「ウマソウルってうるさいよね」「えっ」「えっ」   作:バクシサクランオー

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今回も引き続きテイオー視点です


サポートカードイベント:霧を晴らす声

 

 

U U U

 

 

『票に託されたファンの夢。想いを力にかえて走るグランプリ、宝塚記念!』

『曇り空のもと、阪神レース場芝2200。十八人のウマ娘が挑みます』

 

『三番人気を紹介しましょう。三枠六番ゴールドシップ』

『私イチオシのウマ娘です。過去の宝塚記念では二連覇の実績もあります。阪神巧者の異名は伊達ではありませんよ』

 

『二番人気、五枠十番トウカイテイオー。ここまで無敗のクラシック二冠ウマ娘です』

『いい感じに気合いが乗っていますねえ。皐月賞、ダービーで頭一つ抜けた実力を示しここに至ります。今いちばん勢いのあるウマ娘と言えるでしょう』

 

『そして今日の主役はこのウマ娘をおいて他にいない! 一番人気、テンプレオリシュ。二枠三番での出走です』

『勝てばなんとデビューから数えて無敗の十七連勝。この宝塚記念は春シニア三冠の最後の一冠、昨年の有記念と併せグランプリ春秋連覇もかかっています。その小さな背中に数々の大記録を載せて、はたしてこれは挑戦か。それとも征服の一頁でしかないのか』

 

 時間の感覚がおかしい。

 心臓の鼓動にリンクしてしまったみたいにぎゅん、ぎゅん、と歪な流れ方をしている。

 ファンファーレも、実況も解説も、応援してくれるみんなの声援も、とぎれとぎれに意識に触れる程度だ。

 触れた部分に色がついて、じんわり思考が滲んでは沈んでいく。

 

 その宝塚記念二連覇した阪神巧者、三連覇のかかったレースでは歴史上稀に見るスタートの失敗で十五着だったじゃーん、とか。

 

 ボクの人気は純粋な実力の結果というよりは、例年のクラシックロードの注目度と判官びいきめいた応援のなせる業なんだろうなー、とか。

 

 リシュが宝塚記念を制覇するのが前提みたいな話し方をするのはマスコミに限った話じゃないけど、こうやって競う身としてはやっぱり面白くないなー、とか。

 

 弾ける泡のような思考の中でいろいろと思うところはあったけどね。

 

 はやくはやくはやくはやく。

 トビラ、開いてよ。

 

 ガシャン!

 金属の擦れる音と共に飛び出す。

 

『おっと六番ゴールドシップ出遅れた。最後方からのレースとなったが大丈夫か?』

『ちょっと苦しいけど大丈夫。ここからが彼女の実力の見せ所です!』

 

 普通、三番人気にも推されたウマ娘が出遅れた日には観客席から無数の悲鳴が上がりそうなものだけれどさ。

 実際に聞こえてきたのは歓声と、笑い声。

 

「やりやがった!」

「あー、やってくれるって信じていた」

「相変わらずのエンターテイナーだなあ」

 

 肯定的なざわめきすら聞こえる。

 誰もが知っているんだ。黄金の不沈艦にとって、この状況から巻き返すのは不可能でもなんでもないってことを。

 『スタート以外なんでもできる』って評判は伊達じゃない……伊達じゃ無さ過ぎてシニア級になってからもゲート再試験受けていたのはさすがのゴルシクオリティ。

 いや、ほんとにさぁ。GⅠウマ娘が再試験って……。ネタに生き過ぎでしょ。

 

 この程度の出遅れ、十五着に惨敗したかつての宝塚記念に比べたらかわいいものだ。つまりまだまだ油断はできない。

 とはいえ、しばらくは先頭争いに参戦してくることもないだろう。ゴールドシップのことはひとまず意識から切り離して思考のリソースを確保する。

 

 領域具現――鈍色祭拍子

 

 さっそく来た。超常の起点は四枠七番パンパグランデ。逃げを信条とするウマ娘らしく一心に先頭を目指す動き、そのオーラが渦巻き爆発する。

 世界がほころび、塗り替わる。

 提灯に石畳。どこからともなく流れては消えていく笛と太鼓の音色。セピア色と表するにもちょっとばかし彩が足りない、艶消しの灰色で織り成される祭の入り口。

 

 ああ、意外と多いんだ。

 “領域”は『この条件さえそろえば自分は負けない』という魂に刻まれた必勝パターン。だから自分の努力だけではどうしようもない環境。天候だったり、枠番だったり、バ場状態、あるいはレース場だったり。そういうのが出揃うことを前提にした“領域”って。

 どんな環境でも勝てちゃうボクくらいになると、どんなレースでも発動させられる条件に落ち着くんだけどね。

 

 領域具現――因子簒奪(ソウルグリード) 黒喰(シュヴァルツ・ローチ)

 

 そしてそんな『この条件さえ出揃えば勝てる』というなけなしの誇りを、容赦なく奪い取るのが今いるこの舞台だ。

 轟音と共に黒が一閃。幕を引くように鈍色の世界に斜線が入り、そのままぺしゃりと縮んで折りたたまれる。

 曇り空であれば、荒れ気味の良バ場であれば、勝てるという自負ごとその世界を喰いちぎる無慈悲で傲慢な捕食者がここにいる。

 

「……はっ」

 

 己の世界を奪われて失速し、先行争いから脱落していくパンパグランデの口から洩れた声が、どこか安堵しているように聞こえたのが妙に印象的だった。

 

 ゲートから飛び出て横一列だったウマ娘たちが激しい先行争いの果てに一塊から縦長へと変形していく。

 ベクトルの螺旋。台風、というよりは海流だろうか。素人目にはわからなくてもたしかに流れがあって、中心がある。何トンもある船を容易く押し流してしまうくらいエネルギーがあって、それは一人のウマ娘を中心に渦巻いている。

 ぎっちり周囲を固められて、その圧だけで並のウマ娘なら掛かってしまってもおかしくないくらいなのに。

 リシュは悠々と奪い取った鈍色を纏いつつ、自分の立ち位置を先行のポジションに確保しつつあった。

 およそ二バ身。ボクの真後ろにその息遣いを感じる。

 

「さあ、激しい先行争いで前に出たのは十二番フォローサザン。十六番アクアレイク並んでいく。早くも激しい競り合い。さらにその内からは十四番ヤッピーラッキー、内を回って一番ビターグラッセ。その外並んで九番ハートスコーチャー」

「一番ビターグラッセ掛かり気味か、それとも作戦通りか。上がっていきます」

 

 阪神レース場はタマゴのような楕円形、それをやや角ばらせたような形をしてる。ううん、デフォルメされたニンジンの方が近いかな。

 芝2200だとその内側のコースにぐるりと巻き尺をまくようなルートで走る。長さを測るために巻き尺の一部が重なるように、第四コーナーの終わりからゴール板までの最終直線はのべ二回通ることになるんだ。

 ただ序盤の位置取り争いのうちに通り過ぎてしまうから実況や解説が一周目、二周目と呼ぶこともそう無いくらい。第四コーナーから続くゆるやかな下り坂とゴール手前の急な上り坂は、うっかり油断すると脚とスタミナを持っていかれる。長距離の肉を削り血を沸騰させるようなスタミナ配分と比べたら意識するとしてもその程度のもの。

 

 そのはずだった。

 

「はああああああぁあああ!!」

 

 領域具現――熱血!ど根性坂

 

 先行勢のくせに逃げウマ娘もかくやとばかりに上がっていたビターグラッセが、己の世界を解き放つ。

 場違いなほどに青い空。モクモクと立ち昇る雲。雄大なはずなのにどこかちぐはぐで薄っぺらなそれらを貫いて、天までそびえたつ荒々しい岩肌の斜面。

 

「ぜりゃあああああああああ!!」

 

 気迫の咆哮と共に躊躇なく、断崖絶壁より多少はマシかなって傾斜の坂を駆け上がっていくビターグラッセ。

 その後ろにボクたちも続くことになる。もちろん“領域”だ。いくら現実を塗り潰したところで、実際に天を衝く急坂を駆け上がるハメになるわけじゃないけど。

 

 ……なんだろう、これ? すごく異質に感じる。

 “領域”っていうのはウマ娘の魂に込められた原初風景。『この状況なら私は絶対に勝てる! 勝つ!! 勝てるっつってんだろ!?』って記憶を汲み上げて、魂を燃やして、その熱量をもって幻想を現実に投影するワザだ。

 今、ボクは実際のレース場でもゴール板手前の坂を駆け上がっている。一周目にしては異様にスタミナが削られている。それはわかるんだけど。

 過去にくらったことのある妨害効果のある“領域”とは少し勝手が違う……気がする。あいにく今のボクにはまだ、断定できるほどの経験がない。

 何なんだろうこれ。いったいどんな記憶をどんな想いで汲み上げたらこんな形になるんだ? 想像がつかない。不気味だ。

 

「へえ、設置型か。初めて見るタイプだな」

 

 リシュ、いや、テンちゃんの声が聞こえた。

 破砕音。すぱんと黒い一直線に坂の上層が切り裂かれ、蒸発する。そして白い光と共にまたひょっこり生えた。心なし、少しだけ高さを増して。

 

「実際にある坂にリンクさせて消費スタミナを増やす感じ、かね。自身を起点に発動、後続はあくまで巻き込むかたちと。ふむ、自らが先頭だと条件は満たせず、一方で自身より前に人数がいればいるほど効果が上昇するってところか」

 

 レース中にこんなぺらぺら口を動かす余裕があるはずもないから、たぶん“領域”越しにたまに聞こえる意志の反響みたいなものだとは思うんだけど……。

 

「自分を必ず対象に含むデバフって点じゃココンと同じ。ただ『無自覚な威嚇』と『孤独の自己肯定』で世界を満たしていたココンに対し、これは『あえて不利な状況に挑戦してしまう己の性分』と『そんな自身に対する周囲の無理解、その諦観』が大きな構成要素となっていると見たね。こじらせ具合じゃココン以上だなぁこれは」

 

 うわきもちわるっ。なんで初めて見るタイプなのにそこまで吟味できるの? そりゃあボクだって自分の身で受けた“領域”はざっくりその性能を推し量れるけどさ。吟味自体はできないわけじゃないけどさ。

 ほんとうにバフかデバフかくらいの判別しかできないよ。条件とかの洗い出しは基本的にレースが終わってからの作業だし、どんな感情に起因するのかなんて推察したことさえない。

 

 明らかに一段視界が違う。こういうことに慣れている気配がぷんぷんする。

 やっぱりコイツ、バケモノだ。

 これはどれだけレースの記録を漁ってもわからないものだ。同じターフの上を走って実感として、同じウマ娘として魂を通じて感じなければ理解まで至らない。

 

 それからこうやってビターグラッセへの理解を強制的に追体験させられて、共感させられて、ボクなりにわかったことがひとつ。

 阪神レース場ゴール前に立ち塞がるこの上り坂の高低差は1.8m。勾配は1.5%。世界基準で見てもちょっと正気の沙汰とは思えないと好評な中山レース場と比べたらマシとはいえ、なかなかキツい急坂だ。

 つまりこれさあ、一周してゴール手前のへろへろの状態でもっかい上るの? ビターグラッセとテンプレオリシュが二段重ねにしてくれやがった“領域”が設置されたこれを?

 

「なにしてくれてんのさバカー!」

 

 声にならない叫びで絶叫する。

 レースはまだ序盤だ。

 

 

 

 

 

 ボクの立場からしてもアオハル杯っていうのは、それなりに旨味のある催しだった。

 というか、そこは腐っても中央というか。面白いってだけで手を出すほどここの生徒は暇人じゃない。

 

 ……こう言っただけで既に幾人かの顔がちらついたけど。

 あれは趣味に奔走しても、理屈じゃなくてパッション優先でも、GⅠで結果を出せる才能の持ち主ってだけだから。そういうのもたまにいる。そして今の話題には関係ない。

 ともあれ。中央に来るようなウマ娘が学業とレースの二足の草鞋にあっぷあっぷしながらそれでも非公式レースにまで足を延ばすには、相応の理由が必要なんだ。

 

 たとえばそれは、公式レースではそうそうお目に掛かれない相手との直接対決。

 これはアオハル杯初期の頃の主なモチベーションであったように思える。

 実質的なランキング格差が無いというか、チームの実力とランキングの釣り合っていないウマ娘が多かったというか。低ランクでもGⅠ級のウマ娘と対戦する機会が稀によくあったんだ。

 実際にボク自身、ジュニア級の頃から重賞クラスのウマ娘との実践的な経験を積ませてもらったものだ。

 

 それが今ではアオハル杯も開催が宣言されてから三年目ともなると、どうしてもランキング相応のチームメンバーになってくる。

 トゥインクル・シリーズよりは気軽にやり合えるけど、当初のお祭り騒ぎのようなハチャメチャエンカウントは失われた。

 

 だったらもう、レースのことしか頭に無いような意識高い生徒たちはアオハル杯に見切りをつけて卒業してしまったのか。

 まあ一部は実際にそういう子もいる。でも大部分はそうじゃない。義理人情という理由も、なくはないけど。

 よくも悪くも三年という時間は長い。公式チームに比べればメンバーの入れ替わりの激しいアオハル杯ではあるけど、中心人物というのはそうそう動かないものだ。

 そんな人物が同じチームで切磋琢磨を続けた結果、チームの特色と言えるものが生まれつつあるんだ。それが現在のアオハル杯の大きな旨味。

 

 たとえば〈パンスペルミア〉の場合は【灯篭流し】と呼ばれる技術。

 無駄のない足運びでどんな悪路も走破する身体コントロール、バ場の荒れ具合や最適なルートを瞬時に判断する観察眼のコツ、円滑なコーナリングなどなど、一つ一つは基礎といっていい技術を頭がおかしい次元で磨き上げ嚙み合せた集大成。それを先達から伝授してもらえる。

 さすがに足音が消えるような変態はほんの一握りだけど……でも握るくらいには数がいるの、なーんかおかしいと思うなあ。

 

 後で知った話だけど、あれのオリジナル開発者であるリシュは強すぎる自らの脚力で自身の脚を踏み砕いてしまわないためにあれに至ったらしい。

 まだトレーニングに十分な資金をつぎ込めなかった時代、消耗の多すぎるシューズによる出費を削減するためケチケチ走るのを極めていたらできた――なんてエピソードも聞いたけど。

 どちらの説が正しいにせよ、リシュが絶大なマナー違反(たぶん一生忘れないレベル)をしてまでボクの走法を矯正させたことを考えると、実にボクに適した技術といえた。

 従来の全力ストライド走法で、クラシックの短いレース間隔で、皐月賞にダービーと激戦を走り続けていれば。

 きっと菊花賞の成果は期待できなかった。トレーナーもボクも、今となっては納得しているところだ。今となっては、だけどね。初対面でアレはありえないよホントーに。

 

『十六番アクアブレイク、快調に飛ばしていきます。十二番フォローサザン続いている。三番手には十四番ヤッピーラッキー。そのあと九番ハートスコーチャー、その後ろに七番パンパグランデ』

『七番パンパグランデ落ち着かない様子。もう少し前にいきたいか、それとも後ろが気になるか』

 

 曰く、リシュにはレース場が『(レーン)』ではなく『(ポイント)』で見えているらしい。

 レジェンドウマ娘の伝記とかにある『その瞬間、バ群の中に自分の通るべきルートが光って見えた』っていうやつの、さらに上。ターフの上にくっきりと、自分の蹄鉄を振り下ろすべきポイントが見える。いや、リシュの場合はダートでもだけど。

 それがずらりと前方に連なって、さしずめ闇夜に旅人を導く灯篭のように、くっきりと自分がどのような足取りで進むべきか照らし出してくれるのだそうだ。基礎的な技術の集合体にまるで必殺技のごとくつけられた仰々しい名前、【灯篭流し】の由来である。

 リシュの走り方は型にとらわれない。彼女だけが見える世界で、彼女が知る法則に従って、ピッチ走法でもストライド走法でもないバラバラの足並みが舞のような鮮やかさでレース場を切り刻む。

 見ているだけで引き込まれそうになる。引きずり込まれて、そのままミキサーにかけられたみたいにグチャグチャになって原形すらさだかでなくなる。そんな危険な舞踊。

 

 ボクは、まだそこまでの不思議せーぶつじゃない。

 だってさ、ハッキリ言ってコスパ悪いし。肉体労働と頭脳労働は分けられることが多いけど、実際は考えるのにだってブドウ糖と酸素がいる。脳みそだって体からエネルギーが供給されなきゃ働かないんだ。

 その深さまで集中して、ルート演算をスタートからゴールまでやろうとした日には途中で酸欠を起こしてひっくり返るだろう。いや、その前にオーバーヒートで鼻血が出るかな。

 マヌケな絵面にごまかされそうになるけど、時速六十キロ以上で走るウマ娘にとっては鼻血による呼吸困難だって十分に致命的。

 だから使うのは必要なときに、必要なぶんだけ。

 

『向こう正面に入って先頭からシンガリまでおよそ十一バ身。一番人気のテンプレオリシュは現在中団に位置しています』

『案の定、前も横も、後ろまでガッチリ固められていますねえ。この包囲網から抜け出すのは容易じゃなさそうです』

 

 ニンジンの先端部分、第一コーナーと第二コーナーを通り抜け直線に入る。

 今のボクの位置は六番手。先頭集団から少しだけ離れて中団の先頭ってところ。

 リシュは八番手。相変わらずバ蹄の轟きに紛れて足音はよく聞こえないものの、まっすぐ二バ身後ろにいるのを感じる。

 

 そしてその間の七番手にいるのがビターグラッセだ。

 アオハル杯でも激戦区である中距離部門において、ランキング一位に君臨し続けているチーム〈ファースト〉不動のエースという肩書は伊達じゃないみたい。

 リシュの斜め前で前方をがっちりブロックしているし、何ならボクもそれに協力させられている。リシュを抑え込むのはボクとしても望むところではあるんだけど、そうあるように誘導される感覚はあまり面白いものじゃない。

 そんでもって後方には同じく〈ファースト〉の中距離レギュラーであるショートスリーパーがしっかり控えている。こうやって前方を塞がれた際の常套手段、いったん後ろに下がって仕切り直すことすらやらせない態勢だ。

 そのマークから外れる軌道で大外に抜け出して、などとやれば先行集団が邪魔になってかなりの距離的ロスを余儀なくされるだろう。これがチーム戦で鳴らした彼女たちの底力か。ちょっと感心する。

 

 複数人で抑え込みにいっているのは観客席からも明らかなので、一部のファンからは反感を買うだろうけど。

 国内レースの規約においても現段階では反則を取られるような動きじゃない。マークされているとわかっていて包囲されるような位置にノコノコとつくのが悪い。チーム戦がほぼ前提になってる海外レースならこの程度かわいいものだ。

 うん、このままなす術なく負けるのならそれはリシュの落ち度だ。でも絶対にそうならないんだろうなーって確信がある。

 それに足るだけの実績がある。信頼がある。

 

『後方集団を見ていきましょう。内に二番ハッピーミーク、すぐ続いて十五番セプテントリオン、その外五番アグネスデジタル、さらにその外六番ゴールドシップ』

『六番ゴールドシップ、彼女は先行策でも宝塚記念を制した実績がありますからね。追い込みにしてはやや上がり過ぎに見えますが、この位置も十分に彼女のポジションですよ』

 

 今だってこうやってプレッシャーをかけているのに、まるで底の見えない穴にひたすら水を注ぎこんでいるような手応えだ。

 普通はさ、もっと掛かるなり何なりするでしょ。自由に走らせてもらえない不自由さ、進路が見えない焦燥、そういったものを感じている節が全くない。

 可愛げが無い、ってのはこういうことを言うんだろうね。シニア級のリシュにクラシック級のボクが言うのもなんだけどさ。

 

「あはっ」

 

 器の大きさどころか存在すら疑うほどに手ごたえがなかった。だから気づかなかったんだ。

 手ごたえが無いだけで器はちゃんとそこにあって、底が見えないだけでしっかりボクらが注いだ分だけ中身は満たされていた。

 決壊するその瞬間まで予兆がまったく無かっただけのことで。

 

「あははははははは!」

 

 領域具現――Hróðvitnir

 

 一点から何かが濁流のように溢れ出して世界を塗り潰す。

 色が変わるインクってあるよね。時間経過で書いたときとはまったく違う色になるやつ。イメージはアレ。

 透明な濁流が世界を覆いつくすころには、それは曇天を形成する雲も、その上の青空も超越したはるか上――宇宙(ソラ)のかたちをしていた。

 

 中央に君臨していた恒星が噛み砕かれ、食い散らかされる。

 飛び散った食べ残しが暗黒にこれまでにない星座を描き出す。

 いや、ぱっと見で『これは未知の星座だー!』って判別できるほどボクはお星さまに詳しいわけじゃないけどさ。

 確信があったんだ。これは既存の何かを模倣した景色じゃないってことに。

 

 春天で使っていたリシュの新しい“領域”。もちろん手元にデータはあった。自身の“領域”強化か、他者の“領域”阻害のいずれか、あるいはその両方。

 自分の身で実際にくらってみてわかったことがいくつか。複数あった仮説から確定情報にできたことがいくばくか。

 そしてそれ以上にわからないことが増えた。ううん、ちょっと気取った表現をするのなら『わからないことがわかった』とでも言っておくかな。

 

 魔王の得意分野が成長率なんてシャレにならないけど。実際にそうなのだから事実は事実として受け入れるしかない。醒めない悪夢は現実ってやつだ。

 リシュはすさまじい速度で成長し、適応していく。それは“領域”さえ対象に含む。初めて使った春天のときに比べ習熟度が飛躍的に跳ね上がっているのもある種、とーぜんの話ではある。

 どれだけ研究しても、その研究成果がどれだけ正確であったとしても、到達できるのは過去のリシュ。今のリシュに届くことはない。

 納得できるかは別だけどね!! 生き様がごーまんすぎるよアイツ。

 

 極寒の熱さ、灼熱の冷たさ。そんな矛盾する感覚が全身を包む。暑いのか寒いのかよくわからないけど、よーするに溶けちゃいそうってのは共通している。

 でっかいオオカミの口の中に放り込まれて舌でころころ転がされているみたい。見た目は宇宙と星空なのに実質はでっかいバケモノの体内だ。

 これさぁ、生半可な“領域”だとこの内部じゃもう開くことすらできないでしょ。

 想いが世界を塗り替える前の段階で溶かされて消えちゃう。てのひらに落ちた雪よりもはかない運命だ。

 

「あはははっ、あはっ、あはははははっ!」

 

 ああもう、これはどう判断すればいいんだろう。

 掛かったと言っていいんだろうか。けたたましく笑いまくっている。あきらかに普段のリシュじゃない。レース前に見たときのあれに通じる謎のハイテンション。

 どれだけスタミナに長じたウマ娘でも自分のペースを狂わされれば中距離だろうとあっさりガス欠になる。常識だ。

 でもこれ、最後にちゃんと垂れてくれるやつかな? 常識ちゃんと仕事してくれる? HPが一定量減って第二形態に移行したやつじゃないの?

 

 仙姿玉質。

 並外れた美人を指す四文字熟語なんだって。カイチョーが使っていたことがある。前後の文脈は忘れちゃったけど、意味がわからなかったから調べてみたんだよね。

 焦っているときに限ってどうして見当はずれの雑念が脳内を支配するんだろう。集中が途切れかけている証拠だ。集中しないと。そう思うけど思考は途切れない。

 なんか納得する。あらかじめ頭にあった知識に経験がおいつく感覚。玉のような肌とはよく言ったもので、放っているオーラがそこらのウマ娘とは有機物と無機物くらい差がある。

 ボクが前で、彼女が後ろ。位置関係的にじっくり眺められるわけじゃないけど、それが逆に網膜に残影を焼きつかせる。

 シニア級になってからドレスタイプの勝負服になっているのも相まってとっても艶やか。肌の質感からして別物っぽいんだよ、今のアイツ。

 ぐらぐらと揺れ続ける状況に認識と理解が追い付く前に、さらに後方でプレッシャーが爆発した。

 

 領域具現――不沈艦、抜錨ォッ!

 

「面白くなってきたぜェッ!!」

 

 真っ赤に輝く瞳。

 燃え上がるって感じじゃない。まるで電球でも仕込んだみたいにきゅぴーんと光る。

 ぎゅるんぎゅるんとヘリコプターよろしく振り回される黄金の錨。

 ゴールドシップの“領域”だ。

 降り注ぐ黒い剣は回転する錨でおおざっぱに防ぐ。数本はガードをすり抜けて身を削っているのに気にも留めない。

 逆にバリバリとリシュが広げた宇宙を割り砕いて進んでいく。その姿は南極を観測する砕氷船を彷彿とさせた。

 

『六番ゴールドシップいきました!』

『まだ1000m以上あるぞ、本当にここから届くのか! 届かせるというのか!?』

 

 ここから仕掛けるのか!

 外に抜け出して超ロングスパートを始める、その姿が直接見えたわけじゃないけど。

 足音が聞こえる。バ蹄の轟きに紛れて消えてしまうリシュとは真逆。うぞーむぞーごときではいくら集まっても己を塗り潰すことはできないって主張するみたい。いつものゴルシそのままの、長いストライドの爆音が遠くから徐々に迫ってくる。

 

 『走りさえすれば勝てる』、ファンからはそう評される圧倒的なスペック。

 同じトゥインクル・シリーズを走るウマ娘からすれば当然おもしろくない話だけど。ファンの欲目込みでそう口にできる程度には、実態の伴ったえこひいきだ。

 ゴールドシップはストライド走法のお手本みたいなフォームをしている。

 でも実はストライド走法って、悪路に弱いんだ。

 ヒトの感覚で大げさなたとえをするなら、超大股で高速スキップしているようなものだから。足場が悪いと着地のたびに滑りそうになるし、踏み込んでも踏ん張りが利かない。

 そんな常識を感じさせないのびのびとした走行。それを可能とするフィジカルとセンス。体格相応の不良バ場をものともしないパワーがあるのは事実だけど、パワー一辺倒だけじゃこうはいかない。

 

 四つのコース設定を使い分けられる京都レース場あたりと比べると二パターンしか存在しない阪神レース場の幅員はそれほど広くない。自然と有効に使える部分にウマ娘が集中してバ場は傷んでいく。梅雨のこの時期ならなおさらだ。

 それが、ゴールドシップが走っている周りだけはとても広く感じる。普通のウマ娘なら勝算を鑑みて諦める傷んだバ場も距離ロスも『ゴルシだから』という超ごーいんな解決方法で正面突破しているがゆえに。

 ゴールドシップ以外誰も通れない道を征くから、結果として彼女の周りは広々としているんだ。海図を無視してジェットエンジンで飛んでいるようなもの。あるいはワープ。それでいいのか黄金の不沈艦。

 

『のこり1000m通過。各ウマ娘の動きが激しくなってきました。先団後方から外に九番ハートスコーチャー、二バ身離れて一番ビターグラッセ、その後ろから十番トウカイテイオー、その内からいったのは三番テンプレオリシュ』

『まだ1000mも残っているのにと言うべきか、もう1000mも残っていないと言うべきか。終盤に向け刻一刻と変わる状況にまったく目が離せません』

 

 焦っちゃダメだ。そう自分に言い聞かせる。

 無茶苦茶ではあるけれど、ただの無謀とは思わない。超ロングスパートで勝利した実績を持つ相手だ。

 でもそれは周囲の失態も大きい。あんなに目立つ大きいものがこれ見よがしに加速するので、周りも焦って速度を上げてしまうんだ。

 それで最終直線でなかよく失速しての泥仕合。立ち位置は真逆だけど大逃げと似たような現象が起きちゃったわけだ。

 こちらが乗らなきゃ影響は最小限に抑えることができる。そうなればあの超ロングスパートも無理無茶無謀でしかない。

 そう思いながら前を見つめ直すと、リシュが前にいた。

 

「は?」

 

 ゴールドシップが爆発したあのタイミング。

 なみなみと水を張ったバケツにボールを投げ込んだら勢いよく水しぶきが溢れるように。

 あの衝撃に押し出されるように、液体じみた体捌きで包囲網から脱出していた。

 パチパチと弾けるように分析だけが理解を先行する。思考が振る前のドレッシングみたいになってる自覚がある。

 リシュは液体、ネコも液体、よってリシュはネコであるって三段論法!? 混乱している場合か!

 

「えっ!?」

「ははっ、マジか」

 

 ボクより少し遅れて〈ファースト〉の面々も驚愕に揺れる。

 達人の拳はどれだけゆっくりでも素人には防ぐことができないって話を聞いたことがあるけど、まさにそんな感じ。特にショートスリーパーなんてずっと視界に入っていたはずなのに行動が結果になるまで認識できなかった。

 バケモノかな? バケモノだったわ。

 

 どうするどうするどうする!?

 ううん、焦っちゃダメだ。焦るのだけはダメだ。

 ただでさえクラシック級のボクは経験面でも肉体面でもハンデを抱えているようなもの。ここで掛かってしまえば勝負の舞台にすら上がれなくなる。

 大丈夫、ボクはまだ戦える。だってトレーナーが信じて送り出してくれたんだから。

 戦っている。リシュをもう一度追い越して、一人、二人と続けて。

 認めなければならない。今のボクのトップスピードはリシュのそれに見劣りするものであると。

 だから最後の直線に入ったとき好位置を確保していないとそのまま突き放されて、追いつけなくなる。末脚勝負に持ち込んじゃダメだ。今はまだ、ボクは彼女の前に位置取りしておく必要がある。

 

『一バ身離れて十一番アクアオーシャン、その外並んで六番ゴールドシップ、五番アグネスデジタルここにいます』

『じりじり上がってく六番ゴールドシップ、押し出されるように全体のペースも徐々に上がっていく。これは最後は消耗戦になるか?』

 

 第三コーナーを越えて、第四コーナーに入るころにはえらく前方の見晴らしがよくなっていた。

 ボクは先頭に立っていた。

 なんでさ!?

 やらかしたか? この段階で先頭はさすがにマズイ気がする。そりゃ同期相手のレースなら第三コーナーの時点で抜け出してそのままぎゅーんと差をつけて一着でゴールとかやるけどさ。

 クラシックロードがシニア混合に劣っているとは思わない。これっぽっちも。一生に一度だけのレース、そこに懸けられた想いだって一生分だ。

 ほんとうにもう、これさえ勝てたら明日なんていらないって熱量で誰も彼もがその栄光を求め、焦がれ、獲りにいく。そのうち二冠を既に制したのがボクだから。世界の誰よりもボクがその価値を認め、信じている。

 カイチョーが成し遂げた伝説。いちおうリシュが現代に引っ張り出した御伽噺。そういうのだけじゃなくて。憧れを差し引いてもなお輝かしい、ボクがボクの物語の一片として誇ろう。

 

 でも想いに格差はなくとも、なんならむしろクラシックの方が重いんじゃないかと(クラシック)のボクは思うけど。

 経験の厚みに差はある。二年と三年では単純に三年の方が多い。これは感情じゃなくて算数の問題だ。

 世の中には先に生まれたってだけで経た時間をまるで活かせていない、無駄にした年月を誇ることしかできないみたいな、ねんこーじょれつってバカらしい価値観なんだと身をもって後続に教えてくれる人間もいるにはいるけどさ。パーティーでたまに会ったりするけどさ。

 生まれた家や血筋で才能や環境が変わることはあっても、生まれや血そのものにレースが忖度することはない。ましてやここはGⅠ。時間を無為にするウマ娘が来るところじゃない。

 その差異はちゃんと認識しているつもり。

 どうする? ただでさえゴールドシップのせいで全体のペースが徐々に加速しつつある。リシュに前を行かれるリスクを甘受してもいったん控えるか?

 

「いきなさいっ、テイオー!!!」

 

 大歓声にも負けない激励が霧を吹き飛ばした。

 晴れて、はじめてそれまで閉ざされていたことに気づいた。

 

 ……まったくもー、あんな大声出しちゃってさ。

 メジロにふさわしい自分であろうと常に己を律しているのに、あんな堂に入った大声出しちゃったらこっそり野球観戦いって応援するのが趣味だってバレちゃうぞー?

 べつにボクは野球観戦や応援がメジロのお嬢様にふさわしくないとは思わないけどね。

 

 ああそうだ、どうして忘れていたんだろう。

 ボクってば究極無敵のテイオー様じゃないか!

 ここ最近、太陽を直視しなきゃいけない機会に恵まれ過ぎて目が眩んでいたらしい。相手を高く評価するのと自分を低く見積もるのはまったく別の話だっていうのにさ。

 綺羅星のごときウマ娘たちを相手にして思考が、身体が縮こまっちゃっていても。それでもボクの才能はボクを裏切らなかった。ここぞというタイミングを見誤らなかった。

 だからボクもボクが天才だってことをとことん信じ抜く!

 

 控える? じょーだんじゃないっ!

 ここが勝負所だ。ここを逃したらもうダメだ。

 前に誰もいないのはひどく単純な理屈。みんなボクよりずっとずーっと遅かったからこのレースについてこられなくなっちゃったのさ。

 リシュとゴールドシップがいるレースというのはそういうものだ。常識と照らし合わせて安心できる要素なんてまったくない。

 だからこれでいい。この景色が正解。

 迷いを振り切った瞬間にぐっと目の前が鮮明になった、気がした。酸欠でどんどん視界そのものは白んでいるんだけどね。

 

『さあいよいよ直線。どのタイミングで誰が仕掛けるのか! 最後のコーナーまっさきに立ち上がったのは十番トウカイテイオー、三番テンプレオリシュ追いすがる。外から六番ゴールドシップまくって上がってくる』

『後続も次々と上がって来るぞ。意地と意地のぶつかり合いを制するのは誰だ!?』

 

 さあ、いっくぞー!

 




次回、宝塚記念決着
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