民間の警邏隊では捕らえられなかった凶悪殺人犯がいた。
一個大隊を率いて捕まえてみれば、それは想像とはかけ離れた細身で華奢な女で、私は昔を思い出して吐き気がした。
湯気の上るカップを片手に机の上のぶ厚い調書を広げた。これは全て彼女の罪状。自白内容は一つもなく、未だに容疑だけで証拠は固まっていない、が、それもおそらく時間の問題だろう。
最初の数ページに目を通す。熱すぎたコーヒーが喉を灼きながら通り過ぎる。眉間に寄った皺を意識的に緩めつつページを捲った。
シエル、それが彼女の名前だった。普通に生まれ普通に育ち、普通に働き普通に生活していた。
最初の殺人はまだ私が軍に戻る前、ちょうど新生ローレライ教団を追い回していた頃になるだろうか。自宅で両親を刃物で惨殺、幼い弟が一人助かっている。
弟の名はレオン。話を聞きに行った部下の話によると外見は姉によく似ており、まるで幼い頃の彼女を見ているようだったという。姉の犯行に関しては目撃していなかったそうで、否定を続けているらしい。
殺された両親はこの姉弟の実の親で、随分と二人を可愛がっていた。ただ、どうやらあまり表立っては言えない類の商売をしていたらしく、そちらの方で恨みを買ったのだと当初は思われていたようだ。
話がここまでだったのならば、彼女は事情聴取は受けても逮捕はされなかっただろう。だが行方を眩ませた彼女はその半年後、無差別に人を殺して回る殺人鬼として戻ってきた。複数の被害者と加害者の間に接点も共通点もなく、場所もマルクト・キムラスカ両国にわたっている。たまたま最後の殺人がマルクト国土内で起こり軍を動かす機会があっただけの話で、もしかしたらキムラスカ軍が彼女を捕らえていたかもしれない。
ただ、それまでは各地で繰り広げられていた惨劇が、ここ数ヶ月はマルクトで連続して起こっている。それに何か意味はあるのか。
最初の両親殺害を除き、いずれの殺人の場合も現場付近で見かけられた不審人物の容貌が彼女に似ていた。眼前で殺害現場を見た者はいないが、この手の情報ならまだ入ってくるだろう。
私はファイルを閉じて、それに書かれていた少女の元へと向かった。
地下牢はじっとりと冷たく、コンクリートの床の上に毛布一枚で寝るような生活。本来なら、このような少女のいるべき場所ではない。だが、彼女に関しては別である。
どうやら食事にも一切手をつけていないようで、捕らえた時よりもさらにやせ細っていた。
床にうずくまっていた彼女は、牢を開けて中に入った私の気配を感じてゆっくりと顔を上げる。
「……誰? また尋問? 話すことなんて何もないけど」
「いえいえ、様子を見に来ただけですよ、シエルさん」
「私はシエルじゃない」
吐き捨てるようにそう言うと、彼女は再び顔を伏せた。どうやらこれ以上の話をするつもりはないらしい。
「それでは、あなたの本当のお名前を伺ってもよろしいですか?」
当然ながら、反応は一切返ってこない。
「これは失礼。こちらから名乗るべきでしたね。私はマルクト軍第三師団所属、ジェイド・カーティス大佐です」
無視されると思っていた私の予想を見事に裏切り、彼女は弾かれたように顔を上げた。
ただ、目だけがぎらぎらと私を睨み上げている。表情を見る限り、怒り、憎しみ、彼女がそういった負の感情が入り混じった状態であることは想像に難くない。
「貴様が……ジェイド・カーティス……」
立ち上がる体力すらも失っていたと思われた彼女が、突如音を立てずに地を蹴り、私に飛びかかってきた。予想外の出来事に避ける間もなく突き飛ばされ、もつれ合って床に倒れ込む。上に乗った少女の細い指が喉元に食い込んだ。
「貴様さえいなければ……ッ」
その手に力が籠もり、身の危険を感じた私は彼女を弾き飛ばす。幸いかなりやつれていた相手は、大して力を入れずとも軽々と吹き飛んで床に伏した。槍を具現化する間も惜しく、腰に帯びた護身用の短剣を、彼女が動けぬよう正確に頸動脈の上にあて様子を窺う。
そのまま二人とも微動だにせず数分が過ぎた。首がずきずきと痛み出す。おそらく先程絞められた時に、爪で傷が付いたのだろう。
「……殺すならさっさと殺せ。私に出来たことなど所詮この程度、同胞の血にまみれた私にもまた生きる価値など無い」
少女は吐き捨てるように言い、床に転がった状態のまま全身から力を抜いた。おそらくもう飛びかかってはこない……私もナイフを彼女から離し、少し離れた位置に立った。
「もう一度伺います。あなたのお名前は?」
意識的に先ほどよりも厳しい口調で訊ねる。体も顔も伏したままの彼女は、本当に微かな声で『フォニー……』と呟いた。
―――――
独房の中、フォニーはかなり前に出ていったジェイド・カーティスに突き飛ばされた時のまま、ずっと冷たい床に転がっていた。
彼はあの後、何も言わずに出ていった。何も聞かなかった。何故、彼を殺そうとしたのかすらも。
フォニーはジェイドの顔を思い出す。もっと凶悪な人相か、でなければ青白い白衣爺を想像していたが、意外と若い普通の人間だった。
彼女がジェイドについて知っていたのは、名前と、現役でマルクト軍に所属していること、それと……フォミクリーの発案者だということ、それだけだった。
ネクロマンサーという異名も耳にした。彼にふさわしい通り名だと思った。
フォニーは今一度、彼の顔を思い出して己の脳裏に刻み込む。次の機会を逃さぬように……機会があればの話、だが。
――私は奴を殺すために……そして自分が死ぬために、ここにきたのだから。
―――――
絞められた首がズキズキと痛む。執務室に戻るまでの間、会う人全てが彼の首の傷のことを心配し眉をひそめた。
部屋に戻って鏡を見ると、真っ赤になった手形の痣と歪んだ切り傷が鮮明に残っていた。これでは心配もされるだろう……実際の痛みよりも見た目の方が随分と派手に見える。ジェイドは苦笑しながら制服の襟元を正し、机に向かった。
ファイルを開き最後のページに今日の日付と『フォニー』という名を書き記す。そして、しばらくペンを空中で止めたまま少し考え……やがて『被害者とフォミクリー・レプリカとの関連について再調査の必要有り』と、そう付け加えた。
―――――
――すぐそばで子供が泣いている。目の前にいる大人達は、難癖をつけては私を殴る。私の存在が癇に障るのだと言う。
私は『紛い物』なんだと何度も聞かされた。私もそうだと思った。
けれど、私を庇おうとするあの子にまで手を上げる大人達を見たら、急に体が熱くなって……我に返った私は、欠けて折れて使いものにならなくなったナイフを片手に、血の海に沈んでいた。すぐ傍で、血に濡れた子が泣いていた。慌ててあの子の服についた血を拭おうとして、初めて私は自分が彼以上に赤く染まっていることに気付いた。
泣かないで、ごめんね、私じゃあなたを守れないと知った、許して。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
しがみついてくるあの子の手を振り払い、私はその場から逃げ出した。
目を開くと石造りの低い天井が視界に広がり、自分のおかれた状況を思い出す。寝ていたはずなのに息が荒く、全身にじっとりとした嫌な汗をかいていた。
あの家の夢を見たのは何年ぶりだろう。それは私が過去を思い出すきっかけでもあり、ただ感情のままに人を殺した最初で最後の記憶。
―――――
数日後、ジェイドは再び私の元を訪れた。
「今日はちゃんと食事をとったんですねぇ。いい傾向です」
一人で頷きながらへらへらと口元だけで笑っていたが、突然、私の目の前にどっかりと腰を下ろした。当然だが牢屋に敷物がしいてあるはずもなく、冷たい石の上に直接、片膝を立てて座っている。
「すみません、この方が話しやすいかと思いまして」
以前に取り調べられた時は、机も椅子もある(ついでに拷問器具もある)別の部屋に連れて行かれて、武器を所持した兵士達に囲まれて自白を強要された。
それに比べこの人は小さなナイフひとつ(もっとも、それで充分に事足りるのは実証済みだったが)だけで、相変わらず供は一人も連れずに牢番も下がらせた。よほど自信があるのか馬鹿なのか、多分前者なのだろう。彼は強いし頭も切れる。
「さてフォニーさん。色々とお訊ねたいことがあるんですが」
「いいよ、私が話せる限りのことは話してあげる」
もう、二度とこの男は私に隙を見せないだろう。残念だけど、それが現実なら私は受け止めるしかない。
もう一つの目的……私が死ぬためには、死刑になるのが多分一番手っとり早い。
彼は助かりますと笑って、質問を始めた。
「それではお聞きします。あなたは『私はシエルではない』と言いました。では、シエルさんのご両親はあなたとは赤の他人だということですか?」
「そうよ」
「だがあなたはシエルさんとして、彼らとともに暮らしていた時期があった。違いますか?」
「……半分は正解……かな。私にはよくわからない」
「こちらの調査では殺人が起こるまで二十日ほど一緒に暮らしていて……けれどシエルさんはもっと前に死んでいることもわかりました」
「だから何? 私がその女と入れ替わるために殺したとでも?」
けれど彼はあっさりとその言葉を否定する。
「それはないでしょうね、突然病気でお亡くなりになったそうですし。まだお若かったのに、実に残念なことです」
「……言いたいことがあるのならはっきり言ってくれる?」
遠回しな質問はきっと核心に触れるための前段階に違いない。彼をジロリと睨みつけると、やれやれといった面持ちで天を仰ぎ見、すぐに真剣な表情になった。
「あなたは、シエルさんのレプリカですね?」
私はゆっくりと頷いた。
―――――
彼女は否定することもなく、あっさりと自分がレプリカであると認めた。おそらく私がすでにそのことを知っていると気付いたのだろう。しかし私の知りたいことは、無論それだけのはずがない。
「あなたはどうして、シエルさんの家を訪ねたのですか?」
「私を造った奴らは『塔に行け』と命じた。だが…………」
そこで、言葉が途切れる。今までと違い、意識的に話さないのではなく上手に言えないだけのようなので、うまく続きを聞き出してやる。
「何か理由があって行けなかったのですね。それから、オリジナルのいた場所を探したのですか?」
「……いや、船で塔へ行こうと港へ向かっていた道中に偶然その村を通りがかり、レオンが私を姉と呼んで家に連れていった」
それは調査書類に書かれていた弟のことであろう。当時まだ幼かった彼は、姉シエルとうり二つの彼女を見れば、姉が生き返って戻ってきたと思うに違いない。
「幼いレオンは私を慕ってくれたが両親はそうはいかなかった。私はフォニーと名付けられ、奴隷同然の生活を強いられた」
フォニーの顔が歪んだ。当時のことを思い返しているのか目を伏せ、爪が白くなるほどに手を強く握りしめている。……多少哀れには思ったが、それでも私はその責務を果たさねばならない。
「それで、両親……いえ、オリジナルの両親を殺害したのですか」
「違う!」
即座に、甲高い彼女の否定が返ってきた。
「……違う……別に、辛い扱いには慣れているから、平気だった……」
「慣れていた?」
「私は戦うために産み出されたレプリカだ。産まれてすぐにあらゆる剣術と戦いに必要な最低限の知識を叩き込まれた」
しばらくの間、沈黙が薄暗い牢内を支配する。先に言葉を発したのはフォニーだった。
「私を執拗に庇うレオンに両親は怒って彼を殴った。重くはないが、怪我をしたレオンは泣き出して、それでも私に酷いことをするなと言い続けてくれた」
一旦言葉を途切れさせた彼女の表情を読む。ますます悲しそうな、そして苦しそうな表情だった。奥歯を噛みしめたままじっと目を閉じていたが、薄く開いて、さらに言葉を続けた。
「母はレオンを殴り続けていた。レオンの態度に腹を立てた父は食卓に置いてあった果物ナイフを手に取った。このままではレオンが死んでしまうかもしれない………次に気づいた時には、私は刃の折れたナイフを片手に、呆然と立っていた。二人を殺したことに対する罪悪感はなかったが、レオンの涙を見ていられなくて、私はそのまま家を飛び出した。私がレプリカでなければ、私がオリジナルのいたあの家に行かなければこんなことにはならなかったのに……ッ」
彼女は私を睨みつけた。
「何故フォミクリーを作った! 貴様があんな物を作らなければ……私も産まれることなどなかった! こんなに辛い思いをすることもなかった!!」
今にも飛び掛りそうなのをかろうじて押さえ込む彼女の表情に、私は何も言い返すことが出来なかった。