めちゃくちゃ今更ですけどこの作品は独自解釈・設定がそれなりに含まれています。一応注意だけでも。
後ストックが無くなったので更新ペースが落ちます。ご了承下さい。
ティアラ2つ目の冠であるオークスは桜花賞から1ヶ月後の東京レース場で行われる。
オークスの走行距離は2400メートル。前走の桜花賞に比べて800メートルも伸びるため、距離に不安のある者はこのレースを避け、逆にマイルでは短すぎたために桜花賞を見送った者達がこのレースに上半期の全てを賭けて挑んでくる。
桜も散り瑞々しい新緑が芽生え始める皐月の頃、トレセン学園では樫の女王となるため、そして同時期に開催されるもう1つのG1レースにして日本一誉れ高いレースでもある日本ダービー、その栄冠を掴むため多くのウマ娘がトレーニングに心血を注いでいた。
無論ガイセンカグラもオークスに向けて猛練習を重ねる者の1人であり、その日も日課である坂路を走り続けていた。
「そういえば、ガイセンカグラは普段どんなトレーニングをしていたんだ?」
「基本的には坂路ですね。後はプールとか、筋トレとか。あとたまに併走ですかね。私は練習後にマッサージをしてあげたり、栄養管理をしたりとにかく彼女が体を壊さないように徹底管理してましたね。後は追加でトレーニングしようとする彼女を拘束……じゃない押さえ込んだり、その時々で臨機応変にスケジュールを調整したり」
「言い直した意味がないのでは?」
「簀巻きにされたカグラさんはある意味学園名物でしたよ。ゴールドシップさんなんかはタキオンさんとトトカルチョを行ってましたし」
「あれは熱い戦いだったな……練習後のカグラが簀巻きか否かを巡る564戦にも及ぶ死闘……濡らした枕は数知れず……血で血を洗う勝負だったぜ……」
「人参で恥を洗うの間違いでしょ」
「……恥ずかしくないんですか?」
「燃えた研究資料をもう一度手に入れるためには仕方なかったんだよ。私はレースで稼ぐ事ができないからね」
涙を流すゴールドシップにアドマイヤベガが呆れた様子でツッコミを入れ、マンハッタンカフェにゴミを見るような目を向けられているアグネスタキオンはティーカップを片手に肩をすくめた。
「まあ、彼女は常に幻肢痛に悩まされていたので朝練とかはあまり出来ませんでしたが」
「足がちゃんとあるのにか?」
「あの夢で折れてますからね。起きる度に足が痛むせいで碌に歩けないんですよ。だからいつも寝不足気味だったんですよね。酷い時は化粧でも隈を誤魔化し切れないくらいでした」
低血圧だったことも加え、血色の悪さが更に彼女を儚い存在に見せていた。白銀の髪に処女雪のように美しかった肌の裏に隠れた苦悶に、記者は声を出す事は出来なかった。
「そういえば、あたしこの時にカグラさんと並走してるんですよね」
「確か安田記念の前だったか、この頃は」
「はい。あたしが最後に勝ったレースですね」
アグネスデジタルが懐かしむように告げる。
オークスの数週間後の安田記念でのレコード勝ちを最後に、アグネスデジタルは勝利を飾る事が出来ずにトゥインクルシリーズを引退し、その数年後にトレーナーとして再びトレセン学園に戻ってきたのである。
「お互いレースの直前と言うのもあって、折角だし何度か一緒に併走しようって流れになったんですよ。幸いあたしもカグラさんもマイルと中距離どっちも走れたので、それぞれの距離で数本やったんですよね」
元々仲の良い2人は都合が合えば時々併走をする仲だったらしい。ガイセンカグラからすれば芝、ダート、海外芝の数多の戦場を渡り歩いてきた歴戦の勇者から直々に教えてもらう事ができ、またアグネスデジタルも友人に逃げの脚質を持つ者があまりいなかったため、クラシック級ではあるが頭ひとつ抜けた実力の持ち主であったガイセンカグラは良い練習相手となっていた。
「それでいつも通り練習後に2人でウマ娘ちゃんについて語り合いながら練習しているウマ娘ちゃん達を茂みから観察してたんですよ」
「当たり前のようにストーキングッ」
「その時は丁度マンハッタンカフェさんとアグネスタキオンさん、あと彼女達のトレーナーさん達が丁度練習してまして、特にマンハッタンカフェさんは少し前に春の天皇賞を勝ったばかりでしたから、それはもう2人で尊みについて語り合ってたんですけど、その時にカグラさんの双眼鏡が急に壊れたんですよね」
曰く急にレンズに罅が入ったらしい。落としたわけでも無いのにひとりでに壊れた双眼鏡にアグネスデジタルは声を上げて驚いたが、当のガイセンカグラは手元には目もくれず神妙な目つきで宙を見つめていた。
どうしたのかと問えば、よく分からない何かが私たちの周りをふわふわと漂っていると答えるのだ。アグネスデジタルには何も見えなかったが、彼女は確かにそこにいると言う。
「カグラさんは大丈夫ですよって言ったんですけど、薄気味悪いと言いますか。ずっと宙に向かって話し続けるカグラさんが怖くなりまして、マンハッタンカフェさんを呼びに行ったんですよ」
「ごめんね。そうだね、ズルいのかもね」と呟くガイセンカグラはどこか浮世離れしていて、すぐ隣にいるのに目を離したらいなくなるんじゃないかと思わせる程の儚さがあった。透き通る白い髪も相まって亡霊に様子に見えたアグネスデジタルは悪寒が背筋を這うのを感じ、振り払うようにマンハッタンカフェとついでにアグネスタキオンも呼びに駆け出した。
「その時にマンハッタンカフェさんとタキオンさんは初めてカグラさんと出会ったんですよ」
「まさかこんなに長い付き合いになるとは思っても見なかったけどね」
砂糖が飽和した紅茶を片手にアグネスタキオンが実に愉快そうに笑う。
「……えぇ、そうですね。不思議な子でした……色んな意味で」
マンハッタンカフェが駆けつけた時、ガイセンカグラはとても落ち着いた様子であった。周りに『何か』がまだいるにも関わらずである。普通であれば怪奇現象に怯えた表情をしている者が大半であるのに、彼女は恐るどころか少し笑っていたらしい。マンハッタンカフェはこの光景に思わず呆気に取られていた。
「あれ? デジたんさんどこ行ってたんですかってマンハッタンカフェさん?! え?! なんでここに?!」
「……デジタルさんに呼ばれましたので。……あなたも、見えているのですか……?」
「あぁ、この子たちですか? いえ、見えてませんよ。ただなんとなくどこにいるかとか、何を言っているのか分かるだけで」
「……怖くは、無いのですか?」
「いいえ、全く。これらはあり得たかもしれない私の姿ですから」
ガイセンカグラは周りを漂う『何か』を愛おしむように見ていた。意味深長な笑みを浮かべる彼女にマンハッタンカフェは訳がわからず困惑していた。
「そんな事より、春の天皇賞優勝おめでとうございます!」
「え? ……あぁ、ありがとう……ございます……?」
「では私は路傍の石の如く存在を消していますので、是非是非アグネスタキオンさんの元へ戻っていただいて」
先程の儚げな様子とは一転して眩しいまでに尊敬の目を向けて溌剌と話しかけてくるガイセンカグラの態度の変わりように、マンハッタンカフェは呆気に取られるあまり疑問符を浮かべてしまった。その後ろから暇そうにしていたアグネスタキオンが声を挟む。
「おや、私の事は気にしなくて良いんだよ?」
「ピッ?! ア、アグネスタキオンさん?!」
どうやらガイセンカグラはアグネスタキオンの存在に気づいていなかったらしく、奇声を上げて驚いた。どこか同室のウマ娘と似ている彼女に気分を良くしたアグネスタキオンは、良いおもちゃを見つけたとばかりに笑みを深める。
「どうだい、君も一緒に私たちとお茶でもしないかい? お礼はこの薬の臨床試験に付き合ってくれるだけで良いとも」
「はい! 喜んで! ……待って違う、これじゃないんだよ。私はあくまでも尊いウマ娘ちゃんを眺めたいだけでその子たちと話すなんて烏滸がましいにも程があるしそうだデジたん! デジたんさんが代わりに行きます!」
「ン゛ン゛ン゛カグラさん?! あたしにあのエデンに、聖地に行けと?! そんなことしたらデジたん死んじゃう!」
「……タキオンさん、揶揄うのも良い加減にしてあげてください」
「失礼、デジタル君から度々カグラ君の事は聞いていたのだけど、実際会ってみると予想以上に面白い子でついね」
それ以降ガイセンカグラとマンハッタンカフェ達の交友は続いているらしい。その後マンハッタンカフェが凱旋門賞に出た事もあり、そこにシンパシーでも感じたのかガイセンカグラはマンハッタンカフェを慕ってくれていたらしい。今でも時間が合えばコーヒーを一緒に飲む仲であるとマンハッタンカフェは嬉しそうに語っていた。
またアグネスタキオンもガイセンカグラに栄養剤や薬を作ってはたまに渡していた。悪名ばかりが知れ渡るトレセンの中において、ガイセンカグラは自身に尊敬の念を向ける数少ない1人であり、ダイワスカーレットがガイセンカグラを慕っていた事もあって何かと面倒を見ていたのだ。その弊害として彼女のトレーナーが発光する頻度が増えたのだが、可愛い後輩のために張り切っているのだからご愛嬌と言うやつだろう。
「特にカグラくんの夢の話は私にとっても興味深かったからね。実験にも疑わずに付き合ってくれるし、私としても大いに助かったよ」
「……あなたはそろそろトレーナーに罪悪感でも覚えるべきかと」
マンハッタンカフェはしみじみと呟いた。彼女の手元のコーヒーマグから立ち上る湯気が、何故かガイセンカグラの長く白い髪を彷彿させた。
▽
ファンファーレが鳴る。今は亡き音楽家の作り上げた旋律が東京レース場にいる全員に高揚感を与える。
「オークスは芝の2400、凱旋門賞と同じ距離というのもあってか、カグラは一際気合を入れて臨みました」
マンハッタンカフェとアグネスタキオンと邂逅を果たし、アグネスデジタルと徳を積む日々を送りながらも、着実にオークスに向けて努力を重ねていた。
『第〇〇回オークスのパドックです。18人の出走です。解説は〇〇です。よろしくお願いします。
まずは1番人気ファインモーション。桜花賞に続きオークスも勝ち取り、ティアラ三冠に王手をかける事ができるか。本日は外側からのスタートとなります。
続く2番人気はガイセンカグラ。前走の桜花賞ではファインモーションに2着と惜敗。オークスで雪辱なるか。そして初の重賞制覇となるか』
言われてみれば確かに、パドックで足の調子を確かめる彼女は春の天皇賞の時のライスシャワーの様だとまでは言わないが、何処か鬼気迫る様子を感じさせた。
『スタートしました。揃いました綺麗なスタートを切りました。先行争いです。まず内からはチャペルコンサート、チャペルコンサート。これを制するように外からユウキャラットが上がって参りました。真ん中から飛び出してきたのはガイセンカグラ。1バ身、2バ身、飛ばして参ります、掛かっているかもしれません』
馬群に呑まれるよりも素早く抜け出したガイセンカグラはそのまま快調にペースを上げていく。 3バ身離れて2番手にはサクセスビューティ、その1バ身離れてユウキャラット。その後ろには内からキョウワノコウビト、オースミコスモ、ビューティマリオンが横に並ぶ。ファインモーションはビューティマリオンのやや後ろ外目についた。
ペースは例年よりもゆったりとしていた。第3コーナーに入り大欅*1を抜けた辺りから後方集団がじわりじわりとペースを上げて来る。同様にファインモーションと先行集団も徐々にガイセンカグラとの差を詰めてくる。
『各ウマ娘直線コースを向いた。先頭この辺り、ファインモーション並んできた。ファインモーション並んできた直線と勝負。400の標識をこれから通過。ガイセンカグラ先頭だ。ガイセンカグラ先頭だ。そしてオースミコスモ、オースミコスモ。背中をついてチャペルコンサートが突っ込んできた。マイネミモーゼ、マイネミモーゼ最内から。中を突いてはスマイルトゥモローが突っ込んできた。黄色い勝負服スマイルトゥモロー。外からファインモーション! 外からファインモーション上がって来た!ガイセンカグラ厳しいか! ガイセンカグラ厳しいか!
先頭争い。残り150メートル先頭は依然ガイセンカグラしかしスマイルトゥモローが僅かに抜いたか?! ガイセンカグラまだ粘る! ファインモーションだ! ファインモーション来た! 並んだ並んだ! 並んで抜いたファインモーション! ファインモーション1バ身差のリードでゴールイン!
見事オークスを制覇したのはファインモーション。三冠ティアラに王手をかけました。
2着はガイセンカグラ、桜花賞の雪辱ならず、またも2着となりました。半バ身差でスマイルトゥモロー惜しくも3着です』
ティアラ2冠目のレースが終わる。記者は思い出したように深呼吸をし、自身が知らず知らずのうちに手に汗を握っていた事に気づいた。
画面にはファインモーションが観客に手を振っており、ガイセンカグラの姿はどこにも見えなかった。早々にターフから引っ込んでしまったのか、ウイニングライブまで画面にガイセンカグラがテレビに映し出される事は無かった。
ふと辺りを見渡して見れば、トレーナーは悔しそうに顔を歪めており、またファインモーションも神妙な目付きでテレビに視線を向けたまま固まって考え込んでいた。
一体彼女達がどんな思いでオークスに挑んだのか、記者にはとんと見当も付かなかった。