらあんな風にあちこち軋むようになるのかなあ。

 

「きゅうけいー?」

「うんー」

 

 ベッドの上に寝転がって脚をぶらぶらさせていたマヤノがごろんと寝返りを打ってこちらを見てくる。

 さっきまで見ていたレース動画を含め、このパソコンの中に入ってるデータの大半はマヤノに貰ったりマヤノ監修のデータだったりするから彼女には頭が上がらない。

 

 ボクたちはプロだもん。レースに関してアマチュアとは一線を画した責任がある。いくら仲のいいルームメイトだからといって一方的なほどこしはありえない。

 相手の積み重ねを軽視するのは、自分の今日までも軽く見る行いだ。それはまわりまわってレース全体の価値を下げてしまう。

 それでもボクが受け取ったのはマヤノに返せるものがあると思ったからだし、マヤノが提供してくれたのもボクならマヤノのメリットになるものを返してくれると見込んだからだろう。

 そのあたりの感覚はお互い、ずっぷりと肩までレースに浸かったウマ娘同士。非常にシビアだった。

 

「どうー? 何かわかったー?」

 

 実際、マヤノはたくさんデータを提供してくれたけど。

 一方でそれらデータに関する自身の見解は、ほとんどこちらに漏らしていない。

 ボクの認識にバイアスをかけたくないというのもあるだろうし、ボクならではの解釈を欲しがっているというのもあるだろう。

 あとは貴重な武器を前払いでくれてやるのにも限度があるってとこかな。お互いトゥインクル・シリーズを走るウマ娘。ボクだってマヤノのライバルなんだから。

 

 それを差し引いてもこの『マヤちん監修! テンプレオリシュ対策データ:レベルさん』はとっても役に立ったよ。

 昨年の菊花賞の観客席でリシュと戦うと明確に決意したボクと、まさにその菊花賞の最前線でしのぎを削っていたマヤノ。スタートラインからリシュと同期で、チームメイトで乗り越えるべき壁だったマヤノ。

 そんな彼女とボクとでは蒐集してきたデータの年季も密度もまるで違う。

 いきなり渡されたのが『レベルさん』ならレベルいちとレベルにはどんなものだったのか、全部で何レベルまであるのか、気にはなったけどね。

 

 他のウマ娘のデータなんて何の役に立つんだ、走るのが速くなるわけでもあるまいに――などと。舐めたことを抜かすウマ娘はたまーにいる。

 新入生あたりにはとくに多い。

 高い身体能力や優れたセンスを生まれ持った子は、自分自身と対話しているだけで周囲を置き去りにしてしまえる。そういう才能が突出した子が入学してくるのが中央トレセン学園というところだから。

 ……ぶっちゃけボクも身に覚えがあって、そういう子を見ると腹が立つとか軽蔑するとかより先に気恥ずかしくなって口がもにょもにょしてしまう。共感性羞恥っていうんだっけ?

 

 でも違うんだ。

 それは間違ってるって、今のボクならハッキリ言える。

 

 レースはただのタイムアタックじゃない。比較的周囲の影響を受けにくい逃げ脚質ですら他のウマ娘の影響をまったく受けずにスタートからゴールまで走り抜けるなんてできるものじゃない。

 ヒトの短距離走なら自分の走るべきレーンに白い線が引いてあるけど、ウマ娘のレースはそうじゃない。位置取りもポジション争いもレーン移動も、刹那の判断力とその判断を貫き通す身体能力が問われる重要なレースの要素。

 

 極端な話だと、競り合いに持ち込めば絶対に負けないと、勝負根性が有名な優駿がいたとして。

 その勝負根性を発揮させないためにあえて距離のロスを甘受して、進路妨害を取られるリスクすら看過して、そのウマ娘の半径数メートルに入らないよう離れたコース取りで最後の直線を駆け抜ける。

 それで勝敗が分かれたとされるGⅠレースだって存在してるくらいだ。

 

 性格のひとかけら。癖の断片。そういったものも積み重ねればゴール板手前のハナ差を覆すことができる。

 それが、あまりこういうこと向きの性分じゃないって自覚はあっても。それでもボクが少なくない時間と労力を割いて、こういうことをやっている理由。

 生まれ持ったものだけで勝負するには、レースって世界は広くて深いのさ。だからこそ勝利が格別の味なんだけどね。

 

「うーん、そうだなあ……」

 

 目を閉じていてもチカチカと、脳裏に刻まれた残影が、それが放つ光がまぶたの裏側にいくつもの情景を描く。

 あえてそれを振り払うようなマネはせずに、その中から印象的な二つのレースをピックアップした。テンプレオリシュというウマ娘がクラシック級において全力を出したと思われる数少ないレースだ。

 

「リシュにペースを握らせちゃダメだっていうのは、よくわかったかな」

 

 何でも出来るリシュはどんな展開に追い込んでもあっさり適応してしまう。

 それなら下手にリソースを削ってレースの主導権を握るより、自分の得意なペースを維持することに専念した方がいいのでは? というのは一見すると真っ当な意見のように思える。

 

 でもそれじゃあダメなんだ。スプリンターズSのバクシンオーを見ていればわかる。

 あのレース、リシュが勝てたのはスタートからゴールまで徹頭徹尾レース展開を支配下に置いていたからだ。

 枠番に天候、バ場状態などといった実力だけではどうしようもない部分を含め、すべてがリシュの有利になる配置だった。そのアドバンテージを最後まで守り通した結果が1200mでサクラバクシンオーにハナ差先着という歴史的偉業。

 もしもバクシンオーがリシュの好きなようにさせずに、自分からレース展開を左右するような一手を打っていればあの結果は変わっていた。終わったレースにたらればを言っていればキリが無いし、どんな経緯であれあのレースの決着はリシュが一着という結果で決まりだけど、それでも結構な確率でそうなっていたとボクは思う。

 つまりバクシンオーの敗因は、勝ち方を選べるほどに彼女が短距離において絶対的な強者だったがゆえ――ってところかな? これも終わってからそれなりに時間が経って、ある程度客観的なデータが出揃ったから言えることだけどさ。

 

 だから今年もスプリンターズSに出走して連覇を狙うつもりらしいけど……。

 リシュのやつ、ちゃんとわかっているのかな? スプリントの絶対王者から陥落して挑戦者としての立場を手に入れ、その上で今もなお絶対強者としての自負を喪っていない今年のサクラバクシンオーは去年とはわけが違うってことを。

 ボクなら()()バクシンオーを1200mで相手取るなんてマネ、絶対にしないね。

 一度の勝利に目が眩んで見誤っているとか、そこまでバカじゃないとは信じているけどさ。いまや“銀の魔王”はトゥインクル・シリーズを代表する看板なんだから、無様な負け方をして看板に泥を塗るようなマネはやめてよね。

 

「ぶっちゃけスカーレットがあそこまで食い下がれたのってそれが理由でしょ」

 

 対照的なのが有記念だ。

 天才、ゴルシTが描いた絵はレースの最初から最後までを過不足なく視野に収めたものだった。そしてスカーレットは、万全だったそれすら不足にする勢いでいくつもの境界線を飛び越えて限界を超越し続けた。

 もしもあれが学校のテストで、作戦立案とその遂行が配点に含まれていたのなら。一番高い点数を取ったのはリシュと桐生院トレーナーのコンビではなく、あの二人だったことだろう。

 その事実はあの二人にとって何の慰めにもなりゃしないだろうけど。

 結局、限界を超えすぎてギリギリのところでゴールに届かなかったしね。でもそうじゃなけりゃリシュの初黒星はあのレースになっていたと思う。

 中山の短い直線を走るリシュは冬とは別の理由で寒気がするものだった。それすらも策謀に嵌めてしまえば料理できるのだと実証してくれたのは、のちのちに繋がるありがたい功績だ。

 

「だねー。でもリシュちゃん()()からペースを奪い取るのは至難のわざだよー?」

 

 なんとも説得力のある言葉だ。

 “変幻自在”と呼ばれるほどに豊富な手札を持ち、クラシック級で皐月賞と菊花賞に有記念、シニア級に上がってからは天皇賞(春)と数々の舞台でリシュとやりあったマヤノだ。戦歴に根拠しかないよ。

 

「まあ、そのあたりはうまくやるよ」

 

 ボクは天才だ。目の前のマヤノも天才だ。

 同期のマックイーンだってボクがライバルと見込む素質と努力量の持ち主だし、いまボクが所属しているアオハル杯チーム〈パンスペルミア〉に目を向けても天才と呼べる相手には事欠かない。

 

 何が言いたいかと言うと、ここ数年のトゥインクル・シリーズはあまりにも豊作だったのだ。

 あのリシュですら、ジュニア級の頃はウオッカよりも明確に評価が下だったくらいには。つまるところ、それはマークするべき相手が分散するということでもある。

 でも流石にリシュは勝ち過ぎた。

 クラシック級の後半にもなればなんかこいつおかしいぞって目で見られ始めていて、シニア級にもなった今となってはそろそろなりふり構わず集団で抑え込むような光景も見られるようになるだろう。というかリシュが突出し過ぎて包囲網が失敗しているだけで、もうなってる。

 この国のレースは集団戦ではないけれど、どんな集まりであれ人の集団である以上は突出し過ぎた個は出る杭として打たれるものだから。

 そのことに関しては何も、とくに思うことはない。

 これまでボクは打たれる側だったし? 次のレースでは打つ側に回るだけって話だもんね。

 

 特にビターグラッセと〈ファースト〉の面々はがっつりリシュを抑え込んでくれそうだ。脳内フォルダからリシュ以外のウマ娘データを引っ張り出す。

 それはリシュのものと比べると明らかに薄くて軽いけど。ここまで全勝している相手の方が優先度が高くなるのは仕方のないことだよね?

 

 ビターグラッセはあれ、なんていうかー……とくしゅせーへき?

 より困難な方に、困難な方に挑む趣味をお持ちのようで。

 かのテンプレオリシュの封じ込めなんて無理難題、嬉々として自ら買って出てくれるだろう。〈ファースト〉の集団戦の巧みさはアオハル杯が始まってからずっとランキング一位というこれ以上ない実績で証明されている。

 宝塚記念に出走している他のメンバーと合わされば一定の成果は期待できる……んじゃないかな?

 

 無論、公式レースはチーム戦ではないけれど。

 同じチームで練習しているとお互いの癖や呼吸が読めるようになるし、結果としてそれがレース中に息を合わせて動くことに役立ったとしてもそれ自体はルール違反ではない。

 要は自身が一着になるという大前提が崩れなければいい話で、その点に関してボクはあまり樫本代理の育成手腕を疑っていなかった。

 

 そもそもボクが入学したときにはもう、中央トレセン学園のトップって樫本代理だったんだよねー。

 つまるところ、ボクたち以降の世代って代理じゃない、秋川理事長がトップだったころの学園の空気を知らないのだ。ボクたちにとってトレセン学園の気風イコール現状なのである。

 アオハル杯が始まった当初はそれはもうギスギスしていたと聞くし、その気になれば当時の資料は残っているから閲覧だって可能だけど。

 ボクが入学したときにはもうそんな空気はだいぶ緩和されてたので、〈ファースト〉が外敵だとか、樫本代理が管理主義を無理やり推進する悪人だとか、そういう実感が無いんだよね。

 少なくともクラシック級の今になるまで走ってきて、学園の環境に不満を抱いたことはないよ。

 足りないものはたくさんあったけど、それらはいつだって自分のことだった。

 

 ころん、とマヤノがもう一回転ベッドの上で寝返りを打つ。

 

「リシュちゃんだけ狙い撃ってもダメだよ。というか、ダメだったよ? マヤ、それで皐月賞は負けたようなものだもん」

「あー……テンちゃんかあ」

 

 ちゃん付けで呼んでいることに深い意味は無い。

 なんとなく呼び捨てにすることがしっくりこなくって、初対面からあまりにも遅すぎる自己紹介のときに言われた呼称をそのまま使っているだけだ。

 

 自分の顔が渋くなるのを自覚する。

 リシュの中にいるというもう一人の人格。あいつのことをボクはあまり得意じゃない。

 きらい、というのはあまり人に対して言いたくないけど。ニガテと言い切ってしまってもいいくらいには苦手意識を抱いている。

 わざとらしくニヤニヤと浮かべた笑みで覆い隠した、合わせ鏡越しに目を合わせているようなどこか焦点のぼやけた視線もそうだけど。

 何より初対面のときの暴挙の主犯があっちっぽいから。レースで決着をつけた以上もうぐだぐだ言うつもりはないけどさ、だからって忘れたわけじゃないからね。

 

「ずるいよねー」

「うん、ずるい」

 

 マヤノと意見が一致した。

 なんとなく嬉しくなっていえーいとハイタッチする。

 

 変な表現になるけど、レースというのは孤独な世界だ。

 もちろん冷たいってわけじゃない、ないんだけどさ。

 レースまでは一心同体のトレーナーが連れて行ってくれるし。

 レース場にたどり着けば居並ぶウマ娘たちが、何も言わずともボクが積み重ねた努力と苦難を理解してくれる。だって自分も同じくらい勝ちたくて負けたくなくて、苦労したからこそその場に立てているのだから。

 レースという世界に魅了されるのは何も走っている最中だけが理由じゃない。そこに至るまでのすべてが独特の信頼と一体感を持っている。

 走れば血が燃え上がるようで、コイツにだけは負けたくないと見込んだライバルと競り合う瞬間は魂が白熱する。

 

 でも一人なんだ。

 ゲートに入ってからゴールするまで。たとえトレーナーが見守ってくれていても、大勢のファンがスタンドから声援を送ってくれていても。

 独りなんだ。

 ターフの上では自分よりずっと多い敵をたった一人で迎え撃たなきゃならない。

 冷たい世界じゃない。だからこそ孤独のままレースの炎に巻かれるとその熱に悪酔いしそうになる。“掛かる”ってやつだ。

 

 だから素直に羨ましい。

 羨むことしかできない。努力ではどうにもできない部分だから。

 リシュがデビュー当時から最新のものまで、レース動画を見ていくと彼女が掛かったと思えるタイミングは平均的なウマ娘に比べ異常なまでに少ないし、掛かってしまったとしても瞬く間に立て直している。

 あの身を焼き焦がす孤独を、脳内にいる自分と合わせ二人で対処できるのだとすれば説明がつく。ううん、それくらいじゃないとあの安定感は説明がつかない。

 ボクがあれと同等の安定感を得ようと思ったら、それこそトレーナーを背負って走るくらいしかないんじゃない?

 そんなバカげたことが脳裏を過るくらいだ。

 もちろん実行に移した日にはヒト一人背負って重くなった分しっかり遅くなるわけだし、ヒトが剥き出しの生身のまま走るウマ娘の背中に設置されたら衝撃と風圧でもみくちゃになる。状況を俯瞰して適宜アドバイスを投げてくれることなどできやしないだろうけどさ。

 ……一回くらいやってみても楽しそうだな、と思ったのはここだけのヒミツ。

 

「ズルくっても、それがリシュちゃんたちなんだよねー」

「うん。ボクがトウカイテイオーで、マヤノがマヤノトップガンであるのと同じようにねー」

 

 あと嫉妬と羨望でマヤノと見解が一致したわけだけど、そこに敵意や拒絶が含まれていないことはハッキリさせておこうか。

 ボクがテンプレオリシュを羨ましいと感じるように、きっとトウカイテイオーやマヤノトップガンを羨ましいと感じる不特定多数が存在しているはずで。

 生まれ持った才の大きさはそのまま差異の大きさで、努力の成果を見比べるたびつくづく感じることだ。『どんなウマソウルを受け継いで生まれてきたのか』というのはその中でも最たる点だと思う。二重人格のウマソウルなんてそうそう聞いたことは無いけどね。

 こんなふうに俯瞰するのも、トレセン入学前のボクにできたかな? なんて考えて。

 好き嫌いはおいといて、同じチームで何年も走っていれば否応なく影響を受けていることを自覚。さぞかしボクはすっぱい表情になったことだろう。

 

「リシュちゃんとテンちゃんは複座式で、同時に編隊(エレメント)でもある。そのことをちゃんと理解しておかないと力押しで上回るくらいしか勝つ方法がなくなるし、今のテイオーちゃんにその勝ち方は無理だよ」

「むぅ……」

 

 ルームメイトになった直後ほどマヤノの感覚任せで理解しづらい表現は減ったけど、今でもまだマヤノの言っていることをぜんぶ理解できるわけじゃない。ニュアンスで伝わってこないこともないけど、ぶっちゃけヒコーキは専門外だ。

 でも後半は理解できたし、その上で反論は呑み込まざるをえなかった。

 来年の今頃なら、なんて過程に意味は無い。今はクラシック級の六月で、それはシニア級の六月とまるまる一年分完成度に差があるのだ。それはそのまま身体面での実力差になる。

 

「それでも勝っちゃうもんねーだ」

 

 それを百も承知でエントリーしたのがボクだった。

 幼いころからの夢だった無敗クラシック三冠、その途中道半ば。伊達や酔狂だけでこんな挑戦はできない。

 

「だいたいさー、ふたりでひとつの関係性も厄介だけど。リシュ単独でもどんどん変化していってるじゃん」

 

 休憩するつもりだったけど話しているうちにそんな空気でもなくなってしまった。改めてノートパソコンを開いて指を滑らせると、先ほどとはまた別の動画ファイルを再生する。

 マヤノも身体を起こしてボクの背中越しに画面を覗き込んできた。

 

「わー、なつかしー。ジュニア級のころのやつじゃん。うわー、リシュちゃんぜんぜん変わってなーい。かわいー」

「ん、身長の方はまったく伸びてないよね」

 

 問題は中身だ。肉体的な意味でも、精神的な意味でも。

 まあ肉体の方は、いまはさておく。そっちはレース動画でさんざん吟味した。そちらを主題にするのならわざわざこちらを開いたりしない。

 いま画面の中で再生されているのはレース外の様子。つまるところインタビューや記者会見などのプレイリストだ。ごく少数だがマヤノが個人的にスマホで撮影した記録も含まれている。

 先にも述べた通り、相手の性格というのもレースを構成する重要な要素。ケンカを売られたときに逆上するのか萎縮するのか、はたまた鼻で笑うのか。

 

 知っていれば参考になる。あくまで参考でしかないけど。レースとそれ以外で性格が変わるウマ娘は程度の差こそあれそれほど珍しくは無い。しかもリシュの場合は性格が二パターンあって、それが脳内で喧々諤々とやりあった結果が結果だけ外部に出力されているのだから。

 一滴のミックスジュースからボトル全体に含まれるニンジンの割合を推察するようなものだ。できるやつはできるけど、普通は無理と言っていいくらいには難しい。

 

「むかしのリシュはふんわり言えばマイペース、ぶっちゃけ考えなしの無神経、いわゆる典型的なコミュ障って感じだったけどさー」

 

 それでもそこは天才のテイオー様だから。

 テンプレオリシュの中にリシュとテンちゃんのふたりがいるのだとわかっていれば、見分けがつくこともある。どちらが主導しているセリフなのか、途中式を明示するのは難しいだけで解だけはぼんやり察せられる。

 

「ここ最近のリシュはちょっと……なんていうかー……変、じゃない?」

 

 嫌いな相手じゃないから、悪口をいいたいわけじゃないから、言葉に詰まる。

 つまり率直に表現すれば悪口に聞こえそうな言葉になってしまう。そんな異質さを画面の中で再生され続ける彼女の姿に感じていた。

 異質。それがボクにとってテンプレオリシュというウマ娘の第一印象であったわけだけども。

 その度合いがひどくなっている気がする。

 ああもうまったく。オブラートに包むとか、歯に衣着せるとか、そういうのは家が絡んだ寄り合いのときだけでたくさんなのに。

 

「うん、そうだねー。さいきんのリシュちゃんはすごく人間っぽいよね」

「へっ?」

 

 我ながらすごくマヌケな声が出た。

 言い間違い? 聞き間違い?

 いや、誤認を介して言葉を受け取ったとき特有の空気のズレは感じない。

 ならばズレているのはボクとマヤノの認識、見えているものの差だ。

 

「むかしのリシュちゃんはねー、よくわからないところをテンちゃんのマネで埋めていたの」

 

 ぽかんと口を半開きにしたボクにとつとつとマヤノが解説してくれる。

 

「でも最近はちょっぴりずつだけどわかるようになってきたから。マネじゃなくてそのままの自分を出すようになってきたんだよ」

「……人間っぽくなってきたから、人間味が薄れたってこと? そんなの――」

 

 ――生粋のバケモノじゃん。

 

 思ったけど、口には出さなかった。

 なんだかひどい悪口のような気がして。

 なによりうっかり口に出して『そうだよー。知らなかった?』などとマヤノにきゃらきゃら笑われた日にはちょっと、どうしていいかボクにはわからない。

 マヤノとリシュって友達なんだよね?

 

 ……いや、友達だからこそ、かな。

 普通の人間が『ああいうちょっと変わったウマ娘なのだろう』と()()して無理やり自身の既知に落とし込む中、『生粋のバケモノ(わけのわからないもの)』と等身大の相手を理解した(わかっちゃった)上で普通に友誼を結べる。

 ボクのルームメイトはそんな器量の持ち主だ。

 

「テイオーちゃんってまだトゥインクル・シリーズでは負けたことがなかったよね?」

「う、うん」

 

 普段のマヤノは大人っぽさに憧れる可愛らしい女の子だ。

 鏡の前で服を着崩して、『トレーナーちゃんをのーさつするにはどうしたらいいかなー?』と半裸でくねくねする姿はぶっちゃけ子供っぽい(それでも持ち前のセンスできっちり形にしちゃうのは素直にすごいと思う)。

 

「負けるってね、すごいんだよ? くるしくてつらくて、にがくて痛くって……なにより、このままじゃだめだーって突き付けられるの。昨日と同じ今日じゃダメなの。今日と同じような明日が来たんじゃいつまでたっても届かないの。これまで積み重ねてきたものぜんぶが役に立たないものになって。だからって投げ捨てて、ゼロから再スタートしたんじゃますます届くわけがなくって」

 

 マヤノは今日までトゥインクル・シリーズにおいて四敗を経験している。皐月賞、菊花賞、有記念、天皇賞(春)。勝者より敗者の方がずっと多いレースにおいて、この黒星の数は決して多いものではない。

 ただしマヤノに黒星をつけた相手はここまで全勝という記録持ちで、なおかつすべて同一人物だった。

 

「どろどろのグチャグチャになって、パーツをとっかえひっかえして設計図も地図(チャート)も全部ぜーんぶ見直して……。そうやって少しずつ、次は勝てる自分を組み上げていくの」

「むぅう……だからいまここで一回くらい負けておいても、いい経験になるよって?」

 

「ううん」

 

 マヤノは首を横に振った。長いオレンジ色の髪が動きに合わせて舞い上がる。

 経験者の苦労自慢、見当はずれの先駆者マウント。そう邪推するにはあまりにも気負いなく、毒がなく、艶やかに。

 

「リシュちゃんに負ける意味を誰よりも知っているのはマヤじゃなくてスカーレットちゃんだから」

 

 ダイワスカーレット。

 意外な名前を聞いたような、そうでもないような。

 テンプレオリシュの幼馴染で因縁の相手、そして最大のライバル。

 彼女はトゥインクル・シリーズではたった一度しか相対していないのに、たった一度の激突でその印象を確固たるものにした。

 マヤノを始め、“銀の魔王”に幾度となく挑んだウマ娘は一人や二人じゃないっていうのにね。でも、それだけの死闘だったのは確かだ。

 

「みんなね、わかっていないの。見えてないよ。スカーレットちゃんはこれまででいちばん大きく壊された。グチャグチャになって、だからこそじっくり時間をかけて組み直される。再構成される。これまでいなかったトレーナーの手を借りてね。秋のスカーレットちゃんはもっとも“一番”に近いよ」

 

 今でもたまにこうなる。昔はもっと多かった。

 感覚派の天才の極みであるマヤノが己の見えるがままに話していると、第三者には話の趣旨が理解できないものになる。

 これでも感覚をそのままオノマトペにぶち込んでいないだけ理解しやすい類だ。どういう文脈でスカーレットの話になったのかはいまだによくわからないけど。

 

「テイオーちゃんはもっと周りを見た方がいいよ。リシュちゃんの時代はリシュちゃんだけにあらず。勝ちとか負けとかよりも先に、それはおぼえておいた方がいいじゅーよー事項だから」

 

 長いまつげを伏せるようにして微笑むマヤノは妖艶で。

 すごく久しぶりに彼女がボクより学園においてもトゥインクル・シリーズにおいても、一年というあまりにも大きな区間で先輩なのだということを思い出した。

 

 

 

 

 

 今年は梅雨が寝坊したみたいで、七月も間近に迫った今日この頃になってようやく雨がやってきた。ざあざあと、夏の熱気を伴って。

 おかげで蒸し暑いのなんのって。今年の梅雨はトレーニングしやすいなってボクの喜びを返してほしい。

 湿度が高いと走り回って風を浴びてもなかなか体温が逃がせない。だくだくと滴るくらい汗を流しながら、危険な域まで上昇する体温を自覚するのはわりとマジで命の危機を感じる。

 

 今日だって、宝塚記念当日こそ晴れたけど。前日までけっこうしっかり雨が降っていた。

 バ場状態の発表は良。これはこの国の芝が世界でもトップクラスの排水性を誇っているからで(中央レース場の芝コースにおける良バ場出現率は八割以上だ)、そしていくら排水性が良好といっても降り続いた雨は確実に影響を及ぼしているはず。

 幾人ものウマ娘が駆け抜けた内側の芝は状態がかなり悪くなっていると見ていい。阪神レース場の幅員は広い方じゃないから梅雨のこの時期はバ場の傷みが進行しやすく、その結果としてタフなコンディションになりやすいんだ。

 だからって、自分が使えないからって考えなしにインコースをガラ空きにしていると悪路をものともしないパワーを持つゴールドシップや、芝の悪路どころかドロドロのダートにだって適応してしまうリシュが抜け出すのを許してしまう。

 理想通りの条件の揃ったレースなんて人生に何度あるかって話だけど。さっそく一つ、不利が生じたわけだ。

 

「……上等ォ」

 

 トレーナーは『勝ってこい』って送り出してくれた。

 顔には『無事に帰ってきてくれたら、それで』と書いてあったけど、ここまで一緒に来た相棒としての責務をちゃんと果たしてくれた。

 だったらここから先はボクの番だよね。

 

「――! ――?」

「――――」

 

 地下バ道を通ってレース場に向かう道すがら、話し声が聞こえた。

 声からしてリシュとゴールドシップ……だと思うんだけど。

 何か変だな? 何が変なのか、具体的にぱっと言えないんだけど。

 歩いているうちにすぐ姿が見えてくる。そこにいたのはやっぱり予想通りの二人だった。

 

「あ、タイムアップみたい。人が来たのでおしまいでーす」

「…………」

 

 ただ、なんかやっぱり雰囲気がおかしい。

 リシュはたぶん、リシュじゃなくてテンちゃんの方なんだろう。好き嫌いはともかく理解すべきは単純なところだ。それはいい。

 問題はゴルシ。言われるや否や素直にくるりと踵を返すと、そのままレース場へと続く道を歩いていった。

 あきらかにおかしい。

 普段のアイツなら『まだだ、まだ終わらねえ! どぼめじろう先生の次回作にご期待くださいッ、うおおおおおお!!』とか意味不明なことを叫びながらさらにテンションをあげてウザ絡みしてくるはずだ。

 正直、人違いを疑うレベル。ただあの見事な葦毛にしっかり筋肉が搭載されたスタイル抜群の身体、何よりレースに向け充実した気迫はゴールドシップ以外ありえない。

 

「ねえ、あれゴールドシップだよね?」

 

 それでも確認しちゃったボクは悪くないと思うんだよね。

 

「ああ、そうだよ。そしてぼくはテンプレオリシュで、きみがトウカイテイオー」

 

 あ、これテンちゃんだ。確信。薄っぺらい笑顔は間違いようがない。

 リシュの笑みも淡くて薄いんだけど、衣服に沁み込んでくる濃霧みたいに得体のしれない重さがあるんだよね。

 

「奇跡を起こすウマ娘。奇跡を起こす権利を持つ、魂の持ち主。今日も奇跡を起こしちゃうのかなー?」

「はっ、奇跡が必要な実力差だとは思ってないし!」

 

「……ほーん」

 

 ぐりん、と明後日の方向に首をひねるような奇妙な姿勢で赤い右目だけがボクの顔を覗き込む。

 なんとなく居心地が悪くなって言葉を進めた。

 

「ねえ、なに話していたの?」

「きみには関係のないことさ。いや、本編には関係のないことかな。あはは、番外編をお待ちくださいってね」

 

 なんだろう。ふわふわしている。

 酔っ払っているときのパパみたい。お外じゃグラス片手に談笑も余裕らしいんだけど、お家じゃビール一杯で楽しそうにホワホワしているんだよね。

 それと似た空気を感じる。

 

「お互いに憶えていることを確認して、お互いに今は忘れることにしたってだけの話さ。この先のレースにはまったく関係の無いことだ。だいじょーぶ、レース場ではぼくもゴルシもちゃんとするよ。懐かしさに浸るのは今だけだ」

「……ふーん、そっか」

 

 ただ、拒絶の意は伝わったので深入りはやめておいた。

 この歳までレースにどっぷり浸かっていれば一つや二つ、誰だって他人に話したくないことを抱えているものだ。

 上から目線の大人たちが見下しているほど中高生もお気楽じゃないのさ。百年後には笑い話だって現在進行形では命懸け。そういうものじゃない? 大人も子供もそう変わらない感覚だと思うんだけどなあ。

 

「じゃあいこうか。みんな待ってるよ」

 

 本当にお酒を飲んだわけでもないだろうけど、それを疑ってしまうような酩酊ぶり。頬を紅潮させ目を蕩けさせてテンちゃんは誘う。

 そして誘っておきながら特にボクを導くでも待つでもなく一人でさっさと先にいってしまった。そういうとこだぞ、ほんと。

 

「…………言われなくっても」

 

 自分の手首を強くつかむ。痛いほどに。震えている理由をごまかすために。

 いつからだっただろうか。カイチョーが後続を潰さないよう全力で手加減した保護者としての対応ではなく、レースを走る先達として十全の走りを見せてくれるようになったのは。

 トレセン学園に入学してトゥインクル・シリーズにデビューを果たし、機会を見つけて何度もカイチョーと走った。カイチョーは忙しかったしボクだって暇じゃなかったけど、それでもチャンスは逃さなかった。

 

 それでも初めてだな。レースが始まる前から“逃げろ”と身体が警告を発するのは。

 

 模擬レースと、トゥインクル・シリーズのGⅠレース。その差はもちろんあるだろう。

 でもシンボリルドルフにだって感じなかったことをテンプレオリシュに感じているという事実が、ただ単純になんとも気に食わない。

 そんな幼稚な負けん気で心を奮い立たせて、ボクもレース場へと足を進めた。

 

 




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