受け取ったナイフで、ルークは手首に傷をつける。滴り落ちる血は床につく前に乖離して消えた。少々の傷などで乖離することはないが、大量の血液となるとやはり体から離れて消えてしまうのだろう。
「わかるか? 特に傷口周辺に注目して見てみるといい」
ティアはじっと、彼女の傷口を眺めている。さすがというか、血を見ることに対しての動揺はない。
「……大気中の第七音素が傷口に集中してる……」
「正解。第七音素で構成されたレプリカは、傷……多分、病気でも、回復する時に大気中の第七音素を取り込んで復元する」
彼女のように音素付加を受けてないレプリカは……赤毛ルークも同様であったが、傷口が何もなかったかのように復元して、血の染み一つ残らない。ルークは『面倒くさくなくていい』と言っていたが、レプリカにとっては……これは悲しい事実なのかもしれない。
「ちなみにグミを食ってみたけれど、第七音素を取り込むスピードが上昇しただけで、それそのものに傷を治す効力はなかったようだ。さぁ、次。大佐、貴様が暴いた墓のレプリカはどうなっていた?」
「どう、といわれましても……普通の、死体ですよ」
ただ一つを除いて。
「今さら隠すな。私の推測だが、死体はそのまま腐りもせずに保管されていたんだろう?」
……正解。土に埋められて半年以上も経った死体が、一切虫が寄り付くこともなく分解もされず、まるで生きているかのようにそのままで、眠っていた。
「音素付加、それだけを聞けば夢のような技術だと思っていたが……やはり、裏があるようだな。死体がそのまま、ということは、一切乖離せずに眠っている状態……すなわち、音素付加を受けているレプリカが傷ついたり死んだりしても、第七音素を大量に消費するだけで、それを還元することはない」
つまりそれが第七音素の減少の原因であると?
「断定はできないが、一因ではあるだろう。その、ローレライがどうこうって言うのは私の理解を超えた話のようだしな」
「ローレライを解放した以上、第七音素の存在は無限であるはずです。そうでないのなら……解放が不完全であったか、あるいは再びローレライの下で何かが起こっているか……」
ティアの言うとおりだ。第七音素が不足する、という現象自体がすでに尋常ではない。
「フォニ……ルークは、このことを知るために私を利用したんですか?」
「フォニーで構わないよ。どうもお前達の顔を見ていると、ルークという名で混乱しているようだからな。私も少々不愉快だ」
「すみません。……フォニーさんは、第七音素を不足させないために、レプリカを殺して回ってたんですか?」
私が訊ねる前にティアが口を開く。
「……最初はそうだったが、音素付加を受けたレプリカは殺しても還元しないどころか、下手に傷をつければ無駄に第七音素を消費する……苦労したぞ、一撃で殺すのに」
だがそれも、音素付加を受けたレプリカでは、殺したところで第七音素が戻るわけでもない……まぁ、回復するための第七音素を使用しなくなるだけ、ましと言えなくもない……そう考えて私は愕然とした。
『手を下すのが私からお前達に代わるだけだ』
フォニーの言葉を思い出す。モースによって大量に生み出されたレプリカが起こした弊害、それから世界を守るためにレプリカを殺す、その発想を当然のように受け入れていた自分に吐き気がした。所詮、私もただの偽善者か。
「私は音素付加の技術について少し探ってみましょう。ティアは引き続き、第七音素帯の様子を調べてください」
「わかりました」
「私は変わらず、ここでふて寝か?」
フォニーの言葉に苦笑する。本当は私についてもらい音素付加の実態について一緒に探ってもらいたいのだが、それはさすがに許されない。
「すみませんねぇ、適当にくつろいでおいてください、といってもこんなところですが」
「気にするな、不遇な扱いには慣れている。それに、私も知りたかったことだ。……死ぬ前に、すべてを明らかにしてほしい」
「死なせませんよ。明らかになるまではね」
フォニーを牢獄に置いて、私達はそこを出た。暗いところにいたせいか、太陽がまぶしく感じる。
「彼女が……投獄されて、どのくらいになりますか?」
「ふた月位ですかね? 私が直接接するようになってから一ヶ月強……それ以前は、ろくに食事も取らせてもらえないような悲惨な状況だったようですよ」
ティアは眉を潜める。
「いくら罪人だからって……その扱いは、レプリカだから、ですか?」
「無関係とはいえないでしょうね。残念なことですが」
それきり、私達は会話を交わすことなく己の職務へと戻った。シェリダンに新たにできた企業グラン・リード社。様々な方面からこの会社を調べなくてはなるまい。