2/16/2022追記:引けませんでした(血涙)
オークスが終わった後のガイセンカグラはとてもではないが見ていられなかったとトレーナーは語る。
眉間には常に皺が寄っていて、時間さえあればトレーニングに時間を費やす。トレーナーが練習を禁止しても今度は理論書を読むなりとにかく息抜きもしない。最早寝てすらないんじゃないかと思えるほどに血色は悪く、フラフラとおぼつかない足取りで歩く彼女はとても痛ましかったが、鬼気迫る表情を見ては声をかけるのも戸惑われた。
ターフに生きるウマ娘たちには、ガイセンカグラの抱える焦燥が少なからず理解できてしまったのも良くなかった。
デビューから1年が経っても未だ勝ち星が無しと言うのは想像する以上に不安に駆られるものだ。特に彼女の場合はあとちょっとと言うとこでいつも取り逃がしているため、その思いは一際大きかったのだろう。
ガイセンカグラの実力なら適当な重賞に出れば勝てるではないかと言うが、そもそもガイセンカグラは凱旋門賞に勝つために走っているのである。凱旋門賞制覇を掲げたところで、そもそも出れなければ取らぬ狸の皮算用なのだ。身体だって丈夫な方だがやり過ぎれば故障してしまう。そのため最大効率で賞金を稼ぐには出来るだけ多くのG1レースに出て最低でも掲示板入りする必要があった。特に1着と2着では賞金に倍近く差があるため、ガイセンカグラは出来る限り1着を取らねばならなかったのだ。
しかし蓋を開けてみれば見事に2着のみ。稼ぎは悪くないが、このままでは予定していたプランだと賞金が足りず抽選から弾かれてしまう可能性があった。夢を叶えるスタートラインにすら立てないかもしれないという不安が寝ても覚めてもガイセンカグラの心を巣食っていた。
しかしそんな調子で練習したところで良い結果など出る筈も無く、試走のタイムは目に見えて悪化していき、それに焦って更に努力を重ねては疲労ばかりが溜まっていく悪循環にハマっていってしまった。
詰まるところ、ガイセンカグラはオークス以降スランプに陥っていたのだ。
「ある時レースプランの変更等を申し出された事がありましてね。当初は秋華賞からエリザベス女王杯、そして有マ記念を予定していたのですが、ジャパンカップにも出たいと言われましてね」
「エリ女からジャパンカップだと? いくら何でも間隔が短すぎる。OPとかならまだしも、G1でそんな事しても疲労が抜け切らず満足に走れないのは目に見えているだろう」
「ええ、その通りです。はっきり言えば自殺行為も良いところなんです。なのでこれは流石に受け入れられないと突っぱねたんですけど、彼女も意固地でして、結局大喧嘩しちゃったんですよね」
あれは酷かったとトレーナーは遠い目で語る。トレーナーとて勝ち切れない現状に何も思わない訳ではない。寧ろ彼女が勝てないのは自分の指導のせいではないかと思い詰めていた時期もあった。
それでもガイセンカグラのトレーナーである以上、ここで自分まで焦って下手を打っては行けないと己を強く戒めていたのだ。自分が焦って過密なトレーニングをさせてしまえば、ガイセンカグラはロンシャンの地に立つ前にターフを去らねばならなくなるかもしれない。
彼女のためにもここで自分まで焦ってはいけないのだ。ガイセンカグラの不安は痛いほどに理解できるが、彼女の申し出は絶対に受け入れる訳にはいかなかった。
しかし今のガイセンカグラに理屈を唱えたところで受け入れられる筈もなかった。誰がどう見ても彼女は正気では無いのだ。レースでは2着止まりで練習も振るわない、このままでは掲示板すら怪しいのではないか。得体の知れない恐怖が彼女から冷静さを尽く奪い去っていた。
「私もこの時は余裕なんて無かったので、何度言っても一歩も引かない彼女につい怒鳴っちゃったんですよね。やっちまったなって気づいた頃にはもう後の祭りですよ。カグラが『この分からず屋!』って出ていっちゃって。今でも自分が間違ってなかったと信じてますけど、それでも罪悪感を覚えずにはいられませんでした」
眦に涙を湛えて走り出す彼女にトレーナーは手を伸ばすことが出来なかった。他の誰でもない自分が傷つけてしまった彼女を癒す言葉を、トレーナーは持ち合わせていなかったし、その資格すらないと思っていた。
「今思い返してみれば、ただの不幸なすれ違いみたいなもんなんですけどね。あの時はもう明日には契約解除されてるんだ〜ってお先真っ暗でしたね。毎日おハナさんに泣きついてはやけ酒してました」
文句ひとつ言わずに付き合ってくれたおハナさんには今でも頭が上がりませんと彼女は恥ずかしそうに語る。
それ以来、ガイセンカグラとトレーナーの間には事務的な会話しか行われなかった。これまでは夜になると眠れぬカグラがトレーナーに甘えてくる事がしばしあったのだが、今では独り寂しくコーヒーを啜りながら彼女の体温を思い出す日々が続いた。
「結局謝る機会を見つけられないままズルズル時間が過ぎて気づいたら夏休みになってたんですよね」
この頃になると流石に頭が冷えたのか、ガイセンカグラにも多少の落ち着きが見えるようになってはいたが、精神的不安定さが見え隠れしておりまだ万全とは言えなかった。
そうした状態のまま合宿に行ったものだから、これにはテイエムオペラオー達も溜息を零さずにはいられなかった。
「彼女のやつれた顔にはきっと世界も涙を流さずにはいられなかっただろうね」
「その日晴れてたけどね」
「学園で見た時よりは、元気でしたけど……それでもまだ心配でした……」
これには第三者の介入無しでは好転しないと思ったトレーナーの思惑もあった。こうなった場合当事者だけでの解決はほとんど不可能に近く、巻き込むようで申し訳ないがテイエムオペラオー達に協力してもらってガイセンカグラがどう思っているのか聞いてもらい、それを知った上で改めて話し合いたいと思っていたのだ。
そういうわけで兎にも角にも練習どころではないと判断した3人はトレーナーと話し合って、とにかくまずは遊び倒して彼女のメンタルを回復させようとした。
「運動強度で言えば練習と大差無かったけどね」
「ウマ娘ですからね……息抜きが走る事ですから……」
「去年に比べてものすごく成長していたわね」
去年は何度も負けたビーチフラッグで今年は見事勝てたらしい。勝率は悪かったらしいが、いくらトゥインクルシリーズを引退していたとはいえあの世紀末覇王やダービーウマ娘たち相手に勝てるのは単に彼女の実力が成長していた証だろう。
「そういえば、確かこの頃にカグラと2人で話したことがあったのよ」
思い出したようにアドマイヤベガは語る。
それは合宿が始まってすぐの夜であった。アドマイヤベガは風呂上がりの火照った体を冷ますついでに海辺に出て夜空を眺めていると、後ろからガイセンカグラがやって来たのだった。
彼女は何も言わないままアドマイヤベガの隣に立ち、ただ呆然と輝く星々を見上げた。アドマイヤベガは何も聞かず、彼女から何か言うのを待つことにした。
「アヤベ先輩」
「……何かしら?」
「先輩はダービーに勝てなかった事を想像した事はありますか?」
ガイセンカグラは夜空に視線を向けたまま震える声で尋ねた。
アドマイヤベガとガイセンカグラは1つのレースに全てを懸けていたと言う点では非常に似通っている。アドマイヤベガは日本ダービーに、そしてガイセンカグラは凱旋門賞に自身の全てを捧げていた。
「……えぇ。あるわ。何度も何度も。……そうね、皐月賞の後は丁度今のあなたのようだったわ」
「……先輩は、どうやってダービーに勝ったんですか? どうやってこの恐怖を克服したんですか? ……私怖いんです。自分でもダメだって分かってるんですけど不安で仕方がないんです」
ガイセンカグラは自身の体を強く抱き寄せる。アドマイヤベガは慎重に言葉を吟味してから訥々と話し始めた。
「……カグラ、あなたはウマ娘のジンクスとか噂とかって知ってる?」
「……? ……えっと、秋の天皇賞で1番人気は勝たないとかですか?」
アドマイヤベガらしからぬ遠回しな語り口にガイセンカグラは疑問符を浮かべながらも彼女の問いに答える。
「そうね。後はダービーポジション*1とか、葦毛は走らないとか、双子のウマ娘は大成しないとかね」
そこでアドマイヤベガは深呼吸をした。思えばこの話をするのは彼女のトレーナー以外だとガイセンカグラが初めてだった事に気づいたからだ。
「私は双子だった。双子のはずだったわ。でも走らなくなる事を危惧したアドマイヤ家が片割れを潰して、私だけが生まれたの」
ガイセンカグラが息を呑む音が聞こえた。しかしアドマイヤベガは気にせず話し続けた。
「天皇賞・秋のジンクスはオペラオーが覆したわ。ダービーもミスターシービーが破ってみせた。オグリキャップやタマモクロスが偉大な記録を打ち立てた。所詮ジンクスなんて根も葉もない噂でしか無いのよ。ただそうなることが多く感じるだけで確固とした根拠なんてどこにもない。生きているのなら、走る事が出来るのならそれはいつか破られる……でも、あの子には、私にはその機会が与えられなかったわ」
アドマイヤベガは一等星に目を灼かれながら、しかし握った拳を痛いほどに握り締めていた。
「仕方ないのは分かっているわ。ジンクス通りなら生まれてからでは遅いもの。名家に生まれたからには私は走って結果を残さなくちゃいけない、ならその障害になり得るものは可能な限り排除して然るべきよ。それを抜きにしても双子の出産は母子共に命の危険があるし産まれても虚弱体質になる可能性が高い。だから片方を殺すのは実利とリスクの両方から見ても妥当な選択なのは頭では理解しているわ……でも、でもよ。そこまでするべきなのかしら。走る喜びを、愛される温もりを、一緒に笑う幸せを、何もかもを生まれる前に奪ってまで、私の命に価値はあるのかしら。名誉とは、栄光とは死んだあの子の命よりも大切なものなのかしら。走れなくても、あの子と共に生きてみたかったと願う私は我儘だと思う?」
アドマイヤベガは姉妹と言う言葉があまり好きではなかった。その言葉を聞く度に名家のエゴで死んでしまった自身の片割れの存在が重くのしかかり、自身の走りを鈍らせるのだ。息を吸えば幻影が脳裡をよぎり、一歩踏み出す度に自身の走りが無価値に感じてしまって仕方がなかった。
「私は証明しなくてはいけなかった。親に、アドマイヤ家に、世界に、私の走りを。私とあの子の価値を。彼女の死を意味有るものにしなくてはいけなかった。じゃなきゃ報われないじゃない。悲しいじゃない。大人の身勝手な都合で死んだあの子を、せめて私だけでも覚えていなくちゃいけないの」
誰にも愛されることなく死んだ妹に、せめて自分だけでも愛を注がなくてはいけない。覚えなくてはいけない。彼女の分まで生きて走らなければいけない。皮肉な事に、その想いこそがアドマイヤベガの原動力であり、彼女が日本ダービーを勝てた理由であった。
「これが私の答えよ。私は日本ダービーに全てを捧げた。日本一のウマ娘の称号を手にする事が、あの子への手向けになると信じていたから。あの子のために負けられないからこそ、私はどれだけ窮地に陥っても自暴自棄にならずに済んだの。カグラ、あなたは誰のために走っているの? 何のため?」
「……私は、あの夢の先が見たいんです。今度こそ私は……トレーナーに、先輩方に、両親に、私を愛してくれたみんなに恩返しがしたい。勝ちたいんです。世界一になりたいんです。1着になって、胸を張ってトレーナーに貴女の自慢のウマ娘ですって言えるようになりたいんです」
堰を切ったようにガイセンカグラの眦から涙を溢す。月明かりに照らされた涙は箒星のように彼女の頬を伝った。
「……らしいわよ、カヤさん」
「はぇ?」
「……えっと、ごめんね。全部聞いちゃった」
「……〜〜ッ!!」
実のところトレーナーがその場に居合わせたのは偶然だった。アドマイヤベガ達と同じように火照った体を覚ますために外に出たら彼女達が並んで立っており、先にトレーナーに気づいたアドマイヤベガが隠れて聞くように視線で促したのである。
まさかトレーナーに聞かれているとはつゆにも思っていなかったガイセンカグラは恥ずかしさの余り顔を真っ赤に染め上げ逃げ出そうとしていたが、それよりも先にトレーナーが彼女の手を掴んで引き寄せた。動揺していたせいか、面白いほど簡単に彼女はトレーナーの胸に収まり、トレーナーは逃がさないと強く彼女を抱きしめた。ちなみにアドマイヤベガがこの辺りで場を離れたらしい。
「私の役目はもう終わったし、ずっとあそこにいても邪魔でしょう? 私もそれくらいの空気は読むわよ。それに十分楽しませてもらったしね」
「エ゛ッ?! まさかあれ見られてたの? でも周りには誰もいなかったはずなのに」
「ウマ娘の聴力と視力を甘く見ない事ね。ちなみにオペラオーとドトウも一緒に見てたわよ」
「嘘でしょ……」
「どうしてそんなに恥ずかしがるんだい? カヤさんとカグラはこのボクと同じくらい美しく輝いていたじゃないか」
「そういう問題じゃないんだって……」
「……仲が良いのは、いい事ですよ……」
「そうだけど……でもあれ見られてたのほんとに恥ずかしい……」
「中々に熱々だったわね」
「もーアヤベさん、揶揄わないで!」
その後何があったのかトレーナーは断固として語らなかったが、それを見ていたアドマイヤベガ達曰く2人ともとても幸せそうだったと発言を残したので、きっと満ち足りた時間を過ごしたのであろう。
「ん゛ん゛っ! まあそんな感じで無事仲直り出来まして、お互いにしっかり話し合った結果ジャパンカップは出走せず有マへ直行、賞金が足りなさそうならシニアの宝塚記念に出るって事で落ち着きました。おかげで残りの合宿は今まで以上に気合を入れて取り組む事が出来ましたね」
ちなみにその夜以降ただですら近かった距離が更に近くなった上にストレートに好意を伝えてくるようになったせいで、そんなガイセンカグラをどうあしらうのが正解か分からずトレーナーは毎日悶々と悩んでいたらしい。贅沢な悩みである。
何はともあれ、夏休み前に比べて一段とレベルアップを遂げ、もはやトレーナーと一蓮托生、一心同体となったガイセンカグラは、ティアラ三冠最後のレースである秋華賞に挑むのであった。
2/17/2022補足:再三言いますが今作のアドマイヤベガは当時未実装だった故かなりの独自解釈を含んでいます。ガイドライン的に結構ギリギリな気がするので後日訂正する可能性もあります。ご注意ください