グラスワンダー編二話です。
「それではこれにサインお願いします」
笑顔でアタシに書類を差し出してくるグラス。
アタシはそれにため息を吐きその書類を受け取る。その書類はウマ娘担当申請書類、ご丁寧にアタシのサイン以外は全て記入済みだ。
「グラス、何度も言ってるがアタシはトレーナーとして活動するつもりはない。それにお前は才能があるんだ、良いトレーナーの元で頑張れ」
「嫌です、私は先生にご指導して頂くために日本に来たんですから」
おっとりとしたグラスだが、こうと決めた事には頑固で全く譲らない奴だ。
とは言え、こればかりは譲ることは出来ない。
ウマ娘のトレーナー資格は確かに持っている、だけどそれはペーパーテストと面接をパスしただけなんだ。本当の意味でのウマ娘のトレーナーは、ウマ娘を導きあのターフに送り出せる存在なんだ。そんな存在が知識だけで成り立つ訳がない。
特にグラスの様な一流になれる素質を持つウマ娘なら尚更だ。
「なぁグラス、お前にはGIに勝てる素質がある。だけどアタシにはお前をそこまで引き上げる力がないんだ」
「そんなことありません。それにタキオンさんはGIを取ってるじゃないですか」
そうなのだ、形式上アタシの担当ウマ娘であるタキオンはGIウマ娘になってしまっている。しかも皐月賞日本ダービーを含めて複数のGIレースを制覇したことが話を複雑にしてる。
「タキオンは例外中の例外なんだよ。アイツはトレーニングメニューもレースプランも自分で組んでるんだ。アタシは名目上のトレーナーでしか無いんだ」
「なら私も「無理だ!」…どうしてですか!」
「アイツは間違いなく天才だ、走る事にしても頭にしてもな。女神様に二物を与えられてるんだよ、だから成功してる。でもグラス、お前は走ることでは才能がある。でもお前は限界を見誤る、お前には導くトレーナーが必要なんだよ」
「…」
唇を噛むグラス。いつもはおっとりしているグラスだが、その心の中には熱い激情が眠っている。それはレースを走るウマ娘にはプラスになるだろうが、それをコントロール出来なければ大変な事になる。そして、グラスはそれができないタイプだ。
「アタシは少しでもウマ娘に走る事を諦めなくて済む様に、そう思ってこの道に入った。でもな救いあげられないことだってあるんだ、なぁグラス」
「…なんでしょうか」
「お前はお前のために走れ、それが一番だし。それにお前が全力で走ってる姿は綺麗なんだ、それを曇らせないでくれ」
「!?///」
アタシがそう言って頭を撫でてやると少しビクつき俯く。
アメリカにいた時も偶にしていたが、こうすれば大体は満足してくれてたしな。尻尾も横に振れてるし多分オッケーだな。
「あの、私の走り。見ていてくれますか?」
俯きながらそう言うグラス。それにアタシは、
「ああ勿論だ、お前が走りきるまで見ていてやるよ」
そう言うとグラスは顔をあげる。少し顔が赤いが多分恥ずかしいんだろうな。
「我儘を言って申し訳ありませんでした。せ…の一番になれるよう精進致します。では失礼します」
「ん?ああ、無理はすんなよ」
なんか一部聞き取れないのもあったが、納得したみたいだし問題ないか。
トレーナーもグラス程の才能の持ち主ならそんなに時間もかからず決まるだろう。ハナさんやら沖野…は多分足触った瞬間に切り捨てられるか。
さて仕事に戻るか、そう思った時。
「シズク、君は火遊びが好きなのかい?」
珍しく口を挟まずに静観していたタキオンが口を開く。
その顔を少し不機嫌そうだ。
「なんだよ急に。火遊びなんてするかよ、子供じゃあるまし」
「まぁ君が蒔いた種だ、私がとやかく言うこともないか。あっそうそう、一つ聞いてもいいかい?」
「なんだ?」
「私の走り、君にはどう見えるかね?」
なんだ藪から棒にと思いつつ、少し考え。
「真理を追求する気高い走り、そんな感じかな」
アタシの答えに一瞬固まったかと思ったら顔を背けるタキオン。
「やはり君は困ったやつだよ、本当に」
なんだそりゃ?自分で聞いといて意味不明な奴だな。
その時は気に留めていなかったが、タキオンの尻尾はご機嫌に振れていた。
※※※
「ん゛〜あ゛〜」
「お前どこからそんな声出してんだよ」
「だっでぎも゛ぢぃ〜だも゛ん゛〜」
処理室のベッドにうつ伏せになり奇怪な声をあげるマルにアタシは苦笑する。
実はマルは脚部不安を理由にトゥインクルシリーズから身を引いていた。アタシがマルの足に気付き問いただしたことで判明したんだが、そん時は取っ組み合いの大喧嘩に発展までした。
まぁ結果は二人仲良くたづなさんにゲンコツを喰らい引き分けになった訳だが、それ以降マルもアタシの患者として治療を行うこととなった。
長年の蓄積もあって完全に治すには長い時間も必要で、ドリームシリーズも出場するため週一で処置を行っていた。
「ん〜身体が軽い〜、これなら今からオール出来ちゃうわね」
「んなことしたら、お前の車でストIIの再現するからな」
「ちょっと、タッちゃんで脅迫するなんてズルいわよ!」
そんな言い合いをしながらコーヒーを淹れる。マルの処置で今日の患者は終わりだし、タキオンは用事があるらしく居ない。気にせずにコーヒーを飲める訳だ。
「今日はコーヒーなのね、本場のアメリカンってやつね」
「アメリカにそんなコーヒーねーよ、それに今は濃い方が主流なんだぞ」
マルは処置が終わった後も大体居座る。処置待ちの奴がいる時は流石に帰るが、殆ど遅めの時間に処置室に来るので殆ど居座ってると言っていい。
最初はマルが淹れることもあったが、そのなんだ。コーヒー牛乳はコーヒーじゃないぞマル。
そんな訳で茶を淹れるのはアタシがする事にしている。
「そう言えばグラス凄いわね。怒涛の三連勝、次は朝日杯だし巷じゃ怪物二世か?なんて話も出てるみたいよ」
そうグラスはあの後おハナさん率いるリギルに所属することになった。おハナさんならグラスの才能を花開かせることも出来るだろうし、実際にデビューからGIIも合わせて三連勝している。デビュー戦は観戦を強請られ見に行ったが、二戦目のOP戦は予定が合わず行けなかった。おハナさん曰くテンションが下がって困ったらしく、レース後に労って欲しいとおハナさんにお願いされた。アタシはニンジンか何か?
「んで、初代怪物としてはどうだ?朝日杯勝ちそうか?」
「その言い方可愛くな〜い。でもそうね、同期の中じゃ頭一つ抜けてるんじゃないかしら。でもレースに絶対はないわ、誰かさんみたいに怪物退治しちゃうかもしれないしね」
そう言い流し目で此方を見るマル。
確かにグラスは抜きん出ているかもしれない、でも。
「アタシらの時と比べりゃまだマシさ。走って勝手に凹む怪物もビビっておよび腰な同期も居ねーんだ」
アタシらの時代がレベルが低い訳じゃないが、この数年で新しい練習方や機材も生まれ平均的なレベルは底上げしている。抜きん出たウマ娘が現れたとしてもタイムオーバーは早々起こることは無くなっている。
まぁ、アタシの同期やその上の世代がマルに果敢に挑んだ結果タイムオーバーが大量に出て頭を抱えたURAが基準を変更したのもあるんだがな。
「シズクやみんなが私を追って来てくれたから楽しく走って来れた。でも今のグラスはちょっと違うのよね、勝ちの拘ると言うより勝ち方に拘ってるみたいな感じなのよね」
マルの言葉にアタシは手に持っていたカップをテーブルに置き考える。
多分グラスはマルを意識している。怪物二世と世間が騒ぎ立てる、そしてマルと同期として走ったアタシの存在。
あれだけ自分のために走れと言ったがグラスは頑固だ、それに朝日杯はマルがレコードを出したレースだ。アイツはレコード勝ちを目指してるのかもしれない。
…待てよ!
アタシは席を立つ。
「シズクどうしたの?」
「思い過ごしならいいんだが、マル。自主練するとしたら何処だ?」
※※※
まだ足りない。
チーム練習が終わり、誰も居なくなったコースを走りそう思う。
私が所属したチームリギルは凄いチームだ。チームリーダーのルドルフ会長を筆頭に実力者揃いだ、そしてその練習は最初はついて行くだけ精一杯だった。でもそれに慣れて来て、メイクデビューもした。結果も出し世間では私のことを怪物二世と囃し立てるようになった。
そう怪物二世、よりにもよってその名前。怪物マルゼンスキー、この学園の先輩で同じリギルのメンバー。
そして、シズク先輩のライバルだった人。
シズク先生が自分の足を犠牲にして勝った、トゥインクルシリーズをその一敗しかしなかった正真正銘の怪物。
そんな怪物の名を私が襲名?そんな馬鹿なことがあるか!
私の走りはまだ足りない、私の走りは誰かが全てを犠牲にしても勝ちたい走りではない。周りを圧倒し、勝つことを諦めさせる走りではない。
そして、シズク先生が求めてくれる走りに全く足りていない!
次の朝日杯をイメージし、1600mを走りきりゴールに置いたスポーツドリンクを飲む。
身体に水分が染み渡る、だがそんなことを感じれるほどまだ自分を追い込んでいない。朝日杯に勝てる自信はある、でも私はただ勝ちたいんじゃない。レコードで勝ちたいんだ。
朝日杯でレコードで勝利し、マルゼンスキー先輩の記録を塗り替える。朝日杯だけでは足りないだろう、でもそれを積み重ねればシズク先生は私を見てくれる。
私はドリンクを置きまた練習を再開しようとした時、
「流派ゴッドヴェイドー捕縛術生命布(ハートクロス)」
私の身体に布が巻き付いてくる。
まさか不審者がこの学園に?油断した、日本はアメリカに比べて治安が良いとはいえ油断するべきでは無かった。でも甘い、この程度の布など全力で力を入れれば引き千切ることくらい…切れない!
そんな!?何度力を入れても千切れず、困惑している中でもドンドンと身体を拘束されていく。まさかこれはアメリカで見たジャパニーズ スィン ブックな展開?あんな薄いのに10ドル以上する本みたいな展開!
くっシズク先生に捧げる身体がこんな所で汚されるなんて、かくなる上は犯人と刺し違えても…
「全く予想通りとは笑えねーよ」
「その前にシズク、何をどうしたら包帯でウマ娘を拘束出来る訳?」
もがく私の上で聴き慣れた声。
「ゴッドヴェイドーってのは野戦病棟でもありなんだ、怪我で暴れる患者もザラだ。しかもウマ娘なんかだと普通の拘束じゃ押さえきれないだろ?だから拘束術はゴッドヴェイドーの必須科目なんだよ」
ゴッドヴェイド?それにこの声に、布の下からでも分かるこの匂いは!
「ひむくふぇんふぇー(シズク先生ー)」
私はもがいて声の方向を向く。
「よう忠告を無視する問題ウマ娘」
私の目に写ったのは完全に怒っているシズク先生と困った顔したマルゼンスキー先輩の姿。
私は少し気まずく視線をずらす。
「ほう、此処でアタシを見ないなんていい度胸だな」
シズク先生はそう言いながら私を持ち上げ肩に担ぐ。
あー先生に抱き上げて貰ってるのになんか嬉しくなーい。
「シズク、どうするの?」
はい、私はどうなるのでしょうか?大変気になります。
「指導はアタシの領分じゃない、だから担当と一緒に説教するんだよ」
えっそれって…
「覚悟しとけよグラス、ガチ怒りのおハナさんは洒落にならないぞ」
そんなー私は一途の望みをかけてマルゼンスキー先輩の方向を向くが。
「まぁこれも良い経験ってことよね…此処で見逃すと私も怒られちゃうし」
神は死んだ!私はこの後の絶望に震えながら、これが最後かと思いシズク先生の香りを堪能する事にした。
…東条さんからお説教ですか?すみません、思い出したくありません。
『グラスワンダー朝日杯フューチュリティステークス、レコード勝利。怪物二世新たな伝説の始まりだー』
結果から言えば私は朝日杯をレコードで勝利する事が出来た。あの一件の後、チーム練習は怪我の心配の範囲で更に過酷さを増した。管理外で走るなら、管理内で限界までシゴくことになった私はレースまでシズク先生に会いに行くことも出来ない程毎日ヘトヘトになるまで鍛えられた。
勿論体調管理も念入りにされ、私がどれだけ無計画で無茶なことをしていたかお説教されながらも東条さんが私を思って色々やってくれてることに感謝した。
怪物二世、今回のレースでほぼ私の字となるだろう。重い名前だ、でもその先に私が望む未来がある。
不退転、私は常に前へ進む。
そして朝日杯から二週間後、
「残念ですが、完治には半年程かかると思われます」
私は自分の行為で、私の目標を失ってしまった。